はじめに ― 集客は“目的”ではなく“関係づくり”の入り口
博物館の現場にいると、しばしば「もっと来館者を増やせないか」「○万人を目標に」といった声を耳にします。とりわけ予算獲得や行政報告の場面では、来館者数が経営の“成果”として重視されがちです。しかし、そもそも私たちはなぜ人々を博物館に招こうとしているのでしょうか。その問いに立ち返ると、単に“数”を追うだけでは見えてこない、もうひとつの視点が浮かび上がります。
博物館におけるマーケティングは、決して派手な広告やイベントを指すだけのものではありません。本来それは、来館者一人ひとりとの関係性をどう築き、どう深めていくかを考える行為です。こうした「関係性マーケティング(relationship marketing)」の視点は、企業だけでなく公共文化施設にも有効であるとされています(Sandell & Janes, 2007)。来館者を単なる「集客対象」とみなすのではなく、ミュージアムのミッションに共感し、ともに学び、ともに成長していくパートナーとして捉えること。それこそが、持続可能な経営の第一歩ではないでしょうか。
とはいえ、「マーケティング」という言葉そのものに抵抗を覚える方も少なくありません。とくに日本の博物館では、非営利性や学術性が強調されるあまり、マーケティングを“商業的な手法”と誤解し、「博物館にはそぐわない」という印象を持たれがちです。しかし、誰に向けて、どのように価値を届けるのかを戦略的に考えることは、本来のミッションを達成するために不可欠な営みです(Doering, 2000)。むしろ、マーケティングこそが、来館者との信頼関係を構築し、社会的意義を広く共有するための土台になるのです。
本記事では、こうした観点から「博物館マーケティングの全体像」を描き出します。まずはマーケティング理論の基礎を確認し、次に博物館に特有の戦略や実践事例を紹介します。さらに、制度やデータの視点からマーケティング施策を評価する方法を検討し、組織体制や人材のあり方へと議論を広げます。そして最終的には、「集客」から「関係性」へと転換する持続可能なミュージアム経営モデルについて考察します。
この記事は、学芸員課程の学生やミュージアムに関わる実務者の方々が、博物館マーケティングを実践的かつ理論的に理解するための一助となることを目指しています。数を追うのではなく、関係を育む。そのために今、何が求められているのか――。その問いに向き合うための第一歩として、本稿を進めていきます。
マーケティング理論の基礎 ― なぜ博物館に必要なのか
マーケティングという言葉は、日常的には「モノを売るための手段」や「売上を伸ばすためのテクニック」といった印象で語られることが多くあります。特に広告、セール、イベントといった活動がその代表として挙げられ、どちらかといえば商業主義的なイメージが強く伴います。こうした印象から、博物館のような公共性と非営利性を重視する施設にとって、マーケティングは“自分たちには関係のないもの”という先入観が根付いてきたと言えるでしょう。
しかしながら、現代のマーケティング理論は、こうした古いイメージをすでに超えています。マーケティングは単なる販売促進ではなく、組織が社会とどのようにつながり、価値を届けるかを体系的に考えるための「戦略的な哲学」として位置づけられるようになりました。すなわち、マーケティングとは、「組織が目指す目標を達成するために、誰に、どのような価値を、どのような方法で提供するのか」を明確にするための総合的な思考法なのです(Kotler, Kotler, & Kotler, 2008)。
このような考え方は、博物館にとっても大きな意味を持ちます。博物館は商品を販売することを目的とする組織ではありませんが、「文化的・教育的な価値を社会に届ける」という点において、まさに“価値提供の場”であると言えます。したがって、その価値をどのように社会に伝え、誰に届け、どのように共感や参加を得ていくかを考えることは、まさにマーケティングの領域と重なるのです。
マーケティング理論の出発点として知られるのが、「4P」と呼ばれる基本的な枠組みです。これは、Product(製品)、Price(価格)、Place(流通)、Promotion(販売促進)という4つの要素で構成されており、従来は企業が市場に商品を展開する際の基本戦略として用いられてきました。この考え方は、文化施設においても応用が可能です。たとえば、博物館における展示や教育プログラムは「製品(Product)」として位置づけられますし、入館料や移動時間といった来館に必要な負担は「価格(Price)」にあたります。また、施設へのアクセスの良さや空間の快適さは「流通(Place)」、広報活動やSNSの活用は「販促(Promotion)」として整理することができます。
このように、博物館の活動も4Pに照らして理解することができますが、近年ではこのフレームを拡張し、より文化施設に特化した理論として提示されているのが「5P/5Cモデル」です。ここでは、新たに「Purpose(目的)」という要素を加え、組織の存在意義やミッションを中心に据えた戦略構築が提唱されています(Kotler, Kotler, & Kotler, 2008)。また、5CはCustomer(来館者)、Community(地域社会)、Competition(他施設)、Collaborators(協力者)、Context(社会環境)の5つを意味し、博物館を取り巻く複雑な関係性と社会的文脈を戦略に反映させることの重要性を示しています。
加えて、4P理論を評価フレームとして発展させた「PMMP(Performance of Museum as a Marketing Product)」モデルも注目されています。このモデルでは、展示や教育、広報、来館者満足度など、博物館の活動をマーケティング的視点から体系的に評価・分析する枠組みを提供しています(Amenta, 2010)。これにより、博物館が実際に社会に届けている価値を可視化し、改善につなげていくことが可能になります。
ただし、こうしたマーケティング的アプローチに対しては、特に博物館のような非営利かつ公共的な機関において、根強い抵抗感があるのも事実です。「マーケティングは営利企業の論理であり、博物館の理念とは相容れない」とする立場は、現在でも多くの現場で見られます。このような反発は、1990年代の欧米諸国でも共通して指摘されており、学芸員や教育担当者の間でマーケティングの導入に対する心理的な障壁があったことが報告されています(McLean, 1995)。
それでもなお、現代の多様な来館者に応え、社会的説明責任を果たしていくためには、マーケティングの視点は不可欠です。その鍵となるのが、「顧客中心の博物館(consumer-centered museum)」という考え方です。これは、来館者の視点に立ち、彼らの期待・関心・学びのスタイルに応じた展示やサービスを設計していくという発想です。来館者が何を求めて博物館を訪れるのかを理解し、そのニーズに応えることで、単なる情報提供の場から「対話と共創の場」へと変化していくことができます(Kotler, Kotler, & Kotler, 2008)。
このように考えると、マーケティングは博物館の理念と相反するものではなく、むしろ理念の実現を支援する道具であることがわかります。来館者との関係を育み、社会とつながり、文化の価値を共有する。そのような営みを設計・実行していくために、戦略的マーケティングの知見はますます重要なものとなっています。次の節では、こうした理論的枠組みを前提に、博物館に特有のマーケティング戦略とは何かを考えていきます。
博物館特有のマーケティング戦略とは何か
博物館においてマーケティング戦略を立てるというと、なにか商業的で、博物館本来の目的から外れた活動のように思われるかもしれません。しかし、現代のマーケティングは「モノを売るためのテクニック」ではなく、「価値を社会に届け、関係を構築するための戦略的な思考方法」として広く捉えられています。そうした考え方に立てば、博物館にこそマーケティングが必要であり、しかもその戦略には、博物館特有のアプローチが求められます。
まず第一に、博物館のマーケティング戦略は、組織のミッションと矛盾しない形で構築される必要があります。企業においては売上や利益の最大化が主要な目的とされることが一般的ですが、博物館の目的は「文化資源の保存・活用と社会的共有」にあります。このため、来館者数の増加自体が目標となることは少なく、その背景にある「なぜ来てほしいのか」「何を届けたいのか」といった動機を明確にすることが重視されます。たとえば、ある地方の歴史博物館では、「地域住民が自分たちの文化に誇りを持てるようになること」が最も重要な成果指標であり、単純な人数の増加よりも「誰に来てもらうか」が戦略の軸となっていました(Kotler, Kotler, & Kotler, 2008)。
その「誰に」という視点、すなわちターゲティングもまた、博物館の戦略設計において重要な要素です。展示の内容や広報の方法は、対象とする来館者層によって大きく変わります。博物館には一般市民、観光客、学生、研究者、ファミリー層、高齢者、障害のある方など、非常に多様なパブリックが存在しています。そこで有効なのが、マーケティングにおける「セグメンテーション」と「ペルソナ設計」の考え方です。たとえば、子ども連れの家族に向けた展示では、展示物の高さや文字の大きさ、体験型コンテンツの配置などが配慮されるべきでしょう。一方で、高齢者を対象とする場合は、休憩スペースや案内のわかりやすさが重視されます。このように、対象を具体化し、その人のニーズや行動パターンに応じて戦略を立てることが、来館体験の質を大きく左右します(Kotler, Kotler, & Kotler, 2008)。
加えて、博物館におけるマーケティングでは「来館者の体験価値」が戦略の中心になります。近年の調査では、博物館の満足度を高める要因は、単に展示内容の充実度だけでなく、滞在中に得られる“発見”“共感”“驚き”といった感情的な体験にあることが示されています(Hume, 2011)。そのため、展示や教育プログラムの設計においては、「どのような順序で、どのような情報を、どのような演出で届けるか」といった体験全体のデザイン(いわゆるサービスデザイン)が求められます。また、来館前後の情報提供や、滞在中のストレス軽減(案内表示、混雑緩和)なども、体験の満足度を大きく左右する要素となります。
こうした体験価値の設計は、マーケティングにおける「タッチポイント」の最適化とも関係します。タッチポイントとは、来館者が博物館と接触するすべての場面――ウェブサイト、SNS、受付、展示室、ショップ、退館後のアンケートなど――を指します。これらの接点を通じて、来館者が博物館に対して一貫した好印象を持てるようにすることが、リピーター獲得やクチコミ拡散においても重要となります(Gilmore & Rentschler, 2002)。
さらに、博物館マーケティングの中核には、「関係性マーケティング(relationship marketing)」という視点があります。これは、来館者を単なる“訪問者”として扱うのではなく、長期的な関係を築く“支援者”“参加者”として捉える考え方です。一度来た人に再訪してもらい、さらには友人・家族を連れてきてもらうことで、博物館との関係性はより深まり、来館者のロイヤルティも高まります。そのためには、継続的な接点(例:イベント案内、フォローアップ調査、SNSでの対話)を意識的に設計する必要があります。特に非営利組織である博物館においては、このような「信頼関係に基づくマーケティング」が、収益だけでなく、社会的価値の共有にも寄与することが明らかになっています(McLean, 1995)。
このように、博物館におけるマーケティング戦略は、単に「人を増やす」ための手法ではなく、「どのような価値を、誰に、どのように伝えるのか」を理念に沿って丁寧に設計する行為です。そのプロセスの中で、来館者の体験を通して信頼を得、社会とつながる仕組みを築いていくことが、これからの博物館に求められるマーケティングの姿であるといえるでしょう。次節では、こうした戦略が具体的にどのように実践されているのか、国外の事例をもとに詳しく見ていきます。
成功事例から学ぶ ― 国外の実践的アプローチ
博物館におけるマーケティング戦略は、単なる広報活動や来館者数の拡大だけにとどまるものではありません。来館者一人ひとりの体験価値を高め、信頼関係を築きながら組織のミッションを社会に伝えていく営みこそが、その核心です。本節では、そうした視点から特に実践的なマーケティング戦略を展開している、アメリカとシンガポールの博物館事例を紹介します。
アメリカ・MoMA ― データドリブンな来館者理解とパーソナライズ戦略
ニューヨーク近代美術館(MoMA)は、データに基づいたマーケティング戦略を体系的に展開している代表的な事例です。同館では、来館者の入館動線、展示室での滞在時間、作品前での立ち止まり時間、ミュージアムショップでの購買履歴といった行動データを継続的に収集・分析しています。これにより、来館者がどのような経路で館内を移動し、何に関心を示し、どのような体験をしているのかを可視化し、展示設計や案内表示の改善に活用しています。
また、MoMAのマーケティング戦略において注目すべきなのは、「パーソナライズ型体験」の重視です。来館者のデータは、同館の会員制度と密接に連動しており、たとえば過去に関心を示したテーマや作品ジャンルに応じて、特別展の案内や限定イベントの招待、カスタマイズされたニュースレターなどが個別に送付されます。こうしたアプローチにより、「また来たい」「自分に合っている」と感じてもらえる関係性が築かれ、リピート率や会員継続率の向上に直結しています。
さらに、オンラインとリアル来館の接点を結びつける「オムニチャネル戦略」もMoMAの特徴です。ウェブサイトやアプリでは、来館前の予習、館内でのガイド、退館後の復習を含めた一貫した体験設計がなされており、マーケティングが単発の集客ではなく「来館者との継続的な対話」を重視した構造になっています(Brida et al., 2013)。
シンガポール国立博物館 ― 多文化社会に対応したセグメント別マーケティング
シンガポール国立博物館は、アジアにおける先進的なマーケティング戦略を実践している施設のひとつです。多民族・多言語社会であるシンガポールにおいて、同館は来館者の多様性を前提にマーケティングを構築しており、観光客、外国人居住者、地元住民、学生、ファミリー層などを細かくセグメントに分けて戦略を立てています。
その具体的な施策としては、まず言語対応の多様性が挙げられます。展示解説やガイドマテリアルは、英語のほか、中国語、マレー語、タミル語など複数言語で用意されており、誰もが内容にアクセスしやすい環境が整えられています。さらに、夜間開館プログラム「ナイトミュージアム」や、親子で楽しめる探究型展示、ARやインタラクティブスクリーンなどを用いた参加型コンテンツが導入されており、異なる層の来館者がそれぞれのスタイルで博物館体験を楽しめるよう設計されています。
また、来館後の評価調査やフィードバック回収にも注力しており、「誰が、どのように体験したか」を定量・定性的に分析しています。これにより、単に多様なコンテンツを用意するだけでなく、それぞれの層に合った体験が提供できているかを継続的に検証し、施策の改善につなげています。
このようなターゲットごとの戦略設計は、マーケティングの基本である「誰に、どのような価値を、どのように届けるか」という問いに対する、極めて実践的な回答を提示しているといえるでしょう(Kang, 2017)。
制度とデータから見る集客施策の有効性
博物館の集客を支える施策は、各館の独自の工夫に加えて、制度的な支援とも深く関わっています。日本においても、観覧料の減免や無料観覧日、広報費に関する助成など、集客促進を目的とした制度がいくつか整備されています。本節では、そうした制度がどのような実効性を持ち、どのような課題を抱えているのかについて、統計と先行研究をもとに検討します。
まず、制度的な施策としては、特定日の無料開放や、18歳未満・高齢者・障害者などへの観覧料免除制度が広く行われています。文化庁が実施した『令和4年度社会教育調査』によると、全国の登録博物館のうち約45%が何らかの無料観覧制度を導入しており、特に公立館での実施率が高くなっています(文化庁, 2023)。これらの制度は、社会的な公平性を担保する側面と、来館のハードルを下げる効果の両面を持っています。
観覧料の無料化が来館行動に与える影響については、国内外で複数の実証研究が行われています。無料化が満足度そのものを大きく左右することは少ない一方で、再訪意図には一定の肯定的な影響があることが示されています(Brida et al., 2013)。また、文化施設に馴染みのない層にとっては、費用負担の軽減が「初めての来館」の動機づけになりうるとされています。つまり、無料化は短期的な集客効果というよりも、関係構築の入り口を開く施策として位置づけるべきです。
一方で、制度があっても情報が来館者に届かなければ、実際の来館行動には結びつきません。無料観覧日が設定されていても、ウェブサイトやSNS、広報誌などで十分に告知されていない場合、制度は活用されないまま終わってしまう可能性があります。また、制度の内容が曖昧であったり、対象者が限定的である場合にも、期待される効果は限定的です。制度を活かすには、明確な広報とターゲット層への的確な情報伝達が不可欠です。
こうした制度の効果を正確に捉えるには、評価の枠組みづくりも欠かせません。近年では、来館者数だけでなく、満足度やリピート率といった指標を加えた複数のKPIを導入する館も増えています。これにより、施策の成果を可視化し、改善に役立てる動きが進んでいます。ただし、こうした定量評価の導入には注意も必要です。指標化が進む一方で、来館者の感情的な満足や社会的なつながりといった非数値的な成果が見落とされるおそれもあります(Heuken, 2021)。
制度や評価は本来、博物館の戦略を補完するツールであるべきです。無料化やKPIの導入が目的化してしまえば、かえって柔軟な対応や創造的な取り組みが阻害されることにもなりかねません。制度、データ、戦略の三者をどう有機的に接続するかが、今後の博物館経営において重要な課題となります。
リピーターはなぜ生まれるのか ― 継続的な関係構築と来館者ロイヤルティの視点から考える
博物館における集客の課題は、「来てもらう」だけで終わるものではありません。一度来館した人が、どれだけ再び足を運んでくれるか。つまり、「リピーターを生み出せるかどうか」が、長期的な経営や社会的な使命の実現に大きく関わってきます。リピーターは、単に来館者数を安定させる存在にとどまらず、博物館の価値を理解し、その理念に共感し、継続的にかかわろうとする“関係者”ともいえる存在です。
しかしながら、実際には「一度は来たけれど、再訪には至らない」という現象が少なくありません。この背景には、展示内容が固定的で一度見れば十分と感じさせてしまう構成や、初回来館時の体験が記憶に残りにくい運営、来館後に関係を深める仕組みが用意されていないことなどが挙げられます。また、SNSやウェブサイトによる情報発信が断続的で、来館後に情報を受け取る機会がなければ、博物館が来館者の“視界”から消えてしまうのも無理はありません(McLean, 1995)。
では、どのようにすれば来館者をリピーターへと育てることができるのでしょうか。その要因は大きく3つに分けて考えることができます。第一に「内容の魅力」です。定期的な企画展の開催だけでなく、常設展示の更新、地域の時事性を反映したテーマの取り上げなど、何度来ても新たな発見がある構成が求められます。第二に「体験の質」です。展示を見るだけではなく、触れる・考える・対話することができる参加型プログラムやワークショップは、来館者の主体性を引き出し、記憶に残る体験を提供します。第三に「関係性の継続」です。来館後に配信されるニュースレター、SNSでの対話的な発信、イベントへの招待などが、博物館とのつながりを感じさせる重要な接点となります。
こうした取り組みは、マーケティングの領域において「関係性マーケティング(Relationship Marketing)」として理論化されています。この考え方では、組織と来館者との間に継続的な信頼関係を築くことで、サービスに対する満足や再来意欲、さらには支援の意志へとつながるとされます。非営利文化施設においては、新規来館者を一人獲得するためのコストが高くつく一方で、既存来館者との関係維持はコスト効率が高く、しかも深い関与へと発展する可能性を秘めています(Hume, 2011)。来館者は、単なる「消費者」ではなく、「共に価値をつくる存在」として位置づけられるのです。
リピーターを生むための具体的な対応策には、さまざまなアプローチが考えられます。その第一歩として、年間パスポートや回数券の導入は、多くの博物館で取り組まれている基本的な施策のひとつです。これらは、経済的なインセンティブを与えるだけでなく、「また来る理由」を来館者自身が明確に意識する手がかりとなる可能性があります。たとえば、年パス所有者に限定したレクチャーや特別イベントへの優先参加枠を設けることは、特別感を演出し、継続来館の動機づけにつながることが期待されます。
また、来館ごとに楽しみを重ねられる仕掛けとして、スタンプラリーやポイントカード、デジタルバッジシステムなどを導入することで、継続的な来館を促す効果が見込まれます。これらの仕組みは、子どもやファミリー層に限らず、大人の来館者にとっても達成感や収集の楽しさを提供する可能性があります。さらに、こうした仕組みと連動させて、来館記録を活かした「パーソナライズ情報の提供」を試みることも、有効なアプローチとなり得ます。たとえば、過去の参加履歴や購入データに基づき、新たな展示の案内を個別に届けたり、来館時に注目した作品に関連する情報を後日送付したりすることで、来館者との関係を継続的に維持する試みが展開されています。
加えて、地域資源や他の文化施設との連携キャンペーンも、リピーター創出の一助となる可能性があります。たとえば、地元の店舗や書店とコラボレーションしたスタンプラリー、複数の博物館を巡る「ミュージアムパス」のような仕組みは、博物館を地域の日常的な楽しみの一部として組み込む契機になると考えられます。このように、博物館を単独の“点”ではなく、生活圏に広がる“面”として接続することで、継続的な来館への導線が形成される可能性が高まります。
さらに、来館者との「共創的な関係づくり」を意識した施策も注目されます。来館者の声を取り入れた展示改善や、ワークショップ参加者の作品展示、ボランティア活動などの機会提供を通じて、来館者が当事者として博物館と関わる道筋が生まれる可能性があります。このような実感は、来館者にとって単なる鑑賞者から「関わる存在」へと立場を変える要因となり得ます。
これらの施策は、それぞれが単体で完結するものではなく、戦略的に組み合わされることで、より効果的な関係性の構築に結びついていくと考えられます。複数のアプローチが相互に連携し、「また来たい」と思える理由が来館者の中で重層的に形成されていくような仕組みづくりが、継続的な博物館経営を支える基盤となる可能性があるのです。
つながり続ける博物館へ ― 関係性・共感・ブランド価値の創造
博物館におけるマーケティングは、単に来館者数を増やすための手段にとどまりません。本記事を通して見てきたように、来館者との関係をどのように築き、どのように深めていくかが、博物館の持続可能な経営を支える鍵となります。初回来館の「集客」はあくまでスタート地点にすぎず、そこから体験の質を高め、信頼や共感を育み、継続的な関係性へとつなげていくことが求められます。
このような視点は、従来の4P(製品・価格・場所・プロモーション)を重視する伝統的なマーケティングモデルから、顧客との長期的な関係構築に焦点を当てた関係性マーケティングへと重心を移す考え方と重なります。特に博物館のような非営利組織においては、利用者との心理的・社会的な結びつきが、その存在意義や公共性を支える基盤となるため、単発的なプロモーションではなく、理念に根ざした関係構築型のアプローチが重要となるのです(Hume, 2011)。
では、来館者との関係性をどのように深めていくべきなのでしょうか。その鍵となるのが、「共感される博物館」という視点です。単に情報を伝えるだけでなく、博物館の理念や社会的な使命、地域への貢献姿勢などに共感してもらえることが、来館者の記憶に残る体験を生み出します。たとえば、社会的課題に対して積極的に取り組む姿勢や、多様な参加者を受け入れる開かれた運営方針、あるいは地域コミュニティとの連携などは、来館者にとって「この博物館を応援したい」と感じるきっかけになり得ます。透明性・誠実さ・対話性といった価値観が、信頼を生み、その信頼が来館者の共感とロイヤルティを育てていくのです。
こうした共感の積み重ねが、やがて「ブランド」としての博物館の価値を形成していきます。ここでいうブランドとは、単なる名称やロゴ、広告ではなく、来館者の心の中に形成されるイメージや記憶の蓄積です。訪れるたびに安心感があり、何かを発見でき、誰かと共有したくなるような博物館体験。それらが繰り返される中で、「この博物館はこういう場所だ」という意味づけが生まれ、それがブランドとなっていくのです。ブランド価値とは、まさに関係性の総体であり、来館者が“何度でも戻りたくなる理由”に他なりません(McLean, 1995)。
そのため、マーケティングは決して広報や企画の一部門の業務にとどまるものではありません。展示をつくる学芸員、受付で接客するスタッフ、教育普及を担う担当者、それぞれが「来館者との関係を築く役割」を果たすことで、博物館全体が一つの“関係性組織”として機能していきます。経営戦略とマーケティング戦略を切り離すのではなく、両者を重ね合わせ、組織全体で来館者とのつながりを維持・発展させていく視点が必要です。館のあらゆる活動が「関係構築」の文脈で再設計されるとき、博物館の経営は一層強靭で、柔軟なものとなるでしょう。
本記事では、集客の再定義から出発し、マーケティング理論、制度的支援、実践事例、リピーター戦略など、多角的な視点から博物館のマーケティングを検討してきました。これらを貫いていたのは、「来館者との関係性をどう築き、どう深め、どう続けていくか」という一つの問いです。変化の激しい社会環境の中で、博物館がつながり続ける場所であるために、戦略・制度・体験・関係性が有機的に結びついた“持続可能な経営モデル”を設計することが、今後ますます求められていくでしょう。
参考文献
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