博物館経営におけるビジネスモデル変革 ― 公共性と収益性のバランスを考える

目次

はじめに

博物館は、社会における文化的・教育的な拠点として長年にわたり重要な役割を果たしてきました。芸術作品や歴史資料の保存と展示、知識の普及、文化遺産の継承といった使命は、公共的な価値として広く認識されてきました。しかし近年、博物館を取り巻く環境は大きく変化しています。来館者のニーズは多様化し、単なる鑑賞の場から、体験型・参加型の学びや社会的な交流を求める声が高まっています。また、少子高齢化や地域経済の変動、財政支出の見直しといった社会的背景も相まって、博物館には従来以上に柔軟で持続可能な運営が求められるようになりました。

こうした状況のなかで、博物館は自らの存在意義を問い直し、時代に即した新たなビジネスモデルを構築していく必要に迫られています。特に、公的資金への依存を続けるだけでは安定した運営が難しい現実を踏まえ、収益構造の多様化や外部との連携強化が重要な課題となっています。一方で、収益拡大を目指すあまり、博物館本来の公共性や文化的使命が損なわれることへの懸念も根強く存在します。すなわち、経済的な持続可能性を確保しつつ、公共的価値をいかに守り、高めていくのかというバランス感覚が、現代の博物館経営において問われているのです。

本記事では、まず博物館経営におけるビジネスモデルとは何かを整理し、次に、変革を促している社会的要因を考察します。そのうえで、ルーヴル美術館、モントリオール美術館、ヴァン・アベ美術館などにおけるビジネスモデル革新の事例を紹介し、さらに公共・民間連携による文化ドリブン・イノベーションの取り組みも取り上げます。これらの事例を通じて、公共性と収益性という時に相反する要請をどのように調和させうるかを探り、日本の博物館経営にとっての示唆を導き出していきます。

現代社会において、博物館は単なる「過去を保存する場」ではなく、「未来を共創する場」としての役割を担い始めています。その新たな可能性を切り拓くために、どのようなビジネスモデル変革が求められているのかを考えていきましょう。

博物館のビジネスモデルとは何か

博物館における「ビジネスモデル」という言葉は、一般的な企業におけるそれとは少し異なる意味合いを持っています。通常、ビジネスモデルとは、組織がどのように価値を生み出し、それを社会に提供し、その結果として収益や資源を得る仕組みを指します。企業であれば、製品やサービスを市場に提供し、売上や利益を確保することが中心になります。しかし、博物館の場合、第一義的な目的は収益の獲得ではありません。文化財の保存、教育、地域社会への貢献といった「公共的な使命」を果たすことが、その根本に据えられています。

それでも、博物館も組織である以上、持続可能な運営を続けるためには資金や人材といったリソースを安定的に確保しなければなりません。そのため、近年では、博物館にも独自のビジネスモデルを意識した経営が求められるようになってきました。すなわち、「公共性を守りながら、いかにして持続可能な運営体制を築くか」という視点が不可欠になっているのです。

博物館のビジネスモデルを構成する三つの要素

博物館のビジネスモデルを考える際には、一般的に次の三つの要素を整理して捉えることができます。

価値提案(バリュー・プロポジション)

博物館が来館者や社会に対してどのような価値を提供するかを意味します。たとえば、美術品や歴史資料を通じた鑑賞体験、教育プログラムによる学びの機会、地域社会との対話の場の創出などが挙げられます。単なる展示だけでなく、「どのような体験を提供するのか」が、現代の博物館にとっては非常に重要なテーマとなっています。

価値創造と提供(リソースとプロセス)

学芸員や専門スタッフの知識、貴重なコレクション、展示空間、デジタル技術、さらには地域社会とのネットワークといった資源を活用し、どのようにして価値提案を実現するかが問われます。展示の企画から、教育普及活動、来館者サービス、マーケティングに至るまで、さまざまなプロセスを通じて価値が具体化されます。

価値捕捉(収益構造)

活動を支えるための財源をどのように確保するかが課題となります。入館料収入、ミュージアムショップやカフェの売上、寄付金やスポンサーシップ、政府や自治体からの補助金など、さまざまな手段が組み合わされます。博物館にとって重要なのは、単に金銭的な収益を上げることではなく、来館者の満足度向上、地域社会への貢献、文化的価値の浸透といった「社会的リターン」を重視する点にあります(Decker-Lange, 2018)。

変革を求められる博物館ビジネスモデル

このように、博物館のビジネスモデルは、公共性と持続性という二つの目標の間で常にバランスを取りながら設計されています。近年では、来館者の期待や社会課題の変化に応じて、より柔軟で革新的なモデルへの転換が求められています。

たとえば、従来の常設展示中心の運営から、参加型・共創型プログラムの導入へ、また、リアル空間だけでなくデジタル空間での価値提供へとシフトする動きもみられます。博物館は今、単なる文化保存機関にとどまらず、社会的課題の解決や持続可能な未来づくりに貢献する「社会イノベーションのプラットフォーム」としての役割を期待されています。ビジネスモデル変革は、こうした新たな役割を実現するための重要な鍵なのです。

ビジネスモデル変革を促す要因

博物館は今、これまでの延長線上にある運営スタイルだけでは生き残れない時代を迎えています。なぜなら、社会や来館者の求めるものが大きく変わり、それに伴って博物館自身の「在り方」も問われるようになってきたからです。ビジネスモデルの変革が必要とされる背景には、主に次の三つの要因があります。

資金的制約と公的支援の縮小

かつて多くの博物館は、国や地方自治体からの支援金や補助金によって安定した運営が可能でした。展示活動や教育普及事業の費用は公的資金でまかなわれ、経営上の収支を強く意識する必要はあまりありませんでした。

しかし近年、世界的な財政圧迫や政策の優先順位の変化により、文化施設への支援は徐々に縮小しています。この影響を受け、博物館は限られた予算のなかで、いかに活動を継続していくかが大きな課題となっています(Coblence & Sabatier, 2014)。運営資金の確保には、入館料、ショップ売上、寄付、スポンサーシップなど、多様な収益源を開拓していく必要があります。

この変化は、単なる「お金の問題」だけではありません。博物館の活動そのものを、より戦略的に設計しなおす必要性を突きつけています。

来館者ニーズの多様化と社会的期待の変化

展示室を静かに見て回るだけの「受動的な鑑賞」は、今や博物館の役割のほんの一部にすぎません。現代の来館者は、より能動的な体験を求めています。ワークショップへの参加、展示への意見反映、学びや地域課題についての対話など、積極的な関与を求める傾向が強まっています。

また、博物館には地域社会とのつながりや、環境・人権・福祉などの社会課題への発信基地としての役割も期待されるようになりました(Decker-Lange, 2018)。こうした変化に応えるためには、来館者中心の発想に立った新しい価値提案が不可欠です。

持続可能性と社会的イノベーションへの貢献

地球規模で進行する気候変動、人口構成の変化、経済格差の拡大といった課題に対して、博物館も無関係ではいられません。今や博物館には、文化資源を守るだけでなく、社会の持続可能な発展に貢献する役割が期待されています。

オランダのヴァン・アベ美術館では、アートを媒介とし、持続可能な社会に向けた価値観の再構築を目指す活動が進められています。展示を単なる鑑賞の対象とするのではなく、来館者との対話を通じて社会変革への参加を促す場として再定義しているのです(Ernst et al., 2016)。

こうした取り組みは、博物館が持つ潜在的な力を、より広い社会的文脈のなかで発揮していく新しい方向性を示しています。単なる生き残りではなく、文化と社会の未来をつくり出すために、博物館のビジネスモデルには変革が求められているのです。

ビジネスモデル変革の実例

現代の博物館経営におけるビジネスモデル変革は、単なる資金確保のための戦略変更ではありません。それは、文化機関が社会的使命を再定義し、新たな公共的価値を創出しようとする総合的な取り組みです。以下では、ルーヴル美術館、モントリオール美術館、ヴァン・アベ美術館という三つの事例について、社会背景、内部課題、戦略選択の根拠、施策の設計・実行・評価プロセスまで段階的に検討します。

ルーヴル美術館 ― 文化ブランド戦略と公共性の再定義

社会背景と内部課題

1990年代以降、フランス政府は国家財政再建策の一環として、文化機関への補助金縮小を進めました。これにより、ルーヴル美術館も運営資金の一部を自ら確保する必要に迫られました。加えて、観光産業のグローバル化に伴う文化拠点間競争の激化が、美術館の国際的プレゼンス強化を求める状況を生み出していました。

内部では、収蔵品保存コストの増大、施設老朽化、職員数の固定化といった慢性的課題も存在していました。

戦略選択と理論的根拠

ルーヴルは、ブランド戦略論に基づき、「文化ブランド」の国際展開による資金確保と影響力拡大を志向しました。公共文化機関がブランド資産を活用することで経済的自立と文化的公共性を両立できるという考え方に立脚していました。

施策設計と実行

  • アブダビ政府との文化協定交渉(2007年)
  • ブランド使用契約(30年間、総額数億ドル)
  • キュレーション支援と共同研究体制の構築
  • 展示方針として「世界文化の普遍性」を明示(西洋中心主義の回避)

このプロジェクトには、文化省、外務省、民間アドバイザリー企業など複数主体が関与し、多層的な意思決定が行われました。

成果とモニタリング

安定財源の確保、フランス文化発信の国際化促進に成功しましたが、一方で文化の商業化に対する倫理的批判も生じました。継続的なモニタリングにより、展示内容の公共性確保や、収益の本館への還元比率維持が管理されています。

モントリオール美術館 ― 文化福祉連携型ビジネスモデルの構築

社会背景と内部課題

カナダ社会では、多文化共生政策と「社会的処方(Social Prescribing)」の概念が普及し始めていました。一方、美術館には来館者層の固定化、教育普及部門の予算不足、地域社会との接続弱体化という課題が存在していました。

戦略選択と理論的根拠

文化と健康の連携に関する研究を踏まえ、美術館活動を医療・福祉サービスと接続することで公共的意義と来館者基盤の拡大を図る戦略が採用されました。

施策設計と実行

  • 医師会と連携した「美術館処方箋プログラム」の設計
  • 対象患者層の設定(メンタルヘルス、慢性病患者)
  • 無料入館パスの発行システム構築
  • 医療機関スタッフ向け研修プログラムの開発
  • 文化福祉部門の新設と専門人材採用

成果とモニタリング

低所得層、高齢者、移民層の来館者が増加し、文化活動がウェルビーイング向上に寄与するエビデンスが積み重ねられました。来館者満足度調査、参加者インタビュー、幸福度指標による効果測定が継続的に行われています。

ヴァン・アベ美術館 ― 社会実験型ビジネスモデルへの転換

社会背景と内部課題

アイントホーフェン市は工業都市から「知識創造都市」への転換を目指していました。その中で文化機関に対しても社会課題への貢献が期待されるようになりました。

戦略選択と理論的根拠

パブリック・エンゲージメント理論に基づき、来館者の主体的参加を重視する社会実験型ビジネスモデルが採用されました。

施策設計と実行

  • 展示構成を「問いかけ」中心に再設計
  • 展示解説を来館者との対話形式に転換
  • 社会課題(環境、ジェンダー、多文化共生)テーマ展開
  • 市民参加型アーティスト・イン・レジデンス制度導入
  • エコ展示設計、地域循環型資材活用による持続可能性戦略

成果とモニタリング

参加型プログラムへの来館者満足度向上、展示活動における環境負荷削減効果が実証されています。外部機関による社会的インパクトアセスメント(SIA)を導入し、継続的な改善サイクルを確立しています。

事例から得られる教訓 ― 博物館のビジネスモデル変革に向けた視点

今回紹介したルーヴル美術館、モントリオール美術館、ヴァン・アベ美術館の事例は、それぞれ異なる地域、異なる社会背景のもとで取り組まれたものですが、いくつかの共通する教訓を私たちに示してくれます。それらは、単なる経営テクニックの話ではありません。博物館という文化機関が、これから社会のなかでどのように存在していくべきかを深く考えさせるものです。以下、そのポイントを整理していきます。

文化機関も「変化の主体」でなければならない

従来の博物館は、文化財を保存し展示するという役割を「変わらないもの」として担ってきました。しかし社会が大きく変動するなかで、博物館自身もまた、変化の中に身を置き、積極的に社会と関わり直すことが求められる時代になっています。

ルーヴル美術館が自らブランドを国際展開したのは、単なる収益目的ではありません。フランス文化を世界に発信する新たな役割を自覚し、自ら動いた結果でした。モントリオール美術館も、医療・福祉との連携という新しい領域に踏み出すことで、地域社会に必要とされる存在へと生まれ変わりました。ヴァン・アベ美術館に至っては、来館者と共に社会課題を考える「実験の場」へと、自館の定義そのものを変えていったのです。

こうした事例が示すのは、博物館は環境変化に受け身で対応するのではなく、自ら変革の主体となるべきだということです。待っているだけでは、存在意義も、支援も、来館者も得られない時代が来ているのです。

持続可能なビジネスモデルには「多軸の価値創造」が必要

伝統的な博物館経営では、展示内容と来館者数、そしてそれに伴う収益確保が主な焦点でした。しかし、現代のビジネスモデルでは、これだけでは不十分です。今回の三館の事例に共通しているのは、経済的価値、社会的価値、文化的価値、環境的価値といった複数の価値軸を同時に追求している点です。

たとえばルーヴルは、ブランド収益だけでなく文化交流促進という公共的ミッションを忘れませんでした。モントリオールは、社会福祉の向上という価値軸を新たに取り入れることで、来館者層の拡大と地域社会への貢献を両立しました。ヴァン・アベ美術館は、環境問題や社会的包摂など、地球規模の課題を自館の展示テーマに据えることで、文化施設としての使命を拡張しました。

このように、一つの成果だけを追い求めるのではなく、複数の目標をバランスよく実現するモデルこそ、持続可能な博物館経営の鍵となるのです。

内部体制と外部ネットワークを同時に変革する視点

ビジネスモデルを変えるということは、単に収益源を増やすとか、展示テーマを変えるだけではありません。内部組織のあり方、外部との関係性づくりも含めた、トータルな変革が求められます。

ルーヴル美術館では、文化外交と連携するために、外務省や民間企業との複合的な交渉力を磨く必要がありました。モントリオール美術館では、医師会や福祉団体とのネットワーク構築に向け、館内に文化福祉部門を新設しました。ヴァン・アベ美術館では、学芸チームに加え、「ソーシャルイノベーションチーム」を設け、館の内外を巻き込んだ柔軟な運営体制を整えました。

つまり、内部の体質改革と、外部パートナーとの連携拡大は、常にセットで考える必要があるのです。この視点を持たずに施策だけ変えても、ビジネスモデルの本当の変革にはつながりません。

博物館は「社会的イノベーションのプラットフォーム」へ

最も重要な教訓は、これからの博物館は単なる文化保存機関ではなく、社会的イノベーションを促進するプラットフォームになっていくべきだということです。

博物館は、文化財を守り伝えるだけでなく、現代社会が直面する課題に対して、知識と対話と創造力をもって貢献する場でありうるのです。人々が新しい価値観に出会い、違いを認め合い、未来に向かって考えるための出発点となることが期待されています。

ルーヴル、モントリオール、ヴァン・アベの各館は、それぞれ違う方法でこの未来像に向かって一歩を踏み出していました。今後、より多くの博物館がこの方向性を意識し、それぞれの地域や使命に応じた独自のビジネスモデルを築いていくことが期待されます。

博物館経営に求められる新しい視点 ― 未来を見据えて

ここまで見てきたように、現代の博物館は、単に伝統を守るだけでは社会に存在意義を問われる時代に入っています。ビジネスモデルを変革するということは、単なる資金繰りや運営手法の問題にとどまらず、博物館とは何のために存在するのかという根本的な問いを再考する作業そのものです。

ビジネスモデル変革とは「目的の再定義」である

ルーヴル美術館、モントリオール美術館、ヴァン・アベ美術館の事例が示したのは、いずれも収益確保や来館者増加を超えた、博物館の社会的使命そのものを広げる試みでした。

ビジネスモデルを変えるとは、単に方法を変えることではありません。博物館の存在意義、未来社会における役割を自ら定義し直し、それにふさわしい運営と活動を組み直すこと。つまり、目的の再定義と、その実現のための戦略的な選択こそが、真の変革なのです。

経営者と学芸員に求められるのは「共創」の姿勢

これからの博物館経営には、「経営」と「学芸」の二つの機能が互いに補完しあうことが求められます。経営側には、持続可能な事業モデルを設計し、社会との新たな接点を開拓する力が必要です。一方、学芸員には、文化資源の専門性を社会的価値に翻訳し、多様なステークホルダーと対話しながら活動を展開する柔軟さが求められます。

そして両者に共通して必要なのは、「共創」の視点です。来館者、地域社会、パートナー機関、未来の世代と共に、博物館の新しい価値を生み出していく。そんなオープンでしなやかな姿勢が、これからの博物館経営には不可欠となるでしょう。

未来志向の博物館経営に向けて

変革には勇気がいります。しかし同時に、それは未来への可能性を広げるチャンスでもあります。

社会課題が複雑化する時代だからこそ、博物館は文化の保管庫であると同時に、未来をつくる実験室となりうる。文化と社会をつなぎ、人々に希望と問いを届ける存在になりうるのです。

参考文献

  • Coblence, E., & Sabatier, V. (2014). Art museums’ business models: Mission accomplishment versus sustainability. International Journal of Arts Management, 17(1), 32–44.
  • Decker-Lange, T. (2018). Business model innovation in museums: The van Abbemuseum as a lab for social innovation. Journal of Business Models, 6(2), 29–35.
  • Ernst, C., et al. (2016). Business model innovation: Insights from the Van Abbemuseum. Journal of Business Models, 4(2), 45–58.
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この記事を書いた人

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日々の業務経験をもとに、ミュージアムの楽しさや魅力を発信しています。このサイトは、博物館関係者や研究者だけでなく、ミュージアムに興味を持つ一般の方々にも有益な情報源となることを目指しています。

私は、博物館・美術館の魅力をより多くの人に伝えるために「Museum Studies JAPAN」を立ち上げました。博物館は単なる展示施設ではなく、文化や歴史を未来へつなぐ重要な役割を担っています。運営者として、ミュージアムがどのように進化し、より多くの人々に価値を提供できるのかを追求し続けています。

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