割引をやめた博物館はなぜ会員を増やせたのか― 大英博物館に学ぶ会員制度の再設計と関係性マーケティング ―

目次

博物館の会員制度はなぜ「割引モデル」に偏ってきたのか

日本の博物館における会員制度は、長らく「入館料が安くなる仕組み」として設計されてきました。典型的なのは、年間パス形式による入館料割引、一定回数の無料入館、同伴者割引などです。これらは一見すると合理的で、来館頻度の高い利用者にとっても分かりやすく、導入のハードルも低い制度に見えます。

しかし、この割引型会員制度は、必ずしも明確な経営戦略の結果として選ばれてきたわけではありません。むしろ多くの場合、「他館もやっているから」「来館者にとって分かりやすいから」といった理由で踏襲されてきた側面が強く、制度設計そのものが十分に問い直されてこなかったと言えます。割引は善意の表れというよりも、設計上の惰性として定着してきたのが実態です。

その結果、会員制度は次第に「どれだけ得か」という価格の問題に収れんしていきました。更新の判断基準は、博物館への関心や共感ではなく、「去年は何回行ったか」「元が取れたかどうか」に置き換えられていきます。こうした構造のもとでは、来館頻度が一時的に下がっただけで更新が見送られ、会員制度は不安定なものになりがちです。

さらに、割引を軸にした制度は、他館との価格競争を引き起こします。より安い年会費、より多い無料回数といった条件の比較が前面に出ることで、制度は次第に疲弊し、運営側にとっても「維持するほど負担が増す仕組み」へと変質していきます。更新率の低下、値下げの連鎖、制度の形骸化といった問題は、その延長線上にあります。

本来、会員制度は博物館と来館者との関係を中長期的に育てるための仕組みであるはずです。しかし、割引モデルに偏った設計のもとでは、会員制度は単なる集客施策の一部にとどまり、博物館の活動や理念と十分に結びつかないまま運用されてきました。この点にこそ、現在多くの博物館が直面している会員制度の根本的な課題があります。

大英博物館はなぜ割引をやめても会員制度が成立したのか

常設展無料という前提が会員制度を変えた

大英博物館の会員制度を理解するうえで、まず押さえておくべき前提が「常設展は原則無料」という原則です。入館料を徴収しない以上、日本の博物館で一般的な「会員になると入館料が安くなる」「何回か無料で入れる」といった割引モデルは、制度として成立しません。会員であるかどうかに関わらず、誰もが同じ条件で入館できるからです。

この状況は、大英博物館にとって制約であると同時に、会員制度を根本から見直す契機にもなりました。割引という分かりやすい動機が使えない以上、会員制度に別の意味を与えなければならなかったのです。その結果、会員制度は「来館行動を促す仕組み」ではなく、「博物館との関わり方を選ぶ制度」へと再定義されていきました。無料原則を守るために、会員制度の役割そのものを問い直した点が、この事例の出発点にあります。

会員を「常連客」ではなく「支える側」として位置づけた

大英博物館の会員制度で特徴的なのは、会員を頻繁に訪れる常連客としてではなく、博物館の活動を支える側の存在として明確に位置づけている点です。その象徴が、会員を一貫して「Members」と呼んでいることにあります。これは単なる呼称ではなく、会員がどの立場にいるのかを示す重要なメッセージでもあります。

会員向けに提供されるのは、先行内覧や学芸員によるレクチャー、研究や収蔵活動の共有といった、博物館の中核的な営みに近づく機会です。これらは金銭的に得をする特典ではなく、「博物館を内側から理解する立場」を与える仕組みだと言えます。会費は対価というよりも、博物館の活動を可能にする支援として位置づけられ、会員は消費者ではなく関係者として扱われます。この立場の転換が、会員制度を割引から切り離すことを可能にしました。

割引ではなく「内部性」を提供する制度設計

大英博物館の会員制度が提供している価値は、特別扱いや優遇ではありません。むしろ重視されているのは、通常は見えにくい博物館の内部に触れる機会です。保存修復の現場や研究の背景、展示が成立するまでの判断プロセスなどが共有されることで、会員は博物館の意思決定や責任の重さを具体的に理解するようになります。

こうした「内部性」へのアクセスは、会員に優越感を与えるためのものではなく、信頼関係を築くための装置です。博物館が何を大切にし、どのような判断のもとで活動しているのかを開示することで、会員は博物館を支える理由を自ら見いだします。割引に頼らずとも会員制度が成立している背景には、このような信頼形成を重視した制度設計があります。

なぜ「割引をやめる」ことが合理的なのか
― 会員制度をめぐる理論的整理 ―

会員制度というと、来館頻度を高めるための価格施策、すなわち割引や無料特典の仕組みとして理解されがちです。しかし、この発想は会員制度を短期的な集客手段に限定してしまい、博物館と来館者の関係を一時的・取引的なものにとどめてしまいます。割引を軸にした制度では、来館回数が減った瞬間に会員である理由が失われ、更新率が不安定になる構造を避けることができません。

近年の博物館・図書館分野における会員制度研究では、こうした割引中心の設計そのものが問い直されています。会員制度は、来館行動を直接的に促す価格施策ではなく、組織との関係性を時間をかけて深めていくための制度として再定義されるべきだと整理されています。つまり、会員制度の本質は「何回入れるか」ではなく、「どのような立場で関わるか」にあるという考え方です。

この点について、会員制度を専門的に扱った実務的研究では、次のように説明されています。博物館における会員制度は、来館行動を促すための価格施策ではなく、組織との関係性を段階的に深めるための制度として設計されるべきであると整理されている。会員制度は取引ではなく、博物館のミッションに人々を参加させる装置であり、金銭的特典の多寡よりも、関与の質が重視されるとされている(Rich, Hines, & Siemer, 年)。

この理論的整理に立てば、割引をやめることは会員制度の価値を下げる行為ではありません。むしろ、割引という分かりやすい動機に依存しないことで、会員制度は「関係性の制度」として本来の機能を取り戻します。会員になることは、得をする選択ではなく、博物館の活動や使命に関与する立場を選ぶ行為へと変わります。

大英博物館の会員制度は、このような理論的整理を前提に理解することで、特別な成功例ではなく、合理的な制度設計の一つとして位置づけることができます。割引をやめたから成立したのではなく、関係性を中心に据えたからこそ成立している点に、この事例の本質があります。

実証研究が示す「会員が更新される本当の理由」

会員制度を再設計する際に避けて通れないのが、「なぜ会員は更新するのか」という問いです。割引や特典を増やせば更新率が上がるという発想は直感的には分かりやすいものの、それが実際に有効なのかどうかは、経験則だけでは判断できません。この点について、博物館の会員制度を対象とした実証研究は、重要な示唆を与えています。

博物館の会員制度において、会員の更新意向に最も強く影響する要因は、割引や金銭的特典の内容ではなく、会員制度そのものへの満足度であることが実証的に示されています。子ども博物館を対象とした分析では、会員制度への満足度が高いほど会員更新の可能性が有意に高まり、来館頻度や会員歴といった関係性の深さを示す要因も更新意向に影響していました(An & Butler, 2017)。

この研究で特に注目すべき点は、満足度が他の変数と比べて際立って強い影響力を持っていたことです。来館頻度や世帯収入、居住地からの距離といった要因よりも、会員制度に対する納得感や評価の方が、更新行動を左右していました。つまり、会員は「どれだけ利用したか」以上に、「この制度に入っていて良かったと思えるかどうか」に基づいて更新を判断していることになります。

一方で、割引や金銭的特典そのものは、主要な説明変数としては現れていません。これは、割引が無意味であるというよりも、更新行動を決定づける決定的要因ではないことを示しています。割引は入会のきっかけにはなり得ても、継続的な関係を支える基盤にはなりにくいという構造が、データから裏付けられていると言えるでしょう。

さらに、この研究では、来館頻度や会員歴が更新意向に影響している点も示されています。これらは単なる行動量の指標ではなく、博物館との関係性の深さを反映する要因として解釈できます。繰り返し訪れ、長期間会員であり続ける中で、博物館との心理的な結びつきが強まり、それが更新行動につながっていると考えられます。

このような実証結果は、「関係性を重視した会員制度」という考え方が感覚論ではないことを明確に示しています。会員制度を割引の集合体として設計するのではなく、満足度や関与の質を高める仕組みとして捉えることが、更新率の安定につながるという点が、データに基づいて確認されているのです。割引をやめるという選択は、理論的にだけでなく、実証的にも合理性を持つ判断であると言えます。

大英博物館は関係性をどのように構築・向上させているのか

大英博物館の会員制度が評価されている理由は、割引をやめたことそのものではありません。会員との関係性を意図的に設計し、時間をかけて深めていく具体的な取り組みが、制度全体として組み込まれている点にあります。以下では、その中核となる実践を整理します。

情報へのアクセスを「深さ」で差別化する

大英博物館では、会員向けに提供される情報が単に早いだけではなく、より深い理解につながる内容として設計されています。展覧会の先行内覧や限定解説は、混雑を避けるための配慮ではなく、展示の背景や意図を丁寧に伝える機会として位置づけられています。会員は「先に見る人」ではなく、「より深く知る人」として扱われ、情報の量ではなく理解の質に差が生まれるよう設計されています。

舞台裏へのアクセスを制度化する

保存修復や研究活動といった、通常は来館者の目に触れにくい領域へのアクセスも、会員制度の重要な要素です。大英博物館では、舞台裏を単なる特別公開としてではなく、博物館の意思決定や責任を理解するための場として共有しています。展示が成立するまでの過程を知ることで、会員は成果だけでなく、そこに至る判断や労力にも目を向けるようになります。

会費の使途を可視化する

会員との関係性を支えるうえで欠かせないのが、会費の使途を明確に伝える姿勢です。大英博物館では、会費が保存修復、研究、教育といった活動をどのように支えているのかが、繰り返し共有されます。これにより、会費は対価ではなく、博物館の活動を可能にする参加の手段として理解されます。会員は支払った金額以上に、その意味を実感するようになります。

会員を「内部の人」として扱う

これらの取り組みを通じて形成されるのが、会員を「特別な客」ではなく「内部に近い人」として扱う関係性です。優遇や排他性よりも、帰属感や信頼が重視され、会員は博物館の外部支援者でありながら、内側の視点を共有する存在となります。この立場の設定こそが、短期的な集客ではなく、長期的な関係性の構築を可能にしています。

大英博物館にみる「関係性型」会員制度を支える具体的な設計要素

取り組みねらい(何を高めるか)具体的な手段(例)会員側に起きる変化制度としての効果
情報へのアクセスを「深さ」で差別化する理解の質を高め、納得感を育てる先行内覧、限定解説、背景・意図を丁寧に伝える場の設計「先に見る人」ではなく「深く知る人」になる満足度の向上と、更新動機の非価格化
舞台裏へのアクセスを制度化する信頼と当事者意識を高める保存修復・研究活動の共有、展示が成立するまでのプロセスの提示成果だけでなく判断・労力にも目が向く博物館の活動への理解が深まり、関係が長期化する
会費の使途を可視化する支払いの意味を明確化し、支援の正当性をつくる会費が保存修復・研究・教育をどう支えているかを継続的に共有会費を「対価」ではなく「参加の手段」として理解する会費への納得感が増し、継続の理由が安定する
会員を「内部の人」として扱う帰属感を育て、関係性を固定化する優遇よりも信頼と帰属を重視したコミュニケーション、内側の視点の共有外部の支援者でありつつ「内側の視点」を持つ短期の集客ではなく、長期の関係資本が蓄積する

日本の博物館が会員制度を再設計する際の現実的な視点

大英博物館の事例から多くの示唆を得ることはできますが、日本の博物館が会員制度を再設計する際に重要なのは、「割引をやめること」自体を目的にしないことです。割引を残すかどうかは本質的な問題ではなく、会員制度をどのような役割を持つ仕組みとして位置づけるのかが問われています。割引は手段の一つに過ぎず、それが制度の中心に据えられている限り、関係性を育てる装置としては機能しにくいという点をまず整理する必要があります。

特に日本の博物館では、公費比率が高いことがしばしば課題として語られます。しかし、関係性を重視した会員制度という観点から見ると、この点は必ずしも不利な条件ではありません。安定した公的財源があるからこそ、会員制度に過度な収益回収を求めず、公共性と矛盾しない形で設計する余地が生まれます。会費を「不足分を補うための収入」と捉えるのではなく、市民が博物館に継続的に関与するための正式な回路として位置づけることが可能になります。

その際に鍵となるのが、学芸活動の扱い方です。日本の博物館では、研究・保存・教育といった学芸活動は、説明責任の文脈で語られることが多く、外部に対しては成果のみが提示されがちです。しかし、会員制度を関係性の仕組みとして再設計するのであれば、これらの活動を「説明する対象」から「参加を促す対象」へと転換していく視点が求められます。学芸活動の背景や判断のプロセスを共有することで、会員は博物館の活動を自分事として理解するようになります。

このように考えると、日本の博物館における会員制度の再設計は、海外事例をそのまま模倣することではありません。自館の財政構造や公共的役割を踏まえたうえで、会員制度を「集客策」ではなく「関係性を育てる制度」として捉え直すことが出発点になります。その再定義こそが、持続可能な会員制度への第一歩となります。

まとめ

本稿で見てきたように、大英博物館の会員制度は、特別な条件に恵まれた例外的な成功事例ではありません。割引をやめ、関係性の構築に軸足を移した会員制度は、理念先行の試みではなく、会員制度をめぐる理論的整理や実証研究とも整合的な、合理性を持った設計であることが確認できます。会員の更新を左右するのが割引ではなく満足度や関与の深さであるという知見は、この方向性が感覚論にとどまらないことを裏づけています。

重要なのは、会員制度を集客策として位置づける発想から離れることです。割引や無料回数を積み重ねる制度は、短期的な来館行動を促すことはできても、博物館との継続的な関係を育てる仕組みにはなりにくいことが明らかになりました。一方で、会員制度を博物館の公共的活動に参加するための回路として設計すれば、会費は対価ではなく、関与の意思を示す手段として理解されるようになります。

日本の博物館が学ぶべきなのは、特定の制度や特典の形ではなく、その背後にある思想です。会員制度を「得をする仕組み」から「支え、関わる仕組み」へと再定義することで、公共性と自主財源は対立するものではなく、相互に補完し合う関係として捉え直すことができます。会員制度は集客策ではなく、博物館の公共性を社会と共有し、支えるための参加の仕組みであるという視点こそが、今後の再設計における出発点となります。

参考文献

An, L. B., & Butler, F. C. (2017). An analysis of factors influencing membership retention at a children’s museum. Journal of Nonprofit & Public Sector Marketing.

Rich, P., Hines, D. S., & Siemer, R. (2016). Membership marketing in the digital age: A handbook for museums and libraries. Rowman & Littlefield.

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この記事を書いた人

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日々の業務経験をもとに、ミュージアムの楽しさや魅力を発信しています。このサイトは、博物館関係者や研究者だけでなく、ミュージアムに興味を持つ一般の方々にも有益な情報源となることを目指しています。

私は、博物館・美術館の魅力をより多くの人に伝えるために「Museum Studies JAPAN」を立ち上げました。博物館は単なる展示施設ではなく、文化や歴史を未来へつなぐ重要な役割を担っています。運営者として、ミュージアムがどのように進化し、より多くの人々に価値を提供できるのかを追求し続けています。

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