博物館におけるオーディエンス・デベロップメント ― 定義・歴史・戦略と今後の展望

目次

オーディエンス・デベロップメントとは何か

定義と現代的な意義

オーディエンス・デベロップメント(audience development)は、現代の博物館や文化施設が自らの存在意義や社会的役割を見直すなかで、特に注目されるようになった概念です。これは単なる来館者数の増加や一時的な集客を目指すのではなく、博物館という場を通じて多様な人々が主体的に参加し、深い関与や持続的な関係性を築いていくための総合的かつ戦略的なアプローチを意味します(Ayala et al., 2019)。

欧州委員会(2012)は、オーディエンス・デベロップメントを「芸術や文化資源をできるだけ広く多様な人々に体験・享受・参加してもらうための、計画的かつ双方向的なプロセス」と定義しています。このアプローチでは、従来の“見せる―見る”という一方向的な関係性を超えて、来館者や観客が自ら価値を見出し、学び、共創し、コミュニティとの協働を深めることが強調されています。博物館はもはや一部の専門家や既存の観客だけのための場ではなく、誰もがアクセスでき、積極的に関われる「開かれた社会資源」としての役割を担うようになっています(Ayala et al., 2019)。

こうした背景には、社会的包摂(inclusion)や多様性(diversity)の推進といった現代的課題が大きく影響しています。博物館経営においては、従来の来館者層に加えて、これまでアクセスの少なかった人々や地域住民、若年層、高齢者、移民、障害のある方など、さまざまな背景を持つ人々に対しても積極的に関与し、多様なニーズや期待に応える責任が強調されるようになりました。来館者の満足度や単純な数値的成果だけでなく、社会全体におけるインパクトや、持続的なエンゲージメントの創出こそが、現代のオーディエンス・デベロップメントの核となっています(Cerquetti, 2016)。

さらに、デジタル技術やSNSの発展により、博物館の「オーディエンス」は物理的な来館者だけでなく、オンラインで情報を受け取り参加する人々や、バーチャルイベント・オンラインプログラムを通じて関与する人々にも広がっています。これらの多様な参加形態を含めた上で、博物館は自館の価値やミッションを再定義し、時代に応じた戦略的な展開が求められています。オーディエンス・デベロップメントの推進は、単なる経営手法の一つではなく、組織そのもののあり方を問い直し、価値共創と社会的責任の実現に直結する重要な経営戦略となっているのです(Ayala et al., 2019; Cerquetti, 2016)。

来館者開発・観客開発との違い

日本国内では、これまで「来館者開発」や「観客開発」という言葉が主に使われてきました。これらの用語は、博物館や文化施設に物理的に足を運ぶ来館者を増やすことや、既存のサービス向上、広報活動の強化など、集客・マーケティングの観点から施策が展開されてきた経緯があります。いわば「来てもらうこと」「より多くの人に訪れてもらうこと」がゴールになりやすいアプローチです(Ayala et al., 2019)。

一方、オーディエンス・デベロップメントは、こうした来館者の物理的増加や属性拡大にとどまらず、その人がどのように博物館とかかわり、どんな経験や価値を得ているのか、さらには博物館と社会全体の関係性や持続的なエンゲージメントをいかに創出するかという視点にまで広がっています。オンラインでの参加や、学校・福祉施設・コミュニティ団体との協働、従来博物館にアクセスしてこなかった層への働きかけ、さらにはアウトリーチ活動まで含めて戦略が組み立てられます(Ayala et al., 2019)。

また、ヨーロッパをはじめとした国際的な文化政策では、「audience」という言葉自体が物理的な来館者だけでなく、地域社会の潜在的な参加者や、デジタル上で関与する全ての人々を対象としており、包摂や多様性推進と密接に連動しています。とくに、社会的包摂、多様性、エンゲージメントといった観点は、今後の博物館経営・運営において不可欠な要素となっています(Cerquetti, 2016)。

現代の博物館には、単なる来館促進やサービス向上だけではなく、社会全体の多様な人々に文化資源を開き、多彩な参加のあり方や関係性そのものを変革していくことが強く求められています。来館者を中心に据えた経営や体験設計、マーケティング戦略については、来館者中心の博物館とは何か ― マーケティング戦略で変わる関係性と体験のかたちでも詳しく解説していますので、あわせてご参照ください。

オーディエンス・デベロップメントの歴史的展開

1960年代以前の博物館と来館者観

1960年代以前の博物館は、社会的にも文化的にも「高尚な知の殿堂」あるいは「象牙の塔」といったイメージで語られることが多くありました。博物館の主な目的は、文化財や美術品、科学標本などの収集・保存・研究に重点が置かれ、一般市民の参加や学びの場というよりも、専門家や知識階層が知を享受するための空間として位置づけられていました(Deeth, 2012)。

この時代は社会的な階層差や教育格差が大きく、博物館へアクセスできる人々は限られていました。来館者対応といえば、ごく一部の限られた層のためのガイドや特別公開、あるいは研究者向けの解説にとどまる場合が多く、博物館が積極的に一般大衆や地域社会に働きかけるという発想自体がまだ一般的ではありませんでした。来館者との関係性や体験価値の設計は重視されておらず、オーディエンス・デベロップメントという概念も生まれていませんでした。

1980年代「ニュー・ミュージオロジー」と社会的転換

1980年代になると、欧米を中心に「ニュー・ミュージオロジー(new museology)」という新しい考え方が台頭し始めます。この運動は、それまでの博物館像を大きく変えるものでした。ニュー・ミュージオロジーは、博物館が単なるモノの保存・展示の場ではなく、社会やコミュニティとの対話や協働、参加や包摂を積極的に推進する存在であるべきだと主張しました(Ayala et al., 2019)。

この時代には、「参加」「共創」「社会的責任」といったキーワードが博物館現場で注目され、教育理論の面でも「構成主義的美術館」や「体験重視の学び」など新しいアプローチが登場しました。これにより、来館者は知識を受け取るだけの受動的な存在から、博物館活動に能動的に参加し、時には企画や展示づくりに関わるパートナーへと変化していきます。博物館の役割も、社会に対して積極的に発信し、異なる価値観や多様な文化背景を受け入れる「開かれた組織」へと大きくシフトしました。

1990年代以降の多様化・参加型アプローチ

1990年代に入ると、国際博物館会議(ICOM)が博物館の定義として「社会とその発展に奉仕する」ことを強調するようになり、博物館経営や展示戦略の在り方が世界的に変化しました(Cerquetti, 2016)。参加型展示やワークショップ、コミュニティとの協働プロジェクトが増え、来館者自身が展示やプログラムの創出に関わる事例が拡大しました。

また、この時代には観客理解調査や満足度調査などのエビデンスベースの運営手法が一般化し、博物館が“どのような人に、どのような体験や価値を提供できているか”を可視化しながら、運営改善や事業評価に活用するようになりました。マーケティングの視点も強まり、来館者数やリピーター率の向上だけでなく、来館者やコミュニティの多様性、アクセスの平等、参加の質など「観客開発」「来館者開発」を超えた領域にまで意識が広がっていきました。

この流れのなかで、「オーディエンス・デベロップメント」は単なる集客や広報活動の延長ではなく、社会的包摂、多様性の推進、持続的な関係性の構築まで含む、博物館経営の根幹をなす概念へと進化していきました(Ayala et al., 2019)。

2010年代以降の包摂・多様性・デジタル戦略

2010年代に入ると、国連のSDGsやEUの文化政策を背景に、「包摂(inclusion)」や「多様性(diversity)」を重視するインクルーシブな博物館運営が国際的なスタンダードとなってきました。障害のある方や移民、マイノリティ、子育て世代、高齢者など、これまで博物館の主なターゲットではなかった人々も、積極的に参画できるようプログラムやサービスの多様化が図られています。

また、デジタル技術やインターネット、SNSの発展により、博物館の「オーディエンス」は物理的な来館者だけでなく、オンラインプログラムやバーチャル展示、デジタルアーカイブを活用する参加者にまで広がっています。コロナ禍をきっかけにオンラインイベントや遠隔参加型の学習機会が急速に普及し、「デジタル包摂」という新たな課題と可能性も生まれました(Ayala et al., 2019)。

こうした世界的潮流のなかで、日本の博物館でも徐々にオーディエンス・デベロップメントの重要性が認識されつつあります。従来型の来館者開発やサービス向上だけでは対応しきれない多様な社会課題やニーズに応えるために、包摂、多様性、エンゲージメントといった観点を重視した経営やプログラム設計が求められています(Cerquetti, 2016)。これからの博物館は、社会の変化や多様な価値観に柔軟に対応し、あらゆる人々と新たな関係性を築くための拠点として、その役割をさらに拡張していくことが期待されています。

戦略的アプローチと主要領域

オーディエンス・デベロップメントの全体像

オーディエンス・デベロップメントは、単なる集客や来館者数の増加だけを目的とするものではありません。現代の博物館経営においては、来館者や観客一人ひとりとの持続的な関係性の構築、社会的包摂、多様性の推進、そして博物館が社会とともに価値を共創していくための総合的な戦略として位置づけられています(Ayala et al., 2019)。この取り組みは、館のビジョンやミッションと深く結びつき、学芸員やスタッフだけでなく、全ての組織メンバーが一体となって推進していく必要があります。

オーディエンス・デベロップメントを効果的に進めるためには、複数の領域でバランスよく戦略を構築していくことが不可欠です。たとえば、組織マネジメントやリーダーシップの強化、地域社会とのパートナーシップ、参加型プログラムの開発、来館者理解調査によるニーズ把握、データ活用、コミュニケーション・マーケティングの最適化、教育普及活動やスタッフのスキル開発、そしてデジタル技術の積極的活用など、多角的な視点から館の活動を再設計していく必要があります(Ayala et al., 2019)。こうした全体最適の考え方が、現代の博物館におけるオーディエンス・デベロップメントの特徴です。

マネジメントと組織変革

オーディエンス・デベロップメントを実現するためには、組織のトップや管理職が強いリーダーシップを発揮し、博物館全体の方向性や価値観を共有することが極めて重要です。ミッションやビジョンの再確認とともに、来館者中心の経営理念や社会的包摂を推進するための戦略を明確化し、全職員がその理念に共感できる環境をつくることが求められます。

また、現場スタッフの意見や多様な視点を反映し、館の文化や組織風土を時代に合わせて柔軟に変化させていくことも不可欠です。短期的な施策だけでなく、長期的な人材育成や組織開発にも取り組みながら、持続的な経営基盤を築くことがオーディエンス・デベロップメントの成功につながります(Ayala et al., 2019)。

コミュニティ・エンゲージメントと参加型プログラム

地域社会や多様なステークホルダーとのパートナーシップ構築は、博物館の社会的意義や価値を高める上で不可欠な要素です。従来のアウトリーチ活動に加え、地域住民や学校、NPO、行政などと協働しながら、共創型プロジェクトや参加型展示、ワークショップを展開することが、持続的なエンゲージメントの実現につながります。

こうした参加型プログラムでは、来館者が受動的に展示を「見る」だけでなく、企画や評価プロセスに積極的に関わることで、博物館と社会の関係性がより深く、双方向的なものへと発展していきます。コミュニティの多様な声を取り入れることで、より幅広い層へのアクセスや包摂も可能となり、現代の博物館経営における大きな強みとなります(Ayala et al., 2019)。

来館者理解調査とデータ活用

オーディエンス・デベロップメントの根幹には、来館者の理解とエビデンスベースの戦略立案があります。来館者理解調査では、アンケートやインタビュー、満足度調査、観覧行動のトラッキングなど、定量・定性の両面から多様な来館者層のニーズや期待、参加の障壁を把握します。

さらに、収集したデータを分析することで、プログラムやサービスの設計・改善、アクセシビリティ向上、多様性対応型の展示計画など、より精度の高い施策が実現できます。データドリブンな経営は、現代の博物館運営において不可欠となっており、包摂や多様性推進のための戦略立案にも大きく寄与します(Cerquetti, 2016)。

コミュニケーション・マーケティング戦略

コミュニケーションやマーケティング活動は、来館者や地域社会との関係性構築において欠かせない領域です。ターゲットとなるオーディエンスを明確に設定し、広報活動やSNS運用、ブランド構築などを多層的に展開することで、物理的な来館者だけでなく、オンライン参加者や潜在的な新規層にもリーチが可能となります。

また、来館前から来館後まで一貫した体験価値を設計し、ホームページやデジタルメディア、メールマガジン、イベントなどのチャネルを活用して博物館の魅力や社会的価値を発信することが、オーディエンス・デベロップメントの成果に直結します。特に、コロナ禍以降はオンライン上での情報発信・コミュニケーション戦略の重要性が一層高まっています(Ayala et al., 2019)。

教育・学習・スキル開発

教育普及活動とオーディエンス・デベロップメントの連携は、現代の博物館においてますます重要性を増しています。来館者が博物館で学びを深め、自発的な探究心や体験を通じて新たな価値を得られるよう、さまざまな教育プログラムを開発・提供していくことが求められます。

また、学芸員やスタッフ自身も多様な視点や新たな知識を習得するために、組織的な研修や能力開発に取り組み、変化する社会やオーディエンスのニーズに柔軟に対応できる体制づくりが欠かせません。スタッフのスキル向上は、来館者とのコミュニケーションやサービス品質の向上にも直結し、館全体の価値創造力を高めます(Ayala et al., 2019)。

デジタル技術の活用

近年、デジタル技術の進展により、博物館とオーディエンスの関係性は大きく変化しています。ウェブサイトやSNS、デジタルアーカイブ、バーチャル展示、オンラインイベントといった多様なデジタルツールを活用することで、物理的な来館だけでなく、遠隔地や新たな層のオーディエンスともつながりを持てるようになりました。

デジタル包摂やアクセシビリティ向上の観点からも、デジタル戦略の構築は不可欠です。これまでアクセスできなかった人々への情報提供や参加機会の拡大、館の魅力やミッションの発信、データ収集・分析を通じたサービス改善など、デジタル技術の活用は現代のオーディエンス・デベロップメントにおける必須要素となっています(Ayala et al., 2019)。

実践的フレームワークと理論例

参加型展示と対話型鑑賞の実践

博物館におけるオーディエンス・デベロップメントの実践例として、参加型展示や対話型鑑賞が近年ますます注目を集めています。参加型展示とは、来館者が単なる受動的な観覧者ではなく、展示やプログラムに自ら積極的に関与し、意見や感想を共有したり、体験を通じて新たな発見を得ることができる展示手法です。たとえば、展示テーマの選定や設計段階から市民・来館者の意見を取り入れたり、来館者が自分の体験や知識を展示物として残せるような仕掛けを組み込むことで、博物館と来館者の関係性がより双方向的なものとなります。

対話型鑑賞では、学芸員やエキスパートリスナーが一方的に知識を伝えるのではなく、来館者との対話を重視し、多様な視点や価値観を引き出すことが目的となっています。このアプローチにより、来館者同士のコミュニケーションが活発化し、展示内容への理解や学びが深まるとともに、来館者のエンゲージメントが飛躍的に高まります。参加型展示や対話型鑑賞は、従来型の一方向的な展示方法から脱却し、現代の博物館経営やオーディエンス・デベロップメントの中核的な戦略として位置づけられています(Deeth, 2012)。

コミュニティ共創・協働プロジェクト

現代の博物館は、地域社会や多様なコミュニティとの共創や協働によって、社会的包摂や多様性の推進を図ることがますます重要になっています。地域住民や異文化コミュニティ、学校、NPO、行政など多様なパートナーと連携し、住民参加型プロジェクトやコミュニティ主導のワークショップを実施することで、博物館が地域社会の課題解決や多文化共生の拠点となる可能性が広がります。

コミュニティ共創型の取り組みでは、単にイベントや展示を提供するだけでなく、企画段階から地域の人々と意見交換を行い、協働してプロジェクトを進めることで、当事者意識やエンゲージメントが向上します。さらに、こうした活動を通じて、多様なバックグラウンドを持つ来館者が博物館とより深くつながり、新しい価値やアイデンティティを共に創出できる点が大きなメリットです。社会包摂・多様性推進の具体的な実践例としても、コミュニティ共創プロジェクトは今後の博物館経営で不可欠なものとなっています(Ayala et al., 2019)。

デジタル技術を活用したオーディエンス・デベロップメント

デジタル技術の発展は、博物館のオーディエンス・デベロップメント戦略を大きく変革しています。オンライン展示やデジタルアーカイブ、バーチャルイベント、SNS連携といった新しいデジタルツールを活用することで、地理的な制約を超えてより多くの人々が文化資源にアクセスできるようになりました。

たとえば、遠隔地に住む人や身体的理由で来館できない方もオンラインプログラムを通じて博物館体験を得られるため、デジタル包摂やアクセシビリティ向上にも大きく寄与します。また、SNSやウェブサイトを通じた情報発信やコミュニティづくり、バーチャルワークショップや双方向イベントの実施など、従来型の館内展示にとどまらない多様なエンゲージメント手法が広がっています。

これらのデジタル施策は、多様性のあるオーディエンスへのアクセス拡大、参加の障壁の低減、来館者理解調査に基づくパーソナライズドなサービス提供など、現代の博物館経営において非常に重要な位置を占めています(Ayala et al., 2019)。

エビデンスベース運営と評価指標

オーディエンス・デベロップメントの質を高めるためには、来館者理解調査や満足度調査、インタビュー、観覧行動のトラッキングなど、定量的・定性的なデータを活用するエビデンスベース運営が欠かせません。来館者がどのような経路で来館し、どの展示やプログラムに関心を示し、どのような体験や学びを得ているかを分析することで、現場の運営改善やプログラムの最適化が可能となります。

また、PDCAサイクル(計画・実行・評価・改善)を現場に組み込むことで、オーディエンス・デベロップメントの各施策の効果を継続的に測定・改善できます。評価指標には来館者数やリピーター率だけでなく、多様性の指標、満足度、参加の質、コミュニティ貢献度などを設定することで、館全体の社会的価値を可視化できます。こうした取り組みは、外部への説明責任や次年度以降の事業計画にもつながり、現代の博物館経営における透明性と信頼性の強化にも役立ちます(Cerquetti, 2016)。

日本国内外の参考事例と教訓

国内外の博物館実践では、オーディエンス・デベロップメントの多様なフレームワークや理論が用いられています。たとえば、住民参加型の展示プロジェクトや多文化共生をテーマとしたワークショップ、デジタル技術を活用したバーチャル展示など、様々な実践事例が文献や研究で報告されています。こうした事例からは、来館者層の多様化やエンゲージメントの向上、社会包摂の促進など多くの成果が示される一方、地域性や組織文化の違い、リソース確保、スタッフ育成など実装上の課題も指摘されています。

成功例・失敗例を丁寧に分析することで、自館の特性や課題に応じた最適な戦略立案が可能となり、今後のオーディエンス・デベロップメント推進にとって貴重なヒントとなります。現場で実装する際は、事例の単純な模倣にとどまらず、自館のミッションや地域社会のニーズに合わせて柔軟にアレンジしていくことが重要です(Ayala et al., 2019)。

今後の課題と展望 ― オーディエンス・デベロップメントの総括

オーディエンス・デベロップメントは、現代の博物館が「社会にどのような価値を提供できるのか」「誰のための文化施設であるべきか」を問い直し続ける営みそのものです。来館者を単なる“集客対象”として捉えるのではなく、多様な人々とともに学び・体験をつくりあげる「社会的な場」としての博物館像が、国際的にも日本国内でも広がりつつあります。

こうした変化の中で、オーディエンス・デベロップメントは、単なる来館者開発やイベント企画の枠を超え、経営理念、現場実践、コミュニティ、政策、そしてテクノロジー活用を含めた“組織全体のビジョンと戦略”として成熟しつつあります。

今後、超高齢化やグローバル化、AI・デジタル技術の進化、価値観の多様化といった予測困難な社会変化が加速するなかで、博物館は従来の枠組みや慣習を越えて「まだ見ぬ来館者」「新たな体験のかたち」と向き合っていくことが求められます。

来館者一人ひとりの異なる背景や声を丁寧に聴き取り、現場での小さな気づきや対話を積み重ねていくプロセスそのものが、オーディエンス・デベロップメントの真価です。そのためには、定量的な来館者理解調査やデジタルデータ活用だけでなく、現場スタッフの創造性や、コミュニティとの協働、組織文化の変革、社会的インパクトの評価といった多面的なアプローチが不可欠です。

今後のオーディエンス・デベロップメントには、現場と経営、理論と実践、グローバルな潮流と地域社会のリアリティを架橋する柔軟さが求められます。「すべての人に開かれ、誰もが自分ごととして関われる博物館」を目指し、多様な人々と知と体験を共創するために、現場起点のイノベーションや、多様な声を活かす組織運営を続けていくことが今後ますます重要となるでしょう。

オーディエンス・デベロップメントは、“社会を映す鏡”であると同時に、“未来を切り拓くための営み”でもあります。これからの博物館は、単なる文化資源の受け手や発信者を超え、社会の変化とともに新しい関係性と価値を創造し続ける存在でありたい――そのための挑戦と学びが、今後も続いていきます。

参考文献

  • Ayala, H., Lanfranchi, D., Bollo, A., & Cersosimo, C. (2019). Examining the state of the art of audience development in museums and heritage organisations: A systematic literature review. Journal of Cultural Management and Policy, 9(1), 34–49.
  • Deeth, J. (2012). Audience development and museums: The use of “interpretation” in museum education. Museum and Society, 10(1), 56–71.
  • Cerquetti, M. (2016). More than just visitors: Audience development strategies and practices in Italian museums. International Journal of Cultural Policy, 22(3), 292–310.
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この記事を書いた人

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日々の業務経験をもとに、ミュージアムの楽しさや魅力を発信しています。このサイトは、博物館関係者や研究者だけでなく、ミュージアムに興味を持つ一般の方々にも有益な情報源となることを目指しています。

私は、博物館・美術館の魅力をより多くの人に伝えるために「Museum Studies JAPAN」を立ち上げました。博物館は単なる展示施設ではなく、文化や歴史を未来へつなぐ重要な役割を担っています。運営者として、ミュージアムがどのように進化し、より多くの人々に価値を提供できるのかを追求し続けています。

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