博物館のサービスマーケティングとは何か ― 来館者との関係性を深める体験価値のデザイン

目次

はじめに:なぜ、いま博物館にサービスマーケティングが必要なのか

「良い展示をすれば、人は自然と集まる」――かつての博物館運営では、こうした考え方が広く信じられていました。専門性の高い展示を丹念に準備し、資料の保存・公開に力を尽くすことこそが、博物館のあるべき姿だとされていたのです。しかし、社会の変化とともに、このような一方向的な運営モデルだけでは、来館者との関係性を維持しにくくなってきました。

現代の博物館は、情報の氾濫する社会の中で、数多くのレジャーや文化施設と来館者の「時間」と「関心」を争っています。スマートフォン一つでどこでも学べる時代において、「なぜわざわざ足を運ぶ必要があるのか」という問いが、来館者の側に常に存在しています。そうした状況において、博物館が選ばれ続けるためには、単に情報を提供するだけでなく、来館者一人ひとりにとって意味のある“体験”を提供する場であることが求められるようになりました。

このような背景のもと、近年注目されているのが「サービスマーケティング」という視点です。サービスマーケティングとは、モノではなくコト、すなわち体験や関係性を提供する業種に特化したマーケティング理論であり、教育・医療・観光・公共機関などで広く応用されています。博物館もまた、展示そのもの以上に、どのような体験が生まれるかを重視すべきサービス提供者として、あらためて再定義されつつあるのです。

本記事では、このサービスマーケティングの考え方を起点に、博物館運営にどのような視点の転換が求められているのかを整理します。まずは、サービスマーケティングの基本的な理論構造を確認したうえで、博物館における応用可能性や、実践的な分析手法である「7Pモデル」などを紹介しながら、来館者との関係性をどのように構築できるのかを具体的に考察していきます。

サービスマーケティングとは何か ― 博物館における理論的枠組み

サービスマーケティングは、教育、医療、観光、公共施設など、無形の価値を提供する業種に向けて発展してきたマーケティング理論です。その根幹にあるのは、製品の品質や性能ではなく、「どのような体験を通じて、どのような関係性を築くか」という視点です。博物館もまた、展示品そのものの魅力だけで来館者を惹きつけられる時代から、展示をどのように体験させるか、来館者がどう感じるかを重視する時代へと移行しつつあります(McLean, 1994)。

このような背景のもと、サービスマーケティングの理論では、まずサービスの持つ特性に注目します。サービスには以下の4つの特徴があります(McLean, 1994)。

  • 無形性(Intangibility)
    サービスは目に見えず、手に取ることができません。たとえば、展示を見学して得られる感動や、解説スタッフとの対話によって得られる理解は、形のある「モノ」として残るものではなく、来館者の中に残る主観的な「体験」です。そのため、事前に品質を比較したり、確かめたりすることが難しいのが特徴です。
  • 同時性(Inseparability)
    サービスは「提供」と「消費」が同時に起こるという特徴を持ちます。たとえば、ガイドによる館内ツアーは、その場でしか体験できません。スタッフの説明の仕方や、参加者とのやりとりによって体験の質が変わり、その瞬間にしか生まれない価値があるのです。
  • 消滅性(Perishability)
    サービスはストック(在庫)できないため、あとから使うことができません。たとえば、午後2時に予定していたワークショップに参加者が来なければ、その回の機会は失われます。展示室が空いていたとしても、その時間の「体験」は次に持ち越すことができないのです。
  • 変動性(Variability)
    サービスの内容や質は、提供者や状況によって変化します。たとえば、同じ展示を訪れたとしても、平日の静かな時間と、休日の混雑した時間では印象が異なることがあります。さらに、スタッフの接遇や展示解説の違いによっても、来館者の満足度には差が出ます。

これらの特性を踏まえて、サービスマーケティングでは、製品中心のマーケティング(いわゆる「4P」)を拡張し、「7Pモデル」という枠組みが提案されてきました(McLean, 1994)。

サービスの7Pモデルとその意義

「7Pモデル」とは、Product(提供価値)、Price(価格)、Place(提供場所)、Promotion(広報)に加え、People(人)、Process(過程)、Physical Evidence(物的証拠)の3つの要素を加えたマーケティング分析手法です。以下は、博物館におけるそれぞれのPの具体的な意味です。

  • Product(提供価値):展示、教育プログラム、ワークショップなど、博物館が提供する内容全般
  • Price(価格):入館料や割引制度、年間パスなどの料金戦略
  • Place(場所・提供環境):施設の立地、アクセス、開館時間や動線設計
  • Promotion(広報):ポスターやパンフレット、SNSによる情報発信
  • People(人):受付、ガイド、ボランティアなど、来館者と直接関わる人々の態度や接遇力
  • Process(過程):チケット購入から退館までの一連の流れやサービス提供プロセス
  • Physical Evidence(物的証拠):建築の雰囲気、展示室の照明、サイン、パンフレットなど、サービスの質を象徴する物理的な要素

この7Pは、単なるサービス設計のツールではなく、既存のサービスを評価・分析するための視点としても活用できます。来館者満足度の低下や再来館率の減少といった課題に直面した際、「展示の質」だけでなく、「スタッフの対応はどうか」「広報の届き方に偏りはないか」など、7つの視点から原因を明らかにすることで、具体的かつ効果的な改善策につなげることができます(McLean, 1994)。

サービス志向と市場志向のバランス

サービスマーケティングの応用において重要なのは、単に来館者の満足度を上げることにとどまらず、博物館の理念や公共的価値とどう両立させるかという視点です。Camarero & Garrido(2012)は、博物館にとって「サービス志向(来館者にとっての体験の質を重視)」と「市場志向(ニーズに応じた柔軟な対応)」のバランスが、イノベーションや競争力の鍵になると指摘しています(Camarero & Garrido, 2012)。

この考え方は、サービスを単なる手段ではなく、社会的使命と来館者の期待をつなぐ橋渡しととらえる発想につながります。

次節では、この7Pモデルをどのように実際の博物館経営に応用できるのか、来館者体験の設計やサービス評価の実践例を交えて考察していきます。

博物館におけるサービスマーケティングの実践 ― 7Pモデルを使った来館者体験の設計

前節で紹介した7Pモデルは、博物館が提供するサービスの設計や分析に役立つ枠組みです。ここでは、各Pの要素を具体的な事例にあてはめながら、どのように来館者の体験価値を高める取り組みがなされているのかを見ていきます。

Product(提供価値):展示の質と体験の設計

博物館が来館者に提供するもっとも基本的な価値は、展示を通じた知的・感性的な体験です。近年では、単に資料を並べるだけでなく、来館者の興味や背景に応じて「どのように伝えるか」「どのように体験してもらうか」が重視されるようになってきました。

たとえば、触れて学ぶことができるハンズオン展示や、AR・VRなどを活用した没入型体験、来館者が意見を書き込んだり投票したりできる参加型の展示手法などは、情報の伝達にとどまらない「参加」と「対話」を促す仕組みとして注目されています。学芸員が自身の視点や問いを投げかける解説文も、来館者との知的な関係性を構築する重要な要素です。

また、展示と連動したワークショップやレクチャー、学校連携プログラムの充実も、「展示を見る」から「学びを深める」体験へとつなげる役割を果たします。こうした多層的なプログラム展開は、展示の価値を拡張し、来館者一人ひとりにとって意味のある経験として定着させる工夫といえます(Rentschler & Gilmore, 2002)。

Price(価格):誰にとっても“価値ある料金”にするために

「価格」という要素は、単に入館料をいくらに設定するかだけではなく、来館者が「支払った金額に見合う価値がある」と感じるかどうかが問われます。高すぎても敷居が上がり、安すぎても価値が伝わらないという難しさがある中で、博物館はその使命と公共性を踏まえた繊細な料金設計が求められます。

多くの博物館では、学生、子ども、高齢者、障害者に対する割引制度を導入しており、文化へのアクセス保障の観点からも重要な施策となっています。また、リピーターを促す年間パス制度、特別展と常設展を組み合わせたセット料金、夜間割引、家族割など、目的や来館者層に応じた柔軟な料金体系が実践されています。

さらに、特定の日に限り無料開館とする「文化の日」や「市民感謝デー」、寄付による任意料金制(Pay What You Wish)を導入する例もあり、「誰でも入りやすく、続けて訪れやすい価格設計」こそが、来館者との信頼関係を築く基盤となるのです(Rentschler & Hede, 2007)。

Place(場所・環境):空間と来館体験のつながりを設計する

博物館における「Place」は、単なる建物の所在地ではなく、来館者がどのようなルートでアクセスし、館内でどのように過ごすかを含む広い概念です。たとえば、最寄り駅からの道順が分かりにくい場合や、駐車場やバス停が遠い場合には、アクセスの利便性が来館意欲に直接影響します。

館内に入ってからも、「動線設計」「休憩スペースの配置」「授乳室・トイレの清潔さ」などが体験の快適さを左右します。近年では、ユニバーサルデザインに基づいた展示室のバリアフリー化、エレベーターやスロープの導入、外国語表記の充実など、さまざまな来館者が安心して訪れるための「場所のあり方」が問い直されています。

また、「まちの中での博物館の位置づけ」も重要です。地元の商店街やカフェ、教育機関などとの連携を通じて、博物館が都市や地域の文化的拠点として機能する場合、来館体験は単独の施設を超えて広がりをもつようになります(McLean, 1994)。

Promotion(広報):来館前から始まる“体験の設計”

広報活動は単に展示やイベントの告知にとどまらず、来館者の体験を事前に形づくる大切な接点です。新聞やチラシといった従来型のメディアに加え、ウェブサイト、SNS(Twitter、Instagram、YouTubeなど)、メールマガジン、さらにはLINEなどのメッセージアプリを通じて、多様なチャネルで情報が発信されるようになっています。

とくにSNSは、来館者との双方向的な関係づくりにおいて重要です。展示の裏話、学芸員の視点、準備の様子など、館の「中の人」の姿を発信することで、博物館に対する親近感を醸成することができます。また、来館者によるハッシュタグ投稿やレビュー、展示に関連する二次創作などを通じて、広報が「一方的な宣伝」から「来館者との共創」へと進化しつつあります(Hume et al., 2011)。

こうした発信活動は、単に来館を促すだけでなく、「何を期待して訪れるのか」「どのように過ごすべきか」という体験の質そのものに影響を与えるのです。

People(人):サービスの質を支える“顔”としての職員とボランティア

博物館の「顔」として、来館者と直接接する職員やボランティアの存在は、サービス全体の印象を大きく左右します。受付での第一声、展示室内での声かけ、ショップやカフェでの応対など、「人」との関わりは、展示内容以上に強く記憶に残る場合があります。

そのため、近年では接遇マナーやコミュニケーション技法に関する研修を定期的に実施する博物館が増えています。さらに、多様な来館者に対応するための「やさしい日本語」や「インクルーシブな対応」などを学ぶ機会も重視されています。

また、博物館の活動を支えるボランティアの存在も欠かせません。彼らが誇りを持って活動できるよう、継続的な研修、活動記録の共有、意見交換の場づくりなどが求められています。博物館における「People」は、単なる人的リソースではなく、組織の価値を伝える担い手なのです(Hume et al., 2011)。

Process(過程):一連の流れを体験としてデザインする

博物館のサービスは、展示だけで完結するわけではありません。チケットを購入する、ロッカーを使う、トイレに立ち寄る、カフェで休む、帰りにショップで買い物をする――こうした一連の行動のなかで来館者は「体験全体」を評価しています。

このように、来館から退館までのすべての過程(プロセス)を意識して設計することが、サービス品質を高める鍵になります。たとえば、入場の混雑を避けるための時間指定チケット、スマートフォンで使えるデジタルガイド、展示室ごとの所要時間を示す工夫、出口でのアンケートによる満足度把握などは、体験の流れをなめらかにするための施策といえます。

サービスの質は「点」ではなく「線」や「面」で評価される時代です。来館者がどのような順番で施設を利用し、どこで迷いや不満を感じるかを捉えることが、改善の第一歩となります(Hume et al., 2011)。

Physical Evidence(物的証拠):目に見える“印象”をどう設計するか

サービスが本質的に無形であるからこそ、目に見える「物的証拠」は、来館者にとっての安心感や信頼感を支える重要な要素になります。博物館においては、パンフレットやチケット、館内サイン、展示の照明や音響、空調や清掃状態などが、サービスの質を象徴する「見えるかたち」として機能します。

たとえば、展示案内がわかりにくい、照明が暗すぎる、椅子の配置が不自然、といった細部が、無意識のうちに「なんとなく居心地が悪い」という印象を生んでしまうことがあります。逆に、トイレが清潔で、手に取るパンフレットの紙質がよく、サインが親切であれば、それだけで「丁寧な施設だ」というイメージが醸成されます。

また、建築そのものの意匠やロビー空間の雰囲気も、「訪れる価値のある場所」としての印象形成に大きく関わります。こうした「物的証拠」は、サービスの中身を間接的に語る“静かな語り手”なのです(McLean, 1994)。

このように、7Pモデルのそれぞれの要素を博物館の運営に照らし合わせて考えることで、単なる展示の工夫にとどまらない、包括的なサービス設計の視点が得られます。次節では、こうした取り組みをどのように評価し、持続的な改善につなげていくかという観点から、サービスの成果指標と来館者満足度の可視化について考察します。

サービスの評価と満足度の可視化 ― 来館者の声をマネジメントに活かす

サービスマーケティングにおいて重要なのは、サービスを提供して終わりではなく、その体験が来館者にとってどのような意味を持ち、どれだけ満足されているかを適切に評価することです。博物館においても例外ではなく、来館者との関係性を深め、次の訪問や地域とのつながりに発展させていくためには、サービスの成果を定期的に可視化し、改善につなげていくプロセスが欠かせません。

「満足」だけでいいのか? ― サービス評価の視点を見直す

従来、博物館の来館者調査は「展示がわかりやすかったか」「スタッフの対応がよかったか」といった満足度アンケートを中心に実施されてきました。しかし近年では、満足度という一時的な感情評価に加えて、「信頼」「共感」「再来意向」といった関係性を示す指標の重要性が注目されています(Hume et al., 2011)。

たとえば、ある展示に満足しても、それが「また行きたい」と思える体験だったかどうかは別の話です。「楽しかった」「勉強になった」だけでなく、「この博物館は信頼できる」「地域にとって必要な存在だと思う」という認識を育むことこそが、持続的な関係構築の土台となります。

そのため、評価指標も「満足度スコア」だけではなく、「再来館意向」「クチコミ意向」「ロイヤルティスコア(NPS)」「来館者の感情語の収集」など、多面的な指標の組み合わせが求められます。

「数字」で終わらせない可視化 ― 質的データの活用

来館者調査はつい「アンケートの点数」に終始しがちですが、サービス体験の本質は個別具体的な文脈の中にあります。そこで注目されるのが、自由記述やインタビュー、館内での発話収集などを通じた質的データの活用です。

たとえば、「展示がよかった」ではなく、「この作品を見て、自分の子ども時代を思い出した」「初めて障害について深く考えた」など、来館者の心に残った“語り”は、博物館の存在価値を示す貴重な証言となります。

このようなデータを、職員全体で共有したり、館内で来館者の声として紹介したりすることは、単なる調査結果を超えて「ミュージアムの方向性を共に考える対話の材料」となり得ます。

評価から改善へ ― マネジメントに活かす仕組みづくり

調査を行うだけでは意味がありません。重要なのは、評価の結果を組織としてどう受け止め、どう改善へとつなげるかです。たとえば、調査報告書を担当部署だけで閉じず、職員全体で共有する機会を設ける、あるいは展示担当・教育担当・広報担当が横断的に振り返る「サービス評価ミーティング」などを定期開催するといった仕組みづくりが有効です。

また、来館者からの声を単なる「意見箱」としてではなく、次の企画展やサービス改善の起点として扱う文化を育てることも大切です。特に、来館者の多様化が進むなかで、どの層にどうアプローチできているのか/いないのかという観点からの評価も、戦略的なマネジメントに欠かせない要素となります。

来館者からのフィードバックは、単なる“答え合わせ”ではなく、博物館がどうあるべきかを共に問い続けるための出発点です。次節では、こうした評価に基づく改善が、どのように組織全体の学習とイノベーションへつながるのかを考察します。

組織的な学習とマーケティングサイクル ― 評価から改善へつなげる仕組み

サービスマーケティングの実践において重要なのは、単発のキャンペーンや改善施策ではなく、評価→改善→実行→再評価というプロセスを継続的にまわす仕組みを組織の中に根づかせることです。来館者の体験は常に変化し続けるため、サービスの質もそれに応じて調整され続ける必要があります。

このような考え方は、マーケティングの分野では「サービス・マーケティング・サイクル」や「学習する組織」というキーワードで整理されています。博物館においても、来館者の声を一過性のデータとして処理するのではなく、職員全体で学び合い、戦略に反映させる“循環型の思考”が求められます(Hume et al., 2011)。

PDCAサイクルの応用 ― 博物館における“試行と対話”の文化

よく知られている「PDCAサイクル(Plan→Do→Check→Act)」は、製造業やビジネスの分野で確立された改善モデルですが、サービス産業や文化施設においても応用可能です。博物館の場合は、来館者との接点が多様である分、現場での「気づき」や「違和感」を拾い上げて可視化し、次のサービス設計に生かすことが肝要です。

たとえば、企画展の導線が分かりにくいという声があった場合、単にサインを増やすだけでなく、「なぜ迷うのか」「どんな来館者が困っているのか」を掘り下げる必要があります。これにより、サインの位置や言葉づかい、配置タイミングの改善など、具体的で持続的な改善案が生まれます。

重要なのは、現場の声を“学びの資源”として扱う文化を育てることです。これは、職員の自己成長だけでなく、組織全体の柔軟性や革新性を高める基盤となります。

サイロ化を防ぐ ― 情報と評価の共有文化をつくる

マーケティングの成果が現れにくい組織では、情報が一部の担当者に閉じてしまい、全体の改善につながらないことが少なくありません。特に博物館のように専門性が分かれた組織では、学芸・教育・広報・施設運営などのセクションが「縦割り」に機能しやすく、サービス全体の最適化が難しくなる傾向があります。

そのためには、評価の結果や来館者の声を全職員が共有する仕組みが必要です。たとえば、定例の職員会議で来館者の感想を共有する時間を設ける、部署横断のサービス改善チームを設置する、SNSの反応を掲示板にまとめるなど、小さな取り組みの積み重ねが大きな変化を生み出します。

来館者の体験を博物館全体で支えるには、「自分の業務と関係ない」と感じがちなセクションにも、来館者視点の情報を“共通の資源”として届ける工夫が不可欠です。

学習する組織へ ― マーケティングを“現場からの知”に変える

サービスマーケティングは、専門部署が行う「戦略」ではなく、全職員が日々の仕事の中で行っている「気づき」と「対話」そのものです。来館者と接したときの反応、広報に対する声、展示への関心の集まり方など、現場にこそ多くの知見が眠っています。

その意味で、マーケティングを「外部へのアピール」ではなく、「来館者との関係をどう築いていくかを全員で考える枠組み」と再定義することが必要です。評価・改善・共有を繰り返す過程で、博物館は単なるサービス提供機関から、社会とともに成長する“学びの共同体”へと変化していくことができるのです。

次節では、こうしたマーケティングの実践が、来館者との関係性をどう再定義し、共創や参加へと広がっていくのかについて掘り下げていきます。

共創と参加のマーケティング ― 来館者とともにつくるミュージアム体験

サービスマーケティングが単なる「売り込み」から「体験の設計」へと発展してきたように、博物館の来館者対応もまた、「提供する側」と「受け取る側」という一方向の関係から、「ともにつくる」「ともに考える」関係へと変化しています。こうした発想は、マーケティングにおける共創(co-creation)という概念と深く関わっています。

共創とは、来館者を「消費者」ではなく、「価値の共同創出者」として捉える考え方です。博物館においても、展示やサービスのあり方を来館者との関係性の中で再構成する視点が求められています。

来館者の“参加”が価値を生む

来館者の参加を促す試みは、展示体験を「自分ごと」に変える力をもっています。たとえば、展示の感想を記入するボード、投票によって展示構成が変わるインタラクティブ企画、SNSで展示の「推しポイント」をシェアするキャンペーンなどは、体験への主体的な関与を促します。

また、地域住民や特定のコミュニティと連携して企画展をつくる「市民キュレーター制度」、障害のある方がアクセシビリティ改善に参加する「ユーザー・テスト」なども、博物館が来館者の声を活動の中に埋め込む構造を形成するものです。

このような関係性は、来館者の満足度やリピート率を高めるだけでなく、博物館の社会的信頼や存在意義の強化にもつながります(Camarero & Garrido, 2012)。

関係性のマーケティングへ ― 信頼を軸にした戦略的転換

従来のマーケティングが「誰に、何を、どう売るか」に焦点を当てていたのに対し、現代のサービスマーケティングは「誰と、どのような関係を築くか」が重要な問いとなっています。これは、関係性マーケティング(relationship marketing)と呼ばれる考え方です。

博物館においては、単発の来館促進ではなく、来館者一人ひとりとの中長期的な関係構築、すなわち「この博物館には信頼して訪れられる」「次もまた何かあると期待できる」と感じてもらえる存在になることが求められます。

このような関係性を築くためには、透明な情報発信、継続的なフィードバックの循環、そして「来館者の声を聞き、反映したという実感」を届けることが鍵となります。

「ともにつくる」姿勢がブランドを形づくる

共創と関係性マーケティングの実践は、結果として博物館のブランド形成にも深く結びついていきます。ここでいうブランドとは、ロゴや広告の印象ではなく、来館者の中に育まれる「信頼」「愛着」「共感」の総体です。

展示や接遇の質、スタッフとのやりとり、SNSでの対話、イベントでの共創体験など、すべての接点が「この博物館らしさ」の一部となり、来館者との記憶や感情に刻まれていきます。

共創とは、単なる参加企画ではなく、ミュージアムの価値を来館者と共に更新し続ける営みなのです。

このように、来館者を「ともに考え、ともに創るパートナー」として迎え入れる視点は、博物館にとってのマーケティングをより社会的で持続可能なものへと進化させていきます。

次節では、本章の内容をふまえて、博物館におけるサービスマーケティングの意義と今後の課題についてまとめます。

まとめと展望 ― サービス視点から見直す博物館経営の可能性

これまでの議論をふり返ると、サービスマーケティングは博物館にとって単なる来館促進の手段ではなく、「来館者との関係性をいかにデザインし、育てていくか」という根本的な問いとつながっていることが見えてきます。展示の内容や広報の方法だけでなく、館内の動線、スタッフの応対、情報発信、さらには評価と改善のプロセスに至るまで、すべての接点が来館者の体験をかたちづくっています。

7Pモデルに基づくサービス設計、満足度と信頼の可視化、組織的な学習の循環、そして共創による価値の再構築。それらはどれも、「来館者を中心に据えた経営とは何か」を考えるための視点を与えてくれます。こうした視点は、変化の激しい社会環境のなかで、博物館が柔軟に、そして持続的に存在していくための重要な手がかりとなるでしょう。

また、サービス視点の導入は、経営やマーケティングという言葉に対する警戒感を和らげ、“来館者との関係を豊かにする”ための考え方として、組織全体に浸透させやすい特性を持っています。実際、マーケティングとは売上向上だけでなく、来館者の満足と参加を高め、博物館の社会的意義を育てていくための営みでもあるのです。

今後の展望としては、定量・定性の両面から来館者との関係性を見える化する手法の開発、多様な人々がサービス設計に関与できる仕組みの構築、そしてフィードバックを生かした柔軟なマネジメント体制の強化が課題となるでしょう。特に、現場の職員一人ひとりが「サービスとは何か」を自分なりに考えられる文化の醸成が、博物館の未来を形づくるカギとなります。

来館者との接点に心を配りながら、自館らしい体験価値をともに築いていく。その営みこそが、博物館におけるサービスマーケティングの核心なのです。

参考文献

  • Burton, C., Louviere, J., & Young, L. (2009). Museum volunteers: Toward an understanding of volunteer motivation at a national museum. Museum Management and Curatorship, 24(1), 69–87.
  • Camarero, C., & Garrido, M. J. (2012). Fostering innovation in cultural contexts: Market orientation, service orientation, and innovations in museums. Journal of Service Research, 15(1), 39–58.
  • Hume, M., Sullivan, G., & Winzar, H. (2011). Exploring service quality in the museum context. Journal of Nonprofit & Public Sector Marketing, 23(3), 229–253.
  • McLean, F. (1994). Services marketing: The case of museums. The Service Industries Journal, 14(2), 190–203.
  • Rentschler, R., & Gilmore, A. (2002). Museums: Discovering services marketing. International Journal of Arts Management, 4(3), 62–72.
  • Rentschler, R., & Hede, A.-M. (Eds.). (2007). Museum marketing: Competing in the global marketplace. Butterworth-Heinemann.
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日々の業務経験をもとに、ミュージアムの楽しさや魅力を発信しています。このサイトは、博物館関係者や研究者だけでなく、ミュージアムに興味を持つ一般の方々にも有益な情報源となることを目指しています。

私は、博物館・美術館の魅力をより多くの人に伝えるために「Museum Studies JAPAN」を立ち上げました。博物館は単なる展示施設ではなく、文化や歴史を未来へつなぐ重要な役割を担っています。運営者として、ミュージアムがどのように進化し、より多くの人々に価値を提供できるのかを追求し続けています。

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