はじめに:共感が資金を生む時代へ
近年、博物館が直面する経営的課題は多様化し、運営の持続可能性が問われる時代に入っています。従来、博物館の財源は公的補助金や入館料、あるいは関連商品の販売などに限られていましたが、こうした収入源だけでは、新たな展示の企画や学芸資料の保存・修復、さらには教育普及活動を継続的に実施していくには不十分であるという声が現場からも聞かれるようになっています。特に近年は、社会的課題に対して博物館がどのように応答するかという視点が求められており、資金の使途と意義をどのように社会に示すかが問われています。
こうした背景のなか、文化施設における資金調達の新たな手法として注目されているのが「クラウドファンディング」です。クラウドファンディングは、インターネットを通じて不特定多数の人々から小口の資金を集める仕組みであり、もともとは新規事業や個人の創作活動を支援する手段として発展してきました。ところが近年では、博物館や美術館といった公共文化施設においても、この方法を活用し、展示企画の実施費用や文化財の修復、地域連携プロジェクトなど、さまざまな目的で資金を募るケースが見られるようになっています。
クラウドファンディングの導入が単なる「資金不足の補填」にとどまらない点も、博物館経営にとって重要な意味を持ちます。つまり、支援者は金銭的な貢献を通じてプロジェクトの一部に参加し、その成果に対する当事者意識や誇りを持つことができます。このようにして生まれる「共感」や「参加の感覚」は、博物館が長期的な信頼関係を築いていくうえで、大きな資産となるのです。クラウドファンディングは、単なる収入源ではなく、博物館と社会の間に新たな関係性を生み出す装置とも言えるでしょう。
本記事では、クラウドファンディングという仕組みが博物館にとってどのような可能性を秘めているのか、また実践においてどのような課題と向き合う必要があるのかについて、理論と実例の双方から考察します。そのうえで、資金調達と公共性の接点を探る戦略として、クラウドファンディングが果たしうる役割を再評価していきます。
クラウドファンディングの基本構造と文化施設への適用可能性
クラウドファンディングとは、インターネットを通じて不特定多数の人々から少額の資金を集める手法であり、2000年代後半から欧米を中心に広がりを見せてきました。主な特徴は、(1)明確なプロジェクト目標の提示、(2)支援者との双方向的なコミュニケーション、(3)資金調達の過程が「共感」や「物語性」によって左右される点にあります。金融機関や助成制度に依存しない資金調達手段として、小規模な組織や個人にも開かれた仕組みであることが、このモデルの魅力とされています。
クラウドファンディングにはいくつかの形態が存在します。博物館や文化施設で特に活用されているのは、「寄付型(donation-based)」と「購入型(reward-based)」です。寄付型は、対価を求めずに純粋な支援を目的とするものであり、博物館の公共的性格と親和性が高い形式です。一方、購入型では、支援者が一定の金額を支援する代わりに、グッズや限定体験などの「リターン」が提供されます。この形式は、参加意識や満足感を喚起しやすく、リピーター獲得やファン層の育成にもつながるため、博物館におけるマーケティング的観点からも注目されています。
GLAM分野(Galleries, Libraries, Archives, Museums)では、早くからクラウドファンディングを導入する動きが見られました。たとえばアメリカでは、Kickstarterなどの一般的なプラットフォームを通じて、地域博物館や大学附属機関が展示や出版プロジェクトの資金を調達した事例が報告されています(Riley-Huff et al., 2016)。このような動きは、日本を含むアジア地域にも徐々に広がっており、特に地方の中小規模館にとって、地域社会とのつながりを強化する手段として有効性が認識され始めています。
クラウドファンディングが文化施設に適用しやすい最大の理由は、支援者が「物語」に共鳴するという性質にあります。博物館が持つ収蔵品や建物、展示の背景には、しばしば固有の歴史や人々の想いが込められています。これらをわかりやすく伝え、誰のために、なぜ今、このプロジェクトが必要なのかを示すことができれば、支援者はプロジェクトに対して共感を抱き、資金という形でその思いに応えようとします。
また、クラウドファンディングは、資金を募る過程そのものが「社会への発信」となる点でも優れています。プロジェクトの立ち上げから終了までを通じて、博物館はSNSや動画、イベントなどを通じて支援者と対話し、施設の理念や取り組みを広く伝えることができます。これは単なる広報活動にとどまらず、博物館の存在意義を再定義し、市民に対する説明責任を果たす重要な機会でもあるのです。
このように、クラウドファンディングは単なる資金調達手段にとどまらず、博物館がその公共的役割を再認識し、市民との新たな関係性を築いていくための起点となり得ます。次節では、実際に博物館がクラウドファンディングを活用した成功事例と、そこから導き出せる戦略的要因について掘り下げていきます。
博物館における成功要因と欧州事例
クラウドファンディングを通じて博物館が資金を調達するには、単に金額目標を提示するだけでは不十分です。寄付者が「自分の支援には意味がある」と確信し、そのプロジェクトに参加する価値を見出せるような設計が求められます。とくに博物館のように公共性が強く、文化や教育という抽象的な目的を掲げる組織においては、支援者との信頼関係や共感の醸成が不可欠です。
この点において、欧州諸国では、文化財の保護や芸術支援の文脈でクラウドファンディングが比較的早期から導入されており、多くの成功事例が蓄積されています。こうした事例を読み解くことで、博物館がどのようにクラウドファンディングを活用し得るのか、実践的な知見を得ることができます。
代表的な例として、フランス・ルーヴル美術館が2010年に行ったクラウドファンディングキャンペーンが挙げられます。このキャンペーンは、ルーヴルが取得を目指していた16世紀の絵画「三美神(Les Trois Grâces)」の購入費用の一部を市民から募るものでした。目標額100万ユーロに対し、キャンペーン開始からわずか35日で目標を達成し、合計7,200人以上の支援者から寄付が集まりました(Kędzierska-Szczepaniak, 2021)。
このプロジェクトの成功にはいくつかの要因が重なっています。第一に、取得対象となった絵画が「国として所有すべき文化財」であると明確に位置づけられていたことです。「国家遺産の一部を市民が共に守る」というメッセージは、多くのフランス市民の心を動かしました。第二に、寄付額の幅を広く設定し、少額からでも支援できるようにした点も見逃せません。実際、支援者の多くは1〜50ユーロという小口支援者であり、誰もがルーヴルのプロジェクトに関われるという開かれた姿勢が、多様な層の参加を可能にしました。さらに、支援者には寄付金額に応じたリターンが設定されており、感謝状や特別鑑賞会への招待など、「文化的価値に関与した実感」を得られる仕掛けが用意されていました。
イタリアでは、民間非営利団体「LoveItaly」が文化財の修復プロジェクトに特化したクラウドファンディング活動を展開しています。この団体は、特定の地域やテーマに関心のある支援者に向けて、修復対象となる美術品の来歴、劣化の現状、修復にかかる工程などを丁寧に伝えながら寄付を募っています。支援者は、プロジェクトの立ち上げから修復完了までの経過をメールやSNSで随時受け取り、まるで修復作業に伴走しているかのような感覚を得ることができます。このようなプロセスを通じて、単なる金銭的支援ではなく、「文化遺産の保存に自分が関わっている」という参加意識が生まれ、継続的な支援へとつながっているのです。
こうした成功事例の背景には、各国における制度的支援の存在も見逃せません。たとえばポーランドでは、文化・国家遺産省がクラウドファンディングと公的補助金を組み合わせる「マッチング・ファンド」制度を導入しており、民間からの支援が集まったプロジェクトに対して、同額または一定割合の補助金を支給する仕組みが整っています。この制度により、文化施設は初動の資金を確保しやすくなり、民間参加型の文化財保存プロジェクトが促進されています(Kędzierska-Szczepaniak, 2021)。
さらに、欧州では文化的・社会的プロジェクトに特化した信頼性の高いクラウドファンディング・プラットフォームが整備されており、初めて導入する博物館でも比較的スムーズにプロジェクトを開始できます。たとえばフランスの「Ulule」やドイツの「Startnext」などは、プロジェクトの設計や発信支援、法的対応まで幅広くサポートを行っており、公共文化施設に特有の課題に対応した運用が可能です。これらの仕組みは、実務面での不安や失敗リスクを軽減し、現場のハードルを下げる役割を果たしています。
こうした成功事例を踏まえたうえで、博物館におけるクラウドファンディングの成功要因を整理すると、次の3点が特に重要だと考えられます。第一に、「支援したくなる物語(ストーリーテリング)」をどれだけ丁寧に設計できるか。プロジェクトの背景や価値を、支援者が自分ごととして捉えられるように伝える力が不可欠です。第二に、資金の使途や進捗を常に公開し、透明性を確保すること。寄付者が「自分のお金がどう使われているか」を把握できることで、信頼が生まれます。第三に、支援者を単なる寄付者ではなく「文化の共創者」として扱う姿勢です。たとえば、限定イベントへの招待、修復現場の見学、支援者向けの報告書などを通じて、体験や参加の機会を提供することで、持続的な関係構築へとつながります(Camarero et al., 2023)。
日本の博物館においても、こうした欧州の事例はそのまま導入するだけでなく、自館の規模、地域性、支援者層に合わせたローカライズが必要です。例えば、地域の歴史資料館がクラウドファンディングを行う場合には、地元の学校や町内会と連携し、住民参加型の物語を紡ぐことで、より強い共感を得られる可能性があります。制度的支援が整っていない場合でも、大学や自治体と連携して企画段階から広報体制を整えるなど、博物館の特性に応じた戦略的活用が求められます。
なぜクラウドファンディングが実施されないのか?
クラウドファンディングが博物館にもたらす可能性や成功要因についてはこれまでに述べてきました。しかし現実には、こうした方法を導入・実施している博物館はまだ少数派であり、特に日本では、「関心はあるが実施に踏み切れていない」という状況が続いています。
このような“意欲と実行のギャップ”は、ノルウェーの文化施設に関する研究からも明らかになっています。複数の博物館がクラウドファンディングの可能性を検討したものの、最終的には実施を見送った事例が多く報告されており、その主な要因として、①資金以外の価値(可視性や市民参加)への理解不足、②組織内の正当性への懸念、③実務的な負担感の3点が挙げられています(Rykkja & Bonet, 2025)。
第一に、多くの文化施設では、クラウドファンディングを単なる「資金集めの手段」として捉えてしまい、プロジェクトの過程で得られる広報効果や支援者との関係構築といった副次的な意義を十分に評価していないという傾向があります。このような限定的な理解は、クラウドファンディングが持つ本来の可能性を狭めてしまいます。
第二に、公共文化施設としての立場ゆえの慎重な組織文化も見逃せません。「寄付を募ることが中立性や専門性を損なうのではないか」「営利的な印象を与えるのではないか」といった懸念が根強く、特に行政に強く関与する施設では制度上の明確な位置づけがないことも、導入をためらう要因となっています(Rykkja & Bonet, 2025)。
第三に、クラウドファンディングには多くの準備と労力が伴います。目標設定、ページ設計、広報戦略、リターン設計、支援者対応などが求められ、通常業務との両立が難しいと感じる職員も少なくありません。こうした実務的な負担の大きさが、現場での導入を阻んでいる現実があります。実際に、文化施設職員を対象とした調査では、「クラウドファンディングに関心はあるが業務負荷が高すぎる」といった声が多数を占めており、組織的体制の未整備が障壁となっていることが示されています(Teunenbroek & Smits, 2023)。
また、プロジェクトが失敗に終わった場合の心理的リスクも大きな懸念材料です。目標未達となった際、支援者や関係者に対して「信頼を損なうのではないか」という不安を抱く職員も多く、失敗を許容する文化が組織内に根づいていない場合、クラウドファンディングは“挑戦しにくい選択肢”となってしまいます。
このように、クラウドファンディングが実施されない背景には、資金的な課題だけでなく、組織文化、制度環境、実務体制といった複合的な要因が存在しています。言い換えれば、それは単なる資金調達スキルではなく、組織そのもののあり方や公共性の再定義を問う問いでもあるのです。次節では、こうした課題を乗り越えたうえで、クラウドファンディングが博物館の持続的経営にどのように貢献しうるのか、展望を深めていきます。
クラウドファンディングは持続可能な戦略たり得るか
クラウドファンディングは、その語源からもわかるように「群衆(crowd)」から「資金(fund)」を得る手段ですが、その本質は単なる資金調達だけにとどまりません。むしろ、支援者との関係性を新たに築き直すための「関係構築型ファンドレイジング」としての側面が、近年の文化政策や非営利経営において重視されるようになっています。
特にコロナ禍以降、多くの文化施設が財政面・運営面で大きな打撃を受けるなか、クラウドファンディングは緊急的な資金確保の手段として一時的に注目を集めました。例えば、展覧会の中止による収入減、ボランティアや来館者との接点の喪失、教育活動の縮小といった事態に直面した博物館が、オンラインでのクラウド支援を通じて新たな関係づくりを模索する動きが報告されています(Prokůpek et al., 2022)。しかしその一方で、こうした一過性の取り組みを、どのように長期的な戦略へと昇華させていくのかが、今まさに問われています。
持続可能なクラウドファンディング戦略の第一の鍵は、「一回きりのイベント」として終わらせないことです。多くの施設では、単発のプロジェクトで目標金額を達成して満足してしまい、その後のフォローアップや支援者との関係継続を怠ってしまうケースが少なくありません。しかし、クラウドファンディングに参加した支援者は、単に“お金を出した人”ではなく、“プロジェクトに共鳴した仲間”です。こうした支援者に対して、定期的な活動報告や限定イベント、感謝の言葉を届け続けることで、次の支援やリピーターとしての参加、さらには口コミによる波及的な広がりが期待できます(Camarero et al., 2023)。
第二に、クラウドファンディングは他の財源との“補完的関係”に位置づける必要があります。クラウドファンディングだけで施設運営全体を支えることは現実的ではありませんが、特定の目的に限定した資金調達、例えば「ある展示の印刷物制作」「特定資料の保存修復」「教育プログラムの立ち上げ」などには非常に効果的です。このように限定的な用途に絞ることで、目標達成の可能性が高まり、支援者にも明確な目的が伝わりやすくなります。また、公的助成金や企業協賛などとの“ミックス型ファンディング”として設計することで、財源の多様性を確保しつつ、それぞれの弱点を相互に補完できます(Jelinčić & Šveb, 2021)。
第三に、クラウドファンディングを「支援者との共創の場」として活用することが求められます。支援者をプロジェクトの外側の存在として扱うのではなく、プロジェクトの一部に巻き込み、“ともに価値を生み出す参加者”と位置づける視点が重要です。例えば、支援者による投票で展示テーマを決定したり、クラウドファンディング期間中に支援者限定のトークイベントを実施したりするなど、参加型の設計を導入することで、支援が「関係」へと発展します。これにより、博物館が社会において“何のために存在しているのか”という公共的使命を可視化し、説明責任を果たすことにもつながるのです(Camarero et al., 2023)。
さらに、クラウドファンディングの“透明性”は、持続的な運営においても極めて重要です。プロジェクトの目標、進捗、最終成果、支出報告を明確に公開し、常に説明可能な状態にしておくことで、信頼を積み重ねていくことができます。これは単なる「資金提供の対価」ではなく、「信頼の積立」という意味合いを持ちます。信頼が蓄積されていくことで、将来的にはクラウドファンディングに限らず、寄付やボランティア、地域との協働といった多様な社会的リソースを呼び込む基盤にもなり得ます。
このように、クラウドファンディングは「今すぐの資金」を得るためだけでなく、「これからの関係性」を築いていくための戦略的な資源と位置づけるべきです。単なるキャンペーンではなく、博物館の存在意義や社会的使命を伝え、共感を得る仕組みとして活用することで、長期的な支持基盤の構築につながります。持続可能な経営におけるひとつの選択肢として、クラウドファンディングはその可能性を広げつつあるのです。
まとめ:クラウドファンディングは「資金調達」ではなく「関係構築」へ
本記事では、クラウドファンディングという資金調達手段が、博物館においていかなる可能性を持ち、どのような課題と向き合いながら活用されているのかについて、多角的に考察してきました。欧州を中心とした事例では、支援者と博物館の関係が一時的な寄付にとどまらず、共に文化財を守り、価値を創出する「共創的な関係」へと発展している姿が確認されました。
一方で、日本の博物館では、制度の未整備、組織内の慎重な文化、実務的な負担などが相まって、クラウドファンディングの導入が進みにくいという現状があります。こうした状況は、「クラウドファンディング=寄付募集」という単純な理解にとどまってしまっていることとも関係しており、制度や人員の不足だけでなく、発想の転換も求められているといえるでしょう。
実際には、クラウドファンディングは単なる「資金の獲得」ではなく、「市民との新たな関係性の構築」と「ミュージアムの公共的価値の再確認」という側面において、より大きな意義を持っています。支援を通じて市民が展示や教育活動に参加し、その成果を自らのものとして共有することによって、博物館の社会的信頼やレジリエンスも高まっていきます。つまり、クラウドファンディングは「プロジェクトのゴール」ではなく、「継続的な対話のはじまり」なのです。
今後、クラウドファンディングが博物館にとって持続可能な経営戦略として根づいていくためには、「関係性のデザイン」と「信頼の蓄積」に重きを置いたアプローチが求められます。金額の多寡ではなく、そのプロセスを通じて、どれだけ多くの市民と価値を共有できたか。その成果こそが、これからのミュージアム経営における最大の資産になるはずです。
参考文献
Camarero, C., Garrido, M. J., & San José, R. (2023). Crowdfunding and engagement in museums: A way to foster public participation. Museum Management and Curatorship, 38(2), 194–211.
Jelinčić, D. A., & Šveb, M. (2021). Emergency or emerging financing strategies: The case of culture in the COVID-19 crisis. Journal of Risk and Financial Management, 14(3), 101.
Kędzierska-Szczepaniak, A. (2021). Social and financial signalling increase fundraising revenue in museums: Evidence from a natural field experiment. Journal of Behavioral and Experimental Economics, 93, 101708.
Prokůpek, M., Slach, O., & Nováček, A. (2022). From emergency to opportunity: The COVID-19 crisis and new financing for cultural institutions. Cities, 122, 103514.
Rykkja, G., & Bonet, L. (2025). From intent to inaction: Factors conditioning cultural institutions from embracing crowdfunding as a strategy. International Journal of Arts Management, 27(3), 34–47.
Teunenbroek, F. P., & Smits, T. (2023). Four lessons learned: Employees’ perceptions of fundraising through crowdfunding in the cultural sector. Journal of Philanthropy and Marketing, 28(1), e1756.