はじめに:なぜ今、博物館に寄付戦略が求められるのか
近年、博物館を取り巻く財政環境は大きく変化しつつあります。かつては安定的な公的資金によって運営されていた多くの施設が、今日では、補助金の削減や予算の不安定化といった問題に直面しています。とりわけ地方の公立館や中小規模の私立館においては、持続可能な運営体制を確保するために、入館料収入や自主事業だけではなく、寄付やスポンサーシップといった外部支援の重要性が増している状況にあります。
一方で、「博物館は果たして“寄付されやすい”組織なのか?」という問いは依然として残ります。病院や災害支援、教育機関などと比べて、博物館が寄付先として選ばれる機会はそれほど多くないという印象を持つ人も少なくありません。日本では特にその傾向が強く、欧米諸国と比較しても、博物館に対する個人寄付や遺贈、企業協賛が文化として定着しているとは言いがたい現状があります(Proteau, 2018)。
しかしながら、近年の研究は、⼈々が寄付を決める背景には「どれだけその団体と心理的につながれるか」「支援の影響が目に見えるか」といった要素が大きく関わっていることを明らかにしています。たとえば、寄付者が支援対象に対して「具体的に想像できる」ほど、その寄付意欲は高まる傾向にあるとされています(Cryder et al., 2013)。これは、博物館がどのような活動を行い、社会にどのような貢献をしているかを、寄付者の目線で「見える化」することの重要性を示唆しています。
このような視点に立つと、寄付は単なる資金集めではなく、博物館と市民や来館者との関係性のあり方そのものを問い直す営みであることが見えてきます。ファンドレイジングとは、ただ資金を獲得する手段ではなく、「共感と信頼を育てるコミュニケーションの一形態」として捉える必要があるのです。
本稿では、最新の研究成果を踏まえながら、「博物館はなぜ寄付されにくいとされるのか」「どうすれば支援者とより良い関係性を築けるのか」といった問いを掘り下げます。そして、寄付という行為が博物館経営において果たす可能性と、その実践的な戦略について考察を進めていきます。
博物館は本当に“寄付されやすい”のか?
博物館が寄付を受けるにふさわしい存在であることは、その公共的・教育的な使命を考えれば自然なことのように思えます。実際、文化財の保存や展示、教育普及活動など、博物館が社会に果たす役割は大きく、その意義は多くの人に共有されています。しかしながら、実際に寄付という形で支援を受けることに関しては、博物館は必ずしも「寄付されやすい」組織とは言えない側面を持っています。
寄付者が支援を決めるときには、「その支援がどれほど具体的に想像できるか」が大きな鍵を握っています。抽象的な目的よりも、「1人の子ども」「1点の作品」「1つのプロジェクト」といった目に見える対象の方が、共感や支援の動機を生みやすいことが示されています(Cryder et al., 2013)。この点で、博物館が行う活動はしばしば専門的で抽象的に捉えられやすく、寄付者にとって「自分の支援がどんな影響を与えるのか」が見えにくくなるという課題があります。
また、博物館は一般的に「学術的で中立的」「歴史的に権威ある場所」といったイメージを持たれており、こうした印象が市民との心理的距離を生む要因になっている場合もあります。寄付という行為には、「この組織に関わりたい」「応援したい」と思える感情的なつながりが重要であり、博物館がその関係性をどのように築くかが問われているのです。寄付者が「自分もこのプロジェクトの一部だ」と感じられるような余白や物語性を提示することが求められます(Lee, 2018)。
さらに、寄付文化の成熟には、組織そのものへの信頼感や親しみやすさが重要な基盤となります。活動がどれほど有意義であっても、それを「わかりやすく、共感できる言葉で」発信できなければ、支援は広がりません。特に日本においては、文化施設に対する寄付がまだ一般的ではないことから、博物館が自らの価値や活動を「寄付者の目線で語る」力が一層求められます(Proteau, 2018)。
このように、博物館が寄付を受けやすい組織になるためには、その社会的意義を一方的に主張するだけでは不十分です。支援者が自らの関与を実感できるような関係性の構築や、活動の成果を具体的に示す努力が必要です。寄付は資金の問題であると同時に、「誰と、どのようにつながるか」という博物館の存在意義にかかわる問いでもあるのです。
寄付行動のメカニズム:人はなぜ支援するのか
前節では、博物館が必ずしも「寄付されやすい」組織とは限らない理由として、活動の抽象性や発信力の不足、寄付者との関係性の乏しさといった点を確認しました。それでは、そもそも人はどのようなときに寄付をしようと考えるのでしょうか。博物館にふさわしいファンドレイジング戦略を考えるためには、寄付行動そのもののメカニズムを理解することが不可欠です。
近年の行動経済学や社会心理学の知見によれば、寄付行動を引き起こす主な要因として「具体性(tangibility)」と「影響の実感(perceived impact)」の二つが挙げられています。支援対象が抽象的で漠然としていると、寄付者は自分の行動がどのような結果をもたらすのかを想像しづらく、寄付に至らない傾向があります。反対に、支援対象が明確で、支援によって何が実現されるのかが具体的に示されている場合、寄付意欲は高まることが多いとされています(Cryder et al., 2013)。博物館であれば、「収蔵品の修復にかかる費用」「子ども向け教育プログラムの継続」「地域住民と共に行う展示プロジェクト」など、目に見える成果や活動を軸とした寄付の設計が効果的といえるでしょう。
寄付行動にはまた、利他的な動機だけでなく、自己充足的な側面も含まれています。寄付者の多くは、社会に貢献するという目的のほかに、「自分が何か意味のあることに関与している」という満足感を求めています。このような心理的報酬は「温かさの感覚(warm glow)」や「共感的喜び(empathic joy)」と呼ばれ、寄付を通じた自己実現として位置づけられています(Betzler, 2012)。したがって、寄付を募る際には、寄付者が単なる支援者ではなく、「一緒に価値を創る存在」として尊重されていることを伝える仕組みが求められます。
さらに、寄付行動は個人の感情や価値観だけでなく、社会的文脈にも左右されます。たとえば、クラウドファンディングのように寄付者の人数や金額が可視化される環境では、「自分も参加しなければ」という心理が働きやすくなります。これは「社会的証明(social proof)」の一例であり、他者の行動が自分の判断に影響を与える現象として広く知られています(Najda-Janoszka et al., 2024)。このような効果は、博物館が寄付キャンペーンを設計する際にも有効に活用できる要素です。
このように、寄付とは単なる金銭的なやりとりではなく、感情、合理性、社会的関係性が交錯する複合的な行動です。博物館にとって重要なのは、寄付者の立場に立ち、「なぜ支援したくなるのか」「どのようなときに支援を躊躇するのか」といった心理を丁寧に想像し、それに応える形で寄付の仕組みやコミュニケーションを設計することです。寄付を促すのは「お願い」ではなく、「共感」「納得」「誇り」といった内面的な動きであるという認識こそが、持続可能なファンドレイジングへの第一歩となるのです。
博物館における寄付獲得の実践的アプローチ
前節では、人がなぜ寄付をするのかという行動メカニズムについて、心理的・社会的側面から検討しました。こうした理論的背景を踏まえたうえで、博物館が実際に寄付を獲得するためには、いかなる戦略と工夫が必要となるのでしょうか。本節では、実践例を交えながら、寄付獲得に向けた具体的なアプローチを考察します。
まず重要なのは、寄付者にとって「支援の意味」が明確に伝わる設計です。たとえば、あるプロジェクトが「なぜ今必要なのか」「寄付がどのような成果を生むのか」「どのように社会や来館者に還元されるのか」といった情報を、寄付者が納得できる形で提示する必要があります。これに関連して、具体的な目標金額、使途、期限を明示することは、支援行動のハードルを下げる効果があります(Cryder et al., 2013)。
次に、組織と寄付者の関係性を長期的に捉える視点が欠かせません。寄付を「一度きりの資金提供」としてではなく、「継続的な関係性の入り口」と捉えることで、支援の持続性を高めることが可能となります。たとえば、支援者限定のイベント招待、進捗レポートの定期送付、名前の掲示などを通じて、寄付者が自らを「組織の一部」と感じられる環境を整えることが推奨されています(Betzler, 2012)。
こうした取り組みは、単なる広報活動ではなく、「寄付者との双方向的な価値共創」として位置づけられるべきです。Cummingら(2019)は、ミュージアムと寄付者の関係を「パートナーシップ」として再定義することの意義を指摘し、支援者の声を展示や教育活動の計画段階に反映させることで、関係の深化と寄付の安定化を図ることができると述べています(Cumming et al., 2019)。
さらに、近年注目されているのがクラウドファンディングなどのオンライン寄付プラットフォームの活用です。Najda-Janoszkaら(2024)は、ポーランドの複数の博物館によるクラウドファンディング事例を分析し、成功の要因として「共感性の高いストーリーテリング」「プロジェクトの社会的意義の訴求」「SNSを活用した拡散」が有効であると報告しています。特に、ストーリーテリングによって寄付者が「その物語の一部になる」という感覚を得られる点は、博物館のような非営利組織において極めて有効なアプローチです(Najda-Janoszka et al., 2024)。
また、寄付をめぐる“見える化”の重要性も指摘されています。集まった金額や支援者数、支援によって達成された成果などを可視化し、定期的に発信することで、「支援が社会に実際に影響を与えている」という実感を共有することができます。これは次の寄付者への「社会的証明」となり、ファンドレイジングの連鎖を生み出す可能性を高めます(Lee, 2018)。
このように、博物館が寄付を獲得するためには、「呼びかけ方」だけでなく、「関係の築き方」「結果の伝え方」「参加の仕組みづくり」といった多面的なアプローチが求められます。寄付者は単なる資金提供者ではなく、「ともに博物館の価値を育てる存在」であるという視点を持つことが、これからの博物館経営において極めて重要な要素となるのです。
関係性のマネジメント:単発の寄付で終わらせないために
前節では、博物館が寄付を獲得するための具体的なアプローチとして、プロジェクトの明確化、ストーリーテリング、クラウドファンディングの活用などについて紹介しました。しかし、寄付を一時的な成果として終わらせるのではなく、持続的な支援につなげていくためには、寄付者との関係性をいかに維持・深化させるかという観点が欠かせません。
今日のファンドレイジングにおいては、「リテンション(継続支援)」が大きなテーマとなっており、単に新しい寄付者を獲得するだけでなく、既存の支援者と長期的な信頼関係を構築し、再寄付や他者への紹介といった次の行動につなげていく仕組みが求められています。この視点は、マーケティングの用語で言えば「カスタマー・リレーションシップ・マネジメント(CRM)」に近い発想であり、非営利組織でもその応用が進んでいます(Cumming et al., 2019)。
こうした関係性のマネジメントにおいて、第一に重要なのが透明性の確保です。寄付がどのように使われたのか、その結果として何が達成されたのかを、定期的に、かつ具体的に報告することは、支援者の信頼を維持するうえで不可欠です。たとえば、進捗レポートの郵送やメール配信、ウェブサイトでの成果公開、支援者限定イベントでのフィードバックなど、情報を「届ける努力」を継続することが、次の寄付への動機付けにつながります(Betzler, 2012)。
また、寄付者を“参加者”として扱う姿勢も、関係性の強化において重要な意味を持ちます。Di Gaetano & Mazza(2016)は、寄付者を「パトロン」や「支援者」としてではなく、「共創者(co-creator)」として捉えることの重要性を強調しています。これは、寄付がもたらすのは資金だけでなく、活動への共感、社会的ネットワーク、そしてミュージアムの理念に共に関わる仲間としての位置づけであるという認識に基づいています(Di Gaetano & Mazza, 2016)。
さらに、寄付者ごとの関心や関与の度合いに応じて、コミュニケーションの内容や頻度を調整するパーソナライズドな対応も有効です。すべての寄付者に一律の情報を送るのではなく、特定のプロジェクトに関心を持つ寄付者にはその分野の最新情報を提供したり、特定金額以上の支援者には施設見学や学芸員との懇談会を企画するなど、個別対応の仕組みを構築することで、支援者の満足度と帰属意識を高めることができます(Najda-Janoszka et al., 2024)。
このような持続的関係の形成は、博物館にとって単なるファンドレイジングを超えた意味を持ちます。それは、ミュージアムがどのようにして社会とつながり続けるのか、誰と共に価値を創っていくのかという、経営理念の核心に関わる実践でもあります。寄付を通じて築かれる関係性は、経済的支援だけでなく、社会的正当性や文化的共感の土台となるのです。
まとめ:ファンドレイジングは経営課題である
本稿では、「博物館は“寄付されやすい”組織なのか?」という問いを起点に、寄付行動のメカニズム、支援者との関係構築、具体的なファンドレイジングの戦略について検討してきました。そこから見えてきたのは、ファンドレイジングは単なる資金調達の手段ではなく、博物館が社会とどのような関係を築いていくのかを問う、経営の中核的な課題であるということです。
博物館は、その公共的・教育的な使命ゆえに、寄付先として高い潜在的価値を持っています。しかし実際には、「なぜ支援するのか」「支援によって何が変わるのか」といった視点を寄付者が実感できなければ、行動にはつながりません。したがって、支援の成果を具体的に提示し、寄付者との心理的距離を縮める努力が不可欠です。
さらに、寄付は一度きりの行為ではなく、信頼と共感に基づく関係性のプロセスとして捉えるべきです。博物館は寄付者を「資金の提供者」としてではなく、「共に価値を創るパートナー」として位置づけ、持続的な対話と協働の機会を創出する必要があります。
その意味で、ファンドレイジングは単なる担当者や広報部署の責任にとどまらず、博物館全体の経営戦略に統合されるべき活動です。ミッションの伝達、支援者とのエンゲージメント、活動の可視化、組織としての説明責任――これらすべてが連動して、寄付の“しやすさ”と“されやすさ”を決定づけるのです。
これからの博物館に求められるのは、「自立的に資金を集める力」ではなく、「社会と共に歩みながら価値を循環させる力」です。寄付とは、単にお金を得るための活動ではなく、博物館が自らの存在意義を社会に開き、対話し、共感を育むための経営的実践なのです。
参考文献
Betzler, D., & Gmür, M. (2012). Towards fund‐raising excellence in museums—Linking governance with performance. International Journal of Nonprofit and Voluntary Sector Marketing, 17(3), 275–292.
Cryder, C. E., Loewenstein, G., & Scheines, R. (2013). The donor is in the details. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 120(1), 15–23.
Cumming, D. J., Leboeuf, G., & Schwienbacher, A. (2020). Crowdfunding models: Keep‐it‐all vs. all‐or‐nothing. Financial Management, 49(2), 331–360.
Di Gaetano, L., & Mazza, I. (2016). The role of patronage in contemporary museum funding: Evidence from Italy. International Journal of Arts Management, 18(2), 4–14.
Lee, Y. J., & Shon, J. (2018). What affects the strategic priority of fundraising? A longitudinal study of art, culture and humanity organizations’ fundraising expenses in the USA. VOLUNTAS: International Journal of Voluntary and Nonprofit Organizations, 29, 951–961.
Najda-Janoszka, M., & Sawczuk, M. (2024). Crowdfunding in the museum context: Exploring alternative approaches to financial support. Entrepreneurial Business and Economics Review, 12(3), 83–97.
Proteau, J. (2018). Reducing risky relationships: Criteria for forming positive museum-corporate sponsorships. Museum Management and Curatorship, 33(3), 235–242.