はじめに:来館者の声が未来の来館を決める時代に
SNSやレビューサイトの普及により、博物館を訪れた人々の体験がリアルタイムで発信され、他の潜在的な来館者に大きな影響を与えるようになってきました。こうした口コミ(Word of Mouth)は、以前からマーケティング分野で注目されてきましたが、現在ではその多くがインターネット上に記録され、「電子的口コミ(electronic Word of Mouth:eWOM)」としての影響力を持つようになっています(Hennig-Thurau et al., 2004)。
eWOMは、旅行や観光施設などの「経験財」においてとりわけ重視される傾向にあり、博物館も例外ではありません。来館前にGoogleレビューやTripAdvisorなどの評価を確認する来館者が増えており、実際の展示内容だけでなく、「どんな感想が共有されているか」という他者の声が来館の意思決定を左右する場面が増えています(Senecal & Nantel, 2004)。
しかしながら、こうした口コミは「自然発生的な現象」として見過ごされることが多く、その背後にある構造や生成メカニズムが十分に理解されているとは言えません。近年の研究では、来館者の体験や感情の動きがどのように満足度に影響し、それが口コミ行動へとつながるのかが明らかにされつつあります。口コミは、博物館にとって意図的に設計・活用可能な戦略的資源であるという視点が、いま求められています(Vesci et al., 2021)。
本記事では、口コミがどのような体験や評価から生まれるのか、またそれがどのように博物館のマーケティング戦略に活かせるのかについて、先行研究と実証分析に基づいて検討します。来館者満足や展示空間の印象、eWOMとして記録される具体的な内容の分析を通じて、口コミを戦略的に捉えるための視座を提示していきます。
来館者の声は、単なる感想にとどまらず、未来の来館者を動かす「物語」となります。だからこそ、今後の博物館経営においては、「語られる体験」をいかにデザインし、その声をいかに資源として活かすかが、重要な課題となっているのです。
満足が生まれるとき、口コミは動き出す ― 感情体験とそのメカニズム
博物館における来館者体験は、単なる知的好奇心の充足にとどまらず、感情的な印象や身体的な没入感といった複合的な要素から成り立っています。そして、こうした体験の質が「満足」という主観的評価に転化されることで、来館後の口コミ行動に大きな影響を及ぼすことが分かってきました。特に博物館のような非日常的な訪問先では、訪問回数よりも「他者に勧めたいかどうか」という意図がロイヤルティの指標としてより適切であるとされています(Vesci et al., 2021)。
このような観点から近年注目されているのが、「感情が動かされる体験」が口コミを促すという視点です。スペイン・マラガのピカソ美術館を対象とした実証研究では、来館者が単に展示を鑑賞するだけでなく、創作ワークショップやガイドツアーに参加することで「感情の活性化」が促進され、結果として来館者の満足度が高まり、他者への推奨意図(WOM意向)が有意に高まることが示されました(Carrasco-Santos & Padilla-Meléndez, 2016)。この結果は、博物館における口コミが「展示そのもの」ではなく「体験全体」に基づくものであること、そしてその体験の質を左右するのは情報量や利便性よりも「心が動く瞬間」であることを示唆しています。
こうした知見をさらに理論的に深めたのが、イタリアの美術館を対象とした調査研究です。この研究では、来館者体験を三つの次元―「美的感覚」「エスケープ(非日常性)」「edumotion(教育的な感動)」―に分類し、それぞれが満足度に正の影響を与えることが統計的に確認されました。特に「edumotion」は、知的刺激と感情的共鳴が組み合わさる体験として、来館者に強い印象を残すことが示されています(Vesci et al., 2021)。さらに、これらの体験が単体で影響するのではなく、複数の体験要素が組み合わさることで「総合的な満足」が形成され、それが口コミ意図に媒介的な影響を及ぼす構造が実証されました。
重要なのは、満足が「偶然生まれる結果」ではなく、博物館側の体験設計次第で十分に創出可能な「価値の成果」であるという点です。美しい展示空間や充実した解説だけでなく、参加型のプログラムや訪問者の想像力を刺激する演出など、来館者の感情に働きかける工夫が求められます。特に「学びと感動が重なり合う瞬間」は、語りたくなる記憶として来館者に残り、eWOMとして可視化されやすいと言えます(Vesci et al., 2021)。
このように、博物館における満足は、感情・身体・認知が交差する体験の中から生まれ、その満足が口コミという行動の契機となっていきます。口コミを促すためには、単に展示を磨くこと以上に、「語られたくなる体験」をいかに設計するかが問われているのです。
ミュージアムスケープが与える第一印象と語りたくなる空間
博物館における来館者体験は、展示そのものだけではなく、空間全体の印象から始まっています。受付での応対や照明、動線のわかりやすさ、展示室の雰囲気といった要素は、来館者が感じ取る最初の情報であり、展示を見る前からその体験は始まっていると言えます。そして、このような「場の印象」は口コミにも色濃く反映されます。多くのレビューには、展示内容だけでなく「建物の美しさ」「スタッフの対応」「案内のわかりやすさ」といった空間体験が詳細に語られており、博物館の第一印象がそのまま「語られる価値」として表出していることがうかがえます。
このような空間的要素が来館者の行動にどのように影響を与えるかを明らかにするために、「ミュージアムスケープ(museumscape)」という概念が提案されています。これは、サービスマーケティングにおける「サービススケープ(servicescape)」理論を博物館文脈に応用したものであり、博物館における空間、雰囲気、人的応対などの非展示的要素が、来館者の感情や行動に与える影響を包括的に捉えたものです(Conti et al., 2020)。
この研究では、イタリア国内の主要な国立美術館を対象に実証調査が行われ、museumscapeを構成する四つの要素が明らかにされています。第一に、「展示空間の美的印象(aesthetic appeal)」は、視覚的な魅力や雰囲気によって来館者の印象を大きく左右する重要な要素です。第二に、「スタッフの対応(staff interaction)」は、来館者とのコミュニケーションを通じて安心感や親しみを提供し、体験の質を高める働きを持ちます。第三に、「案内表示や情報提供のわかりやすさ(wayfinding)」は、来館者の迷いやストレスを減らすことで、スムーズな体験を支えます。第四に、「空間全体の快適さや雰囲気(atmospherics)」も、無意識のうちに体験全体の評価に影響を与える要因として位置付けられています(Conti et al., 2020)。
これらのmuseumscapeの要素はいずれも、口コミ意図(positive WOM)に有意な正の影響を与えることが実証されています。特に「スタッフの応対」「展示空間の美しさ」「導線や案内の明瞭さ」は、来館者の満足度や再訪意図に加えて、他者への推奨行動に強く結びついていることが示されています。つまり、展示内容そのものに対する評価だけでなく、来館時に感じる「居心地の良さ」や「わかりやすさ」などの空間体験が、語られる内容の中心にあるということです。
このことから、展示以外の要素もまた、戦略的に設計・管理されるべきであることがわかります。初めて訪れる来館者にとって、サインの配置やスタッフの対応、空間の雰囲気は心理的なハードルを下げ、展示への没入を促す重要な入り口となります。美術館や博物館の価値は、展示の質だけでなく、そこに訪れる体験全体の中で形成されるものです。だからこそ、口コミを促すためには、「語られたくなる空間」を意識的に設計し、それを戦略の一部として組み込む視点が不可欠なのです。
eWOMが可視化する「真の声」:レビューサイトから読み解く来館者の関心
これまでの節では、来館者がどのような体験を通じて満足を得て、それを口コミとして発信するまでの流れについて見てきました。本節ではその次のステップとして、実際に書かれた口コミの「内容」に焦点を当てていきます。来館者は展示をどう評価しているのか、どのような要素に満足し、どんな点に不満を抱いているのか。こうした口コミの中身を読み解くことは、来館者が何を重視し、どんな期待を持って博物館を訪れているのかを理解するうえで非常に重要です。
近年では、TripAdvisorやGoogleレビューといったレビューサイトに電子的な口コミ(electronic Word of Mouth:eWOM)が大量に蓄積されています。こうした投稿には、来館者がその場で感じた体験が率直に言葉として記録されており、来館者の視点に立った評価が生々しく表れています。紙のアンケートやインタビューでは得られない、自由で主観的なフィードバックとして、eWOMは現代の博物館経営にとって貴重な情報資源となっています。
実際に大規模なレビュー分析を行った研究では、TripAdvisorに投稿されたヨーロッパの複数の博物館に関する約4万6,000件の口コミが収集され、そこに記された内容を「中核サービス(展示、コレクション、解説など)」と「周辺サービス(スタッフの応対、建物、施設、チケット購入など)」に分類し、それぞれの出現頻度と感情的なトーン(ポジティブかネガティブか)を分析しました(Zanibellato et al., 2018)。
この分析によって、展示に関する言及はやはり全体の中でも多く、博物館の核となる要素として注目されていることが再確認されました。しかし注目すべきは、ネガティブな評価の多くが「展示」ではなく、「周辺サービス」に集中していた点です。「チケット売り場で長時間待たされた」「館内の案内が分かりにくかった」「スタッフの態度がそっけなかった」「トイレが不潔だった」など、展示そのものとは直接関係のない部分に対する不満が多数記録されていたのです。
一方で、好意的なレビューにおいても、展示内容だけでなく「建築が美しかった」「スタッフが親切だった」「混雑せず落ち着いて過ごせた」など、空間や接遇への評価が数多く見られました。これは、来館者が体験の中で重要視しているのは、作品や情報の質だけでなく、その空間に身を置いたときの「快適さ」や「歓迎されている感覚」であることを示しています。展示が素晴らしくても、スタッフの態度や環境が不快であれば、総合的な評価は下がってしまうということです。
こうした傾向は、来館者が口コミを書く際に「知識的な評価」だけでなく、「感情的な印象」「空間的な体験」「身体的な快適さ」など、総合的な体験をもとに語っていることを示しています。つまり口コミとは、来館者にとっての「体験全体の総括」であり、展示内容の良し悪しだけでは語り尽くせないものであるということです。
また、低評価の口コミに共通して見られたのは、「期待していたのと違った」という落差への不満でした。来館者は博物館に対してある程度の期待やイメージを抱いて訪れます。その期待が裏切られたとき、失望感は強くなり、それが言葉となって現れるのです。逆に言えば、過度な期待を抱かせないような情報設計や、適切なサービス体験の提供によって「期待との一致」を生むことができれば、口コミの内容は好意的なものへと変化していきます。
eWOMはこのように、来館者の体験を詳細に映し出す「鏡」として機能します。展示の充実だけでなく、動線の工夫、スタッフの接遇、施設の使いやすさなど、来館者の評価に影響する要素は多岐にわたります。だからこそ、口コミの分析を博物館経営に組み込むことは、改善のヒントを得るためだけでなく、より良い体験を継続的にデザインするための出発点となるのです。
語られた体験から“戦略”をつくる ― eWOMを活かしたマーケティングの視点
来館者の声を集め、分析することは、もはや多くの博物館で当たり前の取り組みとなっています。しかし、収集されたレビューやアンケートの結果が単なる「傾聴」にとどまり、組織内で有効に活かされていないケースも少なくありません。とりわけ、SNSやレビューサイトに書き込まれる電子的口コミ(eWOM)は、来館者自身の言葉で語られた「体験の記録」であり、そこにはその人がどのような視点で展示や空間、接遇を評価したのかが表現されています。こうした声を戦略的資源と捉え、経営やマーケティングの意思決定に活かす姿勢が、これからの博物館には求められます。
eWOMを活用する第一歩は、その内容を「見える化」することにあります。たとえば、来館者がどのような言葉で展示を表現しているか、どのような文脈で不満を述べているかをテキストマイニングやワードクラウドなどの手法で整理すれば、全体の傾向が可視化されます。ポジティブな言及が多いキーワード(例:「美しい」「丁寧な」「感動した」)と、ネガティブなキーワード(例:「混雑」「不親切」「分かりにくい」)を抽出することで、来館者がどこで満足し、どこでつまずいているのかが明確になります。こうした情報は学芸員や広報担当者だけでなく、受付や施設管理など各部門が共有することで、館全体としての改善につなげることができます。
さらに重要なのは、eWOMを単なる記録や分析にとどめず、「循環する改善の仕組み」に組み込むことです。具体的には、口コミを収集し、定期的に分析し、関係者で共有したうえで、具体的な改善アクションを実施し、それが新たな体験価値となって次の口コミを生むというサイクルを確立することが求められます。このようなループが回りはじめると、博物館は来館者にとって「声が届く場所」となり、信頼と共感が積み重なっていきます。口コミは評価であると同時に対話の一形態でもあり、そこに応答する姿勢が、次の来館意欲やリピート行動を促すきっかけになります。
また、eWOMはマーケティング視点から見ると、単なる反応ではなく「発信されたブランド体験」としての役割を果たします。来館前にレビューを読む人にとって、それらの口コミは信頼性の高い情報源であり、期待を形成する材料となります。とりわけポジティブなeWOMは、他者に安心感を与える「共感の媒介」となり、ブランドイメージの構築にも寄与します。加えて、常連来館者やファン層による繰り返しの好意的な投稿は、博物館に対するコミュニティ的なつながりを生み出す契機ともなり得ます。
こうした観点から言えば、口コミとは「偶然語られるもの」ではなく、「語られたくなる体験」が戦略的に設計された結果であるとも言えます。展示の魅力だけでなく、館内の導線、空間の美しさ、スタッフとの応対、情報提供の仕方に至るまで、すべてが来館者の語りに影響を与える要素です。つまり、eWOMは単なる来館者の反応ではなく、博物館が設計した「語られる体験」の成果であり、それをいかに意識して組み込むかが、マーケティング上の大きな鍵となるのです。
博物館が今後、来館者との関係性を深め、持続的な支持を得ていくためには、「語られる体験」をいかに創造し、それを戦略として位置づけるかが問われています。口コミの中に込められた「真の声」を聞き取り、それを次の施策に反映させる姿勢こそが、来館者中心の博物館経営の実現に向けた出発点となるのです。
参考文献
Carrasco-Santos, S., & Padilla-Meléndez, A. (2016). The role of satisfaction in cultural activities’ word-of-mouth: An experimental analysis. Journal of Business Research, 69(6), 2340–2345.
Conti, E., Vesci, M., Castellani, P., & Rossato, C. (2020). The role of the museumscape on positive word of mouth: Examining Italian museums. The TQM Journal, 33(1), 141–162.
Rosin, U., Zanibellato, F., & Casarin, F. (2018). How the attributes of a museum experience influence electronic word-of-mouth valence: An analysis of online museum reviews. International Journal of Arts Management, 21(1), 76–88.
Vesci, M., Rossato, C., Castellani, P., & Nevola, F. (2021). Designing museum visitor experience: A model of the relations among experiential components, satisfaction and post-visit intentions. The TQM Journal, 33(6), 163–187.