博物館の経営戦略とは何か ― 公共性と持続可能性を両立するための道筋

目次

はじめに:なぜいま博物館に経営戦略が求められるのか

博物館を取り巻く環境は、近年ますます複雑さを増しています。少子高齢化や都市間競争の激化、行政支出の見直しといった社会的変化は、博物館に安定した運営基盤をもたらさなくなりつつあります。さらに、感染症の拡大や気候危機といった予測困難な要因も、来館者数や収益構造に大きな影響を与えるようになっています。こうした状況下で、多くの博物館が来館者の減少や財政の逼迫、組織の持続可能性に関する深刻な課題に直面しているのが現実です(Bradburne, 2001)。

これまで博物館は、公共性や学術性といった理念を軸に運営されてきました。そのため「戦略」や「経営」といった語は、ともすれば営利的で文化的使命とは相容れないものとして敬遠されてきた経緯があります。しかし、本来的な意味において経営戦略とは、限られた資源をどのように活用し、組織としてどこに重点を置いていくのかを選び取るための思考枠組みにほかなりません。それは決して市場原理に従うことではなく、むしろ組織のミッションを現実の中で持続的に果たしていくための「選択と集中」の技術なのです(Kovach, 1989)。

戦略の導入は、博物館の使命を揺るがすものではなく、それを“実現するための道具”であると捉えるべきでしょう。実際、多くの博物館では、保存や教育という伝統的な役割に加え、地域との連携、観光資源としての価値創出、包摂的な社会の実現といった多様な課題に応える必要が出てきています。そのような複雑な環境においては、日々の意思決定に一定の指針を与える「戦略的視座」が不可欠となってきているのです。

本記事では、「博物館における経営戦略とは何か」を明らかにするとともに、それがいかにしてミッション・ヴィジョン・バリューと結びつき、公共性と持続可能性の両立を導くものとなり得るかを検討します。また、次章以降で展開する経営計画や評価の議論に向けて、戦略の役割を体系的に整理することも目的としています。

経営戦略とは何か ― ミッション・ヴィジョン・バリューとの関係性

経営戦略という言葉は、企業経営においては広く知られていますが、博物館のような非営利・公共的な組織においても、近年その重要性が高まっています。とはいえ、「戦略」という言葉に対しては、依然として“ビジネス的で営利主義的な考え方”という印象を抱く人も少なくありません。しかし、博物館における経営戦略とは、収益を追求するための道具ではなく、むしろ限られた資源と時間の中で、自館のミッションやヴィジョンを持続的に実現していくための選択と集中の指針だと考えるべきです。

経営戦略の定義と計画・戦術との違い

一般的に経営戦略とは、「ある組織が、限られた資源(人・時間・財源など)をどのように活用して、自らの目的や使命を達成するかを長期的に決定づける基本方針」と定義されます。より噛み砕いて言えば、「なぜその方向に進むのか(Why)」と「何を達成しようとしているのか(What)」を明確にするための考え方です。

一方、これと混同されやすいのが「戦術」や「計画」といった概念です。戦略が全体の方向性や目的を定めるのに対して、戦術はその目的を達成するための手段や方法(How)に関わります。たとえば、ある博物館が「若年層の来館者を増やす」という戦略を立てたとしましょう。その場合、「SNSでの情報発信を強化する」「学芸員による若者向けトークイベントを開催する」などが戦術にあたります。これらは戦略の下位概念であり、常に戦略と整合していなければなりません。

戦略がないままに計画だけが先行すると、場当たり的な事業や無理なイベント実施が続き、結果として職員の疲弊や資源の浪費を招きかねません。そのため、計画や戦術の前に戦略を明確に定めることが、博物館経営においても不可欠なのです(Lord & Markert, 2017)。

ミッション・ヴィジョン・バリュー(MVV)との関係

戦略を立てる際に不可欠なのが、ミッション(使命)、ヴィジョン(将来像)、バリュー(価値観)という組織の根本的な指針です。

  • ミッション(Mission): 組織の存在理由。「地域の歴史と文化を未来へ伝える」など。
  • ヴィジョン(Vision): 組織が目指す将来像。「地域の知の拠点となる博物館」など。
  • バリュー(Value): 組織が重視する行動原則。「包摂性」「持続可能性」など。

戦略は、このMVVを現実の中で具体的に実現するための橋渡し的な役割を担います。言い換えれば、「理念(MVV)→戦略→計画→実行・評価」という階層構造の中で、戦略は中核に位置します(Reussner, 2003)。

戦略とMVVの接続の具体例

たとえば、ある博物館が以下のような理念を掲げているとします。

  • ミッション: 地域の多様な歴史と文化を、すべての世代に伝えること
  • ヴィジョン: あらゆる人々にとってアクセス可能で、学びと交流の場となる博物館

このような理念に基づく戦略は、「バリアフリー環境の整備」「多言語ガイドの導入」「学校連携プログラムの強化」などが考えられます。また、「地域との共創」をバリューとする場合には、「市民参加型展示の推進」や「住民によるキュレーション・プロジェクト」なども戦略に含まれるでしょう。

戦略の不在がもたらす問題

戦略が欠如したまま事業計画だけが進行すると、「何のためにやっているのか」が不明確な活動が積み重なり、組織全体の方向性も見失われがちです。また、評価の観点から見ても、戦略に基づかない活動は成果の測定が難しく、次の改善にもつながりません。

戦略は、評価の起点であり、計画と評価をつなぐ橋梁でもあります。戦略があるからこそ、成果指標(KPI)の設定や改善の判断が可能になるのです(American Alliance of Museums, 2018)。

このように、戦略は単なる事業計画ではなく、博物館の理念と実践をつなぐ構造的な思考の枠組みです。次節では、こうした戦略が実際にどのような類型に分けられ、どのように応用されているのかを具体的に見ていきます。

博物館経営における戦略の類型と応用事例

これまで見てきたように、経営戦略とは博物館のミッション・ヴィジョン・バリュー(MVV)を現実の中で具体化するための羅針盤であり、組織の意思決定を導く中核的な枠組みです。しかし、戦略という言葉は抽象的であり、実際にどのような形を取りうるのかを理解するには、いくつかの類型をもとに整理して考えることが有効です。

戦略に明確な類型を与えることは、自館の置かれた状況や資源、社会的文脈に応じて最適な方向性を選び取るための「選択肢の地図」を持つことに等しいといえます。本節では、博物館経営における代表的な戦略の枠組みと、それらを現場でどう活用できるかを、理論と事例の両面から検討します。

戦略の三類型:維持・成長・集中

まずは、組織の変化志向に応じた基本的な三つの戦略類型を紹介します。これらは民間企業の経営論に端を発しつつも、非営利の博物館においても十分に応用可能なフレームです(Kovach, 1989)。

(1)維持型戦略(Stability Strategy)

現在の活動方針や組織構造を大きく変更することなく、既存の枠組みの中で漸進的な改善を目指すアプローチです。たとえば、すでに地域に根付いており、一定の評価や成果を得ている博物館にとっては、この戦略が最も現実的で安定的な選択肢となるでしょう。

大規模な組織改革や展示刷新よりも、職員の研修体制の強化、来館者対応の質向上、施設の老朽化対応など、「今あるものをより良くする」ための改善に焦点が当てられます。

(2)成長型戦略(Growth Strategy)

既存の活動領域を越えて新たな展開を志向する、より動的なアプローチです。新規の展示企画やデジタル技術の導入、新しい来館者層の開拓、地域外とのネットワーク形成など、博物館の影響力や認知度を高めるための戦略です(Lord & Markert, 2017)。

(3)撤退・集中戦略(Retrenchment / Focus Strategy)

リソースが限られる中で成果を最大化するために、活動領域を絞り、強みのある分野に集中する戦略です。たとえば、集客に乏しい常設展示を縮小し、収益性の高い事業に集中する選択などが挙げられます。

志向に基づく戦略の枠組み:Custodial・Sales・Customer

「組織が何を最も重視するか」という視点からは、戦略の志向性に応じて以下の3タイプに分類されます(Camarero & Garrido, 2009)。

  • Custodial Orientation(文化財保護志向): 資料保存・研究・教育などの学術的価値を重視する。
  • Sales Orientation(収益志向): 来館者数や収益の最大化を主目的とし、市場的な手法を導入する。
  • Customer Orientation(来館者志向): 来館者のニーズや体験価値を中心に据え、インクルーシブで対話的な運営を志向する(Bradburne, 2001)。

複合的な戦略の実例

  • A館(維持型 × Custodial志向): 定例事業を継続しつつ、文化財の保存や調査研究に注力。
  • B館(成長型 × Customer志向): デジタル技術を活用し、若年層の来館促進と参加型展示を強化。
  • C館(集中戦略 × Sales志向): 赤字部門を縮小し、収益事業への集中投資で黒字化を図る。

類型化の意義と限界

戦略の類型化は、組織の現在地を把握し、方向性を検討するうえで有効な枠組みですが、あくまで参考であり絶対的なものではありません。複数の戦略を柔軟に組み合わせること、時には型から逸脱する判断も必要です。

戦略とは、「理念を現実に変えるための選択の連続」であり、その都度、対話と判断を通じて再構成されるべきものなのです。

考察:戦略立案における博物館ならではの制約と可能性

ここまでの議論で、博物館における経営戦略とは、単に組織を効率的に運営するための“ビジネス的手法”ではなく、ミッション・ヴィジョン・バリュー(MVV)を実現するための思考の枠組みであることを確認してきました。戦略は、博物館が直面するさまざまな環境変化や社会的要請に応じて、自館が何を優先し、どう行動すべきかを明らかにする「選択と集中の地図」です。

しかし、実際にそのような戦略を立てて実行しようとする際、博物館という組織には、民間企業とは異なる独自の制約が存在します。加えて、それらの制約を理解した上で適切に対応することで、むしろ新たな創造性や可能性が開かれることもあります。本節では、そうした制約と可能性の両面を整理しながら、博物館における戦略立案の現実的な条件と展望を考えていきます。

戦略立案をめぐる制約要因

公共性と収益性のジレンマ

博物館は営利企業のように「利益の最大化」を目指すのではなく、文化財の保護や知識の共有、社会教育の推進といった公共的価値の提供を使命としています。その一方で、補助金の縮小により、自主財源の確保も求められており、この両者のバランスをとることが戦略形成における大きなジレンマとなっています。

制度・政策の枠組みによる制約

公立館の多くは自治体の制度や財政に依存しており、単年度ごとの予算制度や指定管理制度が戦略の中長期的な視野を阻む要因となることがあります(Reussner, 2003)。

組織文化や専門職中心の体制の限界

学芸員を中心とする専門職文化の中では、戦略やマネジメントという視点が軽視されがちです。誰が戦略を担うのかが曖昧なままでは、館全体の方向性が定まらず、現場との乖離も生じやすくなります(Zolberg, 1981)。

戦略形成における可能性と展望

MVVの明文化と組織内共有

明確なミッション・ヴィジョン・バリューを持ち、それを組織内で共有することは、戦略を立てる上での出発点となります。これにより、日々の業務における判断基準が明確になり、部門を超えた連携や合意形成も促進されます。

戦略と評価指標(KPI)の連動

戦略の実行状況を客観的に評価するためには、成果指標(KPI)やアウトカム評価が不可欠です。たとえば、「地域との関係性を強化する」という戦略には、共催事業数や参加満足度などの定量・定性指標が有効です(American Alliance of Museums, 2018)。

ステークホルダーとの共創による戦略の社会化

戦略を館内部だけで策定するのではなく、来館者や地域住民、ボランティア、学校、企業などと共に作ることで、公共性と持続可能性を高める「社会に開かれた戦略」が実現します(Blasco López et al., 2018)。

制約の中に生まれる創造性

制度や財政、文化的背景といった制約があるからこそ、それを乗り越えるための工夫としての戦略が必要となります。戦略は冷たい管理手法ではなく、公共的使命を守るための創造的な道具であり、限界の中でも最大限の成果を引き出すための思考枠組みなのです。

このように、博物館経営における戦略形成は、制約と創造の両方を抱えたプロセスです。次節では、この記事全体を総括し、戦略的思考が博物館の未来にもたらす意義について改めて考察します。

まとめ:戦略的思考が博物館にもたらす意義

本記事では、博物館にとっての経営戦略の重要性を、多角的な視点から考察してきました。経営戦略とは、単に計画や目標を立てることではありません。それは、博物館が自らのミッション・ヴィジョン・バリュー(MVV)を社会の中でどのように実現していくのかを決定づける、根本的な「方向性の選択」に他なりません。

戦略は、博物館が理念と実践をつなぐための思考枠組みであり、「なぜこの活動を行うのか」「なぜこの領域に集中するのか」といった意思決定を、組織の内外に対して明確に示す道具となります。MVVと整合した戦略があることで、日々の運営や新規事業の展開においても、目的意識を失わずに取り組むことができるのです。

本稿ではまず、経営戦略の基本概念を整理し、MVVとの関係を明らかにしました。次に、維持型・成長型・集中型といった戦略の類型や実例を通じて、その多様性と柔軟性を示しました。そして、博物館が直面する制度的・文化的な制約を踏まえ、そこにこそ創造的な可能性があることを論じました。

意思決定の明確化

戦略的思考を導入することで、博物館の日々の業務判断がより明確になります。職員一人ひとりが「なぜこの事業を行うのか」「なぜこの展示に重点を置くのか」といった問いに対して、組織のミッションや戦略との関係から説明できるようになります。

これは外部に対する説明責任を果たすうえでも重要です。行政や市民、パートナー団体に対して、活動の根拠を明確に伝えることが求められる現代において、戦略はその“根拠の可視化”に貢献します。

対話と協働の促進

戦略の導入は、組織の内部における対話の質を高めます。異なる部門・職種間での議論や価値観の共有が不可欠となるため、自然と「共通言語」が育まれます。この共通言語は、部門の縦割りを超えた協働や、外部連携における信頼形成にもつながります。

持続可能な公共性の実現

戦略は公共性を損なうものではなく、それを支えるための基盤です。公共性とは、誰もがアクセスできる場を提供するだけでなく、社会の課題に応答し、文化を未来に受け継ぐ行為の総体です。

限られたリソースの中で理念を守り、変化に適応しながら価値を提供し続けるために、戦略は不可欠な「構造化された行動指針」となります。

戦略は未来を導く羅針盤

博物館は、「戦略がなくても運営できた時代」から、「戦略がなければ理念を守れない時代」へと移行しています。来館者ニーズの多様化、行政予算の圧縮、災害や感染症リスクの常態化といった変化の中で、旧来の運営方式では対応しきれない課題が増えています。

戦略的思考は、博物館が社会との関係性を主体的に設計し、自らの役割を再定義するための力となります。戦略とは、管理の技術であると同時に、文化的責任を持続可能な形で実現するための「知的な構え」なのです。

この記事が、博物館における戦略の意義を再考するための視点のひとつとなり、読者の皆さんがご自身の現場で「戦略的であることとは何か」を考えるきっかけになれば幸いです。

参考文献

  • American Alliance of Museums. (2018). Developing a strategic institutional plan. https://www.aam-us.org
  • Bradburne, J. M. (2001). A new strategic approach to the museum and its relationship to society. Museum Management and Curatorship, 19(1), 75–84.
  • Camarero, C., & Garrido, M. J. (2008). The role of technological and organizational innovation in the relation between market orientation and performance in cultural organizations. European Journal of Innovation Management, 11(3), 413–434.
  • Emery, J. H. (2001). Strategic planning in museums: The role of leadership in creating value. Rowman & Littlefield.
  • Kovach, C. J. (1989). Strategic planning for museums. Museum News, 67(2), 38–43.
  • Lord, G. D., & Markert, K. (2017). The manual of strategic planning for cultural organizations: A guide for museums, performing arts, science centers, public gardens, heritage sites, libraries, archives. Rowman & Littlefield.
  • Reussner, E. M. (2003). Strategic management for visitor-oriented museums. International Journal of Cultural Policy, 9(1), 95–108.
  • Zolberg, V. L. (1981). Conflicting visions in American art museums. Theory and Society, 10(1), 103–125.
  • Blasco López, M. F., Garrido Samaniego, M. J., & Camarero Izquierdo, C. (2018). The effects of strategic orientation on museums’ performance: Evidence from Spain. Museum Management and Curatorship, 33(5), 461–478.
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この記事を書いた人

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日々の業務経験をもとに、ミュージアムの楽しさや魅力を発信しています。このサイトは、博物館関係者や研究者だけでなく、ミュージアムに興味を持つ一般の方々にも有益な情報源となることを目指しています。

私は、博物館・美術館の魅力をより多くの人に伝えるために「Museum Studies JAPAN」を立ち上げました。博物館は単なる展示施設ではなく、文化や歴史を未来へつなぐ重要な役割を担っています。運営者として、ミュージアムがどのように進化し、より多くの人々に価値を提供できるのかを追求し続けています。

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