博物館リテラシーの涵養とは何か ― 学びと参加を支える力を育てる視点から

目次

はじめに:展示を見る力から「読み解く力」へ

かつての博物館は、知識や文化財を体系的に提示し、来館者がそれを「正しく理解する」ことを目的とした場所と捉えられていました。展示を注意深く観察し、解説パネルを読めば、それで知識が得られるという前提に立った来館体験が一般的だったといえます。しかし、今日の博物館では、来館者が展示に対して主体的に関わり、自ら問いを立て、解釈を試みるような経験が重視されるようになってきました。博物館は単なる「知識の保管庫」から、「対話と発見の場」へと変化を遂げつつあるのです。

このような変化は、展示を見るまなざしそのものにも大きな影響を与えています。展示をただ見て受け入れるだけでなく、なぜその資料が選ばれ、どのように配置されているのか、またそこにはどのような語りが組み込まれているのかという問いを投げかける視点が求められるようになっています。来館者はもはや受け身の観察者ではなく、展示を読み解く「解釈の担い手」として位置づけられるようになってきました(Mayer, 2005)。

このような来館者のあり方を支える概念として注目されているのが、「博物館リテラシー(museum literacy)」です。この言葉は、単に展示物を理解する能力だけではなく、博物館という制度や文化的文脈を読み取り、展示の意図や構造を批判的に解釈する力を含んでいます。博物館リテラシーとは、展示を「鑑賞する」ためのスキルではなく、展示を通して「何をどう考えるか」を自ら選び取る態度や姿勢を意味しているのです(Jacobs et al., 2009)。

こうした力は、教科書のように一度読めば身につくものではありません。むしろ、博物館という場との継続的な関わりのなかで、じっくりと時間をかけて育てていく必要があります。このように、内面から静かにしみ込むように力を育てることを、日本語では「涵養(かんよう)」と表現します。涵養とは、学びや態度が徐々に身についていく過程そのものであり、博物館リテラシーのような複合的で深い力を育てる上で欠かせない考え方です。

本記事では、この「博物館リテラシーの涵養」という視点から、現代の博物館が果たす教育的役割を改めて考察していきます。具体的には、博物館リテラシーの定義や理論的背景を確認した上で、学校教育における実践例や、批判的思考との関係性を検討します。展示を見る目を育てるとは、単に知識を身につけることではなく、問いを持ち、世界を多面的に理解しようとする力を育むことに他なりません。そのような学びの出発点として、博物館リテラシーの涵養を捉え直していきたいと考えています。

博物館リテラシーとは何か

「リテラシー(literacy)」という言葉は、もともと読み書きの能力を指す基本的な語でした。しかし近年では、その意味が大きく広がり、情報リテラシー、メディアリテラシー、ビジュアルリテラシーなど、特定の対象領域に関わる理解力や活用能力を示す用語として用いられるようになっています。こうした文脈の中で登場してきたのが「博物館リテラシー(museum literacy)」という概念です。これは、博物館という文化施設を、単に鑑賞する場所としてではなく、能動的に読み解き、活用するための力として位置づけられています。

博物館リテラシーの定義については、いくつかの理論的整理がなされています。その源流のひとつは、1990年代初頭にキャロル・スタップによって提唱された「博物館における読み書き能力」という発想です。スタップは、来館者が展示の内容や構成だけでなく、展示に含まれる社会的・制度的な意味を読み解く力を持つことが重要であると述べています。その後、博物館教育研究の分野では、この考え方が発展し、来館者の役割を「受け手」から「意味の創造者」へと再定義する動きが広がりました(Mayer, 2005)。

この視点に立つと、博物館リテラシーは単なる知識の理解にとどまらず、展示の構成や背景にある意図を読み取り、自らの視点で意味づけを行うための力と捉えることができます。展示を「読む」とは、そこに描かれていない事柄に気づくことでもあり、提示された情報の文脈を問うことでもあります。展示をそのまま受け入れるのではなく、「なぜこうした展示なのか」「何が語られていて、何が語られていないのか」を考える力こそが、現代の来館者に求められているのです(Jacobs et al., 2009)。

このような博物館リテラシーは、他のリテラシー概念とも関連しています。たとえばビジュアル・リテラシーは視覚的な情報を正しく解釈する力、メディア・リテラシーはメディアが情報をどう構成・提示しているかを批判的に捉える力です。それに対して博物館リテラシーは、博物館の展示という「文化的メディア」を読み解く力であり、視覚的・制度的・教育的な要素を含んだ総合的なリテラシーといえます。さらに、展示資料(オブジェクト)に関する知識や扱い方を理解する「オブジェクト・リテラシー(object literacy)」とも重なる部分があります。

こうしたリテラシーの前提となっているのは、来館者が博物館の受動的な「観察者」ではなく、展示という物語の「共創者」として参加するという考え方です。展示は情報を伝える手段であると同時に、意味をめぐる問いを投げかける装置でもあります。そのため、博物館における学びは、単なる知識の蓄積ではなく、来館者自身が思考を深め、解釈をつなぎ直すプロセスとして捉えられるべきでしょう(Mayer, 2005)。

さらに忘れてはならないのは、博物館リテラシーの涵養は来館者だけに任されるものではないという点です。展示の構成や情報提供の仕方、来館者との対話の設計など、博物館側の工夫や支援が不可欠です。たとえば展示の意図や問いかけを明示するナビゲーションツールや、参加型のワークショップ、背景情報を補完する教育プログラムなどは、来館者が博物館と深く関わるための足がかりとなります。つまり、リテラシーは個人の資質だけでなく、環境や制度の整備とも深く関わっているのです。

展示を「読む」ことの意味 ― 批判的思考と構造理解

博物館の展示は、しばしば客観的で中立的な知識の提供と見なされがちです。しかし、実際の展示は「誰が」「何を」「どのように語るか」といった意図的な構成のもとに成立しており、そこには一定の視点や価値観が反映されています。展示の背後には、選択された資料、排除された情報、配置の順序、解説文の語り口など、さまざまな編集的判断が存在します。つまり、展示は単なる情報の羅列ではなく、ある種の「語り(ナラティブ)」であり、それ自体を読み解く必要があるのです(Mayer, 2005)。

このような展示を読み解くためには、「何が語られているか」だけでなく、「何が語られていないか」にも目を向けることが重要です。たとえば、ある歴史展示が特定の時代や出来事を扱っているとしても、そこに登場する人物や視点が一面的であれば、展示はその時代の複雑さを十分に表現しているとは言えません。むしろ、展示の構成が特定の物語を強調し、他の可能性を排除している場合、来館者がそれに気づき、問いを立てる力こそが博物館リテラシーの本質といえます(Jacobs et al., 2009)。

ここでいう「批判的に読む」とは、展示を否定的に見るという意味ではありません。むしろ、展示の背後にある選択や構造、前提を意識的に捉え直し、その意味を主体的に構築しようとする態度を指します。展示は、固定された「正解」を示すものではなく、来館者に思考と対話を促すための出発点として機能します。展示に触れたとき、「なぜこの構成なのか」「なぜこの語り口なのか」といった問いを自然に持つことは、批判的思考とリテラシーの涵養につながるのです。

このような視点は、特に歴史や社会に関する展示で顕著に現れます。たとえば、近代化の歴史を語る展示において、技術革新や都市化の成果ばかりが強調されている場合、そこで省略されている労働者や女性、植民地との関係といった視点を補完する必要があります。展示は常に「表象の選択」であり、何を見せ、何を見せないかという判断が含まれています。その構造を読み解くことは、単なる理解を超えて、社会的文脈や歴史的背景を捉える力を育てる契機となります。

このように、展示を読む力とは、来館者が受け手であることを超え、展示と対話し、意味をともにつくる「共創者」として関わる力でもあります。最近では、対話型展示や参加型展示のように、来館者の解釈や声が展示の一部として取り込まれる試みも広がっています。こうした展示は、まさに博物館リテラシーを前提とした設計であり、来館者に「読む力」を求めながらも、それを育てる環境を提供するものです。

展示は語るだけでなく、問いを投げかける存在でもあります。その問いを受けとめ、自らの視点で応答しようとするとき、来館者の内面には新たな思考と学びが芽生えます。博物館リテラシーは、そうした思考の連鎖を可能にする「見方の技術」であり、それを育てることこそが、現代の博物館に求められている重要な役割のひとつなのです。

学校教育における博物館リテラシーの育成

博物館は、学校と並んで子どもや若者の学びを支える重要な教育資源です。展示を通じた学びは、教室内の授業とは異なる経験や視点を提供し、学習内容への理解を深める助けとなります。特に近年では、博物館を訪れること自体が「教育活動の延長線上」にあると捉えられ、教育課程との接続を意識した館外学習が重視されるようになってきました。こうした流れのなかで、学校教育の中に「博物館リテラシー」を育てる要素をどのように組み込めるかが問われています。

これまでの学校現場では、博物館見学が「展示を一通り見て回ること」に終始するケースが少なくありませんでした。しかし、単に展示を見るだけでは、リテラシーとしての力は十分に育まれません。必要なのは、展示を出発点として問いを持ち、観察し、記録し、振り返るという探究的な学びのプロセスです。つまり、「展示を見ること」から「展示を読むこと」へと意識を転換し、展示に含まれる語りや構成を自らの視点で読み解いていく姿勢が求められるのです。

そのような教育実践の好例として紹介されているのが、「Knight at the Museum」と題された中等教育の授業事例です。この実践では、生徒たちが歴史テーマの展示を訪れ、単に説明を受けるのではなく、自ら写真を撮り、記録を残し、展示の構成について考察を加えるという活動を行いました。この中で生徒たちは、「展示にどのような語りがなされているか」「なぜそのような語りになっているのか」といった問いを持ち始め、博物館の展示を情報の受け渡しの場ではなく、解釈と対話の場として捉え直すようになったと報告されています(Marcus & Levine, 2011)。

このような実践が成立するためには、教員と博物館側の協働が欠かせません。展示の主題や構成に関する事前学習を行い、訪問中には問いを立てるワークを行い、帰校後に考察を深めるという一連の学習設計は、学校側と博物館側のコミュニケーションによって実現されます。特に、来館者が受け身になることなく、主体的に展示に関わるような「問いを中心とした学び」の場づくりは、学芸員の教育的視点と教員のカリキュラム的視点の連携によって可能になります。

また、博物館リテラシーの育成は、単に「博物館の見方を学ぶ」ことにとどまりません。展示を読む力は、社会の出来事を多面的にとらえる視点を育て、メディア情報や歴史的事象を批判的に考察する力ともつながっています。つまり、博物館リテラシーの育成は、学習指導要領に掲げられている「主体的・対話的で深い学び」にも深く関わる教育目標なのです。

このように、博物館リテラシーの涵養は学校教育の中でこそ強く機能しうるものです。教員と博物館が連携し、探究的な学びの環境を提供することで、生徒は展示をただ「見る」のではなく、「考える」機会として捉えることができます。それは、博物館が学習の場として位置づけられるだけでなく、来館者の思考力や表現力を育てる文化的な基盤としての役割を果たしていることを示しているのです。

知識観とリテラシーの発達 ― 認知発達の視点から

博物館リテラシーという概念は、展示の内容を理解したり、語りの構造に気づいたりするための「スキル」として語られることが多くあります。しかし実際には、それ以上に深い、来館者の内面的な思考の在り方――つまり「知識をどう捉えているか」という考え方=知識観(epistemological beliefs)と密接に関係しています。どれだけ展示に触れても、その背景にある意図や構成に気づくには、一定の思考的成熟が必要です。展示の語りを読み解く力は、単に知識の量ではなく、「知識に向き合う姿勢」によって左右されるのです。

このような知識観は、すぐに身につくものではありません。年齢や経験を重ねる中で、徐々に発達していくと考えられています。その発達過程をわかりやすく示しているのが、思考発達研究に基づく四段階モデルです。このモデルでは、知識をどう理解し、それにどう関わるかによって、次のような発達段階が想定されています(Felton & Kuhn, 2007)。

第一段階は「リアリスト(Realist)」です。この段階にある人は、知識を客観的で絶対的な「事実」として捉えます。世界には正解が存在し、それは誰が見ても変わらないと信じられています。展示に対しても、それを「正しい情報」としてそのまま受け取る傾向があり、構成や視点の選択には意識が向きにくいのが特徴です。

第二段階は「アブソリューティスト(Absolutist)」です。知識は専門家や権威者によって正しく提示されるものであり、展示内容は「正解に近いもの」として理解されます。「博物館にあるから正しい」「学芸員が言っているから正確だ」と受け止められ、展示の意図や裏にある語りの選択についてはあまり意識されません。

第三段階は「マルチプリスト(Multiplist)」です。この段階では、知識には多様な見方があり、展示もそのひとつであると認識されます。しかし、ここではすべての見方が等しく有効であると考える相対主義に陥りやすく、批判的な検討や評価はあまり行われません。「いろいろな意見があっていい」という態度は柔軟さを持つ一方で、吟味の姿勢がまだ不十分です。

そして第四段階が「エヴァリュアティヴィスト(Evaluativist)」です。この段階では、知識を複数の見方から比較し、評価しながら意味を構築する力が備わっています。展示に対しても「なぜこのような語り方なのか」「他にどんな表現がありうるか」といった問いを持ち、自らの経験や他の知識と照らし合わせながら、能動的に展示の意味を再構成することができます。この段階に達して初めて、博物館リテラシーは深いレベルで発揮されるのです(Felton & Kuhn, 2007)。

このように、博物館リテラシーの涵養は、知識や技術を身につけるというより、来館者の思考の成熟過程に関わる営みです。展示に問いを持ち、視点を比較し、考えを構築するというプロセスは、知識観の発達とともに育まれます。批判的思考と博物館リテラシーは、切り離すことのできない関係にあるといえるでしょう。

この視点は、展示の設計においても重要な示唆を与えます。すべての来館者が展示を同じように読み取れるわけではありません。だからこそ、展示に問いを含ませたり、多様な視点を提示したりすることが求められます。例えば、ある出来事に関する複数の解釈を並列に示すことや、解説パネルの中であえて来館者に問いを投げかける構成を取り入れることで、リテラシーの発達を支援する展示が可能になります。こうした工夫は、思考のきっかけを提供し、来館者の知識観の発達段階に応じた学びの場を形成するものです。

博物館リテラシーの育成とは、知識を与えることではなく、知識にどう向き合うかという態度を育てることです。展示はその入口であり、来館者に問いを促すメディアとして機能します。その問いに向き合い、自分なりの意味を見いだす過程こそが、現代の博物館が提供できる最も深い学びのひとつなのです。

博物館が果たすべき役割とは何か

これまで見てきたように、博物館リテラシーとは、展示の内容を受動的に受け取る力ではなく、展示の構成や語りの背後にある意図を読み解き、意味を再構成するための思考力にほかなりません。そしてこの力は、来館者自身の認知的な発達や経験に支えられつつも、決して個人だけの責任で育まれるものではありません。むしろ、こうしたリテラシーの涵養を支える環境づくりこそが、博物館に求められる重要な役割のひとつなのです。

展示は、情報を「伝える」装置であると同時に、来館者に「問いを促す」装置でもあります。単に事実を列挙したり、歴史の流れを時系列で並べたりするだけでは、来館者の思考を深めるきっかけにはなりにくいでしょう。むしろ、展示の中に問いかけを埋め込み、「なぜこのような見せ方なのか」「他の見方はあるだろうか」と来館者自身に考えさせる構成が、リテラシーを育む起点となります。たとえば、ある歴史的事件について複数の当事者の視点を並置して紹介することや、異なる解釈の存在を明示することによって、展示は来館者に選択と解釈の余地を与えるものになります。

また、展示だけでなく、それを補完するさまざまな教育的支援もリテラシー育成に寄与します。解説パネルの言葉づかいや図解の工夫、来館者の年齢や発達段階に応じたワークシートの設計、あるいはデジタルコンテンツを用いた体験型のナビゲーションなどは、その一例です。さらに、学芸員やボランティアスタッフとの対話的なやりとり、学校との連携による事前・事後学習の導入なども、展示の意味を深め、来館者が展示と向き合う時間と機会を豊かにします。

このような支援において大切なのは、来館者の知識観の多様性を前提とすることです。すべての来館者が、展示を同じように理解できるわけではありません。人々の知識観は段階的に発達しており、「事実をそのまま信じる段階」にある人もいれば、「複数の視点を比較し評価できる段階」にある人もいます(Felton & Kuhn, 2007)。したがって、博物館はあらゆる段階の来館者に対応できるように、多層的な情報提供と問いかけの構成を意識する必要があります。正解を一方的に提示するのではなく、来館者が「考えるきっかけ」に出会える場を用意することが求められているのです。

このように考えると、博物館リテラシーの涵養とは、単に来館者の力を伸ばすという意味にとどまりません。それは、博物館という場そのものが、いかに来館者の思考や対話を支える環境となりうるか、という問いでもあります。展示の構成や教育普及のあり方は、来館者の内面に働きかけるための重要な手段です。情報をただ「伝える」のではなく、来館者が「自ら問い、考え、意味づける」ための余白を提供すること――これこそが、現代の博物館が果たすべき役割であり、社会的使命といえるでしょう。

博物館は、知識を与える場ではなく、問いをともに育てる場である。そうした姿勢を持つことこそが、博物館が来館者と深く関わり、学びと参加の場として存在し続けるための鍵になるのです。

参考文献

  • Felton, M. K., & Kuhn, D. (2007). “How do I know?” The epistemological roots of critical thinking. Journal of the Learning Sciences, 16(1), 1–31.
  • Jacobs, C., Luke, A., & McDonald, J. (2009). Interdisciplinarity, the state and curriculum reform: Knowing some things and doing others. The Curriculum Journal, 20(1), 9–25.
  • Marcus, A. S., & Levine, T. H. (2011). Knight at the museum: Learning history with museums. Social Studies, 102(3), 104–109.
  • Mayer, M. M. (2005). Towards a learning museum: New responsibilities. In H. van Mensch (Ed.), Focus: Museum — Contributions to the ICOM General Conference (pp. 23–26). Amsterdam: Reinwardt Academy.
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この記事を書いた人

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日々の業務経験をもとに、ミュージアムの楽しさや魅力を発信しています。このサイトは、博物館関係者や研究者だけでなく、ミュージアムに興味を持つ一般の方々にも有益な情報源となることを目指しています。

私は、博物館・美術館の魅力をより多くの人に伝えるために「Museum Studies JAPAN」を立ち上げました。博物館は単なる展示施設ではなく、文化や歴史を未来へつなぐ重要な役割を担っています。運営者として、ミュージアムがどのように進化し、より多くの人々に価値を提供できるのかを追求し続けています。

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