博物館は文化観光の中核となるか ― 経験価値と観光戦略の交差点を探る

目次

はじめに:なぜ今「文化観光」と博物館なのか

近年、「文化観光」という言葉が改めて注目を集めています。国連世界観光機関(UNWTO)や日本の観光庁などが推進する観光政策においても、単なる観光消費から地域の文化的価値を深く体験する方向へとシフトが進んでいます。パンデミック後の観光再構築においても、画一的な観光ではなく「その土地ならではの文化資源」に焦点を当てることが求められるようになりました。こうした動きの中で、地域の文化を象徴し、保存・発信する場である博物館の存在が再評価されています。

博物館はこれまで「知の拠点」として教育的・研究的な価値を重視されてきましたが、近年は「観光体験の場」としても大きな可能性を秘めているとされます。来館者の関心は、展示物そのものだけでなく、その背景にあるストーリーや地域とのつながりといった「体験全体」に向かいつつあります。とりわけ訪日外国人や国内旅行者にとって、博物館はその土地の文化を直感的に理解する入り口であり、「知的な観光体験」を可能にする装置ともいえるのです。

本ブログではこれまでにも、文化観光における博物館の戦略的な価値や、その社会的役割について考察してきました(ミュージアムの戦略的価値と文化観光ミュージアムと文化観光:その役割と影響力)。今回の記事では、そうした理論的な整理をふまえたうえで、より実践的な問いに焦点を当てます。それは、「現場の職員が文化観光に向けて、今すぐに取り組めることは何か」という視点です。

この記事では、文化観光における博物館の役割を、体験価値理論や実際の事例とともに再確認しながら、実務者が明日から取り組める5つの戦略的アクションを紹介します。

博物館と文化観光の関係 ― なぜ観光客は博物館に来るのか?

文化観光において、博物館はしばしば「最初に訪れる文化拠点」として位置づけられています。都市の中心部や歴史地区に立地することも多く、アクセスしやすいという立地条件に加え、その地域の歴史・芸術・アイデンティティを一か所で体験できる場であることが、その理由といえるでしょう。とくにインバウンド観光や都市観光では、ガイドブックやツアープランの中で「定番の訪問先」として博物館が紹介されることも多く、観光の導入装置として機能しているのです(Prentice, 2001)。

しかし、観光客が博物館を訪れるのは単に「知識を得るため」ではありません。多くの来館者は、その土地ならではの文脈の中で展示を体験し、自らの関心や価値観と重ねながら「意味のある時間」を過ごすことを求めています。展示を通じた学びや驚き、ストーリーテリングの中での自己投影といった要素が、観光体験の質を左右します。つまり、博物館は「知識の提供者」ではあると同時に、観光者の「知的好奇心」や「感情的共鳴」に応える場でもあるのです。

近年では、観光体験における質の概念として「記憶に残る観光体験(MTE: Memorable Tourism Experience)」という枠組みが注目されています。これは、来館後も記憶に残るような強い印象や感情的な満足感を与える体験のことで、再訪意図や口コミ、地域への愛着形成といった行動にも大きな影響を及ぼします(Chen, 2017)。博物館におけるMTEは、展示の質だけでなく、スタッフとの対話、空間デザイン、周辺環境との関係性によっても左右されます。文化観光において博物館が持つ競争力は、こうした「他では得られない深い体験」を生み出せるかどうかにかかっているのです。

また、文化観光客と一般的な娯楽型観光客の間には、動機の面で明確な違いがあることも見逃せません。前者はショッピングや娯楽といった消費行動よりも、その土地の文化や人びとの暮らしに触れること、さらには自己成長や社会とのつながりを実感することに重きを置いています(Jafari, Taheri & vom Lehn, 2013)。博物館はまさにこうしたニーズに応えることのできる空間であり、展示内容の質や地域性を高めることで、観光客にとって「忘れられない経験」の場となる可能性があります。

このように、博物館は文化観光の中で「意味の受け皿」として機能し、来館者の記憶に残る体験を提供することで、地域の観光戦略に貢献する存在となります。

成功事例に学ぶ:グッゲンハイム・ビルバオの戦略と数字

スペインのバスク地方に位置するビルバオは、かつて産業衰退により深刻な経済不況と人口減少に直面していました。そうした状況の中で、1997年に開館したグッゲンハイム・ビルバオ美術館は、単なる文化施設にとどまらず、都市の再生を牽引する象徴的存在となりました。この事例は、いわゆる「ビルバオ効果」として世界中で注目を集め、博物館が都市戦略や文化観光に与える影響の大きさを示す代表例とされています(Plaza, 2000)。

その大きな要因のひとつが、建築そのものの魅力です。フランク・ゲーリーによる有機的で彫刻的な建築デザインは、美術館を訪れる目的を展示以上のものに変えました。建物自体がランドマークとして観光客を惹きつける役割を果たし、都市全体のイメージ刷新にもつながりました。観光資源としての建築は、視覚的なインパクトだけでなく、「この場所に行ってみたい」と思わせる感情的な動機を引き出します。こうした「訪れる理由」を建築によって生み出せたことが、文化施設と観光の交差点において極めて有効に機能したといえます。

加えて、グローバルな文化プログラムの展開も重要な戦略のひとつです。ソロモン・R・グッゲンハイム財団との提携により、ニューヨークやヴェネツィアなどの姉妹館と連動した国際展覧会が開催され、常に注目度の高いコンテンツが提供されてきました。こうした継続的かつ質の高い展示は、一過性の話題で終わらず、再訪を促す仕組みとして観光需要の維持に寄与しています。さらに、国際ネットワークとの接続によって、美術館自体のブランド価値が強化され、世界中からの集客にもつながりました。

この取り組みにより、ビルバオの都市経済は大きく変化しました。開館から10年で累計1,000万人以上の来館者を記録し、年間の観光収入は約3億ユーロにのぼると報告されています。また、直接雇用と周辺ビジネスの波及効果を含めると、数千人規模の新たな雇用が創出されました。さらに、ビルバオ市内の宿泊施設、飲食業、交通機関など観光関連産業にも広範な波及効果が認められており、博物館が地域経済の中核を担う存在として定着したのです(Plaza, 2000)。

注目すべきは、こうした成功が単に「大都市の一発逆転」ではなく、明確な戦略のもとに成り立っている点です。第一に、建築そのものが目的地化するよう設計されていたことが挙げられます。ゲーリーのデザインは、都市の記憶に残るアイコンとして、美術館そのものを「訪れる動機」に変えました。これは、観光客の移動行動において「視覚的に語れる場所」がいかに強力かを示す実例といえます。

第二に、提供されるコンテンツの質と更新性が戦略的に管理されていた点も重要です。単発の展示に終わらず、グッゲンハイム財団との連携を活かして常に高水準の展覧会が展開されました。その結果、「一度行けば十分」ではなく「次も気になる」と思わせる仕組みができあがり、リピーターや長期的な観光需要の獲得につながりました。

第三に、美術館のブランディングと都市のイメージ戦略が整合していた点が挙げられます。ビルバオは工業都市から文化都市への脱皮を図る中で、美術館をその象徴と位置づけました。つまり、文化施設が都市アイデンティティの再構築と経済振興の両面で中核を担うよう、政策と設計が連動していたのです。このように、建築・内容・都市戦略の三位一体で「意味のある訪問先」を創り出せたことが、ビルバオの成功を決定づけた要因といえるでしょう。

現場で活かす!文化観光のための博物館実践5選

文化観光と博物館の連携を進めるにあたっては、理念や戦略だけでなく、現場で実践できる具体的なアプローチが求められます。ここでは、今日から取り組める5つの実践アイデアを紹介します。

1. 地域資源と結びつけたストーリーテリングの強化

地域の歴史や風土、人物、産業などと博物館の展示を連動させることで、「この土地ならではの学び」が生まれます。単にモノを並べるのではなく、訪れる人にその背景や文脈を感じさせるナラティブを設計することが重要です。たとえば、歴史博物館が地域の城下町や文化遺産と連携して、街歩き型の展示体験を提供するなど、観光ルート全体にストーリーを持たせる工夫が効果的です(Prentice, 2001)。

2. 地元産業・商業とのパートナーシップづくり

博物館ショップで地域の特産品や伝統工芸とコラボした商品を販売する、あるいは地元の飲食店と連携して「ミュージアムランチ」や周遊型のスタンプラリーを実施するといった取り組みが挙げられます。こうした協働は、博物館の来館者がまちに滞在する動機づけとなり、地域全体の経済にも好影響を与えます(Plaza, 2000)。

3. 観光事業者との連携によるツアー商品開発

旅行会社や観光協会と協力し、博物館を訪問先に含んだパッケージツアーを設計することは、集客の安定化に寄与します。特に訪日観光客を対象とした多言語ガイド付きの見学や、周辺観光地とのセットプランは高い需要があります。観光拠点である駅やホテルと連携したチケット販売や案内も有効です(Ceballos-Lascurain, 2004)。

4. MTE(記憶に残る観光体験)を意識した体験設計

体験型展示やワークショップ、写真映えするスポットの整備は、来館者の感情に訴える効果があります。例えば、伝統文化をテーマにした実演イベントや、季節限定の装飾展示などは、訪問体験を特別なものに変えます。来館者がSNSで共有したくなるような「参加型の仕掛け」を用意することも、効果的なプロモーションになります(Chen, 2017)。

5. 地域全体でのブランディングと一貫性のある情報発信

パンフレット、ウェブサイト、駅構内の広告、観光案内所など、あらゆる接点で統一感のあるメッセージを伝えることが、訪問意欲を高めます。博物館が地域全体のハブとして情報を整理・発信する役割を担うことで、「文化に出会えるまち」という印象を強化できます。また、来訪前・中・後の情報連携を意識し、事前学習コンテンツや来館後のフォローアップメール配信などを行うと、来館者の満足度向上と再訪にもつながります(Nowacki, 2005)。

これらの実践はいずれも、巨額の予算や大都市型の施設でなければできないというものではありません。むしろ地域に根ざした博物館だからこそ、観光と連携することで固有の価値を発揮できる余地が大きいのです。

自館でどう始める?文化観光に向けた内部連携のすすめ

文化観光と博物館の連携を進めるには、まず館内における「連携の土壌」を整えることが欠かせません。外部との協働は、内部の意思統一や連携体制が不十分なまま進めてしまうと、部分的な施策に終始し、持続的な成果につながらない可能性があります。この節では、自館で文化観光の取り組みを始める際に必要な「内部連携」の視点について考えてみます。

まず重要なのは、文化観光に関する取り組みが一部門だけの役割でないという認識の共有です。観光連携はしばしば「広報の仕事」「地域連携担当の業務」と捉えられがちですが、実際には教育普及、展示企画、学芸調査、総務・受付といったさまざまな部門が関与するべき全館的な活動です。たとえば、観光客向けに展示を一部リライトする場合でも、学芸と広報が協働しなければ適切な伝え方にはなりません。館としてのミッションやビジョンに立ち返り、文化観光がその実現にどう貢献しうるかを言語化する作業が求められます(Plaza, 2000)。

次に、取り組みのスタートには「小さな成功体験」を積み重ね、それを組織内で共有することが有効です。大きなプロジェクトをいきなり立ち上げるのではなく、たとえば「地元観光協会にイベントチラシを置いてもらった」「ホテルと連携してミニ展示を行った」といった小規模な連携から始め、それが来館者の増加や好意的なフィードバックとして現れた場合には、館内のメールニュースや会議で積極的に共有することが肝心です。こうした共感型のアプローチによって、「観光との連携って意外と身近で、うちにもできるかもしれない」という雰囲気が生まれます(Nowacki, 2005)。

また、連携を実務として継続していくには、館内での責任体制の明確化が不可欠です。「文化観光連携担当」あるいは小規模なプロジェクトチームを編成し、年度ごとの目標設定と評価基準を設けることで、担当者依存ではなく組織としての動きが確立します。特に中小規模の館においては、他業務と兼務での対応になりがちなため、無理なく続けられる体制設計が鍵となります(Ceballos-Lascurain, 2004)。

さらに、観光業界との連携を円滑に進めるには、「異なる言語と感覚」の存在を理解することも大切です。たとえば、博物館が「質の高い学術的展示」を重視する一方で、観光業界は「滞在時間」「回遊性」「フォトスポット」といった観点を重視します。こうした価値観の違いを認識し、相手のニーズに応じた表現や提案ができるよう、共通言語の開発を図る必要があります。DMOや観光協会、自治体の観光課など、さまざまなプレイヤーと接点を持ち、博物館の強みを適切に伝える力が求められます(Chen, 2017)。

最後に、こうした内部連携と外部発信の両立には、「つなぎ役」となる人材の存在が不可欠です。館内の意見をまとめながら、外部の関係者と対話し、プロジェクトを前に進める推進役を確保することが、持続的な連携の鍵となります。この役割を担う人材には、コミュニケーション能力だけでなく、一定の裁量や継続性も必要です。限られた人員のなかでも、文化観光の文脈に強い関心と理解をもつ職員を育てていくことが、今後の組織戦略につながるでしょう(Prentice, 2001)。

まとめ:観光地になるのではなく、「体験地」になるために

文化観光における博物館の役割は、単なる観光地としての「場所」を提供することではなく、訪れた人の記憶に残る「体験」を通じて、文化的意味や地域の個性を伝えることにあります。観光連携とは、来館者を集めることそのものが目的ではなく、博物館本来の価値をどう社会に還元していくかという問い直しのプロセスでもあります(Prentice, 2001)。

近年注目されている体験価値(Memorable Tourism Experience:MTE)の概念においても、博物館は単なる情報提供の場ではなく、驚きや発見、感動といった情動的価値を通じて、観光客に深い印象を残す拠点となることが求められています(Chen, 2017)。展示やプログラムは、来館者が能動的に意味を生成し、他者と共有できるような構造を持つことで、「もう一度行きたい」と思わせる動機づけにつながります。

このような視点からすれば、観光業界との連携は「合わせにいく」活動ではなく、自館の理念や得意分野を観光資源として提示し、共創的な形で文化観光の一翼を担うアプローチであるべきです。前節で述べた内部連携の整備や、小さな実践の積み重ねは、まさにその第一歩となるものでしょう。

今後は、DXや地域教育、都市戦略との連携も視野に入れながら、文化観光を一過性の施策ではなく、中長期的な経営戦略の一部として捉えていく必要があります。観光地になるのではなく、「体験地」として持続的に選ばれる博物館を目指すこと――それこそが、これからの博物館経営に求められる視座ではないでしょうか。

参考文献

  • Ceballos-Lascurain, H. (2004). Tourism, ecotourism, and protected areas: The state of nature-based tourism around the world and guidelines for its development. IUCN – The World Conservation Union.
  • Chen, H. (2017). Creating memorable tourism experiences in museums: Evidence from creative tourism in Taiwan. Journal of Travel & Tourism Marketing, 34(7), 958–971.
  • Jafari, A., Taheri, B., & vom Lehn, D. (2013). Cultural consumption, interactive sociality, and the museum. Journal of Marketing Management, 29(15–16), 1729–1752.
  • Nowacki, M. M. (2005). Evaluating a museum as a tourist product using the SERVQUAL method. Museum Management and Curatorship, 20(3), 235–250.
  • Plaza, B. (2000). Evaluating the influence of a large cultural artifact in the attraction of tourism: The Guggenheim Museum Bilbao case. Urban Affairs Review, 36(2), 264–274.
  • Prentice, R. (2001). Experiential cultural tourism: Museums & the marketing of the new romanticism of evoked authenticity. Museum Management and Curatorship, 19(1), 5–26.
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この記事を書いた人

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日々の業務経験をもとに、ミュージアムの楽しさや魅力を発信しています。このサイトは、博物館関係者や研究者だけでなく、ミュージアムに興味を持つ一般の方々にも有益な情報源となることを目指しています。

私は、博物館・美術館の魅力をより多くの人に伝えるために「Museum Studies JAPAN」を立ち上げました。博物館は単なる展示施設ではなく、文化や歴史を未来へつなぐ重要な役割を担っています。運営者として、ミュージアムがどのように進化し、より多くの人々に価値を提供できるのかを追求し続けています。

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