ミュージアムに求められる説明責任とは何か
近年、ミュージアムに対する社会的な期待は、大きくかつ多様に変化しつつあります。従来、ミュージアムは主に文化財や美術品の保存、調査研究、展示公開といった専門的かつ比較的内向きな役割を担う機関として認識されてきました。しかし21世紀に入り、持続可能な社会の形成、多文化共生、地域活性化、教育機会の拡充といった広範な社会的課題への対応が、ミュージアムに対しても求められるようになってきています。つまり、ミュージアムは単なる「展示施設」や「収蔵機関」ではなく、公共資源を用いて社会に働きかける「公共的主体」としての性格をより強く帯びるようになったのです。
こうした背景を受けて、近年ますます注目されているのが、「説明責任(accountability)」という概念です。これは単なる制度的義務としてではなく、ミュージアムが社会との信頼関係を築き、その存在意義を継続的に問われる中で不可欠となる倫理的・戦略的な姿勢でもあります。説明責任は、公共的な立場にある組織が、自らの活動目的や使用している資源、そしてそれに基づいて得られた成果について、正当な根拠とともに社会に開示・報告する義務を意味します。さらに、単に情報を公開するだけではなく、説明を受ける側からの疑問や批判に応答し、必要に応じて活動の改善や再構築を行うという「応答性(responsiveness)」もその重要な要素に含まれています。
ミュージアムにおいて説明責任を果たす相手、すなわちステークホルダーは実に多様です。具体的には、日常的に施設を利用する来館者や、ワークショップやイベントに参加する地域住民、財政的支援を提供する自治体や中央政府、寄付やボランティアとして関与する個人・団体、さらには研究機関や教育機関、そして将来の世代までもが含まれます。Dainelli et al(2012)は、これら多様なステークホルダーがそれぞれ異なる期待や評価軸を持っており、説明責任とはその多様な利害や関心にバランスよく応えるための、組織的かつ持続的な実践であると指摘しています(Dainelli et al., 2012)1。
このように、説明責任は単に「求められるから対応する」といった受動的な概念ではなく、むしろミュージアムが自らの社会的役割を再確認し、その価値を可視化するための積極的な枠組みとしてとらえることができます。それは、ミュージアムにとっての存在理由を、内外の関係者と共有し続けるための継続的な対話の場であり、現代的な公共性を体現する営みでもあるのです。
あいまいな目標にどう応えるか:説明責任のジレンマ
ミュージアムの説明責任が重視されるようになった一方で、その実践には多くの困難が伴います。その理由の一つとして、ミュージアムの活動目標が本質的に「あいまい」であるという特性が挙げられます。ミュージアムの使命には、たとえば「文化遺産の保存」「市民への教育普及」「コミュニティとの関係強化」「持続可能な開発への貢献」など、抽象的かつ重層的な目標が含まれており、それらは数値的な成果指標に単純には還元できません。
Overman(2021)は、こうした曖昧性の中でミュージアムと外部ステークホルダー(とくに行政機関)との間に「アカウンタビリティ・ミスマッチ(accountability mismatch)」が生じると指摘しています。これは、情報の「需要」と「供給」が一致しない状況を意味します。たとえば、行政側は成果を「来館者数」「イベントの開催回数」「地域経済への波及効果」など定量的な指標で測ろうとする傾向がある一方で、ミュージアム側は「文化的価値の創出」や「知的体験の深度」「市民の社会的包摂」といった質的で長期的な影響を重視する傾向があります(Overman, 2021)2。その結果、行政が求める説明と、ミュージアムが語りたい物語との間にずれが生じ、両者の関係が形式的・儀礼的なものになってしまうのです。
さらに説明責任のジレンマを深めているのは、こうしたあいまいな目標が、単に「測定しにくい」という技術的問題にとどまらず、そもそもミュージアム自身がその価値をどのように定義し、どのように社会と共有すべきかという根源的な問いを突きつけるからです。Chiaravalloti(2014)や Rossi et al.(2016)も指摘するように、文化機関のパフォーマンスは、経済的な生産性や効率性といった従来の「ビジネス的ロジック」では測りきれない側面を多く持っています(Chiaravalloti, 2014; Rossi et al., 2016)34。たとえば、ある展覧会が来館者数ではふるわなかったとしても、特定のコミュニティにとって文化的に重要な意味を持ち、社会的包摂に資するものであったとすれば、それは明らかに高い公共的価値を持つといえるでしょう。
このような文脈において、ミュージアムに求められる説明責任とは、「単なる成果報告」ではなく、「多様な価値をどのように可視化し、社会と対話していくか」という戦略的・倫理的な課題へと変容しています。ミュージアムは、数値では捉えきれない活動の意義を、物語(narrative)や事例、利用者の声などを通じて丁寧に伝える必要があります。また、異なるステークホルダーのニーズや評価軸を理解し、それぞれに応じた多層的な説明の仕組みを設計することも重要です。
こうした複雑性を前提とした説明責任のあり方は、近年提唱されている「フェルト・アカウンタビリティ(felt accountability)」や「文化的アカウンタビリティ(cultural accountability)」といった概念とも親和性を持ちます。これらは、組織の内外における価値観の共鳴や関係性の中で説明責任を再構築しようとする考え方であり、従来のトップダウン型の報告モデルとは一線を画しています(Overman, 2021)5。
つまり、ミュージアムが説明責任を果たすということは、あいまいで複数的な目標をいかに言語化し、いかに共有可能な形で社会に提示するかという挑戦であり、同時に自らの存在意義を社会とともに再定義していくプロセスでもあるのです。
説明責任とフーコー的ガバメント性
現代のミュージアムに求められる「説明責任」は、単なる報告義務として理解するだけでは、その本質を捉えきれません。数字や成果を列挙して提出するだけではなく、より深いレベルでミュージアムの行動や価値観そのものに関わる構造的な力の作用が背景にあるといえます。そうした力の働き方について理解するために有効な視点のひとつが、ミシェル・フーコーによって提唱された「ガバメント性(governmentality)」という概念です。
ガバメント性とは、国家や権力が人々を直接的に支配するのではなく、制度や知識、規範といったさまざまな仕組みを通じて、人々が自らを統治するように仕向ける間接的な支配のあり方を意味します。たとえば、法律や監視カメラだけでなく、学校の成績評価、医療の健康診断、職場での業績管理など、人々が自らの行動を規律正しく整えるようになる仕組み全体がガバメント性の作用といえるのです。
この視点をミュージアムにあてはめて分析したのが、AbdullahとKhadaroo(2016)による研究です。彼らは、英国の国立美術館や博物館(MAGs: Museums and Art Galleries)を対象に、説明責任がどのように制度化されているかを調査しました。その結果、政府が導入した評価制度や財務報告の枠組みが、単に外部からの監督の手段にとどまらず、ミュージアム内部の管理者やスタッフが自らの行動を絶えず監視し、調整するよう促す仕組みとして機能していることを明らかにしました(Abdullah & Khadaroo, 20166)。
つまり、これらの制度は、ミュージアムが「外から見られているから報告しなければならない」という受動的な対応を促すだけでなく、「社会的に期待される良き公共機関としてふるまうべきだ」という内面的な規範を育み、それによって行動が導かれていくという構造を生んでいるのです。これが、フーコーが示した「自己統治(self-governance)」のメカニズムであり、まさに説明責任がガバメント性と密接に結びついている所以です。
AbdullahとKhadarooの研究では、これらの制度がミュージアム内部における意思決定の論理にも影響を与えているとされています。たとえば、展示計画や予算配分が、本来の学術的・文化的な意義に加えて、外部報告で説明しやすい成果指標(例:来館者数、教育イベントの実施数、パフォーマンス評価)を意識して構成されるようになっていくのです。これは、説明責任のための制度が、単なる「報告のフォーマット」にとどまらず、組織そのものの在り方や価値観をも形づくっていく「権力としての知」の働きであるといえます(Abdullah & Khadaroo, 2016)7。
このようにして、ミュージアムは評価制度や説明責任の仕組みによって、自らの姿を客体化し、自律的に振る舞うよう構造的に組み込まれていきます。言い換えれば、説明責任とは単なる「報告」ではなく、ミュージアムが社会の中でどのような存在としてふるまうのか、何を価値とみなし、どう行動するかを方向づける装置でもあるのです。
財務報告とその限界
前節では、説明責任が単なる外部報告の義務ではなく、制度や評価の枠組みを通じてミュージアム自身の行動や価値判断に深く影響を与える「ガバメント性」の働きであることを確認しました。ここで注目すべきは、そうした制度の中でも特に強い影響力を持っているのが「財務報告」という枠組みであるという点です。財務報告は、可視化され数値化された情報を通じて、説明責任を果たす主要な手段のひとつとして広く導入されてきました。
実際、多くのミュージアムでは、収入や支出、資産の状況といった経済的情報をまとめた財務諸表や年次報告書を作成し、それを行政や寄付者、一般市民に対して公開しています。こうした報告は、資金提供者にとっては資源の適切な使用を確認するための信頼の材料であり、ミュージアムにとっても組織の透明性と説明責任を確保する手段となっています。近年では、国際会計基準や非営利法人向けのガイドラインに沿った財務報告の導入が進んでおり、制度としては整備が進んでいると言えるでしょう。
しかし、こうした財務報告の仕組みがもたらす影響を冷静に見つめ直す必要があります。なぜなら、それがあまりにも強い説明責任の枠組みとして機能しすぎた場合、ミュージアムが本来重視すべき非金銭的価値、すなわち文化的・教育的・社会的な成果の重要性が軽視されるリスクがあるからです。とりわけ、展示の質や市民との関係性、文化の継承といった数値化しにくい側面は、財務報告では十分に表現されない傾向があります。
この問題に早くから警鐘を鳴らしたのが、CarnegieとWolnizerによる研究です。彼らは、ミュージアムの財務報告においてコレクション――つまり所蔵品――を商業的な「資産」として評価し、帳簿上に計上しようとする会計上の動きに疑問を呈しました。美術品や考古資料、歴史的遺物といった文化財は、その価値が市場価格に還元できるものではなく、貨幣的な評価がかえってその文化的意義を歪めてしまう危険があると主張しています(Carnegie & Wolnizer, 1996)8。
たとえば、1万年前の土器や地域の伝統工芸、戦争の記憶を伝える遺品などは、単なる「売買可能な物品」ではありません。それらが持つ歴史的・教育的価値、地域住民とのつながり、社会的記憶としての機能は、金額として表示するにはあまりにも多面的で深いものです。にもかかわらず、こうしたコレクションを財務報告のために無理やり貨幣的に換算することになれば、結果としてミュージアムの役割が「資産保有機関」として矮小化されかねません。
さらにこのような評価方法が政策判断に利用されると、「資産価値の高いコレクションを持つミュージアムに優先的に予算を配分する」といった経済的効率性が判断基準になりかねず、文化的多様性や社会的包摂といった公共的な使命が後景に追いやられるおそれもあります。
こうした問題を踏まえて、CarnegieとWolnizerは「EAM(Enabling Accountability in Museums)」という代替的な説明責任モデルを提案しました。この枠組みは、財務報告の限界を認識しつつ、保存・展示・教育・地域連携などミュージアム固有の活動に即した非財務的な情報の開示を推進するものです。たとえば、展示内容の社会的反響、来館者の多様性、ボランティア活動の広がり、教育プログラムの継続性といった要素も、説明責任の一部として捉え直すべきだと主張しています(Carnegie & Wolnizer, 1996)。
このように、財務報告は説明責任を果たすための重要な一手段ではあるものの、それが唯一の手段であるべきではありません。むしろ、ガバメント性の議論でも見たように、制度化された報告枠組みがミュージアムの価値観や意思決定に影響を与えることを前提に、より包括的でミュージアムの本質を反映した説明責任のあり方が求められているのです。このように、財務報告は説明責任を果たすうえで不可欠な基盤ではありますが、それだけではミュージアムの本質的な価値や意義を十分に伝えることはできません。むしろ、それを補完する新しい説明の枠組みや多元的な評価軸の導入こそが、これからのミュージアムにとって重要な課題となっているのです。
共有された価値に基づく説明責任
前節で見たように、財務報告はミュージアムにとって基本的な説明責任の手段である一方で、その枠組みでは文化的・社会的価値の全体像を十分に捉えることが難しいという限界が存在します。こうした限界を乗り越えるために、近年注目されているのが、「共有された価値(shared values)」を出発点とする新たな説明責任のアプローチです。これは、ミュージアムが社会の中でどのような意味を持ち、誰にとってどのような存在であるべきかという問いを、関係者(ステークホルダー)とともに考え、実践する姿勢に根ざしたものです。
この考え方の核心にあるのは、説明責任とは一方的に「報告する」ものではなく、「共に語り、共に築く」ものであるという視点です。つまり、ミュージアムの価値は、管理者や専門家だけで一方的に定義するのではなく、それぞれの立場から関わる多様な人々――たとえば地域住民、ボランティア、教育機関、マイノリティのコミュニティ、そして未来の世代――と協働して共に作り上げていくものだという認識です。
このような「共創型アカウンタビリティ(co-constructed accountability)」の実践例として注目されるのが、ニュージーランドの博物館における取り組みです。同国では、先住民族マオリとミュージアムとの関係性を深める中で、「共有された遺産(shared heritage)」「共有された権限(shared authority)」、そして「共有された説明責任(shared accountability)」という三つの柱が意識されるようになっています。
Legget(2018)の研究では、マオリと非マオリの双方の視点から、どのような活動や成果が「説明すべき対象」となるのかを対話を通じて明らかにし、それをもとにミュージアムのパフォーマンス指標を共に作り上げていくという取り組みが紹介されています。このプロセスは、単なるチェックリスト作成や形式的な合意形成ではなく、価値観や優先順位の違いをすり合わせながら、「私たちにとってのよいミュージアムとは何か」を問い直す実践そのものであるといえます(Legget, 2018)9。
たとえば、マオリの関係者は、展示や収蔵庫におけるタオンガ(taonga:マオリの宝物)の扱い、儀礼的な配慮、コミュニティとの持続的な対話といった項目を、非常に重要な説明責任の対象として位置づけます。一方で、非マオリの関係者にとっては、コレクションの管理状況やスタッフの専門性、来館者数などの指標がより重視される傾向があります。これらの違いは、どちらかが正しいという話ではなく、それぞれが大切にしている文化的背景やミュージアムへの期待の表れです。
このように多様なステークホルダーとともに指標を共創するプロセスには、時間と労力がかかります。しかし、その対話を通じて構築された説明責任の枠組みは、単なる「報告義務」ではなく、「信頼構築の場」として機能しはじめます。とくに、ミュージアムが過去の植民地主義的な文化収奪の歴史を持ち、特定の声を排除してきた背景を持つ場合、こうした共創的な説明責任の構築は、歴史的な和解や文化的な正義の実現にもつながる重要なステップとなるのです。
さらに、このようなアプローチは、ステークホルダーの「声」を単に拾い上げるだけでなく、意思決定のプロセスに組み込むことで、ミュージアムそのものの運営方針や評価軸を根本から問い直す契機をもたらします。つまり、「誰のためのミュージアムなのか」「何をもって成功とするのか」といった本質的な問いが、制度の外側からではなく、制度の内側で生きた形で問われるようになるのです。
このような実践は、世界中で拡がりつつある包摂型のミュージアム運動――いわゆる「ソーシャリー・エンゲイジド・ミュージアム(socially engaged museums)」の潮流とも響き合っています。単なる情報の提供者ではなく、地域社会の共創パートナーとしてのあり方を模索するミュージアムにとって、共有された価値を基盤とする説明責任は、もはや選択肢ではなく、必要不可欠な戦略的選択であるといえるでしょう。
おわりに:ミュージアムの未来と説明責任
これまで見てきたように、ミュージアムにおける説明責任は、単なる数字や報告書の提出にとどまるものではなく、制度的・文化的・倫理的な枠組みのなかで、どのように社会との関係性を築いていくのかという根本的な問題にかかわっています。とくに近年では、「誰に対して」「何を」「どのように説明するのか」という問いが、ミュージアムの存在意義そのものと不可分なものとして浮かび上がってきています。
こうした中で、説明責任は、未来のミュージアムを形づくるための「制約」ではなく、「可能性」として捉え直すことが重要になっています。すなわち、外部から強制された義務としてではなく、ミュージアム自身が主体的に価値を定義し、社会と共有するための戦略的な営みとして、説明責任を再構築する視点が求められているのです。
このような視点から注目されるのが、Brown(2014)によるパプアニューギニア国立博物館の事例です。同館は長らく、財政的・人的リソースの制約により、定期的な年次報告書の発行ができておらず、国の監査機関から「報告義務を果たしていない」との指摘を受けていました。さらに、提出された財務報告も遅延が常態化し、内容の信頼性に対して監査上の「意見不表明(disclaimer of opinion)」が繰り返されていたといいます(Brown, 2014)10。
このような状況は、単に報告制度が機能していなかったという問題にとどまらず、博物館が社会的信頼を損ない、国からの支援や市民からの支持を受けにくくなるという深刻な影響をもたらしました。つまり、説明責任を果たさないことは、結果としてミュージアムの存続可能性そのものを脅かすことになるのです。
一方で、同じ事例は、適切な制度的支援と組織内での体制整備がなされれば、ミュージアムが説明責任を強化することによって、信頼回復と再生の道を歩むこともできることを示唆しています。実際、パプアニューギニア国立博物館では、人員の再配置や報告業務の簡素化、予算管理のデジタル化などを進めることで、少しずつ透明性とアカウンタビリティを高める努力が始まっています(Brown, 2014)。
このような事例は、ミュージアムにとっての説明責任が、外部から課される「義務」ではなく、内部から育てるべき「文化」であることを教えてくれます。つまり、説明責任とは、組織が自らのビジョンや活動を見直し、社会との関係性を再構築していくための「鏡」として機能するのです。
将来のミュージアムにとって、説明責任は次の3つの観点からますます重要になっていくと考えられます。
1. 組織の透明性と信頼性の基盤としての説明責任
市民社会の成熟にともない、公共的な組織はますます説明責任を求められるようになります。ミュージアムも例外ではなく、資金の使途だけでなく、その活動がどのような社会的成果をもたらしたのかを、分かりやすくかつ誠実に伝える力が問われます。
2. 多様なステークホルダーとの対話の起点としての説明責任
来館者、地域住民、教育関係者、寄付者、ボランティア、そして未来の世代――それぞれが異なる期待や関心をもってミュージアムに関わっています。そうした多様な声に応え、共通のビジョンを築いていくうえで、説明責任は対話の「入口」として機能します。
3. ミュージアムの自己定義とアイデンティティ形成の手段としての説明責任
現代のミュージアムは、「過去を保存する場所」から「未来をともに創造する場」へと進化しつつあります。その中で、自らの使命や価値を社会に対して明確に伝える能力こそが、ミュージアムのアイデンティティを確立する鍵となります。
これからの時代、ミュージアムに求められる説明責任とは、単なる報告の技術や制度対応にとどまらず、組織の価値を可視化し、他者と共有する「文化的営み」としてとらえることが必要です。そして、それは過去にとらわれるのではなく、未来をひらくための対話の実践であるといえるでしょう。
参考文献
- Dainelli, Francesco, Giacomo Manetti, and Barbara Sibilio. “Web-Based Accountability Practices in Non-profit Organizations: The Case of National Museums.” Voluntas, vol. 24, no. 3, 2013, pp. 649–665. https://doi.org/10.1007/s11266-012-9278-9. ↩︎
- Overman, Sjors. “Aligning Accountability Arrangements for Ambiguous Goals: The Case of Museums.” Public Management Review, vol. 23, no. 8, 2021, pp. 1139–1159. https://doi.org/10.1080/14719037.2020.1722210. ↩︎
- Chiaravalloti, Francesco. “Performance evaluation in the arts and cultural sector: A story of accounting at its margins.” The Journal of Arts Management, Law, and Society 44.2 (2014): 61-89.https://doi.org/10.1080/10632921.2014.905400 ↩︎
- Rossi, Francesca, et al. “Changing Performance Measurement Towards Enhanced Accountability: Insights from the British Museum.” International Journal of Public Sector Performance Management, vol. 2, no. 4, 2016, pp. 331–347.https://doi.org/10.1504/IJPSPM.2016.079716 ↩︎
- Overman, Sjors. “Aligning Accountability Arrangements for Ambiguous Goals: The Case of Museums.” Public Management Review, vol. 23, no. 8, 2021, pp. 1139–1159. https://doi.org/10.1080/14719037.2020.1722210. ↩︎
- Abdullah, Aminah, and Iqbal Khadaroo. “The Governmentality and Accountability of UK National Museums and Art Galleries.” Accounting Forum, vol. 40, no. 3, 2016, pp. 234–245. https://doi.org/10.1016/j.accfor.2016.12.004. ↩︎
- Abdullah, Aminah, and Iqbal Khadaroo. “The Governmentality and Accountability of UK National Museums and Art Galleries.” Accounting Forum, vol. 40, no. 3, 2016, pp. 234–245. https://doi.org/10.1016/j.accfor.2016.12.004. ↩︎
- Carnegie, Garry D., and Peter W. Wolnizer. “Enabling Accountability in Museums.” Museum Management and Curatorship, vol. 15, no. 4, 1996, pp. 371–386. https://doi.org/10.1016/S0260-4779(96)00053-2. ↩︎
- Legget, Jane. “Shared Heritage, Shared Authority, Shared Accountability? Co-Generating Museum Performance Criteria as a Means of Embedding ‘Shared Authority’.” International Journal of Heritage Studies, 2018, https://doi.org/10.1080/13527258.2017.1413679. ↩︎
- Brown, Alistair M. “The Challenges of Accountability in a National Museum.” Museum Management and Curatorship, vol. 29, no. 4, 2014, pp. 311–326. https://doi.org/10.1080/09647775.2014.944788. ↩︎