博物館のリーダーシップとは何か ― 館長の役割とビジョン形成

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はじめ

現代の博物館経営において、リーダーシップの重要性はますます高まっています。かつて博物館は、学芸員による学術的な研究と資料の保管・展示を中心に据える静的な空間として捉えられてきました。しかし今日では、来館者の多様化、社会的要請の変化、文化行政の見直し、さらには持続可能性への配慮など、外部環境の影響を強く受ける「開かれた組織」としての再編が求められています。こうしたなか、館長の果たす役割は単に管理業務を遂行するだけにとどまらず、組織全体の価値と方向性を定める「ビジョンの創出者」「公共的リーダー」としての側面を強く帯びるようになっています。

さらに、博物館が公的機関であると同時に、資金的な自立や事業運営能力も問われるようになってきた現代においては、館長には文化的使命の遂行と経営的判断の両立が求められています。展示や教育普及といった従来の中核的業務だけでなく、ファンドレイジング、人材マネジメント、広報戦略、リスク管理など、組織を持続可能に運営するための多面的なスキルと実行力が不可欠となっているのです。

また、館長は館内のリーダーであると同時に、地域社会や支援者、行政、メディアなど、館外との多様な関係性を調整する外交的役割も担っています。この点において、単なる学芸的専門家ではなく、経営感覚や対話力、そして変革を導く戦略的な視座が求められているのです。

こうした背景を踏まえ、本記事では「博物館のリーダーシップとは何か」という問いを軸に、館長に期待される役割像、リーダーシップのスタイルや変遷、そしてビジョン形成の実践について、多角的に考察していきます。特に、欧米を中心とする近年の研究や実務の潮流、国内の制度的背景、現場からの声などを参照しながら、現代的な館長像を理論と事例の両面から描き出していくことを目指します。読者が、館長という役職の複雑性と社会的意義を捉え直し、博物館経営におけるリーダーシップの本質に触れる一助となれば幸いです。

リーダーシップの再定義 ― カリスマから協働型へ

博物館におけるリーダーシップは、20世紀後半まではしばしば「カリスマ的な館長像」に集約されて語られてきました。すなわち、豊富な学芸的知識と文化的審美眼を備えた館長が、展示方針から収蔵方針に至るまでを一手に担い、組織を強く牽引していく存在として理想化されてきたのです。このような伝統的リーダー像は、近代的な美術館や歴史博物館が形成されていった時代の制度や価値観と親和性が高く、「トップによる判断=組織の意思決定」とみなすヒエラルキー型の経営構造の中で自然に確立されたものでした。

しかし近年では、そうしたリーダー像の有効性に疑問が呈されるようになっています。来館者の価値観が多様化し、展示活動の目的が単なる知識伝達ではなく「経験の共有」や「社会との対話」に広がるなかで、単線的な指導型リーダーシップだけでは組織の柔軟性や共感性を保ちきれないという現場の課題が顕在化してきたのです。

このような文脈において注目されるのが、「協働型リーダーシップ(collaborative leadership)」や「変革型リーダーシップ(transformational leadership)」といった、組織内外の多様なステークホルダーとの連携と対話を重視する新しいリーダー像です。Pegno & Brindza(2021)は、米国アリゾナ州のトゥーソン美術館における取り組みを紹介しながら、これからの博物館には「ネットワーク・ガバナンス(network governance)」の視点が不可欠であると論じています。そこでは、リーダーは単独の意思決定者ではなく、地域社会や来館者、アーティスト、スタッフといった多様な声を結びつけ、共に方向性を形成する“媒介者”として機能するのです。

また、Suchy(1999)は、リーダーシップにおける「情熱(passion)」や「感情的知性(emotional intelligence)」の重要性を強調しています。博物館の館長は、論理的思考や戦略性だけでなく、文化への共感や社会的使命に対する熱意を通じて、組織の価値観を体現し、職員や来館者に影響を与える存在であるとされています。特に、人々の価値観が揺れ動く現代においては、カリスマ的支配ではなく、共感をベースにした関係性のリーダーシップがより有効性を持つと指摘されているのです。

このように、館長という役職に求められるリーダーシップは、明確な判断力と専門性に基づく牽引力を残しつつも、組織や社会との対話、相互理解、協働的意思形成といった要素をより重視する方向へとシフトしています。リーダーシップの本質が「命令すること」から「関係を築くこと」へと移行している今、博物館の未来を見据えるためにも、この変化を正しく理解し、実践していくことが重要であると言えるでしょう。

ビジョン形成とその共有

リーダーシップにおける中心的な機能の一つが、「ビジョンの形成」とその「組織内外への共有」です。ビジョンとは単なる将来像の提示ではなく、組織が存在する意義を定義し、その方向性を言語化し、関係者全体と共有する行為です。とりわけ公共性を担う博物館においては、収蔵・展示・教育・研究といった個別の機能を統合し、どのような社会的価値を創出するのかを明示することが、リーダーである館長に強く求められます。

Sherene Suchy(2000)は、ビジョンとは「単なる方針ではなく、組織文化に根ざしたナラティブである」と述べています。つまりビジョンとは、組織が何を重視し、誰に何を提供し、どのような未来をつくろうとしているのかという“ストーリー”であり、それを館長自身が率先して体現しなければ意味を持ちません。ビジョンはスローガンではなく、日々の意思決定や職員との対話、展示やプログラムの方針に具体的に落とし込まれることで初めて共有され、組織の血肉となります。

また、Bagdadli & Paolino(2006)は、制度的な制約の中でも、館長が自律的にビジョンを形成し、組織の「変革エージェント」として機能することができると論じています。彼女らは、レオナルド・ダ・ヴィンチ国立科学技術博物館(Museo Nazionale della Scienza e della Tecnologia Leonardo da Vinci)の事例を分析し、館長が上位の政策や制度的要求を単に「従う」だけでなく、それを組織内で再解釈し、自らのビジョンと調和させながら現場に落とし込むプロセスを評価しました。これは、日本のように制度的に規定された職階の中で館長が任用される文脈においても、極めて示唆的です。

ビジョンの形成と並んで重要なのが、その共有のプロセスです。たとえ優れたビジョンを掲げていても、それが組織全体に浸透していなければ、現場の判断や行動には結びつきません。Griffin & Abraham(2000)の研究では、「効果的な博物館」には組織内の目標が共有され、部門間の連携が取れており、職員が自らの役割の意義を理解しているという共通点があるとされています。館長は、ビジョンを掲げるだけでなく、それを職員一人ひとりが自分ごととして捉えられるような「翻訳」と「伝達」の役割も担っているのです。

さらに、ビジョンは館内にとどまらず、社会との対話の基盤ともなります。来館者、地域住民、支援者、行政、メディアといった多様なステークホルダーに対して、館がどのような価値を提供しようとしているのかを明示することは、信頼関係の構築に不可欠です。Griffin(2003)は、館長は「価値の体現者(embodiment of institutional values)」であるべきだと述べており、対外的にビジョンを発信する姿勢が、博物館の社会的正統性(legitimacy)を支えるとしています。

以上のように、ビジョンの形成と共有は、館長にとって単なる管理業務の一環ではなく、組織文化の方向性を定め、行動の一貫性を保ち、外部との信頼を築くための核心的な実践です。そしてこの実践こそが、変化の激しい現代において、博物館を持続可能な存在へと導くリーダーシップの真髄であると言えるでしょう。

リーダーシップが博物館を変えた事例

ここまで、館長に求められるリーダーシップの変遷と役割の多層性、そしてビジョン形成の意義について論じてきましたが、それらが単なる理想論にとどまらないことを示すためには、実践的な事例の検討が不可欠です。現実の博物館経営において、リーダーの交代やリーダーシップスタイルの転換によって組織文化や社会的評価が大きく変化した例は少なくありません。

まず取り上げたいのが、イタリア・ミラノに所在するレオナルド・ダ・ヴィンチ国立科学技術博物館(Museo Nazionale della Scienza e della Tecnologia Leonardo da Vinci)の事例です。この博物館では、2000年代初頭において制度的な転換が迫られる中、当時の館長が従来の形式的な組織運営を超えて、内発的かつ戦略的な改革を主導したことが注目されました。Bagdadli & Paolino(2006)はこの過程を詳細に分析し、館長が制度の「受動的遵守者(passive conformer)」ではなく、「能動的な変革主体(active agent)」として機能したことに注目しています。

具体的には、館長は行政からの要求事項を単なる命令として実行するのではなく、それらを自館のミッションや目指す方向性に照らし合わせて再解釈し、現場の職員と共有することで改革の道筋を構築していきました。その結果、外部からの制度的期待に応えつつも、組織内部の文化や価値を損なうことなく、持続可能な運営体制を整備することに成功したとされています。この事例は、トップの意思と行動が制度的制約の中でも組織を動かす原動力になりうることを如実に示しています。

また、英語圏でもリーダーシップが博物館に変革をもたらした例は数多く報告されています。Pegno & Brindza(2021)は、アリゾナ州のトゥーソン美術館において、キュレーション部門のリーダーシップが「ネットワーク型(networked)」へと移行することで、地域社会との連携が深化し、来館者層が多様化した過程を紹介しています。従来のキュレーター中心の閉鎖的な運営から脱却し、アーティスト、地域住民、学際的専門家らと共に展示のテーマや構成を協働で設計することで、ミュージアムの社会的意義が拡張されていったといいます。

このプロジェクトでは、館のリーダーが「意思決定者」ではなく「意味づけの媒介者(mediator of meaning)」として、関係者の声を翻訳・接続しながらビジョンを具現化するという、新たなリーダー像が浮かび上がります。こうしたスタイルは、前節で述べた変革型・協働型リーダーシップの具体的な応用例として高い示唆を与えます。

加えて、Griffin & Abraham(2000)が示したように、組織内の目標や価値観の共有がなされている博物館では、スタッフのエンゲージメントやプログラムの質が向上し、外部評価にも良好な影響をもたらす傾向があります。リーダーシップが単なる「上意下達の指示」ではなく、組織全体の文化を方向づけ、関係性の網を織り上げていくプロセスであることが、これらの事例を通して明らかになります。

このように、博物館におけるリーダーシップの実践は、制度的文脈や組織文化、地域社会の構造によって形を変えながら、多様な成果を生み出しています。そしてその背景には、リーダーが明確なビジョンを持ち、それを他者と共有しながら行動し続けるという姿勢が一貫して存在しているのです。

今後の館長像 ― 公共性と経営感覚を備えた文化的リーダーへ

ここまでの議論から明らかになったのは、現代の博物館における館長は、単なる学芸的権威者でもなければ、組織の管理者でもないということです。むしろ、公共的な価値を体現しながら、文化施設の持続可能性を確保するという、極めて複雑で多面的な使命を担う存在として位置づけられています。では、これからの時代に求められる館長像とは、どのようなものでしょうか。

まず第一に、今後の館長には、公共性と経営性の双方に通じた“文化的リーダー”としてのバランス感覚が求められます。公共施設としての博物館は、あらゆる人々に対して文化的アクセスの機会を提供し、社会的包摂や地域貢献を果たす義務を負っています。その一方で、財政的な自立性や運営効率の向上も求められており、事業構想力や財務的判断、ステークホルダーとの交渉能力も欠かせません。これはまさに、「文化の価値を損なうことなく経営の視点を取り入れる」ことができる、新しいタイプの館長の登場を意味しています。

第二に、これからの館長は、組織文化の創出者かつ変革の触媒としての役割を果たす必要があります。館内には多様な専門性と職種が混在しており、それぞれに異なる価値観や目標を持っています。館長は、それらの違いを尊重しながらも、共通のビジョンと方向性を育てていく「文化の媒介者(cultural mediator)」であることが求められます。Griffin & Abraham(2000)が示したように、館長が強いビジョンと一貫性を持って組織文化を育むとき、職員のエンゲージメントや来館者体験の質は大きく向上します。

第三に、館長育成の仕組みそのものを再構築する必要性もあります。日本の多くの博物館では、学芸員からの昇進によって館長が任用されるケースが多く、その結果として経営や広報、ファンドレイジングの経験が不足していることも少なくありません。Suchy(2000)は、館長育成には「継承計画(succession planning)」や戦略的なトレーニングが必要であると指摘しています。今後は、文化経営・人材マネジメント・リスク管理といった領域をカバーするリーダー育成プログラムの整備が、制度的にも急務となるでしょう。

最後に、これからの館長には、「社会とつながる能力」=対話力と発信力が強く求められます。来館者、地域住民、行政機関、支援者、そしてデジタル空間におけるオーディエンスと、複数の文脈で意味を共有し、信頼を築いていく力が、博物館の信頼性と持続可能性の鍵を握っています。特に今日のように価値観が多元化し、文化の定義自体が揺れ動く時代においては、館長自らが「価値の翻訳者(translator of meaning)」となり、多様な声を結びつけていく姿勢が不可欠です。

このように、今後の館長像は、単なる「職位」ではなく、公共性・文化性・経営性を架橋する「新しい知的専門職」として捉える必要があります。そのためには、制度的枠組みの再検討とともに、組織内外における期待の再構築も求められるでしょう。リーダーシップとは単なる手法や技術ではなく、「何のためにこの館を運営するのか」という問いに対する、揺るぎない答えを持ち、それを語り、行動し続けることである――それこそが、これからの館長に託される最大の責務なのです。

参考文献

Bagdadli, S., & Paolino, C. (2006). Institutional change in Italian museums: Does the museum director have a role to play? International Journal of Arts Management, 8(3), 4–18.

Dragouni, M., & McCarthy, D. (2021). Museums as supportive workplaces: An empirical enquiry in the UK museum workforce. Museum Management and Curatorship. Advance online publication.

Griffin, D. (2003). Leaders in museums: Entrepreneurs or role models? International Journal of Arts Management, 5(2), 4–14.

Griffin, D., & Abraham, M. (2000). The effective management of museums: Cohesive leadership and visitor-focused public programming. Museum Management and Curatorship, 18(4), 335–368.

Pegno, M., & Brindza, C. (2021). Redefining curatorial leadership and activating community expertise to build equitable and inclusive art museums. Curator: The Museum Journal, 64(2), 343–362.

Suchy, S. (1999). Emotional intelligence, passion and museum leadership. Museum Management and Curatorship, 18(1), 57–71.

Suchy, S. (2000). Grooming new millennium museum directors. Museum International, 52(2), 16–20.

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この記事を書いた人

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日々の業務経験をもとに、ミュージアムの楽しさや魅力を発信しています。このサイトは、博物館関係者や研究者だけでなく、ミュージアムに興味を持つ一般の方々にも有益な情報源となることを目指しています。

私は、博物館・美術館の魅力をより多くの人に伝えるために「Museum Studies JAPAN」を立ち上げました。博物館は単なる展示施設ではなく、文化や歴史を未来へつなぐ重要な役割を担っています。運営者として、ミュージアムがどのように進化し、より多くの人々に価値を提供できるのかを追求し続けています。

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