はじめに
博物館は、単に展示を行う施設ではありません。文化資源を守り、次世代へと伝えるという長期的な使命を担いながら、同時に地域社会とのつながりを育み、来館者の多様なニーズに応えていくことが求められています。そのような複雑で重層的な役割を果たすためには、「運営の指針」となるビジョンを明確に掲げ、それを着実に実行へとつなげるための計画的な枠組みが必要不可欠です。
しかし、「経営計画」という言葉に対して、多くの博物館関係者や学芸員課程の学生が「企業のような営利組織の概念では?」と違和感を抱くことも少なくありません。確かに経営計画という概念は、もともと企業経営の分野で発展してきたものです。しかし近年では、非営利組織や公共文化機関においても、「ミッションに基づく計画的なマネジメント」が重視されるようになってきました。
とりわけ、少子高齢化や地域の財政的制約が進行する中で、博物館が持続可能な運営を目指すためには、計画的な視点での戦略立案と成果の可視化が避けて通れない課題となっています。加えて、外部ステークホルダーに対する説明責任や、館内スタッフとの合意形成を支える道具としても、経営計画は重要な役割を果たします。
本記事では、「博物館における経営計画とは何か?」という根本的な問いに立ち返りながら、その意義と構成、そして実際の策定プロセスまでを整理していきます。営利企業とは異なる公共文化機関ならではの特性に配慮しつつ、「戦略と実行の橋渡し」としての経営計画の姿を、実務と理論の両面から見つめ直していきたいと思います。
経営計画とは何か
計画と戦略はどう違うのか
博物館経営における「戦略」と「計画」は、密接に関わりながらも本質的に異なる役割を担っています。
戦略とは、組織の存在意義や長期的なビジョンに基づき、「何を優先すべきか」「どの方向へ向かうべきか」といった大局的な判断を行うための方針や枠組みです。戦略が組織の未来像や社会における立ち位置を描く「羅針盤」だとすれば、経営計画はその戦略を現実に落とし込み、「どうすれば実現できるのか」を示す「航路図」にあたります。
たとえば、ある歴史博物館が「地域の若年層に歴史への関心を高めてもらう」ことを中期的な戦略目標として掲げた場合、その戦略の下には複数の施策が必要となります。高校との連携による学習プログラム、SNSでの情報発信、ナイトミュージアムの開催、デジタル展示の導入などが想定されるでしょう。
このとき、経営計画は、こうした施策を「いつ・誰が・どのように・どの資源で」実行し、「どう評価するか」を体系立てて整理したものです。つまり、戦略が「目的地」ならば、経営計画は「ルートと方法」であり、組織全体が同じ方向を見ながら日々の意思決定を行うための土台となるのです(Allison & Kaye, 2003)。
なぜ今、博物館に経営計画が必要とされるのか
かつての博物館は、展示と収蔵を中心に据えた比較的静的な施設として位置づけられてきました。しかし、21世紀に入り、社会的・制度的環境が大きく変化する中で、博物館はより多様な機能と役割を担うことが求められています。
少子高齢化や地域格差の進行により、来館者の構成は変化し、従来の固定的なプログラムでは対応しきれなくなってきています。さらに、自治体の財政難や指定管理者制度の拡大により、運営の効率性や成果の可視化が強く求められるようになりました。また、パンデミック以降の社会では、デジタル化やハイブリッド展示など、新たな運営形態への柔軟な対応も不可欠となっています。
こうした状況下で、計画性のない運営は、場当たり的な対応に終始し、組織の方向性を見失うリスクをはらんでいます。経営計画は、変化の激しい環境においてこそ、組織が自らの立場を再確認し、外部との関係性を再構築するための「再起動のプラットフォーム」としての意義を持ちます。
特に博物館のような公共文化機関においては、民間企業のような利益の最大化ではなく、「公共的な価値の創出」が中心となります。そのため、経営計画においても、ミッションや社会的意義に基づいた目標設定と、文化的・教育的成果の可視化が不可欠です(Bradburne, 2001; Camarero & Garrido, 2009)。
さらに、経営計画は「外部への説明責任」と「内部の合意形成」という二つの機能を担います。自治体や文化庁、地域住民、関係機関など、多様なステークホルダーに対し、自館がどのような方針のもと、どのような成果を目指して活動しているのかを説明し、理解と支援を得るためには、明確な計画の存在が欠かせません。
同時に、館内の職員やボランティア、協力者といった「内部の構成員」が、共通の方向性を持ち、組織として一貫性のある行動をとるためにも、経営計画は「共通言語」として機能します。これは、現場の多忙さや分断の中でこそ、むしろ重要性が増していく要素だと言えるでしょう。
最後に強調しておきたいのは、経営計画は「一度つくれば終わり」ではないという点です。むしろ、その価値は実施・評価・見直しという継続的なサイクルの中で発揮されます。変化に応じて柔軟に対応しながら、ミッションの実現に向けた歩みを可視化する――それこそが、現代の博物館における経営計画の本質なのです(Kovach, 1989; Lord & Markert, 2017)。
経営計画の基本構成
経営計画は、単にやるべきことを箇条書きにする文書ではありません。そこには組織の存在意義や将来の姿、そして現実的な行動計画が一貫した論理で結びつけられている必要があります。ここでは、博物館における経営計画の主要な構成要素を4つの観点から整理していきます。
ミッション・ビジョン・バリュー(MVV)
経営計画の根幹をなすのが、「ミッション(使命)」「ビジョン(将来像)」「バリュー(価値観)」です。これらは計画策定の出発点であると同時に、すべての戦略や施策の“判断軸”となります。
まず、ミッションは、「この博物館は何のために存在するのか?」という根源的な問いへの答えです。歴史資料の保存、地域文化の継承、教育的機会の提供、あるいはコミュニティ形成の場としての役割など、その館が社会の中で果たすべき使命を明文化します。
ビジョンは、ミッションを実現する過程において、組織がどのような姿になっていたいのかという将来像を描きます。たとえば「10年後に地域の学びの中心となる」といった理想像を組織全体で共有するために重要です。
バリューは、その実現に向けた行動の指針となる価値観です。「来館者との対話を重視する」「地域と共に学ぶ」「誰もがアクセスできる空間を目指す」など、判断や行動の基盤として全体を支えます。
目標と施策の設計
MVVに基づいて構築されるのが、具体的な目標(Goals)と施策(Actions)の設計です。ここでは、抽象的なビジョンを具体的な行動にまで落とし込み、「何を・どれくらい・いつまでに・どうやって達成するか」を明確にすることが求められます。
たとえば「地域連携を強化する」という目標を、「年間5校の小学校との連携展示を実施する」といった形に明示することで、実行可能性と評価可能性が高まります。
KPI(重要業績評価指標)を設けることで、成果の見える化が可能になります。これにより、計画は実行性だけでなく、説明責任を果たすための基盤にもなります。
リソースと実行体制の設計
目標と施策が定まった後、それを「誰がどうやって担うのか」を整理するのが実行体制の設計です。
以下のような観点が求められます:
- 施策ごとの責任者の明確化
- 外部パートナーの巻き込み
- スケジュールと進捗管理
- 予算と資源の配分
また、館内の関係者による合意形成と情報共有の仕組みを計画段階から設計することも、計画の実効性を高める鍵となります。
評価と見直しの仕組み
経営計画とは本来、「学習し続ける組織」のための仕組みです。実施後の成果評価(Evaluation)と見直し(Review)が計画の質を左右します。
主な評価指標の例:
- 来館者数の推移(定量)
- 満足度アンケート(定量+定性)
- パートナーからのフィードバック(定性)
- 事業ごとのコストパフォーマンス(定量)
こうした評価は、「うまくいったかどうか」だけでなく、「何を学び、次にどう活かすか」を考えるための出発点です。評価結果を次期計画に反映することで、博物館は時間とともに進化していきます。
経営計画策定のプロセス
経営計画は、単に「思いつき」を箇条書きにしたものではありません。組織の目的や環境、リソースを的確に把握した上で、段階的に検討し、合意形成を図りながら構築されるべきものです。ここでは、博物館における計画策定の代表的なプロセスを、4つのステップに分けて解説します。
1. 現状の把握と分析
計画策定の第一歩は、現在の組織の状況を正確に理解することから始まります。この段階では、来館者数や財政状況、スタッフ構成、施設の状態といった内部情報に加えて、地域の人口動態、観光動向、競合する文化施設の動きなど、外部環境の情報も収集します。
これらの情報を整理するために有効なのが、SWOT分析(強み・弱み・機会・脅威)です。「教育普及に強みがあるが、SNS発信が弱い」「地域に協力的な学校が多いが、周辺に類似施設も多い」といった分析を通じて、自館の戦略的な立ち位置を可視化できます。
同時に、ステークホルダーとの対話も不可欠です。職員やボランティア、支援団体、行政関係者、来館者など、さまざまな立場からの声を聞くことで、「何が期待されているのか」「どこに課題を感じているのか」を把握することができます。
2. 方針と優先課題の設定
現状の分析を踏まえたうえで、次に重要なのは「どの課題に優先的に取り組むか」を明確にすることです。限られた人材・時間・資金の中で、あれもこれもと欲張るのではなく、ミッションとの整合性や成果のインパクトを基準に、取捨選択を行う必要があります。
この段階で設定するのが基本方針(重点目標)です。「地域の若年層との関係強化」「館のブランド認知向上」「アクセス向上と包摂性の確保」など、中期的な柱として機能します。
重要なのは、この方針が抽象的すぎないこと。誰が読んでも具体的なイメージが湧くような表現にすることで、職員間の理解と納得を得やすくなります。また、それぞれの方針に対して「何をもって達成とみなすか」の基準もあらかじめ考慮しておくことが望まれます。
3. 行動計画の策定と資源配分
続いて、基本方針を具体的な活動に落とし込んでいく「アクションプラン」の策定に移ります。以下のような項目を整理していきます。
- 具体的な取り組み内容(例:高校生向けガイドツアーの新設)
- 実施時期(例:年間3回、7月・10月・2月)
- 担当部署・責任者(例:教育普及担当と連携)
- 協力機関・連携先(例:市教育委員会、高校)
- 必要な予算と人的リソース(例:ガイドスタッフの再研修)
この段階で活用できるのが、ロジックモデルやガントチャートといった可視化ツールです。進捗確認や館内での共有にも役立ちます。
また、リスクと制約も明確にしておく必要があります。予算が獲得できなかった場合の代替案や、連携先との調整が難航した場合の対応策などを想定することで、実行可能性が大きく高まります。
4. 合意形成と組織内の浸透
計画をつくることと、それを“動かす”ことは別物です。良い計画があっても、現場の職員が「知らない」「関心がない」「納得していない」状態では、期待された効果を発揮できません。
そのため、策定した計画を館内でどのように共有し、日常業務にどう組み込んでいくかという「組織内浸透」の視点が極めて重要になります。
定例会議での確認、進捗報告の仕組みづくり、館内掲示やイントラネットでの共有、職員同士の対話の機会などを意図的に設けることが効果的です。
また、計画は“完成された正解”ではありません。試行錯誤を繰り返しながら、評価とフィードバックによって更新していく「柔らかいドキュメント」であるべきです。職員が「参加できる」「自分の声が反映されている」と感じられる計画は、現場に根づき、持続可能な実行力を持つようになります。
まとめ ― 博物館における計画的経営の意義
本記事では、「経営計画とは何か?」という問いに立ち戻りながら、博物館における戦略的マネジメントの構造と、その策定・運用プロセスについて考察してきました。現代の博物館は、文化的価値の担い手であると同時に、社会の変化に対応しながら継続的に発展していくことが求められる公共的組織です。
その中で、経営計画は単なる内部文書ではなく、組織の未来像を言語化し、職員とステークホルダーをつなぐ「対話のプラットフォーム」として機能します。計画を通じて、ミッションやビジョンが現場の日常業務とつながり、組織全体が一つの方向を目指して進む基盤が築かれます。
また、計画には「透明性」と「説明責任」を伴う力があります。公共文化機関として、社会の信頼を得るためには、自らの選択と行動の根拠を明確に示し、その成果と課題を振り返りながら歩み続ける姿勢が求められます。
そして何より、経営計画は固定された正解を記すものではなく、「変化に応じて進化するための思考の器」として捉えることが重要です。評価と見直しを通じて学びを重ね、組織が成長し続けるための起点として、経営計画はこれからの博物館経営において、ますます重要な位置を占めていくことでしょう。
参考文献
- Allison, M., & Kaye, J. (2003). Strategic planning for nonprofit organizations: A practical guide and workbook (2nd ed.). Wiley.
- Bradburne, J. M. (2001). A new strategic approach to the museum and its relationship to society. Museum Management and Curatorship, 19(1), 75–84.
- Camarero, C., & Garrido, M. J. (2009). Improving museums’ performance through entrepreneurial and market-oriented behavior. Museum Management and Curatorship, 24(4), 297–317.
- Kovach, B. (1989). Strategic planning and management for museums. Museum News, 68(4), 52–59.
- Lord, G. D., & Markert, K. (2017). The manual of strategic planning for cultural organizations: A guide for museums, performing arts, science centers, public gardens, heritage sites, libraries, archives. Rowman & Littlefield.