博物館における除却とは
除却(deaccessioning)の定義と歴史的背景
博物館の除却(deaccessioning)とは、博物館のコレクション管理において、所蔵品を公式に収蔵台帳から除外し、今後の管理対象から外す一連のプロセスを指します(Matassa, 2011; Fahy, 1994; Vecco & Piazzai, 2014)。この除却は、単なる廃棄や売却とは異なり、まず記録上の決定があり、その後に譲渡や売却、廃棄といった現物の移動(disposal)へと進むのが特徴です。除却の対象となる品は、美術品や歴史資料、自然科学標本、考古遺物など多岐にわたります。
博物館という組織は、もともと「一度収蔵したものは永久に守り伝える」という理念を持っていたため、除却は長らくタブー視されてきました。しかし近年、限られた収蔵スペースや財政的制約、社会や展示ニーズの変化、コレクション方針の見直しなどを背景に、除却の必要性が世界中で認識されるようになっています。特に欧米の先進的な博物館では、除却を通じてコレクションの最適化や持続可能な運営を図る動きが進んでいます(Vecco & Piazzai, 2014)。
また、除却は博物館の収蔵・登録(accession)と対になる概念です。収蔵は新たな資料をコレクションに迎え入れるプロセスですが、除却はコレクションから資料を外し、資源配分や管理体制を見直すための「出口戦略」として位置付けられています。この収蔵と除却のバランスを取ることで、博物館は時代や社会状況の変化に柔軟に対応し、限られた資源の中で公共的価値を最大化することが可能になります(Matassa, 2011)。
「除却」と「処分」(disposal)の違いと関係性
除却(deaccessioning)と処分(disposal)は、博物館現場でも混同されがちな用語ですが、実際には明確な違いがあります(Fahy, 1994)。除却とは、まず博物館の管理台帳上から対象資料を正式に除外する「管理的決定」を意味します。一方、処分(disposal)は、除却後の現物をどのように扱うか、すなわち他館への譲渡、教育機関への移管、売却、交換、最終的な廃棄など、具体的な措置を講じる段階を指します(Matassa, 2011)。
除却の決定がなされた場合でも、その資料がすぐに破棄されるわけではありません。多くの博物館では、除却品のうち価値や利用可能性が認められるものについて、まず他の博物館や公共機関、教育機関などへの譲渡や移管を優先するのが原則となっています。また、売却の場合は、収益の使途を再収蔵や保存・管理の充実に限定するなど、透明性と公益性を重視したルールが設けられています(Vecco & Piazzai, 2014)。
このように、除却はコレクション管理のプロセスのひとつであり、その後に様々な処分方法が選択されることから、「除却=廃棄」とは限りません。むしろ、除却を適切に行うことで、博物館の社会的信頼性や資源配分の最適化、公共的使命の実現につなげることができるのです。正しい用語理解と手続きの透明性は、現代の博物館経営に不可欠な視点といえます。
除却に対する国際的視点と社会的イメージ
除却をめぐる社会的イメージや制度的な扱いは、国や地域、歴史的背景によって大きく異なります。たとえばイギリスやアメリカなどの英米法系の国々では、来館者へのサービスや展示活用を重視した運営方針から、除却が比較的柔軟に実施されています。こうした地域では、博物館コレクションの見直しや最適化がガバナンス上の課題として積極的に議論されており、定期的な除却の実施がコレクションの質向上や公共性強化の一手段とされています(Vecco & Piazzai, 2014)。
一方、イタリアやフランスなど大陸法系の国々では、文化財の不可分性や国家的資産としての側面を重視する伝統が強く、除却や処分そのものに強い社会的抵抗や否定的な感情が根強く残っています。特に「永久コレクション」神話は、公共財の喪失に対する不安や反発と結びつきやすく、除却をめぐる議論がしばしば政治的・感情的に扱われる傾向があります(Vecco & Piazzai, 2014)。
しかし、近年は欧州でも財政制約やコレクションの過剰蓄積、管理負担の増大といった課題を背景に、各国の博物館団体がガイドラインやポリシーを整備し、一定のルールと透明性を担保した除却実務の普及が進みつつあります。国際的にも、除却の実施には透明性・説明責任・社会的信頼の確保が不可欠であり、専門的なマネジメント領域として制度化されているのが現状です。
日本でも今後は、国際動向を踏まえつつ、社会的信頼を損なわない形での除却プロセスや制度設計が求められています。こうした国際比較とガバナンス強化の流れを正しく理解し、適切な情報公開や合意形成を図ることが、現代の博物館経営における除却の新たな意義といえるでしょう(Vecco & Piazzai, 2014)。
除却の意義とその必要性
博物館における除却の役割とメリット
博物館の除却(deaccessioning)は、単なる収蔵品の「整理」や「廃棄」ではなく、コレクション管理の核心に関わる戦略的なマネジメント手法です。現代の博物館においては、限られたスペースや人員、財政資源のなかで、最大限の社会的価値と来館者サービスを提供することが強く求められています。除却を適切に行うことで、博物館は「収蔵品の質」と「展示や教育の充実」の両立を目指し、コレクション全体の最適化に貢献できます(Vecco & Piazzai, 2014)。
具体的には、重複資料や方針不適合資料、保存が困難になった収蔵品、もはや学術的・歴史的価値が十分に認められない資料などを除却することで、残された収蔵品の管理・活用に注力することが可能となります。こうした除却の実施は、館のコレクションが「過去の遺産の倉庫」となることを防ぎ、「社会に開かれた生きた知識資源」としての役割を再定義するうえでも有効です。展示の刷新や教育普及活動へのリソース再配分を通じて、来館者の多様なニーズや時代の変化に柔軟に対応できるようになります。
さらに、近年ではコレクションの「新陳代謝」の重要性が世界的に認識されており、不要・不適合な資料を除却することで新たな収蔵や共同プロジェクトに予算やスペースを充てる動きが広がっています。除却は「コレクションの終わり」ではなく、博物館の継続的な発展やイノベーションを支える「未来への布石」として捉えられるべきです(Vecco & Piazzai, 2014)。
博物館運営における効率化・持続可能性
現代の博物館経営では、効率化と持続可能性(サステナビリティ)が最重要課題となっています。除却はこの両立に直結する実務的アプローチです。例えば、物理的な収蔵スペースはどの博物館でも限界があり、無秩序な収蔵拡大は保管コストや管理業務の増大を招きます。除却を通じて、重要度や活用頻度が低い資料を見直し、コレクション全体を「スリム化」することで、保管スペースやスタッフの労力、予算を最も意義ある活動に集中させることができます(Vecco & Piazzai, 2014)。
また、管理コストの削減にとどまらず、除却で得た売却益や譲渡収入を再収蔵や保存・修復事業、教育普及の強化など館の本質的な事業に還元することで、持続可能な博物館運営が実現します。多くの博物館では、除却を定期的に実施することで経営の柔軟性と財政の健全性を維持しつつ、社会や地域の変化に合わせたコレクション形成を図っています。
さらに、近年の研究では、効率的な除却がガバナンス強化や内部統制の向上にも寄与することが示されています。透明性と説明責任を担保した手続きを通じて、関係者・社会との信頼関係を強化し、経営の健全性を高めることが可能です(Vecco & Piazzai, 2014)。
除却が必要となる具体的な状況
博物館において除却が検討・実施される具体的な状況にはさまざまなケースがあります。代表的な例としては、以下のようなものが挙げられます。
- 保存状態が著しく悪化し、修復や維持管理が事実上困難となった場合
- 学術的価値・歴史的価値が著しく減少した、あるいは新たな研究や発見により位置付けが変わった場合
- 調査の結果、贋作や複製品であることが明らかになった場合
- 不正取得や寄贈条件違反が判明した場合(Matassa, 2011; Fahy, 1994)
- コレクション方針やミッションの変更、社会的・地域的ニーズの変化により、従来の資料が新たな活動と合致しなくなった場合
また、除却された資料は必ずしも廃棄されるわけではなく、他館や教育機関、公共機関への譲渡・移管、地域社会との連携プロジェクトへの提供など、多様な処分方法が選択されています。これにより、博物館の資源を社会全体の文化資本として循環させる機能も期待されています(Vecco & Piazzai, 2014)。
特に現代では、過剰な収蔵による「死蔵資料」や「ブラックボックス化」の問題が深刻化しています。適切な除却を行うことで、収蔵資料の価値と社会的活用の最大化が図られ、博物館の本来の公共的役割を強化することができます。除却は、単なる「減らす」ための手段ではなく、「価値を生み出し続ける組織」への変革の起点なのです。
このように、除却は博物館経営とコレクション管理の質向上、社会的信頼の維持、そして持続可能な発展のために不可欠なプロセスであり、今後のガバナンスや地域連携、教育普及にも大きな影響を与えるものです。除却を積極的かつ慎重に進めることで、博物館は時代に合った価値創造と社会貢献を実現できます。
除却の実務プロセスとガバナンス
除却ポリシー策定の具体的手順と留意点
博物館の除却(deaccessioning)を適切かつ社会的に信頼される形で実施するためには、まず明確な「除却ポリシー(deaccession policy)」を策定することが不可欠です。除却ポリシーは、組織としての判断基準やプロセス、倫理的枠組み、社会的責任のあり方を明文化する役割を持っています(Fahy, 1994; Matassa, 2011)。
具体的には、除却の対象とする収蔵品の基準、どのような状況下で除却が認められるのか、関係者(寄贈者、遺族、連携機関など)への説明・配慮の方針、除却後の資料の処分方法や情報公開の範囲、異議申立て手続きなど、細かなルールまで整理しておく必要があります。これにより、恣意的な運用やブラックボックス化を防ぎ、組織内外の信頼醸成につなげることができます。
特に、除却の判断に関わる倫理的・法的課題をポリシーのなかで明記しておくことで、トラブルや社会的批判の予防、組織ガバナンスの強化が期待できます。除却ポリシーの策定プロセス自体も公開し、透明性を高めることが、現代の博物館経営においては必須です(Matassa, 2011)。
承認プロセスと記録管理
実際の除却手続きでは、多段階の承認フローと厳格な記録管理が不可欠です。多くの博物館では、現場の学芸員や資料担当者が収蔵品の現状を評価し、除却の必要性を具体的に提案します。その後、専門委員会や管理職による精査を経て、館長や理事会といった最終意思決定機関での承認が行われます。このような多層的なチェック機構は、除却における恣意的判断や不正リスクを最小化し、外部からの批判や社会的不信の防止にも寄与します(Matassa, 2011)。
さらに、承認プロセス全体を通じて、すべての判断や決定事項を公式な記録として残すことが重要です。除却された収蔵品の台帳上の登録解除、関係資料のデータベース反映、除却理由・承認日・処分先などの記録を詳細に保存します。こうした記録は、将来の監査やトラブル発生時の検証、ガバナンス強化の根拠としても活用されます。
また、可能な限り第三者(例えば外部有識者や監査役など)による記録・承認プロセスの定期的なチェックを行うことも、組織全体の透明性と説明責任の担保につながります。記録の保存期間や公開方針もあらかじめ規定しておくことで、社会的信頼の維持と内部統制の強化に寄与します。
透明性の担保と社会的責任
除却プロセス全体において、何よりも重要なのが「透明性」と「社会的責任」の確保です。博物館は公共性の高い組織であるため、除却の決定・理由・処分方法などについて、館内外のステークホルダー(寄贈者・遺族・来館者・自治体・専門家など)に対して適切な説明を行う責務があります(Vecco & Piazzai, 2014)。
特に、寄贈者やその家族への連絡・説明はトラブルや誤解の防止に直結します。また、来館者や市民社会に対しても、除却が単なる「廃棄」や「損失」ではなく、コレクションの質的向上や持続可能性を目的とした正当な判断であることを丁寧に発信することが求められます。広報や公式ウェブサイトを通じた情報公開、年次報告書での除却実績の公表、場合によってはメディアや地域社会との対話も重要です。
さらに、除却が社会的議論や批判の的となるリスクを常に認識し、不正・恣意的運用を防ぐためのガバナンス体制を日常的に強化しておく必要があります。外部ガイドラインや国内外のベストプラクティス、国際的な除却規程を参考に、自館のプロセスを定期的に見直し、改善を重ねることが現代の組織経営には欠かせません。
結果として、透明性を重視した除却ガバナンスの徹底が、現代の博物館が社会的信頼を維持し、公共的役割を果たし続けるための土台となります。持続可能な組織運営と社会貢献の観点からも、除却プロセスの見直し・強化は今後ますます重要なテーマです(Vecco & Piazzai, 2014)。
除却に伴う倫理的・法的課題
倫理的リスクと除却批判の根拠
博物館の除却(deaccessioning)は、コレクション管理と経営の合理化の観点から世界的に重視されていますが、同時に社会的・倫理的なリスクも伴います。特に「永久コレクション神話」――すなわち「博物館に収蔵されたものは永久に守られるべきだ」という考え方――が根強い地域では、除却そのものに対する強い抵抗感が存在します。この神話は寄贈者やその家族、市民・来館者の期待に密接に関わっており、実際に除却が実施されると「自分の寄贈品が大切にされていない」「公共財産を安易に手放しているのではないか」といった批判や不信感が生まれやすい傾向にあります(Vecco & Piazzai, 2014)。
特に寄贈文化の強い欧米諸国では、寄贈者やその遺族の心情的な反発だけでなく、社会全体で「除却=公共性の放棄」と受け止められる場合も多く、報道やSNSを通じて批判が一気に拡散することも珍しくありません。また、除却プロセスの判断基準や実施手続きが不透明な場合、不適切な除却や恣意的運用が疑われ、博物館組織の社会的信頼が大きく損なわれるリスクもあります。説明責任を果たさない組織運営は、将来的な制度改革や監督強化、寄贈離れを招く可能性があり、倫理的観点からも慎重な対応が必要とされています。
加えて、公共財としての博物館資料は「社会の共有資源」であるという認識が強まっている現代において、除却に際しては来館者・市民・地域社会への情報提供や説明責任の徹底がますます求められています。社会的批判や不信感を未然に防ぐためにも、除却に関する事前周知や、除却理由・プロセスの積極的な公開が不可欠となっています。
モラルハザードとその防止策
除却におけるもう一つの大きな倫理的課題が「モラルハザード」です。モラルハザードとは、博物館関係者が私的な利益や組織の経済的事情を優先し、倫理基準を逸脱した恣意的な除却や処分を行うことにより、社会的責任や公共性が損なわれる状況を指します(Vecco & Piazzai, 2014)。たとえば、コレクションの売却益を経営赤字の穴埋めや特定事業への流用に充てる、特定の個人や団体に便宜を図るために価値ある資料を安易に除却する、不透明な方法で除却を進めるといった事例が挙げられます。
こうしたモラルハザードを未然に防ぐためには、除却ポリシーの明文化と、承認プロセスの多段階化・第三者性の担保が極めて重要です。具体的には、学芸員や管理職による個人判断に頼るのではなく、コレクション委員会や倫理審査会といった独立した機関を設置し、すべての除却案件を厳格に審査・承認する仕組みが不可欠です。また、除却理由・処分方法・収益の使途等について、館内外の関係者や社会に対して積極的に公開することも透明性の確保につながります。
さらに、除却によって生じた売却益については「再収蔵や保存管理・教育普及に限定して活用する」といった厳格な使途制限を設けることで、経営都合の恣意的な除却を抑止できます。処分先や除却理由の公表、年次報告書への記載、関係者・市民向けの説明会開催なども、不正リスクを低減し、ガバナンス強化を図るために有効な方法です。
除却をめぐる法制度の比較―イギリスを中心に
除却に関する法的枠組みや規制は、国や地域によって大きな差があります。イギリスでは、博物館の除却に関して詳細な法制度や判例が整備されており、違法または社会的に不適切な除却には厳格な責任追及がなされます(Babbidge, 1994)。公共財産としての収蔵品の除却には、所有権や受託責任、行政監督など多重の規制がかかり、特に国立・公立館では社会的説明責任と法的ガバナンスが重視されています。
一方、欧州大陸諸国(フランス・イタリア・ドイツ等)や日本においては、博物館資料の法的位置付けや除却に関する明確な規定がイギリスほど強くありません。特に日本では、博物館ごとの内部規程やガイドラインに依存する部分が大きく、違法・不適切な除却が社会問題化した際でも法的責任が曖昧になるリスクがあります。このため、近年はイギリスの厳格な判例や国際的なガイドラインを参考に、より強固な法的・倫理的基準の策定が日本でも課題となっています。
欧州各国やアメリカでは、国際的なガイドライン(例:ICOMの指針や各国博物館協会の除却規程)を取り入れつつ、自国の歴史や文化に適合した法規制とガバナンス強化を図る動きが進んでいます。今後は日本でも、国際動向を踏まえた透明性の高い制度設計や、除却記録・承認プロセスの法的義務化、関係者への情報提供体制の強化など、包括的な除却ガバナンスの構築が求められています(Vecco & Piazzai, 2014)。
除却後の処分方法の選択肢と留意点
譲渡、売却、交換、廃棄など処分方法の解説
博物館で正式に除却(deaccessioning)が承認された収蔵品については、現物の処分方法を慎重に選択しなければなりません。主な処分方法には、他の博物館や文化機関への譲渡、教育機関や公的機関への提供、公開オークション等による売却、他館との交換、そして最終的な廃棄があります(Matassa, 2011; Fahy, 1994)。
譲渡は、学術的価値や地域文化の維持・継承に寄与できることから、多くの博物館で第一選択肢とされています。特に、資料が寄贈条件や公共性の観点で適切に活用される場合には、譲渡によって他館や教育現場での新たな展示・研究利用につながることが期待されます。
売却は、財政的な収入を得られるというメリットがある一方で、「博物館が公共財を営利目的で処分している」と受け取られるリスクや、社会的信頼の低下といった課題も伴います。売却先の選定には倫理的・法的配慮が不可欠であり、特に文化財クラスの資料の場合は国内外の規制やガイドラインに従い、責任あるプロセスが求められます。
交換は、コレクションの新陳代謝やネットワーク強化のため、学術目的や展示刷新のために活用される実例があり、館同士の合意形成と記録管理が重要となります。
最終的な廃棄は、資料の保存状態が著しく悪化して再利用も困難な場合や、他の処分方法が適用できない場合の「最後の手段」と位置づけられています。廃棄の判断には館内外の厳正な審査や第三者チェックを組み込み、社会的説明責任の担保が必須です。これら多様な処分方法の選択は、資料の価値や性質、寄贈条件、社会的責任、関係者との合意、法的規制など複数の観点から総合的に検討することが、現代の博物館経営におけるガバナンス強化と信頼維持の要となります。
売却収益の活用とその制限
売却によって得られた収益の使途については、国際的なガイドラインや多くの先進博物館で厳格なルールが設けられています。基本的には、売却収益は新たな資料の購入(再収蔵)、既存資料の保存・修復、教育普及活動や来館者サービス向上など、博物館本来の公益性に資する用途に限定されるべきとされています(Matassa, 2011)。経営赤字の穴埋めや一般運営費への流用は、利益相反や社会的批判を招くため厳禁です。
また、売却収益の管理・使途については、理事会や外部監査、コレクション委員会など複数の意思決定機関による監督が推奨されます。売却益の流れや使途の透明性を担保するために、年次報告書や公式ウェブサイトなどでの情報公開、詳細な収益管理の記録保存が不可欠です。欧米では、売却収益の全額をコレクションの充実や来館者還元に充てることを義務化する事例が増えており、違反時の社会的制裁も強まっています(Vecco & Piazzai, 2014)。
日本においても、今後はこうした国際的なルール・ガイドラインを参考にしつつ、売却収益の公益的活用と内部統制を強化する必要があります。公益性と透明性を両立した収益管理は、現代の博物館経営における信頼維持の核心といえるでしょう。
寄贈者との関係維持と説明責任
除却および処分の際に最も重要となるのが、寄贈者やその遺族・関係者との信頼関係の維持と、社会に対する説明責任の徹底です(Fahy, 1994)。寄贈品を除却する場合、事前に寄贈者や遺族への説明・相談・同意取得を丁寧に行うことが不可欠です。
説明の不十分さや一方的な決定は、将来的な寄贈意欲の低下や組織への不信・批判につながりかねません。実務では、除却理由や処分方法について書面通知や説明会を設けるほか、相談窓口や質疑応答の場を設けることで感情的なケアにも配慮します。
また、除却や処分の事例を広く公表し、市民や関係者に対して説明責任を果たすことが、社会的信頼の維持に直結します。年次報告書での実績公表や公式ウェブサイトでの情報開示、市民説明会の開催など、透明性を高めるための多様なコミュニケーション手段が求められています。
寄贈者だけでなく、来館者・市民・自治体といったステークホルダーへの丁寧な説明と対話を重ねることは、現代の博物館経営における「社会的価値創造」の基盤となります。信頼維持と寄贈文化の継続のためにも、説明責任・公開・誠実な対話の実践が不可欠です。
欧州を中心とした国際的視点からの分析
欧州各国の除却制度比較
欧州の博物館における除却(deaccessioning)制度は、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなど主要国ごとに法制度や文化政策、歴史的価値観が異なり、多様な実務運用が展開されています。たとえばイギリスでは、コモンローの伝統に基づく博物館ガバナンスが確立されており、除却手続きについては明確な承認フローや記録管理、情報公開の義務が博物館法や各種ガイドラインによって厳格に定められています。イギリスの多くの公立博物館では、除却案件ごとにコレクション委員会や外部有識者を交えた多層的な審査・承認体制を取り入れ、社会的説明責任の徹底やガバナンス強化に注力しています(Vecco & Piazzai, 2014)。
一方、フランスやイタリア、ドイツなどの大陸法系諸国では、文化財保護の観点や「国有性・不可分性」の理念が強く、除却自体に対する社会的・制度的なハードルが高い傾向にあります。とくにフランスでは、国家的な文化遺産保護政策のもと、収蔵品の除却に際して厳格な法的手続きと行政当局の承認が義務付けられており、現場の裁量による恣意的な運用を防ぐ体制が構築されています。ドイツやイタリアでも、文化財の取り扱いに厳密なガイドラインが存在し、社会的信頼を維持するための高い透明性と記録管理が求められています。
各国の制度比較からは、コモンロー系(イギリス型)の柔軟性と大陸法系(フランス・イタリア・ドイツ型)の厳格性、それぞれのメリットと課題が浮き彫りになります。いずれの制度でも、除却プロセスの透明性・記録管理・社会的説明責任の確保が現代のガバナンスの要とされている点は共通しており、日本の博物館経営にも多くの示唆を与えています。
EU圏における除却をめぐる現状と課題
EU圏全体では、各国で除却制度の整備が進んでいるものの、博物館ごとのコレクション方針や法的枠組み、財政状況に応じて運用実態は大きく異なります。近年、管理負担の増大や収蔵スペースの逼迫、財政的制約の深刻化を受けて、除却の実施頻度や対象選定が見直される傾向が強まっています。多くの博物館が、コレクションの質と持続可能な運営の両立を目指し、不要または非戦略的な資料の選別と除却に積極的に取り組むようになっています(Vecco & Piazzai, 2014)。
一方、EU諸国間では除却手続きの透明性や承認体制、記録保存の方法などに大きな差があり、制度運用の格差が現場課題として浮き彫りになっています。たとえば、ある国では行政当局や専門家による厳格な審査が必須とされる一方、他の国では博物館内部の裁量に委ねられるケースもあり、社会的説明責任やガバナンス強化の度合いにも幅があります。
今後の課題としては、収蔵品過剰・管理負担・公共性のバランスをどう取るか、国ごとの制度差を超えてどのように国際基準に近づけていくか、また社会的信頼を高める制度設計をいかに推進するかが焦点となっています。EU圏ではこのような複雑な現状をふまえ、ベストプラクティスの横展開や、共通ガイドラインの整備に向けた議論が今後も続く見通しです(Vecco & Piazzai, 2014)。
国際ガイドラインの現状と課題
博物館除却に関する国際的なガイドラインとしては、ICOM(国際博物館会議)の倫理規定やアメリカ・イギリス・欧州各国の博物館協会による除却スタンダードが存在します。これらのガイドラインは、除却の透明性・ガバナンス・社会的説明責任・公益性などを重視し、各国の制度や実務の発展に大きな影響を与えています(Vecco & Piazzai, 2014)。
しかし、実際の導入や運用には課題も残されています。各国の法制度や文化的背景、社会的要請の違いにより、ガイドラインの適用度合いや具体的運用には大きな幅があります。例えば、アメリカやイギリスでは、ガイドラインに沿った内部規程や第三者チェック体制が整備され、除却案件の透明性が高められていますが、アジアや一部の欧州諸国では法的拘束力が弱く、現場ごとの対応に差が生じています。
今後の課題としては、国際的なガイドラインやベストプラクティスをベースにしつつ、各国・各地域の事情に合わせた柔軟かつ実効性あるガバナンス体制の構築が求められます。除却の透明性、社会的説明責任、内部統制、寄贈者・市民とのコミュニケーション強化といったテーマが、世界的に博物館経営の中核的課題となりつつあります。国際的な情報共有や連携、事例の蓄積と評価を通じて、より健全で信頼性の高い除却ガバナンスの実現を目指すことが現代の博物館に求められています。
まとめ
現代の博物館経営において、除却(deaccessioning)はコレクションの質的向上や持続可能な運営、社会的信頼の確保に不可欠な要素となっています。本記事では、除却の定義や歴史的背景、実務プロセス、ガバナンス、倫理的・法的課題、そして欧州を中心とした国際的な比較まで、博物館除却の全体像を体系的に整理しました(Vecco & Piazzai, 2014; Matassa, 2011; Fahy, 1994)。
特に重要なのは、除却が単なる「廃棄」や「縮小」ではなく、資料保存・収蔵庫管理・公共性の維持・新たな価値創造といった多面的な目的のもとに行われる点です。例えば、収蔵庫の容量や資料の保存環境を最適化し、公開・研究・教育活動へ戦略的に活用する観点は 博物館の収蔵庫マネジメントとは何か ― 保存・管理・公開のバランスと戦略的活用 でも詳しく解説しています。除却と収蔵庫マネジメントは密接に関連し、現場の実務・政策の両面から切り離せないテーマです。

一方で、除却の実施には透明性の高いガバナンス、倫理的配慮、法的根拠の明確化、そして寄贈者や市民社会への説明責任が常に問われます。日本の博物館現場では、今後ますますガバナンス強化・制度整備・国際的なベストプラクティスの導入が求められるでしょう。除却の適正な運用と社会的信頼の確保は、これからの博物館経営の基盤を支える重要な課題であり、継続的な見直しと実践の積み重ねが不可欠です。
参考文献一覧
- Fahy, A. (Ed.). (1994). Collections management. Routledge.
- Matassa, F. (2011). Museum collections management: A handbook. Facet Publishing.
- Vecco, M., & Piazzai, M. (2014). Deaccessioning of museum collections: What do we know and where do we stand in Europe? Journal of Cultural Heritage, 15(3), 241–247.