なぜ博物館に経営戦略が必要なのか ― 公共性と成果主義のはざまで

目次

はじめに:文化施設に「経営」は必要か?

「博物館に経営戦略なんて必要なのか?」

この問いは、文化施設に関心のある多くの人々にとって、直感的で素朴な疑問かもしれません。博物館は、教育や文化の継承といった公共的使命を担う存在であり、営利企業のように「収益を最大化する」ことを目的とした組織ではありません。にもかかわらず、「戦略」「マネジメント」「KPI(重要業績評価指標)」といった経営用語が、近年の博物館運営において当たり前のように使われるようになっています。このような傾向に対し、違和感や抵抗感を抱く人も少なくないでしょう。

しかし、博物館が直面している今日的な状況をふまえると、こうした違和感を問い直す必要があるのも事実です。日本においては、自治体財政の逼迫や人口減少にともなう来館者数の減少、指定管理者制度の導入など、博物館を取り巻く経営環境は年々厳しさを増しています。公的支援のみに依存した運営はもはや成り立ちにくく、限られた資源のなかで、いかにして博物館の社会的使命を持続可能なかたちで実現していくかが大きな課題となっています。

加えて、ミュージアムに求められる役割も複雑化・多様化しています。来館者ニーズの多様化、デジタル技術の急速な進展、国際的なミュージアム定義の変化、さらには包摂・共生といった社会的課題への対応まで、博物館はもはや「展示と保存の場」にとどまらず、社会の変化に積極的に応答する文化的プラットフォームとして再定義されつつあります。このような環境変化の中で、もはや「従来どおり」の運営では持続可能性を保てません。

ここで問われるべきは、「経営」が本質的に何を意味するか、という点です。経営とは単に効率を求めることではありません。ましてや、文化の価値を数値で置き換えることでもありません。経営とは、博物館の理念を社会の中でいかに実現可能なかたちで継続していくかを考える“戦略的な思考”であると捉えなおすことができるのです。

本稿では、「博物館に経営戦略は本当に必要なのか?」という問いに立ち返りながら、現代の博物館経営における戦略的思考の意義と役割を多面的に検討します。公共性と成果主義、文化的使命と現実的制約、その狭間に立つミュージアムにとって、戦略とは何か。そしてそれはどのように形成され、実行されるべきなのか。戦略とは、文化を損なう道具ではなく、文化を守るための思考である――その前提に立って、経営と文化の関係を再考していきたいと思います。

経営戦略は文化的ミッションの実現手段である

博物館における「戦略」は、しばしば誤解されがちです。戦略と聞くと、多くの人が「売上を伸ばす」「競争に勝つ」といった企業的な発想を思い浮かべるかもしれません。しかし、非営利で公共的な使命を担う博物館においては、戦略とはあくまでも“ミッションを社会のなかで現実的に実行するための手段”として位置づけられるべきです。

この点を明確に論じているのが、Carol Kovach(1989)です。彼女は、営利企業の経営モデルをそのまま博物館に適用することに慎重な立場をとりながらも、戦略的マネジメントを「組織の理念を具体的な行動へと橋渡しするためのプロセス」と定義しています(Kovach, 1989)。つまり、戦略とは、組織の核にある価値や使命を、現実の社会や制度の中でどう実現するかをデザインするための思考枠組みであり、それなしには、どれほど高尚な理念も空中分解してしまうということです。

Eva Reussner(2003)もまた、戦略の役割を「組織文化の形成」と「全体的な方向性の共有」にあると指摘しています。彼女は、戦略を単なる“将来計画”ではなく、日々の判断や行動に通底する「長期的な意志の表現」ととらえます(Reussner, 2003)。このような視点からすれば、戦略とは経営者や館長の頭の中にあるべき何かではなく、組織全体が共有し、実践していくべき「文化」と言えるでしょう。

このように、戦略は“合理性”や“数値目標”に還元されるものではありません。むしろ、公共文化機関においては、不確実な社会のなかで、限られた資源と多様な利害関係者のあいだを調整しながら、理念を社会の中で可視化・実現していくための地図のような存在です。

ここで重要になるのが、「戦略はミッションと乖離してはならない」という原則です。James Bradburne(2001)は、ミュージアムにおけるビジョンとミッションの重要性を強調し、「あらゆる展示、教育、収蔵、広報の判断は、ミッションの文脈の中で初めて正当化される」と述べています。ミッションが定義する「何のために存在しているのか」が明確であるからこそ、その目的に沿った「どのように行うか(戦略)」が意味を持つのです。

経営戦略とは、博物館がその存在意義を守り抜くために、自らの限界を見極めつつ、行動の優先順位をつけ、資源の分配や人材配置を判断するための論理的かつ倫理的な手段です。戦略がなければ、理念は机上の空論となり、現場は“場当たり的な意思決定”に陥ってしまいます。

言い換えれば、経営戦略とは、博物館という公共機関がその文化的使命を、現代社会の複雑な制約のなかで着実に、そして誠実に実現するための知恵にほかなりません。

公共性と成果主義のあいだで ― 現代的なジレンマ

現代の博物館経営において避けて通れないテーマのひとつが、公共性の維持と、成果主義的な評価制度の導入とのバランスです。公的資金の縮小とともに、自治体や文化行政は「どれだけの人が来たのか」「どれだけの満足度が得られたのか」といった可視化可能な成果を求めるようになってきました。こうした要請に応えるかたちで、来館者数やKPI(Key Performance Indicators)といった指標が、博物館経営の言語として定着しつつあります。

しかし、ここに大きなジレンマが存在します。博物館の価値は、単純な数値で測定できるものばかりではないからです。たとえば、展示が来館者の人生観に静かに影響を与えたり、教育プログラムが子どもの知的関心を長期的に育んだりするような「質的な成果」は、来館者数や滞在時間といった数値には表れにくいものです。それにもかかわらず、定量的なデータばかりが重視されると、博物館は本来の使命と異なる方向へと舵を切ってしまう危険があります。

この点について、Agostino & Arnaboldi(2020)は、文化施設におけるソーシャルメディアデータの活用に関する研究の中で、定量化しやすいデータの誘惑が本質的な価値の見失いにつながるリスクを指摘しています(Agostino & Arnaboldi, 2020)。特にSNSの「いいね」やシェア数といった即時的な反応が、評価の指標として使われるようになると、深い学びや社会的意義よりも、目立つ・バズる・共感されるといった表層的な評価が優先されるようになりかねません。

一方で、James Bradburne(2001)は、こうした評価の潮流に対して悲観的になるのではなく、戦略的に活用すべきであるという立場をとります。彼は、「明確なミッションとビジョンを持ち、それに基づいた行動指針を組織全体に浸透させることができれば、評価の指標はむしろ自己の活動を正当化し、社会に説明するための有効なツールになる」と主張します。つまり、評価の道具そのものを否定するのではなく、どのような指標を選び、何を可視化するかの基準を、ミッションに基づいて設計すべきという視点です。

このように、戦略的経営における評価とは、単なる数値の管理ではなく、博物館が「何を重視し、何に価値を置くのか」を組織的に再確認する行為でもあります。成果主義に飲み込まれるのではなく、公共的使命を果たすために成果をどう定義し、どう測るかを主体的に設計する必要があるのです。

戦略的な思考がここでも鍵となります。公共性の実現を「見える形」に変換し、社会と共有可能な言葉で語る手段としての評価。その設計こそが、今後の博物館経営における知的かつ倫理的な挑戦といえるでしょう。

戦略が求められる現場の実態

理論的には「戦略の重要性」が理解されても、実際の博物館現場ではどのようにその必要性が浮かび上がっているのでしょうか。ここでは、戦略的経営が現実の館運営において求められる理由と、その効果を実証的に示した研究を参照しながら、実態に迫ってみたいと思います。

たとえばTsai & Lin(2018)は、台湾にある五つの国立博物館(自然科学博物館、歴史博物館、美術館など)を対象に、戦略的な意思決定の質と、来館者満足度との関係性を調査しました。その結果、来館者からの評価が高い施設では、明確な戦略目標や優先順位が設定されており、それに基づいた事業展開がなされていることが明らかになりました(Tsai & Lin, 2018)。逆に、方針が曖昧な館では、展示や教育活動が断片的・場当たり的になり、組織全体としての一貫性が欠けていたという指摘もあります。

このような研究は、戦略が単に「抽象的な理念」ではなく、日々の実務レベルにおける判断や設計の指針となるものであることを示しています。来館者との関係構築、地域との連携、展示テーマの選定、人材配置といったあらゆる判断において、戦略が明確であるかどうかが、博物館の質そのものを左右するのです。

また、Gail Dexter LordとKate Markert(2017)は、戦略的計画の策定プロセスを「単なる文書化作業ではなく、関係者の価値観や優先事項をすり合わせ、共有するための対話の場」として重視しています。特に、公立館のように多様なステークホルダー(行政、地域住民、専門職員)が関与する場においては、戦略を“文書”ではなく“文化”として浸透させる努力が不可欠であると述べています。

この視点からすると、戦略は経営陣だけのものではありません。むしろ、教育担当、学芸員、事務職員、広報スタッフといった現場の一人ひとりが、自分たちの仕事の意義や優先順位を判断するための共通言語として、戦略が必要とされているのです。

さらにGriffin(2003)は、こうした戦略の実行を支えるのは、館長や部門責任者のリーダーシップに他ならないと強調します。彼は、「リーダー不在の組織では、戦略は単なる文書で終わってしまう」と述べ、戦略の実現には“語る力”“方向を示す力”をもったリーダーの存在が不可欠であると説いています。

実際、多くの成功事例においては、明確なビジョンと説得力のあるメッセージを持ったリーダーが、館全体の方向性を定め、関係者を巻き込みながら戦略を遂行しています。リーダーは単に「経営を行う人」ではなく、戦略を語り、理念を共有し、それを実現する文化を育てる人なのです。

このように、博物館において戦略的思考が求められるのは、理論の上だけではなく、組織運営のあらゆるレベルにおいて「判断と整合性の軸」が必要だからです。今日の博物館が直面する複雑な課題を乗り越えるには、明確な戦略を共有し、それを実行可能なかたちで日常業務に落とし込む力が不可欠であると言えるでしょう。

おわりに ― 戦略的思考は文化の敵ではない

「戦略」という言葉に、ある種の“冷たさ”や“利潤追求の論理”を感じる人は少なくありません。ことに、博物館のような公共的文化機関においては、そうした語彙が馴染まないと感じられる場面もあるでしょう。しかし、本稿で見てきたように、戦略とは決して文化や創造性を押し潰すためのものではありません。むしろそれは、博物館が社会の中で文化的使命を果たし続けるための、知的で倫理的な手段なのです。

Kovach(1989)は、戦略的経営の本質を「ミッションと現実との橋渡し」と定義しました。Reussner(2003)は、戦略を組織文化そのものと捉え、日々の行動や判断に通底する長期的な意志であると述べました。これらの見解は、戦略が単なる数字合わせや目標達成のツールではなく、理念を実現するための実践的な構造であることを教えてくれます。

また、Tsai & Lin(2018)の研究に見られるように、戦略的な意思決定は来館者満足や組織の一体感とも深く関係しており、それが結果として施設の信頼や社会的評価を高めることにつながっています。さらに、Griffin(2003)が指摘するように、戦略の実行にはリーダーシップの存在が不可欠であり、館全体が「どこへ向かうのか」を共有する文化的基盤の形成が求められるのです。

戦略的思考とは、自らの存在意義を問い直し、それをどうすれば現実の制約の中で実現できるかを考える行為です。収入の増加や目標達成は、あくまでもその手段の一部であって、最終的には「博物館は何のために存在するのか」という問いに正面から向き合うことが、戦略の出発点であるべきでしょう。

戦略があるからこそ、博物館は文化的理念と現実的行動のあいだで揺れ動くことなく、持続的に社会的な役割を果たし続けることができます。戦略的であるということは、文化を守る意志を形にするということに他なりません。

参考文献

Agostino, D., Arnaboldi, M., & Lampis, A. (2020). Italian state museums during the COVID-19 crisis: From onsite closure to online openness. Museum Management and Curatorship, 35(4), 362–379.

Bradburne, J. M. (2001). A new strategic approach to the museum and its relationship to society. Museum Management and Curatorship, 19(1), 75–84.

Gail Dexter Lord, & Markert, K. (2017). The manual of strategic planning for cultural organizations: A guide for museums, performing arts, science centers, public gardens, heritage sites, libraries, archives. Rowman & Littlefield.

Griffin, D. (2003). Leaders in museums: Entrepreneurs or role models? International Journal of Arts Management, 5(2), 4–13.

Kovach, C. (1989). Strategic management for museums. Museum Management and Curatorship, 8(2), 137–148.

Reussner, E. M. (2003). Strategic management for visitor-oriented museums. International Journal of Cultural Policy, 9(1), 95–108.

Tsai, C.-W., & Lin, C.-L. (2018). How should national museums create competitive advantage in modern society? Sustainability, 10(10), 3749.

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この記事を書いた人

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日々の業務経験をもとに、ミュージアムの楽しさや魅力を発信しています。このサイトは、博物館関係者や研究者だけでなく、ミュージアムに興味を持つ一般の方々にも有益な情報源となることを目指しています。

私は、博物館・美術館の魅力をより多くの人に伝えるために「Museum Studies JAPAN」を立ち上げました。博物館は単なる展示施設ではなく、文化や歴史を未来へつなぐ重要な役割を担っています。運営者として、ミュージアムがどのように進化し、より多くの人々に価値を提供できるのかを追求し続けています。

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