はじめに:大学ミュージアムとは何か
大学にミュージアムが存在する理由について考えるとき、多くの方が素朴な疑問を抱くのではないでしょうか。大学には研究室や図書館、講義室といった教育研究のための施設が整っていますが、それでもなお「博物館」という専門施設が必要とされるのはなぜかという問いです。大学ミュージアムは何のために存在し、どのような価値を生み出すのかという問題は、学芸員課程の学生や博物館職員、さらに大学関係者にとって避けて通れないテーマです。
大学ミュージアムの役割を理解する上で最も重要な鍵となるのが、1683年にオックスフォード大学で開館したアシュモレアン博物館です。アシュモレアンは「世界最初の大学ミュージアム」とされており、その成立過程には、現代の大学ミュージアムが担う三つの役割、すなわち研究・教育・公共性のすべてがすでに組み込まれていました。この点については、アシュモレアンこそが大学ミュージアムの構造を最初に制度化した事例であると指摘されており(Simpson, 2022)、公式サイトにおいても、アシュモレアンが “Britain’s first public museum” として広く社会に開かれていた事実が強調されています(Ashmolean Museum, n.d.)。
大学ミュージアムを特徴づける三本柱である研究・教育・公共性は、単なる機能の分類ではありません。むしろ、大学が果たすべき基盤的使命と深く結びついており、物質資料(objects)を通じてこれらを統合的に実現する枠組みとして理解できます。アシュモレアン博物館は、この三位一体を制度化することで、大学が知識を創造し、学生に伝え、さらに社会へ還元するという一連の流れをミュージアムという仕組みの中で可視化しました。そのため、大学ミュージアムとはなにかを考えるとき、アシュモレアンを起点とするアプローチは最も本質に近づきやすいのです。
本記事では、Simpson(2022)およびアシュモレアン博物館公式情報に基づき、この博物館の誕生と背景をたどりながら、大学ミュージアムが果たす三本柱の意味を整理していきます。大学制度、学問の発展、そして社会との関係を理解するために、アシュモレアンの事例はきわめて優れた手がかりとなります。まずはこの博物館がどのように誕生し、どのような歴史的意義をもっていたのかを確認することから始めたいと思います。
アシュモレアン博物館の起源と成立
大学ミュージアムの役割を理解するためには、まずアシュモレアン博物館がどのように誕生したのかを丁寧にたどる必要があります。アシュモレアンは1683年にオックスフォード大学で開館し、「世界最初の大学ミュージアム」として位置づけられていますが、その起源には17世紀ヨーロッパにおける知の文化や寄贈の思想、学術的実践の変化など、さまざまな要素が結びついています。これらを整理することで、大学ミュージアムという制度がどのように成立し、後に研究・教育・公共性という三本柱を育んでいくことになったのかを理解することができます。
Tradescantコレクションと「驚異の部屋」文化
アシュモレアン博物館の前史として重要なのは、ジョン・トレードスカント父子が収集した「Tradescantコレクション」です。17世紀ヨーロッパでは、自然物や人工物を集める「驚異の部屋(cabinet of curiosities)」文化が広がっており、世界各地からもたらされた珍品を通して知識や世界像を把握しようとする潮流が存在しました。トレードスカント父子は植物・動物・鉱物、さらには工芸品や異文化の資料などを幅広く収集し、それらを分類・整理しながら体系的なコレクションへと発展させていきました。
こうしたコレクションは単なる好奇心の産物ではなく、自然史や工芸技術、海外文化への理解を深める知識インフラとして、当時の知的世界で重要な役割を果たしていました。大学ミュージアムの成立には、この「物によって知を理解する」という文化的基盤が大きく関わっていたと考えられます。
Elias Ashmoleによる継承と大学への寄贈
このコレクションを引き継いだのが、収集家・学者として知られるエリアス・アシュモールでした。アシュモールはTradescantコレクションを継承した後、資料の再整理や目録化を進め、コレクションを学術的に活用できる状態へと整えていきました(Simpson, 2022)。当時、自然哲学や医学、考古学などの分野では、現物資料をもとにした比較研究や観察が重要視されつつあり、アシュモールはコレクションを大学に寄贈することで、知識の継承と学術研究の発展に貢献できると考えていました。大学という場は、コレクションに学術的価値を付与し、教育・研究の基盤として活かすことのできる最適な受け皿であったのです。
オックスフォード大学がこの寄贈を受け入れた背景には、17世紀の高等教育において、学術的威信や研究資源の充実が大学の評価を左右する重要な要素となっていた事情があります。大学は書物だけでなく実物資料を用いた学術活動を重視するようになっており、寄贈コレクションを新たな知識の基盤として活用できると判断したことが大きな理由といえます(Simpson, 2022)。
専用博物館建築としてのアシュモレアン
コレクションの寄贈に続き、大学は1683年に専用の博物館建築を建設しました。この建物は研究室、講義室、展示室、貯蔵庫が一体となった空間構造を備えており、学術研究と教育、そして資料公開を同時に実現する機能的な設計になっていました。書物を読む学問から、観察・比較・実物に基づく学問へと移行しつつあった17世紀の大学にとって、博物館は知識の創造と伝達を担う中核的施設となることが期待されていたのです。アシュモレアン博物館は専用建築として計画的に設計され、大学ミュージアムという制度の最初の具体的形態を示しました(Simpson, 2022)。
また、この博物館は「英国初のパブリック・ミュージアム」として一般公開されていました。アシュモレアン公式サイトでも “Britain’s first public museum” と明記されており、大学のコレクションを社会に開くという革新的な姿勢が示されています(Ashmolean Museum, n.d.)。当時の大学は必ずしも市民向けの公開機関ではありませんでしたが、アシュモレアン博物館は大学の知識を社会に共有し、市民の学習や好奇心に応える公共的な空間として機能しました。これは後に「大学の第三の使命」と呼ばれるpublic engagementの起源とも捉えることができます。
科学革命と大学ミュージアム誕生の必然性
アシュモレアン博物館が成立した17世紀は、科学革命が進行し、観察・実験・分類といった方法論が確立しつつあった時期でもあります。自然哲学、医学、天文学、考古学などの領域で、実物資料に基づく経験的知識が重視されるようになり、大学は知識を創造する場所としてその役割を拡大していました。こうした時代背景の中で、博物館は研究資源としての標本を集積し、教育資源として学生に観察の機会を提供し、さらに大学の知を市民に開く公共的施設として形成されました。アシュモレアン博物館の成立が、研究・教育・公共性という三本柱を自然に備えた理由は、この時代の学術文化に深く根ざしているといえます。
大学ミュージアム誕生プロセスの意味
以上のように、Tradescantコレクションの形成、アシュモールによる寄贈、大学が専用建築を整備して開館に至った経緯は、大学ミュージアムが誕生するために必要な要素が段階的に組み上がったプロセスでした。この成立の経緯をたどることで、大学ミュージアムが当初から研究・教育・公共性を一体として担っていたことが理解できます。次の節では、この三本柱のうち最初の柱である「研究の基盤としての大学ミュージアム」について、その具体的な役割と歴史的意義をさらに詳しく見ていきます。
研究の基盤としての大学ミュージアム
大学ミュージアムの研究機能とは何か
大学ミュージアムが果たす役割のなかでも、研究の基盤として機能するという点は最も重要な柱の一つです。大学は知識を創造し更新する機関であり、その活動には多様な資料や標本を長期的かつ体系的に保持・活用できる環境が欠かせません。こうした研究基盤としての役割を担うために、大学ミュージアムは書物では得られない知識を経験的に生成する場として発展してきました。アシュモレアン博物館はまさにこの研究機能を最初から備えていた点に独自性があり、現代の大学ミュージアムのあり方を理解する上で不可欠な事例といえます。
アシュモレアンが研究施設として成立した理由
アシュモレアン博物館が研究施設として成立した理由の一つは、その建築構造にあります。1683年の開館時、アシュモレアンには研究室・講義室・展示室・貯蔵庫が一体化した空間が整備されていました(Simpson, 2022)。当時の大学にとって、研究と教育を結びつける施設を計画的に整えることは革新的であり、実物資料に基づく学問の展開が促進される理想的な環境といえました。自然哲学・医学・考古学など、物質資料をもとにした観察や比較を必要とする学問領域にとって、こうした環境は研究の発展を大きく支えるものでした。
初代Keeper Robert Plotの研究活動
アシュモレアンの研究基盤としての役割を象徴する人物が、初代Keeperを務めたRobert Plotです。Plotは自然哲学者であり、標本を用いて観察・分類・実験を行う研究活動を進めました(Simpson, 2022)。彼は鉱物・植物・動物・考古資料など多様な標本を扱い、その観察結果をもとに地域社会に関する知識や自然現象の理解を深める研究を行っていました。Plotの研究は、ミュージアムという場が学問の創造においてどれほど重要な役割を果たし得るかを示す象徴的な実践でした。
さらに、Plotの研究活動は大学内部だけでなく地域社会にも影響を与えており、実物資料に基づく研究の成果が、地域の自然や文化の理解に貢献していた点は注目に値します。アシュモレアン公式サイトでも、Plotの活動が博物館の初期の研究的性格を形成した要因として紹介されており、大学ミュージアムが学術的枠組みを超えて地域と知識を共有していたことが確認できます(Ashmolean Museum, n.d.)。
物質資料が新しい学問を支えたことの意義
大学ミュージアムが研究の基盤であるとされる理由は、物質資料(objects)が学問の発展において特別な役割を果たしたことにあります。17世紀は科学革命の時代であり、観察・分類・実験といった経験的手法が急速に発展しました。こうした方法論は、書物だけでは得られない気づきをもたらし、実物に触れながら理解を深める学問を可能にしました。植物標本や鉱物標本、工芸品、遺物などを比較し、その特徴を分析することは、新たな研究分野の確立につながりました。たとえば分類学や古生物学、考古学といった分野では、現物資源の体系的な蓄積が必須であり、その場として大学ミュージアムは代替のない役割を持ちます。
標本・資料は単に保存されるだけではなく、長期にわたり研究者がアクセスできる形で管理されてきました。そのため大学ミュージアムのコレクションは、世代を超えて研究を支える資源として継承され、学問の蓄積に貢献してきました。これは単発的な展示を目的とする一般博物館とは異なり、大学ミュージアムが「研究インフラ」として位置づけられる要因の一つです。
研究インフラとしての大学ミュージアムの現代的意義
また、アシュモレアン博物館においては、研究の過程で得られた知識が教育とも密接に結びついていました。研究室と展示室が隣接し、大学の教員や学生が実物を扱いながら学ぶ環境が整備されていたため、研究と教育が同じ空間で展開されるという大学ミュージアム特有の学問構造が形成されました(Simpson, 2022)。これは、今日の大学におけるobject-based learning(実物資料を用いた学習)の起点ともなる重要な側面です。
さらに現代においては、大学ミュージアムが研究資源として果たす役割はデジタル技術によりさらに拡張されています。標本データベースの整備や3Dスキャン、デジタルアーカイブ化によって、資料は学内外の研究者に広く共有できるようになり、グローバルな研究協働の基盤が生まれています。アシュモレアンが示した研究の基盤としての役割は、現代的な文脈においても変わらず継承されているのです。
研究の柱から教育の柱へ
以上のように、アシュモレアン博物館が研究施設として成立した背景には、専用建築の整備、Plotの研究活動、そして物質資料に基づく経験的学問の発展という複数の要因が組み合わさっていました。大学ミュージアムはこうした歴史的文脈の中で、研究の基盤として不可欠な存在となり、大学が知識を創造するための中核的インフラとしての役割を担ってきました。次の節では、大学ミュージアムの第二の柱である「教育」に焦点を当て、観察学習の起源やobject-based learningがどのように発展していったのかを見ていきます。
教育の柱 ― 観察学習と大学ミュージアムの教育的役割
大学ミュージアムの教育的役割とは何か
大学ミュージアムが果たす三本柱のうち、研究と並び重要性の高い柱が「教育」です。大学は知識の創造と伝達を担う機関であり、標本や資料などの実物に直接触れながら学ぶことは、多くの学問分野において欠かせない学習過程として位置づけられてきました。とくにアシュモレアン博物館は、開館当初から研究と教育が密接に結びついた環境を整えており、大学における実物資料を活用した教育の原型を形成した点に大きな特質があります。大学ミュージアムの教育的役割がどのように生まれ、どのように形成されていったのかを丁寧にたどることは、現代の大学教育を考える上でも非常に有意義です。
アシュモレアンにおける観察学習の起源
アシュモレアン博物館では、17世紀という学問の転換期に観察学習(object-based learning)が導入されました。当時の教育は書籍に基づいた講義形式が中心でしたが、自然哲学や医学、考古学などの分野では実物資料を比較・観察することへの関心が高まりつつありました。Simpson(2022)によれば、アシュモレアンが開館した1683年の時点で、大学教育は文字情報中心の学習から、「物を手に取り、観察し、比較し、推論する」という知的実践へと移行し始めていました。この変化は、実物資料へのアクセスが容易なミュージアム空間の成立によって可能になったものです。アシュモレアンは標本や遺物、工芸資料を豊富に備え、それらを学習者が直接扱えるようにすることで、視覚・手触り・比較という総合的理解を促進する教育スタイルを実現しました。
教室と展示室がつながった学びの空間
こうした観察学習が成立した理由の一つには、アシュモレアン博物館の建築構造があります。Simpson(2022)は、アシュモレアンが研究室・講義室・展示室・貯蔵庫を統合した最初の大学ミュージアムであった点を強調しています。この統合的な空間は、教育と研究が同時進行する学問環境をつくり出し、学生や研究者が実物資料を中心に据えた学びを実践する上で重要な役割を果たしました。教員は講義室で資料の基礎的説明を行い、学生は展示室や研究室でそれらの資料を実際に観察し、講義で得た知識と実物の特徴を照らし合わせながら理解を深めることができました。このような環境は従来の大学では実現しにくく、アシュモレアンの存在自体が新しい教育スタイルを可能にしたといえます。
学問的リテラシーを育てる場としてのアシュモレアン
アシュモレアン博物館における教育は、単に資料を見せるだけでなく、学問的リテラシーを育てる場としても機能していました。観察・比較・記述といった技能は、自然史や考古学、医学など多くの分野で重要な基礎能力となります。学生が標本や遺物を比較し、特徴を読み取り、分類し、差異や共通点を見つけることは、論理的思考力や推論力を育成する教育実践として高い価値がありました。Simpson(2022)は、こうした教育的実践が新しい学問分野の成立にも寄与したと述べており、大学ミュージアムが学問方法の深化に関わっていた点は見逃せません。実物資料は学びの素材として、学生の思考を活性化し、新しい知識を発見するきっかけを生み出していたのです。
公式サイトにみるアシュモレアンの教育理念
教育の側面は、アシュモレアン博物館が一般市民に対しても開かれていた事実と密接に関係しています。アシュモレアンは英国初のパブリック・ミュージアムとして公開されており、公式サイトにも “Britain’s first public museum” と明記されています(Ashmolean Museum, n.d.)。この公開性は大学教育の枠組みを超え、広い意味での教育活動を可能にしていました。市民が収集品に触れ、知識にアクセスできる環境は、大学ミュージアムが持つ「社会に知を開く教育機能」を象徴しています。学生だけでなく一般の来館者も対象とした教育実践は、大学の社会的使命の先駆的な形態として位置づけることができます。
教育の柱から公共性の柱へ
また、教育と研究が不可分であった点は、アシュモレアンの教育理念を理解する上で非常に重要です。研究室と展示室が隣接し、研究者と学生が同じ資料を扱う環境は、知識の創造と伝達が同じ空間で行われるという大学ミュージアム特有の学びを可能にしました。実物資料へのアクセスを前提にした教育活動は、今日のobject-based learningの基盤ともなりました。大学ミュージアムは、資料を保存・展示するだけでなく、知識を育てる場として教育的役割を果たしてきたのです。
現代の大学ミュージアムにおいても、この教育機能は継承されています。資料のデジタル化や3D技術の活用により、学生はより多様な資料に触れることが可能になり、学内外の教育活動が拡張されています。こうした現代的展開は、アシュモレアンが形成した「実物資料に基づく教育」という理念が時代を超えて維持されていることを示しています。
以上のように、アシュモレアン博物館における教育の柱は、観察学習の起源、統合的学問空間の整備、学問リテラシーの形成、そして市民への公開性を含む広義の教育活動によって特徴づけられます。大学ミュージアムは、資料を通じて知識を獲得し、深める教育の中心的拠点として機能してきました。次の節では、大学ミュージアムが果たす第三の柱である「公共性」に焦点を移し、大学の知をどのように社会に開いてきたのかを検討していきます。
公共性の柱 ― 大学ミュージアムと知の開放
大学ミュージアムにおける公共性とは何か
大学ミュージアムが担う三本柱のうち、研究・教育と並び重要な位置を占めるのが公共性です。大学は知識を独占するのではなく、社会に開き、その成果を共有する役割を持っています。この公共性は現代でこそ「第三の使命」として明確に定義されますが、その起源はすでに17世紀のアシュモレアン博物館に見出すことができます。研究と教育を土台としながら、大学が社会とつながる場としてのミュージアムが成立したことは、大学の在り方そのものを変える重要な契機となりました。ここでは、アシュモレアンがどのように公共性を実現し、大学ミュージアムの制度において公共性がいかに不可欠な要素となったのかを検討します。
「英国初のパブリック・ミュージアム」であったことの意味
アシュモレアン博物館が公共性の柱を象徴する理由の一つは、「英国初のパブリック・ミュージアム」であった点にあります。公式サイトには “Britain’s first public museum” と明記されており、この記述は単なる歴史的事実ではなく、当時として画期的な大学の姿勢を表しています(Ashmolean Museum, n.d.)。17世紀の大学は一般的に市民に開かれた場所ではありませんでしたが、アシュモレアンは資料を市民に公開し、学術研究に限らない広範な教育機会を提供しました。無料で公開された展示室は、大学の知を広く社会に共有する新しい公共空間となり、大学と地域社会を結びつける役割を果たしたのです。
公共性を生んだ空間構造と制度設計
なぜアシュモレアンはこのような公共性を早い段階で実現できたのでしょうか。その要因の一つは、博物館の空間構造と制度設計にあります。Simpson(2022)は、アシュモレアン博物館が研究室・講義室・展示室を統合した空間をもっていた点を指摘しています。この構造は、学術研究の成果がそのまま市民に伝わる環境を生み出し、大学内部と外部の知識循環を促進しました。展示室に並べられた資料は学生の学びに資するだけでなく、来館者にも知識を提供し、大学の研究成果を社会へ還元する媒体となりました。この「研究・教育・公開」が一つの建物の中で同時並行的に行われる仕組みこそ、公共性を支える重要な制度的特徴だったといえます。
公共性が大学にもたらした影響
また、アシュモレアンにおける公共性は、大学と社会の関係にさまざまな影響を与えました。まず、大学の社会的評価が高まり、学外からの信頼が向上しました。市民が大学にアクセスできる空間が生まれたことで、大学は閉ざされた学術機関ではなく、地域社会の学びに寄与する公共的存在として認識されるようになりました。さらに、市民が展示や資料に触れる機会が増えることで、学問に対する関心や理解が深まり、大学の研究への寄付や資料提供が増えるという循環も生まれました。Simpson(2022)は、大学ミュージアムが公共空間として機能することが、研究資源の充実に寄与する点を指摘しており、公共性が大学内部の発展にも直接的に結びついていたことがわかります。
公共性は単に「大学が社会に貢献する」という外向きの性格を持つだけでなく、教育と研究の質を向上させる内向きの機能も担っていました。市民が展示を訪れ、問いを発し、資料に対する反応を示すことは、大学にとって重要なフィードバックとなり、教育や研究の方向性を見直す契機となりました。このように公共性は、大学内部と外部を双方向につなぐ役割を果たしており、大学ミュージアムの活動全体を支える基盤として位置づけられていたのです。
アシュモレアンの公共性の継承と現代化
現代のアシュモレアン博物館に目を向けると、その公共性が多様な形で継承・発展していることがわかります。公式サイトでは、学校教育との連携、市民参加型ワークショップ、学芸員によるレクチャー、家族向けプログラムなど、多様なPublic Engagement活動が紹介されています(Ashmolean Museum, n.d.)。さらにデジタル技術の発展により、オンライン展示やコレクションデータベースを通じて、世界中の人々が資料にアクセスできるようになっています。こうした取り組みは、アシュモレアンが持つ「公共性の起源」が、時代とともに姿を変えながらも、大学ミュージアムの根幹に据えられ続けていることを示しています。
三本柱の統合としての公共性
大学ミュージアムの公共性は、研究と教育という二つの柱と密接に連動しています。研究成果は展示や解説を通して市民に伝えられ、教育活動は来館者との対話やワークショップによって深められます。このような活動を通して、大学ミュージアムは「知識の生成」「知識の伝達」「知識の共有」という三位一体の使命を同時に果たしています。Simpson(2022)も、近代大学ミュージアムが研究・教育・公開の三機能を統合的に担う場として成立した点を強調しており、アシュモレアンの事例はその最初期のモデルといえます。
以上のように、アシュモレアン博物館の公共性は、研究と教育を前提にしながら、大学の知を社会に開く制度をつくり出したことに大きな意味があります。市民に対して開かれた展示空間、大学と地域社会を結ぶ学びの機会、多様な教育プログラム、そして現代のデジタル公開など、アシュモレアンが示した公共性は今もなお大学ミュージアムの主要な使命として継承されています。大学ミュージアムは、単に研究資源と教育資源を蓄積する施設ではなく、人々が知識とつながり、学びを広げていくための公共的基盤として機能し続けているのです。
大学ミュージアムにおける三位一体モデルの意義
三本柱が形づくる大学ミュージアムの独自性
大学ミュージアムを理解する上で欠かせない視点が、研究・教育・公共性が一体となって機能する「三位一体モデル」です。これら三つの柱は独立して存在するのではなく、相互に補完し合いながら大学ミュージアムという制度を支えています。アシュモレアン博物館は、世界で最初に確立した大学ミュージアムとして、この三位一体の構造を歴史的に示した代表的な事例であり、大学ミュージアムが備えるべき基本的役割を理解するための原点となっています。研究と教育を柱としながら、大学が社会とつながる公共的活動を展開する仕組みは、他の博物館には見られない大学特有の機能といえます。
三本柱はなぜ不可分なのか
大学ミュージアムにおいて三本柱が不可分である理由は、これらが歴史的に同時に形成され、互いに作用し合うことでこそ成立してきたからです。Simpson(2022)は、近代大学ミュージアムの最初期において、研究資料の収集がそのまま教育の基盤となり、さらに展示を通じて社会に開かれていった過程を詳細に述べています。アシュモレアン博物館では、収蔵品は研究対象であると同時に教育素材であり、さらに公開展示を通じて市民に知を共有する役割も担っていました。これら三つが区別なく行われていた点こそ、大学ミュージアムの独自性を説明する重要な論点です。
研究・教育・公共性の相互作用
三本柱が相互に支え合う関係は、研究が教育と公共性を支え、反対に教育と公共性が研究を促進するという循環によって明確になります。大学ミュージアムにおいて研究成果はそのまま展示や教材として学生や市民に共有され、教育の質を高めます。また、教育の現場で生まれる問いや視点は新たな研究テーマを生み、研究活動を発展させる契機となります。公共性についても同様で、展示や講座を通じて市民と交流することで、多様なフィードバックが学術的議論に加わり、大学の研究が外部の知識と結びつく機会を提供します。さらに公開活動を通じて資料寄贈や支援者が増え、研究資源の拡充にもつながります。このように、三本柱が相互に強化し合う構造を「知の生態系」と捉えることができます。
アシュモレアンに見る三位一体モデルの具体像
アシュモレアン博物館は、この三位一体モデルを建築的・制度的に最初から体現していました。Simpson(2022)は、アシュモレアンが研究室・講義室・展示室を一体化した建築構造を持っていた点を強調しています。研究が行われる空間と教育が実践される空間、さらに一般市民が展示を鑑賞する空間が密接に接続されていたため、研究・教育・公開が分離されることなく連続的に行われていました。また、初代KeeperであるRobert Plotが研究活動を進める一方で、学生に資料を用いた講義を行い、さらに地域に向けた知識発信を担っていたことも、アシュモレアンの三位一体モデルを具体的に示すエピソードです(Simpson, 2022)。研究成果はそのまま展示に反映され、展示は学生の教材となり、また来館者の学びの場ともなりました。大学ミュージアムの三機能が分離されることなく同時に実践されていた歴史的事例として、アシュモレアンは非常に象徴的です。
現代に受け継がれる三位一体モデル
さらに、アシュモレアンの三位一体モデルは現代の大学ミュージアムにも受け継がれています。公式サイトでは学校向けプログラム、地域の学習者向け講座、デジタルアーカイブの公開など、多様なPublic Engagement活動が紹介されています(Ashmolean Museum, n.d.)。これらの活動は、研究成果を社会と共有し、それが新たな学問的視点を生む流れをつくっています。また、学生はミュージアムを活用しながら学び、時には調査や展示制作に参加することで、研究と教育が結びついた学習経験を得ています。デジタル化された資料は研究者・学生・市民が共通の知識基盤にアクセスする手段となり、研究・教育・公共性が同時に広がる構造を後押ししています。
三位一体モデルがもたらす価値
三位一体モデルが大学ミュージアムにもたらす価値は多岐にわたります。まず、研究・教育・公共性が統合されることで、大学としての独自性が強化され、学術的信頼性が高まります。次に、公共性を伴う教育活動は、地域社会との協働を促進し、市民にとっての学びの場を提供します。さらに、三本柱の統合は大学の持続可能性にも関わり、寄付や資料提供など外部資源の流入を生み出す要因となります。大学ミュージアムは資料を保存するだけの施設ではなく、大学全体の価値を高める文化的・知的基盤として機能しているのです。
大学ミュージアムという制度の本質
以上のように、大学ミュージアムの三位一体モデルは、アシュモレアン博物館を源流として形成された普遍的な枠組みです。研究・教育・公共性が不可分に結びつくことで、大学ミュージアムは学術機関としての独自性を発揮し、社会とつながりながら知識を創造し続ける場となります。この三位一体の構造を理解することは、大学ミュージアムの本質を把握する上で欠かせず、また現代のミュージアム経営を考える上でも重要な視点であるといえます。
大学ミュージアムの本質とアシュモレアンが示した原型
三本柱を踏まえた大学ミュージアム論の総括
大学ミュージアムの役割について検討してきた本稿の最終節では、これまで扱った研究・教育・公共性という三本柱を改めて整理し、それらがどのように大学ミュージアムの制度的基盤を形成してきたのかを総括します。また、アシュモレアン博物館がこれら三本柱を最も早い段階で体現したモデルであることを踏まえ、大学ミュージアムという制度の本質と現代的意義を見つめ直します。大学ミュージアムが大学にとって不可欠な存在であり続ける理由を明らかにすることは、学術機関としての大学が社会に果たすべき責任とその未来を考える上でも重要です。
研究・教育・公共性という三本柱の整理
まず、本稿で扱った三本柱の整理から始めます。研究の柱では、大学ミュージアムが実物資料を基盤として知識創造を支える場であることを確認しました。アシュモレアン博物館の成立過程では、標本や遺物が比較研究や経験的学問の発展を支え、研究室と展示室が近接することで研究の成果が即座に教育へ反映されていました(Simpson, 2022)。教育の柱では、実物資料を用いた観察学習が大学教育に革新をもたらし、学問的リテラシー形成に寄与した点を確認しました。さらに、公共性の柱では、アシュモレアンが英国初のパブリック・ミュージアムとして社会に開かれ、大学の知識を市民と共有する先駆的なモデルを形成していたことが明らかになりました(Ashmolean Museum, n.d.)。このように、三本柱は個別の活動ではなく、大学ミュージアムを支える制度的基盤として不可分に結びついています。
アシュモレアンが制度の原型とされた理由
アシュモレアン博物館が大学ミュージアムとして決定的な役割を果たした理由は、この三本柱を同時に体現した点にあります。Simpson(2022)は、アシュモレアンが専用建築の中に研究室・講義室・展示室を統合していたことを指摘し、こうした設計思想が三位一体モデルを必然化したと述べています。研究室で行われた自然哲学や考古学の観察・分析は、講義室で学生の学習へと直接つながり、展示室では市民に向けた知識共有として機能しました。アシュモレアンが “Britain’s first public museum” として一般公開されていた事実は、大学が研究と教育だけでなく社会に対する公共的責任を果たす空間を早くから整えていたことを示しています(Ashmolean Museum, n.d.)。この点において、アシュモレアンは大学ミュージアム制度の原型として位置づけられ、今日の大学ミュージアムが従うべき基準を先行して提示していました。
大学ミュージアムが大学にもたらす価値
次に、大学ミュージアムが大学にもたらす価値について整理します。研究面では、大学ミュージアムは長期的に資料を蓄積・管理し、学術研究の基盤となる貴重な資源を維持しています。標本や遺物を中心とするコレクションは、経験的学問を支え、学問領域の拡大と深化に寄与してきました。教育面では、実物に触れる学習が学生の観察力や分析力を育て、思考を深める場として機能しています。観察学習(object-based learning)は、抽象的な知識だけでは得られない理解を生み、学生が学問の方法論と向き合う重要な過程を支えています。公共性の面では、展示やイベント、学校連携プログラムを通じて市民の学びを支え、大学が社会と結びつくための重要な窓口となっています。これら三つの機能が統合されることで、大学ミュージアムは大学としての独自性や信頼性を高める役割を担っているのです。
現代の大学ミュージアムが直面する課題と可能性
さらに、現代の大学ミュージアムが直面する課題と可能性についても考える必要があります。デジタル化の進展により、コレクション資料をオンラインで公開することが可能となり、研究・教育・公共性の三機能はさらに緊密に結びついています。デジタルアーカイブは研究者だけでなく学生や市民にも開かれ、学習者層の拡大につながっています。また、多様な学習者を受け入れる必要性が高まる中で、アクセシビリティの確保やインクルーシブな展示設計が求められています。大学ミュージアムは、従来の来館型の学びを超えた新しい教育モデルを構築し、研究成果を社会に広く共有する役割をさらに強めることが期待されています。その際、アシュモレアンが示した三位一体モデルは現代においても有効であり、大学ミュージアムの発展にとって重要な指針となります。
大学ミュージアムの本質とは何か
最後に、大学ミュージアムの本質とは何かを確認します。大学ミュージアムは単なる展示施設や資料保存機関ではなく、「知識の生成・伝達・共有を同時に担う場」です。研究によって新しい知識を生み出し、教育によって次世代に伝え、公共性によって社会と共有するという三つの機能が一体となった場である点に、その独自性と意義が存在します。アシュモレアン博物館は、この普遍的モデルを最初に示した象徴的存在であり、大学が社会と結びつきながら知的営みを続けるための基盤を築きました。この三位一体の構造を理解することは、大学ミュージアムの本質に迫るだけでなく、現代の大学が果たすべき役割を考える上でも大きな意味を持ちます。研究・教育・公共性が重なり合う大学ミュージアムこそが、大学の知的活動を支える中核的な存在であるといえるのです。
参考文献
- Simpson, A. (2022). The museums and collections of higher education: A perspective on academic museums in the 21st century. Routledge.
- Ashmolean Museum. (n.d.). About the Ashmolean. University of Oxford. https://ashmolean.org

