世界最古の博物館とは何か ― ウルとエンニガルディ=ナンナの展示が現代に残したもの

ウルのジグラット(イラク・ナシリヤ近郊)。紀元前21世紀に建てられた古代メソポタミアの宗教建築。 写真:Hardnfast, CC BY-SA 2.0, Wikimedia Commons画像ページ https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ur-Nassiriyah.jpg
目次

なぜ「世界最古の博物館」を考えるのか ― 博物館の起源をたどる意義とは

近年、博物館の役割や意義は大きく変化しています。単なる収蔵品の陳列の場ではなく、来館者との対話、社会課題への応答、記憶やアイデンティティの再構築といった、多様な役割が求められるようになりました。脱植民地主義の視点やデジタル化の進展、多様性の尊重など、博物館を取り巻く社会的な期待や課題もますます多様化しています。こうした時代の変化のなかで、「そもそも博物館とは何か」「その原点はどこにあるのか」という根本的な問い直しが重要になっています。

博物館という言葉が近代以降に制度化されたものであることは確かですが、「収集」「保存」「展示」「解説」といった営みは、遥か昔から人類の文化の中に存在してきました。その起源を探るうえで、特に注目されるのが紀元前530年頃、バビロニアの都市ウルにあったとされる王女エンニガルディ=ナンナによる展示空間です。この展示は、現存する記録のなかで「世界最古の博物館」とも呼ばれており、現代のミュージアムに通じる多くの要素を備えていました。

ウルの展示空間では、シュメールやアッカドなど古代メソポタミアの遺物が体系的に集められ、三言語による解説ラベルが添えられていました。この三言語ラベルの存在は、展示空間が単なる保管場所ではなく、明確な「伝達」「教育」を目的とした知識共有の場であったことを示しています。現代の博物館で重視される展示構成や情報提供の原型が、すでに古代のこの空間にみられるのです(Hopkins, 2021)。

ウルは、ジグラットをはじめとする宗教的・文化的な中心地であり、知識の継承や社会的な記憶の形成に大きな役割を果たしてきた都市です。その中でエンニガルディ=ナンナが担った「過去を未来に伝える」試みは、博物館という存在の本質を端的に象徴しています。彼女の展示空間は、単なる収集や保存の場ではなく、来訪者に向けて歴史と文化をわかりやすく可視化し、理解を深めることを目的として設計されていたと考えられます。

本記事では、この「世界最古の博物館」とされるウルの展示空間を出発点とし、博物館の起源とその思想、現代への影響について掘り下げていきます。なぜこれを“博物館”と呼ぶことができるのか、どのような歴史的背景や社会的意味があったのか、そして現代の博物館の在り方にどんな問いを投げかけているのか。展示の形式・空間・思想という視点から、古代と現代をつなぐ「博物館の起源」に迫ります。

ウルの博物館とは ― エンニガルディ=ナンナと古代展示空間の実像

古代メソポタミア文明の中でも、ウルはバビロニア時代を代表する宗教都市として広く知られています。ウルはユーフラテス川の流域に位置し、シュメール、アッカド、バビロニアといった諸文明が交錯する地域に発展しました。ジグラットに象徴されるように、宗教的な中心地であると同時に、文化と知識の蓄積・継承が重視されてきた場所でもあります。バビロニア帝国末期、都市ウルは依然として精神的・文化的な重みを持っていました。

この都市で特筆すべき存在が、王女エンニガルディ=ナンナです。彼女は新バビロニア王ナボニドゥスの娘であり、ウルの最高位女司祭を務めた人物でもあります。王家に生まれた女性として、宗教祭儀や都市運営だけでなく、知識の伝承と記憶の保存にも深い関心を抱いていました。彼女が展示空間を設けた背景には、古代メソポタミアの多様な歴史遺産を次世代に伝えるという強い使命感があったと考えられます。

エンニガルディ=ナンナが設けた展示空間は、現存する資料の中で「世界最古の博物館」とされるものです。この空間は、現代の博物館の原型と呼ぶにふさわしい特徴を備えていました。第一に、遺物の体系的な収集・保存が行われていた点が挙げられます。展示物には、ウルだけでなく、さらに古いシュメールやアッカド、バビロニアの各都市から発掘された煉瓦片や碑文、工芸品などが含まれていました。それぞれの遺物は「歴史の証拠」として位置付けられ、過去の文明の痕跡を後世に伝える役割を担っていました。

第二の大きな特徴は、「解説ラベル」の存在です。各展示物には、三言語(アッカド語、シュメール語、当時の一般的なバビロニア語)で説明が刻まれた粘土板が添えられていました(Hopkins, 2021)。このラベルは単なる名称や年代の提示にとどまらず、由来や意義、文化的価値について簡潔にまとめられていたとされています。こうした多言語対応は、当時の多民族・多言語社会において幅広い来訪者への知識伝達を意識したものであり、現代の博物館における解説文やキャプション、メタデータ管理の原点と見ることができます。

展示空間の場所や規模については詳細な記録が残っていないものの、宮殿やジグラットの一角、あるいは独立した建造物として設けられていた可能性が高いとされています。遺物の配置や動線設計も、単に保管するのではなく、来訪者が過去の歴史を体系的に理解できるよう工夫されていたと考えられます。これは「展示」という行為そのものが持つ、物語性と教育性を重視した先駆的な試みでした。

このような展示空間の意義は、単に古代遺物を保存・公開するだけではありませんでした。当時のバビロニア社会において、過去の栄光や文化的伝統を顕彰し、王権や都市の正当性を強調する政治的意図があったと考えられます。また、宗教儀式や教育活動とも密接に関わり、知識や文化の継承を担う公共的役割を果たしていました。とくに、王女という立場の女性がこのような空間を設計・運営したことは、古代社会における知識伝承や文化的リーダーシップの多様性を示しています。

エンニガルディ=ナンナによる展示空間は、現代の博物館に見られる「収集・保存・展示・解説」の全要素をすでに先取りしていたと言えるでしょう。公共性や知識共有の理念、多様な来訪者への配慮といった視点も、この空間のなかに色濃く現れています。現代のミュージアムとの共通点や差異については、次節でさらに詳しく考察します。

展示品と三言語ラベル ― 世界最古の展示構成とその意図

エンニガルディ=ナンナが設けたウルの展示空間では、古代メソポタミアの多様な時代や都市から集められた遺物が展示されていました。たとえば、シュメールやアッカド、バビロニアといった複数の文明の煉瓦片や碑文、工芸品、宗教的な遺物などが主な展示品として並んでいたことが記録から明らかになっています。これらの遺物は、都市ウルだけでなく、周辺地域からも体系的に収集されたものであり、それぞれが古代文明の歴史や宗教、技術の発展を物語っています。

特に注目すべきは、こうした遺物一つひとつに「三言語ラベル」が添えられていた点です。三言語とは、当時の支配的なアッカド語、伝統的なシュメール語、そしてバビロニア語(あるいは当時の現地語)であり、それぞれの粘土板ラベルには遺物の名称や由来、意義が簡潔にまとめられていました(Hopkins, 2021)。この多言語による解説ラベルは、来訪者が異なる文化的背景を持つ場合にも展示内容を理解しやすくするための配慮であり、現代の博物館における多言語対応の展示解説やキャプションの原型といえます。

現存する粘土板ラベルの一部には、「これはアッカド王朝の時代に作られた煉瓦である」「この工芸品はウル第三王朝時代に奉納された」など、遺物の歴史的背景や使用目的を説明する内容が刻まれています。単にモノを並べるのではなく、そこに込められた意味や物語を、誰もが読み取れるかたちで提示しようとする思想が明確に表れていました。三言語ラベルは、権威や伝統の正統性を示す政治的な意図もあれば、教育や知識伝承といった公共的な側面も持っていたと考えられます。

展示空間の構成についても、遺物の分類やテーマごとの配置、動線設計など、体系的かつ教育的な工夫がなされていた可能性があります。来訪者が過去の歴史を時代や文化ごとにたどれるような構成は、「展示空間を通して物語を体験させる」という現代の展示デザインに通じるものです。展示物の選定基準や配置の工夫には、記憶の継承だけでなく、学びの場としての意図も読み取ることができます。

このような三言語ラベルや展示構成は、現代の博物館におけるメタデータやタグ付け、インクルーシブな展示設計にもつながるものです。多様な来館者に配慮し、知識や価値観の共有を重視する博物館運営の理念が、紀元前の展示空間にもすでに息づいていたことは、非常に示唆に富むものと言えるでしょう。エンニガルディ=ナンナの実践は、時代や地域を超えて、今日の博物館が追求する「多様性」「包摂」「知識伝承」の原点を体現していたのです。

建築と展示デザインの起源 ― 空間構成と来訪者体験

ウルの展示空間が設けられていた場所について、正確な物理的構造や規模を特定する記録は残っていませんが、ジグラットや宮殿の一角、あるいは独立した建造物の可能性が高いと考えられています。古代メソポタミア建築は、煉瓦造りの壮大な宗教建築を特徴とし、そこに併設された空間が「展示」や「記憶の場」として機能していました。宗教儀式の中心地であったジグラットの周辺には、王族や司祭が使用するさまざまな部屋や広間が存在し、遺物を保存・展示する空間を確保することができました。これらの空間が、現代で言うところの博物館的展示空間の原型となったと推察できます。

展示物の配置や分類方法にも、明確な設計思想が感じられます。発掘された遺物は、時代やテーマごとにグループ分けされ、来訪者が時系列や文化の違いを理解しやすいような工夫がなされていたと考えられます。単にモノを並べるだけでなく、動線や見学ルートを設計し、過去の物語を辿る「体験」を創出していた点は、現代の展示レイアウトやミュージアムのゾーニング設計にも通じます。こうした分類や配置は、学術的な体系化の萌芽であり、知識の可視化と伝達を重視した先進的な発想だったといえるでしょう。

また、エンニガルディ=ナンナが設計したとされる展示空間には、単なる陳列を超えて、来訪者が「過去と対話」できるような空間構成が意図されていたことが推測されます。展示物の背景や価値が三言語ラベルによって伝えられることで、訪れた人々はただ見るだけではなく、物語や歴史的な意味を自ら発見する「参加型」「体験型」の展示の萌芽を感じ取ることができます。たとえば、現代の博物館で重視されるインタラクティブ展示やハンズオン展示も、起源をたどればこのような来訪者体験への配慮に行き着くのです。

ウルの展示空間は、宗教的・社会的な象徴性も大きな意味を持っていました。ジグラットや宮殿の内部に配置された遺物展示は、都市の伝統や王権の正当性、さらには宗教的権威を示す役割を果たしていました。来訪者が遺物を通じて過去の偉業や信仰、社会的価値観を理解することは、共同体の記憶を共有し、文化的アイデンティティを再確認する営みそのものでした。展示空間は単なる保管庫ではなく、教育や記憶、包摂の場としても機能していたのです。

こうした空間デザインや展示思想は、現代のミュージアム建築や展示デザインに多くの示唆を与えています。来館者が自らのペースで展示を見て、知識を発見し、体験を通して新たな価値観を形成する――このような「来館者中心主義」は、古代の展示空間にもすでに萌芽が見られます。現代の参加型・体験型展示との違いや連続性を考えると、エンニガルディ=ナンナによる空間設計が、博物館の根源的な役割や未来の展示デザインを考えるうえで重要なヒントを与えてくれることが分かります。

現代博物館への示唆 ― 展示の理念と知識共有の連続性

ウルの展示空間が持っていた特徴は、現代の博物館にも引き継がれています。収集、保存、展示、解説という博物館の基本的な機能は、紀元前のウルから始まった流れの中で一貫して重視されてきました。三言語ラベルや遺物の体系的な分類などは、知識の可視化と共有、そして教育的な役割を果たすための工夫として、現代の展示解説やインクルーシブデザインの先駆けであったと言えます。多様な来訪者が背景や言語に関係なく内容を理解できる仕組みは、国際化が進む現代社会においても重要な視点となっています。

また、現代博物館においては、デジタルアーカイブやメタデータ管理といった新しい技術や運営手法が広がっています。収蔵品情報のデジタル化、Web上での情報公開、AIによる展示解説や多言語対応など、情報の整理と発信のあり方が多様化する中で、ウルの展示空間に見られた「知識をいかに正確かつ広く伝えるか」という問いは、今なお現役のテーマとなっています。参加型・体験型の展示や来館者エンゲージメントを重視する流れも、単なる陳列ではなく「物語や発見を共有する場」としての展示空間を再発見しようとする試みです。

社会的包摂や公共性の観点も、現代の博物館運営では極めて重要です。教育や社会参加、多様な価値観を尊重した運営が求められる時代に、ウルの展示空間が体現していた「すべての人に開かれた知識伝達」「多様性への配慮」は、今日の博物館経営の核となっています。博物館は単なるコレクションの保管庫や情報発信の場にとどまらず、来館者・市民・地域社会との双方向的な関係性を築く装置として、その役割を拡大し続けているのです。

さらに、なぜ人類が「展示」し、「伝える」ことを重視するのか、その本質的な理由を探ると、記憶やアイデンティティの形成、社会の価値や知識の継承といった根源的な欲求に行き着きます。展示空間は、個人や共同体が自らの歴史や文化を再発見し、未来に向けて新たな物語を紡ぐ場として機能します。これはウルの時代も、現代の博物館でも変わらない普遍的な役割です。

ウルの事例が現代の博物館に投げかける最大の示唆は、展示や知識伝承の技術が進化しても、その根底には「人と人をつなぎ、社会に対話を促す空間」という本質があることです。インクルーシブな展示デザインや多様性への配慮、文化の持続可能性など、現代の課題に向き合う際も、古代から継承される「展示の本質」に立ち返ることで、博物館の新たな価値や可能性が開けるはずです。

まとめ ― 世界最古の博物館から未来の展示を考える

本記事では、ウルの展示空間とエンニガルディ=ナンナの実践を通じて、博物館という制度や空間が持つ本質的な役割について再考してきました。紀元前530年頃のバビロニアにおいて、既に「収集」「保存」「展示」「解説」という博物館の基本的な要素が意識的に組み込まれていたことは、現代のミュージアムの起源をたどるうえで極めて重要な発見です。展示品に三言語ラベルを添えて多様な来訪者への知識共有を実現し、物語性や動線を考慮した空間構成を目指したエンニガルディ=ナンナの試みは、現代の展示デザインやインクルーシブな運営の原点ともいえます。

古代と現代をつなぐ「展示空間」の役割は、単なる収蔵や陳列ではなく、社会や文化の記憶を紡ぎ、知識や価値観を次世代に伝える「物語の場」として機能することにあります。来館者中心主義、多様性の包摂、社会的包摂性や公共性の重視は、現代博物館で盛んに議論されるテーマですが、その萌芽がすでにウルの展示空間に見て取れることは注目に値します。人類は古くから「伝える」「共有する」ことの意義を認識し、それを空間やモノの配置という形で表現してきました。

また、現代の博物館が直面するデジタルアーカイブの推進や参加型展示、社会的価値の再定義といった課題も、ウルの事例をふまえれば、その本質は「誰もが知識や物語にアクセスし、共有できる場」をいかに実現するかという問いに集約されます。インクルーシブな展示デザインや情報アクセスの工夫は、今後の博物館経営においても避けては通れない課題です。

これからの展示づくりに求められるのは、技術革新や社会構造の変化に対応しつつ、「展示する」ことの本質に立ち返る姿勢です。博物館は、社会や来館者とともに進化し続ける存在であり、知識と物語を開かれた形で共有する「公共の場」として、今後ますます重要な役割を担うことでしょう。世界最古の博物館の思想と実践から、現代と未来のミュージアムに向けた新たな視座を見出すことができるのです。

参考文献一覧

  • Hopkins, O. (2021). The Museum: From its Origins to the 21st Century. Frances Lincoln.
この記事が役立ったと感じられた方は、ぜひSNSなどでシェアをお願いします。
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

kontaのアバター konta ミュゼオロジスト

日々の業務経験をもとに、ミュージアムの楽しさや魅力を発信しています。このサイトは、博物館関係者や研究者だけでなく、ミュージアムに興味を持つ一般の方々にも有益な情報源となることを目指しています。

私は、博物館・美術館の魅力をより多くの人に伝えるために「Museum Studies JAPAN」を立ち上げました。博物館は単なる展示施設ではなく、文化や歴史を未来へつなぐ重要な役割を担っています。運営者として、ミュージアムがどのように進化し、より多くの人々に価値を提供できるのかを追求し続けています。

目次