ミュージアムとは、誰のために、何のために存在しているのでしょうか。この問いは決して現代特有のものではなく、その起源は18世紀ヨーロッパにおける激動の歴史と深く結びついています。
18世紀は、政治・経済・思想において大きな転換が重なり合った、きわめてダイナミックな時代でした。啓蒙思想の広がりは「理性」と「知識」の価値を高め、市民という新たな主体の誕生を後押ししました。中でも1789年のフランス革命は、王権に象徴される古い秩序を崩すだけでなく、芸術や文化資源のあり方をも大きく変える契機となりました。
その象徴的な出来事が、王室の宮殿であったルーヴルが「国民のための博物館」として開かれたことです。ここには、単なる所有から「共有」への価値転換がありました。ミュージアムは、一部の特権階級のための空間から、広く市民に開かれた公共の教育・啓発の場へと変貌を遂げたのです。
このような変化は、フランスに限られた現象ではありません。ローマでは貴族の邸宅に蓄積された美術品コレクションが、しだいに公開性を帯びるようになり、ドイツ語圏では「見るミュージアム」だけでなく「読むミュージアム」としての機能が発達していきました。紙面や出版文化を通じて、観覧体験や美術教育が広がっていく様子は、知の民主化という観点からも注目に値します。
本稿では、こうした18世紀におけるミュージアムの成立とその社会的・文化的役割を、当時のフランス、ローマ、ドイツを中心とした具体的事例に基づいて紐解いていきます。そしてその過程で育まれていった「展示」「保存」「教育」といった概念が、今日のミュージアムマネジメントにおいていかに引き継がれ、再構成されているのかを明らかにすることを目指します。
なぜ今、18世紀を振り返る必要があるのでしょうか。それは、現代のミュージアムが直面する数々の課題――公共性の再定義、持続可能な運営、市民参加、地域との関係構築など――の根底に、すでに18世紀的思考が横たわっているからです。歴史を知ることは、未来の方向性を考えるうえで不可欠な作業です。マネジメントという視点から過去を見つめることで、今私たちが築こうとしている「これからのミュージアム」の輪郭が、より鮮やかに浮かび上がってくることでしょう。
ルーブル美術館の起源と18世紀の美術館の発展
18世紀末、フランスにおいて勃発した革命は、王政の崩壊と共和制の成立という政治的転換点であると同時に、文化制度においても極めて象徴的かつ実質的な変革をもたらしました。とりわけ注目すべきは、1793年に一般公開を開始した「ルーヴル美術館(Muséum central des arts)」の設立です。これは、かつて王侯貴族の居城であったルーヴル宮殿が、「すべての市民が芸術と出会い、知を深めるための空間」へと転換された出来事であり、近代的な公共ミュージアムの誕生を告げる画期的な出来事でした(Boylan, 1992)1。
この変化は、単なる建物の転用や展示物の再配置といった表層的な変化にとどまりません。革命政府は、美術品や文化財を「国民の共有財産」と位置づけ、これまで王室や教会の私有財産として管理されていた膨大なコレクションを没収・収蔵し、それらを国家の保護のもとに置くという文化政策を打ち出しました。この考え方の背景には、「芸術はすべての市民のものであるべきだ」という啓蒙思想の影響が色濃く見てとれます。
実際、1790年代のフランスでは、文化財の保護・収集・展示・管理に関する詳細な政策文書や行政命令が相次いで発表されました。とりわけ重要なのは、これらの政策が後世のミュージアムマネジメントにおいて中核となる理念――すなわち「保存(conservation)」「教育(instruction)」「公開(accès public)」――を初めて明確に体系化した点にあります(Deloche & Leniard, 1989)2。これは、芸術作品を単なる鑑賞対象としてではなく、教育的・社会的な価値をもつ公共資源として再定義する動きであり、今日のミュージアムが果たすべき役割の原型といえるでしょう。
また、この時期には、展示手法やコレクションの分類方法、保存技術に関しても、従来の経験則的な対応から一歩進み、制度的・科学的に裏打ちされた体系的なアプローチが模索されるようになります。たとえば、作品の目録化や定期的な点検、温度や湿度管理など、今日では常識とされる管理手法の萌芽は、すでにこの革命期に見出すことができます。特に医師であり解剖学者でもあったフェリックス・ヴィック・ダジール(Félix Vicq d’Azyr)による提言は、後の保存学の基盤形成に大きな影響を与えたとされています(Boylan, 1992)3。
こうした制度的な整備の背後には、「国家が文化資源を管理し、公共の利益のために活用する」という新たなガバナンス思想の成立があります。つまり、ルーヴル美術館の誕生は、単なる建築的・文化的な出来事ではなく、「文化の公有化」という、極めて政治的かつ社会的な決断だったのです。
このように、革命期フランスは、近代的ミュージアム制度の基礎を形づくるうえで決定的な役割を果たしました。制度としてのミュージアムは、この時代に初めて「マネジメントされる対象」として意識されるようになり、それは今に至るまで続く文化運営の根本理念へとつながっていきます。
ローマにおける貴族コレクションと公共性の揺らぎ
フランス革命を契機に文化資産の「国有化」と「公開化」が急速に進んだフランスとは対照的に、18世紀のローマでは、ミュージアムという概念はまだ制度として明確に定義されていたわけではありませんでした。しかし、それでもなお、ローマにおいてもまた、後の公共ミュージアム制度の原型となるような空間と実践が、特定の階層のあいだで密かに育まれていたことは見逃せません。
この時代のローマでは、芸術作品や古代遺物の収集が、特に上流階級のあいだで大きな関心を集めていました。枢機卿、貴族、知識人、法王庁関係者といった社会的エリートたちは、それぞれの邸宅や別邸に絢爛なギャラリーやカメラ(収蔵室)を設け、彫刻や絵画、古銭、装飾工芸品、古代の石碑や遺物などを蒐集・展示していました。これらの空間は、まさに「私的ミュージアム」とも呼べるものであり、コレクションの質と量は国際的にも高い評価を受けるものでした(Clark, 1966)4。
しかし重要なのは、これらの空間が単に「個人の趣味」や「ステータスの誇示」にとどまらなかった点です。訪問はあくまで限定的ではあるものの、選ばれた学者、外交官、旅行者、あるいは他国の王侯貴族たちに対しては、ある種の知的・審美的体験の場として開かれていました。こうしたコレクションは、同時代のグランドツアー(若い貴族や知識人がイタリアやフランスを巡る文化教養旅行)の目的地にも組み込まれ、「観る価値のある空間」としてすでに国際的な認知を得ていたのです。
このような状況のなかで、展示空間の構成、作品の配置、目録の作成、ガイドによる解説といった「展示の制度化」と呼べる実践が少しずつ浸透していきました。特に目録(カタログ)の作成は、作品の分類と情報整理という観点から、後のミュージアム学的思考の基盤を形づくる役割を果たしており、単なる所有から「知識の共有」への第一歩と見ることができます。
もっとも、これらの空間は依然として私的所有の枠組みのなかにあり、広く市民に開かれた「公共ミュージアム」とはまだ呼べるものではありませんでした。しかしながら、文化資産を特権的な閉鎖空間から、選ばれた他者へと見せるという行為そのものが、「公共性」の萌芽として極めて重要です。そこには、「芸術は見せるためのもの」という近代的発想が、すでに輪郭を帯び始めていたのです。
こうして、18世紀ローマにおける貴族コレクションの実践は、公共ミュージアム制度が確立する以前の「前段階」として、また文化的公共性という概念が揺れ動きながら生成されていくプロセスとして理解することができます。フランスのような国家的制度化の動きとは異なるものの、「ミュージアム的なるもの」がローマでもまた、別のかたちで根を張りはじめていたことは明白です。
ドイツ語圏における「理論的ミュージアム体験」
フランスにおける国家主導の制度化、ローマにおける貴族主導の限定的公共性──18世紀ヨーロッパの各地では、それぞれに固有の文脈のもとでミュージアム的空間が育まれていきました。しかし、そうした潮流とはやや異なるかたちで「ミュージアム的思考」が展開されていた地域がもう一つ存在します。それが、ドイツ語圏における知的・文化的動態です。
18世紀のドイツでは、近代的な意味での公共ミュージアムの制度化は、フランスやイタリアに比べて明らかに遅れをとっていました。実際、ドイツ語圏の諸都市において、コレクションの大部分は依然として個人所有のままであり、邸宅や修道院、学術機関の一部に収蔵されていました。それらの空間は原則として一般公開されることは少なく、訪問できるのは学者、芸術家、旅行者など、限られた人々にとどまっていたのが実情です(Schellenberg, 2012)5。
しかし、この地域において注目すべきは、そうした「見ることができない」ミュージアムに対して、別の方法で接近しようとする文化的実践が豊かに発達していた点です。それが、いわば「理論的ミュージアム体験」、すなわち「テクストによる観覧体験」の構築です。
ドイツ語圏では、18世紀後半になると、旅行記、芸術論、随筆、文学作品などを通じて、美術館やコレクションの描写が盛んに記録・出版されるようになります。こうした文献は、遠方の観覧者が実物に接することなく、あたかもその場にいるかのような擬似的体験を得ることを可能にしました。読者は、文章を通して展示室を「歩き」、収蔵品を「見上げ」、時に著者とともに驚嘆や省察を共有することができたのです。
このように、ミュージアムは単に「物を陳列する場」であるだけでなく、「語られ、記述され、読まれる場」としても機能していました。ミュージアムの経験が視覚的現前ではなく、言語的メディアによって仲介されていたという点において、これは非常にユニークな文化現象といえます。
Schellenberg(2012)はこの現象を、「ディスクールとしてのミュージアム(discursive museum)」と捉えています。つまり、空間としての美術館がまだ制度的に確立していない状況下において、ミュージアム的経験は「語り」によって代替・補完され、さらには拡張されていたというのです。特に雑誌や紀行文においては、コレクションを訪ね歩く旅人の視点が第一人称で語られ、読者はその視線を追体験するかたちで、美術品や展示空間と出会うことができました。
この「テクスト化された観覧体験」は、やがて19世紀におけるミュージアムの教育機能の制度化へと接続していきます。実際、読書という行為を通じて形成された「学ぶためのミュージアム」という観念は、のちの公共教育政策と博物館建設の思想的基盤となっていきます。見ることよりも「知ること」が先行したドイツ的文脈は、ミュージアムの機能を感性的な享受の場から、知的・倫理的な学習の場へと拡張するうえで、極めて大きな意義を持っていたといえるでしょう。
したがって、18世紀ドイツにおけるミュージアムの特質は、制度や建築としての「不在」ではなく、「理論」と「記述」による独自の存在感の顕現だったと見るべきです。それは、物理的な空間の整備とは異なるベクトルで、知の公共性を構想しようとした、もう一つのミュージアムのかたちだったのです。
多様性と混沌のなかにあったロマン主義時代のミュージアム
18世紀ドイツ語圏における「読むミュージアム」が言説空間としての特質を発展させていく一方で、18世紀後半から19世紀初頭にかけて、イギリスやフランスでは、また異なる方向性をもったミュージアムの形が現れ始めます。それは、制度的な整合性や啓蒙的な秩序を志向するよりも、むしろ感覚や感情、驚き、好奇心といったロマン主義的価値に根差した展示空間の出現でした。
この時期のミュージアムは、一見すると分類の混在、展示の錯綜、そして理性による把握を超えた要素に満ちていました。解剖学的標本と装飾品、鉱物、昆虫、民族誌資料、宗教的遺物などが一堂に並べられ、観覧者はそこに明確な分類原理を見出すことよりも、むしろ「驚異」や「想像力」を刺激されるような体験を求められたのです。これは、前世紀の「驚異の部屋(Wunderkammer)」の精神が、近代的展示形式に混入したかのような状態ともいえるでしょう(Thomas, 2016)6。
たとえば、イギリス・ロンドンにあったRackstrow’s Museumでは、鯨の骨格標本、人体解剖模型、魚類のホルマリン漬け、貝殻のコレクションなどが同じ空間に展示されていました。これらは決して整理された学問的分類に基づくものではなく、むしろ展示全体がある種の「視覚的衝撃」として構成されていたのです。そこには、「理性に基づく秩序化された世界観」とは異なる、「混沌のなかに潜む真実」への感受性が宿っていました。
このようなロマン主義的ミュージアムにおいては、「美しいもの」「高尚なもの」だけが収蔵されるのではなく、むしろ「異様なもの」「不気味なもの」「日常では出会わないもの」に対する強い関心が見られます。知識は体系的に分類・整理される対象ではなく、むしろ断片的で、しばしば不完全なまま提示され、それを前にした観覧者の感情的・想像的反応そのものが重視されたのです。
また、この時代のミュージアム空間は、訪問者に一方的な知識を伝達する場ではなく、鑑賞者が「意味を生成する場」として機能していました。つまり、展示の意味は固定されず、あいまいで流動的であり、その不確かさこそが人々の創造力を喚起したのです。そうした展示空間の在り方は、知を「整える」ためのミュージアムとは異なる、知を「問い直す」ためのミュージアムの萌芽とも言えるでしょう。
このような多様性と混沌が併存する空間において、観覧者の主観や感情、そして直観が展示解釈の中心に据えられることは、19世紀以降に展開される「ミュージアムと感性」「展示と物語性」といったテーマにも連なっていきます。
ロマン主義的ミュージアムの系譜は、今日においても、「分類」よりも「体験」を、「教育」よりも「驚き」を、「秩序」よりも「逸脱」を重視する展示演出やキュレーションに影響を与え続けています。18世紀末から19世紀初頭のこの過渡的かつ挑発的な展示文化は、ミュージアムという制度が内包しうる多義性と柔軟性、そして想像力の空間としての可能性を、改めて私たちに思い出させてくれるのです。
まとめ:18世紀ミュージアムがもたらしたもの
18世紀という時代は、ミュージアムが「王の財産」から「市民の学び舎」へと変貌を遂げた、決定的な転換点でした。フランス革命をはじめとする政治的激動、啓蒙思想に支えられた理性と教育の重視、そしてロマン主義的感性の台頭といった複数の潮流が、相互に影響を及ぼしながら、現在私たちが享受する「公共ミュージアム」という制度の基盤を形づくっていきました。
この過程で確立されたのは、単に「美術品を公開する」という行為ではなく、ミュージアムを社会の構成要素として位置づけるための制度的、倫理的、そして実務的な基礎でした。たとえば、収蔵品の目録化、保存管理、展示計画の立案、教育プログラムの導入、さらには入館の公平性を担保するための運営体制の整備など、今日のミュージアムマネジメントに不可欠な諸要素は、すでにこの時代に萌芽を見せていたのです。
特に重要なのは、「保存(conservation)」「教育(instruction)」「公開(accès public)」という三つの基本理念が、この時期に初めて制度的に統合され、文化施設としてのミュージアムに求められる責任の枠組みが明示されたことです。これらの理念は、現代においてもミュージアム運営の根幹を成し、キュレーション戦略、教育普及活動、アクセシビリティ対応、施設管理、組織ガバナンスといった実務面に直結しています。
また、18世紀の各地域に見られた多様な展開――フランスにおける国家主導の制度化、ローマにおける貴族的コレクションの展示慣行、ドイツ語圏での言説空間としての展開、そしてロマン主義的感性がもたらした混沌と驚異の展示スタイル――はいずれも、今日のミュージアムが抱える課題と通底しています。たとえば、展示内容の多様化と同時に求められる説明責任、知的秩序と感性刺激のバランス、限られたリソースの中で公共性をどう担保するかといった問題は、まさに18世紀のミュージアム創出の過程で繰り返し問われてきたテーマでもありました。
現代のミュージアムマネジメントは、これら歴史的遺産の上に築かれており、そこに立ち返ることは、単なる過去の参照ではなく、未来の可能性を拓くための実践的知見となり得ます。観覧者の行動変容、デジタル技術の進展、多様性・包摂性への対応といった今日的課題に取り組む際も、18世紀的ミュージアムの精神――知の共有、驚きの演出、社会との関係性構築――は多くのヒントを提供してくれるでしょう。
したがって、18世紀ミュージアムを歴史的事象として眺めるだけではなく、そこに込められた運営理念や空間の思想を「今日の課題」に重ねて読み直すことは、極めて意義深い作業です。制度、実践、文化的価値観が混ざり合うこの時代に光を当てることは、ミュージアムを単なる「文化施設」ではなく、「社会を映し、未来を方向づける装置」として再定義するうえで、不可欠な視座を提供してくれるのです。
参考文献
- Boylan, P. J. (1992). Revolutionary France and the foundation of modern museum management and curatorial practice. Museum Management and Curatorship, 11(2), 141–152. http://dx.doi.org/10.1080/09647779209515307 ↩︎
- Deloche, B., & Leniaud, J.-M. (Eds.). (1989). La culture des sans-culottes: Le premier dossier du patrimoine, 1789–1799. Éditions du Comité des travaux historiques et scientifiques. ↩︎
- Boylan, P. J. (1992). Revolutionary France and the foundation of modern museum management and curatorial practice. Museum Management and Curatorship, 11(2), 141–152. http://dx.doi.org/10.1080/09647779209515307 ↩︎
- Clark, A. M. (1966). The development of the collections and museums of 18th century Rome. Art Journal, 26(2), 136–143. http://dx.doi.org/10.1080/00043249.1967.10794121 ↩︎
- Schellenberg, R. (2012). Moving toward the museum in 18th-century Germany. Material Culture Review, 74–75, 47–56. http://id.erudit.org/iderudit/mcr74_75art03 ↩︎
- Thomas, S. (2016). Collection, exhibition and evolution: The Romantic museum. Literature Compass, 13(10), 681–690. http://dx.doi.org/10.1111/lic3.12345 ↩︎