はじめに
博物館の経営や運営を語るとき、私たちはしばしば展示の質や来館者数、財政状況といった「目に見える指標」に注目しがちです。しかし、その背後には、日々の職員間のやりとりや意思決定のプロセス、共有された価値観や行動様式といった、目には見えにくい「組織文化」が確かに存在しています。組織文化は、個々の職員の態度や仕事への取り組み方、さらにはチームの協働の質にまで影響を及ぼし、結果として博物館全体のパフォーマンスを左右する重要な基盤となっています。
とりわけ博物館のような多職種・多部門が関わる組織においては、文化的背景や専門性の異なる職員たちが同じ理念のもとで活動する必要があります。受付や広報、教育担当、学芸員、保存管理、さらにはボランティアまで、多様な立場の人々が関わるこの組織において、「私たちは何のためにここで働いているのか」「どのように協働するのが望ましいのか」といった、共通の価値観の共有は欠かせません。これらを支えるのが、組織文化なのです。
しかしながら、この「組織文化」という概念は、その抽象性ゆえに十分に語られることが少なく、ましてや戦略的に育成・変革の対象とされる機会は限られています。変化の激しい社会状況のなかで、博物館もまた柔軟性と信頼性を両立させた組織であることが求められている今、内部の文化や働き方に目を向けることは、もはや避けては通れないテーマと言えるでしょう。
本稿では、博物館における組織文化の基本的な理論を整理したうえで、具体的な事例や分類モデルをもとにその実態と課題を読み解きます。そして、どのようにすれば「信頼」「共有」「学び」を促進する組織文化を育むことができるのか、持続可能な経営の観点からその展望を考察していきます。
組織文化とは何か ― 理論的基盤から考える
「組織文化(organizational culture)」という言葉を耳にしたことはあっても、その意味を明確に説明するのは難しいかもしれません。組織文化とは、簡単に言えば「この組織ではこういうふうに物事が進む」という共通の価値観や行動のパターンのことです。それはマニュアルに書かれているようなルールではなく、日々の仕事の中で自然に形成されていく“空気”や“暗黙の了解”のようなものです。
たとえば、ある博物館では新しい展示のアイデアを提案するとすぐに上司が耳を傾けてくれる職場もあれば、別の館では年功序列が強く、若手が意見を出しにくい雰囲気があるかもしれません。また、部門間で活発に連携する館もあれば、それぞれの部署が独立していて、情報が共有されない館もあります。こうした「やり方の違い」は、組織文化の違いにほかなりません(Davies et al., 2013)。
この組織文化という概念を理論的に捉えたのが、組織心理学の研究者による三層構造モデルです。組織文化は以下の3つの層からなるとされています。
- 表層:目に見える行動や制度(例:服装、会議のやり方、館内の掲示)
- 中層:組織内で共有される価値観(例:来館者中心か、専門性重視か)
- 深層:無意識に根付いた前提(例:「学芸員は展示の最終決定権を持つべきだ」など)(Schein, 2004)
博物館においても、こうした文化は多様に存在します。たとえば、ある館では「展示は学芸員の専門性に基づくべき」という価値観が強く、来館者の声を重視する意識が薄い場合があります。一方で、別の館では「来館者の体験を第一に考える」姿勢が職員全体に共有されていて、展示の企画段階から教育普及担当や受付スタッフも意見を出す文化があるかもしれません。
どちらが正しいというわけではありませんが、こうした価値観がぶつかると、チームの中で対立や摩擦が起きやすくなります。「教育担当は親子連れのニーズを考えて展示を変えたいけれど、学芸員は作品の意図を損ねたくない」といった場面は、まさに価値観の対立、すなわち組織文化の衝突といえるでしょう(Jung, 2015)。
こうした背景を理解するには、組織内に存在するさまざまな価値観の“地図”を描く必要があります。そのために近年注目されているのが、「コンピーティング・バリューズ・フレームワーク(CVF)」や、それを博物館に特化して応用した「ミュージアム・バリューズ・フレームワーク(MVF)」という理論モデルです(Kopsidas et al., 2024)。MVFについては、次の節で詳しくご紹介していきます。
ミュージアム・バリューズ・フレームワーク(MVF)による文化の分類
博物館における組織文化は、単純な二分法では捉えきれない多様な価値観の交差点にあります。たとえば、「専門性の追求」と「来館者サービスの重視」はどちらも正当な価値ですが、ときに優先順位の違いから摩擦を生むこともあります。そうした複雑な文化的傾向を整理するために開発されたのが、「ミュージアム・バリューズ・フレームワーク(Museum Values Framework:以下MVF)」です(Davies et al., 2013)。
MVFは、もともと組織論で用いられてきた「コンピーティング・バリューズ・フレームワーク(CVF)」を博物館向けに応用したもので、博物館の組織文化を以下の4つのタイプに分類します。
- クラブ(Club)型:内向き志向かつ柔軟性を重視するタイプで、身内の信頼関係や経験の蓄積に基づく運営がなされます。長く働く職員の影響力が強く、伝統や慣習が重視される傾向があります。
- テンプル(Temple)型:内向き志向かつ安定志向の強いタイプで、学問的権威や専門性の高さを軸にした組織文化です。学芸員の専門性が重視され、来館者対応よりも研究や収蔵物の管理が優先されることがあります。
- ビジターアトラクション(Visitor Attraction)型:外向き志向かつ成果主義的な価値観に基づくタイプで、来館者数や満足度、収益性といった指標に対する関心が高く、サービス向上やイベント運営に注力する傾向があります。
- フォーラム(Forum)型:外向き志向かつ柔軟性を重視し、博物館を対話や参加の場とみなすタイプです。来館者との協働や共創的な展示づくり、ワークショップや対話型プログラムが中心となります。
これらのタイプは相互に排他的ではなく、実際の博物館では複数の文化が混在していることが一般的です。たとえば、館全体はテンプル型の文化が強くても、教育普及部門だけはフォーラム型の価値観を共有している、といったこともあります。MVFはそうした“文化の地図”を描くためのツールであり、組織改革や職員間の相互理解を進めるうえでも非常に有効です。
また、MVFの特長は、あくまで「価値観の優劣」を示すものではないという点にあります。どのタイプにも強みと弱みがあり、どの文化も博物館の使命の一端を支えています。重要なのは、自館の文化がいまどの傾向にあるのかを客観的に捉え、その文化が現在の経営課題や社会的責任と適切に整合しているかを見極めることです。
次の節では、このMVFの考え方をもとに、実際の博物館で起きている組織文化の事例を紹介しながら、具体的な課題と変革の方向性を探っていきます。
実例にみる組織文化の実態と変革の試み
理論や分類フレームワークだけでは、組織文化の実像を十分に捉えることはできません。むしろ、日々の職場で起こる小さな出来事や人と人との関係性のなかに、文化の本質があらわれます。この節では、近年の研究に基づく複数の事例を通して、博物館における組織文化の「現場でのかたち」と「変革の可能性」について考察します。
まず紹介したいのは、イギリスの博物館職員を対象とした大規模な調査研究です。この研究では、博物館のリーダーシップスタイルと組織文化、職員の働きがいとの関係が明らかにされています。特に重要なのは、「ビジョンの共有」と「心理的安全性」が確保されている職場では、職員のエンゲージメントが高く、業務への意欲も維持されやすいという点です。逆に、指示や情報が一方通行で伝達される環境では、職員は自らの役割に意味を感じにくくなり、離職のリスクも高まるとされています(Dragouni & McCarthy, 2021)。
一方で、職員同士の価値観の衝突が組織文化の分断を生むケースもあります。中西部アメリカのある中規模美術館を対象としたエスノグラフィー調査では、学芸部門と教育部門の間に「来館者を重視すべきか、それとも作品の専門性を守るべきか」という根本的な価値観の対立があり、部門間の信頼関係が極めて低下していたことが報告されています。リーダーシップの不在と頻繁な人事異動がその状況を加速させ、スタッフのあいだには「対話する意味がない」という諦めの感情さえ広がっていたといいます(Jung, 2015)。
このような状況に対しては、「学び続ける組織(learning organization)」の考え方を取り入れ、価値観の違いを対立ではなく相互理解の出発点として捉える姿勢が有効です。具体的には、部門横断の会議体や対話のワークショップを設け、職員同士が共通のミッションに向けて信頼を再構築する場づくりが進められました。こうした実践は、制度的な改革と同時に文化的変容を促すアプローチとして注目されます(Jung, 2015)。
さらに、近年では組織文化そのものを「再設計」しようとする動きも見られるようになっています。特に注目されるのは、組織に内在する構造的な権力関係や沈黙の文化に対して、明確な問題提起を行うアプローチです。ある研究では、博物館におけるヒエラルキー構造の強さが、現場の対話や批判的思考を抑圧し、結果として意思決定や評価の多様性を損なっていると指摘されています。たとえば、上位職の意見が当然視され、若手職員や非正規スタッフの声が反映されにくい環境では、「言っても変わらない」「失敗を恐れて本音が言えない」といった雰囲気が蔓延し、職場文化の硬直化が進行します(Tanga, 2021)。
こうした問題に対して、Tangaはフェミニズム的視点を導入し、権力の非対称性を問い直すことで、水平的で対話重視の組織文化を提案しています。これは単に女性やマイノリティの登用を促すといったレベルではなく、「誰の声が尊重され、誰の視点が周縁化されているのか」という構造的問題を可視化し、組織全体の意思決定プロセスを再設計するものです。具体的には、意思決定における参加のルールを明示化したり、会議の進行役を固定せずローテーション制にしたりすることで、意見の多様性と発言の公平性を保障する仕組みが提案されています(Tanga, 2021)。
このような視点は、組織文化を“制度の副産物”としてではなく、“意図的にデザインできる社会的実践”として捉える新たなアプローチといえます。従来のようにトップダウンで文化を改革するという発想ではなく、日々の相互作用の積み重ねによって文化を「育てる」ことが、持続可能な組織形成において求められているのです。
これらの事例が示しているのは、組織文化は与えられるものではなく、「築かれ、問い直され、育てられるもの」であるということです。博物館の経営者やリーダー、そして現場の一人ひとりが、その形成に関与する主体として振る舞うことで、より持続可能で信頼に満ちた文化が育まれていくのです。
信頼・共有・学びを育む組織文化へ
これまで見てきたように、博物館の組織文化は、職員間の関係性や意思決定のあり方に深く根ざしています。文化は一朝一夕で変わるものではありませんが、日々の実践のなかで少しずつ育まれ、変容しうるものでもあります。本節では、より持続可能で包摂的な組織文化を形成するために、どのような視点と取り組みが求められるのかを検討します。
第一に、組織文化の土台として重要なのが「信頼」です。信頼は制度ではなく、日々の対話と実践を通じて築かれるものであり、形式的な評価制度や規則では代替できません。たとえば、上司が部下の意見に耳を傾ける姿勢や、同僚同士が安心して提案やフィードバックを出し合える環境は、ミスや失敗への寛容さと学び直しの機会を組織内にもたらします。こうした信頼の文化があってはじめて、職員は自律的に考え、協働し、組織の目標に主体的に関わることができるのです(Dragouni & McCarthy, 2021)。
第二に必要なのは、「価値の共有」です。特に多職種・多世代が集まる博物館においては、「私たちはなぜここで働いているのか」というミッションやビジョンを、言葉として繰り返し確認し合うプロセスが不可欠です。展示制作の方向性、教育普及の目的、サービスの優先順位など、あらゆる意思決定において前提となる価値観を明確にすることは、個人の納得感とチーム全体の一貫性を生み出します。そのためには、経営層がビジョンを提示するだけでなく、現場からの対話を通じて価値観を“共につくる”プロセスが求められます。
第三に挙げられるのが、「学び」の文化です。変化の激しい現代において、過去の成功体験や慣習に固執せず、柔軟に新たな知識やスキルを取り入れていく姿勢は、組織の持続可能性を支える重要な要素です。学芸員の専門性に依存しすぎず、チーム全体が知識を共有しながら学び合える仕組みを構築することで、来館者対応や教育普及にも新たな創造性が生まれます。ある研究では、博物館を「学びのエコシステム」として捉え、知識の流動性と対話の促進が文化の柔軟性と革新性を高める鍵であると指摘されています(Jung, 2011)。
こうした信頼・共有・学びを支えるために、具体的な実践として次のような取り組みが考えられます。たとえば、全職員が参加する定例対話の場の設置や、部門横断のプロジェクトチーム編成、ピアレビュー制度の導入などです。さらに、年次評価の項目に「チームでの貢献」や「知識共有への参加」などを加えることで、文化的な行動が評価される仕組みを整えることも有効です。
組織文化の変革は、制度設計だけでは実現できません。必要なのは、一人ひとりが文化の担い手であるという意識を持ち、日々の実践を通じて「どのような組織でありたいか」という問いを絶えず共有し続けることです。そうした問いかけの積み重ねこそが、博物館の組織文化を、持続可能で、信頼に満ち、学びに開かれたものへと育てていく道筋となるのです。
まとめ
博物館は、展示や来館者サービスといった目に見える活動だけでなく、それを支える組織内部の文化や関係性によって成り立っています。日々の意思決定の背景には、共有された価値観、職員同士の信頼、そして変化に対応しようとする学びの姿勢が存在しており、これらが組織文化というかたちで博物館の運営に大きな影響を及ぼしています。
本稿ではまず、組織文化を理論的に捉える枠組みを提示し、博物館における価値観の傾向をMVF(ミュージアム・バリューズ・フレームワーク)に基づいて分類しました。次に、実際の博物館で起きている文化的摩擦や変革の事例を紹介しながら、どのように文化が形成され、または再構築されていくのかを具体的に検討しました。さらに、信頼・共有・学びという三つの観点から、持続可能な組織文化に向けた実践的なアプローチを考察しました。
組織文化は、制度や構造の「背景」にあるものではなく、それ自体が組織のパフォーマンスや来館者との関係性に直接的な影響を持つ要素です。にもかかわらず、博物館業界ではまだ十分に語られてこなかったテーマでもあります。だからこそ、経営層から現場職員に至るまで、一人ひとりが「どのような文化を育てたいか」という問いを共有し、その形成に主体的に関わっていく姿勢が求められます。
文化は、つくり替えるのではなく、育てていくものです。博物館の公共的使命と社会的信頼を支えるのは、目には見えないが確かに存在する「組織文化」という土壌にほかなりません。その文化が豊かであることこそが、これからの博物館の持続可能な発展を支える鍵となるのです。
参考文献
- Dragouni, M., & McCarthy, C. (2021). Workplace culture in museums: A review of the literature and conceptual frameworks. Museum Management and Curatorship, 36(2), 188–207.
- Jung, Y. (2011). Diversity matters: Theoretical understanding of and suggestions for the future of museum diversity. Museums & Social Issues, 6(2), 193–208.
- Jung, Y. (2015). Micro examination of museum workplace culture: A case study of a regional art museum. University of Illinois at Urbana-Champaign.
- Tanga, M. (2021). Museums, feminism, and organizational change: Rethinking workplace structures and power. Museum and Society, 19(3), 314–330.
- Davies, S., Paton, R., & O’Sullivan, H. (2013). Museum values: Priorities for the cultural institution in the 21st century. Routledge.