VTS(Visual Thinking Strategies)が医学部生の診察力向上につながる理由

目次

はじめに

医学部生が診察力を向上させるためには、観察力、批判的思考力、コミュニケーション能力のすべてが不可欠です。これらの能力を鍛える方法として、近年Visual Thinking Strategies(VTS)が医学教育の分野で注目されています。VTSはもともと美術鑑賞を通じて批判的思考を養う手法として発展しましたが、医学生の臨床能力の向上にも有効であることが、数々の学術研究によって示されています。

例えば、Naghshineh et al.(2008)の研究では、VTSを導入した医学生のグループが、診断の正確性や視覚的情報の解釈能力において、従来の教育を受けた学生よりも優れていることが確認されました1。また、Klugman et al.(2011)は、VTSが視覚的注意力を高め、より迅速かつ正確な臨床判断につながることを報告しています2。本記事では、VTSがどのように診察力を向上させるのかを、これらの研究をもとに詳しく解説します。

1. VTSとは何か?

VTSは、美術作品をグループで観察し、ディスカッションを通じて解釈を深める教育手法です。例えば、ハーバード大学医学部では、VTSを用いた特別講義を実施し、医学生が診察に必要な視覚的分析能力を高める機会を提供しています。このプログラムは、医療従事者が視覚的情報をより正確に解釈し、診断の精度を向上させることを目的としており、視覚的思考戦略を活用した研修が行われています(Harvard Medical School, 2023)3。また、一部の病院では、臨床研修の一環としてVTSを活用し、医療チームの協力を促進する試みも行われています。参加者は次のような質問を通じて、自らの観察や思考を言語化します。

  • 「ここで何が起こっていますか?」
  • 「何を見てそう思いましたか?」
  • 「さらに何が見えますか?」

このプロセスにより、細部への注意力、推論力、他者の意見を取り入れる柔軟な思考力が養われます。ではこのようなVTSは医学部生の診察力のどの部分を向上させてくれるのでしょうか。

2. VTSが医学部生の診察力を向上させる理由

(1) 観察力の向上

診察力の基本は患者のわずかな身体的変化を見逃さない観察力です。Yenawine & Miller(2014)の研究では、VTSの訓練を受けた医学生は、未受講の医学生に比べて患者の表情や身体的所見の微細な違いをより正確に指摘できたことが示されました4。また、この研究では、VTSの訓練を受けた医学生は、観察した情報をより詳細に言語化し、診察時の意思決定プロセスが改善されたことも報告されています。

(2) 批判的思考力の強化

診察では、観察した情報を分析し、適切な診断を導く必要があります。Naghshineh et al.(2008)の研究では、VTSを導入した医学部生のグループは、導入していないグループよりも診断に必要な情報を整理し、論理的な推論を行う能力が向上していました。

加えて、Bardes et al.(2001)の研究では、VTSを通じたトレーニングを受けた学生は、診断プロセスにおいてより多角的な視点を持つことができ、誤診率の低下につながる可能性があることが報告されています5

(3) コミュニケーション能力の向上

医師は、患者の症状を適切に聞き取り、診断や治療計画を分かりやすく説明する必要があります。例えば、VTSを活用した対話では、患者が「息苦しい」と訴えた場合、その症状の背景にある生活習慣や精神的要因を丁寧に引き出すことができます。Reilly et al.(2005)の研究では、VTSを受けた医学生は、患者との会話においてより的確な質問をし、患者の言葉を丁寧に解釈する傾向が強いことが報告されています6

また、Shapiro et al.(2006)の研究では、VTSの実践を通じて共感的な対話スキルが向上し、患者の心理的状態をより適切に把握する能力が高まることが示されています7

3. まとめ

VTSは、医学教育において診察力の向上に有効であることが多くの研究によって示されています。特に、観察力、批判的思考力、コミュニケーション能力の向上に寄与し、診断の精度を高める要素となることが分かっています。

今後、さらに多くの医療機関や教育機関でVTSが導入されることで、医学生や医療従事者のスキル向上につながることが期待されます。VTSを活用したトレーニングの普及により、より質の高い医療が提供されることが望まれます。

将来的には、VTSのデジタル化が進み、AI技術と組み合わせた新たな教育ツールが開発される可能性があります。これにより、医学生はオンライン上でリアルタイムの視覚的診断訓練を受けることができ、より多くの症例を効率的に学ぶ機会を得られます。

また、VTSは多職種連携教育(IPE: Interprofessional Education)にも応用できるため、医師だけでなく看護師、薬剤師、理学療法士など他の医療従事者と協働するスキルを向上させるツールとしても期待されています。実際の医療現場でのコミュニケーションの向上に寄与し、チーム医療の質を高めることができるでしょう。

参考文献

  1. Naghshineh, S., Hafler, J. P., Miller, A. R., Blanco, M. A., Lipsitz, S. R., Dubroff, R. P., … & Katz, J. T. (2008). Formal art observation training improves medical students’ visual diagnostic skills. Journal of General Internal Medicine, 23(7), 991-997. ↩︎
  2. Klugman, C. M., Peel, J., & Beckmann-Mendez, D. (2011). Art Rounds: Teaching Interprofessional Students Visual Thinking Strategies at One School. Academic Medicine, 86(10), 1266-1271. ↩︎
  3. Harvard Medical School. “Training Our Eyes, Minds, and Hearts: Visual Thinking Strategies for Health Care Professionals.” Harvard Medical School, 2023, https://cmecatalog.hms.harvard.edu/training-our-eyes-minds-and-hearts-visual-thinking-strategies-health-care-professionals. 閲覧日: 2024年2月21日。 ↩︎
  4. Yenawine, P., & Miller, A. (2014). Visual Thinking Strategies: Using Art to Deepen Learning Across School Disciplines. Harvard Education Press.
    ↩︎
  5. Bardes, C. L., Gillers, D., & Herman, A. E. (2001). Learning to look: Developing clinical observational skills at an art museum. Medical Education, 35(12), 1157-1161. ↩︎
  6. Reilly, J. M., Ring, J., & Duke, L. (2005). Visual thinking strategies: A new role for art in medical education. Family Medicine, 37(4), 250-252. ↩︎
  7. Shapiro, J., Rucker, L., & Beck, J. (2006). Training the clinical eye and mind: Using the arts to develop medical students’ observational and pattern recognition skills. Medical Education, 40(3), 263-268. ↩︎
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日々の業務経験をもとに、ミュージアムの楽しさや魅力を発信しています。このサイトは、博物館関係者や研究者だけでなく、ミュージアムに興味を持つ一般の方々にも有益な情報源となることを目指しています。

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