はじめに:来館動機を知ることは、博物館経営の原点である
博物館を訪れる人々は、どのような思いでその扉をくぐるのか。この問いは、展示や教育プログラム、広報活動を計画する際の根幹に関わるものでありながら、日々の運営の中では見過ごされがちな視点でもあります。目に見えるのは来館者の行動ですが、その背後にある「動機」は可視化しにくく、しかし博物館の在り方を決定づける重要な鍵となります。
来館動機を理解することは、単にマーケティングの一環として扱われるべきものではありません。それは、来館者が博物館に何を期待し、どのような経験を得ようとしているかという、来館者と博物館との「関係性」の出発点を読み解くことでもあります。展示の内容や構成、学芸員による解説、ワークショップの設計、さらには来館者サービスのあり方にいたるまで、すべての経営判断はこの理解の上に成り立つべきです。来館者を「どれだけ集めるか」ではなく、「なぜ来るのか」「どう感じたのか」を問い直す視点こそが、経営の質を根本から変えていくのです。
また、来館動機は時代や社会の変化とともに多様化し、固定的に捉えることが難しくなっています。かつてのように、博物館は「知識を得る場所」であるという一面的な捉え方では済まされません。現代の来館者は、学びだけでなく、癒し、対話、自己探求、非日常的な体験など、さまざまな動機をもって博物館を訪れています。こうした変化は、文化施設に対する社会的期待の変化や、レジャー消費行動の多様化、デジタルメディアの普及といった複数の文脈に裏打ちされています(McPherson, 2006)。
そのため、博物館の経営に携わる者は、来館動機を単なる分類の対象とするのではなく、それを通して来館者のニーズや社会的背景を丁寧に読み解き、応答していく必要があります。本記事では、来館者の動機を理論的・実証的な研究から明らかにしながら、その理解を博物館の運営戦略にどう生かすことができるのかを考察していきます。そして何より、この問いに向き合うことが、来館者との豊かな関係性を築き、博物館の公共的価値を高める出発点になると信じています。
理論モデルから見る来館者の動機の分類
博物館に来館する動機は、人によって異なるばかりでなく、ひとりの来館者の中にも複数の動機が併存することがあります。この多様な動機を理解するためには、単に「理由」を聞き取るだけでなく、来館者の行動や意識の背後にある構造を把握する理論的枠組みが必要です。分類モデルは、来館者の傾向を一律に枠にはめるものではなく、むしろ博物館がその多様性に応答するための「問いの設計図」として活用されるべきものです。
アイデンティティモデル:来館者は“誰”として訪れるのか
来館者の動機は、その人が「自分自身をどのように認識し、社会の中でどのような役割を果たそうとしているか」というアイデンティティに根ざしているとされます(Falk, 2009)。
この理論では、来館者は次の5つのタイプに分類されます。
- Explorers(探究者):知識や新しい情報への好奇心に基づいて来館する人
- Facilitators(支援者):他者(子どもや友人)との共有体験を目的とする人
- Professional/Hobbyists(専門家・愛好家):専門性や関心分野に沿って訪れる人
- Experience Seekers(経験収集者):その場・その文化を体験したいという社会的動機をもつ人
- Rechargers(気分転換者):静けさや癒しを求めて訪れる人
これらの分類は、来館者の属性ではなく、その訪問の「状況における役割」を重視する点に特徴があります。例えば、ある人が平日はExperience Seekerとして観光先の博物館を訪れ、休日にはFacilitatorとして家族とともに地域の博物館を訪れるということもあり得ます。
このモデルは、展示設計や広報、プログラム開発の際に「どのような動機の人に、どのような価値を提供するか」という設計思考を可能にするものであり、経営的にも極めて有用です。
経験期待モデル:来館者は“何を得たい”と感じているのか
来館者の動機は、心理的な「期待」や「目的意識」から捉えることもできます。ある研究では、来館者の動機は次の5つに分類されています:Fun(楽しさ)、Cultural Entertainment(文化的娯楽)、Self-identity(自己認識)、Historical Memory(歴史的記憶との接続)、Escape(日常からの逃避)(Sheng & Chen, 2012)。
また、別の研究では、博物館での体験の性質から動機を4つに分類しています:Cognitive(認知的)、Emotional(感情的)、Reflective(内省的)、Recreational(娯楽的)(Kim Lian Chan, 2009)。
これらのモデルは、来館者が「博物館で何を期待しているのか」という視点を提示するものであり、展示のテーマ選定や体験型コンテンツの設計において極めて参考になります。
意味生成プロセスモデル:来館者は“どう体験し、意味づける”のか
来館者の動機や経験は、固定された属性ではなく、博物館空間の中での「意味生成プロセス」として捉える視点も提案されています。このモデルでは、来館体験は以下の4段階を経て構成されるとされます(Roppola, 2012)。
- Framing(枠づけ):来館者が展示をどのような文脈で理解するか
- Resonating(共鳴):展示内容が個人の記憶や価値観と共鳴する瞬間
- Channelling(導線):展示空間が来館者の行動や関心をどう導くか
- Broadening(拡張):博物館体験が思考・感情・行動をどのように広げるか
このように、動機は来館前に完結した目的ではなく、展示との出会いや空間体験の中で変容し、強化されていくものとして捉えられます。この視点は、動機を「入口」で区切るのではなく、体験の過程全体と連動させて理解する重要性を示しています。
複数の視点を統合して理解する
ここまで見てきたように、来館動機の理論モデルには、「誰が」「何を求めて」「どのように体験するか」という異なる視点が存在します。それぞれのモデルは互いに競合するものではなく、来館者を理解する複眼的なアプローチとして補完し合う関係にあります。ひとりの来館者が「Professional-Hobbyist」として「認知的動機」で訪れ、展示を通じて「内省的意味づけ」を行うこともあり得るのです。
このように、分類モデルを複合的に活用することで、来館者との関係性をより深く、かつ具体的に設計することが可能となります。
実証研究が示す動機の多様性と重層性
来館者の動機を分類する理論モデルは、博物館経営にとって重要な指針となりますが、それを実際の運営に活かすためには、理論を現実の来館者行動と照らし合わせて検証する必要があります。モデルはあくまで仮説であり、現場での観察や調査によって裏付けられてこそ、より柔軟かつ実践的に活用できるものとなります。
特に近年では、来館動機が単純な分類では収まらないほど多様化・複雑化していることが、さまざまな実証研究によって明らかにされてきました。本節では、代表的な調査研究を取り上げながら、来館動機がどのように重層的で変化に富んでいるか、また理論と実証を往還させる視点がいかに重要であるかを考えていきます。
多様な動機の共存を示す研究
博物館を訪れる人々が、どのような期待や意図をもって足を運んでいるのか。その問いに対しては、「学びたい」「感動したい」「癒されたい」といったさまざまな答えが返ってきます。こうした多様な動機が一人の来館者の中で同時に存在することを示したのが、近年の実証研究の成果です。
ある研究では、博物館の来館者が持つ動機は、知識を得たいという探索的な関心だけでなく、美しい展示に触れることで得られる感動や、静かな空間の中で自分のペースで過ごしたいという癒しへの期待、さらには友人や家族との時間を共有したいという社会的な欲求など、複数の要素が重なり合っていることが示されました(Cotter et al., 2021)。この調査は、来館者が常に明確な単一の目的を持って博物館を訪れるのではなく、そのときの状況や気分、同行者などによって動機が複雑に組み合わさる可能性を明らかにしています。
このような結果は、来館者を「5つのタイプ」に分類するFalkのアイデンティティモデルの有効性を裏づける一方で、それぞれの分類が独立しているわけではなく、実際には流動的に組み合わさりうることを示唆しています。たとえば、ある来館者は知識を深めたいというExplorers的な動機を持ちつつも、同時に展示空間の雰囲気に癒されたいというRechargers的な側面も併せ持っているかもしれません。
また別の調査では、来館者が体験を通じて得た価値の中に、「学び」と「感情的な充足」が共に含まれていることが確認されています(Packer, 2008)。展示から新しい知識を得るという認知的な満足と、印象的な展示や美的体験による感動や癒しが、来館者の心理的満足感を高め、再訪の意欲にもつながっているのです。注目すべきは、来館者の動機が必ずしも訪問前に明確化されているとは限らず、博物館での体験を通じて新たに形成されたり、もともとの動機が変容したりする場合があるという点です。
非訪問者に焦点を当てた調査からの示唆
来館者だけでなく、博物館を訪れない人々に目を向けることによって、動機の形成とその阻害要因について新たな知見が得られます。ある研究では、非訪問者の意識調査を通じて、博物館に対する距離感や先入観、情報不足などが来館意欲を妨げていることが明らかにされています(Prentice et al., 1997)。
たとえば、「展示が難しそう」「自分には関係ない内容が多い気がする」「どこにあるのか知らない」といった理由は、来館者の内的動機がそもそも喚起されにくい状況にあることを意味しています。こうした結果は、博物館側がどのような動機を前提に施設を設計しているのか、そしてそれが来館者の実態とどれほど噛み合っているのかを再考する必要性を突きつけています。
さらに、非来館者層に多く見られる社会経済的背景や文化的アクセスの格差といった構造的な問題が、動機形成を阻害している場合もあります。したがって、来館動機の分析は、単なる個人の心理分析ではなく、より広い社会的・文化的文脈の中で捉える必要があるのです。
動機を規定する地域性と社会文化的背景
来館動機は、来館者個人の興味関心にとどまらず、地域の特性や社会文化的背景とも深く関係しています。ある研究では、都市部と地方の博物館来館者を比較し、それぞれの動機構造に違いが見られることが報告されています。都市部では、特定の展示テーマや学術的内容への関心が動機となることが多い一方で、地方では家族とのレジャーや余暇の過ごし方として博物館を訪れる傾向が強いことが示されています(Foster et al., 2020)。
この研究では、「Push-Pull理論」に基づいて、来館動機を「内的な欲求(Push)」と「施設の魅力や環境(Pull)」の相互作用と捉えています。つまり、博物館に行きたいという動機は、来館者自身の関心や価値観だけでなく、その博物館が提供するプログラムや展示内容、立地や雰囲気といった要因によっても形成されるのです。
この視点を採用することで、博物館は自らの魅力を通じて来館者の動機を喚起する存在であると同時に、その地域や社会との関係性の中で動機の「土壌」を育てる役割も担っているといえます。
動機は固定されず、文脈によって重層的に変化する
これまでに紹介してきた複数の実証研究が共通して示唆しているのは、来館動機は単純な属性ではなく、「状況に応じて変化する関係性の構造」であるという点です。ひとりの来館者であっても、訪れるタイミング、同行者、社会的背景、展示の内容などによって、その動機は変化し、また複数の動機が同時に存在することがあるのです。
動機の「多様性」や「重層性」を前提としたうえで、博物館がどのように展示を設計し、どのように来館者と関係性を築くかを考えることが、現代の経営には求められています。理論モデルと実証研究の知見を柔軟に組み合わせながら、来館者一人ひとりの経験に寄り添う博物館の姿勢が、公共性と持続可能性の両立にもつながっていくのではないでしょうか。
来館動機をどう活かすか ― 経営戦略への応用
博物館は、単に展示物を並べる場ではなく、来館者一人ひとりとの関係を築く場です。その関係をいかに豊かに設計するかが、博物館の経営戦略の成否を左右します。来館者がどのような動機で博物館を訪れているのかを理解することは、その関係設計の出発点であり、展示構成や広報戦略、サービス設計といったあらゆる経営判断に応用可能な「羅針盤」となり得ます。
本節では、前節までで明らかにした来館動機の多様性と重層性を踏まえ、それをどのように博物館経営に活かしていくかについて、具体的な応用の可能性を検討します。
展示とプログラム設計への活用
来館動機は、来館者がどのような体験を期待しているかを示す手がかりです。たとえば、知識の習得を目的とするExplorersタイプの来館者には、専門性の高い解説パネルや音声ガイド、関連資料の提示が効果的です。一方、静かな時間や癒しを求めるRechargersタイプには、混雑を避けた空間配置や自然光を取り入れた設計、座ってゆっくり鑑賞できる環境などが求められます(Falk, 2009)。
また、教育的なプログラムにおいても、動機に応じた設計が重要です。Facilitatorsのように他者との共有を目的とする来館者には、親子で参加できるワークショップや、対話型のガイドツアーが有効です。このように、来館者の動機を前提にした展示・プログラム設計は、満足度を高めるだけでなく、再来訪の動機形成にもつながります。
来館者サービスと滞在体験のデザイン
展示以外のサービス設計においても、動機に基づく対応は有効です。たとえば、EmotionalやRecreationalな動機を持つ来館者には、展示の前後にリラックスできるカフェスペースや、写真撮影を楽しめるスポットの設置が効果を発揮します。来館者が滞在中に感じる快適さや自由度は、単に施設の魅力を高めるだけでなく、来館動機の充足と密接に関わっています(Kim Lian Chan, 2009)。
また、家族連れや高齢者など、同行者との体験を重視するFacilitators層に対しては、ベビーカーの動線設計やベンチの配置、バリアフリー対応といった細やかな配慮が重要です。滞在体験全体を来館動機の視点からデザインすることで、来館者の期待に応える施設運営が実現できます。
広報・プロモーション戦略への展開
来館動機を理解することは、「誰に、どのようなメッセージを届けるべきか」を考えるうえでも有効です。展示そのものの魅力を訴えるだけでなく、それがどのような動機に応えるものであるかを明確に伝えることが、来館意欲の喚起につながります。
たとえば、「歴史を深く知りたい」「子どもと学びたい」「静かな時間を過ごしたい」などの動機別にメッセージを設計し、それに対応したSNS発信やチラシのコピーを展開することが考えられます。動機に応じたターゲティングは、限られた広報資源の中でも効果的に来館者を呼び込むための戦略となります(Sheng & Chen, 2012)。
評価とリピーター施策への応用
来館動機の理解は、展示やプログラムの「評価」を設計するうえでも重要です。展示の内容が良くても、来館者の期待とずれていれば満足度は下がります。したがって、「どのような動機を持った来館者が、どのような体験をし、何を感じたか」を把握する評価項目が必要になります(Packer, 2008)。
また、動機ごとのリピーター育成も有効な戦略です。たとえば、学びを目的とする来館者には「連続講座」や「テーマ展」などの継続的な学習機会を、癒しを目的とする層には「静寂な夜間開館」や「季節に応じた展示演出」を企画するなど、動機に応じた再訪のフックを設けることができます。
動機の理解は経営と来館者をつなぐ“羅針盤”
来館者の動機を把握し、それに応答するかたちで展示・サービス・広報・評価を設計することは、単なるサービス向上にとどまらず、博物館の公共的役割を深める経営戦略そのものといえます。来館者を「数」ではなく「関係」として捉える視点が、持続可能な経営の土台を築く鍵になります。
動機は、来館者の行動のきっかけであると同時に、博物館がどうあるべきかを問い直す視点を提供します。来館動機を読み解き、それを軸にした経営を構想することが、これからの博物館に求められる「戦略的思考」なのです。
来館動機と関係性デザイン ― 一回の訪問を、つながりの起点にする
来館者がどのような動機で博物館を訪れるかという視点は、単なるマーケティングの対象ではありません。むしろ、それは来館者と博物館との関係がどのように始まり、育まれていくのかを考えるための出発点となります。博物館にとって、来館者の動機を理解することは、その人が何を期待し、どのように関わりたいと思っているかを知る手がかりとなるからです。
一度きりの訪問で終わるか、それとも継続的な関係につながるか。その分かれ道には、動機の理解と、それに応える体験設計が深く関わっています。
動機は関係の“入口”である
人が博物館を訪れる理由は、知識を得たい、癒されたい、誰かと過ごしたいなど、多様で重層的です。これらの動機は、来館者にとっての「自己表現」や「目的意識」を伴っており、来館そのものがひとつの選択的な行動であることを意味しています。したがって、来館は単なる物理的な移動ではなく、来館者が博物館との“関係”を結ぶ第一歩ともいえます。
このとき、博物館が提供する体験が、来館者の動機に応えているかどうかが極めて重要です。展示内容だけでなく、受付での対応、空間の快適さ、情報提供のわかりやすさといったすべてが、来館者にとっての「受け入れられた感覚」や「また来たいと思える感覚」に影響します。
来館動機は、来館者と博物館との出会い方そのものを規定する“入口”なのです。
タイプ別に見る関係性のつくり方
来館動機の類型に応じて、博物館が構築すべき関係性の在り方も変わってきます。ここではFalkの5分類を踏まえ、各タイプにおける関係性デザインの方向性を検討します(Falk, 2009)。
Explorersにとって重要なのは、知的好奇心が継続的に刺激されることです。単発の展示ではなく、次々と新しい問いを提示し続けることで、再来訪の動機が形成されます。来館後に自宅で調べたくなるような資料やWebコンテンツの提供も、関係の継続を支える工夫となります。
Facilitatorsは、他者との共有体験を重視します。子どもとの学び、友人との時間など、同行者との関係を豊かにする場として博物館が機能すれば、肯定的な記憶として定着しやすくなります。こうした層に向けては、親子で楽しめる展示構成や、写真撮影OKのエリアの設置などが効果的です。
Rechargersにとっては、静かに過ごせる空間や、心を落ち着かせる演出が重視されます。混雑を避けた導線設計や、展示と展示のあいだに緩衝的なスペースを設けることが、彼らにとっての「心地よさ」を支えます。来館の頻度が低くても、強い愛着やロイヤルティが育まれる可能性がある層です。
Professional-Hobbyistsは、知識の専門性や同好の士との交流を求めています。この層に対しては、講演会や限定プログラム、研究員との対話の機会など、深い関わりが生まれる設計が有効です。館と個人との関係が「学びの共同体」として育つ余地があります。
Experience Seekersは、訪問を通じて“経験価値”を得ることを重視します。旅の一部として、あるいはSNSに投稿したくなるようなビジュアルや演出も、彼らの満足度に寄与します。企画展のテーマ性や、季節性・地域性を前面に出したデザインがリピートにつながる可能性もあります。
このように、来館動機の理解をもとに「どのような関係性を築くか」を設計することで、来館者は単なる「訪問者」ではなく、博物館との継続的な“つながりの担い手”となるのです。
関係性を支える“信頼”と“選ばれる理由”
来館動機が関係性の入口だとすれば、その関係を支えるのは「信頼」であり、「また来たい」と思ってもらえる理由の積み重ねです。来館者は、自身の期待や動機に対して博物館がどう応えてくれるかを、体験を通じて無意識に評価しています。たとえば、表示がわかりにくい、質問しても答えが返ってこない、といった経験は、信頼の喪失につながります。
一方で、来館者の動機に寄り添うような展示構成、共感できるメッセージ、気持ちの良い対人対応が提供されると、博物館は「自分に合った場所」として記憶に残ります。動機と信頼が重なり合うとき、博物館は「選ばれる存在」として確立されていくのです(Gilmore & Rentschler, 2002)。
そして、来館動機に応じた対応を行うことは、単に顧客満足度を上げるためのテクニックではなく、「誰と、どう関係を築いていくか」という経営の中核的な問いへの答えでもあります。博物館は、一人ひとりの来館者が持つ動機に対して、誠実に応える場であり続けることで、関係性を持続的に育てていくことができます。
まとめ:動機を見つめることは、来館者と博物館の関係をつくること
来館者の数や属性に注目することは、博物館経営において基本的な分析の出発点です。しかし、その背後にある「なぜ来たのか」という問いに目を向けることによって、数値では見えない来館者との関係の可能性が立ち上がってきます。動機を知るということは、来館者の関心や期待、社会的・感情的な背景に耳を傾けることに他なりません。そこにこそ、博物館経営が果たすべき「公共性」の核心が存在します。
来館動機は、単なる分類や統計上のデータとして処理するのではなく、来館者一人ひとりとの関係をつなぐ“入り口”として捉えるべきものです。
動機は“数値”ではなく“関係”の入り口
現代の博物館は、展示物の保管・公開にとどまらず、来館者とどのような関係を築いていくかという視点が強く求められています。そのためには、来館者の動機を読み解き、それが博物館の提供する体験とどう重なり合うのかを丁寧に探る必要があります。
来館動機は、その人がなぜここに来ようと思ったのかという、関係性の第一声ともいえる問いです。たとえば、「子どもに学ばせたい」「静かな時間を過ごしたい」「旅行の記念に」など、そこには来館者の価値観や生活の背景がにじんでいます。来館者の動機に応えることは、来館者を単なる消費者ではなく、共に文化を育む存在として捉える視点に通じています。
来館動機を受け止めるということ
来館動機を理解することは、単にサービスの改善に役立つだけではありません。それは、博物館が自らの公共的責務をどう果たすかという問いともつながっています。誰が、どのような動機で来るのか。その多様な声に博物館がどれだけ開かれているかは、包摂性と柔軟性の指標でもあります。
実際、動機は属性や背景によっても大きく異なり、時にはその動機が社会的ハードルやアクセスの壁によって抑制されていることもあります。動機を知るとは、そのような抑圧されたニーズや、潜在的な来館意欲に光を当てる作業でもあります。
博物館に求められるのは、来館者の動機を「測る」ことではなく、それを「受け止める」姿勢です。そして、その応答の積み重ねが、公共文化機関としての信頼を形成する土台となります。
関係の継続が、経営の持続可能性を支える
動機は単なる訪問のきっかけではなく、その後の関係の持続性を左右する要因でもあります。来館者の動機に丁寧に応答することで、「また来たい」「他の人にも薦めたい」といった意識が生まれ、それが再訪や口コミ、さらには会員制度や寄付といった支援にもつながっていきます。
このように、来館動機は博物館にとっての“経営資源”でもあります。それは数値には直接現れにくい「無形資産」ですが、長期的には博物館のブランド価値や、地域における信頼性を形づくる基盤となるものです。
一回の来館を一過性の体験として終わらせるのではなく、それを継続的な関係の入り口と捉えることが、持続可能な経営の鍵となります。
終わりに ― これからの博物館経営において、動機を見るとは何か
本記事では、来館動機を理論的に整理し、実証研究の知見をもとにその多様性と重層性を確認しながら、それを経営戦略に応用する視点を展開してきました。最後に強調したいのは、動機を理解するとは、単に来館者を分類することではなく、「博物館は誰と、どのような関係を築きたいのか」という自己定義を問い直す営みであるということです。
来館動機を見つめることは、来館者との関係を“戦略的”に設計するだけでなく、博物館自身の在り方を再構築する契機でもあります。動機理解とは、訪問の理由を尋ねることを通じて、「私たちは何のために存在しているのか」を改めて考える機会なのです。
そしてその問いこそが、これからの博物館経営において最も本質的な問いではないでしょうか。
参考文献
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- Falk, J. H. (2009). Identity and the museum visitor experience. Routledge.
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- Gilmore, A., & Rentschler, R. (2002). Changes in museum management: A custodial or marketing emphasis? Journal of Management Development, 21(10), 745–760.
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- Roppola, T. (2012). Designing for the museum visitor experience. Routledge.
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