はじめに:展示は「モノを見せる」だけではない
博物館の展示とは、いったい何のためにあるのでしょうか。多くの方は、「資料を見せるため」「知識を伝えるため」と考えるかもしれません。確かに、展示は貴重な文化財や美術品、自然資料を来館者に提示し、それらにまつわる情報をわかりやすく伝えるという重要な役割を担っています。しかし、展示は本当にそれだけのものでしょうか。
近年の博物館は、単なる知識提供の場にとどまらず、来館者との“関係性”を築く場として再定義されつつあります。来館者は展示の受け手にとどまらず、自身の経験や価値観に照らし合わせながら展示を「読み取り」、意味を見出す存在と考えられるようになってきました。つまり展示は、モノや情報を一方的に「見せる」場ではなく、来館者と“対話する”場としての性格を帯びているのです。
このような背景には、博物館に対する社会的な期待の変化があります。多様な来館者がそれぞれの関心や立場から展示に触れる時代にあって、博物館は社会との対話や包摂の役割を担う公共的空間として位置づけられています。そのような中で、展示は知識の伝達を超えて、来館者と博物館のあいだに「関係」を生み出すメディアとして機能することが求められているのです。
では、「展示がコミュニケーションである」とは、具体的にどのようなことを意味するのでしょうか。展示設計におけるメッセージの構築、来館者の解釈行動、展示制作における協働、さらには社会との関係性のあり方など、多くの視点がそこには含まれます。展示は、誰が語り、誰に向けて語り、どのように伝わるのかという、いわば“語りの構造”そのものを内包しているのです。
本記事では、こうした「コミュニケーションとしての展示」という観点から、展示の意味と役割を多角的に掘り下げていきます。展示空間がいかにして意味を構築し、来館者がどのようにそれを受け止め、さらには展示の背後にある制作のプロセスがどのような対話を含んでいるのか。展示という行為を「関係をつくる営み」としてとらえ直すことで、私たちは博物館の展示に新たな視点を得ることができるはずです。
展示は何を伝えようとしているのか ― メッセージ性と意図の構築
博物館の展示は、単に資料を並べて解説するだけのものと思われがちです。確かに、展示は来館者に貴重な資料やその背景情報を提示するという基本的な役割を担っています。しかし、その展示がどのように構成され、どのような語り口を持つかを注意深く見ていくと、展示空間には「語る意図」や「伝えたいメッセージ」が巧みに織り込まれていることが見えてきます。展示とは、言葉を使わずに語るメディアであり、そのメッセージ性は博物館の理念や社会的な立場にも深く関係しています。
すべての展示には、ある特定の視点や価値観が反映されています。どの資料を選び、どの順番で配置し、どんな照明を当てるのかといったすべての判断が、来館者に何らかのメッセージを送っているのです。展示の裏には、「このテーマの中でこれを重要だと考える」というキュレーターやチームの判断があります。たとえば、ある展示では戦争を「国家の歴史」として描き、別の展示では「市民の体験」として描くというように、同じ出来事を異なる視点から語ることができます。このような語り方の違いは、展示が単なる中立的な「説明」ではなく、意図された意味の構築だということを示しています(Ahmad et al., 2014)。
展示に込められたメッセージは、資料の配置やキャプションだけでなく、空間の構成そのものにも表れます。照明の当て方、動線の導き方、展示ケースの高さや奥行きなど、空間の設計によって来館者の視線や身体の動きをコントロールし、鑑賞のリズムを生み出しているのです。こうした物理的な要素は一見無意識に感じられるかもしれませんが、実際には展示者の意図が視覚的・身体的レベルで反映されていると言えます。たとえば、ある資料を高く明るい位置に置けば、それは来館者にとって「目立つ」「大切そうに見える」と感じられます。これは展示の「見せ方」が、そのまま「意味づけ」に直結している例です(Kim & Lee, 2016)。
また、近年注目されているのが「ナラティブ展示」という考え方です。これは、展示を単なる情報の集合ではなく、ストーリーとして構成する手法を指します。来館者が展示を読み進めていく過程で、テーマに対する理解が深まり、感情や記憶に残るような体験が生まれるように工夫されているのです。展示が「語り」を持つことで、来館者との関係性は一層強くなり、展示を通じて博物館が「何をどう伝えたいのか」がより明確になります(Nielsen, 2017)。
このような展示の語りには、「誰に向けて語っているのか」という想定が含まれています。展示の構成や言葉遣いは、想定する来館者の年齢や知識レベル、文化的背景によって大きく変わります。子どもを対象にした展示と、専門家向けの展示では、説明の深さや語り口が異なるのは当然です。また、来館者が外国人であるか、障害のある方であるかといった条件によっても、展示のアクセシビリティや表現方法が調整されるべきです。つまり、展示の語りは一方的なものではなく、相手を想定した「対話的」な構築でもあるのです。
展示が持つメッセージ性をさらに深く考えるうえで重要なのが、「展示は常に中立的ではない」という視点です。展示物の選定や見せ方には、必ず価値判断や解釈が含まれています。これは、展示が無意識のうちに社会的・政治的な立場を表明していることを意味します。ある歴史資料をどのように展示するかによって、来館者の受け取る印象は大きく異なります。こうした点を意識することで、展示が持つ力と責任を再認識することができます(Schouten & Houtgraaf, 1995)。
展示とは、「見せることによって語る」という表現です。そしてその語りには、博物館の理念、キュレーターの判断、社会の価値観が複雑に交差しています。展示空間は、情報を一方的に伝える場ではなく、来館者との関係を築くための場であり、そこで交わされるメッセージは、見えない「対話」として立ち上がってくるのです。
このように展示には、明確な意図とメッセージが込められています。そして、それをどのように受け取るかは、来館者一人ひとりに委ねられています。次の節では、その受け手である来館者が、展示をどのように「読み取り」、どのような体験をしているのかについて考えていきます。
展示はどう受け取られているのか ― 来館者との“対話”としての体験
展示は、誰かが語った意味をそのまま伝える「一方向的なメディア」だと考えられがちです。しかし実際には、展示がどのように受け取られるかは、来館者一人ひとりの経験や関心、文化的背景によって大きく異なります。同じ展示を見ても、ある人は感動し、別の人は戸惑い、また別の人は退屈だと感じるかもしれません。このように、展示体験は均質なものではなく、個々の来館者によって意味づけられる主観的な体験なのです。
展示には、送り手の意図が込められています。けれども、それが来館者に意図どおりに伝わるとは限りません。来館者は、自らの知識や感性、これまでの生活経験に照らしながら展示を「読み取って」います。つまり、展示は来館者の解釈を通じて初めて「意味」を持つとも言えるのです。このような観点に立つと、展示はメッセージの伝達ではなく、「意味の共創(co-construction)」の場であると考えることができます(Kirchberg & Tröndle, 2012)。
このような考え方に通じるのが、インタープリテーション(interpretation)の理論です。これは、展示の意味は来館者の側で構築されるものであり、鑑賞者は受動的な受け手ではなく、展示との対話を通じて自らの理解を形成していく存在であるという立場です。来館者は展示を「読む」だけでなく、自分なりの意味を「つくりあげている」のであり、その過程こそが展示体験の本質を形づくっているのです(Ahmad et al., 2014)。
たとえば、展示のキャプションに「これは何でしょう?」と問いかけが書かれていれば、来館者はその場で考え、連想し、過去の経験や知識と照らし合わせて答えを想像するでしょう。こうした問いかけの形式は、展示と来館者とのあいだに「沈黙の対話」を生み出します。また、ある展示では来館者が自分の意見をボードに貼ることができるなど、来館者が能動的に関わる工夫も見られます。このような「参加型展示」では、展示の意味は固定されたものではなく、来館者の関与を通じて拡張され、変化し続けていくのです(Davies, 2010)。
また、展示が感情に訴えかける場合、来館者の内面的な経験が喚起され、展示との結びつきはより強くなります。たとえば、自身の体験と重なるような出来事に出会ったとき、来館者は展示を通じて「思い出す」「感じる」「考える」という深い体験をすることがあります。このような体験は、記憶に残る展示として長く印象に刻まれ、来館者の意識や行動にも影響を与える可能性があります(McKay, 2007)。
しかしながら、こうした「展示=対話」という理想が、すべての来館者に当てはまるわけではありません。展示にあまり関心を持たない人や、展示の構成が分かりにくいと感じた来館者にとっては、展示はむしろ「意味が伝わらない空間」になってしまうこともあります。また、参加型展示の形式をとっていても、必ずしも全員が参加するとは限らず、展示側の意図した「対話」が成立しない場合もあります。展示がどれだけ開かれていても、それを受け取るかどうかは、来館者の自由に委ねられているのです(Robinson, 2017)。
さらに、来館者の展示体験を測定することは容易ではありません。アンケートやインタビュー、観察調査などによって反応を把握する試みは行われていますが、その結果は限定的であり、来館者の内面で起こっている感情や思考のすべてを可視化することは困難です。展示体験は、言葉にしがたい個人的なレベルで成立している場合が多く、そこにこそ展示の奥深さと難しさがあるのです。
このように、展示は来館者によって多様に解釈されるメディアであり、その解釈のプロセスこそが展示とのコミュニケーションの核心となります。来館者は展示を「読み取り」、そこに自らの経験や視点を重ね合わせることで、新たな意味をつくり出しているのです。展示は、来館者に対して知識を一方的に与えるものではなく、「考えるきっかけ」や「問いかけ」を通じて、思考や感情を喚起する対話的な空間なのです。
展示は誰と何を語るのか ― 表象と関係性をめぐる視点
展示は、ただ情報を並べるだけの行為ではありません。それは、誰かが、誰かに向けて、何らかの意味を語る行為です。つまり、展示には「語り手」と「語りかけられる相手」、そして「語られる対象」が存在します。この構造を見つめ直すことは、展示がどのようなコミュニケーションで成り立っているかを理解するうえで極めて重要です。
多くの展示は、博物館や学芸員が「語り手」となって物語を構築しますが、その語り口が誰の視点に立っているのかは明示されないこともあります。展示は中立で客観的だと思われがちですが、実際には必ず何らかの立場や価値観に基づいて構成されています。ある歴史展示が「国家の統一」という視点から語られているのか、「民衆の暮らし」から語られているのかによって、来館者が受け取る印象や考えは大きく変わります(Schouten & Houtgraaf, 1995)。展示が語る内容とその語り方は、博物館と来館者との間に形成されるコミュニケーションの方向性を決定づけるのです。
このとき重要なのは、展示に「誰が登場しているか」、そして「誰が不在なのか」という点です。展示に登場する人物や出来事、文化や地域が偏っていれば、それは特定の立場や世界観を強調する結果につながります。たとえば、ある民族や移民の歴史が展示にほとんど現れないとすれば、それは無意識のうちに「語られない存在」としてその人々を社会から疎外してしまうことになります。展示において何を見せるか/見せないかという判断は、それ自体が社会的な意味を持つ「選択」なのです(Robinson, 2017)。
このように、展示が何を語り、誰を語るかという構造は、博物館と社会との関係性を映し出す鏡でもあります。展示を通じて誰と関係を結ぼうとしているのか、またはどのような関係を築こうとしているのか。それは単なる来館者対応の問題ではなく、博物館の姿勢そのものを問うものです。展示とは、博物館が社会と交わす“語りのコミュニケーション”の実践でもあるのです。
このような問題意識を受けて、今日ではより多くの博物館が「多声的な語り(polyvocality)」を目指した展示のあり方を模索しています。これは、展示の中に異なる立場や声を共存させ、従来の一方向的な語りを相対化する取り組みです。たとえば、ある博物館では地域住民や先住民族と協働して展示を制作することで、当事者自身の視点を反映させるようにしています。このような展示は、「誰かについて語る」のではなく、「ともに語る」という関係性を育むものとなります(Davies, 2010)。
さらに、展示制作の現場でも表象に関する対話が重視されるようになってきました。展示設計者、研究者、対象となるコミュニティ、さらには来館者も含めて、「どのような語りをつくるべきか」をめぐる対話のプロセスが展示の質を左右します。その過程で、語られるべきだとされる視点、語ってはならないとされる配慮、語り方のトーンや構成といった要素が交渉され、展示は一種の「合意形成の表現」として形づくられていきます(Guy et al., 2024)。
このような視点に立つと、展示とは単なる「説明」ではなく、「関係性を編む」メディアであることが見えてきます。博物館が語る展示の内容は、そのまま博物館の価値観や社会的スタンスの表明にもなりえます。そして来館者は、その語りかけに対して、自分の立場から応答したり、共感したり、あるいは疑問を抱いたりすることで、展示とのコミュニケーションを実現しているのです。
展示は、情報を一方向に流すものではなく、「誰と関係を築くのか」を選択し、「その関係をどう築くのか」を問うメディアです。展示における表象の問題とは、単なる内容の偏りを正すという課題にとどまらず、博物館が社会に対して開かれた対話を試みる姿勢をどのように持ち続けるかという、根本的なコミュニケーションの課題なのです。
展示が生み出すもの ― 共感と対話をつなぐコミュニケーションの力
展示とは、資料や情報を整然と提示するだけの行為ではありません。そこには、語り手の視点、来館者の解釈、空間の演出、そして社会的な意味づけが折り重なり、複層的な「対話」が繰り広げられています。展示をコミュニケーションとしてとらえる視点は、こうした多層的な営みを解き明かすための重要な鍵となります。そして何より展示は、知識を伝えることを超えて、人と人との関係性を紡ぎ、社会の中で共に生きるための共感や対話を育む力をもっているのです。
展示が来館者に与える影響は、単なる「理解」や「学習」にとどまりません。ときにそれは、来館者の感情や記憶に深く触れ、自らの経験や価値観を見つめ直すきっかけとなります。ある展示に心を動かされた来館者が、展示を離れたあとも長くそのことを思い続けたり、家族や友人と語り合ったりすることがあります。そのような体験は、情報の受け取りという枠を超え、展示が来館者の「心」と関わり、「意味のある時間」を生み出している証です。
展示には、来館者の思考を促す力があります。とくに近年重視されているのが、「問いかける展示」のあり方です。一方的に説明するのではなく、「あなたならどう考えますか?」「この出来事についてどう感じましたか?」といった問いを投げかけることで、来館者自身が思考を始める余地をつくります。展示が提供するのは「答え」ではなく、「考えるためのきっかけ」であり、そこにこそ対話的な価値があるのです(Davies, 2010)。
こうした展示体験は、来館者と展示資料との関係を豊かにするだけでなく、来館者と博物館の関係、さらには来館者同士の関係性にも影響を与えます。たとえば、同じ展示を見た家族や友人が、それぞれ異なる感想や考えを持ち寄ることで、対話が生まれ、共有される価値が立ち上がります。展示は、見た人の内面だけで完結するのではなく、他者との語り合いや共感を通じて、社会的なつながりを生み出す力を秘めているのです。
さらに、展示は博物館と社会をつなぐメディアとしても機能します。社会的な課題や歴史的な出来事を展示することによって、博物館はその出来事への姿勢や問題意識を表明することができます。その展示が多様な人々に届き、対話を呼び起こすものであれば、それは社会的コミュニケーションとして成功していると言えるでしょう。展示は、単なる「文化の保存」ではなく、「社会との関係構築」を担うメディアでもあるのです(Guy et al., 2024)。
このように見てくると、展示とは、知識の伝達装置ではなく、「関係性をつくる営み」であることが分かります。資料と来館者、来館者と他者、博物館と社会の間に橋をかけるメディアであり、その架け橋の上で交わされるのは、問いかけ・応答・共感・違和感といった、生きたコミュニケーションなのです。展示という形式の中に、「つながる」という価値が内在しているという認識は、今後の博物館実践においても重要な出発点となるでしょう。
展示を通じて私たちは、過去を知り、現在を見つめ、未来を考えることができます。知らなかった他者の視点に触れ、自分の立場を揺さぶられ、ときに問い直す。そうした過程を経て、展示は私たちの思考と感情に深く作用し、日常の中に新しいまなざしを生み出してくれます。展示とは、意味をつくり、人と人をつなぐ営みなのです。
参考文献
- Ahmad, Y., Kalsi, A. K., & Prabhakar, B. (2014).
Multimodal Communication in Museum Exhibits. Procedia – Social and Behavioral Sciences, 155, 206–211. - Davies, S. M. (2010).
Museums and the ‘third age’: A review of the literature. Museum Management and Curatorship, 25(4), 429–445. - Guy, K., Williams, H., & Wintle, C. (2024).
Histories of Exhibition Design in the Museum. Routledge. - Kirchberg, V., & Tröndle, M. (2012).
Experiencing exhibitions: A review of studies on visitor experiences in museums. Curator: The Museum Journal, 55(4), 435–452. - McKay, H. (2007).
Understanding processes of informal learning in museums. International Journal of Heritage Studies, 13(2), 137–155. - Nielsen, J. K. (2017).
Museum communication and Aesthetic Experience: A Pragmatist Perspective. Nordic Journal of Aesthetics, 25(53), 33–51. - Robinson, D. (2017).
The presence of absence: Exploring the invisibility of people in museum displays. Museum & Society, 15(2), 145–159. - Schouten, F., & Houtgraaf, A. (1995).
Themeparkisation of the museum? Museum Management and Curatorship, 14(1), 21–36.