はじめに
近年、デジタル技術の発展とともに、ミュージアムにおけるマーケティング戦略は大きな転換期を迎えています。特にソーシャルメディアの急速な普及は、文化施設における情報発信の方法や来館者との関係性の構築に多大な影響を与えてきました。その中でもインスタグラムは、視覚的な訴求力と即時性を兼ね備えたメディアとして注目されており、現代のミュージアムにおいてきわめて重要なコミュニケーション・ツールとなりつつあります。
インスタグラムは、もともと日常の出来事や風景を写真として共有する個人向けのアプリケーションとして誕生しましたが、その機能は単なる画像の投稿にとどまりません。ユーザー同士が「いいね」やコメント、ハッシュタグを通じて相互に反応し合う仕組みにより、特定の場や体験についての意味づけや価値の共有を促進する特性を持っています。こうしたインタラクティブな特性は、ミュージアムにおける体験の記録や共有に適しており、来館者自身が展示や空間、そこでの学びや感動を「自分の言葉」で語り、視覚的に再構成する機会を提供しています。
従来、ミュージアムにおける情報発信は、主に施設側からの一方向的な告知や解説が中心でした。しかしながら、インスタグラムの活用により、来館者が自らの視点でミュージアム体験を捉え、それを公開・共有することで、展示内容や空間設計に対する新たな解釈が生まれています。このような動きは、ミュージアムが提供する「知」の一方的な伝達から、利用者との「共創」を軸とした関係性の構築へと転換を促すものであり、ミュージアムの社会的役割や存在意義そのものに再考を迫るものでもあります。
本稿では、こうした視点に立ち、インスタグラムがミュージアム・マーケティングにおいてどのような役割を果たしているのか、また、具体的にどのように活用され、どのような成果や課題が見られるのかについて、多角的に考察していきます。加えて、来館者の主体的な参加を促すデジタル・コミュニケーションの在り方や、それによって変容するミュージアムのブランディング、教育、展示戦略についても論じることで、インスタグラムがもたらす可能性と今後の展望を明らかにすることを目的とします。
インスタグラムと来館者の能動性
ミュージアムという空間は、かつては「静かに鑑賞する場所」として設計されてきました。来館者は展示物を一方的に受け取り、専門的な解説に導かれながら知識や文化的価値に触れるという、いわば受動的な立場に置かれていたといえます。しかし、デジタル技術の進化とソーシャルメディアの普及は、こうした観賞のあり方を大きく変化させつつあります。とりわけインスタグラムは、来館者の役割を「受け手」から「語り手」、さらには「共創者」へと拡張する新たなプラットフォームとして、注目を集めています。
インスタグラムの最大の特長は、写真や動画といった視覚コンテンツを通じて、個人が自由に自身の体験を表現・共有できる点にあります。ユーザーはスマートフォンを用いて瞬時に撮影し、画像編集機能やフィルターを活用して印象的なビジュアルを創出し、キャプションやハッシュタグを添えて他者とつながることができます。ミュージアムにおいてもこの特性は活かされ、来館者は展示物、建築空間、演出、あるいは他の来館者との出会いといった、総合的な体験そのものを「語る」存在となるのです。
こうした実践は、来館者が単に展示物の外形的な情報を記録するだけでなく、個人的な解釈や感情、さらにはその場で生まれた問いや驚きまでも可視化し、インスタグラム上で共有するという行為へと発展しています。Budge(2017)は、こうした投稿行動を分析し、来館者は展示物を「見る」だけでなく、それに「意味づけをし、再構築する」行為に参加していると述べています(Budge, 2017)1。これは、観賞が単なる受容的な行為ではなく、知覚・記憶・想像のプロセスを含む能動的な経験であることを示しています。
また、Weilenmannら(2013)の研究も、インスタグラムを用いた来館者の実践が、展示空間の解釈を個人化し、「再物語化」するものであることを明らかにしています。彼らは、来館者がスマートフォンのカメラを通して空間の一部を選び取り、それを構図、光、色彩、テキストによって編集し、自分なりの物語として投稿することで、ミュージアムの意味構造そのものに能動的に関わっていると指摘しています(Weilenmann et al., 2013)2。
このように、インスタグラムを媒介とした来館者の行動は、ミュージアム空間を「静的な知識提供の場」から「動的で個人化された創造と共有の場」へと変容させています。展示の見方はもはや一様ではなく、多様な視点と感性によって再編成されるものとなりました。そしてその再編成は、SNSという公共性を帯びた空間においてさらに拡張され、他者との対話を生み出すきっかけともなっているのです。
このような変化は、ミュージアムにおける「体験の質」を変えるだけでなく、文化施設と市民との関係性そのものを再定義する可能性を秘めています。来館者が自らの声を持ち、それを可視化・共有することができる現在、ミュージアムは「展示する側」と「見る側」という境界を乗り越え、相互の経験が交差し、新たな意味が生成される場として再構築されつつあるのです。
「プロモーション」から「エンゲージメント」へ
ミュージアムにおける広報・宣伝活動は、長らく一方向的な「プロモーション」を中心に展開されてきました。公式ウェブサイト、パンフレット、ポスター、新聞広告などを用いたこれらの情報発信は、来館者に展示やイベントの開催情報を伝えることを主目的としており、ミュージアム側からのメッセージを受け手に届けることに重点が置かれていました。
しかしながら、現代の情報環境は、もはや一方向的なメディアだけでは十分に機能しない状況へと変化しています。特に若年層を中心に、双方向性・即時性・共感性といった特徴をもつSNSを主たる情報源とする傾向が顕著になっており、ミュージアムにおいても情報発信の在り方を再考する必要が生じています。
Chung et al.(2014)の調査によれば、ミュージアムがSNSを活用する主な目的として、「認知度の向上」「コミュニティとの関係性の深化」「ネットワークの拡張」の3点が挙げられています(Chung et al., 2014)3。これらは従来の「知らせる」ことを主眼としたプロモーションとは異なり、「対話する」「つながる」「共有する」といったエンゲージメント(関与)の志向性が強く打ち出されています。
とりわけインスタグラムは、視覚的コンテンツを基盤とする点において、展示空間やアート作品と親和性が高く、来館者の参加を促す仕組みが自然に組み込まれています。ユーザーが自ら撮影・編集した画像を投稿し、他者の投稿に「いいね」やコメントで反応するプロセスそのものが、共感と相互作用を生み出す構造となっているのです。これにより、ミュージアムは単に「来てほしい場所」から「語られる場所」へと変容し、日常的な対話の場としての位置づけを獲得し始めています。
また、Suess(2018)の研究は、インスタグラム上での体験共有が、来館者の美的経験を時間的・空間的に拡張し、物理的な展示空間を超えて「継続する学び」へと転化する契機を生んでいることを指摘しています(Suess, 2018)4。たとえば、展示室で撮影した作品の写真を帰宅後に再投稿し、そこで改めて感じたことや知ったことを記述することで、来館者は展示体験を自己の文脈に引き寄せ、反復的な学習へと繋げているのです。
このように、インスタグラムの活用は単なる情報発信にとどまらず、来館者一人ひとりが自らの経験を通してミュージアムとの関係性を構築していくプロセスそのものを形成しています。これは、エンゲージメント重視の現代マーケティングにおいて、非常に意義深い現象であるといえるでしょう。ミュージアムは、もはや展示内容を知らせるだけでなく、来館者と共に価値を創出する存在へと進化しているのです。
「舞台裏」の可視化と専門性の共有
インスタグラムのもう一つの重要な活用法として注目されるのが、展示制作や研究活動など、いわゆる「舞台裏」の可視化です。これまでのミュージアムは、完成された展示や洗練された展示空間を提示することに重きを置いてきました。来館者の目に触れるのは、あくまでも「完成品」であり、その背後にある無数の作業や試行錯誤はほとんど明かされてきませんでした。
しかしながら、近年の文化消費者は、情報の透明性やプロセスの共有を重視する傾向にあり、「何が展示されているか」だけでなく「どのようにして展示されるに至ったか」という問いに対しても関心を寄せるようになっています。このような文脈において、インスタグラムは、展示準備や研究活動、学芸員の日常的な仕事といった「裏側」の情報を、視覚的かつ親しみやすい形式で発信する強力なツールとなります。
Jarreauら(2019)は、インスタグラムの活用に関する分析において、多くの科学系ミュージアムが広報としての投稿には熱心である一方で、研究者やキュレーターの活動といったプロセス的な側面を十分に伝えていないと指摘しています(Jarreau et al., 2019)5。これは、専門性を外部に開く機会を逸しているとも言え、今後のデジタル戦略において改善の余地が大いにある領域です。
たとえば、展示資料が収蔵庫から選定される過程や、照明・構成の調整風景、保存科学の現場などを写真や動画で発信することで、来館者は「ミュージアムが何をしているのか」「どのようにして文化財を守っているのか」といった本質的な活動への理解を深めることができます。これにより、ミュージアムは学術機関としての信頼性を高めつつ、より人間味あるコミュニケーションを展開することが可能となります。
また、舞台裏の公開は、専門職に対するリスペクトや職業理解にも寄与します。学芸員や保存修復士、教育担当者などの仕事ぶりを可視化することで、来館者は文化施設を支える多様な人材の存在に気づき、その働きに共感を覚えるようになります。こうした共感の蓄積は、来館動機の向上やリピーターの創出といった、実質的な集客効果にもつながると考えられます。
このように、インスタグラムによる「舞台裏」の発信は、ミュージアムの存在意義を再確認させるとともに、来館者との信頼関係を構築し、より深いレベルでのエンゲージメントを生み出す可能性を秘めています。それは、単なる裏話や面白コンテンツとして消費されるものではなく、文化と社会の接点を開く新しい知のインターフェースとして機能しうるのです。
実践的活用と展望
ここまで、インスタグラムがミュージアム・マーケティングにおいて果たす役割や可能性について理論的かつ事例に基づいて論じてきました。本節では、それらを踏まえた上で、実務的観点からインスタグラムの具体的な活用方法を整理し、さらに今後の発展的展望について考察します。
ユーザー生成コンテンツ(User-Generated Content, 以下UGC)
まず、実践面において重要なのは、来館者自身が投稿する「ユーザー生成コンテンツ(User-Generated Content, 以下UGC)」を積極的に活用することです。来館者が投稿した写真や動画は、いわばミュージアムに対する「生の声」であり、展示体験がどのように受け取られたかを知る手がかりでもあります。ミュージアムの公式アカウントがこうした投稿を適切にリポストすることで、来館者の承認欲求を満たし、SNS上での拡散力も高めることができます。これにより、公式発信と来館者の視点との間に橋がかかり、共創的なコミュニケーション環境が形成されていきます。
ハッシュタグの設計と運用
次に、ハッシュタグの設計と運用も重要な要素です。来館者が気軽に投稿し、他のユーザーと体験を共有できるようにするためには、覚えやすく、意味が明確なハッシュタグの導入が効果的です。たとえば「#MyMuseumView」「#MuseumReframe」「#インスタで美術館」など、施設独自のタグを設定することで、投稿が集積されやすくなり、結果としてミュージアムのブランド形成にもつながります。
動画やストーリー機能の活用
さらに、展示制作や収蔵品の保存活動、学芸員によるリサーチの過程など、いわゆる「ミュージアムの舞台裏」を、動画やストーリー機能を通じて紹介することも効果的です。こうした発信は、専門性の高いミュージアムの活動に対する理解を促進するだけでなく、「ここでしか見られない、知ることができない情報」として来館者の好奇心を刺激し、再訪やフォロワー数の増加にも寄与します。
ライブ配信(インスタライブ)
ライブ配信(インスタライブ)も、インスタグラムに特有の双方向性を活かした強力な手法です。たとえば、展示会のオープニング前夜に学芸員が見どころを紹介する、アーティストが来館者の質問にリアルタイムで答える、といったイベントは、物理的な距離を超えてミュージアム体験を広げる手段となります。こうしたデジタル接点は、来館前の期待感を高め、来館後の体験の反芻を促す「情報の循環」を生む媒体として、今後ますます重視されるでしょう。
これらの実践例は、インスタグラムの持つ視覚的表現力、拡散性、対話性という3つの特性を最大限に活用するものであり、ミュージアムがその価値を来館者と共有しながら新たな文化的エコシステムを築くうえでの出発点となります。今後は、AIやAR(拡張現実)といった先端技術との連携も視野に入れつつ、インスタグラムを基盤とした多層的なコミュニケーション設計が求められるようになると考えられます。
おわりに
本稿では、インスタグラムという視覚的ソーシャルメディアが、現代のミュージアム・マーケティングにおいていかに重要な役割を果たしているかを明らかにしてきました。従来の一方向的な広報から、来館者との対話と共創を重視するエンゲージメント型の戦略へと移行する中で、インスタグラムは、単なる情報発信の手段ではなく、文化的な意味を「共に創る」場としての可能性を開いています。
来館者が自らの体験を発信することで、ミュージアムの展示は多様な視点から再解釈され、より広範なコミュニティの中で新たな文脈を得ることができます。さらに、ミュージアム側が舞台裏の情報や専門的知識を開示することで、文化施設としての透明性と信頼性が高まり、来館者との関係性も深化します。こうした双方向的な情報のやりとりは、単なるマーケティングを超えて、ミュージアムが社会的共通資本として果たすべき役割の拡張にもつながるものです。
もちろん、インスタグラムの運用には課題も存在します。情報の信頼性の確保、肖像権や著作権への配慮、アカウント管理にかかる人員やスキルの確保など、解決すべき実務的問題も多く存在します。しかし、それらの課題を乗り越えた先にこそ、ミュージアムの新たな発展が待っていることは間違いありません。
インスタグラムを通じて広がるミュージアム体験は、もはや施設内にとどまるものではありません。世界中の人々が、場所や時間を超えてつながり、学び、感動を共有できる時代において、ミュージアムはその「媒介者」として、よりダイナミックな文化創造の担い手となっていくことでしょう。今後、インスタグラムがどのようにミュージアムの未来を形作っていくのか、その展開に大いなる期待が寄せられます。
参考文献
- Budge, K. (2017). Objects in focus: Museum visitors and Instagram. Curator: The Museum Journal, 60(1), 67–85. https://doi.org/10.1111/cura.12183 ↩︎
- Weilenmann, A., Hillman, T., & Jungselius, B. (2013). Instagram at the museum: Communicating the museum experience through social photo sharing. In Proceedings of the SIGCHI Conference on Human Factors in Computing Systems (pp. 1843–1852).https://doi.org/10.1145/2470654.2466243 ↩︎
- Chung, T.-L., Marcketti, S., & Fiore, A. M. (2014). Use of social networking services for marketing art museums. Museum Management and Curatorship, 29(2), 188–205. https://doi.org/10.1080/09647775.2014.888822 ↩︎
- Suess, A. (2018). Instagram and art gallery visitors: Aesthetic experience, space, sharing and implications for educators. Australian Art Education, 39(1), 107–119. https://search.informit.org/doi/10.3316/informit.625892895569659 ↩︎
- Jarreau, P. B., Dahmen, N. S., & Jones, E. (2019). Instagram and the science museum: A missed opportunity for public engagement. Journal of Science Communication, 18(2). https://doi.org/10.22323/2.18020206 ↩︎