はじめに:なぜ「施設の経営」が博物館に必要なのか
博物館という言葉から、まず思い浮かぶのは展示室に並ぶ貴重な資料や専門知識をもつ学芸員の姿、あるいは静かな空間で文化に触れる来館者の体験かもしれません。しかし、それらの文化的活動を支えているのは、建物そのものや設備、空調、照明、動線設計といった物理的な「施設」であり、これらもまた博物館の価値を構成する重要な要素です。
そうした空間の裏側には、展示物の保存環境を整える温湿度管理や、来館者に快適な体験を提供するための空間設計、老朽化への対応など、日常的な管理と長期的な判断が存在しています。これらの活動は単なる「建物の維持管理」ではなく、経営戦略の一部として捉えるべきものであり、現代の博物館運営において不可欠な視点となっています。
このような考え方は、施設を経営資源として戦略的に活用する「ファシリティマネジメント(facility management)」という分野に通じています。特に博物館のように公共性が高く、多様な利害関係者や制約条件を持つ組織においては、施設運用そのものが経営の質に直結します。文化財の保存、安全管理、環境への配慮、予算制約など、複数の要請に応えるためには、建物や空間を単なるコストではなく、価値創出の源として再認識する必要があります。
この点に関して、施設が組織の将来的なビジョンと整合しているかどうかを見極めることが、戦略的施設計画における中心課題であるとされています(Roper & Beard, 2005)。すなわち、施設や設備の維持管理は、技術的な課題にとどまらず、「どのような博物館でありたいのか」という理念や目的と結びついた経営判断なのです。
本稿では、博物館におけるファシリティマネジメントを「空間の戦略的活用」という視点から再検討し、その役割・課題・可能性を多角的に考察していきます。
博物館空間の分類と機能 ― ゾーニングによる戦略的設計
博物館の建物は、単なる「展示のための箱」ではありません。そこには、展示活動をはじめ、収蔵品の保管や修復、教育普及、来館者サービス、さらには職員の執務や館の維持管理など、さまざまな機能が同時に存在しています。こうした多様な活動が一つの施設の中で円滑に行われるためには、それぞれの空間が目的に応じて明確に区分され、適切に設計・管理されている必要があります。
このような空間の機能的整理は、単なる建築設計上の配慮にとどまらず、博物館経営そのものの効率性や安全性、そして持続可能性を左右する重要な要素です。博物館という組織の中で、空間を「誰が、何のために、どのように使うのか」をあらかじめ定義し、それに応じたゾーニング(空間区分)を行うことは、施設の計画段階だけでなく、運用や改修においても継続的に求められる視点といえます。
このゾーニングの考え方として、博物館空間を4つに分類する方法があります。これは、空間が「来館者に公開されているかどうか」と「収蔵品を扱っているかどうか」という2つの軸に基づいて、以下のように整理されます(Lord, Lord, & Martin, 2012)。
- Aゾーン:公開・非収蔵空間(例:エントランスホール、カフェ、ミュージアムショップなど)
- Bゾーン:公開・収蔵空間(例:常設展示室、特別展示室など)
- Cゾーン:非公開・収蔵空間(例:収蔵庫、保存修復室など)
- Dゾーン:非公開・非収蔵空間(例:事務室、会議室、スタッフ休憩室、機械室など)
この分類は、設計や運用上の配慮を体系的に考える上で非常に有効です。たとえば、Bゾーンにあたる展示室は、来館者の安全性と快適性、そして展示物の保存環境の両立が求められます。一方、Cゾーンの収蔵庫では、温湿度の安定、光の遮断、防火・防犯体制など、厳密な環境管理が求められます。Aゾーンでは、バリアフリー対応や分かりやすい案内表示など、ホスピタリティの観点が重視されます。このように、ゾーンごとに異なる要件を把握し、設計や設備を最適化することが、施設全体の機能性を高める鍵となります。
加えて、ゾーニングは来館者・職員・収蔵品という三者の動線が重ならないようにすることが重要です。来館者の動線と収蔵品の移動ルートが交差してしまえば、展示替えや資料搬出入の際に混乱が生じたり、セキュリティ上のリスクが高まったりする可能性があります。また、職員の業務動線が非効率な設計であれば、日常業務に支障が出るだけでなく、長期的には人材の負担増や業務コストの上昇にもつながりかねません。
こうした点に関連して、施設の空間設計が組織の戦略目標とどれだけ整合しているかを評価する必要があるとされています。空間が博物館の運営方針やサービス目標に合致していなければ、建物は「存在していても十分に活用されていない資産」となってしまいます(Roper & Beard, 2005)。ファシリティマネジメントにおいては、施設が単なるインフラではなく、「経営資源」として意識されることが求められます。
さらに、ゾーニングの適切さは、維持管理コストや環境負荷にも大きく影響します。たとえば、収蔵ゾーンと展示ゾーンの空調システムを分けて設計することで、エネルギー消費を抑えることができ、結果として運用コストの削減にもつながります。また、照明設備の配置や遮光設計をゾーンごとに調整することで、展示品の劣化を防ぎつつ、持続可能性を確保することも可能です。ゾーニングは、建築的な配置だけでなく、「省エネルギー」や「環境への配慮」といった観点からも戦略的に設計されるべきであるとされています(Lord, Lord, & Martin, 2012)。
このように、ゾーニングは空間の分類という表層的な整理にとどまらず、博物館の経営目標、職員の働き方、来館者の体験、そして収蔵品の保存といった、あらゆる活動の土台を形づくる重要な構成要素です。空間の設計と運用に「戦略」の視点を持つことで、博物館はより強固な経営基盤と公共的価値を実現していくことができます。
歴史的建築物とファシリティ管理 ― 制約と可能性のはざまで
日本やヨーロッパにおける博物館の多くは、もともと異なる用途で使われていた歴史的建物を転用して運営されています。たとえば、旧邸宅、寺院、城郭、学校、銀行、駅舎といった建築物が、その文化的・歴史的価値を評価され、博物館として再生されるケースは少なくありません。こうした建物には独特の雰囲気や物語性があり、来館者にとっての魅力となる一方で、施設管理の観点からは多くの課題を伴います。
歴史的建築物は、現代の建築基準に比べて構造上の制約が多くあります。たとえば、バリアフリー設計が困難であったり、空調や照明などの設備を後付けで導入する際に制限がかかったりすることがあります。さらに、建物そのものが文化財に指定されている場合には、増改築や修復の自由度が法律や条例によって制限されるため、施設管理に高度な調整力と専門性が求められます(Puček, Ochrana, & Plaček, 2021)。
このような建物を修復・活用する際には、まず「ヒストリカル・サーベイ」と呼ばれる歴史的調査を実施することが推奨されています。これは、建物の築年、構造、過去の用途、保存状態などを詳細に調べるものであり、今後の修復や運用方針を決定するための基礎資料となります。適切な調査を踏まえて修復方針を策定することで、文化財的価値を損なうことなく、現代的な運用に必要な機能を加えることが可能になります(Lord, Lord, & Martin, 2012)。
一方で、こうした建物の修繕や更新は、資金的な負担も大きく、すぐに着手できない場合も多くあります。経営判断が先送りされることで、必要な補修や設備更新が滞り、建物の老朽化が進行するという問題も見られます。このような状態は、将来的にさらに大きな費用とリスクを招く「内部的負債(internal indebtedness)」として認識されつつあります(Puček, Ochrana, & Plaček, 2021)。博物館経営においては、建物という資産を長期的に維持・活用していく視点が不可欠です。
とはいえ、歴史的建物には「制約」だけでなく「可能性」も存在します。たとえば、吹き抜けのホールを使ったイベント演出や、古い木材や石材を活かした照明計画、歴史的空間と現代アートの対話を生む展示設計など、建築そのものが文化的価値の一部として来館者体験を高める例は多く見られます。施設設計は、単に不便を解消するためだけでなく、新しい価値を創出するための手段ともなり得るのです。
このようなアプローチは、施設の制約をむしろ「戦略的設計機会」としてとらえる思考につながります。ファシリティマネジメントにおいては、技術的な最適解だけでなく、文化的・美学的・社会的な価値を複合的に考慮することが重要です(Roper & Beard, 2005)。歴史的建物であるがゆえの独自性を活かしながら、機能的・安全的な現代施設としても成立させるバランス感覚が求められます。
そのためには、建築家や保存技術者のみならず、行政担当者、館の職員、地域住民といった多様な関係者との連携が必要です。歴史的建物を活用する博物館は、文化的価値の担い手であると同時に、公共施設としての説明責任も果たさなければなりません。ファシリティマネジメントは、物理的な空間管理の枠を超え、社会との関係性をデザインするプロセスでもあるのです。
運用を支える仕組み ― 効率・有効性・持続可能性を両立する
博物館の施設は、設計や修復の完了をもって完成するのではなく、その後の運用こそが空間としての価値を左右します。来館者の快適性、職員の働きやすさ、収蔵品の保存環境、エネルギー効率、安全性など、施設は「どのように使われているか」によって成果が決まります。したがって、施設を安定的かつ持続的にマネジメントしていく仕組みが必要です。
まず求められるのは、空調・照明・防火・警備・清掃といった日常業務を組織的に管理する体制です。これらが属人的に運用されていると、トラブル発生時や担当者の異動に対応できず、リスク管理や品質維持が困難になります。そのため、ゾーンごとの運用基準を明確にし、点検・保守手順をマニュアル化し、定期的に見直し可能な体制を整備することが重要です(Lord & Lord, 2009)。
施設の維持・更新に関する判断には、定量的な指標を活用することが効果的です。3E、すなわち経済性(Economy)、効率性(Efficiency)、有効性(Effectiveness)の三つの観点から評価することで、感覚ではなく合理的な意思決定が可能になります。たとえば老朽化した空調設備の更新では、「電力消費の削減率」「温湿度の安定性」「導入コストと回収期間」などを総合的に検討する必要があります(Puček, Ochrana, & Plaček, 2021)。
こうした意思決定は、博物館の持続可能性とも深く関係しています。たとえばLED照明や再生可能エネルギーの導入、清掃や展示用品の環境配慮など、小さな工夫の積み重ねがエネルギー効率や環境負荷の削減につながります。展示照明の計画においては、光害から資料を守ると同時に空調負荷を抑えることが求められ、照度制御と温度管理のバランスが施設全体の省エネ設計に大きく関与します(De Graaf, Dessouky, & Müller, 2014)。
このような運用の質は、人材配置の工夫にも左右されます。専門の施設管理者(ファシリティマネージャー)を配置したり、専門業者と協力したりすることで、管理の専門性と業務の安定性が高まります。館内での役割分担を明確にし、部門横断的な調整を可能にする体制が、長期的な運用の持続性を支えるのです。
施設運用は、しばしば裏方の作業として軽視されがちですが、実際には博物館経営の成果に直結する戦略的活動の一部です。施設マネジメントの運用段階は、単なる日常作業ではなく、経営戦略の「実行」に位置づける必要があります(Roper & Beard, 2005)。博物館が限られた資源を有効に活用し、最大限の効果を生むためには、計画・設計・運用・評価の循環を組織的に回していくマネジメント力が問われています。
このように、施設の運用は技術的な管理を超えて、博物館全体のビジョンやミッションを実現するための「見えないインフラ」です。使いこなされた空間こそが、生きた経営資源となり、来館者・職員・社会に新たな価値をもたらすのです。
おわりに:建物から始まる経営の視点
本稿では、博物館の施設に関する計画、設計、管理、運用といった多角的な視点から、ファシリティマネジメントの意義を考察してきました。建物は、単に活動の場を提供する「器」ではなく、組織の理念や機能を具体化し、価値を生み出すための経営資源です。空間設計のあり方や日常的な管理の質は、来館者の体験、職員の働き方、収蔵品の保存環境といったさまざまな側面に直結します。
施設マネジメントは、単なる維持管理の領域にとどまらず、戦略的な経営判断の連鎖として捉えるべきものです。ゾーニングや導線設計、保存環境の構築から、日々の点検や清掃、修繕計画の立案まで、すべてが博物館の目標や方向性に沿って設計・実行される必要があります。これらの判断は、それぞれ個別の業務ではあるものの、全体としては一貫した戦略のもとに位置づけられるべきです。
施設運営は、計画・整備・運用・評価というサイクルの中で繰り返されます。このサイクルを着実に回していくことで、建物という資産を活かし、将来に向けて持続可能な館運営を実現することができます。修繕の先送りや計画なき運用は、将来的に大きな財政負担や機能不全を招く「内部的負債」として残ります。そのようなリスクを回避するためにも、長期的視野に立った判断が求められます。
また、施設は博物館の公共性と専門性を支えるインフラでもあります。展示、教育、研究、保存、地域連携といった多様な活動は、すべて空間という物理的基盤の上に成立しています。文化財としての建築物である場合には、その保存・活用には高度な専門性と慎重な対応が必要ですが、その一方で、建物自体が来館者体験の価値を高める「語る空間」となる可能性もあります。
こうした空間の可能性を引き出すには、施設の管理を単なる裏方業務と捉えるのではなく、組織の理念と戦略を支える「見えない経営活動」として再認識する視点が重要です。戦略的施設計画は、博物館の将来的なビジョンと施設の在り方を接続し、空間のもつ力を最大限に引き出すための枠組みといえます。
これからの博物館経営においては、「経営は建物の外側から始まる」のではなく、「内部空間の設計と運用から始まる」発想の転換が必要です。建物の配置や設備だけでなく、それらが生み出す利用者体験、職員の働き方、文化財保護の水準が、すべて経営の成果に直結しているからです。建物を活かすということは、その中で営まれるすべての活動の質を高めることにつながります。施設を「生きた資源」として戦略的に運用することこそ、これからの博物館が果たすべき新しい経営のかたちなのです。
参考文献
- De Graaf, T., Dessouky, M., & Müller, H. F. O. (2014). Sustainable lighting of museum buildings. Renewable Energy, 67, 30–34.
- Lord, G. D., & Lord, B. (2009). The manual of museum management. AltaMira Press.
- Lord, B., Lord, G. D., & Martin, L. (Eds.). (2012). Manual of museum planning: Sustainable space, facilities, and operations (3rd ed.). AltaMira Press.
- Puček, M. J., Ochrana, F., & Plaček, M. (2021). Museum management: Opportunities and threats for successful museums. Springer.
- Roper, K. O., & Beard, J. L. (2005). Strategic facility planning for museums. Museum Management and Curatorship, 20(1), 57–68.