バーチャルミュージアムの可能性 ― 物理的制約を超える新たな博物館経営戦略

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バーチャルミュージアムとは何か? ― 物理的制約を超える博物館の可能性

博物館は、その活動の多くを「物理的空間」に依存してきました。展示室の面積、収蔵庫の容量、館の立地、さらには建築物の構造や法的規制まで、これらはすべて博物館の運営にとって現実的な制約として作用します。例えば、所蔵品が豊富であっても、展示スペースが限られていればそれらを常設公開することは困難であり、また高齢者や障がいのある方にとってはアクセスそのものが課題になる場合もあります。こうした「見せたくても見せられない」「来てほしくても来られない」というジレンマは、特に地域に根ざした中小規模の館にとって深刻なテーマといえるでしょう。

こうした物理的な制約が、図らずも可視化されたのが、2020年以降の新型コロナウイルス感染症の拡大でした。長期にわたる休館措置や入館制限を経験したことで、博物館にとって「非来館型の情報提供」や「物理空間を前提としない活動」の重要性が、より現実的な課題として浮上したのです。一部の先進的な博物館では、360度ビューによる展示室の公開や、AR・VR技術を活用した体験型コンテンツをオンラインで提供するなど、対応を加速させる動きが見られました。一方、多くの館にとっては人材・予算・技術面のハードルが高く、対応が後手に回ったことも事実です。このように、デジタルへの対応の格差が「文化資源へのアクセス格差」として社会的に問題視される局面も生じてきています。

こうした背景のもとで改めて注目されているのが「バーチャルミュージアム」という概念です。当初この言葉は、主にWeb上で博物館の情報やコレクションを提供する「オンラインカタログ」的な存在として用いられていました。しかし近年では、単なる情報伝達にとどまらず、来館しなくても展示を「体験」できるような技術的・空間的な工夫、さらには教育や参加型プログラム、地域連携やブランディング、国際発信など、より広範な戦略領域に活用されるようになっています。言い換えれば、バーチャルミュージアムは「展示」の一部ではなく、「経営戦略」の一部と捉えるべき段階に差し掛かっているのです。

このような視点は、バーチャルミュージアムをめぐる国際的な議論の中でも確認できます。たとえば、2000年代初頭にはパンフレット型やデータベース型のバーチャルミュージアムが主流であったのに対し、現在ではユーザー体験や教育的効果、アクセシビリティの向上といった「社会的な意義」を重視する動きが広がっています。バーチャル技術はもはや、特別なイベントのための「付加的装置」ではなく、日常的なミュージアム活動を拡張するための「戦略的資源」へと進化しているといえるでしょう(Bowen, 2009)。

本記事では、このようなバーチャルミュージアムの理論的背景と実践的可能性について、海外事例と国内応用の両面から検討していきます。とくに、博物館の公共性や教育的使命とバーチャル技術との接点を見極めながら、「展示のデジタル化」ではなく「経営の最適化」としてのバーチャル戦略のあり方を探ります。そして、来館という前提を超えて文化資源を届ける新たな視座が、今後の博物館経営にどのような可能性をもたらすのかを考えていきたいと思います。

バーチャルミュージアムの構造と経験価値 ― 技術だけでなく「意味のある体験」を設計する

「バーチャルミュージアム」という言葉は広く使われるようになっていますが、その定義には幅があります。展示物の画像や解説をウェブ上で公開しているものもあれば、没入型の3D空間やインタラクティブな機能を備えたものも含まれます。

このような多様性の中で、バーチャルミュージアムは単に情報を提供するための媒体ではなく、現実の博物館と同様の構造や機能を仮想空間に再構成する場であると捉えられています。この観点に立つことで、バーチャルミュージアムは「オンライン展示」ではなく、「博物館的体験の再構築」として理解することができます(Bowen, 2009)。

形式面では、バーチャルミュージアムは「静的」「動的」「没入型(immersive)」の三つに分類されることがあります。静的な形式は画像やテキスト中心で構成され、動的な形式ではユーザーの操作に応じて表示内容が変化します。さらに没入型では、VR技術などを用いて、ユーザーが仮想空間に入り込むような体験を提供します(Sylaiou et al., 2010)。

これらの技術的な形式以上に重要なのは、ユーザーがどのような体験を得ることができるかという点です。視覚的な忠実性、操作性、相互作用の自由度などが、体験の質を左右します。加えて、感情的な関与や、他者とのつながりを生み出す仕組みも、バーチャルミュージアムの価値を高める要素とされています(Barbieri et al., 2017)。技術的に優れているだけでは不十分であり、ユーザーにとって意味のある経験をどのように設計できるかが重要です。

教育的な視点からは、「参加型学習」や「探究的学び」を支える構造を設計することが求められます。情報を一方向的に伝えるだけではなく、利用者が自ら選び、考え、問いを立てるような体験を提供することが理想とされます。たとえば、展示物の背景にある歴史や文化に段階的にアクセスできる仕組みや、他者と感想を共有できる機能などが、主体的な学びを促進します。Sylaiouらは、ユーザー中心設計の重要性を強調しており、視覚情報に加えて、聴覚や触覚、アクセシビリティにも配慮した設計の意義を指摘しています(Sylaiou et al., 2010)。

バーチャルミュージアムは、単に物理的な展示を仮想空間で再現するだけの存在ではありません。それは、ユーザーにとっての体験を戦略的に設計する空間であり、博物館が果たすべき教育・保存・普及の役割を新たなかたちで展開する場でもあります。現実の制約を超えて多様な人々に文化資源を届ける手段として、バーチャルミュージアムはこれからの博物館経営において重要な位置を占めていくと考えられます。

先進事例にみるバーチャルミュージアムの展開 ― ARCOと南米の挑戦

バーチャルミュージアムの有効性や限界を把握するためには、実際に運用された事例を通じた考察が欠かせません。特に海外では、先進的な取り組みがいくつか展開されており、それらから得られる示唆は日本における導入・応用を考えるうえでも重要な手がかりとなります。

欧州連合が支援したARCO(Adaptive Reality for Cultural Objects)プロジェクトは、バーチャル展示の初期の試みの一つとして注目されています。このプロジェクトでは、ユーザーの知識レベルや興味関心に応じて、展示の内容やナビゲーションを動的に適応させるシステムが構築されました。特にアクセシビリティへの配慮や教育的要素の強化が特徴であり、技術と教育の両面を統合した好例といえます(Walczak et al., 2006)。

一方で、南米におけるバーチャルミュージアムの展開は、先進国とは異なる社会条件のもとで独自の発展を遂げてきました。たとえば、コロンビアやチリなどでは、通信インフラや予算などの制約がある中でも、文化的アイデンティティを重視した仮想展示が立ち上げられています。これらの取り組みでは、現地の歴史や多言語対応を反映させた柔軟な設計がなされており、単なる技術主導ではない「文化的適応」の視点が重要視されています(Loaiza Carvajal et al., 2020)。

こうした事例を評価するフレームワークとして有効なのが、ユーザー中心設計の観点です。この視点では、バーチャルミュージアムにおける「体験の質」を測定するために、満足度や操作の直感性、情報の理解度、再訪意図などの指標が提示されています。ARCOプロジェクトにおいては、動的なカスタマイズ機能がユーザー満足度を高める一方、南米の事例では、利用者の文化的背景を尊重した設計が再訪意欲の向上につながっていることが報告されています(Barbieri et al., 2017)。

このように、技術の高度さだけではなく、ユーザー体験や社会文化的背景への適合が、バーチャルミュージアムの成功において重要な要素となっています。

日本の博物館におけるバーチャルミュージアムの導入可能性と課題

日本の博物館は、都市部と地方での環境格差、人的・財政的制約、そして災害リスクといった複合的な要因の中で運営されています。特に地方や離島の博物館では、建築や交通の制限により潜在的来館者との接点が限られており、また全国的に見ても専門的なICT人材の不足や、デジタル投資に対する継続的な予算確保の難しさが課題となっています。さらに、高齢者や障害のある方々にとっては、博物館の物理的アクセスそのものが高いハードルとなっている場合もあります。

こうした状況において、バーチャルミュージアムの導入は新たな可能性を切り開く手段として注目されます。仮想的な展示空間を通じて、遠隔地からでも博物館資料にアクセスできるようになれば、地域間格差や移動の困難を越えて、多様な層への文化的サービス提供が可能となります。また、展示スペースの制約を受けず、収蔵庫に眠る資料や非公開資料を紹介する機会も広がります。これにより、リアル展示では難しい文脈の提示やテーマ性のある企画も実現しやすくなります。さらに、自然災害や感染症流行などによって博物館の休館が余儀なくされる状況においても、デジタル上のコンテンツが学びや交流の場を担うことができます(Bowen, 2009)。

しかし、その導入にはいくつかの大きな課題も存在します。第一に、システム開発やコンテンツ制作には一定の初期投資が求められ、その後の更新・運用にも継続的な人材と予算が必要です。とくに中小規模の館では、この負担が現実的な障壁となりやすい傾向にあります。第二に、バーチャルな空間において展示意図を正確に伝えるためには、情報構造の設計やインターフェースの工夫が欠かせません。対面での説明や空間的体験に頼ることのできないデジタル環境では、文脈の欠落や解釈の揺れが生じやすくなります(Styliani et al., 2009)。さらに、ICT活用に慣れていない来館者や職員にとっては、操作性や導入時の教育的サポートも重要な要素となります。

国内では、まだ大規模なバーチャルミュージアムの導入事例は限られていますが、いくつかの博物館では小規模ながらもバーチャルツアーやWeb展示を試みる動きが見られます。例えば、国立科学博物館が公開する360度パノラマ映像や、地方の資料館がGoogleストリートビューを活用した館内紹介を行う事例などが挙げられます。こうした取り組みは技術的な限界や予算上の制約を抱えながらも、現場の創意工夫によって実現されています。

このような状況を踏まえると、バーチャルミュージアムの本格導入には段階的なアプローチが有効であると考えられます。まずは既存展示の補助的手段として、教育コンテンツの一部をオンライン化するなど、小さなスケールでの活用から始めることが現実的です。そのうえで、外部の専門機関や大学との連携、アウトソーシングの活用などにより、人的・技術的リソースを補完していくことが求められます。

公共性と経営戦略の交差点としてのバーチャルミュージアム

バーチャルミュージアムは、しばしば教育普及や広報の一環として位置づけられてきました。確かに、デジタル展示やオンライン資料は学校教育やリモート学習との親和性が高く、教育コンテンツの拡張としての価値は高いといえます。しかし、単なる教育補助の枠を超え、バーチャルミュージアムは博物館の中長期的な経営戦略の一部として再評価されるべき段階にあります。たとえば、非来館者層の取り込みや認知度向上、さらにはブランドイメージの刷新に貢献する可能性を持ち、リアル展示とバーチャル展示が相互補完的に機能する戦略が注目されています。デジタル技術を活用した情報発信は、実来館へとつながる興味喚起の導線にもなり得るのです(Mulcahy, 2009)。

バーチャルミュージアムがもたらす最も本質的な意義の一つは、「公共性の拡張」という視点にあります。従来の物理的空間における展示は、地理的・身体的制約を伴っており、すべての市民に等しく開かれているとは言い切れません。これに対して、オンライン空間における展示は、居住地、移動手段、身体条件といった制限を超えてアクセス可能な「公共の場」を創出する可能性を秘めています。さらに、多言語対応やナレーションのカスタマイズなどを通じて、文化的・社会的背景の異なる利用者にも柔軟に対応できる構造は、包摂的な博物館経営の実現に向けた一歩といえるでしょう。バーチャル空間は、民主的でインクルーシブな情報環境をデザインするための舞台ともなり得ます(Bearman, 2009)。

一方で、こうした展開にはリスクも伴います。第一に、インターネット環境や機器の有無といったデジタル格差の存在です。アクセスの自由度を謳いながら、実際には情報弱者を取り残す可能性も否定できません。第二に、体験の質と展示の信頼性をどのように保証するかという問題があります。物理的展示では、展示空間や照明、動線といった要素が全体的な印象を左右しますが、バーチャル環境ではそれに代わるユーザー体験の設計が求められます。また、デジタルデータの保存性や所有権、プラットフォーム依存の問題など、情報ガバナンス上の課題も無視できません(Mulcahy, 2009)。

これらの課題を踏まえたうえで、バーチャルミュージアムを「公共性を支える経営戦略」として位置づける視点が重要です。リアル展示とデジタル展示を補完的に活用し、対象層や目的に応じて柔軟に設計を行うことで、従来の制約を乗り越える運営モデルを構築することが可能になります。また、学芸員養成課程やICT専門家との連携を通じて人的資源の補完を図ることや、官民連携による開発・運用のモデル化も有効です。単なる「展示の仮想化」ではなく、持続可能な公共経営の土台を築くための戦略的資産として、バーチャルミュージアムの可能性は今後ますます重要性を帯びていくでしょう。

展示ではなく経営戦略としてのバーチャルミュージアム

バーチャルミュージアムは、単なる展示手段や情報提供の延長として捉えるだけでは、その本質的な可能性を見誤るおそれがあります。これまで見てきたように、バーチャル空間を通じた情報発信や体験設計は、教育普及・来館促進・アクセス保障といった複数の目的を同時に果たす手段となり得ます。さらに重要なのは、それが博物館の経営資源を拡張し、新たな価値創造の基盤ともなる点です。つまり、バーチャルミュージアムは「展示のデジタル化」にとどまらず、「戦略的経営資源の構築」として再評価すべき対象といえます。

とはいえ、すべての博物館がすぐに大規模な仮想空間を構築できるわけではありません。現実的には、既存の展示や活動を補完する形で段階的に導入を進めることが現場にとって最も実践的な選択となります。たとえば、教育プログラムの一部をオンライン化する、来館前の体験導線を強化する、あるいは収蔵資料の一部をWeb上で公開するなど、小規模な取り組みから始めることが可能です。そのうえで、外部のICT企業や大学との連携、クラウドサービスの活用、アウトソーシングによる専門人材の補完などを組み合わせていくことで、持続可能な運用体制を築いていくことができます。

導入にあたっては、「公共性」の確保という視点も欠かせません。博物館は公共文化機関として、すべての市民に等しく文化資源へのアクセスを保障する責務を担っています。バーチャルミュージアムの展開においても、特定の層だけが恩恵を受けるような設計ではなく、高齢者や障害者、情報機器に不慣れな層にも配慮した包摂的な設計が求められます。加えて、誰もがアクセスしやすく、かつ内容の信頼性が担保されている情報提供が重要です。そのためには、アクセシビリティ、言語対応、ユーザーインターフェースの工夫が不可欠となります。

同時に、経営的な持続可能性という視点も見落としてはなりません。バーチャルミュージアムを構築・維持するには、人的・財政的リソースが必要であり、その継続性を担保する仕組みをあらかじめ設計しておく必要があります。リアル展示とバーチャル展示の役割分担や連動性を整理し、相乗効果を生み出す戦略設計が求められます。また、データの保存・継承・利活用といったガバナンスの観点も中長期的には重要な課題となります。

これからの博物館経営は、リアルとバーチャルのハイブリッドな運営体制へと向かっていくと考えられます。「来館」を前提としたサービス提供に加え、「非来館型」の接触機会を戦略的に組み込むことで、多様な市民との関係性を築き、博物館の公共的役割をさらに深化させることができるでしょう。バーチャルミュージアムは、そのような新たな公共経営のあり方を体現する装置として、今後ますます重要な位置を占めていくと考えられます。

参考文献

  • Barbieri, L., Bruno, F., & Muzzupappa, M. (2017). User-centered design of a virtual museum system: The case study of the MArTA museum. Journal on Computing and Cultural Heritage, 10(3), 1–21.
  • Bearman, D. (2009). Representing museum knowledge. In R. Parry (Ed.), Museums in a digital age (pp. 143–147). Routledge.
  • Bowen, J. (2009). The virtual museum. In R. Parry (Ed.), Museums in a digital age (pp. 253–260). Routledge.
  • Loaiza Carvajal, C., Navarrete, T., & Meza, P. (2020). Digital museum strategies during the COVID-19 pandemic: An international perspective. Journal of Cultural Heritage, 47, 239–244.
  • Styliani, S., Fotis, L., Kostas, K., & Petros, P. (2009). Virtual museums, a survey and some issues for consideration. Journal of Cultural Heritage, 10(4), 520–528.
  • Sylaiou, S., Liarokapis, F., Kotsakis, K., & Patias, P. (2010). Virtual museums as a means of knowledge communication. Journal of Cultural Heritage, 11(4), 415–420.
  • Walczak, K., Cellary, W., & White, M. (2006). Virtual museum exhibitions. In Proceedings of the International Conference on Virtual Systems and Multimedia (pp. 96–104). IEEE.
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この記事を書いた人

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日々の業務経験をもとに、ミュージアムの楽しさや魅力を発信しています。このサイトは、博物館関係者や研究者だけでなく、ミュージアムに興味を持つ一般の方々にも有益な情報源となることを目指しています。

私は、博物館・美術館の魅力をより多くの人に伝えるために「Museum Studies JAPAN」を立ち上げました。博物館は単なる展示施設ではなく、文化や歴史を未来へつなぐ重要な役割を担っています。運営者として、ミュージアムがどのように進化し、より多くの人々に価値を提供できるのかを追求し続けています。

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