ポジショニングとブランド構築 ― 競争環境における博物館の個性とは

目次

はじめに:なぜ「個性」が重要なのか

「博物館に“ブランド”など必要なのだろうか」。そう感じる方も少なくないかもしれません。博物館は公共の文化施設であり、商品やサービスを売る営利企業とは異なる存在です。学術的な信頼性や文化的価値の発信こそがその本質であると考えるならば、「ブランディング」や「マーケティング」といった言葉にはどこか馴染みにくい印象すらあるでしょう。

しかし、来館者の視点に立ってみると、博物館は「選ばれる対象」でもあります。休日にどこへ出かけるかを考えるとき、人びとは動物園、美術館、カフェ、ショッピングモール、あるいは映画館など、多様な選択肢の中から「今日はあの博物館に行こう」と判断しています。つまり、私たちの博物館が来館者に選ばれるためには、その判断を左右する“何か”が必要なのです。

このような状況は、単に個別の施設の話にとどまりません。近年、自治体の財政難や文化予算の削減、さらに来館者数の長期的な減少傾向は、多くの博物館にとって現実的な経営課題となっています。たとえば、近年の博物館法の改正では、「登録博物館」に求められる要件が見直され、地域連携や情報発信、経営的視点を含む運営体制の強化が求められるようになりました。また、各地で導入が進む指定管理者制度は、施設運営における柔軟性を高める一方で、来館者数や収支の改善といった成果を明確に示すことが求められる枠組みでもあります。こうした制度的変化は、博物館が従来以上に自館の特性や価値を打ち出し、「選ばれる存在」として社会に向けた自己表現を行う必要があることを示しています(Sandell & Janes, 2007)。

一方で、地域にはさまざまな文化・観光施設が存在し、博物館はその中で来館動機を与える存在として競合にさらされています。単に「良質な展示をしている」だけでは不十分であり、その博物館ならではの雰囲気や体験、あるいは来館後に残る印象といった、“記憶に残る何か”がなければ、再訪や他者への推薦といった行動にはつながりません。これはまさに、「ポジショニング」や「ブランド」と呼ばれる考え方と深く関係しています。

ここでいう「ブランド」とは、商品名やロゴマークのような記号ではなく、「その博物館を訪れることで得られる価値や体験の全体像」を意味します。それは展示の内容にとどまらず、建築空間、スタッフの応対、情報発信のトーンなど、来館者が接するあらゆる要素によって形作られます。こうした体験の総体が、来館者の心に残る“イメージ”を形成し、他館との違いを明確にするのです。言い換えれば、ブランドとは「その博物館がどのように記憶されるか」を決めるものです。

本記事では、こうした背景をふまえ、博物館におけるポジショニングとブランド構築の意義について、理論・事例・実践の観点から検討していきます。「自館の個性とは何か」「来館者にどのように記憶されたいのか」といった問いに立ち返りながら、博物館の持続可能な経営戦略としてのブランドのあり方を読み解いていきたいと思います。

ポジショニングとブランドとは何か ― 博物館における戦略的な“違い”の設計

私たちは、マーケティングという言葉に対して、しばしば「営利企業の戦術」という印象を抱きます。しかし、本来のマーケティングとは、「選ばれる理由を設計する」行為です。これは非営利であっても公共的使命を担う博物館であっても同様であり、むしろ限られた資源の中で来館者との関係を築くためにこそ必要な考え方です。

その中核となるのが「ポジショニング」という概念です。ポジショニングとは、自館がどのような存在として社会の中に位置づけられるべきかを明確にし、他の博物館や文化施設とどう異なるのかを意識的に設計することを意味します。これは、STPと呼ばれるマーケティングの基本構造(セグメンテーション・ターゲティング・ポジショニング)の最後の要素であり、誰に向けてどのような価値を届けるかを定めたうえで、それをどう印象づけるかという段階にあたります(Kotler et al., 2008)。

たとえば、同じ都市に複数の博物館がある場合、それぞれの施設が「地域の子どもたちの学びの場」「観光客向けのフォトジェニックな展示空間」「地元住民と一緒に育てる参加型施設」といった具合に、異なる位置づけを明確にしていれば、来館者にとっての選択理由が生まれます。逆に、どの博物館も似たような印象であれば、訪れる理由を見出すことが難しくなってしまいます。

そして、このポジショニングを支えるのが「ブランド」です。ブランドとは、単なる名称やロゴではなく、その施設に訪れたときに得られる体験の総体、あるいは人々の記憶に残る印象のことです。これは展示の質やテーマだけでなく、建築空間やスタッフの接し方、発信されるメッセージの一貫性といったすべての要素から形づくられます。ある博物館を訪れたときに感じる「洗練された雰囲気」「親しみやすさ」「驚きや発見」といった感情こそが、その施設のブランドを形作っているのです。

マーケティング分野では「カスタマーベースド・ブランド・エクイティ(CBBE)」という理論があり、これは来館者がブランドに対してどのような認識を持っているかを中心に、ブランド価値を捉える考え方です。信頼性や一貫性、情緒的な結びつきが高い施設ほど、リピーターや推薦者を生み出すことができるとされています(Liu et al., 2013)。

ここで確認しておきたいのは、ポジショニングとブランドは別個の概念ではなく、互いに補完し合う関係にあるということです。ポジショニングは「どこに立つか」を設計する戦略であり、ブランドはその戦略を来館者に伝えるための“体験”のデザインです。つまり、戦略的に設計されたポジションが、来館者の五感と記憶を通じてブランドとして定着していくのです。

さらに、ブランドはミッションや経営理念といった内部の価値観とも深く結びついています。ブランドが単なるマーケティング施策にとどまらず、組織全体の文化や職員の行動にも反映されているとき、その施設は強い一体感をもち、外部からも信頼されやすくなります。このような組織文化としてのブランド志向(brand orientation)は、博物館の内部にも根づかせるべき重要な視点とされています(Baumgarth, 2009; Evans et al., 2012)。

ブランドやポジショニングといった言葉は、最初は博物館の世界には馴染みにくいと感じるかもしれません。しかし、それは来館者に選ばれる理由を真剣に考えることでもあり、ミッションを社会とつなぐための実践的な戦略でもあるのです。次節では、こうした理論が実際の博物館でどのように応用されているのかを、国内外の事例から具体的に見ていきます。

実例から学ぶ ― ブランド構築とポジショニングの成功事例

ポジショニングやブランドという理論は、抽象的に見えるかもしれません。しかし、それを戦略として意識的に導入した博物館の実践を見ると、その重要性と効果が具体的に理解できます。ここでは、来館者の視点に立った再定義によって、新たな価値を創出した2つの事例を紹介します。

シカゴ歴史博物館 ― 再命名と再構築によるアイデンティティの刷新

アメリカ・イリノイ州にあるシカゴ歴史博物館(Chicago History Museum)は、ブランド再構築によって自館の存在価値を根本から見直した事例として注目されています。かつては「Chicago Historical Society」という名称で知られていましたが、この名称は市民にとってわかりづらく、学術機関のような印象を与えてしまっていました。その結果、施設の内容が十分に伝わらず、来館者数も伸び悩んでいました。

そこで博物館は、「市民が自分の暮らす都市の歴史を、自分ごととして感じられる場所にする」という明確な目標を掲げ、ブランド全体の再構築に取り組みました。まず、施設名を「Chicago History Museum」へと変更しました。新しい名称はより直感的で、誰にとっても親しみやすいものとなり、博物館が果たす役割が一目でわかるようになりました。

次に、ロゴや広報ビジュアルを一新し、館内の案内サインやグラフィックも統一されたデザインに刷新されました。この視覚的な整合性は、来館者が施設全体に対して一貫した印象を持つために重要な役割を果たします。また、展示内容についても再編が行われ、シカゴ市民一人ひとりの物語に焦点を当てた“ストーリーテリング型”の展示構成が導入されました。

さらに、これまで限定的だったターゲット層を、子ども連れの家族や中高生、修学旅行などの学校団体へと広げる戦略が採られました。教育機関との連携を強化し、学校教育の中で活用しやすい教材やガイドツアーを用意したことも来館者増加に貢献しました。

これらの取り組みにより、博物館の来館者数は大幅に増加し、地域メディアや観光案内でも注目される存在へと成長しました。新たなポジショニングは、「市民が都市の歴史と向き合い、語り合える場所」という明確な価値を提示しており、ブランドとしての体験が展示・空間・接遇のすべてを通じて一貫して伝わるようになっています(Kotler et al., 2008)。

デンマーク国立博物館 ― 市民参加と体験設計でブランドを再構築

デンマークの首都コペンハーゲンにあるデンマーク国立博物館(Nationalmuseet)は、ヨーロッパで最も進んだブランド・オリエンテーションの導入例のひとつとして知られています。長らく「国が所蔵する文化財を静かに鑑賞する場」というイメージが強かったこの施設は、2000年代以降、大規模なブランディング改革に乗り出しました。

その背景には、来館者の構成変化と社会の価値観の多様化がありました。若年層や多文化的背景を持つ市民の増加に対応するため、博物館は「全ての人にとっての開かれた文化の入り口」を目指して、体験型かつ参加型の展示方針に大きく舵を切りました。

その象徴的な取り組みが、ヴァイキング時代を扱った展示の刷新です。この展示では、単なる時代解説ではなく、AR(拡張現実)技術を活用した「ストーリーの中に入り込む体験」が導入され、来館者が自分自身で発見し、選択し、感じることができる構成となっています。子どもたち向けのエリアでは、レプリカに触れる体験や、ヴァイキングの船を模した遊び場があり、遊びながら学べる仕組みが整えられています。

さらに、展示開発の段階から市民の声を取り入れることが制度化されており、特定のテーマではコミュニティメンバーと博物館スタッフが共同でコンテンツを企画しています。このように、「専門家がつくったものを見せる場」から「社会の一員として歴史を語り合う場」へと、博物館の役割が大きく変化しています。

情報発信においても、展示解説や案内表示はすべて多言語に対応しており、デジタルガイドやスマートフォン連動型のツールも充実しています。これにより、言語や文化の壁を越えた来館者にも快適な体験を提供しています。

こうした変化は、ブランドを“組織の外見”ではなく“組織の文化”として捉える考え方、すなわち「ブランド・オリエンテーション」の実践と深く関わっています。ブランド価値が理念として内部で共有され、それが展示や接遇、広報活動にまで一貫して反映されている状態を目指すアプローチです(Evans et al., 2012)。

この博物館が目指すポジショニングは、「市民とともに歴史をつくり直すインタラクティブな空間」であり、ブランドとしては「誰にとっても学びと発見が重なる開かれた公共文化空間」として国際的にも高く評価されています。

自館に合ったブランドをどう築くか ― 実践的アプローチのすすめ

ブランドやポジショニングの考え方は、理論としては理解できても、「実際に自館では何から始めればいいのか分からない」という声もよく聞かれます。特に地方の博物館や中小規模の施設では、「ブランディングは都会の大きな美術館が行うもの」と捉えられがちです。しかし、来館者との接点が限られているからこそ、限られた体験の中でどのように印象を残すかが問われます。言い換えれば、「どのように記憶されるか」が、博物館にとってのブランドの核心なのです。

ブランド構築とは単なる外観やロゴデザインの話ではなく、「この博物館は何を大切にしているのか」「来館者にどのような価値を提供しているのか」といった、本質的な問いに向き合う営みです。そしてそれは、施設の大小にかかわらず、すべての博物館に共通して求められる視点だといえるでしょう。この節では、自館のブランドを構築するための実践的なアプローチを段階的に紹介し、ミッションや来館者体験との接続の中で、ブランドをどのように育てていけるかを考えていきます。

自館の「らしさ」を言語化する ― ブランドの骨格づくり

ブランドをつくるうえで最初に取り組むべきは、自館がどんな存在として社会に貢献したいのかを明らかにすることです。ブランドは目に見えるロゴやパンフレットのキャッチコピーから始まるのではなく、その施設の「核」にある理念や価値観から生まれます。まずは内部で「うちは何のためにあるのか」「何を大事にしてきたのか」という問いを言葉にしていくことが必要です。

このとき、特に効果的なのが「3つの問い」です。

  • 誰に届けたいのか(ターゲット)
  • どんな価値を提供したいのか(ベネフィット)
  • どのように伝えたいのか(方法・特徴)

たとえば、「地域の親子連れに、遊びながら学べる文化体験を届けたい」という表現は、誰に・何を・どう届けるかが明確に整理されています。こうした定義は、自館の展示テーマや教育プログラム、広報活動の方向性を一貫させる軸となり、施設全体が「同じ価値観に基づいて動いている」という印象を来館者に与えることにつながります。

さらに、この言語化は館外に向けた広報だけでなく、館内の職員同士の意識共有にも非常に重要です。現場では「こうすべき」と思っていても、それが組織としての言語になっていなければ、活動がバラバラになりやすくなります。ブランドの持つ力は、職員一人ひとりが「私たちはこういう博物館である」と自覚し、来館者への接し方や展示づくりにその理念を反映できるときに、初めて強固なものになります。

このように、ブランドとは単なるイメージづくりではなく、「ミッションの実践のかたち」として外部に伝わるものだといえます。内部から始まり、組織全体で共有され、外部に一貫して伝わっていくプロセスを通じて、ブランドはゆるぎないものとして形成されていくのです(Baumgarth, 2009)。

ポジショニング・マップで考える「違い」の設計

ブランドの核となる理念が整理できたら、次に必要なのは「他の施設と何が違うのか」を明確にすることです。なぜなら、来館者にとっては複数の選択肢の中から「どこへ行こうか」を判断する際に、その施設が自分にとって何を提供してくれるのかが重要な決め手になるからです。ここで重要になるのが、「ポジショニング」という視点です。

ポジショニングとは、社会の中で自館がどのような位置づけにあるのかを意識的に設計することを指します。単に「面白い博物館」「子どもが楽しめる展示」などの漠然とした印象ではなく、来館者が「他の施設ではなく、ここを選ぶ理由」を言葉で説明できる状態をつくることが目標です。

このとき役立つのが、「ポジショニング・マップ(Positioning Map)」と呼ばれる可視化ツールです。これはX軸とY軸に意味のある評価軸を設定し、自館と他館の特徴を相対的にマッピングすることで、自館の立ち位置=“空いているポジション”や“強みを発揮できる領域”を見つけ出す手法です。

たとえば、X軸を「教育性の高さ」、Y軸を「エンタメ性の高さ」と設定した場合、地域資料館のような施設は「教育性は高いがエンタメ性は低い」位置にあり、体験型の科学館や動物園は「エンタメ性が高く教育性もある」象限に入るかもしれません。このように、主観的ではなく他館と比較する中で、自館の強みや伸ばすべき部分を客観的に整理することができます。

さらに、ポジショニング・マップは内部の意思決定にも役立ちます。たとえば、「この展示はおもしろいが、うちのブランドに合っているのか」「新しく導入する体験型コンテンツは、今の立ち位置と整合するのか」といった判断を、感覚ではなく戦略的に行う基盤となります。また、方向性をチームで共有する際の「共通言語」としても活用できます。

こうしたポジショニングの明確化は、来館者に対しても安心感や期待感を生み出します。来館前のウェブサイトやパンフレットから、「自分に合っている施設だ」と直感的に理解できると、初来館の心理的ハードルも下がります。自館のブランドが、単なる「よい施設」ではなく、「〇〇な人にとってベストな施設」であると伝えられることが、選ばれる理由の設計につながるのです(Kotler et al., 2008)。

ブランド体験をかたちにする ― 展示・空間・接遇の一貫性

ブランドは「見た目」だけで伝わるものではありません。むしろ来館者にとってのブランドとは、博物館で過ごすひとときのすべての体験の中で「感じるもの」であり、展示や接遇、空間設計を通して自然に立ち現れてくる印象です。言い換えれば、ブランドとは「感情として記憶される体験」であり、そのためには施設全体の一貫した体験設計が不可欠です。

たとえば、来館者がある博物館を訪れた際、受付での温かな対応に安心し、わかりやすいサインに導かれ、展示では自分にとって身近なテーマに触れることができ、帰り際に手にしたパンフレットにも親しみやすい言葉が使われていたとします。この一連の体験が「この博物館はわたしを受け入れてくれる場所だ」という印象を形づくり、その施設に対する信頼や愛着が生まれるのです。

このような体験をつくるためには、展示・空間・接遇・情報発信など、すべての要素が「ブランドの軸」に基づいて統合されていることが求められます。たとえば「地域に根ざしたあたたかみのある博物館」というブランドを掲げるのであれば、展示は専門用語を避けた語りかけるような表現で構成され、建物内の照明や素材も柔らかな印象を持つものに統一され、スタッフは来館者との対話を大切にする姿勢を持っていることが理想です。

また、SNSやウェブサイト、メールマガジンなど、館外とのコミュニケーションにおいても同様です。デジタルメディアの中で発信される文章の口調や画像の選び方も、「ブランドの語り口」として来館者に届いています。したがって、オンラインとオフラインの印象に一貫性がないと、来館者はそのギャップに違和感を覚え、ブランドに対する信頼感が揺らいでしまう可能性があります。

ブランド体験を設計するうえで重要なのは、「来館者がどのような気持ちで、どのような経路をたどって施設を利用しているか」を理解することです。館内動線や情報アクセスのしやすさだけでなく、「緊張せずに入館できるか」「自分に関係のあるテーマを見つけられるか」「職員の説明が温かいか」など、心理的・感情的な側面にも目を向けて体験を構築することが求められます。

このように、ブランドとは建物やロゴに“貼り付けるもの”ではなく、来館者との関係性の中で“育てていくもの”です。体験の細部にまで理念を宿らせる設計が、来館者の記憶に残り、再訪意欲や口コミを促すことにつながります。結果として、ブランドは単なる「イメージ」から「信頼と共感の資産」へと変化していくのです(Scott, 2000)。

よくある誤解と注意点 ―「見た目を整えること」が目的ではない

ブランドという言葉は、一般には「ロゴ」「デザイン」「キャッチコピー」などの視覚的な印象と結びついて理解されることが多くあります。そのため、博物館においても「ブランディング」と聞くと、まずはロゴや館名、パンフレットやウェブサイトのデザインを刷新することを思い浮かべる方が少なくありません。

たしかに、視覚的要素はブランドの認知度を高めるうえで重要な手段のひとつです。しかし、それはあくまで「ブランドの表現の一部」にすぎず、それ自体がブランドの本質ではありません。もし、理念や来館者体験との接続が不十分なままデザインだけを変えてしまえば、外見と中身の間にギャップが生まれ、来館者は違和感や混乱を覚えることになります。こうした誤解にもとづいた表層的なリブランディングは、かえって信頼を損なう原因にもなりかねません。

たとえば、「伝統ある地域博物館」が突然、先進的なロゴや横文字の新名称に変更した場合、それまでの来館者には「馴染みがなくなった」「自分たちの場所ではなくなった」と感じさせてしまう恐れがあります。特に長く地域に根ざして活動してきた施設であればあるほど、ブランドには「歴史」や「地域との関係性」が織り込まれており、それらを無視した視覚的刷新は本来の価値を損なってしまう危険性があります。

また、館内でのサービスや展示内容が旧態依然のままであるにもかかわらず、SNSだけおしゃれに運用されているようなケースでは、「実際に訪れると期待と違った」と感じられ、来館者の信頼を失う結果にもつながりかねません。ブランドとは、見た目を整えることではなく、「その施設が来館者とどのような関係を築きたいのか」という意思の表れです。それは見せかけではなく、日々の業務、対応、企画、発信のすべてに貫かれてはじめて、本物のブランドになります。

したがって、ブランド構築に取り組む際には、まず「何を伝えるか」ではなく、「どんな価値を届けたいのか」「その価値は来館者にどう届くのか」という問いから出発する必要があります。ビジュアルの刷新は、その価値が明確になり、職員や来館者との対話の中で共有されている段階ではじめて効果を持ちます。言い換えれば、ブランドとは「来館者との約束」であり、安易に変えてよいものではなく、長い時間をかけて育て、守っていくべきものなのです。

このような理解に立脚すれば、ブランド構築とは単なるマーケティング施策ではなく、館の根本的なあり方を再確認し、内外の関係者と共有していく過程そのものであるといえます。それは時間のかかる営みですが、逆に言えば、一度根づいたブランドは館にとって強い支えとなり、来館者との長期的な関係性の土台にもなるのです(Evans et al., 2012)。

競争環境における「個性」とは何か ― ブランドとしての博物館を再定義する

「個性」は比較から生まれるものではない

博物館がポジショニングやブランド構築に取り組む際、「他の施設とどう違うか」という比較の視点は出発点として重要です。しかし、それだけでは真の「個性」にはなりません。個性とは、単に他館と異なることではなく、「なぜこのミッションを掲げ、この方法で社会に貢献しようとしているのか」という信念の強さと一貫性から立ち上がってくるものです。

たとえば、似たような内容の常設展示を扱っている博物館が複数あったとしても、「地域の子どもたちに物語として歴史を届けたい」と考える施設と、「研究成果を正確に伝えることに重きを置く」施設とでは、その伝え方も、来館者との接し方も、おのずと異なってきます。その違いこそが、体験としてのブランドを形づくり、来館者の記憶に「この博物館らしさ」として刻まれるのです(Scott, 2000)。

来館者との関係性が個性を育てる

ブランドをつくるのは、施設の内側だけではありません。むしろ、日々来館者と交わすまなざしや会話、体験のひとつひとつが、ブランドという“らしさ”を育てていきます。来館者が「この博物館は自分にとって意味がある」「また来たい」と思うのは、単に展示が面白いからではなく、自分が歓迎された、理解された、共感されたと感じるからです。

このように、ブランドは一方的な伝達ではなく、関係性の中で築かれるものです。SNSでの応答、来館後のアンケート、地域住民との協働事業など、あらゆる接点が「この博物館はどのような関係性を大切にしているか」を表現する機会になります。そして、その姿勢が来館者に伝わるとき、ブランドは「共有される理念」として浸透していきます(Evans et al., 2012)。

ポジショニングは静的ではなく動的な営み

ポジショニングというと、ある地点に「位置を定める」行為のように見えますが、実際には社会や来館者の変化に合わせて動的に見直し、再構成されるべきものです。たとえば、感染症の流行や災害、社会課題の変化によって、来館者が求める価値も大きく変化することがあります。そのときに、ブランドの核心は保ちつつも、表現の仕方や接点の設計を柔軟に見直せるかどうかが問われます。

つまり、ブランドの本質は変えず、体験のかたちを時代に応じて進化させるという姿勢が、現代のポジショニング戦略において不可欠です。変化に敏感でありながら、根っこにあるミッションへの忠誠を貫くこと。それが、来館者にとっても「ぶれない信頼」の源になります(Kotler et al., 2008)。

結論:競争環境における個性とは「信念を実践し続ける姿勢」である

本記事の冒頭で掲げた問い、「競争環境における博物館の個性とは何か」に、いま一度明確に答えるならば、それは“信念を実践し続ける姿勢”こそが個性である、ということです。

他館との差異を設計することは大切ですが、それ以上に大切なのは、自館が信じる価値を、来館者とともに育み、変化しながらも貫き続けることです。それは容易ではありません。けれども、だからこそ、その姿勢は来館者の共感を呼び、「ここでしか得られない体験」への信頼につながっていきます。

ポジショニングやブランディングとは、組織の外見を飾ることではなく、理念を体験として形にし、「この博物館でなければならない」と思ってもらえる理由を、関係性の中で問い続ける営みです。そしてその営みを誠実に積み重ねることが、もっとも持続可能な“個性”となり、やがては文化として根づいていくのです。

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この記事を書いた人

kontaのアバター konta ミュゼオロジスト

日々の業務経験をもとに、ミュージアムの楽しさや魅力を発信しています。このサイトは、博物館関係者や研究者だけでなく、ミュージアムに興味を持つ一般の方々にも有益な情報源となることを目指しています。

私は、博物館・美術館の魅力をより多くの人に伝えるために「Museum Studies JAPAN」を立ち上げました。博物館は単なる展示施設ではなく、文化や歴史を未来へつなぐ重要な役割を担っています。運営者として、ミュージアムがどのように進化し、より多くの人々に価値を提供できるのかを追求し続けています。

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