博物館のInstagramは誰のためにあるのか?
近年、多くの博物館がInstagramをはじめとするSNSを活用し、展覧会情報や館内風景、学芸員のコメントなどを発信しています。これらは、来館者との接点をつくる重要な広報手段として位置づけられていますが、一方で「その投稿は誰に向けられたものなのか」「誰の視点に立った発信なのか」という問いは、しばしば見落とされがちです。実際、フォロワー数が多くても“いいね”やコメントなどの反応が少ないアカウントも珍しくなく、情報を一方的に届けるだけの運用には限界があるといえます。
従来の博物館広報は、館側が「発信者」となり、来館者はその「受信者」として情報を受け取るという構図に基づいていました。しかし、SNSの本質は、情報の発信と受信が一方向ではなく、相互的であるという点にあります。来館者はもはや受け身の存在ではなく、展示を体験したあと自らのスマートフォンで撮影し、Instagramに投稿することで“語り手”として博物館のイメージを再構築しています。
特にInstagramでは、写真を通じた体験の共有が活発に行われており、展示の見どころや来館者自身の感動が、ハッシュタグや位置情報とともに拡散されていきます。こうした投稿は、従来の広報がカバーしきれなかった多様な来館者の視点を可視化し、博物館にとって新たな意味づけをもたらしています。このような投稿は「UGC(User Generated Content)」と呼ばれ、マーケティングの世界では重要な資源とされています。
Instagram上の投稿は、単なる記録ではなく、「空間や意味を共有し直す手段」になっているとされます(Suess, 2018)。つまり、来館者の投稿は展示の再解釈であり、視覚的な“再キュレーション”ともいえる行為です。博物館の体験は、来館者によって再構成され、SNSを通じて第三者へと伝播していきます。
このように考えると、博物館のInstagram運用において、「誰が発信しているのか」ではなく、「誰が“語っている”のか」という視点が重要になります。来館者によるUGCは、ただの反応ではなく、文化的対話の一部であり、展示と広報が交差する地点でもあります。運用戦略は、館側の意図だけでなく、来館者の視点を起点として再設計されるべきなのです。
館側の発信に焦点を当てた視点については、関連記事「ミュージアムマーケティングとインスタグラム」で詳しく扱っています。この記事では、広報部門やマーケティング担当者がどのように戦略的にSNSを活用すべきかが述べられており、本稿と補完的な関係にあります。
来館者のInstagram投稿は何を伝えているのか?
博物館におけるInstagramの活用が当たり前となった今日、来館者による投稿の存在感はますます大きくなっています。来館者が撮影した写真や添えられた言葉は、単なる記録にとどまらず、展示空間に対する独自の解釈を提示するものでもあります。これを「ノイズ」と見なして制御の対象とするのか、それとも「語り」として読み解き、展示や運営の改善に活かしていくのかは、博物館側の姿勢に大きく依存します。
来館者がInstagramに投稿する写真には、博物館が意図したメイン展示だけでなく、天井の装飾、窓から差し込む光、階段や通路など、意外な場所が多く含まれています。こうした“印象の切り取り”は、展示や空間の体験において何が心に残ったのかを示す手がかりとなります。ときに、来館者が注目するポイントは館側の想定とは大きく異なっており、そのズレこそが、来館体験の豊かさを物語っています。UGC(User Generated Content)は、鑑賞者の内的経験を可視化する重要な情報源なのです(Budge & Burness, 2018)。
また、Instagramにおいて頻繁に投稿される空間には一定の共通点があります。例えば、自然光が美しく差し込む展示室、奥行きのある構図が撮影できる通路、反射素材や色彩豊かな背景がある壁面などです。これらは視覚的魅力に加え、来館者の写真欲求を刺激する空間として機能しています。つまり、展示や建築のデザインが、無意識のうちにUGCの「生成装置」となっているのです。SNS時代における展示設計は、空間体験の質と撮影・共有行動の関係を踏まえた上で再検討されるべき段階に入っています(Jarreau & Brown, 2020)。
さらに、来館者の投稿には写真だけでなく、キャプションによる物語的な要素も含まれます。「この作品には泣かされた」「友人と来てよかった」「昔の記憶がよみがえった」など、感情や思い出を言語化して共有することで、展示体験が新たな文脈を伴って拡張されていきます。Instagramは単なるSNSではなく、個人の思いや解釈が交錯するナラティブ空間として機能しており、来館者はそこにおいて“語り手”として博物館体験の意味を再編集しているのです(Chung et al., 2014)。
このように、来館者のInstagram投稿は、博物館の広報素材として利用可能なだけでなく、来館者自身による文化的参与の痕跡とも捉えられます。それは鑑賞体験の延長線上にある創造的行為であり、来館者の感性や期待を浮かび上がらせる重要な資源です。博物館はこのような投稿を丁寧に読み解くことで、来館者の思考や感情に寄り添った展示づくりや広報戦略の再構築につなげることができるのです。
Instagramを活かす展示・広報の再設計とは
来館者のInstagram投稿を読み解くことで、彼らが展示空間をどのように体験し、語っているのかが見えてきました。では、博物館側はその語りにどのように応答すればよいのでしょうか。ここでは、来館者の投稿行動を肯定的に受け止め、それを踏まえた展示および広報戦略の再設計について考察します。
まず第一に重要なのは、「投稿されやすい」展示空間をあらかじめ設計段階から意識することです。現代の来館者は、鑑賞体験の延長として撮影・共有を行っており、視覚的な印象が強く残る展示空間に自然とカメラを向けています。たとえば、光の差し込み方、背景の整理、奥行きのある構図、素材の反射性などが、投稿の頻度と密接に関係しています。これらは一見装飾的な要素のように見えますが、SNS時代においては展示体験の「共有可能性」として重要な役割を果たしています。展示設計においても、空間体験と投稿行動の関係を考慮することで、来館者との自然な接点を生み出すことができるのです(Suess, 2018)。
次に、来館者による語りを促進する仕組みとして、ハッシュタグとナビゲーションの活用が挙げられます。公式のハッシュタグを明示することで、来館者は安心して投稿することができ、同時に展示に対する思いや感想を共有しやすくなります。また、展示空間の中に投稿のヒントや問いかけの文章を設置することで、来館者の語りがより豊かに展開されます。こうしたプロンプト的なデザインは、来館者の内面にある感情や記憶を引き出し、展示体験を対話的に再構成する役割を果たします。SNSとの連携を想定したナビゲーション設計は、来館者を受動的な鑑賞者から、語り手・共創者へと導く装置となるのです(Budge & Burness, 2018)。
さらに、来館者の投稿を広報戦略に組み込む姿勢も欠かせません。公式アカウントで来館者の投稿を紹介したり、リポストによって感謝の意を表すことで、投稿者は「語り手」として認められたという肯定的な経験を得ます。このような双方向的な広報は、館側が一方的に情報を発信する従来のスタイルとは異なり、来館者との信頼関係を醸成するきっかけとなります。特にストーリーズやコラボ投稿などの機能を活用すれば、来館者の存在を主役として際立たせることができ、自然な形で「来たくなる」「紹介したくなる」動機づけが形成されていきます(Brown & Jarreau, 2020)。
Instagramは単なる宣伝媒体ではなく、展示と広報の双方に関わる「共有の設計図」として機能しています。投稿されることを前提とした展示づくり、語りを引き出すナビゲーション、共感を軸とした広報戦略は、いずれも来館者の主体的な参与を促進する仕組みです。博物館は、来館者が「共有したい」と感じる瞬間に寄り添い、展示や空間、情報の設計をアップデートしていくことが求められています。
Instagram時代の博物館広報 ― 信頼・共感・拡散の戦略へ
SNSが日常的な情報収集や判断の基盤となる現代において、博物館の広報もまた大きな転換点を迎えています。これまでの広報は、メディア向けのニュースリリースやポスター、ダイレクトメールなど、一方向的な情報の発信が中心でした。しかし、InstagramをはじめとするSNSでは、館側の発信と来館者の投稿が混在し、広報とパブリック・イメージの境界が曖昧になっています。こうした環境の中で、博物館に求められているのは、「届ける」広報から「共につくる」広報への転換です。
まず注目すべきは、「共感」に根ざしたコンテンツの力です。来館者は、自分が心を動かされた瞬間や、その背景にあるストーリーに対して強く反応します。たとえば、展示物そのものだけでなく、それを支える学芸員やスタッフの声、制作過程の裏話、設営中の風景などは、多くの共感を生む要素となりえます。こうした投稿は広告臭が少なく、ユーザーの自己表現の一部としてシェアされやすい特徴があります。つまり、広報が“発信する情報”ではなく、“共有される語り”に変わっているのです(Brown & Jarreau, 2020)。
次に、Instagramにおいて信頼性を獲得するには、投稿内容だけでなく、フィード全体の一貫性が不可欠です。色調の統一や文体の整合性、定期的な更新などが、アカウント全体の“ブランド的まとまり”を形成し、博物館という組織に対する信頼へとつながっていきます。また、ストーリーズのハイライト機能やプロフィールの文章なども、来館者が館の価値観や雰囲気を感じ取る重要な手がかりとなります。アカウントは情報の窓口であると同時に、“館の人格”を映し出す鏡でもあるのです(Suess, 2018)。
さらに、広報の「拡散力」を高めるためには、ユーザーの投稿(UGC)との連携が不可欠です。来館者の投稿をリポストしたり、ストーリーズで紹介したりすることで、来館体験が承認され、共有されることの価値が可視化されます。加えて、エンゲージメント率や保存数、プロフィール遷移数といったKPIを定期的に確認し、投稿内容や時間帯を最適化していくことが、広報戦略を進化させる鍵となります。こうした定量的な視点を取り入れることで、単なる「思いつきの投稿」から、目的に沿った「設計された対話」へと広報の質を高めることができます(Budge & Burness, 2018)。
このように、Instagramを軸とした広報活動は、信頼と共感を基盤とし、来館者とともに物語を紡ぐ営みへと変化しています。これまでの「届ける広報」は、今後「共につくる広報」へと発展していくべきであり、その中心には、来館者との継続的な対話と関係性の構築があります。博物館がどのように語られたいか、だけでなく、誰と語り合うのか。その問いこそが、Instagram時代の広報の核心であるといえるでしょう。
まとめ ― Instagramは“共創の場”である
Instagramを中心としたSNSの活用は、博物館の広報活動に新たな視座をもたらしました。それは単なる情報の伝達手段としてではなく、来館者と博物館が共に語り合い、価値を創出する“共創の場”としてのSNS活用という考え方です。この視点の転換により、広報は一方向的な情報発信ではなく、関係性の構築そのものとみなされるようになってきています。
来館者の投稿行動が、博物館のブランド形成に大きく寄与していることは、すでに多くの研究で指摘されています。投稿に添えられるキャプション、使用されるハッシュタグ、写真の構図や色調は、博物館がどのように“見られているか”を可視化する重要な手がかりです。これらの語りは、来館者自身の体験に基づくものであり、従来の広報素材では再現できないリアルな語彙や視点が内包されています(Brown & Jarreau, 2020)。
そのため、展示や空間設計、さらには広報アカウントの構成に至るまで、「いかに共有されるか」「どう語られるか」という視点を持つことが不可欠となります。撮影可能な空間、来館者が写真を撮りたくなるような導線設計、ストーリー性のある展示キャプション、語りを誘発するハッシュタグやプロンプトの設計など、すべてが“共有される体験”の構成要素になります。つまり、広報・展示・空間設計が一体となって語りをデザインする必要があるのです(Budge & Burness, 2018)。
このような時代背景において、広報担当者の役割もまた変化しています。単に情報を発信するのではなく、来館者の主体的な語りや投稿を支援し、それらを収集・分析・再活用する役割、つまり“共創の環境を設計する人”へと進化しつつあります。その役割には、館のトーンや世界観を一貫して発信する力だけでなく、来館者の声に耳を傾け、双方向のコミュニケーションを支える感性と戦略性が求められます(Suess, 2018)。
SNS広報を“運用”の問題にとどめず、来館者との継続的な関係性構築のための「共創の設計」として捉えなおすことは、博物館経営においても極めて重要です。フォロワーの数や「いいね」の数では測れない、共感・信頼・再訪といった指標を重視し、来館者との長期的な対話をデザインする。それこそが、Instagramを活用した現代の博物館広報の核心なのです。
参考文献
- Brown, J., & Jarreau, P. B. (2020). Instagramming science: Impact of images and text on public engagement with science. Journal of Science Communication, 19(2), A03.
- Budge, K., & Burness, A. (2018). Museum objects and Instagram: Agency and communication in digital engagement. Continuum, 32(2), 137–150.
- Suess, A. (2018). Instagram and art gallery visitors: Aesthetic experience, space, sharing and implications for educators. Australian Art Education, 39(1), 107–122.