はじめに
「博物館って、何のためにあるの?」
こう問われたとき、あなたは何と答えるでしょうか。展示を見て学ぶ場所、貴重なものが大切に保管されている場所、家族で楽しく過ごせる場所——そのどれもが正しく、そして同時に不十分かもしれません。
私たちは日々、博物館という言葉に親しみながらも、「何のために存在しているのか」という問いをあらためて深く考える機会は少ないかもしれません。けれども、この「目的」という視点は、博物館がどのような活動を行い、誰に向けて価値を届けているのかを読み解くための出発点となるものです。
博物館の目的は、単に資料を保存し展示することにとどまりません。それは、社会とともに歩み、時には社会に問いを投げかけ、また時には癒しやつながりを提供する、「文化的存在としての使命」に根ざしたものです。近年では、教育、地域との共創、社会的包摂、さらには気候危機やジェンダー平等といったグローバルな課題への対応まで、博物館の目的はかつてないほど広がりを見せています。
本稿では、博物館の目的とは何かを問い直しながら、その歴史的な変化、多様な社会的役割、そして今日のミュージアムに求められる新たな使命について考察します。冒頭では「定義」と「目的」の違いに簡単に触れつつも、焦点は一貫して「目的」にあります。それは、私たちが未来の博物館像を描くうえで、最も根本的な問いだからです。
博物館の目的とは何を指すのか?
博物館の「目的」とは、その存在が社会の中で果たそうとする役割や使命のことを指します。それは、展示、収集、保存、教育といった活動の「理由」や「価値づけ」を意味します。つまり、博物館が「何をしているか」ではなく、「なぜそれをしているのか」を説明するものです(Alexander et al., 2017)。
このように目的は、活動の背後にある理念や方向性を表します。定義が機能や構造を明らかにするのに対して、目的は博物館の存在意義そのものに関わります(Sandahl, 2019)。たとえば、「地域の歴史資料を保存している」というのは機能の説明ですが、「地域の記憶を未来に継承するため」というのが目的にあたります。
博物館の目的は、運営主体や規模、地域性によって異なります。国立博物館であれば、文化遺産を国家的資産として保存・継承することが主要な使命となるでしょう。一方、地方自治体のミュージアムやコミュニティ主導の博物館では、地域のアイデンティティの形成や、住民との協働を通じた社会的課題への対応が目的に組み込まれていることが多く見られます(Brown & Mairesse, 2018)。
このような目的の多様性を踏まえて、博物館が担う使命をより具体的に捉えるために、Kotler & Kotler(2000)は博物館の目的を三層構造で整理しています。第一に、博物館の存在意義そのものを示す「コア目的(core mission)」。これは、たとえば文化遺産を保存し、次世代に継承するというような基本的使命にあたります。第二に、その使命を達成するための中長期的な方向性である「戦略的目的(strategic goals)」があります。これは教育活動の拡充や来館者との関係強化など、社会との関係性を築くための方針です。第三に、日々の具体的な実践につながる「戦術的目的(tactical objectives)」があり、展示の企画やイベントの開催といった活動がここに含まれます。この三層は互いに連動しており、理念から現場の実践までをつなぐ構造として機能します(Kotler & Kotler, 2000)。
さらに近年では、博物館に求められる目的は従来の枠組みを超えて広がりつつあります。「保存」や「教育」といった従来の役割に加えて、「社会的包摂」「多文化共生」「地域との共創」などが重視されるようになってきました。これは、博物館が単なる文化の保管庫ではなく、社会的な対話の場、あるいは変革を生み出すプラットフォームとして再評価されていることを意味します(Ginsburgh & Mairesse, 1997)。
たとえば、ある博物館が「来館者に学びと感動を提供すること」を掲げているとします。それは単なるスローガンではなく、誰に、どのような価値を届けるかという、明確な目的意識に基づくものです。目的はミッションステートメントや基本方針に明示されるだけでなく、展示の構成やプログラム設計、広報活動など、あらゆる運営判断に影響を与えています。
このように、博物館の目的とは、単に何かを“する”ための理由ではなく、「博物館が何を大切にしているのか」「誰のために存在しているのか」を映し出すものであり、その理念が日々の実践に貫かれていることが重要なのです。
目的はどのように変化してきたか
博物館の目的は、固定されたものではありません。むしろ、その時代の社会状況や政治体制、教育制度、文化的価値観などの影響を受けながら、変化と再定義を繰り返してきました(Kavanagh, 1994)。この変化をたどることで、今日の博物館がどのような使命を背負っているのか、より深く理解することができます。
19世紀、近代国家の形成と歩調を合わせるように発展した博物館は、主に知識や文化の体系的な「保存」と「分類」を目的としていました。当時の博物館は、国家の威信を示す場であり、植民地から収集された「貴重なもの」を市民に公開することで、文明の優越性を視覚的に語る空間でもありました(Alexander et al., 2017)。この段階では、博物館の目的は明確に「エリート的な知識体系の提示」と「国民教育」の一環であったといえます。
しかし、20世紀に入り特に第二次世界大戦後の民主化と福祉国家の台頭により、博物館の目的には変化の兆しが現れます。戦後の混乱を乗り越える中で、文化を通じた国民統合や、教育の場としての役割が重視されるようになり、「展示の見せ方」よりも「伝えたいメッセージ」や「学びの機会」が注目されるようになりました。来館者は単なる観覧者ではなく、参加者や学習者として扱われ、展示にはナラティブやストーリーテリングの手法が導入されるようになったのです(Sandahl, 2019)。
1960年代から70年代にかけては、「ニュー・ミュージオロジー」と呼ばれる考え方が登場し、博物館が担う社会的な責任や、より民主的・参加型な文化施設としてのあり方が国際的に議論されるようになります。これは、知識の一方的な伝達ではなく、多様な声や記憶を反映させる場としての再定義でした(Brown & Mairesse, 2018)。
21世紀に入ると、こうした流れはさらに加速します。グローバル化、移民社会、環境問題、ジェンダー平等など、世界的な課題が深刻化する中で、博物館もまた「社会課題に応答する文化的装置」として位置づけられ始めます。たとえば、展示においてマイノリティの視点を取り入れる取り組みや、来館者参加型のプログラム、コミュニティとの共創事業などが、博物館の新たな目的として浮上してきました(Ginsburgh & Mairesse, 1997)。
こうした価値観の転換は、博物館の定義そのものにも影響を与えています。2019年、国際博物館会議(ICOM)は、これまでの定義を刷新し、「参加型」「多声性」「社会正義」「持続可能性」といった要素を盛り込んだ新定義案を提示しました。最終的な採択には至らなかったものの、この提案は、博物館の目的が「文化を保存する施設」から「社会とともに価値を創造する空間」へと移行していることを明確に示すものでした(Sandahl, 2019)。
このように、博物館の目的とは、時代や社会との関係の中で動的に書き換えられていくものです。何を残し、誰と向き合い、どのように発信していくのかという問いは、常に一つの正解を持たず、博物館ごとに更新されていくべき課題です。その変化のプロセスそのものが、博物館の社会的意義と柔軟性を支えているといえるでしょう。
現代の博物館に求められる目的とは?
博物館の目的は時代とともに変化してきましたが、現代においては、その公共的役割や社会的責任がかつてないほど重視されています。複雑化する社会課題に直面するなかで、博物館はもはや「学術機関」や「教育施設」の枠を超え、より広範な社会的使命を果たす場として位置づけられています(Brown & Mairesse, 2018)。
現代の博物館に求められている目的は、多層的かつ関係的です。以下にその主要な視点を整理します。
社会的包摂とアクセスの保障
第一に挙げられるのは、社会的包摂(social inclusion)の推進です。これは単に来館者の数を増やすという意味ではなく、「誰もがアクセスできる空間を整え、文化に参加する機会を保障すること」を意味します。障害のある人々、移民や難民、性的マイノリティ、高齢者、生活困窮者といった多様な背景を持つ人々が、自分自身の経験や価値観を持ち寄れる場所として、博物館は再構築されつつあります(Sandahl, 2019)。
たとえば、音声ガイドや点字資料、多言語対応、料金減免といった具体的なアクセシビリティ支援に加えて、展示そのものにマイノリティの視点を取り入れる工夫も増えています。包摂の理念は、建築やサービスだけでなく、「語られる内容」や「誰が語るのか」にまで及んでいるのです。
地域社会との共創
次に重視されるのが、地域社会との共創という視点です。これは、博物館を一方的に知識を与える「上からの機関」としてではなく、地域の人々とともに価値をつくる「対話的な空間」として捉え直すアプローチです(Ginsburgh & Mairesse, 1997)。
たとえば、住民の生活史や記憶をアーカイブするオーラルヒストリー・プロジェクトや、地域課題に焦点を当てた市民参加型展示の実施などが各地で展開されています。こうした取り組みは、単に文化資源を活用するだけでなく、博物館を「共感と対話の媒介者」として位置づけ直す意義を持っています。
複数の視点を促す対話的空間
第三に、複数の視点を提示し、来館者に思考を促す空間づくりも重要な目的となっています。過去の博物館では、展示される内容が「正しい歴史」として一方的に提示されることが多くありましたが、現在では、歴史的事実や文化の解釈が一つではないことを前提に、異なる立場や声を併置する構成が重視されるようになっています(Kotler & Kotler, 2000)。
このような展示は、戦争、植民地主義、差別、気候危機などのセンシティブなテーマを扱う際にとくに有効です。来館者自身が問いを立て、考え、他者と対話する契機を得る場として、博物館は「社会の記憶装置」から「社会の思考装置」へと進化しつつあるのです。
持続可能性と地球規模の課題への関与
さらに近年では、持続可能な社会づくりへの貢献も博物館の重要な目的とされつつあります。収蔵や展示の省エネルギー化や、エコ・ミュージアム的な自然環境との連携、地域の自然災害と文化資源保全の両立など、環境問題と文化資本を接続する実践が広がっています(Sandahl, 2019)。
たとえば、気候変動に関する展示や、環境教育と連動したワークショップは、文化と科学、地域と地球の接点をつくりだすものであり、博物館が公共政策の一部として機能する可能性を示しています。
このように、現代の博物館は、単に「文化を保存・展示する機関」ではなく、「社会的課題をともに考える場」「地域と連携して未来をつくる場」「多様な声をつなぐ対話の空間」として、その目的を拡張させています。目的とは単なるスローガンではなく、組織の活動方針や来館者との関係、社会とのかかわり方を方向づける“コンパス”のようなものです。
そしてその“コンパス”は、固定されたものではなく、社会とともに動き続けるものです。博物館が今後も公共的な信頼を維持し、文化的な意味を生み出し続けていくためには、このような目的の再確認と柔軟な更新が欠かせないのです。
博物館の目的をどう捉え直すか
ここまで見てきたように、博物館の目的は一様ではなく、歴史的・社会的な文脈によって多様に形づくられてきました。文化遺産の保護から、教育・啓発、社会的包摂、地域連携、さらにはグローバルな課題への関与まで、今日の博物館が掲げる目的は非常に幅広く、多層的です。
こうした状況を踏まえるとき、私たちは「目的とは何か」という問いを、単なるスローガンやミッション・ステートメントの言い換えとしてではなく、もっと根本的なレベルで捉え直す必要があります。
変化し続ける“関係性”としての目的
第一に確認すべきなのは、博物館の目的は静的なものではなく、社会との関係性のなかで動的に構築・更新されていくものであるという点です。目的とは、「何のために博物館が存在しているのか」という本質的な問いへの答えであり、それは時代の価値観、政治情勢、技術の進展、社会課題の変化に応じて変容していくものです(Kotler & Kotler, 2000)。
したがって、目的とは一度定めたら終わりではなく、「今、私たちの博物館は、誰に対して、何を大切にして活動しているのか」という問いを、繰り返し立ち返るための起点であるべきです。現場で日々行われている小さな実践のすべては、実はこの問いと切り離せません。
多様な利害の交差点としての博物館
第二に、博物館の目的は「誰にとっての目的か?」という視点から問い直されなければなりません。国や自治体、学芸員、教育関係者、研究者、スポンサー、来館者、地域住民――博物館に関わる主体は多岐にわたります。それぞれの立場が持つ「博物館に期待すること」は必ずしも一致せず、時に競合することもあります(Brown & Mairesse, 2018)。
このように、目的とは一つの「正解」ではなく、複数の期待や利害が交差するなかで合意形成と調整を必要とする「社会的プロセス」でもあるのです。ミュージアム・マネジメントにおいては、このバランスの調整――つまり「目的の合意形成」こそが経営の要諦の一つといえるでしょう。
理念と実践をつなぐ“行動の指針”
第三に、目的は理念の言語化であると同時に、実践へと導く「行動の指針」であるべきです。いくら立派な理念を掲げていても、それが展示内容やイベント、教育プログラム、評価制度、スタッフの言動に具体的に落とし込まれていなければ、空疎なスローガンにとどまってしまいます(Alexander et al., 2017)。
目的は、展示の構成、来館者対応のあり方、スタッフ研修のテーマ選定、予算配分など、あらゆる運営判断に影響を与えるべき「基準」として機能しなければなりません。つまり、目的とは「内側の哲学」であると同時に、「外側の振る舞い」に反映されるべきものなのです。
未来を見据える“価値の選択”
最後に、目的を考えるとは、過去を守るためだけでなく、未来をどう創りたいのかという「価値の選択」そのものであるということを強調したいと思います。
博物館がどのような未来を目指すのか。それは、来館者にどのような体験を提供し、地域社会にどのような影響を与え、社会全体の中でどんな役割を果たしたいのか、という問いと結びついています。その問いに答える過程こそが、「目的を再定義する」という行為の本質なのです(Sandahl, 2019)。
このように、博物館の目的を捉え直すことは、単なるミッション文の整理ではなく、博物館という組織が「なぜ存在し、どこに向かうのか」という根源的な問いと向き合うプロセスです。そこには、理念と現場、社会と文化、過去と未来が交差するダイナミズムがあります。
目的を考えるという営みは、すべての博物館人が担うべき思考であり、同時に、来館者一人ひとりにとっても「どのような文化を育てていくのか」という、市民的な選択でもあるのです。
まとめ
本稿では、「博物館の目的とは何か」という根本的な問いについて、定義との違いを確認しながら、その多様性と歴史的変化、そして現代社会における再定義の必要性を検討してきました。
博物館の目的は、単なる活動内容の裏付けではなく、その存在が何のためにあるのかを社会に対して示すものであり、理念と実践をつなぐ“羅針盤”です。それは時代や文化、組織の性格、そして関わる人々の声に応じて柔軟に変化しうるものです。
19世紀には国家の権威や知の体系の象徴として、20世紀には教育と啓発の場として、そして21世紀の今日においては、社会的包摂、共創、持続可能性といった価値を体現する公共的な空間として――博物館の目的は常に書き換えられてきました。
そして現代において求められるのは、特定の答えを固定することではなく、「この博物館は何を大切にして、どんな未来をつくろうとしているのか」を問い続ける姿勢です。目的とは、すべての博物館活動の起点であると同時に、社会とともに変化する“問いかけ”そのものでもあるのです。
参考文献
- Alexander, E. P., Alexander, M., & Decker, J. (2017). Museums in motion: An introduction to the history and functions of museums (3rd ed.). Rowman & Littlefield.
- Brown, K., & Mairesse, F. (2018). The definition of the museum through its social role. Curator: The Museum Journal, 61(4), 535–552.
- Ginsburgh, V., & Mairesse, F. (1997). Defining and valuing the cultural heritage. In M. Hutter & I. Rizzo (Eds.), Economic perspectives on cultural heritage (pp. 31–62). Macmillan.
- Kavanagh, G. (Ed.). (1994). Museum provision and professionalism. Routledge.
- Kotler, N., & Kotler, P. (2000). Can museums be all things to all people?: Missions, goals, and marketing’s role. Museum Management and Curatorship, 18(3), 271–287.
- Sandahl, J. (2019). From museum definition to museum potential: ICOM’s new definition as a starting point for reflection and change. Museum International, 71(1–2), 4–9.