はじめに:なぜ今、人事マネジメントが問われるのか
近年、博物館の経営をめぐる議論において、「制度の整備」や「施設の再編」といったハード面の施策だけでなく、人の働き方や職場の文化に目を向けた人事マネジメントの重要性が、あらためて注目されつつあります。展示や教育、資料の収集保存といった活動を動かしているのは、ほかでもない「人」であり、その人がどのような環境で働き、どのような関係性を築いているのかによって、組織のパフォーマンスは大きく左右されます。
一方で、多くの博物館が直面しているのは、人材の採用や育成に十分な資源を割くことが難しいという構造的な制約です。非正規雇用の比率が高く、職務や責任の範囲が曖昧なまま業務を担っている職員も少なくありません。その結果、継続的なキャリア形成が困難になり、専門性の蓄積や次世代への継承にも支障が生じやすい状況が生まれています。近年では、働き方やチームの在り方そのものを見直す動きが広がっており、職場の分断や心理的な疲弊といった課題が顕在化しています。
こうした背景のもと、今あらためて問われているのが、「人事マネジメントとはそもそも何を扱うのか」という根本的な問いです。人事マネジメントは、単に人を採用し、配置し、評価するための技術ではありません。職員がその専門性を活かしながら働きがいを感じ、チームの一員として協働できる環境を整えるための、組織全体の戦略的な営みでもあります。つまり、「人をどう管理するか」ではなく、「人がどう活きるか」を支える視点が求められているのです。
本記事では、博物館における人事マネジメントの主な課題を整理したうえで、それらがどのように組織の持続可能性と結びついているのかを明らかにし、近年の研究動向をふまえながら、解決に向けた実践的なアプローチを検討していきます。
博物館の人事マネジメントを取り巻く課題とは?
人事マネジメントに関する課題は、しばしば「個別の悩み」として語られがちです。たとえば、「人がすぐに辞めてしまう」「評価制度がうまく機能していない」「新しい業務に対応できる人材がいない」といった声は、どれも現場では切実な問題です。しかし、こうした個々の課題を点として捉えるだけでは、博物館組織全体の持続可能性に向けた戦略的な議論へとつながりにくくなってしまいます。
そこで本節では、近年の国際的な研究動向を手がかりに、人事マネジメントに関する課題を大きく分類し、その全体像を俯瞰します。特に注目されるのが、2024年に発表された体系的レビュー研究において、複数の博物館研究から共通して指摘された課題を整理した分析です。この研究では、人事マネジメントの課題を8つの観点に分類しており、組織運営におけるボトルネックを浮き彫りにしています。
以下は、それらの課題を簡略化してまとめたものです。
項目 | 課題の概要 |
---|---|
1. デジタル化への対応不足 | 新しい技術やデジタル業務への対応力が追いつかず、既存の職務とのミスマッチが生じている。 |
2. 離職・モチベーションの低下 | キャリアの見通しの不透明さや、過重労働が職員の定着を妨げている。 |
3. リーダーシップの固定化 | 指示命令型のリーダーシップに偏り、職員の自主性や創造性が発揮されにくい環境がある。 |
4. 職務の不明瞭さ・役割の重複 | 職務内容や責任分担が曖昧で、業務の非効率化や職員間の摩擦を招いている。 |
5. 人事評価制度の未整備 | 客観的な評価指標が不足し、成果が可視化されにくい状況が続いている。 |
6. 包摂性と多様性への配慮不足 | 障害のある人、外国人、ジェンダーの多様性に配慮した職場環境が整っていない。 |
7. 危機対応力の欠如 | 災害や気候変動への対応力が組織として備わっておらず、危機下での混乱が想定される。 |
8. 職員間のコミュニケーション不足 | 情報共有やチームワークが不十分で、部署間の連携が課題となっている。 |
これらの課題は、単独で存在しているのではなく、相互に影響し合っています。たとえば、職務の不明瞭さは評価制度の未整備と結びつきやすく、職員の不満や離職につながります。また、リーダーシップのあり方やチーム内のコミュニケーションの質が、組織文化や働きがいに大きな影響を与えることも分かっています。
加えて、日本の博物館をめぐる制度的な背景も、こうした課題の深刻さを増す要因の一つです。とくに、非正規雇用の多さや、予算の制約による人材育成機会の不足は、構造的な課題として長年指摘されてきました。組織の規模によっても状況は異なり、大規模館では役職や責任が細分化される一方で、小規模館では一人の職員が複数の業務を兼務せざるを得ない場合が少なくありません。いずれにしても、明確な役割分担や人材育成のビジョンがなければ、職員個人の能力に頼った運営が常態化してしまいます。
このように、博物館の人事マネジメントをめぐる課題は、単なる労務管理の問題にとどまらず、組織のあり方そのものを映し出す鏡でもあります。次節では、こうした課題がどのように組織文化やリーダーシップのあり方と関係しているのかを掘り下げていきます。
組織文化とリーダーシップの影響をどう捉えるか
人事マネジメントに関する課題が浮上する際、私たちはつい「評価制度が整っていない」「育成の仕組みがない」といった制度的な側面に注目しがちです。もちろん制度の整備は重要ですが、それだけでは十分ではありません。制度があっても、それが職員に受け入れられ、日々の業務に活かされなければ、実質的には機能していないことになります。ここで見落とされがちなのが、制度の背後にある組織文化やリーダーシップのあり方です。
組織文化とは、組織のなかで共有されている価値観や行動様式、考え方のことを指します。これは明文化されていない場合も多く、たとえば「この職場では上司の前ではあまり意見を言わない方が良い」「忙しいことを美徳とする雰囲気がある」といった、言葉にされにくい慣習や期待感の集積です。職員一人ひとりが「空気を読む」なかで暗黙のうちに共有しているこれらの文化は、組織内の人間関係や業務の進め方、さらには職員の心理的な安全性にも大きく影響します。
この文化を形づくるうえで、特に大きな役割を果たすのがリーダーシップのスタイルです。リーダーの言動や態度は、職場の雰囲気や人間関係のあり方に直接的な影響を及ぼします。たとえば、「上からの指示を忠実に実行することが評価される」ような組織では、現場の創意工夫や挑戦的な提案は生まれにくくなります。その一方で、上司が職員の考えを尊重し、業務の背景や目的を丁寧に共有することで、組織全体が開かれた雰囲気になり、個々の職員が自律的に動けるようになることもあります。
こうした観点から、近年注目されているのがトランスフォーメーショナル・リーダーシップという考え方です。これは、単に指示を出すだけのリーダーではなく、職員一人ひとりと信頼関係を築き、共通のビジョンに向かって成長を促す存在としてのリーダー像を描くものです。トランスフォーメーショナル・リーダーは、メンバーの可能性を引き出し、彼らが仕事に意味を見出せるよう支援しながら、組織全体の方向性を示していきます。
イギリスの博物館職員を対象に行われた調査では、このようなリーダーシップスタイルが職員の満足度や組織への定着意識に強く関連していることが示されています(Dragouni & McCarthy, 2021)。ビジョンが明確に伝えられ、職員の裁量が認められ、上司との信頼関係が築かれている職場ほど、職員は「ここで働き続けたい」と感じる傾向が高いことが報告されています。
では、こうした文化やリーダーシップが支える職場とは、具体的にどのような要素から成り立っているのでしょうか。重要なキーワードのひとつが心理的安全性です。これは、職員が自分の意見や疑問を安心して表明できる状態を指します。間違いや課題を口にしても非難されない、周囲に支援してもらえるという感覚は、挑戦や学びの前提になります。また、業務の意味や組織の方向性が共有されていることも大切です。自分の仕事が組織全体の目標とどうつながっているのかがわかれば、職員は「単なる作業者」ではなく、「組織の一員」としての自覚を持ちやすくなります。
このように、組織文化とリーダーシップは、制度と表裏一体の関係にあります。いくら制度を整えても、文化がそれを支えるものでなければ、職員にとってその制度は使いにくいものとなり、形だけが残る結果になりかねません。逆に、文化だけがよくても、それを具現化する制度がなければ、日常の業務のなかで行動につなげることが難しくなります。制度は「枠組み」として文化を支え、文化は「風土」として制度を根づかせる。この両者の相互作用が、人事マネジメントの土台を形成するのです。
解決に向けた実践 ― 博物館における人事マネジメントの取り組み
前節では、博物館における人事マネジメントの課題を、組織文化やリーダーシップといった内在的な要因と結びつけて整理しました。これらの課題は一朝一夕に解決できるものではありませんが、現場に根差した地道な実践の積み重ねによって、確実に変化を生み出すことができます。
人を育て、活かし、支えるための人事マネジメントは、単なる制度やルールの導入ではなく、日常の業務や組織の文化と深く結びついた営みです。以下では、「採用・配置」「育成」「評価」「環境整備」という4つの切り口から、博物館で取り組むべき実践を具体的に整理していきます。
採用と配置 ― 専門性と適材適所をどう実現するか
人事マネジメントの出発点は「誰を採用するか」ですが、それは単なる人手の補充ではありません。博物館の業務は展示・保存・教育・研究・運営など多岐にわたり、必要とされる専門性や役割もさまざまです。したがって、単に「有資格者」や「経験者」を選ぶだけでは、組織の長期的な成果や協働の質を高めることはできません。
重要なのは、職務の内容と役割を明確にしたうえで、それに適した人物を迎えるという視点です。このために有効なのが、職務記述書(ジョブディスクリプション)の導入です。どのような業務が期待されるのか、どのような責任を持つのかをあらかじめ文書化しておくことで、応募者自身もその役割を理解しやすくなり、採用後のミスマッチも防げます。
また、採用面接の際には、専門性の確認と並行して、組織のミッションや価値観とどの程度共感できるかを確かめる視点も欠かせません。業務の成果は個人の能力だけでなく、チームとしての連携や共通理解の上に成り立つものです。組織文化への適合、すなわち「カルチャーフィット」は、長期的に活躍できる人材かどうかを見極めるうえで、きわめて重要な指標です。
育成と学びの促進 ― 学習する組織をどう育てるか
採用した人材が、現場でその力を発揮し、組織とともに成長していくには、継続的な育成の仕組みが必要です。博物館の業務は高度な専門性と同時に、他部門との連携や社会との関係づくりといった幅広い視野を求められるため、個人に任せきりでは学びが偏ってしまいます。
まず基礎となるのが、OJT(On-the-Job Training)とOFF-JTの組み合わせです。日々の実務を通じて知識や技術を伝えるとともに、定期的に外部講師による研修や他館での実地研修を行うことで、視野を広げる機会を提供できます。加えて、若手職員や新規採用者に対しては、ピア・メンター制度のように、年齢や役職に関係なく相談できる先輩職員の存在を明確にすることで、心理的な支えを提供することもできます。
また、部門間を越えたクロストレーニングやローテーション制度は、視野の広い人材を育てるだけでなく、他部署の事情を理解し合うことで、組織全体の協働性を高める効果があります。これにより、「自分の仕事だけをすればよい」という意識から脱却し、職員同士が互いの仕事に関心と敬意を持つようになる土壌が育まれます。
さらに、人材育成は一方的な「教える」営みではありません。職員が自ら成長を実感し、組織に貢献できているという手応えを持つことができる仕掛けづくりが大切です。そのためには、小規模なプロジェクトを任せる、実践の成果を共有できる場を設けるなど、自律性を尊重する仕組みが有効です。
評価と対話 ― 正当なフィードバックの文化を育てる
人事評価は、働きがいと職場への信頼感を左右する繊細な領域です。特に博物館の業務は、成果が短期的に数値化しにくく、チームでの協働やプロセスの工夫が重視されるため、「何をもって評価するか」が曖昧になりがちです。
そのため、評価制度を整える際には、定量的な指標だけでなく、定性的な視点やプロセス評価を取り入れることが不可欠です。たとえば、来館者数や展示数といったアウトカムに加え、チームへの貢献度、改善提案の質、後輩への支援といった行動ベースの指標を設定することで、幅広い貢献を正当に評価することができます。
また、評価は一方的な「査定」ではなく、対話を通じたフィードバックのプロセスであるべきです。定期的な面談を通して、上司と職員が率直に振り返りを行い、困難や挑戦、学びのプロセスについて言語化することで、相互理解が深まります。こうした場が、評価を「罰」ではなく「成長の機会」として捉える文化を育みます。
重要なのは、評価制度が「納得感のあるもの」として受け止められることです。そのためには、評価の観点を事前に共有し、結果だけでなく背景や理由を丁寧に説明するマネジメントの姿勢が求められます。
環境と関係性の整備 ― 働きやすさと安心感の保障
どれだけ優れた制度が整っていても、職員が心身の安心を得られず、孤立や不安のなかで働いているようでは、その力を発揮することはできません。人事マネジメントの基盤には、物理的・心理的な働きやすさを保障する職場環境の整備が必要です。
柔軟な勤務制度の導入は、今や不可欠の要素となっています。時差出勤、在宅勤務、短時間勤務など、多様な働き方が認められることで、育児・介護・学業などを抱える職員も、無理なく職場に関わることができます。また、制度を整えるだけでなく、「使ってもよい」「使いづらくない」雰囲気をつくることも、マネジメントの重要な役割です。
さらに、ハラスメントの予防やメンタルヘルス支援の体制構築も欠かせません。相談窓口の設置や、上司とは別の第三者による定期的な面談、ストレスチェック制度の導入などにより、問題の早期発見と予防が可能になります。職場の安心感は、こうした仕組みの積み重ねによって初めて実現します。
また、日常的な関係性の質も見逃せません。職員同士が互いの仕事に関心を持ち、困っているときには自然に声をかけ合える関係性があることで、心理的な安全性が高まり、組織全体に信頼の土壌が育っていきます。
実践を支えるマネジメントの視点
こうした人事施策を支えるのが、現場をマネジメントする立場にある人々の姿勢と行動です。制度や仕組みが機能するかどうかは、それを運用するリーダーの関わり方次第です。重要なのは、現場の声に耳を傾け、必要に応じて柔軟に対応する「開かれたマネジメント」の実践です。
また、マネジメント層自身も学び続ける必要があります。人事やリーダーシップに関する知見は日々更新されており、それを自らの現場に適用していく姿勢が、組織全体に対するメッセージとなります。リーダーは指示する存在ではなく、共に学び、支える存在へと進化することが求められているのです。
持続可能な組織づくりに向けて ― 人事マネジメントの本質を捉え直す
ここまで、人事マネジメントにおける課題の構造、組織文化とリーダーシップの影響、そして実際に現場で取りうる施策について、理論と実践の両面から整理してきました。それらをふまえ、最後に人事マネジメントの本質とは何かを改めて問い直し、持続可能な博物館経営に向けた視座を共有したいと思います。
人事マネジメントは、制度を整えるだけでは機能しません。採用、育成、評価、環境整備といった施策はそれぞれ重要ですが、それらを単独で導入するだけでは、組織の活力や人材の定着には結びつきません。むしろ、制度がどのように職場の日常に根づき、どのように職員の行動や関係性と結びついているのかという「運用のリアリティ」が問われます。つまり、制度は手段に過ぎず、それを支える文化と実践こそが人事マネジメントの核心なのです。
とりわけ、組織文化とリーダーシップの影響は軽視できません。職員が安心して声を上げられるか、上司と信頼関係を築けているか、自分の役割に納得感を持てているか――こうした要素は、どれも制度設計では完全にコントロールできないものですが、実際には職場の居心地や働き続けたいという意欲に大きく影響を与えます。制度は文化を支え、文化は制度を活かす。この両者の連動を前提とした設計と運用が、人事マネジメントの質を決定づけます。
また、人事マネジメントを「現場の人手不足への対処」や「個別の制度改革」としてだけ捉えるのではなく、組織の未来をかたちづくる営みとしてとらえ直すことも大切です。いま目の前にいる職員が、3年後、5年後にどのような役割を担い、どのように働いていたいのか。その未来像に思いを馳せる視点を持つことは、日々のマネジメントの判断や関わり方を大きく変える力を持っています。
人事マネジメントとは、結局のところ、「人を活かす」ことに他なりません。そしてそれは同時に、「組織を育てる」ことでもあります。今日からすべてを変えることは難しくても、小さな対話を始める、目の前の育成機会を逃さない、制度の使い方を職員と一緒に考える――そんな日々の積み重ねが、やがて組織のあり方そのものを変えていくのです。
持続可能な組織とは、持続的に人が育ち、人が支え合い、人が残る組織です。そのために人事マネジメントが果たす役割は、単なる管理機能ではなく、組織の未来を支える中核的な経営機能であることを、あらためて確認しておきたいと思います。
参考文献
- Decker, D. (2020). Museum work and emotional labor: Managing affect in organizations. Routledge.
- Dicus, D. H. (2000). Mentoring museum professionals: Practices and programs. In R. R. Janes & G. T. Conaty (Eds.), Looking reality in the eye: Museums and social responsibility (pp. 158–171). University of Calgary Press.
- Dragija, Š. (2024). Human resource management in museums: A systematic literature review. Museum Management and Curatorship. Advance online publication.
- Dragouni, M., & McCarthy, C. (2021). Transformational leadership and job satisfaction in UK museums: The mediating role of trust and engagement. Museum Management and Curatorship, 36(4), 408–428.
- Zan, L., Bonini Baraldi, S., Golinelli, G. M., & Montella, M. (2018). Managing cultural heritage: An international research perspective. Routledge.