はじめに
博物館にとって、コレクションはその存在意義の根幹をなすものです。単なる物品の集積ではなく、それぞれが歴史や文化、地域社会とのつながりを語る「モノの語り手」としての価値を持ちます。私たちはそれらを「守る」と同時に、「伝える」責任を負っており、コレクション管理とはすなわち、過去から未来へと文化的記憶を橋渡しする営みにほかなりません(Matassa, 2011)。
しかし現代の博物館は、そうした理想と実務の間で、かつてないほどの課題に直面しています。新たな資料の受け入れや寄贈は続き、収蔵品の点数は年々増加していく一方で、収蔵スペースの限界、予算の縮小、保存環境の維持、人材の不足といった現実的な制約は深刻さを増しています(Merriman, 2008)。実際、資料の所在が不明であったり、状態が記録されていない例も少なくありません。すべての資料を等しく「永久に保存する」ことが果たして可能なのか。こうした問いに正面から向き合わざるを得ない状況が生まれつつあります。
このような背景のもと、「保存」と「活用」のバランスをいかにとるべきかが、今日のコレクション管理において中心的なテーマとなっています。資料を適切に保管・保全することは博物館の基本ですが、それだけでは文化の価値が十分に発揮されるとは限りません。展示や研究、教育、地域連携などを通じて人々と接点を持ち、社会とつながることこそが、博物館の公共的役割を果たす上で欠かせない要素です。とはいえ、活用ばかりを追い求めれば資料は損耗し、将来世代に継承できない危険も生じます。こうした「保存」と「活用」のジレンマに対し、どのように持続可能な視点からアプローチできるのか。これは個々の博物館だけでなく、博物館という制度そのもののあり方を問い直す視座でもあります(Merriman, 2005)。
本記事では、このような課題をふまえ、「長期的視点に立ったコレクション管理」とは何かを多角的に考察します。理論的背景としては、持続可能性の概念や資料選別の倫理的・戦略的判断に関する議論を整理しつつ、実務面ではリスクマネジメント、保存環境の整備、人材育成、デジタル技術の活用など具体的なアプローチを取り上げます。また、海外の先進事例にも目を向けながら、今後の日本の博物館にとっての示唆を探っていきます。
資料とともに未来を見据えるという、私たち博物館人に課された使命を、より現実的かつ創造的に果たしていくために。本稿がその一助となれば幸いです。
コレクション管理の課題と変化 ― 増え続ける資料と向き合うために
博物館にとって、資料の収集は活動の基盤です。展示や教育、研究といったさまざまな営みは、所蔵資料によって支えられています。そのため、資料を蓄積し、保護し、継承することは、博物館の基本的な使命として長く認識されてきました。しかし、現代のコレクション管理は、こうした“当然”とされてきた前提が抱える限界に直面しています。
コレクションはなぜ「増え続ける」のか
資料はさまざまな経路を通じて博物館に集まってきます。学術的な収集活動、地域社会からの寄贈、行政機関による文化財の移管、さらには災害後の緊急収蔵など、受け入れの背景は多岐にわたります。多くの場合、こうした収蔵は善意や公共的使命に支えられており、博物館が社会に果たすべき役割の一環とされてきました。
一方で、「いつか展示される」「いつか活用される」という期待のもとで資料が受け入れられたものの、実際には長期間にわたって未整理・未活用のまま倉庫に保管されている例も少なくありません。多くの博物館では収蔵品の正確な内容や状態を把握できておらず、その結果、保存作業の優先順位をつけたり、戦略的な運用を行ったりすることが困難になっていると指摘されています(Merriman, 2008)。
「全部保存」は限界か ― 持続可能性の視点から
「すべての資料を永遠に保存する」という理想は、限られた資源のもとでは現実的ではありません。保存環境の整備や空調・照明・害虫対策などの維持管理には多くのコストと人手が必要です。加えて、収蔵スペースにも限界があることから、今後も同じように受け入れを続けることは難しい状況にあります。
それでも、多くの博物館では資料の選別や処分をためらいがちです。その背景には、「廃棄=文化的価値の否定」という倫理的な抵抗感があるほか、明確な評価基準や制度が整っていないことも影響しています。評価・選別・除却といった行為が説明責任を伴う以上、それを支える制度的枠組みと専門的判断が求められているのです(Fahy, 1995;Matassa, 2011)。
現在と未来の文脈に照らして、「何を残し、何を“忘れる”のか」を積極的に選択する姿勢が必要であるという指摘もあります(Merriman, 2005)。
変化するコレクション観 ― 社会とつながる資源へ
かつての博物館では、収蔵品は「守るべきもの」として倉庫に眠っていることが多くありました。しかし今日では、資料は保存の対象であると同時に、社会とつながる資源として再定義されつつあります。博物館への寄贈は、個人的な贈与ではなく、社会全体への奉仕としての側面があり、資料の存在意義は社会との関係性のなかで発揮されるべきだと考えられています(van der Grijp, 2014)。
資料が博物館にあるということは、それが活用されて初めて価値を持つという認識が広がっています。単に保存されているだけでは不十分であり、展示や教育、研究、地域連携といった形で人々と結びつくことによって、その文化的・社会的価値が発揮されるのです(Matassa, 2011)。
制度と専門性の遅れ
こうした新しいコレクション観を現場に根づかせるためには、組織的な体制整備と専門人材の確保が不可欠です。しかし現実には、コレクション管理に特化した人材が不足しており、役割や責任の所在が明確にされていない博物館も多く存在します。収蔵管理の職務設計や専門性の確立が不十分であることが、保存リスクへの対応力を低下させているという指摘もあります(Fifield, 2018)。
さらに、日本の博物館においては、長期的な活用計画や資料の選別・除却に関する方針の整備も発展途上にあります。今後は、収蔵品の存在理由を問い直し、その価値と運用について組織的に判断できる制度と人材を整えることが、持続可能なコレクション管理の土台となっていくでしょう。
長期的視点に立った管理の基本原則 ― 残すべきものを見極め、未来につなぐために
現代の博物館にとって、コレクション管理は「蓄積」から「選択」へと転換する時代を迎えています。資料が増え続ける一方で、保存環境や人的資源は限られており、すべてを等しく守るという従来の前提は見直しを迫られています。こうした状況に対応するには、「長期的視点」に立った管理のあり方を明確にし、組織としての判断と体制を構築する必要があります。
長期的視点とは何か ― 今だけでなく未来を見据える管理
長期的視点とは、単に「長く保管すること」を意味するものではありません。それは、未来の社会にとって意味のある資料とは何かを見極め、限られた資源のなかで適切な判断を重ねていくことを意味します。すべてを保存することが不可能な時代においては、「未来にとって必要なものを、いま選ぶ」という発想が重要です。
コレクションは、過去の事実を保存する客観的な記録であると同時に、博物館という制度や時代の価値観を反映した選択の結果でもあります。その意味で、未来の社会に向けて新たな文脈を生み出すための資源として、現在の私たちがその形を再構成していく責任があるのです(Merriman, 2008)。
残す基準を定める ― 評価と選別の透明性
何を残し、何を手放すか。その判断は、恣意的であってはならず、明確な評価基準と透明なプロセスに支えられている必要があります。資料の評価には、歴史的価値、学術的意義、地域との関係性、感情的・象徴的価値など、多面的な観点が求められます。これらを明文化し、関係者と共有することが、社会的な理解と説明責任を支える基盤となります。
また、選別の際には、倫理的な配慮も欠かせません。一部の資料が処分されることが、単なる合理化や効率化と受け取られないよう、判断の根拠を明確にし、可能であれば記録として公開していく姿勢が求められます(Fahy, 1995;Matassa, 2011)。コレクションの「再構築」とは、過去の判断を否定することではなく、現在と未来の文脈に基づいて意味を問い直す営みなのです(Merriman, 2005)。
制度的な基盤整備 ― 計画とルールを支える仕組み
こうした判断を日常の業務に根づかせるためには、制度的な整備が不可欠です。たとえば、コレクション管理ポリシーの策定は、その第一歩といえます。ポリシーには、収蔵・保存・除却・活用に関する基本的な方針と手続きが記され、管理の一貫性と継続性を担保します。また、収蔵計画や活用計画といった中長期的な視点を組み込むことで、「今日の判断」が将来にとって有効な意味を持つように設計されます(Fahy, 1995)。
さらに、自然災害や突発的な事故などへの備えとして、リスクマネジメントの視点を取り入れた柔軟な運用体制も求められます。資料の優先順位づけや緊急時の対応計画は、長期的な視野に立った意思決定の一部として捉えるべきものです(Matassa, 2011)。
専門性と人材の確保 ― 持続可能性を担保する人的基盤
制度やポリシーが整備されたとしても、それを実際に運用するのは現場の人材です。したがって、専門性を持った職員の配置と育成は、長期的視点に立った管理の根幹をなす要素です。近年では、収蔵管理の専門職である「コレクションマネージャー」の役割が注目されています。彼らは、保存と活用の両立を前提としながら、資料のリスク評価、状態把握、優先順位づけ、記録管理などを総合的に担います(Fifield, 2018)。
また、個人の属人的な判断に依存しないためには、複数人による合議的な体制を整え、記録を残すことで透明性と継続性を確保することが重要です。知識や判断の積み重ねが、組織としての記憶となり、将来の人材にも継承されていくのです。
リスクと向き合う ― コレクションの脅威とその備え
博物館のコレクションは、そこにあるだけで守られているわけではありません。資料は時間とともに確実に劣化し、さまざまな外的・内的要因によって損なわれていく可能性を常に抱えています。長期的視点に立ったコレクション管理を考えるうえで、この「リスク」と向き合い、適切に備えることは欠かせません。コレクションの価値を未来へと継承するためには、ただ保存するのではなく、積極的に守るという意識と体制が必要です。
なぜリスクに備える必要があるのか
コレクションにとってのリスクとは、単なる突発的な事故だけではありません。小さな見落としや判断の遅れが、長期的には致命的な損傷や損失につながることもあります。自然災害や火災といった突発的な事象だけでなく、保存環境の不備、記録管理の欠如、制度の未整備といった慢性的な課題もまた、深刻なリスク要因となります。
これまでのコレクション管理は「保存の継続」に焦点を当ててきましたが、それだけではリスクの全体像に対応しきれない現実があります。長期的な視野を持つことは、すなわち将来的なリスクをあらかじめ想定し、今できる備えを講じておくという姿勢につながります。持続可能な管理のためには、リスクを「予防的に管理する」という発想が欠かせません。
コレクションを脅かす主なリスクとは
コレクションを取り巻くリスクには、複数の層が存在します。まず、物理的なリスクとして、地震や火災、洪水といった自然災害や、人的ミスによる落下・破損、さらには盗難や破壊行為などが挙げられます。こうしたリスクは一度発生すれば被害が甚大であり、回復困難な場合も少なくありません。
次に、環境的リスクがあります。たとえば、温湿度管理の不備によるカビや腐食、紫外線や可視光線による褪色、虫害や微生物による劣化などは、日常的に資料に影響を及ぼしうる脅威です(Matassa, 2011)。保存環境に対する継続的なモニタリングと調整は、予防的保存の中核をなします。
さらに、組織的リスクとしては、管理記録の未整備や人員の流動性、業務の属人化などが挙げられます。特定の個人の知識や経験に依存している場合、その退職や異動が重大なリスク要因となることもあります(Fifield, 2018)。また、制度的リスクとして、収蔵計画や緊急時対応マニュアルの欠如、組織内の責任分担の曖昧さなども、いざというときの対応力を大きく左右します。
リスクを管理するという考え方
リスクマネジメントの目的は、リスクをゼロにすることではありません。むしろ重要なのは、リスクを「見える化」し、評価し、軽減策を講じるという循環的な思考です。あらゆる保存資源に限りがある以上、すべてのリスクに同じ重みで対応することはできません。そのためには、リスクの影響度や発生可能性を定量的に評価し、優先順位をつけて対策を行う必要があります。
こうした発想を実践するツールとして、CPRAM(Cultural Property Risk Analysis Model)やSCoRE(Structured Conservation Risk Evaluation)といったリスク評価モデルが国際的に活用されています。これらのモデルでは、資料ごとのリスクを評価し、保全投資の優先順位づけやコスト効果の分析を行うことが可能です(Elkin & Nunan, 2011)。「最も重要なものを、最も脅かしているリスクから守る」という考え方は、合理的で持続可能な管理を支える柱となります。
備えるための体制と行動
リスクに備えるためには、まず現状の把握と評価が欠かせません。資料の種類や状態、収蔵環境、館内の設備構造などを踏まえてリスクアセスメントを定期的に実施し、その結果をもとに対策を計画的に進める必要があります。
また、災害や事故などの緊急時に備えた対応マニュアルの整備と、定期的な訓練も重要です。誰が、いつ、どのように行動すべきかが明確にされていなければ、いざというときに迅速な対応は望めません。保存環境に関しては、温湿度の自動モニタリング、照度や振動の制御、点検記録の蓄積など、日常的な管理体制を確立することが求められます。
さらに、リスク管理は特定の部署や担当者だけの仕事ではなく、博物館全体の方針として共有されるべきものです。展示部門や教育普及部門、事務・管理部門との連携を通じて、リスクへの感度と対応力を組織全体で高めていくことが、長期的な信頼性と安全性につながります。
活用との両立をどう図るか ― 保存と開かれた運用の接点へ
博物館のコレクションは、ただ保存されているだけで価値があるわけではありません。資料は展示され、研究され、教育活動に用いられることで初めて人々の認識に触れ、文化的意味を獲得します。保存と活用はしばしば対立するものとして捉えられがちですが、両者はむしろ補完的な関係にあります。コレクションを未来に継承するという目的のもとで、保存と活用のバランスをどのように設計するかが問われています。
活用なくして保存の意味はあるのか?
博物館が資料を収集・保存する理由は、単に未来のために物理的状態を保つことではなく、その資料が社会や次世代とつながる価値を持つからにほかなりません。展示、貸出、研究、教育といった活用を通じて、資料はその文化的・歴史的意味を発揮します。
活用によって資料が劣化するリスクがあるのは事実ですが、そのリスクを恐れるあまり使用を極端に制限すれば、コレクションは社会から切り離された存在となってしまいます。保存の正当性は、資料が生きた文化資源として活用され続けることによって裏付けられるのです。したがって、保存と活用は両立可能であるばかりか、相互に意味を与え合う戦略的な関係として捉え直す必要があります。
保存に配慮した活用の基本原則
コレクションの活用にあたっては、その資料が持つ脆弱性や保存状態を考慮した運用が求められます。たとえば、光に弱い紙資料は展示期間を短くする、繊細な構造を持つ立体資料は移動を避けるといった配慮が必要です。保存上の観点からは、使用頻度と劣化速度の関係を把握し、長期的に活用できるサイクルを設計することが大切です(Matassa, 2011)。
そのためには、活用に関する内部基準の整備が重要となります。展示に適した資料の選定基準、貸出時の輸送・保険・展示条件、外部への画像提供や複製可否のルールなど、館としての明確な方針を定めることで、活用の機会と保存上の安全性の双方を担保することが可能となります。
また、デジタル複製や高精細レプリカの活用は、資料そのものの劣化を避けながら展示や研究に資する方法として注目されています。こうした技術の導入は、保存と活用のバランスを取る上で大きな可能性を持っています(Merriman, 2005)。
デジタル技術による「活用」の拡張
近年、デジタル技術の進展により、コレクションの活用は物理的な空間を超えて広がりを見せています。デジタルアーカイブ、オンライン展覧会、3Dスキャンによる立体資料の可視化など、資料に直接触れることなくその情報や姿を社会に提供する手法が確立されつつあります。
ただし、デジタル化は物理資料の「代替」ではなく、あくまで「補完」として位置づけるべきです。実物とその背景を伝える手段として、デジタル技術は保存負荷を軽減しつつ、資料の社会的接続を高める役割を担います。また、デジタル利用の記録を蓄積し、どのような資料がどの場面で利用されているかを分析することにより、今後の保存方針や活用政策を最適化していくことも可能となります。
組織として活用をどう支えるか
活用を推進するには、個人の判断に委ねるのではなく、組織として支える仕組みを整備する必要があります。まず、コレクションの保存と活用のバランスを担保できる専門職の配置が重要です。たとえば、コレクションマネージャーは資料の状態を把握し、活用申請の可否判断や調整を行う役割を果たします(Fifield, 2018)。
また、活用の申請・承認・記録といったプロセスを整え、履歴を残すことで、資料の使用状況を把握し、将来的な保存・修復計画にもつなげることができます。さらに、外部研究者や地域の文化団体などとの連携を通じて、コレクションを「社会に開かれた資源」として運用する体制を構築することも求められています。
保存と活用は博物館運営における両輪であり、その接点にこそ、公共的文化施設としての意義が宿るのです。
実例から学ぶ ― 戦略的コレクション管理の先進事例
これまでの章では、コレクション管理における選別・保存・活用・リスク対応といった基本的な視点を整理してきました。これらはすべて、「将来にわたってコレクションの価値を守り、活かしていく」という共通の目的に向けたものです。しかし、こうした理念を実際の博物館運営に落とし込むには、具体的な戦略と実践方法が必要です。
そこで本節では、世界的に知られる博物館がどのように長期的な視野に立ってコレクションを管理しているのか、その実例から学びます。取り上げるのは、オランダのRijksmuseumとアメリカのAmerican Museum of Natural Historyです。いずれも異なるアプローチを取りながらも、戦略的かつ組織的にコレクション管理を実行しており、そこから得られる知見は日本の博物館にも応用可能です。
Rijksmuseum(オランダ)― 選択的収集と長期保存計画
Rijksmuseumは、レンブラントやフェルメールをはじめとする名画を多数所蔵するヨーロッパ有数の国立美術館です。その知名度と規模に見合うように、同館は非常に多くの作品を扱っており、膨大なコレクションを維持管理する必要があります。
そのような中、Rijksmuseumが採っているのは、「すべてを集めて、すべてを守る」という方針ではなく、「何を集め、何を残すかを明確に定める」という選択的な収集戦略です。これは、単なる収蔵数の削減ではなく、展示や教育・研究といった館の活動全体を見通したうえで、目的に合致した資料だけを重点的に保存・活用するという方針に基づいています。
さらに注目すべきは、収蔵品を守るための長期的な計画です。資料の状態、使用頻度、保存環境をデータとして把握し、それに応じて展示のローテーションや保管方法を柔軟に設計しています。保存環境における温湿度管理はもちろんのこと、展示期間の制限、保存用のパッケージング、定期的な点検など、多角的な施策が組み合わされています(Merriman, 2005)。
このように、Rijksmuseumでは「収蔵=永久保存」という固定観念を超え、将来の活用を視野に入れた選別と、実現可能な保存体制を構築することで、持続可能なコレクション運用を実現しています。
American Museum of Natural History(アメリカ)― 全館的リスク評価と政策統合
アメリカ・ニューヨークにあるAmerican Museum of Natural History(AMNH)は、自然史に関する膨大な標本と資料を有する世界最大級の博物館の一つです。地学・動物学・人類学など、広範な分野にわたる研究を担いながら、同時に資料の保存と公開という公共的機能も果たしています。
その膨大なコレクションを効果的に管理するため、AMNHが導入しているのが、CPRAM(Cultural Property Risk Analysis Model)と呼ばれるリスク評価モデルです。このモデルは、あらゆる種類のリスク(火災、水害、地震、光、温湿度変動、盗難、害虫、人的ミスなど)を洗い出し、それぞれのリスクが「どれだけ起こりやすいか」「起こった場合の損失はどれだけか」を評価します。
その結果は、単なる資料管理の範囲にとどまらず、組織全体の経営判断に統合されます。たとえば、リスクが高く、かつ重要な資料については、保存環境を優先的に改善したり、展示の方法を見直したりするなど、実際の運用に反映されていきます(Elkin & Nunan, 2011)。
AMNHの事例で特筆すべきは、こうしたリスクマネジメントが一部の専門職にとどまらず、組織全体の文化として定着している点です。評価に基づく意思決定は、部門横断的に共有され、予算編成や施設整備といった戦略的運営にも反映されており、まさに「科学的管理」の実例といえるでしょう。
日本の博物館への応用可能性
こうした海外の事例は、人的・財政的資源の豊かな大規模館だからこそ可能だと思われるかもしれません。しかし、そこに込められた発想や考え方は、日本の中小規模館にとっても十分に参考になります。
たとえばRijksmuseumのように、収蔵の基準を明確にし、「すべてを残す」から「残すべきものを選ぶ」へと転換する姿勢は、スペースや人材の制約が大きい地方館にこそ求められています。また、AMNHのリスク評価モデルも、簡易化・簡略化することで、資料の優先順位を考える枠組みとして応用可能です。
重要なのは、コレクションの価値を守るために、「どこまでができるのか」ではなく、「どの部分から始めるのか」を問い直すことです。海外の先進事例から学ぶことで、日本の博物館も、身の丈に合った戦略的コレクション管理の実践に向けた第一歩を踏み出すことができるでしょう。
コレクションを未来へつなぐために ― 戦略的管理の実践に向けて
コレクションを未来へ受け継ぐことは、博物館の中核的な使命の一つです。しかし、その実現は決して自明なものではありません。これまで見てきたように、博物館を取り巻く環境は大きく変化しており、コレクション管理のあり方もまた見直しを迫られています。限られた資源の中で、何を残し、どのように保存し、どのように活かしていくか――。その選択こそが、これからの博物館の価値と社会的意義を左右するのです。
コレクション管理に求められる視点の変化
かつての博物館では、「資料を多く持つこと」が評価の対象となってきました。しかし現在では、「なぜその資料を持ち、どう活用しているか」が重視される時代に移りつつあります。つまり、量ではなく質、保有ではなく戦略が問われるようになってきたのです。
こうした変化の背景には、保存スペースや人材の制約だけでなく、社会全体の価値観の変化があります。コレクションはもはや倉庫に眠るものではなく、展示・教育・研究・デジタル発信など、さまざまな形で人々とつながる資源と見なされるようになりました。それにともない、受動的に蓄積するだけではなく、意図的に選び、守り、使いながら継承していく「戦略的管理」が求められているのです。
持続可能性を実現する管理の3つの柱
長期的な視点に立ったコレクション管理を実現するためには、大きく3つの柱が必要です。それは、選別・保存・活用という相互に連動する実践の体系です。
まず「選別」は、すべてを収蔵するという前提を問い直し、どの資料を残すかを戦略的に判断する営みです。資料の歴史的・学術的価値だけでなく、活用の可能性や地域性なども含めて、多面的に評価することが重要です。
次に「保存」は、資料の劣化リスクを抑えながら、その状態を可能な限り良好に保つための計画的・科学的な管理を指します。温湿度管理や害虫対策だけでなく、緊急時対応やリスク評価も含めた包括的な視点が求められます。
そして「活用」は、コレクションが社会と接点を持つことによって、初めてその存在意義を発揮する営みです。展示や貸出、教育活動、デジタル公開など、資料が活きる場をつくり出すことが、保存の正当性を支えるのです(Matassa, 2011;Fifield, 2018)。
この3つの柱は独立して存在するものではなく、互いに補完し合いながら動的に機能することで、持続可能な管理が実現します。
これからの博物館に求められる組織と文化
こうした戦略的コレクション管理を実践するためには、制度や方針だけでなく、それを支える組織と文化の醸成も不可欠です。まず重要なのは、部署間での連携と情報共有の仕組みを整えることです。収蔵、展示、教育、広報などがそれぞれ独立して動くのではなく、コレクションを中心に据えて協働する体制が求められます。
また、意思決定の根拠を記録し、評価と振り返りを行うことも重要です。何を選び、なぜ残し、どう活用したのかを説明できる記録が蓄積されることで、組織としての記憶が形成され、持続的な判断力が備わっていきます。
そしてもう一つは、人材の育成と継承です。保存・記録・展示・デジタルなど、複数の領域にまたがる知識と実践力を持った職員が必要とされる一方で、若手や外部との協働を通じて柔軟性も確保していく必要があります。専門性と多様性を併せ持つチームが、これからの博物館経営を支える基盤となります。
未来を見据えた第一歩として
もちろん、すべてを一度に変えることは困難です。しかし、どの館でもすぐに始められる小さな第一歩はあります。たとえば、資料の活用履歴を記録してみる、展示や貸出の基準を文書化する、収蔵スペースの使用状況を可視化する――。こうした行動の積み重ねが、戦略的思考を育み、やがて全体の見直しへとつながっていきます。
コレクションを「守る」という行為は、それを未来に向けて「開いていく」ことと表裏一体です。選び、備え、活かすという視点を持ち、持続可能な文化資源としてコレクションを再構築すること。それこそが、これからの博物館に求められる「コレクションマネジメント」の姿なのです。
参考文献
- Elkin, L., & Nunan, K. (2011). Risk assessment for object conservation. In R. A. Higgitt (Ed.), Proceedings of Symposium 2010: The Object in Transition – A Cross-Disciplinary Collaboration on the Preservation and Study of Modern and Contemporary Art (pp. 85–91). Tate.
- Fahy, A. (1995). Collections management. Routledge.
- Fifield, R. (2018). Hiring collection managers: Opportunities for collection managers and their institutions and allies. Museum Management and Curatorship, 33(5), 471–488.
- Matassa, F. (2011). Museum collections management: A handbook. Facet Publishing.
- Merriman, N. (2005). Museum collections and sustainability. Cultural Trends, 14(3), 57–74.