序章:制度としてのミュージアムの誕生
18世紀という転換期において、ミュージアムは王室の財産から市民の学び舎へと姿を変え、公共性と教育的使命を帯びた空間としてその輪郭を現し始めました。その詳細については、「革命と知の殿堂:18世紀におけるミュージアムの成り立ちと役割」で確認した通りです。しかしながら、19世紀に入ると、ミュージアムはさらに一歩進んだ段階へと突入します。そこでは、ミュージアムがより組織的に、制度的に、そして社会的機能を持つ存在として確立されていく姿を見ることができます。
この時代、ミュージアムはもはや一部の知識人や王侯貴族の趣味的空間ではなく、国家の文化政策の一環として正式に制度化され、広範な市民層を対象とする「公共機関」へと変貌を遂げていきました。フランス、イギリス、ドイツ、アメリカをはじめとする近代国家は、それぞれの政治的・社会的文脈の中で、ミュージアムを「国民教育」「文化統合」「ナショナル・アイデンティティの形成」といった課題を担わせる装置として機能させ始めたのです(Allam & Yulianto, 2019)1。
そして、この19世紀の制度化の過程において注目すべきなのは、ミュージアムが単なる展示の場ではなく、マネジメントされるべき組織体として意識されるようになった点です。展示空間の構築、収蔵品の管理、財政の確保、専門職の導入といった諸側面が組織的に整備され、ミュージアムは徐々に「運営される文化装置」としての性格を強めていきました。そこでは単に芸術や歴史を「見せる」こと以上に、どのように運営するか、いかにして社会的意義を高めるかといった、まさに今日の「博物館経営論」とも通じる課題がすでに顕在化していたのです。
本稿では、こうした19世紀のミュージアムの制度的進展と社会的機能の拡張に注目しつつ、特にその運営・管理面に焦点を当てて、どのような「経営的視点」が芽生え、いかに現代に通じる理念や制度が形成されていったのかを明らかにしていきます。キュレーターという新たな専門職の誕生、収蔵方針の策定、教育機関としての役割の強化、さらには国家とミュージアムの関係性の変化など、さまざまな側面から19世紀という時代のミュージアムの多面的な進化を読み解いていくことが本稿の目的です。
言い換えれば、18世紀がミュージアムの「理念の発芽」であったとすれば、19世紀はその理念が制度として根を張り、社会における具体的な機能と責任を獲得していく過程だったといえるでしょう。ミュージアムが「制度」であり、同時に「経営の対象」であるという視点は、現代の私たちにとっても極めて示唆的です。本章を通じて、その原点を19世紀の実践と思想に探っていきましょう。
ミュージアムは帝国の鏡:収蔵と展示による支配の可視化
制度としてのミュージアムが19世紀に確立されていく中で、これらの文化施設は単なる知識の蓄積や美術品の展示空間という役割を超えて、より深い社会的・政治的意味を帯びるようになっていきました。特に注目すべきは、ミュージアムが帝国主義のイデオロギーを可視化する装置として機能していたという点です。
19世紀は、ヨーロッパ諸国が世界各地に植民地を拡大し、資源や労働力だけでなく、多様な文化・物品・自然標本を「収集」していた時代です。このような収集活動は単なる学術的探求ではなく、帝国主義的支配の一環として位置づけられていました。ヨーロッパ諸国の主要なミュージアム、たとえば大英博物館(British Museum)やパリの国立自然史博物館(Muséum national d’Histoire naturelle)などは、そうした植民地的収奪の成果を展示する場であり、それ自体が帝国の威信と支配力を象徴するものでした。
特に自然史、地質学、民族誌といった学問分野に関連する展示は、人類が自然や異文化を観察し、分類し、理解し、ひいては「制御することができる」という科学的優位性の理念を観覧者に示す役割を果たしていました。動物の標本、鉱物のサンプル、植民地の民族衣装や宗教的遺物といった展示物は、「知らないものを知る」「異質なものを身近にする」という教育的機能を装いつつ、実際には「帝国による支配の正当化と再生産」に寄与していたのです(Allam & Yulianto, 2019)2。
このようなミュージアム展示は、とりわけ都市部に住む労働者階級や新興中間層に向けて設計されていました。文字の読み書きが十分でない人々にとって、視覚的な情報は極めて効果的な教育手段であり、展示は一種の「視覚教材」として機能しました。たとえば、ロンドンのサウス・ケンジントン博物館(現ヴィクトリア&アルバート博物館)は、1851年のロンドン万博の成功を受けて設立されたものであり、産業技術と帝国の成果を展示し、市民教育を通じて「勤勉」「秩序」「国家への忠誠心」といった道徳的価値の普及を目指していました。
このように、19世紀のミュージアムは、表向きには公共教育と文化啓発の場として発展しましたが、実際には国家や帝国が自らの価値観と支配構造を可視化・内面化させるための「統治のメディア」としての性格を色濃く持っていました。収蔵・分類・展示という一見中立的な学術的行為も、実際には社会的・政治的文脈の中で編成されていたのです。
したがって、ミュージアムは単なる知識のアーカイブではなく、同時に「誰が世界を所有し、誰がそれを解釈するのか」という権力の問題に深く関わる場でもあったといえるでしょう。この視点は、現代においてもミュージアムのガバナンスや展示倫理を考える際に極めて重要な示唆を与えてくれます。
「第一のミュージアム革命」:キュレーターの誕生と専門職化
19世紀の終わり頃、ミュージアムは単なる展示の場ではなく、制度的・組織的な文化機関としての地位を確立しつつありました。この時期に登場したのが、キュレーター(curator)という専門職です。キュレーターは、収蔵品の意味を理解し、それらを適切に配置・解釈する責任を負う存在として、ミュージアムの知的中枢を担うようになりました。
この職能の誕生は、展示品の増加とともに複雑化したミュージアム運営の中で不可欠なものであり、単なる管理者ではなく、知識のキュレーションと社会への伝達を担うエージェントとして制度化されていきました。特にヨーロッパの多くのミュージアムでは、帝国主義の文脈と結びついたコレクションの解釈を通じて、キュレーターが国家的・文化的アイデンティティの再構成に寄与する場面が多く見られました。
このプロセスは、19世紀におけるミュージアム制度の確立と並行して進行したものであり、キュレーターという新たな職能が制度的に導入され、以後数十年にわたり博物館の運営を主導する存在となっていったと指摘されています(Allam & Yulianto, 2019)3。
キュレーターの制度化は、ミュージアムという機関の専門化と社会的正当性の強化に寄与しただけでなく、近代的な組織運営や人材マネジメントの始まりとも位置づけることができます。この点において、博物館経営論における「人材と専門性の確保」というテーマは、すでに19世紀から始まっていたと言えるでしょう。
博物館経営の視点:制度の確立と専門性の向上
19世紀におけるミュージアムの制度化は、単なる施設の拡充や収蔵品の増加にとどまらず、組織運営と人材管理の近代化という側面からも重要な意味を持っていました。この時期、ミュージアムは国家や地域社会の教育的・文化的基盤としての役割を担いながら、組織体としての構造を内包しはじめます。その過程で、現代の博物館経営論の基盤となる複数の要素が制度的に整備されていきました。
特に注目すべきは、以下のような経営的視点に基づく諸要素が明確に意識されるようになった点です。
• 収蔵方針の策定(collection policy):単なる収集から、体系的かつ理念に基づいた収蔵計画へと発展。何を、なぜ、どのように収蔵するのかという判断が、ミュージアムの社会的使命や対象観覧者層に応じて設計されていきました。
• 専門職制度の構築(curatorial system):キュレーターや教育普及員、保存修復担当など、役割分担に基づいた専門スタッフの配置が制度化され、館内の運営効率と専門性が大きく向上しました。
• 公共性とアクセスの拡大(public accessibility):入館料の調整、開館時間の延長、常設展と特別展のバランスなど、より多くの人々が訪れることのできる「開かれたミュージアム」が志向されるようになりました。
• 教育機能の強化(educational mission):来館者に向けた講義・展示解説・ワークショップなどの教育活動が制度化され、「見るだけの場所」から「学びの場」へとミュージアムの機能が拡張していきました。
これらの理念は、いずれも現代の博物館マネジメントに通じる重要な論点であり、19世紀という制度的確立期にその原型が形づくられたことは見逃せません。
その代表的な実践例のひとつが、スコットランドの科学者ジョージ・ウィルソン(George Wilson)によって設立された産業博物館(後のエディンバラ科学芸術博物館)です。彼は産業技術と科学教育の普及を目的とし、ミュージアムを通じて市民の職業訓練と生活改善を目指しました。特筆すべきは、その展示構成や収蔵物の選定に際して、あらかじめ明確なミッション・ステートメントが策定されていた点です。これは、経営理念に基づいた展示戦略と運営体制の先駆的な事例であり、19世紀における「ミュージアム経営思想」の成立を象徴するものといえるでしょう(Anderson, 1992)4。
また、大学附属ミュージアムにおいても、この時期から学術研究と教育活動の連携が意識されるようになり、大学制度の一部としてのミュージアムの役割が定義されていきました。とくにイギリスのオックスフォード大学、ケンブリッジ大学をはじめとする高等教育機関では、自然史、考古学、解剖学、美術史といった分野ごとに収蔵・展示施設が設置され、それが教育カリキュラムと統合されていったのです。大学博物館は、研究者や学生のための学習・実践の場であると同時に、市民に対して学術的知識を開示する社会的装置として機能しはじめました(Boylan, 1999)5。
このように、19世紀におけるミュージアムの制度化は、運営・管理という観点からも質的な飛躍を遂げた時代でした。組織構造の整備、職能の明確化、来館者対応の多様化、社会的使命の再定義といった課題は、すべて現代の博物館経営論においても継続的に問われているテーマです。19世紀の試みは、その多くが現在の制度と密接に結びついており、まさに今日のマネジメント的発想の原点であるといえるでしょう。
公共性と国家アイデンティティ:ナショナル・ミュージアムの戦略
19世紀におけるミュージアム制度の確立と専門職制度の発展は、ミュージアムを「内部から強化する」動きであったとすれば、それと並行して進行したもう一つの重要な潮流が、「外部への意味づけ」すなわち国家や社会における役割の再定義でした。その代表的な展開が、ナショナル・ミュージアムの設立と活用による国家的統合の試みです。
このような視点から、ミュージアムの制度化をめぐる動態を捉え直すとき、特に注目されるのが19世紀ヨーロッパにおけるナショナル・ミュージアムの戦略的運営です。近年の国際比較研究プロジェクト「Eunamus」による調査によれば、この時期、多くの国がミュージアムを通じて国民意識の形成と国家アイデンティティの可視化を試みていたことが明らかになっています(Aronsson & Elgenius, 2015)6。
ナショナル・ミュージアムは、単に美術品を保存・展示するための施設ではなく、「国家を語り、国家を感じさせる制度」として設計されていました。展示空間の構成、収蔵品の選定、常設展のナラティブはすべて、「国家とは何か」「我々はどこから来たのか」「この国はどのような価値を持つのか」といった問いに対する視覚的・空間的な応答として機能していたのです。
特に19世紀の中・後半に新たに建国された国々──たとえばイタリアやドイツなどの統一国家──では、過去の栄光や英雄的歴史、地域文化の多様性を統合的に展示することによって、分断された政治的・地理的領域に一貫した「国民の物語」を与えようとしました。ミュージアムはそのための文化的プラットフォームとして位置づけられ、展示を通して「われわれ」という共同体の輪郭が構築されていったのです。
また、西欧以外でも、帝国主義のもとで拡大した植民地を持つ国家では、ミュージアムは国内と国外の支配構造を正当化するための装置として利用されました。イギリスの大英博物館やフランスのギメ東洋美術館などに見られるように、異文化・異文明を収集・展示することによって、国家の知的優位性と文化的支配力を示す役割を果たしていました。つまり、ミュージアムは国家の外延的な境界をも「演出する」制度だったのです。
こうしたナショナル・ミュージアムの運営には、博物館経営の観点からも注目すべきポイントが多く存在します。第一に、それぞれの国家の政治体制や文化政策に応じて、ミュージアムのミッションや展示戦略が巧みに調整されていた点です。第二に、展示ナラティブと運営理念とが密接に連動しており、収蔵方針や教育方針が明確なアイデンティティ形成戦略に結びついていたという特徴があります。そして第三に、来館者層の特性に応じたアクセシビリティ設計や広報活動など、現代の「オーディエンス開発」に通じる手法がすでに模索されていた点も見逃せません。
したがって、ナショナル・ミュージアムは単なる文化施設ではなく、国家の理念と社会への関与を統合的に表現・体現するガバナンス装置であったといえるでしょう。博物館経営論においても、こうした歴史的機能と制度的背景を理解することは、公共性・中立性・価値の多元性といった現代の課題に向き合ううえで極めて重要です。
結論:19世紀ミュージアムの遺産と現代経営への示唆
19世紀は、ミュージアムという制度が社会の中で本格的に機能し始めた時代でした。それは、建築やコレクションといった目に見えるハード面の整備だけではなく、制度、組織、職能、そして社会との関係性というソフト面を含めた、総合的な制度化の時代であったと言えます。
この時代に確立されたミュージアムのあり方は、現代の博物館経営においてもなお参照すべきモデルを多数内包しており、以下のような視座を私たちに提供してくれます。
• 制度化と専門職の両立:収蔵・保存・展示・教育といった機能が明確に分化し、それぞれを担う専門職(キュレーター、保存科学者、教育普及員など)が制度として整備され始めたことにより、ミュージアムは高度に組織化された文化機関へと変貌しました。
• 社会的機能と教育的使命の共存:ミュージアムは単なる知識や美術品の保管庫ではなく、社会に対して啓発的・教育的な影響を与える場として、国家や自治体の文化政策の中で明確な役割を果たすようになりました。
• 公共性と政治性のバランス:誰もがアクセスできる「公共の文化施設」である一方で、国家のアイデンティティ形成や帝国主義的展示といった政治的側面も孕んでいたミュージアムの歴史は、今日の「中立性」や「包摂性」の議論とも深く結びついています。
• コレクションの倫理と戦略性:何を集め、どう見せるかという判断は、文化的責任と同時に戦略的判断でもありました。収蔵方針(コレクション・ポリシー)や展示構成には、明確な理念と目的が必要とされ、その判断には倫理性と公共性のバランスが問われていました。
こうした視点から見ると、19世紀のミュージアム制度は、現代における博物館マネジメントの出発点であるだけでなく、現在直面している課題への手がかりを多く含んでいることがわかります。たとえば、今日のミュージアムが取り組むべき課題──多様な来館者との関係づくり、歴史的コレクションの再解釈、デジタル化、サステナビリティ、コミュニティとの協働など──はいずれも、19世紀の制度化の過程で生まれた問いを現代的に言い換えたものだとも考えられます。
参考文献
- Allam, A. Z., & Yulianto, K. (2019). Museum management: A critical point in making museums relevant. In T. L. H. McCormack, C. M. R. Craven, & M. S. Sornarajah (Eds.), Culture and international law (pp. 383–401). CRC Press. ↩︎
- Allam, A. Z., & Yulianto, K. (2019). Museum management: A critical point in making museums relevant. In T. L. H. McCormack, C. M. R. Craven, & M. S. Sornarajah (Eds.), Culture and international law (pp. 383–401). CRC Press. ↩︎
- Allam, A. Z., & Yulianto, K. (2019). Museum management: A critical point in making museums relevant. In T. L. H. McCormack, C. M. R. Craven, & M. S. Sornarajah (Eds.), Culture and international law (pp. 383–401). CRC Press. ↩︎
- Anderson, R. G. W. (1992). What is technology? Education through museums in the mid-nineteenth century. The British Journal for the History of Science, 25(2), 169–184. https://doi.org/10.1017/S0007087400028752 ↩︎
- Boylan, P. J. (1999). Universities and museums: Past, present and future. Museum Management and Curatorship, 18(1), 43–56.https://doi.org/10.1080/09647779900501801 ↩︎
- Aronsson, P., & Elgenius, G. (Eds.). (2015). National museums and nation-building in Europe 1750–2010: Mobilization and legitimacy, continuity and change. Routledge. ↩︎