はじめに
近年、博物館は地域社会の文化拠点としての役割に加え、国際社会における「知の交差点」としての新たな使命を担うようになってきています。国境を越えた連携や協働が進むなかで、博物館の活動領域はますます広がりを見せ、展覧会や研究のみならず、教育、人材育成、文化政策など多岐にわたる分野でグローバルな接点が求められています。このような背景には、文化の担い手としての博物館に対する社会的期待の変化があると同時に、グローバル化や情報通信技術の発展がもたらした文化交流の加速があります。
とりわけ「国際連携」は、単に海外の博物館と展覧会を共催することにとどまらず、文化財の貸し借りや専門家の派遣・招聘、文化遺産の保護協力、人材育成や共同研究などを含む、多層的かつ戦略的なパートナーシップの形成を意味します。このような関係性は、文化的資源を共有することによって信頼関係を育み、国境を越えた社会的価値の創造へとつながります。さらに、それは単なる文化交流を超え、国家の外交戦略や都市のブランド形成、さらには多国間の相互理解を支える「文化外交(museum diplomacy)」という視点からも重要な意味を持ちます(Grincheva, 2019;Cai, 2012)。
本記事では、博物館における国際連携の意義と課題について、グローバルなネットワーク形成と文化外交という二つの視点から考察します。まずは国際的な博物館ネットワークの概要と展開を確認し、次に、近年注目される「ミュージアム外交」の概念をもとに、文化的価値と政治的意図が交差する事例を取り上げます。そして、グローバルな連携が地域社会や個々の博物館にもたらす影響と可能性について検討し、最後に、今後の持続可能な国際連携の方向性について展望します。
国際連携とは何か:博物館とグローバルネットワーク
国際連携とは、博物館が他国の博物館や文化機関、教育・研究機関、または国際組織や行政機関と協力し、文化資源の交換や共通の課題への対応を通じて、より広い社会的・文化的価値の創出を目指す取り組みです。その形態は多岐にわたり、展覧会の共同開催、収蔵品の貸し借り、学芸員の交流や共同研修、文化財保護に関する技術協力、さらには国際的な研究ネットワークや教育プログラムの形成などが含まれます。これらは単なる業務の連携ではなく、博物館の存在意義そのものを国際的に再定義する営みとも言えるでしょう。
このような国際的協働は、グローバル化が進行する現代において、博物館が果たすべき役割に新たな可能性を提示しています。文化の越境的な移動や混交が進むなかで、博物館は「ナショナルな文化の保管庫」から、「多文化的価値を協働的に創出する場」へと変化しているのです。とりわけ、国家や地域を超えた課題——たとえば植民地期に移動した文化財の返還問題、気候変動による文化遺産の保全、難民とアイデンティティの問題など——に対して、国際連携を通じて対応する必要性が高まっています(Wang, 2018)。
制度的枠組みの観点から見ると、国際博物館会議(ICOM)やユネスコといった国際機関は、博物館の国際協力を支えるための共通基盤を提供しています。ICOMの下には、ICME(民族学系博物館)、CIDOC(情報学)、ICEE(展示交流)などの国際委員会が存在し、専門家による実践知と理論の共有を促進しています。これらのネットワークは、展示方法や保存技術の国際標準化、文化資源のデジタル共有、倫理的ガイドラインの整備など、多方面において博物館界全体の質を底上げする機能を担っています。
また、近年注目されるのが、特定の博物館が複数の国・都市に拠点を展開する「ネットワーク型博物館」の動きです。たとえば、ソロモン・R・グッゲンハイム財団が展開するグッゲンハイム美術館は、ニューヨークを本拠地としながら、ビルバオ(スペイン)やヴェネツィア(イタリア)にも施設を設けており、国際的な芸術資源の流通とブランド力の強化を同時に実現しています(Dennison, 2003)。なかでも1997年に開館したグッゲンハイム・ビルバオ美術館は、国際連携と地域再生を両立した成功事例として広く知られており、グローバルブランドを活かした文化施設が都市に経済的・文化的な活力をもたらすモデルとなりました(Plaza & Haarich, 2015)。
このような事例から分かるように、国際連携は一方的に「知」を輸出するのではなく、相互の資源・価値観・目標を調整しながら「共創」するプロセスです。その意味で、国際連携は単なる技術的・事務的な協力ではなく、博物館の根源的な問い──「私たちは誰か」「何を保存し、どう伝えるか」──を、多様な文化的文脈のなかで再構築する実践でもあるのです。
文化外交とミュージアム外交という考え方
国際連携が進展するなかで、博物館はしばしば「文化外交(cultural diplomacy)」の担い手として位置づけられます。文化外交とは、文化芸術を通じて他国との友好関係を築き、相互理解を深め、ひいては国家間の信頼関係や政策的な協力へとつなげていく外交手法の一つです。軍事力や経済力とは異なる「ソフトパワー」に基づくこのアプローチは、21世紀の国際関係においてますます重要性を増しています(Cai, 2012)。
この文脈において博物館は、文化財や展示、専門的知識といった資源を通じて他国と交流し、「政治的緊張の緩衝材」や「関係改善のきっかけ」として機能することがあります。たとえば、英国の大英博物館は中国やイランといった国々との関係において、展示交流を通じて文化的接触と対話の場を創出し、政治とは異なる次元での関係構築に寄与してきました(Cai, 2012)。このように、博物館の文化活動が外交的な意図を帯びる場合、それは「ミュージアム外交(museum diplomacy)」と呼ばれることもあります(Grincheva, 2019)。
ミュージアム外交の特徴は、文化外交の一形態でありながら、必ずしも国家主体ではないという点にあります。しばしば、自治体や個別の博物館が独自の判断で国際交流を推進することもあり、その場合には地方外交や都市外交の一端を担う存在として、より柔軟かつ草の根的な文化外交が展開されます。たとえば、シンガポールとフランスの博物館が協定を結び、相互に展示を貸し出す形で進めた文化協力は、両国の政治的・経済的背景を超えて、博物館主導で実現された事例として注目されています(Cai, 2012)。
また近年では、「フランチャイズ型博物館」による新たな外交モデルも現れています。たとえば、フランスのルーヴル美術館とアラブ首長国連邦のアブダビ政府が連携し、2017年に開館した「ルーヴル・アブダビ」は、国際的な文化ブランドと地元政府の戦略的野心が交差する、いわば「グローカル(glocal)」な博物館外交の象徴とされています(Grincheva, 2019)。この事例は、国際的な価値観とローカルな文化的背景が折り合いをつけながら、いかに協働的にひとつの文化施設を運営できるかという新たな視点を提供してくれます。
とはいえ、ミュージアム外交には課題もあります。文化的資源の非対称性、交渉力の差、政治的背景の違いなどが、真の対等なパートナーシップ形成を妨げることも少なくありません。特に、先進国の博物館が「文化の送り手」として振る舞うことが、結果として文化帝国主義的な構図を再生産するリスクも指摘されています(Cai, 2012)。そのため、相手国の文化的主権を尊重し、共創的な関係を築く姿勢が不可欠です。
このように、ミュージアム外交は、博物館の活動が文化的領域を超えて国際的な影響力をもつ可能性を示すと同時に、その実践には慎重な設計と信頼の構築が求められる領域でもあります。文化の名のもとに行われる交流であるからこそ、真の相互理解と対等性に基づく協働を目指すべきであることが、あらためて問われているのです。
国際連携の具体的事例に見る展開
博物館における国際連携は、その意義を語るだけでは捉えきれない複雑な実践の積み重ねに基づいています。理念や制度に裏打ちされた仕組みである一方で、実際には文化的、経済的、政治的な動機が交錯する空間でもあります。本節では、近年注目を集めてきた三つの国際連携事例――グッゲンハイム・ビルバオ、ルーヴル・アブダビ、シンガポールとフランスの博物館協力――を通じて、連携の実態と課題を多角的に考察します。
グッゲンハイム・ビルバオに見るブランド連携と都市戦略
1997年に開館したグッゲンハイム・ビルバオ美術館は、ソロモン・R・グッゲンハイム財団(米国)とスペイン・バスク自治政府との協定に基づいて設立された、いわば文化ブランドの戦略的輸入による都市再生事業でした。
財団は、美術館の運営指針やキュレーションの支援、作品の貸し出しを通じて、ビルバオ館の国際的評価の向上に貢献し、現地は建設費・管理費・施設運営などの主たる責任を担いました。こうした関係は、文化ブランドの移植と地域開発の融合モデルとも言えます(Dennison, 2003)。
開館初年度に100万人超を動員したこの館は、同市の経済再生や観光振興に大きな効果をもたらし、「ビルバオ効果」という言葉が生まれるほど、都市政策と文化政策を結びつける象徴的存在となりました(Plaza & Haarich, 2015)。一方で、外来の文化が地域文化とどのように調和するのか、経済効果の持続可能性や地域住民への還元の在り方など、長期的な視点での課題も浮き彫りになっています。
ルーヴル・アブダビに見る国家間協定と文化外交のかたち
アラブ首長国連邦(UAE)は、国家戦略として「脱石油」「知識経済への転換」を掲げるなかで、国際的文化機関との連携を重視し、フランス政府と協定を結んで2017年にルーヴル・アブダビを開館させました。
このプロジェクトは、フランスが文化ブランドの使用許可を与える代わりに、UAE側が巨額の契約料を支払い、20年間にわたって展示協力・人材育成・教育支援・運営アドバイスを受けるというもので、文化外交・ソフトパワー・経済投資が融合した複合的枠組みです(Grincheva, 2019)。
建物はジャン・ヌーヴェルによる建築美で知られ、展示は「文明の交差点としての人類史」という視座に基づき、宗教や地域を越えた普遍的価値の提示がなされています。UAEにとっては国際的文化都市としての格を高める戦略的拠点となり、フランスにとっては国家の文化的影響力を拡張する外交的成果となりました。
ただしこの連携には、過度な商業主義への懸念、文化的依存関係、労働環境の倫理問題といった批判も存在します。これは、文化機関がグローバルな関係性において果たす役割の複雑さを象徴する事例でもあります。
シンガポールとフランスの協定に見る対等性と文化的交渉
急速な近代化と国際化を進めてきたシンガポールでは、文化資源の充実を図るために欧州諸国との連携が戦略的に進められてきました。その一環として行われたフランスとの文化協力協定では、両国の国立博物館による展覧会の交換、学芸員の相互派遣、展示技術や保存に関する研修などが行われました(Cai, 2012)。
この事例では、世界的な美術作品を紹介する機会を得たシンガポール側にとって、多くのメリットがあった一方で、展示内容の選定や交渉の場面ではフランス側の主導性が強く、資源の非対称性や文化的影響力の偏りが可視化される結果ともなりました。
このような「協力」において、文化的・経済的格差が見えにくい形で再生産されるリスクがあることは、今後の国際連携において「対等なパートナーシップ」とは何かを問い直すうえで重要な示唆を与えます。
考察:国際連携は共創か、模倣か
これら三つの事例から見えてくるのは、国際連携が一様なモデルで進められているわけではなく、それぞれの文脈に応じて「共創的な関係構築」か、「資源の移転と模倣」かの間で揺れているという実態です。
ブランドの強さ、制度の設計、対等性への配慮が連携の成果を左右する一方で、文化施設の公共性や倫理性も常に問われています。博物館にとって国際連携は、単なる「海外展の開催」ではなく、自己と他者の関係性をいかに構築するかという、経営と文化の根本に関わる実践だといえるでしょう。
国際連携を支える制度と課題
博物館の国際連携は、個々の機関の自主的判断だけで成立するものではありません。その背後には、連携を支える制度的枠組みや政策、そして多様なリソースの調整があります。本節では、国際連携の制度的背景と、そこに内在する実務的・倫理的課題について検討します。
国際的制度とネットワークの役割
博物館の国際連携を制度的に支える存在として、国際博物館会議(ICOM)やユネスコといった国際機関は重要な役割を果たしています。ICOMは、博物館の定義や倫理規範、専門分野ごとの国際委員会(CIDOC、ICEE、ICMEなど)を通じて、展示交換や資料共有、キュレーションに関するガイドラインを提供し、連携時の共通言語として機能しています。
また、ユネスコは文化財保護に関する国際条約(例:文化財の不法輸出入等の禁止条約)を通じて、文化的所有権や返還に関わる国際的な合意形成の土台を築いてきました。こうした国際的制度は、博物館間の協働を法的・倫理的に支えると同時に、文化的資源の公平な活用と保護を目指す枠組みを形成しています。
実務面における課題と調整の困難
一方で、国際連携の現場では制度だけでは解決できないさまざまな課題が存在します。第一に、資金面の制約があります。翻訳、輸送、保険、展示設営、スタッフ交流などには多額の費用がかかり、とくに中規模以下の博物館では連携を実現するためのリソース確保が大きな壁となっています。
次に、人材面での課題も見逃せません。国際連携には語学力や交渉力、異文化理解、専門知識を兼ね備えた人材が必要ですが、そうしたスキルを持つスタッフを安定的に配置し、継続的に関係を築くことは容易ではありません。
さらに、制度的には整備されていても、実際の調整過程では展示物の移送条件、安全基準、保険契約、税関処理など、国や館によって細かな基準が異なり、実務的な煩雑さが連携の障壁になることもあります。文化財返還や共同所有のようなデリケートな問題では、制度では解決できない歴史的・政治的背景が交渉を難航させることもあります。
倫理的視点と文化的感受性の必要性
制度や実務に加えて、近年ますます重視されているのが倫理的・文化的な視点です。とりわけ、植民地主義的な背景をもつ文化財や、先住民族の知的財産とされる資料の扱いに関しては、倫理的配慮が不可欠です。文化のやりとりが「交換」ではなく「搾取」とならないためには、対話に基づいた関係性の構築と、文化的主権への理解が求められます。
国際連携を推進するうえでは、契約の公平性だけでなく、文化的文脈や地域的価値観への共感を基盤とした協働が不可欠です。制度がもたらすのはあくまで可能性の枠組みであり、それをどのように実践へと変換していくかは、博物館の姿勢と連携相手との関係性にかかっています。
まとめ:国際連携の意義とこれからの展望
博物館の国際連携は、単なる展示や資料の貸し借りにとどまらず、文化を通じて社会や世界とつながるための複合的な営みであることが、これまでの議論から明らかになりました。連携を通じて、博物館は異なる文化や価値観と対話し、相互理解や信頼を築く場となると同時に、社会的・経済的・外交的な意味も帯びるようになっています。
国際連携の価値と可能性
国際連携の意義は多方面に及びます。展示の質的向上、知の共有、専門性の強化、多文化理解の促進、そして文化外交や都市戦略への貢献など、博物館の活動を広く社会に開いていくための手段として、大きな価値をもっています。また、他者との協働を通じて、自館のアイデンティティやミッションを再確認し、組織としての成熟にもつながります。
特にグローバルな課題が共有される現代においては、博物館が「ナショナルな文化機関」にとどまらず、「地球的な公共財」の一端を担う存在として行動することが求められています。そのための足がかりとして、国際連携は単なる手段以上の戦略的な選択肢であるといえるでしょう。
実践に向けた課題と展望
その一方で、実際の国際連携は資源、制度、価値観の違いといった現実的な壁に直面しています。資金や人材の制約、制度的なばらつき、文化的非対称性、倫理的懸念などは、連携を一方的な輸出入や模倣に陥らせるリスクを伴います。
こうした中で重要となるのは、「共創的な連携」をいかに設計・実現できるかという視点です。対等性と相互尊重に立脚し、目的や文脈を共有したうえで、継続可能な関係性を築くことが、これからの博物館に求められる姿勢であるといえます。制度の整備や資源の確保と並行して、文化的感受性と倫理的判断力を備えた連携デザインの能力が今後ますます求められるでしょう。
国際連携の未来に向けて
今後、博物館の国際連携は、テクノロジーの進化やパンデミック以後の社会変化、そしてグローバルな正義への関心の高まりとともに、より多様な形を取りながら進化していくと考えられます。対面型の展示協力だけでなく、デジタルアーカイブの共用、バーチャル展覧会の共同企画、気候危機や文化的公正といったテーマをめぐる国際的議論の場としての機能も期待されるでしょう。
博物館が国境を越えてつながりながら、同時にローカルな現場にも根ざしていく。そのような「グローカル」な視点を持つことで、国際連携は一過性のイベントではなく、組織の持続可能な戦略の一部として定着していくはずです。国際連携の本質は、他者との協働を通じて自らを問い直すことにあります。だからこそ、博物館にとって国際連携は、未来を見据えた学びの場でもあるのです。
参考文献
- Cai, Y. (2012). Museum diplomacy: The role of museums in contemporary Chinese foreign policy. The Hague Journal of Diplomacy, 7(1), 73–98.
- Dennison, D. M. (2003). The Guggenheim Museum Bilbao: Between regional embeddedness and global networking. European Planning Studies, 11(4), 397–412.
- Grincheva, N. (2019). Museum diplomacy: Transnational publics and cultural exchanges. Routledge.
- Plaza, B., & Haarich, S. N. (2015). The Guggenheim Museum Bilbao: Between regional embeddedness and global networking. European Planning Studies, 23(8), 1456–1475.
- Wang, Z. (2018). Cultural diplomacy and the rise of museums in China. International Journal of Cultural Policy, 24(4), 515–531.