はじめに
近年、人生100年時代という言葉に象徴されるように、人々の暮らし方や働き方が大きく変化しつつあります。高齢化の進展、テクノロジーの進化、職業の流動化といった社会的背景のなかで、一人ひとりが自らの学びを主体的に選び、継続することの重要性が広く認識されるようになってきました。このような時代の要請に応えるものとして、「生涯学習(lifelong learning)」という概念があらためて注目されています。
生涯学習とは、学校教育に限らず、人生を通じて多様な場で継続的に学ぶことを意味します。その対象は、子どもや若者だけでなく、社会人や高齢者、地域住民など、多世代・多様な背景をもつ人々に広がっています。学びの目的もまた、知識の獲得やスキルアップにとどまらず、自己実現、社会参加、孤立の回避など、生活に根ざした目的へと広がっています(Hsieh, 2010)。こうした文脈の中で、これまで主に「展示を見る場所」として認識されてきた博物館に、新たな期待が寄せられています。
今日、博物館は単なる文化財の収蔵・展示施設ではなく、人々の学びとつながりを支える「開かれた学習空間」として、その役割を拡大させています。とくに注目すべきは、子ども向け教育プログラムに加え、大人や高齢者、あるいは地域住民に向けた多様な学びの機会が増えていることです。展示やワークショップ、ボランティア活動などを通じて、博物館は来館者の興味関心を起点とした学びを支え、他者との対話を生み出し、地域社会との関係構築にも貢献しています(Kristinsdóttir, 2017)。
本稿では、このような博物館の変化を踏まえ、「教育」と「社会参加」という2つの視点から、生涯学習における博物館の役割について考察します。国内外の実践事例や理論を参照しながら、博物館が持つ教育的・社会的価値とは何かを明らかにし、その可能性と課題を読み解いていきます。学芸員を目指す学生や、ミュージアムの現場に関わる方々にとって、博物館の社会的機能について新たな視点を得る契機となれば幸いです。
生涯学習とは何か ― 概念とその社会的背景
「生涯学習(lifelong learning)」とは、人が人生のあらゆる段階で継続的に行う学習のことを意味します。これは学校教育のような正式な教育機関だけでなく、家庭や地域、職場、あるいは博物館のような文化施設における活動も含みます。つまり、学びとは教室の中でのみ行われるものではなく、日常のあらゆる場面に存在しているという考え方です。とくに現代では、学校教育を終えた後も、新しい知識を得たり、他者と交流したり、自己を見つめ直したりする機会が数多く求められるようになっています。
生涯学習は、その形式によって大きく3つに分けられます。1つ目は、学校や大学などの教育機関で提供される「公式(formal)な学習」です。2つ目は、地域講座や市民大学、博物館のワークショップなど、制度には組み込まれていないが、意図的に設計された「非公式(non-formal)な学習」です。そして3つ目は、趣味や日常の会話、旅行や展覧会鑑賞などを通じて自然に起こる「インフォーマル(informal)な学習」です。こうした分類は、私たちがどこでどのように学んでいるのかを広く捉え直す手がかりとなります(Hsieh, 2010)。
この「生涯学習」という理念が国際的に広く認識されるようになったきっかけは、1972年のユネスコによるFaure報告『Learning to Be(学ぶことは生きること)』にあります。この報告では、人間が主体的に社会に参画し、自己実現を果たすためには、一生を通じて学び続けることが不可欠であるとされました。その後、1996年にはDelors報告『Learning: The Treasure Within(学習:秘められた宝)』が発表され、生涯学習の4本柱として「知ることを学ぶ」「行うことを学ぶ」「共に生きることを学ぶ」「生きることを学ぶ」という視点が提唱されました。とりわけ「共に生きることを学ぶ」という柱は、他者との協働や社会的包摂の必要性を強く意識しており、現代の博物館活動とも深く関わります。
日本においても、生涯学習は政策的に重視されてきました。1990年代以降、文部科学省は「生涯学習社会の実現」を目指し、社会教育施設や市民講座、図書館・博物館の活用を進めてきました。学習機会の拡充だけでなく、地域とのつながり、個人の成長、孤立の防止といった社会課題の解決にも生涯学習が貢献することが期待されています。とくに高齢化が進む日本社会では、高齢者の社会参加や学び直しの場として、博物館のような文化施設の役割があらためて見直されているのです。
生涯学習のもう一つの特徴は、学ぶ人の多様性にあります。子どもや若者だけでなく、働く世代やリタイア後の高齢者、子育て中の親、外国人住民や障害のある人々など、あらゆる立場の人々が対象となります。そして学びの目的も、知識や技能の獲得にとどまらず、自己理解の深化、人とのつながりの創出、心の豊かさの実感など、個人の内面に関わるものへと広がっています。
たとえば、科学館を訪れた若者が「自分にも理解できた」「もっと学んでみたい」と感じる経験は、単なる知識の習得にとどまらず、自分に対する信頼感=自己効力感(self-efficacy)を育てる効果があります。自己効力感とは、「自分にはそれをやり遂げる力がある」と信じる感覚のことで、困難なことに取り組もうとする意欲や学習の持続性に深く関わっています(Gutwill, 2018)。博物館のように、自分の関心から出発して自由に学べる環境は、この自己効力感を育む場としても注目されています。
このように、生涯学習とは単に「一生学び続ける」というスローガンではなく、人がよりよく生き、他者とつながり、社会と関わり続けるための土台となる概念です。そして博物館は、そうした学びの実践が自然に起こりうる希少な空間でもあります。次節では、この生涯学習の考え方をふまえて、博物館が「教育の場」として果たしている具体的な役割について詳しく見ていきます。
教育の場としての博物館 ― 展示と体験がつなぐ学びの空間
博物館は、単に展示品を「見せる」場ではなく、来館者が自ら学び、発見し、考えるための教育的な空間としての役割を担っています。展示を通じて得られる学びは、学校教育のように一方向的に知識を教え込まれるものではなく、興味関心に応じて自由にアクセスできる「自己主導的な学び」であり、それゆえに深く、持続的なものとなりやすいのです。とくに近年は、子ども向け教育だけでなく、成人や高齢者、さらには家族単位やグループでの学びにも焦点が当てられ、多世代を対象とした学習機能が強化されています(Hsieh, 2010)。
このような学びを支えるのが、博物館における多様な体験の設計です。ハンズオン展示や参加型プログラム、ボランティアによるガイドツアーなど、来館者が単なる受け手ではなく、展示に“関わる”ことのできる仕掛けが数多く導入されています。これにより、来館者は自分のペースで展示を見て、問いを持ち、必要に応じてスタッフと対話しながら理解を深めていくことができます。このような学習スタイルは、一斉指導型の教育では得がたい「自分で選び、自分で組み立てていく」学びの感覚を育みます(Gray & Chadwick, 2001)。
このような博物館における学習プロセスは、アメリカの哲学者ジョン・デューイによって提唱された「経験に基づく学習(experiential learning)」とも深く関係しています。デューイは、学びとは単なる知識の蓄積ではなく、「経験を通じて、問いを立て、仮説を立て、試し、ふり返る」という探究的な営みであると述べました。博物館における展示は、まさにこのような学習の舞台となり得ます。来館者が展示を見て「なぜこうなのか」と疑問を抱き、他の展示と比較し、必要に応じて調べ直すという行動自体が、デューイのいう「学びの循環」を体現しているのです(Monk, 2013)。
このような非公式な学習においては、学びの成果をテストの点数や知識の量だけで測ることはできません。むしろ、展示を通じて新たな疑問を持ったり、他者と対話したくなったり、自分なりの理解にたどり着くといった経験こそが、博物館における学びの本質です。来館者は、自らの関心に基づいて学習を深めることで、思考の柔軟性や探究心を育み、それが新たな学びへの意欲につながっていきます。こうした個別的で内面的な変化こそ、博物館が担う教育的役割の重要な側面だといえるでしょう。
さらに、日本の博物館は文部科学省により「社会教育施設」として法的に位置づけられており、制度的にも教育機能を果たすことが求められています。とくに近年では、学校との連携だけでなく、成人向け講座や市民参加型の学びの場の拡充が重要視されています。誰にとってもアクセス可能で、差別なく開かれた学びの空間として、博物館の公共的役割はますます高まっているのです。
このように、博物館は来館者に知識を「提供する場」ではなく、来館者自身が「自ら学ぶ場」であり、その教育的価値は、展示、体験、探究、対話といった複合的な要素によって構成されています。次節では、この「学び」に加えて、博物館がいかにして来館者や地域社会との「つながり」を育んでいるのか、すなわち「社会参加を支える場」としての側面に注目していきます。
社会参加を支える場としての博物館 ― 地域・他者とのつながりを生む機能に注目して
生涯学習が単なる「学びの継続」にとどまらず、他者や社会との関係性の中で深められていく営みであることは、すでに多くの研究で示されています。人は学ぶことを通じて他者とつながり、自分の居場所を見出し、社会との関係性を再構築します。このような学びのプロセスのなかで、博物館は単なる知識の提供装置を超えて、個人が社会と関係を結び直すための場――すなわち「社会参加を支える学習空間」としての性格を強めています。
ここでいう「社会参加」とは、単に施設を訪れることや展示を観覧することにとどまりません。それは、自らの経験や知識、意見を何らかの形で共有し、他者と協働し、コミュニティにおける役割を担っていくことを含みます。たとえば、ワークショップへの参加、地域資料の収集協力、展示企画への意見表明、あるいは来館者同士の対話など、関わりのかたちは多様です。このような参加の機会を得ることで、人々は「学ぶ主体」であると同時に「社会に貢献する存在」であるという感覚を育むことができます(Hsieh, 2010)。
このような社会参加を支える取り組みは、さまざまな層を対象として展開されています。高齢者に向けては、回想法(reminiscence therapy)を取り入れた対話型展示が、記憶や語りを通じて自己を再確認する場として機能しています。また、若年層に対しては、ミュージアムボランティアや市民学芸員の制度を通じて、「知る」だけでなく「関わる」「伝える」体験を提供する事例が増えています。さらに、移民・難民・LGBTQ+といった社会的マイノリティに焦点を当てた展覧会やイベントは、多様な価値観や生き方を受け入れる「文化的包摂(cultural inclusion)」の実践として位置づけられています。
地域社会との連携においても、博物館は重要な役割を果たしています。たとえば、地域の住民と協働して地域資料を発掘・展示するプロジェクトや、まちづくりの一環として開催されるオープンミュージアムイベントなどは、住民が自らの暮らしのなかに文化的価値を見出し、それを共有する機会を創出しています。こうした取り組みに参加した人々は、自らの生活が「文化」として評価される経験を通じて、自身の存在や経験が社会にとって意味あるものであることを再認識するのです。博物館は、まさにそのような「意味の共有」を媒介する場なのです。
このような機能は、単なるプログラムの提供だけでなく、博物館の運営理念や組織文化にも根ざすべきものです。公共施設としての博物館には、誰もが安心して参加できるような開かれた環境を整える責務があります。そのためには、言語・身体的アクセス・経済的障壁の除去、多様な文化背景への配慮、スタッフの対話的な姿勢など、制度的・実践的なレベルでの配慮が不可欠です(Kristinsdóttir, 2017)。博物館が真に社会参加を支える場となるためには、「展示を見る」こと以上に、「対話し、関わる」ことを中心に据えた運営の姿勢が求められているのです。
さらに言えば、こうした参加の経験自体が、学習の重要な成果となります。たとえば、他者との協働を通じて得られる視点の多様化、自己の表現を通じて得られる自信と承認、そして地域や文化への帰属意識の深化などは、いずれも数値化されにくいながらも極めて重要な学びです。このような「つながりのなかで育まれる学び」は、生涯学習の本質そのものであり、博物館がそれを支える基盤として機能することには大きな社会的意義があります。
このように、博物館は「教育の場」であると同時に、「社会参加を支える場」として、多様な人々の学びと関わりの可能性を開いています。展示やプログラムを通じて学ぶことだけでなく、その空間に“ともにいる”という経験そのものが、学びのプロセスとなるような場づくりが今後ますます求められるでしょう。生涯学習が「個人の成長」と「社会とのつながり」の両方を支える営みであるとするならば、博物館はまさにその両者を結びつける存在として、ますます重要な役割を果たすことが期待されています。
参考文献
Gray, C., & Chadwick, A. (2001). Museums and the education of adults. International Journal of Lifelong Education, 20(5), 393–405.
Gutwill, J. P. (2018). Science self-efficacy and lifelong learning: Emerging adults in science museums. Journal of Museum Education, 43(3), 234–245.
Hsieh, M. (2010). Museums and the representation of identity: Adult visitors’ perspectives. Procedia – Social and Behavioral Sciences, 2(5), 6282–6289.
Kristinsdóttir, S. (2017). Toward sustainable museum education practices: Building bridges between museums and socially vulnerable groups. Procedia – Social and Behavioral Sciences, 237, 922–928.
Monk, D. (2013). Museums and John Dewey: Object lessons and the art of appreciation. Educational Philosophy and Theory, 45(7), 726–740.