「博物館とは何か」。この問いは一見すると学術的・抽象的に聞こえるかもしれませんが、実は博物館の運営や経営の根幹をなす非常に現実的な出発点でもあります。定義とは、単に言葉の意味を明らかにするための記述ではありません。それは、何を大切にし、何を目的として組織を動かしていくのかという「価値の優先順位」を示すものです。そしてこの価値の序列こそが、経営の意思決定や運営方針に直接的な影響を与えます。
たとえば、ある博物館が「地域住民と共につくる参加型の文化施設」を目指すのであれば、そこでは「参加」「共創」「社会的包摂」といった価値観が定義において重視されているはずです。逆に、「文化財を厳密に保存し、学術研究の成果を伝える知の拠点」を目指すのであれば、「保存」「専門性」「正確性」といった側面が前景化されるでしょう。このように、博物館の定義は、組織の目標設定、評価指標、リソース配分に至るまで多方面に影響を及ぼす「経営の設計図」としての性格を持っているのです。
ところが、この「定義」は固定された普遍的なものではありません。時代の変化、社会的な課題、文化的な多様性に応じて、定義自体も揺れ動いてきました。とりわけ21世紀に入ってからは、博物館が果たすべき役割に対する期待が大きく変化しています。かつては「資料を保存し、展示する専門機関」としての側面が強調されていましたが、現在では「社会との対話を行い、包摂性を促進し、持続可能な未来を支える場」としての側面が求められています。
このような変化を象徴的に示しているのが、国際博物館会議(ICOM)による定義の変遷です。ICOMは1946年の創設以来、複数回にわたって定義を見直しており、2022年には「持続可能性」「包摂性」「反省」などの語が含まれる新たな定義を採択しました。これは、単なる文言の更新ではなく、博物館の本質的なあり方を再構築する取り組みでもあります。
しかし、こうした理念的な定義は、現場の制度や運営実態と常に一致するわけではありません。国や地域によって制度上の定義や慣習、文化的な期待が異なるため、定義と実践の間にズレや緊張が生まれることもあります。このギャップは、しばしば博物館にとって課題とされがちですが、実はそこにこそ、創造的な経営の可能性が潜んでいるのです。どのように理念的な定義を自館に引き寄せて解釈し、具体的な経営判断に落とし込むのか──その問いこそが、現代の博物館に求められている経営的思考と言えるでしょう。
本記事では、博物館の定義がどのように形成され、変遷し、どのような理念と制度の交差点に位置しているのかを確認しながら、その定義が博物館経営に対してどのような意味と影響をもつのかを探っていきます。定義を知ることは、未来の博物館像を思い描くための出発点であり、日々の運営に軸を与える行為でもあるのです。
博物館の定義は“何を決める”のか
博物館の定義は、それがどのような存在であり、社会の中でどのような役割を担うべきかを明確にする言葉です。しかし、定義は単なる理念ではありません。定義が変われば、博物館に求められる活動の内容や重点が変わり、それに伴って組織の運営方針や経営戦略も変化します。定義は、目には見えにくいものの、博物館の経営全体を方向づける「根拠装置」として機能しているのです。
まず第一に、定義は制度的正当性の根拠として作用します。たとえば、博物館法における定義は、公的支援の対象となる施設の基準を定め、助成金交付や制度上の認定の前提となるものです。ある施設が「博物館」と名乗るためには、一定の活動内容や人員体制、収蔵資料の管理水準を満たす必要があり、その前提には制度における定義が存在します。つまり、定義とは制度の“入り口”を定める装置であり、それを満たすか否かで支援の可否が決まることもあるのです。
次に、定義は経営戦略を方向づける理念的枠組みでもあります。博物館が「保存と展示の場」であると定義するか、「参加と対話の場」であると定義するかによって、予算配分や人材育成の方針、パートナーシップの構築先まで変わってきます。経営者は、限られた資源の中で何を重視し、どのような未来像を描くかを判断しなければなりませんが、その判断軸となるのが「定義に込められた価値観」なのです。
そして第三に、定義は対外的な説明責任を果たす際の基盤となります。自治体、企業、教育機関、地域住民など、多様なステークホルダーに対して「私たちの博物館は何を目的に、どのような活動をしているのか」を説明する際、定義は一種の“共通言語”として機能します。特に近年では、社会的信頼性や倫理的説明責任が重視されるようになり、活動の正当性や妥当性を説明する場面で、定義が持つ意味はますます重要になっています。
このように、定義は博物館の存在を根底から規定するものであり、制度・戦略・説明責任という三つの次元で、経営に深く関わっています。だからこそ、「定義は誰がつくり、誰のためのものなのか」という問いは、単に言葉の問題ではなく、権限や構想力に関わる実践的な問題としてとらえ直されるべきなのです。
多様な定義の共存 ― 制度、理念、国際基準
博物館の定義には、ひとつの決定的な「正解」があるわけではありません。むしろ、その定義は文脈に応じて複数存在しており、それぞれが異なる役割と目的をもって編まれています。理念を示す定義、制度を支える定義、国際的な連携を可能にする定義──こうした多様な定義が併存している現状を理解することは、博物館経営において極めて重要です。
まず、日本の博物館法(1951年制定、2023年一部改正)における定義を見てみましょう。この法律では、博物館を以下のように位置づけています:
歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む)、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、併せてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関(文化庁博物館総合サイトより)
この定義は、博物館が果たすべき機能──収集、保存、展示、教育、研究──を具体的に記述しています。制度として博物館を認定・支援するための実務的基準を与えるものであり、登録制度や助成制度などの根拠ともなっています。
一方、国際的な枠組みであるUNESCOは、2015年の「ミュージアムとコレクションの保存活用、その多様性と社会における役割に関する勧告」の中で、博物館を次のように定義しています:
社会とその発展に奉仕する非営利の恒久的な施設で、公衆に開かれており、教育と研究と娯楽を目的として人類と環境に関する有形無形の遺産を収集し、保存し、調査し、伝達し、展示するもの(文化庁博物館総合サイトより)
ここでは、博物館が社会的な公共施設として、教育・研究・娯楽といった多面的な役割を果たすことが重視されています。博物館の機能に加えて「社会への奉仕」という理念的な要素が明確に打ち出されており、制度的な定義と比べてより倫理的・文化的な方向づけが強調されています。
そして、ICOM(国際博物館会議)は2022年に新たな定義を採択し、次のように述べています:
博物館は、過去と現在の有形および無形の遺産を研究、収集、保存、解釈、展示する常設の非営利機関である。博物館は、包摂的で、アクセス可能で、持続可能な方法で、教育、楽しみ、反省、知識共有のためにコミュニティと協働しながら、倫理的かつ専門的に機能する。(文化庁博物館総合サイトより)
この定義では、「包摂性」「持続可能性」「反省」「協働」「倫理的実践」といった概念が前面に出され、博物館の社会的責任や未来志向的な価値創出が強く意識されています。制度に適用される基準ではなく、博物館がどのような姿勢で社会と向き合うべきかを示す理念的な指針といえるでしょう。
これら三つの定義を比較すると、制度的定義は法的正当性と運用のために必要な具体性を提供し、UNESCOやICOMの定義は社会的な意味づけや価値の方向性を示すものとなっています。どちらかが優れているというよりも、それぞれが異なる役割を持ち、併存していることに意味があります。
経営的観点から言えば、制度上の定義に従うことは最低限の前提ですが、それだけでは十分ではありません。どの定義を自館の理念に取り入れ、どう運営に反映させていくか──その判断と実装こそが、経営における創造性の発揮される場なのです。
定義の歴史的変遷とICOMの動向
博物館の定義は、時代とともに変化してきました。それは単に言葉の選び方が変わったというだけではなく、社会の中で博物館に期待される役割や価値が変化し、それに応じて定義が再構築されてきたことを意味します。この節では、国際博物館会議(ICOM)が提示してきた定義の変遷をたどることで、「定義とは何か」をより深く理解していきます。
ICOMは1946年に設立された国際組織で、世界中の博物館と専門職の連携を促進するための枠組みを提供してきました。その活動の中でも、国際的に通用する博物館の定義を提示することは中心的な使命のひとつとされています。
最初期の定義(1946年、1951年)は、非常に包括的で、博物館だけでなく図書館、植物園、動物園、標本館なども含まれていました。やがて1960年代に入ると、文化財の保存と教育への貢献が強調されるようになり、1974年の定義では「社会およびその発展に資する非営利の常設機関である」といった表現が加わります。ここで初めて、「社会との関係性」が明示的に語られるようになったのです(Mairesse, 2019)。
2007年の定義では、「楽しみ(enjoyment)」や「無形の遺産(intangible heritage)」といった要素が盛り込まれ、来館者の体験や文化的多様性への配慮といった新しい視点が導入されました。これは、20世紀末以降の来館者志向型ミュージアムへのシフト、ユネスコによる文化多様性の推進、ミュージアムの民主化といった流れに対応するものでした。
しかし、時代が進むにつれ、この定義では新たに浮上してきた課題──たとえば、社会的排除、多文化共生、植民地主義的構造への批判、気候危機──を十分に扱えないという批判が高まりました。こうした問題意識のもと、ICOMは2016年に「定義・展望・可能性に関する常設委員会(MDPP)」を設置し、定義の再検討プロセスに着手します。
2019年のICOM京都大会では、新定義案が提示されたものの、賛否が激しく分かれ採択には至りませんでした。反対の主な理由は、「言葉が抽象的で解釈が難しい」「現場運営との乖離がある」といったものでした。これは、定義が理念のみに偏ってしまうことで、制度的実効性を欠くことへの懸念を示しています。一方で、支持派は「定義は博物館の未来像を語るもの」「現状維持では変革の起点にならない」と主張し、定義の“開かれた可能性”を重視しました(Sandahl, 2019)。
その後の再検討と国際協議を経て、2022年のプラハ総会にて、現在のICOM定義が正式に採択されました。そこでは、理念と運用のあいだのバランスが意識され、包摂性・持続可能性・協働・反省といったキーワードが加わる一方で、保存や研究といった従来の機能も適切に残されました。まさに“理念と実務を橋渡しする定義”として位置づけられたのです。
このように、ICOMの定義の変遷を振り返ると、定義とは固定的なものではなく、社会の変化に応じてアップデートされる動的な概念であることがわかります。そして同時に、定義の変化は博物館経営のパラダイム転換を促すものでもあります。定義を読み直すことは、過去の前提を再検討し、未来に向けてどのような選択をしていくかを考えるための作業にほかなりません。
ICOM2022年定義とその背景
2022年、ICOM(国際博物館会議)は約15年ぶりに博物館の定義を改訂し、新たな定義を正式に採択しました。この定義は、過去数年間にわたる国際的な議論と対話を経て形成されたものであり、単なる言葉の更新ではなく、博物館という存在の再設計を志向するものとなっています。
採択された新定義は以下のとおりです:
博物館は、過去と現在の有形および無形の遺産を研究、収集、保存、解釈、展示する常設の非営利機関である。博物館は、包摂的で、アクセス可能で、持続可能な方法で、教育、楽しみ、反省、知識共有のためにコミュニティと協働しながら、倫理的かつ専門的に機能する。
この文言には、現代社会が直面している複雑な課題と、博物館がそこにどう関わるべきかという強いメッセージが込められています。特に注目すべきは、「包摂的(inclusive)」「持続可能な(sustainable)」「反省(reflection)」「協働(collaboration)」といった語の導入です。これらは、博物館が従来の知の保管庫・展示施設にとどまらず、社会的な対話の場、倫理的実践の主体として変化することを示唆しています。
この新定義が生まれるまでの過程には、さまざまな緊張と葛藤が存在しました。2019年の京都大会で初めて提示された草案は、その急進的な理念ゆえに強い賛否を巻き起こしました。支持派は、「もはや旧来の定義では現代の博物館を表現できない」とし、社会的変革を志す博物館像を支持しました。一方、反対派は「抽象的で運用が困難」「現場の実態に合わない」として、採択を見送りました。この対立は、理念と実務、理想と現実のあいだに横たわる緊張そのものであり、「定義とは何か」という根本的な問いを改めて可視化するものでもありました(Sandahl, 2019)。
こうした議論を経て策定された2022年の定義は、急進的すぎず、かといって従来の延長線上にとどまらない、バランスの取れた表現を目指したものといえるでしょう。従来の機能(研究、保存、展示)を明確に維持しながらも、その運用においては「倫理的に」「協働的に」「社会的に責任を持って」行うべきであるという姿勢が明文化された点において、大きな転換が含まれています。
しかしながら、この定義は“完成形”ではありません。Mairesse(2019)やBrown & Mairesse(2018)も指摘するように、ここで使われている語彙は非常に多義的であり、実際に各国・各館でどのように運用されるかによって、その意味が変容していく可能性があります。たとえば、「包摂的」とは誰を、何から排除せずに含めることなのか?「反省」とは誰にとっての、何に対する反省なのか?こうした問いに明確な答えはありません。
だからこそ、この定義は問いを残したまま提示された「開かれた枠組み」であると捉えるべきです。理念的な指針であると同時に、各館が自らのミッションを言語化し、社会との関係性を再構築するための鏡となり得る定義。経営者にとっては、「定義にどう従うか」ではなく、「この定義と自館の経営理念をどう接続するか」が問われているのです。
新たな定義は、答えではなく起点であり、博物館経営における次なる思考と実践を促すためのフレームです。この定義をどう受け止め、どう活かしていくか──そこにこそ、経営の力量が試される現場があるのです。
「社会的役割」「参加」「持続可能性」と博物館経営
ICOMが2022年に提示した新しい博物館の定義には、従来の博物館像とは異なる、いくつかの特徴的なキーワードが盛り込まれています。中でも、「社会的役割(social role)」「参加(participation)」「持続可能性(sustainability)」といった語は、博物館をより開かれた、社会とともに歩む存在へと再定義しようとする強い意図を感じさせます。これらは理念的なスローガンであると同時に、具体的な経営戦略に転換しうる価値観でもあります。
まず「社会的役割」という言葉は、博物館が文化財を守るだけでなく、教育、共生、地域再生といった社会課題に応答するアクターであることを求めるものです。たとえば、環境問題、ジェンダー平等、地域コミュニティの再構築など、博物館が積極的に「声を上げ」「関係を築く」場として期待される場面が増えています。経営者にとっては、こうした社会的課題との接続を、単なる付加的事業ではなく、組織のビジョンやミッションの中心に据えることが求められています。
「参加」は、その延長線上にある重要な概念です。従来の博物館が一方的に知識を提供する場であったのに対し、現代の博物館は市民とともにつくる場へと変化しています。来館者や地域住民を「観客」ではなく「共創者」として迎える姿勢は、展示の設計、教育プログラムの運営、調査研究のテーマ設定にまで及びます。たとえば、リビング・ヒストリーや市民キュレーター制度、住民参加型の展示評価など、参加を前提とした仕組みの構築は、経営の柔軟性と対話力を試す取り組みでもあります。
さらに「持続可能性」は、環境配慮を超えた包括的な経営理念として理解されるべきです。再生可能エネルギーの活用や廃棄物削減といった環境対応はその一部にすぎません。重要なのは、文化・社会・経済の持続可能性をどう同時に実現するかという問いです。例えば、地域の文化資源を次世代に継承する仕組み、経済的に自立可能なビジネスモデル、包摂的な人材育成や働き方改革など、多層的な視点での設計が求められます。
こうしたキーワードを現場の経営にどう落とし込むかは、単なる方針決定ではなく、組織文化や意思決定プロセスの転換を伴います。トップダウンでスローガンを掲げるだけではなく、各部署、各事業の中に理念を浸透させ、それが実感を伴って実践される必要があります。
つまり、ICOM定義が示すキーワードは、博物館に新たな価値を付加するための飾りではありません。それは、経営の根幹に関わる指針であり、日々の業務の中で問い直し、育てていくべき持続的な対話の種なのです。定義に含まれた言葉が、どれだけ組織の中で“生きた語り”として使われているか──そこに、定義を経営に活かしているかどうかの真価が現れるのです。
日本の制度・文化とのギャップと可能性
ICOMが2022年に採択した新しい博物館定義は、理念的に高い水準を掲げる一方で、それを各国の制度や運営実態にどのように接続するかという課題を同時に提起しています。日本においても例外ではなく、制度的な枠組みや文化的慣習とのあいだには、しばしばギャップが存在します。
たとえば、日本の博物館制度は、長らく「資料の収集・保管・展示・教育」といった機能を中心に設計されてきました。博物館法における定義も、実務的・記述的な側面が強く、「包摂性」や「協働」といった社会的・倫理的キーワードは明示されていません。これらの価値は、制度の中に“書かれていない”にもかかわらず、現代の博物館運営には不可欠な視点となりつつあります。
近年の制度改正により、博物館の設置主体や登録制度には一定の柔軟性が生まれつつありますが、依然として多くの博物館が行政組織の一部として運営されており、意思決定のスピードや独自性には限界があるのが実情です。また、日本社会では、「博物館は静かに教養を高める場所」といった文化的な期待や、専門性を重視する傾向が根強く残っており、「共創」「対話」「市民参加」といった概念が必ずしも自然に受け入れられているわけではありません。
一方で、このようなギャップを単に「制度が遅れている」「文化が硬直している」と捉えるだけでは、建設的な変化は生まれません。むしろ重要なのは、このずれを“自館の経営戦略の起点”と捉えることです。定義に示された価値観をどのように自館の文脈に翻訳し、現場の実務に接続していくか。それこそが、理念と制度のあいだをつなぐ創造的な営みです。
実際、日本各地の博物館では、制度上の要請を超えて、地域住民との協働、共感に基づく展示、対話型の教育プログラムなど、ICOM定義の理念に通じる実践が少しずつ広がっています。こうした取り組みは、制度に依存しすぎず、現場主導で社会的役割を拡張していく「文化的イノベーション」として注目すべきものです。
定義とは、制度に従属するものではありません。制度が提供するのは枠組みにすぎず、その中で何を語り、何を目指すかは、各館の判断に委ねられています。理念としての定義を起点に、自館のミッションや戦略を言語化し、制度との距離を前向きに活用する。それは、博物館経営の創造的な営みの核心でもあります。
まとめ ― 定義から考えるミッションと経営の出発点
博物館とは何か――この問いは、制度の説明や用語の整備にとどまらず、組織の存在意義や方向性そのものを問い直す行為です。定義とは、活動の範囲を示すだけではなく、そこに込められた価値や理念を明示し、組織の意思決定に軸を与えるものです。
本記事では、博物館の定義が歴史的にどのように変遷してきたのか、そして現在のICOM定義が社会的・倫理的責任をいかに重視しているかを確認しました。あわせて、日本における制度的定義との比較や、現場の運営実態との関係性にも目を向けました。その過程で明らかになったのは、定義とは一義的な「答え」ではなく、常に更新されるべき「問い」であるということです。
制度、理念、文化、運営実務のあいだにずれがあることは、必ずしもマイナスではありません。むしろ、そうしたずれのなかにこそ、自館の独自性を磨き、戦略的な立場を築く余地が生まれます。どの定義をどのように読み取り、どの価値に重点を置くか──その選択と再解釈のプロセス自体が、経営の主体性を育てる機会となるのです。
経営とは、与えられた枠組みに従うことではなく、その枠組みを理解しつつ、自らの言葉と構想によって意味を与え直す営みです。定義を読み解き、それを自館のミッションとつなぎ直すことは、その営みの第一歩にほかなりません。
「博物館とは何か」と問うことは、「私たちの博物館は何をめざすのか」と言い換えることができます。その答えは、どこかに書かれているわけではなく、私たち自身が選び、積み重ねていくものです。定義を起点に経営を考えるとは、そのような選択と構築の姿勢を持ち続けることなのです。
参考文献
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Brown, K., & Mairesse, F. (2018). The definition of the museum through its social role. Curator: The Museum Journal, 61(4), 525–539.
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Mairesse, F. (2019). The definition of the museum: History and issues. Museum International, 71(1–2), 152–159.
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