初めて学ぶ博物館の経営戦略 ― 戦略計画から考える組織づくり

目次

経営戦略とは何か ― 方向性を定める思想

経営戦略とは、組織がどのような方向に進み、どのような価値を社会に提供していくかを定める 根本的な考え方です。単に利益を追求するための手段ではなく、組織の存在意義を明確にし、 その理念を具体的な行動に結びつけるための「思想」といえます。経営戦略は、環境の変化に対応しながら、 組織が長期的にどのような立場で社会に貢献するかを導く羅針盤のような役割を果たします(Lord & Markert, 2017)。

経営戦略は「理念」を現実化する枠組み

経営戦略の核心は、理念を現実化することにあります。組織がどのような価値を提供し、どんな社会的役割を果たすのか―― その「存在理由」を定めることが出発点です。博物館における経営戦略も、展示や教育、研究といった活動を通じて、 どのように社会と関わり、どのような影響を与えるのかという方向性を示します。つまり、経営戦略は「何をするか」ではなく、 「なぜそれをするのか」を問う枠組みなのです(Lord & Markert, 2017)。

この点で、経営戦略は「計画(plan)」とは異なります。計画が具体的な行動手順を示すのに対し、戦略はその行動を導く思想的基盤を提供します。 計画が戦術的・短期的なものであるならば、戦略は理念的・長期的な性質をもち、組織の方向性そのものを決定づけます。 したがって、計画を立てる前に、まずどのような理念と価値観に基づいて行動するかを明確にすることが、経営の第一歩となります(Lord & Markert, 2017)。

博物館における経営戦略の特徴

博物館における経営戦略の特徴は、「公共性」と「文化的使命」を両立させる点にあります。企業経営が収益や市場拡大を目的とするのに対し、 博物館の経営戦略は、社会的・教育的な使命を果たしつつ、限られた資源をどのように活用して組織を持続させるかを考えるものです。 つまり、博物館の経営戦略は「収益のための戦略」ではなく、「価値のための戦略」といえます(Lord & Markert, 2017)。

さらに、博物館の経営戦略には、多様なステークホルダーの存在を前提とする特性があります。来館者、地域社会、行政、研究者、支援者など、 異なる立場の人々が関わる中で、それぞれの期待や価値観を調整し、共通の方向性を見出すことが求められます。 そのため、博物館の経営戦略は、単独の意思決定ではなく、合意形成と協働のプロセスとして構築されるのです(Lord & Markert, 2017)。

戦略は「未来を描くための問い」である

経営戦略は、未来を予測するものではなく、未来を構想するための「問い」を立てる行為でもあります。戦略を考えるとは、 「社会の中で自館は何を成すべきか」「どのように価値を生み出せるか」という根源的な問いに向き合うことです。 この問いを持ち続ける姿勢が、組織の方向性を保ち、変化の中でも使命を見失わない力を育てます。戦略とは、環境に適応するための道具ではなく、 環境の中で自らの意味を創り出すための思考なのです(Lord & Markert, 2017)。

まとめ ― 経営戦略は理念を軸にした行動の哲学

経営戦略とは、理念を軸にして行動を導く哲学です。博物館においては、文化的価値と公共性を両立させながら、社会とともに成長するための指針となります。 計画や制度が変化しても、経営戦略が明確であれば、組織は一貫した方向性を保つことができます。 経営戦略は、変化を恐れずに未来を描くための知的基盤であり、博物館が「何を大切にし、どのように社会と関わるか」を問い続けるための出発点なのです (Lord & Markert, 2017)。

経営戦略と戦略計画 ― 二つの概念の関係

経営戦略とは、組織がその使命を実現するために、限られた資源をどのように活用し、どの方向へ進むかを長期視点で定める思想的な枠組みです(Lord & Markert, 2017)。

経営戦略とは「方向性を定める思想」

経営戦略は、組織が「どこへ向かうのか(方向性)」と「何を優先するのか(選択)」を明確化する考え方であり、計画や個別施策を導く土台となるものです(Lord & Markert, 2017)。

とりわけ博物館では、収益ではなく社会的使命の実現を中心に据え、Mission・Vision・Core Values を起点に、活動全体の一貫性を担保する“判断の基準”として機能します(Lord & Markert, 2017)。

表1:経営戦略の構成要素

要素内容博物館における例
Mission(使命)組織の存在目的を明確化する「文化財を保護・公開し、市民の学びを支援する」
Vision(将来像)目指すべき未来の姿を描く「地域とともに学び、共に育つ博物館」
Core Values(価値観)意思決定の拠り所となる原理「公開性」「信頼」「継続性」

以上の要素を統合し、組織の意思決定に一貫性を与えるのが経営戦略であり、日々の活動の意味づけを明瞭にします(Lord & Markert, 2017)。

戦略計画とは「行動を導くプロセス」

戦略計画(strategic planning)は、経営戦略で定めた方向性を具体的な行動や成果指標に落とし込み、関係者の合意のもとで実行していく協働的なプロセスです(Lord & Markert, 2017)。

計画書の作成自体が目的ではなく、対話・共有・実行・評価を通じて組織を動かし、学習を促す仕組みとして機能します(Lord & Markert, 2017)。

両者の関係を整理する(比較表)

経営戦略と戦略計画は対立概念ではなく、理念(方向)と実践(行動)を往復させる補完関係にあります(Lord & Markert, 2017)。

表2:経営戦略と戦略計画の比較

項目経営戦略戦略計画
定義組織の方向性を定める思想的枠組み戦略を行動計画として具体化するプロセス
主体館長・理事会など経営層全職員・関係者(参加型)
時間軸長期(5〜10年)中期(3〜5年)
成果方針・ビジョン・価値の共有行動計画・評価指標(KPI)
性質抽象的・理念的具体的・実践的

まとめ ― 理念と実践をつなぐ往復運動

経営戦略が「なぜ・どこへ」を定め、戦略計画が「何を・どう」を組み立てることで、博物館は環境変化の中でも使命をぶらさずに実践へとつなげられます(Lord & Markert, 2017)。

戦略計画の目的 ― 組織の未来を描くために

戦略計画(strategic planning)は、望ましい未来像を明確にし、その実現に必要な変化と行動を組織的に合意・実行していくための協働プロセスです(Lord & Markert, 2017)。

戦略計画の定義とねらい

戦略計画のねらいは、計画書の作成そのものではなく、理念(経営戦略)を日常の行動と成果に結びつけることにあります。計画づくりの過程で関係者が対話し、方向性・優先順位・役割分担を共有することで、組織の学習と実行力が高まります(Lord & Markert, 2017)。

戦略計画が果たす主な目的

表3:戦略計画が果たす主な目的と効果

目的具体的内容期待される効果
ミッションの明確化存在意義・価値提供の再定義と共有意思決定の一貫性と組織内の納得感
内外環境への適応内部資源と外部要因(機会・脅威)の統合把握変化に強い事業ポートフォリオの設計
協働の促進理事会・職員・支援者・地域との参加型プロセス合意形成と実行段階での協力体制
成果の可視化目標・指標(KPI)・ロードマップの明確化進捗管理と説明責任の強化
継続的改善モニタリング・評価・再計画の仕組み化学習サイクルの定着と組織能力の向上

上表のように、戦略計画は「理念の共有」「環境適応」「協働」「成果管理」「継続改善」を通じて、組織が自律的に動ける状態をつくります(Lord & Markert, 2017)。

戦略計画は“文書”ではなく“プロセス”

戦略計画の価値は、紙にまとめた計画書ではなく、その作成と運用の過程で生じる対話・学び・合意にあります。ここで形成された共通理解が、実行段階の機動力を生み、計画を現実の行動へと結びつけます(Lord & Markert, 2017)。

理念(経営戦略)との接続

戦略計画は、経営戦略で示された「なぜ・どこへ」を、部門横断の「何を・どう」に翻訳します。これにより、ミッションに沿った資源配分と優先順位づけが可能となり、日々の意思決定がぶれなくなります(Lord & Markert, 2017)。

まとめ ― 未来像を共有し、行動に変える

戦略計画の本質は、望ましい未来像を関係者全員で共有し、それを現実の行動へと変換する協働の仕組みをつくることです。博物館が社会の変化と向き合いながら使命を実現し続けるために、戦略計画は不可欠な基盤となります(Lord & Markert, 2017)。

環境変化と博物館経営の課題

博物館を取り巻く環境は、この数十年で大きく変化してきました。財政制約、人口構造の変化、デジタル技術の普及、そして多様性や包摂の要請など、 経営の前提条件そのものが変わりつつあります。こうした環境変化に対応するために、博物館はこれまでの「展示中心」「行政依存」型の運営から脱却し、 自らの理念と社会的使命に基づいて経営戦略を再構築することが求められています(Lord & Markert, 2017)。

財政構造の変化と持続可能性の課題

公立博物館では、地方財政の圧縮や補助金の減少により、安定的な運営資金の確保が難しくなっています。 これにより、企画展収益や自主事業、寄附などの新たな財源確保策が重視されるようになりました。 しかし、短期的な収益確保だけに依存すると、本来の教育的・文化的使命が損なわれるリスクも生じます。 経営戦略の視点からは、収益性と公共性のバランスをいかに取るかが最大の課題となっています(Lord & Markert, 2017)。

社会構造の変化と来館者の多様化

博物館を訪れる人々の動機や背景も多様化しています。家族連れ、観光客、学生、高齢者、障害のある人々、外国人来館者など、 それぞれ異なる期待と体験価値を求めています。この変化に対応するためには、単に展示内容を変えるのではなく、 組織全体で来館者理解を共有し、包摂的な運営方針を戦略的に設計する必要があります。 経営戦略は、誰のために博物館が存在するのかという根本的な問いを、社会の変化の中で再確認させる役割を果たします(Lord & Markert, 2017)。

デジタル化と組織文化の変容

デジタル化の波は、展示・教育・広報・研究など、博物館のあらゆる活動領域に影響を及ぼしています。 オンライン展覧会やデジタルアーカイブ、SNSによる広報活動など、新たな来館者接点の拡張が進む一方で、 職員のスキル格差や、従来の業務慣行との摩擦といった課題も顕在化しています。 経営戦略は、デジタル化を単なる技術導入ではなく、組織文化を変革する契機として位置づける必要があります(Lord & Markert, 2017)。

多様性・包摂・ガバナンスの課題

博物館には、多様な市民の視点を尊重し、社会的包摂を推進する責任があります。 ICOMの新しい博物館定義(2022年)でも、「多声的で包摂的な空間」としての役割が強調されています。 これに伴い、意思決定の透明性や説明責任を確保するガバナンスの仕組みづくりが重要なテーマとなっています。 経営戦略は、これらの価値を組織文化の中に定着させるための方向性を提示するものです(Lord & Markert, 2017)。

まとめ ― 変化を脅威ではなく機会として捉える

環境変化は、博物館にとって避けられない現実ですが、それを「脅威」ではなく「機会」として活かせるかどうかは、 経営戦略のあり方にかかっています。財政や制度の制約を前提とするのではなく、社会の変化を自らの成長と再定義の契機と捉えることで、 博物館は未来志向の組織へと進化できます。変化の時代においてこそ、戦略的思考と明確な経営理念が組織を導く力となるのです(Lord & Markert, 2017)。

戦略計画のプロセス ― 実行に至るステップ

戦略計画は、計画書を作る作業ではなく、組織が未来像を共有し、実行可能な仕組みに落とし込むための協働的プロセスです(Lord & Markert, 2017)。

戦略計画は「組織を動かす学習プロセス」

計画づくりの価値は、内容の精緻さだけでなく、対話・合意・学習を通じて組織文化を更新する点にあります。関係者が目的・優先順位・役割を言語化し共有することで、実行段階の一体感と機動力が生まれます(Lord & Markert, 2017)。

戦略計画の10段階(全体像)

文化機関に適用される代表的な手順は次の10段階で捉えると明快です。重要なのは、直線的に終わるのではなく、評価と改善を繰り返す循環型プロセスとして運用することです(Lord & Markert, 2017)。

表1:戦略計画の10ステップ

段階内容目的
1計画の目的と範囲を明確化する共通認識の形成
2推進チームを編成し、役割と責任を定義する実行体制の確立
3内部分析(資源・強み・課題)を行う出発点の把握
4外部分析(機会・脅威・関係者)を行う環境認識の共有
5主要課題を抽出し優先順位を付ける集中領域の設定
6戦略を策定し、方向性と方針を定める意思決定の指針化
7関係者と合意形成(理事会・職員・支援者)を行う実行に向けたコミットメント
8行動計画(目標・KPI・ロードマップ・担当・予算)を作成する実装可能性の担保
9モニタリング手順(レビュー頻度・報告様式)を運用する進捗と課題の可視化
10評価と再計画を行い、学習を次サイクルへ反映する継続的改善の定着

合意形成と共有が成功の鍵

参加型で進めるほど、計画は「自分たちのもの」として受け止められ、実行段階での協力関係が強化されます。館長・理事会・学芸員・教育担当・地域パートナーが役割を持って関与する設計が重要です(Lord & Markert, 2017)。

実行と評価の仕組みに落とし込む

実効性を高めるには、行動計画にKPI・期日・責任者・必要資源を明記し、四半期などの定期レビューを組み込みます。これにより、PDCAに沿った運用が可能となり、方針の修正や資源再配分を機動的に行えます(Lord & Markert, 2017)。

まとめ ― 「構想 → 実装 → 学習」を循環させる

戦略計画は、理念を現実の行動に翻訳し、学習しながら更新していく組織的な仕組みです。10段階を通じて合意と実装力を高めることで、博物館は環境変化の中でも使命に沿った成果を持続的に生み出せます(Lord & Markert, 2017)。

事例 ― グッゲンハイム・ビルバオの戦略的ビジョン

グッゲンハイム・ビルバオ美術館は、戦略計画の成功例として世界的に知られています。産業構造の転換で停滞した都市が、 文化による再生を掲げて推進した本プロジェクトは、1997年の開館をもって「都市戦略の中心に文化を据える」という ビジョンを具現化しました。ここでの要点は、博物館を単なる新施設ではなく、地域の未来を再設計する装置として 位置づけた点にあります(Lord & Markert, 2017)。

都市再生と文化戦略の統合

フランク・ゲーリーによる象徴的建築は国際的な注目を集め、都市ブランドを刷新しましたが、戦略の本質は外観の インパクトではなく、文化を核とした経済・観光・教育・地域連携の多層的な再編にありました。戦略計画の初期段階から ステークホルダー間の協働を設計し、博物館を地域イノベーションのハブとして機能させたことが特徴です(Lord & Markert, 2017)。

「Vision 2020」に見る戦略的方向性

開館後も中期計画「Vision 2020」などで、教育・デジタル・地域連携を柱とする方針を打ち出し、 芸術を社会の学びと交流の場へ拡張しました。展示更新にとどまらず、住民・企業・行政との協働を通じて 「地域とともに学び続ける文化機関」を目指した点が、戦略計画の意図を体現しています(Lord & Markert, 2017)。

戦略計画と組織文化の変化

成功の土台にあったのは、計画書の出来栄えよりもプロセスの開放性でした。行政・企業・住民・職員が 参加する対話と合意形成を重視し、計画づくりを通じて職員の役割認識が再定義されました。 その結果、博物館は「運営主体」から「地域と未来を共に構想するプラットフォーム」へと変容し、 参加型の組織文化が醸成されました(Lord & Markert, 2017)。

成果と学べる教訓

ビルバオは高い来館者数と経済波及効果で注目されますが、より重要なのは「文化機関が地域と共に成長する」 という信頼の形成でした。ここから学べるポイントは、①明確なビジョンの共有、②社会との関係性の再構築、 ③継続的な計画と評価の仕組みの三点です。戦略計画の目的は変化を管理することではなく、 変化の中で意味を創り出すことにあります(Lord & Markert, 2017)。

まとめ ― 理念を都市文脈で実装する

グッゲンハイム・ビルバオは、経営戦略(理念)を地域文脈に適合させ、戦略計画(プロセス)で実装し続けることで、 都市の未来像と文化的価値を両立させました。理念と実践を往復させる運用こそが、持続的成果の源泉です (Lord & Markert, 2017)。

戦略計画がもたらす効果 ― 組織文化の変革へ

戦略計画の真価は、文書としての完成度ではなく、計画づくりを通じて組織の文化や思考様式を変える点にあります。 博物館においても、戦略計画は単なる管理手法ではなく、理念・行動・関係性を再構築する契機として機能します(Lord & Markert, 2017)。

戦略計画がもたらす「三つの変化」

戦略計画の導入によって、多くの文化機関では以下のような変化が確認されています。これらは単なる制度上の改編ではなく、 組織文化の深層に影響を与える「行動と価値観の変化」です(Lord & Markert, 2017)。

表1:戦略計画がもたらす三つの変化

領域変化の内容具体的効果
思考の変化問題解決型から目的志向型への転換「何を守るか」ではなく「何を生み出すか」を問う文化
関係性の変化縦割り構造から横断的協働への移行部門間・他機関連携の活性化と内部対話の促進
行動の変化指示待ちから自律的行動への転換職員が自ら課題を発見し提案する文化の定着

学習する組織への転換

戦略計画は、組織を「計画を実行する集団」から「学びながら成長する組織」へと変化させます。 計画策定の過程で行われる情報共有や対話は、単なる手続きではなく、職員が相互に学び、他部門の視点を理解するための機会になります。 この学習の蓄積が、組織文化を変え、環境変化に柔軟に対応できる体質をつくります(Lord & Markert, 2017)。

職員のエンゲージメント向上

計画づくりに職員が参画することは、組織に対する責任感と当事者意識を高めます。上位層が立案し下位層が実行するのではなく、 全員が共通の方向性を理解し、自らの行動が組織の理念とどのように結びつくかを認識できるようになります。 その結果、組織全体に「自分たちで未来を形づくる」という前向きな雰囲気が醸成されます(Lord & Markert, 2017)。

ガバナンスと信頼の強化

戦略計画を通じて意思決定の透明性が高まり、理事会・行政・支援者など外部ステークホルダーとの関係も強化されます。 方針が明文化され、成果指標が共有されることで、説明責任が果たされ、組織への信頼が向上します。 ガバナンスが信頼の基盤となり、結果として寄附や協働事業の広がりにもつながります(Lord & Markert, 2017)。

まとめ ― 戦略計画は文化を変える

戦略計画は、単なる経営ツールではなく、組織文化を変えるプロセスです。理念を中心に据えた議論を通じて、職員が自ら考え、行動し、 学び続ける文化が育まれます。これこそが、持続可能な博物館経営を支える最大の成果といえます(Lord & Markert, 2017)。

博物館経営における経営戦略の意義と展望

経営戦略とは、組織の理念と目的を明確にし、長期的な方向性を定めるための思想です。博物館においては、効率化や収益化の技法にとどまらず、 文化的・社会的使命をいかに持続可能な形で実現し続けるかを示す「行動の哲学」として機能します(Lord & Markert, 2017)。

経営戦略とは「方向性を定める思想」

経営戦略は、未来の特定時点の数値目標を並べることではなく、変化する環境の中で「どの方向へ進むのか」を定義する考え方です。 博物館の戦略は、ミッションやビジョンを中核に、組織の価値観(Core Values)を日々の意思決定に接続し、長期的な信頼と価値の創出を導きます (Lord & Markert, 2017)。

経営戦略と戦略計画の関係を再確認する

経営戦略が「目的地(理念)」を示すのに対し、戦略計画はその目的地に到達するための「航路(手段)」を設計します。 両者は対立概念ではなく、理念と実践を往復させる補完関係にあります。戦略が曖昧であれば計画は迷走し、計画が欠ければ戦略は空文化します (Lord & Markert, 2017)。

表:経営戦略と戦略計画の整理

観点経営戦略戦略計画
目的理念・方向性を定める行動と指標に具体化する
性質思想的・抽象的実務的・具体的
時間軸長期・継続中期・短期
主体経営層・理事会全職員・関係者
成果組織文化・信頼・価値の創出事業成果・KPIの達成

経営戦略が果たす三つの役割

第一に方向性の統一:理念と目標を共有し、意思決定の一貫性を確保します。第二に資源の最適化: 人・資金・時間・情報といった限られた資源を使命達成に集中させます。第三に変化への適応:環境変化を前提に、 戦略そのものを更新し続ける柔軟性を組織に与えます(Lord & Markert, 2017)。

今後の博物館経営に求められる視点

これからの戦略では、①公共性と透明性の強化、②財務的持続可能性(寄附・収益事業・共同事業)の設計、 ③デジタル体験と現地体験を統合する来館者価値の再設計、④多様性・包摂・学びを通じた社会的連携の推進が鍵となります。 いずれも、理念を時代に即して再解釈し、戦略計画を通じて実装していく往復運動が重要です(Lord & Markert, 2017)。

まとめ ― 戦略は理念を現実に変える道筋

経営戦略は、博物館が「何を大切にし、どのように社会と関わるか」を定める羅針盤です。戦略と計画を連動させ、 評価・学習・再計画を重ねていくことで、博物館は変化の時代においても使命に忠実であり続けることができます。 戦略とは、競争ではなく共創を志向し、理念を現実の行動に変えるための道筋なのです(Lord & Markert, 2017)。

参考文献

  • Lord, G. D., & Markert, K. (2017). The manual of strategic planning for cultural organizations: A guide for museums, performing arts, science centers, public gardens, heritage sites, libraries, archives, and zoos. Rowman & Littlefield.
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この記事を書いた人

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日々の業務経験をもとに、ミュージアムの楽しさや魅力を発信しています。このサイトは、博物館関係者や研究者だけでなく、ミュージアムに興味を持つ一般の方々にも有益な情報源となることを目指しています。

私は、博物館・美術館の魅力をより多くの人に伝えるために「Museum Studies JAPAN」を立ち上げました。博物館は単なる展示施設ではなく、文化や歴史を未来へつなぐ重要な役割を担っています。運営者として、ミュージアムがどのように進化し、より多くの人々に価値を提供できるのかを追求し続けています。

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