はじめに
博物館は、社会の知識基盤を支え、文化資源を未来へと伝える重要な公共機関である。しかし、近年、博物館を取り巻く環境は急速に変化している。人口減少、地域社会の構造変動、観光ニーズの多様化、そして財政制約といった課題に直面するなかで、博物館は単なる展示・保存機関にとどまることなく、より能動的な社会的役割を果たすことが求められている。来館者の期待に応え、地域に価値をもたらし、自らの存在意義を社会に対して再定義し続けることが、現代の博物館に課された課題となっている。
このような状況の中で、博物館経営における「改革」の必要性が広く認識されるようになった。経営改革とは単なる業務改善や効率化にとどまらず、博物館の使命、運営体制、サービス提供のあり方、資源配分、そしてステークホルダーとの関係性に至るまで、組織全体の在り方を根本から問い直す取り組みを意味する。とりわけ、公共性をどう維持・発展させるか、効率性をどう確保するか、そして持続可能性をいかに高めるかという三つの視点は、現代の博物館経営改革を考える上で不可欠な論点となっている。
本記事では、まず博物館における経営改革が求められる背景を整理した上で、改革にあたって重視すべき基本原則を検討する。そのうえで、来館者中心主義の導入、組織文化の変革、公共的価値の創出といった新たな経営アプローチについて理論的に考察し、さらにルーヴル美術館やイタリア国立博物館改革といった実例を通じて、具体的な実践事例を紹介する。最後に、経営改革を進めるにあたっての留意点と、これからの博物館に求められる視座についてまとめる。
本記事の目的は、博物館における経営改革を単なる「効率化施策」としてではなく、「公共性・効率性・持続可能性をめぐる戦略的な課題」として捉え直すことである。変革の波にどう向き合うかは、博物館が未来に向かって生き残るか否かを左右する。本稿を通じて、現場で働く学芸員や管理者、そしてこれから博物館経営に携わろうとする学生たちにとって、未来を切り拓くための視座と実践のヒントを提示できれば幸いである。
経営改革が求められる背景
博物館における経営改革の必要性は、単なる経営効率化の問題にとどまらず、社会環境そのものの変化に深く根ざしています。ここでは、特に重要な三つの背景要因について整理していきます。
第一に、社会構造の変化が挙げられます。日本社会は少子高齢化と人口減少という未曾有の事態に直面しています。地方では若年人口の流出が進み、かつて地域社会に根付いていた博物館も、来館者数の減少という課題に直面しています。さらに、都市部では文化施設の選択肢が増え、博物館間で来館者の獲得競争が激しくなっています。観光の国際化も進み、外国人旅行者を新たなターゲットとする必要性が高まっていますが、そのためには単なる展示だけでなく、多言語対応や文化体験型プログラムの整備といった新たな来館者サービスが求められています。
第二に、財政的制約の深刻化が挙げられます。多くの博物館は、自治体や国からの公的支援を財源としていますが、厳しい財政状況のもとで支援規模は縮小傾向にあります。特に地方自治体では、医療や福祉など生活基盤への支出が優先され、博物館の維持・運営は後回しにされがちです。その結果、老朽化した施設の修繕が進まない、展示更新が滞る、専門職員が減少するなどの問題が各地で顕在化しています。このような状況下で、博物館自身が新たな収益源を確保し、自律的な運営基盤を構築することが急務となっています。
第三に、来館者ニーズと期待の質的変化があります。従来の博物館は、学術的知見に基づき、専門性の高い展示を行うことを中心としていました。しかし、現代の来館者は単に「知識を与えられる」ことを望んでいるわけではありません。自ら発見し、参加し、対話できる体験を求めています。ワークショップ、参加型展示、体験型イベントなどへの関心が高まる中で、博物館は一方的に情報を伝える場から、来館者と共に意味を創造する場へと変革を迫られています。こうした意識変化は、デジタル世代の台頭によってさらに加速しています。
これらの背景を踏まえ、世界の主要な博物館は大胆な経営改革に乗り出しています。たとえば、ルーヴル美術館は「グラン・ルーヴル計画」を通じて、建物の拡張だけでなく、来館者中心のサービス改革や収益構造の多様化を推進しました(Gombault, 2002)。この改革により、ルーヴルは単なる歴史資産の保管庫から、世界屈指のスーパー・ミュージアムへと進化を遂げたのです。
日本の博物館も、こうした国際的な潮流に学びつつ、時代に即した経営改革を進めなければなりません。単なるコスト削減ではなく、公共性を堅持しながら効率性を高め、持続可能な運営モデルを築き上げることこそが、これからの博物館に求められているのです。
博物館における経営改革の基本原則
博物館における経営改革を成功させるためには、個別の施策を積み重ねるだけでは十分ではありません。組織の根本に関わる理念と戦略に基づき、一貫性を持って改革を進める必要があります。ここでは、現代の博物館経営において特に重視すべき三つの基本原則について整理します。
第一に、明確なビジョンの策定と戦略的リーダーシップの確立が挙げられます。経営改革は、短期的な成果を積み上げるだけでは持続できません。長期的な目標と一貫した方向性を示すビジョンが必要であり、それによって組織全体が共通の目標に向かって動く力を持つことができます。成功する組織変革には、明確なビジョンを掲げ、継続的に共有しながら実行をリードする人物の存在が重要であるとされています(Abraham et al., 1999)。博物館においても、単に来館者数や収益の増加を目指すのではなく、社会に対してどのような知的・文化的価値を提供するのか、未来に向かってどのような役割を果たすのかを明確に言語化し、組織全体で共有することが求められます。
第二に、組織文化の改革と、職員一人ひとりが主体的に考え行動できる環境づくりが必要です。変革を真に根付かせるには、トップダウン型の指示命令だけでは不十分です。現場の職員一人ひとりが改革の意味を理解し、自ら判断して行動できるような職場環境を整えることが不可欠です。特に博物館は、専門性の高い職員が多く在籍するため、知識や経験を尊重しながら、それぞれの職員の創意工夫を引き出すことが重要となります。伝統的な縦割り組織では部門間の連携が難しいケースもありますが、経営改革を進めるには、部門を超えた協力体制や、自由に意見を交わし合える組織風土を育むことが鍵となります。また、新しい提案を歓迎し、失敗を許容する文化を育てることも、変革の持続に欠かせない要素です。
第三に、リソースの戦略的活用とインフラの整備が挙げられます。経営改革は、限られた財源や人的資源をどのように活用するかという現実的な課題と常に向き合います。施設の修繕や展示更新、デジタル技術への対応といった取り組みは、単なるコストではなく、将来的な成長と持続可能性を確保するための投資と位置づけなければなりません。特に、来館者データの収集と分析を通じた意思決定の高度化や、外部パートナーとの連携強化は、現代の博物館経営においてますます重要性を増しています。こうした基盤整備がなければ、どれほど優れた戦略も机上の空論に終わる危険性があるのです。
これら三つの原則をバランスよく組み合わせることで、博物館は単なる外見上の改革にとどまらず、組織の内側から持続的な変革を実現することができます。そしてその結果として、公共性を守りながら、効率性と持続可能性を両立させる新たな経営モデルの確立へとつながっていくのです。
伝統と変革のジレンマ ― 公共性をどう守るか
博物館の経営改革を進める上では、単なる効率化や成果志向だけで判断できない、繊細なバランス感覚が求められます。特に重要なのは、伝統的な博物館の使命や社会的責任を尊重しつつ、現代社会の変化に対応するための変革を進めなければならない、というジレンマにどう向き合うかという問題です。博物館は、文化資源を保護し、知識を共有し、社会に貢献する公共機関であり、その公共性を損なうことなく、時代の要請に応えていかなければなりません。
1990年代以降、公共サービス分野では「ニューパブリックマネジメント(NPM)」の考え方が急速に広まりました。NPMとは、民間企業の経営手法――たとえば目標管理、コスト意識、顧客満足度の重視など――を公共機関にも導入し、効率的で成果重視の運営を目指すというアプローチです。財政制約が厳しくなる中で、博物館も例外ではなく、来館者数の増加、収益の確保、運営コストの削減といった指標に基づくマネジメントが強く求められるようになりました。この変化により、多くの博物館ではチケット収入やショップ・カフェ事業の拡充、展示の集客性強化など、経営的な視点が強調されるようになっています。
しかし、NPMの導入が進む一方で、博物館が本来果たすべき公共的使命が後景に追いやられるリスクも指摘されています。例えば、来館者数を最優先するあまり、短期的に人気を集める特別展ばかりに依存したり、研究・保存といった見えにくい活動への資源配分が縮小されたりするケースが見られるようになりました。結果として、博物館の質的価値や社会的責任が徐々に損なわれていく危険性があるのです。
こうした状況を踏まえ、近年注目されているのが「パブリック・バリュー(公共的価値)」の概念です。これは、単なる効率性や成果指標だけで公共機関の価値を測るのではなく、社会全体に対してどのような公共的利益や文化的貢献を生み出しているか、という広い視点から組織の存在意義を捉え直す考え方です(Herguner, 2015)。博物館においても、来館者満足度や収益といった「目に見える成果」だけではなく、地域社会とのつながり、教育普及活動、文化的多様性の尊重といった「目に見えにくい価値」を意識的に評価し、育てていくことが求められています。
つまり、現代の博物館経営改革では、「効率性」と「公共性」という一見対立する価値をいかに統合的に捉え直すかが、極めて重要なテーマとなっています。短期的な数値目標に偏りすぎれば、展示内容の質や社会的包摂の取り組みが犠牲になるリスクがあります。一方で、公共性を守ることにこだわりすぎると、財政的な持続可能性が揺らぎ、最終的には組織そのものの存続が危うくなる可能性もあります。
このようなジレンマに対しては、博物館の存在意義を常に社会的文脈の中で問い直し、効率性と公共性の両方を高い水準で追求する経営姿勢が不可欠です。たとえば、収益事業を通じて得た資金を、研究活動や地域連携プログラムに再投資する仕組みを整えるなど、相互に補完し合う関係を築くことが求められます。変化する社会に対応しながらも、本来の使命を見失わないこと。それが、これからの博物館経営にとって不可欠な視座となるのです。
経営改革の実例に学ぶ
博物館経営の改革は、単なる理論だけでは語り尽くすことができません。現実に実行された改革の試みには、それぞれの組織や社会状況に応じた工夫、試行錯誤、そして時には予想外の課題が存在しています。改革のプロセスと成果を丁寧にたどることで、私たちは抽象的な理論を超えた「実践知」を学ぶことができます。本節では、世界的に注目された二つの博物館改革――ルーヴル美術館の「グラン・ルーヴル計画」と、イタリア国立博物館群の自律化改革――を取り上げ、それぞれの背景、具体策、成果、課題を詳しく考察していきます。
ルーヴル美術館 ― グラン・ルーヴル計画による改革と成長
改革の背景
1980年代末のルーヴル美術館は、深刻な課題に直面していました。建物は老朽化し、施設の多くはナポレオン時代からの改修が施されていない状態でした。来館者数の増加に施設が対応できず、入場待ちの行列は館外にあふれ、展示スペースも不足していました。また、展示品の保護状態も十分ではなく、世界有数のコレクションを守り伝える体制に限界が見えていました。さらに国の財政状況も悪化し、国家予算だけに頼る運営モデルに持続可能性が問われていたのです。
改革の具体的施策
- ガラスのピラミッドによる中央エントランスの新設で来館動線を整理し、待ち時間を大幅に短縮しました。
- 官庁施設だった部分を博物館化し、展示スペースを約2倍に拡張しました。
- 多言語案内、音声ガイド、バリアフリー動線の導入、カフェ・ショップの充実など来館者サービスを近代化しました。
- 企業スポンサーシップ、特別展の収益化、ミュージアムショップ強化により、自主財源比率を向上させました(Gombault, 2002)。
成果と課題
来館者数は飛躍的に増加し、国際的なブランド力も向上しました。一方で、観光客中心化により地域住民との関係が希薄化し、公共性の再定義が新たな課題となっています。
イタリア国立博物館群 ― 自律経営モデルへの挑戦
改革の背景
イタリアの国立博物館群は中央集権型管理により、地域特性に対応できず、資金調達や来館者サービスの改善が進まない問題を抱えていました。財政難の中、文化政策を維持するための構造改革が不可避とされていました。
改革の具体的施策
- 館長に予算・人事・広報・事業開発の自律的裁量権を付与しました。
- 館長ポストを国際公募とし、多様な経営人材を登用しました。
- 入館料価格の自由化、寄付やスポンサー獲得、物販収益強化による自主財源拡充を推進しました。
- 地方自治体や大学、観光局との連携による地域プロジェクトを推進しました。
成果と課題
主要館では来館者数と収益の増加がみられ、文化施設の国際的評価も高まりました(Blyth, 2016)。しかし小規模館では格差が拡大し、マネジメント能力の不足も課題として残されています。
実例から得られる教訓 ― 公共性と経営性のバランスを探る
ルーヴルとイタリアの事例は、文化的公共性と経済的持続可能性の両立こそが博物館経営改革の核心であることを教えてくれます。収益化と公共性は対立するものではなく、高水準での統合が求められています。
日本の博物館も、自館のミッションを再定義し、地域社会と対話しながら、柔軟かつ持続可能な経営モデルを築いていくことが、これからの時代に求められる姿といえるでしょう。
これからの博物館経営改革の方向性
博物館の経営改革は、単なる効率化や収益確保のための取り組みにとどまりません。本質的な課題は、急速に変化する社会環境のなかで、いかにして博物館がその公共的使命を果たし続けられるかという点にあります。これまで見てきたルーヴル美術館やイタリア国立博物館群の事例は、公共性と経営性を両立させる努力の重要性を示していました(Gombault, 2002; Blyth, 2016)。しかし、それは決して一度の改革で完了するものではなく、時代に応じた絶え間ない見直しと進化が求められるプロセスなのです。
まず、これからの博物館経営において最も重視すべきは、「ミッションの明確化と共有」です。自館の存在意義は何か、誰に何を届けるのかを組織全体で共有し、それを基盤に経営戦略を立案することが不可欠です(Jung, 2016)。ミッションのない経営改革は、単なる短期的な数値目標追求に陥るリスクがあります。来館者数や収益増加といった目に見える成果指標も重要ですが、それ以上に、博物館が社会に対してどのような文化的・教育的価値を提供しているかを常に意識する必要があります。
次に求められるのは、「ガバナンス体制の強化と現場の自律性の両立」です。経営改革を進めるには、意思決定の透明性、説明責任、リスク管理といったガバナンス機能を高めることが不可欠です。同時に、現場レベルでの創意工夫や柔軟な対応を可能にするため、一定の自律性を保障する制度設計が求められます。ルーヴルが企業スポンサーシップを戦略的に活用したように(Gombault, 2002)、またイタリアで館長に裁量権を与えたように(Blyth, 2016)、現場主導の改革が成功の鍵となることは明らかです。
さらに、「多様なステークホルダーとの協働」も重要なテーマです。地域住民、学校、行政機関、企業、観光業界など、多様な外部パートナーと連携し、博物館を地域社会に開かれたプラットフォームへと進化させることが求められます(Jung, 2016)。このためには、単なる「受け入れ」ではなく、共創的な関係構築を目指す必要があります。地域課題をともに考え、博物館のリソースを活かした社会貢献型プロジェクトを展開することが、来館者の裾野を広げ、持続可能な経営にもつながるでしょう。
また、デジタル技術の戦略的活用も避けて通れません。コレクションデータベースの公開、オンライン教育コンテンツの開発、SNSを活用した来館者とのコミュニケーション強化など、デジタルを活用したサービスの拡充が、これからの博物館経営の質を大きく左右すると考えられます。特に若年層へのアプローチや、遠隔地との接続を強化するうえで、デジタル化は不可欠な手段となります。
最後に強調すべきは、これらの改革の先に目指すべき博物館像です。単なる展示空間にとどまらず、学び、交流し、地域や世界とつながる「文化のプラットフォーム」として、博物館はますます多様な役割を果たすことが期待されています(Jung, 2016)。経営改革とは、こうした未来像を実現するための手段であり、その本質は社会との関係性を深める営みであるといえるでしょう。
これからの博物館経営には、ビジョンと実行力、柔軟性と持続性のすべてが求められています。そして、どんな改革も、最終的には「博物館は誰のために存在するのか」という原点に立ち返ることから始めなければなりません。
まとめ ― 博物館経営改革の本質を見据えて
これまで見てきたように、博物館経営改革は単なる制度変更や収益確保の手段ではありません。社会との関係性を見つめ直し、文化的公共性と経済的持続可能性を両立させるための、不断の努力の積み重ねであるといえます(Gombault, 2002; Blyth, 2016)。
ルーヴル美術館における大胆な施設整備と財源多様化、イタリア国立博物館群における自律経営モデルへの転換は、いずれも現場の自律性を高め、社会的責任を再定義しようとする試みでした(Jung, 2016)。その成功には、ミッションの明確化、ガバナンスの強化、ステークホルダーとの協働に加え、リーダーシップと組織文化の整備も不可欠だったことが指摘されています(Hergüner, 2015)。
これからの博物館に求められるのは、こうした先行事例に学びつつも、単なる模倣にとどまらず、自館の文脈に応じた柔軟で主体的な経営改革を構想する姿勢です。文化的使命を堅持しながら、時代の変化に応じて進化し続けること。そのためには、改革を単なる手段とせず、「博物館はいかにして社会に貢献できるか」という根本的な問いを常に持ち続ける必要があります。
博物館は、過去と未来、地域と世界をつなぐ文化のプラットフォームです。この役割を果たし続けるために、経営改革は今後も不可欠な課題であり続けるでしょう。そして、その改革の出発点は、いつの時代も「博物館の社会的使命」を見失わないことにあるのです。
参考文献
- Blyth, S. (2016). Italian Museum Reform: The Challenges of Autonomy. Museum International, 68(1-2), 90–99.
- Gombault, A. (2002). Le Grand Louvre: Un modèle de réforme d’une grande institution culturelle publique. Revue française de gestion, (143), 63-75.
- Hergüner, G. (2015). Museum Management and Leadership. Procedia – Social and Behavioral Sciences, 186, 902–905.
- Jung, Y. (2016). Reconsidering Museum Management: The Role of Mission and Institutional Purpose. Museum Management and Curatorship, 31(4), 345–361.