はじめに――展示だけがミュージアムの役割ではない
「ミュージアム(博物館)」という言葉を耳にしたとき、皆さんはどのような光景を思い浮かべるでしょうか。多くの方にとっては、静寂な空間の中に整然と並べられた貴重な資料や美術品、訪れる人々が静かに歩きながら解説を読み、知識を得て帰っていく――そうした「知の殿堂」としての印象が根強いかもしれません。
確かに、ミュージアムには、歴史的・文化的な資料や芸術作品を収集・保存し、それらを適切に展示しながら来館者に知識や教養を提供するという重要な役割があります。こうした伝統的な機能は、これまで長い年月をかけて発展してきたミュージアムの基盤を成すものであり、現在においても決して失われたわけではありません。
しかし、現代社会の変化とともに、ミュージアムに求められる役割もまた多様化しています。少子高齢化や地域コミュニティの希薄化、多文化共生の進展、さらには地球環境への関心の高まりなど、私たちを取り巻く社会課題は複雑さを増しており、それに呼応するかたちでミュージアムの存在意義も新たな局面を迎えています。
今、ミュージアムは単なる「展示の場」にとどまらず、地域社会に寄り添い、人々の記憶や感情、日常的なつながりを育む「公共的な空間」としての役割を積極的に果たそうとしています。そこでは、学びの場であることはもちろんのこと、世代や文化の異なる人々が出会い、語り合い、共に創造していくプロセスが重視されています。
本稿では、こうしたミュージアムの変化に注目し、とくに「地域コミュニティとの連携」という視点からその可能性を探っていきます。地域の人びととミュージアムがどのように関係を築き、どのような形で社会的な価値を生み出しているのか。初学者にも理解しやすいかたちで、具体的な事例とともに、その意義と課題を丁寧に紐解いていきます。
地域コミュニティとは何か
「地域コミュニティ」という語は、日常生活において広く使われる言葉の一つですが、その意味内容は文脈や立場によって多様に解釈されており、必ずしも明確に定義されているとは言い難い概念です。一般的には、「一定の地理的範囲に暮らす人々による、相互のつながりや関係性を基盤とした集団」として理解されることが多いものの、現代社会においてはそれだけでは捉えきれない広がりを見せています。
地域コミュニティは、以下のような複数の類型に分類して考えることができます。
• 地縁型コミュニティ:これは、ある特定の地域、たとえば町内会や自治会、あるいは小学校区や行政区といった単位で形成される、地理的近接性に基づいた人々のつながりを指します。このタイプのコミュニティは、日常的な顔の見える関係性や、助け合いの文化、地域行事を通じた結びつきなどが特徴とされます。
• テーマ型コミュニティ(関心型コミュニティ):こちらは、地理的な場所にかかわらず、特定の関心や趣味、あるいは課題意識を共有する人々によって構成されるコミュニティです。例としては、郷土史に関心のある市民グループや、特定の文化活動を行うサークル、環境保全に取り組むボランティア団体などが挙げられます。インターネットやSNSの発展により、こうしたテーマ型のつながりは地域の内外を超えて広がりを持つようになっています。
• 機能型コミュニティ(目的型コミュニティ):社会的な課題の解決や特定の支援活動を目的とする組織的な団体、すなわちNPO(非営利団体)、福祉団体、町づくり協議会などが該当します。これらは地域社会の課題に対して積極的に関与し、専門性や組織力を活かして公益的な活動を展開している点に特徴があります。
ミュージアムが関与する「地域コミュニティ」もまた、これらの複数の類型にまたがる場合が少なくありません。伝統的には、施設の立地する地域に住む住民や学校、自治体といった「地縁型」の関係性が中心でしたが、近年ではそれにとどまらず、より多様な背景を持つ人々との連携が進められています。
たとえば、多文化共生を推進する団体、外国にルーツを持つ住民のネットワーク、高齢者の生活支援を行う福祉団体、障がいのある方の自立を支援するグループ、子育て世代の交流を促進する子育てサロンなど、地域には実にさまざまなコミュニティが存在しています。ミュージアムがこれらの多様な主体と関係性を築くことは、地域における包摂性の向上や文化的な多様性の可視化、さらには住民一人ひとりのエンパワーメント(自立と主体性の促進)にもつながる重要な営みといえるでしょう(Crooke, 2008)1。
また、コミュニティは固定的なものではなく、社会や人間関係の変化とともに再構築され続ける動的な存在であることにも留意が必要です。その意味で、ミュージアムが地域コミュニティと連携するということは、単に既存の住民グループと接点を持つということにとどまらず、変化し続ける社会の中で新たなつながりを模索し、創出していくことでもあるのです。
なぜミュージアムが地域と連携するのか
前節では、「地域コミュニティ」という概念が、地理的なつながりのみならず、関心や目的を共有する多様な人々の集まりを含むものであることを確認しました。そして現代のミュージアムは、まさにそうした多層的な地域コミュニティと関係を築きながら、社会の中で新たな役割を果たそうとしています。
従来、ミュージアムは「資料の収集・保存・研究・展示」という四つの基本的機能を中心に、その存在意義を位置づけられてきました。これらの機能は、学術的・文化的知見を蓄積し、次世代へと伝えていくという重要な使命を担うものです。しかし21世紀に入って以降、国内外のミュージアム界では、そうした専門的機能に加えて、より広範な社会的責任や公共的役割が強く意識されるようになっています。
その背景には、以下のような複合的な社会課題の進行があります。
• 地域における高齢化と人口減少の進行
とくに地方部では、急速な高齢化と若年層の流出により、地域の担い手が減少し、従来のコミュニティ機能が弱体化しつつあります。こうした状況の中で、文化施設としてのミュージアムが、地域における人と人とのつながりを再構築する「場」として注目されています。
• 公共サービスの縮小と文化予算の削減
自治体財政の逼迫により、図書館や公民館、福祉施設など地域のインフラが縮小される中、ミュージアムもまた存続の正当性を社会に対して明示することが求められるようになっています。そのためには、単なる展示の場にとどまらず、地域福祉や教育、まちづくりと連携した多機能な活動を展開する必要があります。
• 地域の記憶と文化的継承に対する危機意識の高まり
経済優先のまちづくりや都市再開発の波の中で、地域独自の歴史や風習、暮らしの知恵が急速に失われつつあります。こうした「地域の記憶」を記録し、次代に伝える役割を果たせる存在として、ミュージアムの価値が再評価されています。
• 多文化・多世代共生の時代における文化的対話の必要性
グローバル化と人口の多様化が進むなかで、異なる背景を持つ人々が共に生きる社会が現実のものとなっています。そのような社会において、ミュージアムは文化や価値観の違いを尊重し合うための「対話の空間」として、大きな可能性を秘めています。
このような複雑かつ重層的な課題に対応するために、ミュージアムはもはや閉じられた専門機関ではなく、社会のさまざまな層に開かれた「共創と共感の場」として、その姿を変えつつあるのです。Morse & Munro(2015)は、地域の福祉や医療、教育といった他分野と連携しながら活動を展開するイギリスの地域ミュージアムの事例を通じて、ミュージアムが「ケア」の実践の場となり得ることを指摘しています2。
つまり今日のミュージアムには、「知識を蓄積・発信する場」という本来的機能に加えて、「地域住民が集い、学び合い、相互理解を深める場」としての機能が強く求められているのです。そしてそのような機能は、単に展示の工夫によって達成されるのではなく、地域の人々との関係性そのものを丁寧に築き上げていくことによって、はじめて実現可能となるものです。
このような視点に立つとき、ミュージアムは、過去を記録するだけでなく、現在の地域社会をともに形づくっていくための重要な協働のパートナーとして、新たな意義を帯びていると言えるでしょう。
地域との連携事例
前節では、ミュージアムが現代社会において求められている新たな役割、すなわち「地域社会との協働による課題解決や文化創造の担い手」としての姿について概観しました。では、実際の現場ではミュージアムがどのように地域と関係を築き、具体的な連携を進めているのでしょうか。本節では、その具体的な取り組みを事例に基づいて紹介し、ミュージアムが社会に果たし得る可能性をより立体的に捉えていきます。
事例①:記憶をつなぐ展示づくり──世代間対話による地域の記録化
ある地方都市に位置する歴史資料館では、高齢の地域住民に昔の暮らしや出来事について語ってもらい、その証言をもとに若者たちが展示コンテンツを構成するというユニークなプロジェクトが実施されました。取り組みの過程では、単なる情報の収集にとどまらず、インタビューや写真整理、映像制作といったプロセスを通じて、世代間の直接的な交流と相互理解が深まりました(Morse & Munro, 2015)3。
この事例が示唆するのは、高齢者の人生経験が地域の貴重な文化資源として認識され、それが展示という可視化された形で共有されることで、「地域の記憶」が公的な知として編み直されるという点です。こうしたプロジェクトは、ミュージアムが地域社会の中で果たし得る「記憶の継承者」としての機能を強く示すものであり、同時に若年層にとっても地域に対する理解と関心を深める契機となっています。
事例②:環境教育と地域住民の協働──水資源をめぐる対話の場としての博物館
オーストラリアでは、国立博物館と自然環境行政機関が連携し、「水と人間の暮らし」に関する環境教育プログラムを展開しました。これは、2002年に始まった「マレー=ダーリング・アウトリーチ・プロジェクト(MDOP)」と呼ばれる取り組みで、地域住民と協働して展示・ワークショップ・デジタルコンテンツの共同制作が行われたものです(Lane et al., 2007)4。
このプロジェクトでは、住民自身の語りや表現を重視し、地域の水資源に関する知識や経験を共有するための場が設けられました。特に注目すべき点は、ミュージアムが行政と住民をつなぐ中間支援的な役割を果たしたことにあります。環境問題という一見専門的なテーマに対し、文化施設であるミュージアムが関与することで、地域の人々が自らの生活に引き寄せながら問題を考える機会が生まれました。
このような事例は、ミュージアムが単なる展示の場ではなく、社会的対話と協働の場として機能する可能性を示すものであり、現代の地域課題に対応する新たなモデルケースの一つといえるでしょう。
事例③:多文化社会における展示の共創──包摂性を高める実践としての参加型展示
近年、移民や難民を含む多様な文化的背景を持つ人々が生活する都市部では、ミュージアムがその多様性を尊重し、反映する展示を住民とともに企画・制作する取り組みが増えています。その好例のひとつが、スウェーデンにあるSkokloster城博物館で行われた展示事業です。ここでは、来館者の多様な文化的・言語的背景を考慮した展示づくりが行われ、地域住民との対話の中からテーマが設定されるなど、展示制作のプロセス自体に包摂的なアプローチが取り入れられました(Gradén & O’Dell, 2017)5。
このような参加型展示は、単に異文化を「紹介する」ことにとどまらず、地域社会において歴史や文化の「共創者」として住民が能動的に関与できるよう設計されている点が特徴です。移民・難民の人々にとっても、自らの経験や価値観がミュージアムで扱われることは、社会的承認やアイデンティティの再構築につながります。また、既存の住民にとっても、他者理解の契機となり、共生社会への一歩を築くきっかけともなり得ます。
このような事例は、ミュージアムが「文化を保存する場所」から「文化を共につくる場」へと変容していることを如実に物語っています。
地域連携のために必要な視点
これまでの事例からも明らかになったように、ミュージアムが地域社会と連携していくことは、単にイベントや展示を共同で実施するという表面的な協力関係にとどまらず、地域住民の生活や価値観と深く関わり合いながら、新たな社会的・文化的価値をともに創出していく営みでもあります。そのためには、ミュージアム側が自らの専門性や制度的枠組みに依存しすぎず、地域の多様性や動的な変化に柔軟に対応していく姿勢が求められます(Crooke, 2008)6。
特に近年の社会状況をふまえると、ミュージアムにとって「地域とつながること」は単なるオプションではなく、文化施設としての社会的な正当性や持続可能性を確保するための根本的な戦略であるとも言えるでしょう。したがって、地域との連携を深めるにあたっては、以下に示す三つの視点を重視することが重要です。
住民の声に耳を傾ける姿勢
地域連携の出発点としてもっとも基本的な姿勢は、地域住民の声に真摯に耳を傾けることです。Crooke(2008)は、ミュージアムとコミュニティの関係をめぐる言説がしばしば「善きもの」として語られることに警鐘を鳴らし、その背後にある権力関係や不均衡な立場性を可視化する必要があると述べています7。ミュージアムは、専門知を持つ「語る側」ではなく、地域の「語り」に耳を傾け、ともに学ぶ存在であるべきです。
協働のプロセスを重視すること
地域との関係構築においては、成果物の質よりも、いかにして「ともに考え、行動したか」というプロセスにこそ本質的な価値があります。Gradén & O’Dell(2017)は、ミュージアムが地域に根ざした文化的実践と連携しながら柔軟な展示手法を採ることが、観光と地元住民双方にとって意義ある文化体験を生むと指摘しています8。このような協働的実践は、ミュージアムのブランディングや経済的価値だけでなく、地域社会に対する共感と信頼をも育む重要な手段といえるでしょう。
継続的な関係構築を図ること
ミュージアムと地域の関係は、一過性のイベントでは成立しません。Born(2006)は、カナダにおけるコミュニティ協働の実践例を通じて、共通の課題に向けた連携によって「社会関係資本(social capital)」が創出されることを強調しています9。信頼は一朝一夕に得られるものではなく、繰り返される協働や対話の中で徐々に築かれていくものであり、ミュージアムにはそれを支える持続的な組織姿勢が求められます。
このように、「住民の声に耳を傾ける」「協働のプロセスを重視する」「継続的な関係構築を図る」という三つの視点は、ミュージアムが地域と真に連携し、社会的価値を創出するための基本的かつ本質的な考え方です。
おわりに――地域とともにあるミュージアムを目指して
本稿で見てきたように、現代のミュージアムはもはや単なる文化財や資料を保存・展示する施設ではありません。その存在は、地域社会に根ざし、人と人、人と地域、さらには過去と現在、ローカルとグローバルをつなぐ「文化の交差点」として、多面的な役割を果たすことが期待されています。
高齢化や人口減少、社会的孤立、多文化共生といった課題が顕在化する中で、ミュージアムが果たしうる貢献は、従来の専門性の範囲を超えて、福祉、教育、まちづくり、さらには環境保全といった幅広い領域へと広がりを見せています。そうした中で重要なのは、ミュージアムが一方的に地域に「サービスを提供する存在」となるのではなく、地域の多様な主体とともに「共に学び、共に創る場」として機能することです。
こうした公共的役割の発展は、単なる一機関の取り組みにとどまらず、地域文化政策の根幹を成す要素として今後ますます重要性を増していくことでしょう。ミュージアムがその可能性を十全に発揮するためには、地域住民の声に丁寧に耳を傾け、協働のプロセスを大切にしながら、時間をかけて信頼と関係性を築いていく姿勢が不可欠です。
文化施設としての専門性と公共性を両立させながら、地域とともに歩むミュージアムのあり方を模索すること。それは、社会の変化に応答しながらも、人間らしいつながりや記憶、知の蓄積を大切にする、これからの時代の文化の基盤を築く営みに他なりません。
地域の未来をかたちづくるために、ミュージアムが果たす役割はこれからも問われ続けるでしょう。そしてその問いに対する答えは、地域の人びととともに歩む実践の中にこそ、見出されていくはずです。
参考文献
- Crooke, E. (2008). Museums and Community: Ideas, Issues and Challenges. Routledge. ↩︎
- Morse, N., & Munro, E. (2015). Museums’ Community Engagement Schemes, Austerity and Practices of Care in Two Local Museum Services. Social & Cultural Geography, 18(10), 1250–1271. https://doi.org/10.1080/14649365.2015.1089583 ↩︎
- Morse, N., & Munro, E. (2015). Museums’ Community Engagement Schemes, Austerity and Practices of Care in Two Local Museum Services. Social & Cultural Geography, 18(10), 1250–1271. https://doi.org/10.1080/14649365.2015.1089583 ↩︎
- Lane, R., Vanclay, F., Wills, J., & Lucas, D. (2007). Museum Outreach Programs to Promote Community Engagement in Local Environmental Issues. The Australian Journal of Public Administration, 66(2), 159–174. https://doi.org/10.1111/j.1467-8500.2007.00525.x ↩︎
- Gradén, L., & O’Dell, T. (2017). Museums and Heritage Collections in the Cultural Economy: The Challenge of Addressing Wider Audiences and Local Communities. Museum International, 68(271–272), 48–59. https://doi.org/10.1111/muse.12135 ↩︎
- Crooke, E. (2008). Museums and Community: Ideas, Issues and Challenges. Routledge. ↩︎
- Crooke, E. (2008). Museums and Community: Ideas, Issues and Challenges. Routledge. ↩︎
- Gradén, L., & O’Dell, T. (2017). Museums and Heritage Collections in the Cultural Economy: The Challenge of Addressing Wider Audiences and Local Communities. Museum International, 68(271–272), 48–59. https://doi.org/10.1111/muse.12135 ↩︎
- Born, P. (2006). Community Collaboration. Journal of Museum Education, 31(1), 7–13. https://doi.org/10.1080/10598650.2006.11510525 ↩︎