はじめに
ミュージアムショップは、博物館の出入口に設けられた「おみやげ売場」として、長らく補助的な存在と見なされてきました。展示室をめぐったあとに通り抜ける“出口空間”として、多くの来館者にとってはあくまで付随的な体験であり、学術的・文化的な議論の対象となることは限られていました。しかし近年、博物館を取り巻く経営環境や来館者の意識の変化に伴い、この空間の役割と価値が大きく見直されつつあります。
特に注目すべきは、ミュージアムショップが「収益施設」であると同時に、「文化的意味の創出装置」として機能しうる点です。グッズを手に取ることは、単なる購買行動ではなく、展示で得た知識や感動を再確認し、記憶として定着させる行為とも言えます。McIntyre(2010)が述べるように、来館者はショップを通じて体験の意味を再構成し、展示との関係性を自らの中に取り込むプロセスを経験しています。ショップは、鑑賞体験と日常をつなぐ“文化の媒介空間”ともいえるのです。
さらに、ミュージアムショップは、博物館のブランドやミッションを視覚的・触覚的に体現する場でもあります。展示と一貫した世界観を持つグッズ、地域素材やエシカルな商品ラインなどを通じて、来館者に対してメッセージ性のある体験を提供することができます。こうした設計次第では、ショップは館の“理念を語るもう一つの展示空間”となり得るのです。
本稿では、ミュージアムショップの価値を、①文化的価値、②経済的価値、③倫理的・社会的価値という三つの観点から整理した上で、それらを支えるブランディングや空間設計の視点、展示や教育との統合の可能性についても考察します。単なる物販施設ではなく、博物館の未来を担う「収益と公共性の接点」としてのミュージアムショップの可能性を、経営と文化の両側面から見つめ直していきたいと思います。
ミュージアムショップの三つの価値とは?
ミュージアムショップを単なる販売空間としてではなく、博物館の中核的な機能の一部として再評価するためには、まずそのもつ多面的な価値を丁寧に捉え直す必要があります。本節では、ミュージアムショップの果たす意義を、①文化的価値、②経済的価値、③倫理的・社会的価値の三つの観点から整理します。これらはしばしば独立して論じられがちですが、実際には相互に関係し合いながら、来館者体験や博物館のブランド形成、持続可能な運営を支える基盤となっています。
まず第一に、文化的価値としてのショップの機能が挙げられます。ミュージアムショップには、展示で得た知識や感動を来館者が再確認し、記憶として持ち帰るための媒介的な役割があります。図録や書籍などの定番商品に加え、展覧会テーマに即したオリジナルグッズやアーティスト監修のアイテムなどが、来館者の文化的関心と結びつき、個人の文脈の中に再編成されるのです。McIntyre(2010)は、このプロセスを「意味の共創(co-creation of meaning)」と呼び、展示とショップを断絶したものではなく、一体化した体験空間として捉える必要があると述べています。
次に、経済的価値としての観点です。多くの博物館が入館料収入や行政補助に依存する中で、ミュージアムショップは貴重な自主財源の柱として位置づけられます。単なる収益確保の場ではなく、館の理念と整合する商品を通じて、文化と経済を接続する空間と見ることができます。Li et al.(2021)の研究では、ミュージアムグッズに対する「知覚価値(perceived value)」が購買意欲に強い影響を与えることが明らかにされており、その価値は単なる価格や実用性にとどまらず、情緒的・文化的・社会的側面を含んでいます。すなわち、商品は「記憶」や「所属感」といった非物質的価値を帯びることで、来館者の購買行動を動機づけているのです。
そして第三に、近年特に注目されているのが、倫理的・社会的価値です。環境に配慮した素材の使用、フェアトレード製品の導入、地域産業とのコラボレーションなど、ショップを通じて社会的責任を果たそうとする動きが広がっています。これは単なるイメージ戦略ではなく、博物館が市民との関係性を築き直し、持続可能な社会の構築に寄与する文化施設としての姿勢を示す重要な手段です。たとえば地元の職人や作家と協働して商品を開発することは、来館者にとっての“地域とのつながり”を生むだけでなく、地域経済の循環にも寄与する可能性を持っています。
以上のように、ミュージアムショップは「売上を上げるための施設」ではなく、文化的な意味を形にし、収益性を高め、社会的価値を可視化するという、三つの次元を交差させる空間として再定義されるべき存在です。次節では、それらの価値をどのように実際の運営戦略に落とし込んでいくか、ブランディングや空間設計の観点から検討していきます。
ブランドと体験価値を設計する ― 商品と空間の戦略的展開
ミュージアムショップにおいて、来館者が経験するのは単なる「買い物」ではありません。むしろそれは、展示で得た印象や感動を再構成し、手元に残る“モノ”を通して自らの文化的関心を再確認する体験です。こうしたショップの体験価値は、単に商品ラインナップの充実度や販売促進の仕掛けによって決まるものではなく、博物館のブランドと一貫した設計思想によって構築される必要があります。
ブランドとは、単なるロゴや名称ではなく、「その博物館らしさ」を構成する文化的意味の集積です。展示の内容、建築やグラフィック、そしてショップの商品までもが、来館者に対して一つの物語として作用するように設計されるべきです。
Trabskaia et al.(2019)は、サンクトペテルブルクに所在する5館の博物館ショップを調査し、各館のショップがいかに都市ブランドと連携しながら地域アイデンティティを形成しているかを明らかにしました。彼らの分析によると、展示テーマや建築様式と一致するショップデザインや、地元の文化資源を活用した商品開発が、訪問者に対して「その都市らしさ」を印象づける重要な要素として機能していました。これは、ミュージアムショップが単に博物館の一部であるだけでなく、都市や地域のブランド形成にも関与しうることを示唆しています。
また、来館者の体験価値は、商品そのもの以上に、空間全体の演出や動線設計と密接に結びついています。
Komarac et al.(2017)は、ヨーロッパの複数のミュージアムを対象に、来館者満足度とミュージアムマーケティング戦略の相関を調査し、ショップ体験と展示体験の一貫性が来館者の評価に大きな影響を与えていることを示しました。特に、展示室から自然に誘導される配置や、関連商品の適切なディスプレイ、素材や照明を含めた空間の統一感が、来館者の購買意欲や満足感を高めていると結論づけられています。
さらに重要なのは、ショップが「体験を閉じる場」ではなく、「意味をもう一度ひらく場」として機能する設計です。McIntyre(2010)は、イギリスの複数の博物館を事例に、ショップ空間を来館者が展示で得た印象を内省し、自己の関心と結びつける「共創的空間(co-creative space)」と位置づけています。ショップは、来館者が自らの文化的記憶をモノという形で“所有”し、展示体験を再構成するプロセスを支援する空間なのです。
商品開発の面でも、来館者の情緒的・社会的関心に応える設計が求められています。Li et al.(2021)は、故宮博物院の来館者を対象に、文化創造商品の購買意欲に影響を与える要因を調査し、「知覚価値(perceived value)」のなかでも情緒的価値・社会的価値・象徴的価値が特に強い影響を持つことを実証しました。単なる実用性だけでなく、「この商品を通じて自分が文化に参加している」という感覚が、購買動機を生み出す鍵となっているのです。
このように、ミュージアムショップのブランドと体験価値は、展示や空間と断絶した“別の領域”ではなく、博物館全体の体験を支える中核的な要素であるといえます。次節では、こうしたショップ空間が展示や教育活動とどのようにつながりうるのかを検討し、来館者にとって意味ある“共創”の場としての可能性をさらに掘り下げていきます。
学芸との協働によるショップの価値拡張 ― 展示と教育をつなぐ商品開発
ミュージアムショップが単なる販売空間を超え、展示や教育活動と連携した“拡張された展示空間”として再定義されるためには、学芸員との協働による商品開発が不可欠です。学芸的知見に基づく商品ラインナップは、単に展示と関連するという以上に、来館者が展示内容を自らの知識として再構成する学習プロセスを支援する装置となります。
この視点を明確に示しているのが、McIntyre(2010)の共創的空間論です。彼は、ミュージアムショップを「展示で得た情報や感動を、個人の意味づけを通じて“所有”する場」であると述べています。商品開発に学芸部門が関わることで、その“意味づけの材料”となる商品が単なるイメージやデザイン性に頼らず、学術的な裏付けをもったものとして来館者に提示されることになるのです。
たとえば、展示資料の複製や復元アイテム、テーマに沿った教材的要素を持つグッズなどは、展示の学習効果を強化する手段として位置づけられます。実際に、博物館によっては子ども向け展示にあわせて“まなびブック”や“自由研究キット”などをショップで販売しており、これは展示室では補いきれない学びの深化を支援する機能を果たしています。
さらに、学芸員が商品解説文(POP)やパッケージの監修に関与することによって、グッズそのものが“教育メディア”としての側面を持ち始めます。これは、来館者にとっての“気づき”や“問い”を引き出すきっかけとなり、展示への再注目や他者との対話の促進にもつながります。
このような学芸協働による商品開発は、教育普及活動とも深く関係します。たとえば、AR体験やアプリ連携の仕組みをショップと連動させることで、展示体験と商品体験がシームレスにつながる構造をつくることも可能です。特定のグッズにQRコードを添付し、購入後に展示解説や映像資料にアクセスできるようにすれば、来館後の学習や探究を促す「継続的なエンゲージメント」が生まれます。
このように、ショップは「教育と経営の交差点」として、学芸と連携することで多層的な機能を担う可能性があります。それは、単に「売上を支える施設」ではなく、「展示で得た知識や感動を、日常に持ち帰ることができる装置」であり、また「学芸員の専門性を社会に開くメディア」としても機能するのです。
今後の博物館経営においては、ショップ運営に関する決定を単に販促・販売部門だけで行うのではなく、展示・教育・学芸部門と横断的に連携しながら、“学びの拡張空間”として設計していく視点が一層重要となるでしょう。
ミュージアムグッズと来館者心理 ― 感情価値と所有意識
ミュージアムショップでの購買体験は、展示の延長であると同時に、来館者の内面的な意味づけのプロセスでもあります。特に注目すべきは、来館者が商品に込める感情的な価値と、購入によって得られる**“所有”の感覚**です。これは単なる消費行動とは異なり、展示体験や文化的記憶を「自分のものにする」行為でもあります。
このような視点を理論的に裏づけるのが、Shtudiner et al.(2019)の研究です。彼らはイスラエルの宗教的観光地を対象に、訪問者が土産物に対して感じる「保有効果(endowment effect)」を調査し、商品が単なる物理的価値を超えて、宗教的・感情的な意味を内包する記憶媒体として機能していることを明らかにしました。この研究は、文化施設におけるグッズもまた、来館者にとって象徴的意味や感情的つながりを持つ可能性があることを示唆しています。
こうした感情的価値は、展示によって喚起された感動や学びが「所有される体験」として完結する場として、ミュージアムショップを特徴づけます。来館者は、展示を見たあとに商品を選び、それを持ち帰ることで、「あの時、あの場所で感じたこと」を手元に置くことができるのです。これは、グッズが個人の記憶装置として機能していることを意味します。
Li et al.(2021)の調査では、ミュージアムグッズに対する「情緒的価値」や「社会的価値」が、価格や機能性以上に購買意欲を高める要因であることが実証されました。来館者は、ある商品が自分の感情や信念、あるいは社会的な役割(たとえば「アートを支援する自分」)と一致しているときに、より強い購買意欲を持つというのです。これは、グッズを通じた「自己表現」や「文化的アイデンティティの可視化」とも捉えられます。
こうした視点からすれば、ミュージアムショップは「展示の思い出を象徴する商品を選ぶ場」であると同時に、「自分が何に関心を持ち、何を大切にするかを再確認する場」でもあります。商品を手に取ることは、文化的な意味を内面化し、自らの価値観と照らし合わせるプロセスであり、それは来館者にとって深い情緒的関与を伴う体験なのです。
このような来館者心理に配慮した商品設計を行うことは、経営戦略上も大きな意義を持ちます。感情的価値を伴った商品は、単に購入単価を上げるだけでなく、リピート意欲やクチコミ、ファン形成といった長期的な効果にもつながります。これは「消費者」というよりも「支援者」「仲間」としての来館者を意識したミュージアム経営の基盤にもなり得るでしょう。
おわりに ― 博物館の“文化の場”としてのハイブリッド施設
本章では、ミュージアムショップをめぐる多様な価値と機能について、文化的・経済的・社会的な観点から検討してきました。ミュージアムショップはもはや、単なる物販のための空間でも、展示から切り離された補助的な施設でもありません。それは、来館者体験を持続させ、博物館の理念を日常に接続する「文化の場」として、経営とミッションの交差点に位置する空間なのです。
展示で得た感動や知識を“所有”するためのモノとして、グッズは来館者の記憶を象徴し、体験を延長させる媒体となります。また、エシカルな商品や地域との連携は、博物館が社会に対してどのような価値を提供し、どのような関係性を築こうとしているのかを表現する手段でもあります。経営的には、自主財源の確保だけでなく、来館者との関係をより深く、継続的に育てるための戦略的拠点として機能します。
重要なのは、これらの価値がそれぞれ独立して存在するのではなく、統合的に設計されることで初めて“博物館らしい”ショップとなり得るという点です。展示のストーリーと接続した商品、ブランドイメージと一致する空間演出、そして学芸員や教育担当との連携による商品開発。こうした要素が結びつくとき、ミュージアムショップは、展示・教育・経営の三者をつなぐハイブリッドな文化空間として立ち上がります。
これからのミュージアム経営においては、ショップを単なる“売場”として運営するのではなく、意味・体験・記憶を媒介する空間として戦略的に位置づける視点が求められます。そのためには、デザイン、マーケティング、学芸、教育、財務といった部門を横断するチームによる企画と運営が不可欠です。
ミュージアムショップは、文化の記憶と日常の生活とを結びつける、極めて公共的な空間です。そのポテンシャルを最大限に引き出すことこそが、持続可能な博物館経営の実現において、今後ますます重要な戦略となっていくでしょう。
参考文献
Komarac, T., Ozretic-Dosen, D., & Skare, V. (2017). Museum marketing and visitor satisfaction. Academia Revista Latinoamericana de Administración, 30(2), 186–203.
Li, Y., Zhu, H., Wang, W., & Yang, Z. (2021). Influence of perceived value on purchase intention of museum cultural and creative products: An empirical study on the Palace Museum. Sustainability, 13(4), 2412.
McIntyre, C. (2010). Designing museum and gallery shops as integral, co-creative retail spaces within the overall visitor experience. Museum Management and Curatorship, 25(2), 181–198.
Shtudiner, Z., Klein, G., Zwilling, M., & Kantor, J. (2019). The value of souvenirs: Endowment effect and religion. Annals of Tourism Research, 74, 17–32.
Trabskaia, I., Shuliateva, I., Abushena, R., Gordin, V., & Dedova, M. (2019). City branding and museum shops: A case study of St. Petersburg museums. Journal of Place Management and Development, 12(4), 529–544.