はじめに
「博物館の使命」と聞くと、どこか堅苦しく、抽象的な印象を抱くかもしれません。しかし、博物館が果たすべき役割を定めるこの「使命」は、単なる理念ではなく、日々の活動の判断基準であり、組織の存在理由そのものを示す根幹です。にもかかわらず、現場ではその使命が空文化し、掲げられたスローガンが組織運営と乖離してしまうことも珍しくありません。とくに多様な期待を受けながら運営される現代の博物館において、曖昧な使命は方向性の迷走を招き、組織全体に深刻な影響を及ぼすことがあります(Spencer, 2011)。
近年、博物館を取り巻く環境は大きく変化しています。伝統的な「収集・保存・展示・教育」といった役割に加え、社会的包摂や多様性への対応、気候変動への取り組み、そしてデジタル技術の導入など、現代的な課題が次々と加わってきました。こうした中で改めて問われるのは、「博物館とは何のために存在するのか」「誰のために活動するのか」という、最も根本的な問いです。使命とは、こうした問いに対する組織の明確な応答であり、ビジョンや価値と密接に結びついたものでなければなりません(Fleming, 2015)。
また、博物館の使命は経営者や学芸員だけのものではありません。来館者、地域社会、ボランティア、行政機関、さらには寄付者や研究者など、さまざまなステークホルダーに共有され、相互に関与されるべきものです。その意味で、使命とは上から与えられる理念ではなく、社会との関係性の中で「ともに育て、見直していくもの」として再構築されていく必要があります。市民との対話を通じて社会的課題と向き合うミュージアムの取り組みは、まさにその実践例といえるでしょう(Abram, 2009)。
本稿では、博物館の使命をめぐる議論を整理しつつ、その歴史的変遷、現代的課題、実践への反映のあり方を検討します。使命の再構築に必要な視点として、「来館者中心主義」「戦略的整合性」「社会的正統性」、そして「価値創造と未来志向」といったキーワードを手がかりに、博物館がいかにして自らの存在意義を再定義し得るのかを考察していきます。
博物館の使命の基本構造 ― 定義と社会的役割
「使命(mission)」という言葉には、組織が存在する根本的な理由が込められています。単なるスローガンではなく、組織が何のために、誰のために、どのような価値を創出しているのかを示すものです。博物館においても、使命は運営方針や事業計画の起点であり、すべての判断を支える軸となります。とりわけ公共性を重んじる文化機関にとって、使命は単なる内部方針ではなく、社会に対して自らの正統性を伝える手段でもあります(Fleming, 2015)。
博物館の使命を語るうえで避けて通れないのが、「博物館とは何か」という定義の問題です。定義は時代や社会背景に応じて変化してきましたが、その都度、博物館の使命の中身も更新されてきました。つまり、定義と使命は密接に結びついており、ある定義を採用すれば、そこには自ずと特定の使命が含まれることになります。定義は実践を方向づけ、使命に説得力を与える役割を果たします。この関係について、定義が明確であればあるほど、博物館の活動方針も明快になり、社会的な支持も得やすくなると指摘されています(Kavanagh, 1994)。
従来の博物館は、「収集」「保存」「展示」「教育」「研究」といった機能を中核に据えてきました。これらは今も重要な使命であることに変わりはありませんが、近年ではそれらに加えて、「市民参加」「社会的包摂」「文化的対話」「持続可能性」といった新たな要素が求められるようになっています。使命が単に機能の列挙ではなく、組織の価値観や倫理観をも含むものとなりつつあるのです。こうした動きは、複数の使命(multiple missions)を同時に担う博物館が増えていることとも関係しています(Jacobsen, 2014)。
このように使命が拡張し複雑化するなかで、博物館の正統性(legitimacy)をどのように確保するかが重要な課題となっています。使命は社会との信頼関係を築くうえでの出発点であり、単に内部で共有するだけでなく、外部に対しても納得のいくかたちで説明可能でなければなりません。この点について、ミッション・ステートメントは組織の戦略的な方向性を明示するだけでなく、公共機関としての正統性を主張する文書でもあるとされています(Paulus, 2010)。曖昧な使命や独りよがりな理念は、かえって組織への信頼を損ないかねません。
使命は、定義、価値観、社会的責任の交差点に立つものです。時代や社会の変化に応じて再解釈されるべきものであり、変わらぬ本質と柔軟な応答力の両立が求められています。
来館者中心主義と複数使命 ― 現代の博物館に求められる柔軟性
かつて博物館は、貴重な文化財や学術資料を収集・保存・研究する専門機関としての性格が強く、その使命も主に内向きで専門家中心のものでした。展示や教育活動はその成果を外部に「伝える」手段であり、来館者はその成果を受動的に「享受する側」として位置づけられていたのです。しかし21世紀に入り、博物館の使命を巡る考え方は大きく変化しつつあります。その中心にあるのが、「来館者中心主義(visitor-centered approach)」と呼ばれる視点です。
来館者中心主義は、単なるサービス改善やホスピタリティの向上を超え、博物館という組織の目的そのものを来館者の視点から再構築する考え方です。博物館は「何を伝えるか」ではなく、「来館者が何を感じ、何を得るか」に重きを置き、その体験を最大化するために活動全体をデザインするという発想です。展示や教育プログラムはもちろん、動線設計や言語対応、アクセシビリティ、コミュニケーション、さらには組織運営全体が来館者の視点から再設計される必要があるという提言がなされてきました(Kotler & Kotler, 2000)。
このような来館者中心の考え方が重視される背景には、博物館の公共性と社会的信頼性がより強く問われるようになったことがあります。文化機関として社会から公的支援を受ける以上、博物館は特定の専門家だけでなく、社会全体に対して開かれた機関であるべきだという意識が広がっています。また、少子高齢化や地域社会の変容、観光の多様化、文化資源のデジタル化といった環境変化も、来館者の多様性やニーズの複雑化をもたらし、従来の一方通行的な発信だけでは応えられない状況を生み出しています。
そのような状況の中で、来館者中心主義は単なる理念ではなく、博物館の生存戦略としても位置づけられるようになっています。文化の専門家による「供給者中心」の発想から、社会と共につくる「参加型・共創型」への転換こそが、持続可能なミュージアム運営の前提となってきたのです。
同時に、現代の博物館は、かつてよりもはるかに多くの使命を同時に担う存在となっています。収集・保存・研究・展示・教育という従来の中核機能に加え、社会的包摂、地域連携、環境配慮、デジタル活用、災害時対応、観光振興、エンゲージメント、アクセシビリティといった多岐にわたる役割が求められています。このように、博物館の使命が一つでは語れない状況を、「複数使命(multiple missions)」と表現する研究があります(Jacobsen, 2014)。
複数使命とは、博物館が単一の目標に基づいて運営されるのではなく、時に異なる価値観や利害を含んだ複数の目標を併存させ、それらの間でバランスを取りながら機能しているという現実を示す概念です。たとえば、学術研究の自由と来館者ニーズへの対応、地域への貢献と全国的発信との両立、文化財の保存と体験的展示との間には、実務的な緊張関係が存在します。そのため、複数使命を担う博物館は、それぞれの使命の重みづけや優先順位を戦略的に整理することが求められます。
このような状況では、使命が増えること自体がリスクにもなり得ます。すべての期待に応えようとすれば、組織の方向性が曖昧になり、結果的に誰にとっても意味のある活動を行えなくなる恐れもあるからです。とくに、パブリックセクターとしての正統性(legitimacy)を保つには、「軸のぶれない使命形成」と「柔軟な実行戦略」の両立が不可欠です。使命は時代とともに進化すべきものですが、同時に変わらぬ中核的価値を持っていなければ、公共機関としての信頼を損ねてしまいます(Paulus, 2010)。
また、使命が単なる理念の文言で終わらないためには、現場レベルでの意思決定や人材育成、評価制度に至るまで、組織のあらゆる層で共有されていなければなりません。理想のミッション・ステートメントがあっても、それが日々の判断に活かされなければ形骸化します。来館者との対話を重ねながら、現場の課題に照らして使命を捉え直す柔軟性が、現代の博物館運営には欠かせません。
来館者中心主義と複数使命の両立は、一見すると相反するように思えるかもしれません。すべての使命に丁寧に応えながら、来館者一人ひとりに寄り添った体験を提供するのは容易なことではありません。しかし、その難しさのなかにこそ、博物館という存在の公共的な意味と、未来への可能性が秘められています。使命とは、あらかじめ決まった理想像を追うものではなく、社会との関係性のなかで、常に問い直され、更新され続けるべきものなのです。
使命の不在がもたらす課題 ― 戦略性・正統性・組織文化の視点から考える
博物館の活動は、展示、教育、収蔵、研究、広報、来館者対応、地域連携など、多岐にわたっています。それぞれの機能が重要である一方で、組織全体として一貫した方向性を保ち、日々の判断や意思決定を導くためには、それらを貫く軸が必要です。この軸こそが「使命(mission)」です。使命とは、博物館が「なぜ存在するのか」「何のために活動しているのか」を内外に明確に示す言葉であり、戦略や行動の根拠を提供するものです。
使命が明確に定義されていれば、日々の活動に優先順位をつけたり、限られた資源をどこに集中すべきかを判断したりする際の基準になります。また、異なる立場や専門性を持つ職員どうしが、共通の目的意識のもとで連携・協働する際にも、使命は共通言語として機能します。これは、部門間の連携や新規事業の企画、評価基準の設定といった、日常的な運営の場面で極めて重要な役割を果たします(Fleming, 2015)。
しかし、使命が明文化されていなかったり、あっても共有されていなかったりする場合、博物館組織はさまざまな困難に直面します。たとえば、展示担当者は来館者ニーズを重視したプログラムを企画し、収蔵担当者は保存第一の立場から資料の露出を避けようとする、といった具合に、部門ごとに異なる優先順位で動くことになります。こうした齟齬が続けば、組織全体としての一体感は失われ、各部署の取り組みも部分最適に陥りやすくなります。
このような使命不在の状況に陥った事例として、ある公立博物館のケースが報告されています。この博物館では、ミッション・ステートメント自体は存在していたものの、現場職員の多くがその内容を把握しておらず、組織内で共有されていませんでした。結果として、展示企画、教育活動、収蔵管理、広報戦略などがそれぞれ独立して進められ、互いに連携することが難しくなっていました。来館者へのサービスも断片的になり、スタッフ間の混乱や摩擦が生じる要因になっていたといいます(Spencer, 2011)。
こうした状況では、個々の判断が場当たり的になりやすく、長期的な戦略が立てづらくなります。また、職員どうしの認識のずれが日々の業務のなかで積み重なることで、ストレスや不満、さらにはモチベーションの低下を引き起こすこともあります。使命は、こうした日々の意思決定や葛藤を整理する「共通のものさし」として機能するべきものであり、それがないということは、組織としての方向性が見えなくなることを意味します。
さらに、使命が担っているのは内部統合の役割だけではありません。もうひとつの重要な役割は、博物館が社会の中で果たすべき責任と存在意義を、外部に対して明示するということです。とくに公的資金や寄付によって運営される博物館にとって、「なぜこの施設は社会から支援されるべきなのか」を説明する根拠が必要です。その根拠となるのが、明確な使命です。これを持たない組織は、社会からの信頼や理解を得ることが難しく、予算の獲得や連携事業への参画といった機会を逃す可能性すらあります。
この観点から、使命は「社会的正統性(legitimacy)」を構築するための要素でもあります。社会に向けて組織の存在意義を説明し、その活動が公共的価値に資することを示すことが、公共文化機関としての責務なのです。そのため、使命の明文化は単なる内部文書の整備ではなく、公共性の証明ともいえる重要な行為です。ミッション・ステートメントは、組織の内と外をつなぐ媒体として、多くの機能を果たしているとされます(Paulus, 2010)。
また、使命が実際に力を持つためには、それが単なる文言ではなく、組織文化の中に根づいていなければなりません。つまり、組織に所属するすべてのメンバーが、その使命を理解し、自身の仕事に引きつけて語ることができる状態が望ましいのです。職員が「この活動は私たちの使命にかなっている」と実感しながら働ける環境こそ、組織文化の成熟を表しています。
逆に言えば、ミッション・ステートメントがどれほど立派であっても、現場の判断や業務運営と結びついていなければ、それはただの「飾り」に過ぎません。実際に使命が機能するためには、研修や会議の中で日常的に言語化され、実践を通して再確認されることが重要です。使命は固定された理念ではなく、日々の現場との対話のなかで「生きた言葉」として維持されていく必要があります(Fleming, 2015)。
使命の不在とは、単に言葉がないという意味ではありません。むしろ、言葉があってもそれが行動や文化と結びついていない状態こそが、深刻な問題なのです。こうした状態では、組織の方向性が見えなくなるだけでなく、公共性や信頼性、さらには文化的アイデンティティまでもが失われていく可能性があります。
だからこそ、博物館における使命は、定期的に見直され、実際の運営や社会的責任との接点から再確認される必要があります。使命とは、「何を大切にし、どこに向かうのか」を繰り返し問い続ける営みであり、そのプロセスこそが博物館という文化機関の本質に関わるものなのです。
使命をどう再構築するか ― 社会とともに歩むミュージアムの未来
博物館の使命は、決して一度決めたら終わりというものではありません。それは固定された理念やお題目ではなく、むしろ絶えず変化する社会や人々との関係性の中で、何度でも問い直され、再定義されるべきものです。社会の課題や来館者のニーズが変化し、組織の役割や期待も日々変わっていくなかで、使命が一貫して変わらないことのほうが、かえって組織の柔軟性や公共性を損なうおそれすらあります。使命とは、変わり続ける現実に対して、組織がどのように応答し、どのように未来を描くかを表す「問いかけのかたち」なのです(Fleming, 2015)。
このように考えると、使命の再構築は組織内の一部のリーダーや経営陣だけが担うものではなく、むしろ博物館という公共的組織が、社会とともに歩むための対話のプロセスそのものだといえます。現場で働く職員、来館する市民、地域の関係者、支援者、そして未来の来館者候補者に至るまで、多様な視点を交えながら「この博物館は何を大切にするのか」を語り合い、再確認していくことが求められます。そのプロセスこそが、博物館の公共性を実体化する営みであり、使命を「生きた言葉」として維持する土台になるのです。
近年、博物館経営の分野では、ミッション・ステートメントを単なるスローガンにとどめず、ビジョンや価値、具体的な目標、そして実行計画と結びつける試みが進んでいます。たとえば、使命は中長期の経営計画の基軸となり、職員の評価制度や人材育成方針とも連動させることで、組織全体が「同じ方向を向いて進む」ための指針となります。さらに、戦略マップやバランス・スコアカードといった経営ツールを活用することで、抽象的な理念を実際の行動へと翻訳することも可能です。このように、使命を再構築することは、組織文化の更新と経営戦略の刷新を同時に促す機会となり得ます。
再構築された使命は、博物館にもたらす効果も少なくありません。第一に、組織の内部では、職員の意識が明確になり、共通の目標に向かって協働しやすくなります。とくに多様な専門職が集まる博物館においては、職種や立場を越えて共有できる言葉としての使命が、組織の一体感を高める重要な要素となります。第二に、社会との関係性においては、明確で納得感のある使命が、博物館の活動の正当性や信頼性を高め、外部からの支援や参加を得やすくします。第三に、来館者や地域社会との関係においては、「この博物館は私たちにとってどんな意味があるのか」という問いに対する明確な応答となり、共感や関与を生む起点となります。
もちろん、使命の再構築には時間も労力もかかりますし、全員の意見を完全に一致させることは容易ではありません。しかし、それでもなお使命を問い直し続ける姿勢は、博物館が時代とともにあり続けるために不可欠な態度です。社会との関係が変われば、使命のかたちも変わる。変化に応じて言葉を磨き、行動を調整し、それでもぶれない「中核の価値」を保ち続けることこそが、使命という言葉に求められる持続可能性なのです(Paulus, 2010)。
博物館は、何かを保存するだけの施設ではありません。私たちが未来に何を伝え、どのように生きるかを考える場でもあります。使命とは、その問いに対する組織としての暫定的な応答であり、未来に向けた対話の出発点です。だからこそ使命は、一度定めたら終わりではなく、問い続け、育て続けるものなのです。
変化の激しい時代において、すべての博物館が「答えを持つ組織」であり続けることは難しいかもしれません。しかし、「問いを持ち続ける組織」であることは、常に可能です。使命とは、そうした問いを内に抱え、社会との間で繰り返し語り合い、応答していく営みのことにほかなりません。博物館がその営みを通じて、より深く、より広く、社会とつながり直すことができたとき、使命はただの理念ではなく、未来を拓く力となるでしょう。
最後に整理すると、博物館の使命とは、社会的な責任と公共的価値を明示し、組織の方向性と判断を支える中核的な枠組みです。その再構築は、変化する社会への柔軟な応答であると同時に、来館者や地域社会との信頼関係を築く基盤ともなります。使命を一つの理念として掲げるだけでなく、組織のあらゆる層で共有し、戦略や文化、実践と結びつけていくことが、これからの博物館経営にとってますます重要になっていくといえるでしょう。
参考文献
- Abram, R. J. (2005). History is as history does: The evolution of a mission-driven museum. In R. R. Janes & G. T. Conaty (Eds.), Looking reality in the eye: Museums and social responsibility (pp. 19–42). University of Calgary Press.
- Fleming, D. (2013). The essence of the museum: mission, values, vision. In S. Macdonald & H. Rees Leahy (Eds.), The international handbooks of museum studies (pp. 3–25). Wiley-Blackwell.
- Jacobsen, J. W. (2014). The community service museum: Owning up to our multiple missions. Museum Management and Curatorship, 29(1), 1–18.
- Kavanagh, G. (Ed.). (2005). Museum provision and professionalism. Routledge.
- Kotler, N., & Kotler, P. (2007). Can museums be all things to all people?: Missions, goals, and marketing’s role. In B. Lord & B. Lord (Eds.), Museum management and marketing (pp. 313–330). Routledge.
- Paulus, O. (2010). Museums as serigraphs or unique masterpieces: Do American art museums display differentiation in their mission statements? International Journal of Arts Management, 13(1), 12–28.
- Spencer, S. L. (2016). Museum without a mission: A case study on the role of mission in a 21st-century nonprofit arts organization. American Journal of Arts Management, 4(1).