はじめに ― 植物園という文化装置
現代社会では、都市化の進行とともに自然との距離が広がり、私たちは日常の中で植物に直接触れる機会を失いつつあります。その一方で、気候変動や生物多様性の喪失といった地球規模の課題が顕在化し、人と自然の関係を見つめ直す動きが世界的に高まっています。こうした状況の中で、植物園は単なる憩いの場ではなく、科学・教育・文化・社会をつなぐ公共的な装置として再び注目を集めています(Powledge, 2011)。植物園は、来園者に美しい景観を提供するだけでなく、環境教育や研究、さらには地域社会への貢献を担う存在へと進化してきました。
植物園とは、科学的に記録された生きた植物コレクションを保有し、研究・保全・展示・教育を目的として運営される機関です。国際的にはBGCI(Botanic Gardens Conservation International)がその定義を提示しており、「科学研究・保全・教育・展示を目的とする生きた植物の文書化されたコレクションを保有する機関」とされています。この定義が示すように、植物園は「植物を見せる庭園」ではなく、「植物を理解し、社会に還元する研究・教育機関」なのです。
日本においても、植物園は法的に博物館の範囲に含まれます。博物館法第2条では、「歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保存し、展示して、これを調査研究し、また教育普及に資することを目的とする施設をいう」と定められ、その中に動物園、植物園、水族館などが含まれることが明記されています。つまり、植物園は法制度上も明確に博物館の一形態であり、生きた植物を資料として扱い、教育普及活動を通じて社会に知を還元する「自然系博物館」と位置づけられます。このように見ると、植物園はまさに生きた博物館として、科学と社会をつなぐ重要な文化的基盤を形成しているといえるでしょう(Heywood, 2017)。
植物園の役割は固定されたものではなく、時代とともに変化してきました。16世紀に薬草園として誕生した植物園は、当初は医学や薬学教育のための学習空間でしたが、大航海時代の到来とともに、帝国が世界各地の植物を収集・分類し、経済・交易に活用する科学的拠点へと発展しました。19世紀以降は、近代科学の制度化とともに植物園が学術研究と教育の場としての機能を高め、市民が自然を学び体験する空間としても重要な役割を果たすようになります。そして20世紀後半には、環境破壊と生物多様性の危機が深刻化する中で、植物園は「保全科学」の中心的機関として国際的に再評価されました。さらに21世紀に入ると、市民科学や教育活動を通じて社会的包摂を担う施設へと発展し、科学と社会をつなぐハブとしての機能を拡張しています(Chen & Sun, 2018)。
このように、植物園は単なる研究施設でも観光施設でもなく、社会の価値観や自然観を映し出す文化的な鏡のような存在です。その変遷をたどることは、人類が自然をどのように理解し、どのように共存しようとしてきたのかを明らかにする試みでもあります。本記事では、近世ヨーロッパの薬草園に始まる植物園の歴史を追いながら、学術研究・保全活動・市民教育といった多面的な役割がどのように形成され、拡張されてきたのかを整理していきます。
次節では、植物園がどのようにして医学教育の場として生まれ、やがて帝国の科学的拠点へと発展していったのかを、ヨーロッパ近世の歴史的背景から見ていきます。
薬草園から帝国の植物収集へ ― 近世ヨーロッパの出発点
医学教育のための薬草園 ― 植物園の起源
16世紀のヨーロッパでは、植物園はまだ「薬草園(Physic Garden)」と呼ばれ、医学教育のための実践的な学習施設として誕生しました。パドヴァ大学(1545年設立)やライデン大学(1590年設立)の植物園はその典型であり、医学生たちは薬用植物の形態や性質を観察しながら、薬理学や植物学の基礎を学びました。当時、印刷技術の発展により植物図譜が普及しており、これらの植物園は図譜と実物を照合する「生きた教材」としての役割を果たしていました。こうした薬草園は、単なる教育施設ではなく、自然の多様性を系統的に理解する初期科学の拠点であったといえます(Powledge, 2011)。
帝国主義と植物学の結合 ― 知の支配装置としての植物園
やがて、大航海時代を迎えると植物園の性格は一変します。新大陸やアジア・アフリカから未知の植物が次々とヨーロッパに持ち込まれ、植物園はそれらを収集・分類・栽培する「世界植物の集積庫」となりました。特に18世紀以降のイギリスにおいて、植物園は国家的な役割を担うようになります。ロンドン近郊のキュー植物園(Royal Botanic Gardens, Kew)はその象徴的存在であり、「世界中の植物を集める」という理念のもと、帝国各地から植物を取り寄せて体系的に保存・研究しました。キュー植物園の活動は、科学的探求と経済的利益の双方を目的とするものであり、帝国主義の拡大と密接に結びついていました。香辛料や綿花、ゴム、紅茶など、帝国の経済を支えた主要植物の多くは、こうした植物園を経由して世界中に拡散していったのです(Heywood, 2017)。
この時代の植物園は、いわば「植物帝国主義(botanical imperialism)」の中心にありました。各国の王立植物園は、植民地から採取した植物を通じて新しい産業を生み出し、国際的な貿易ネットワークの形成に寄与しました。科学者や探検家は植物採集を通じて帝国の経済的領域を拡大し、植物園はそれを支える知識の拠点として機能したのです。同時に、リンネによる分類体系(Systema Naturae, 1735)など、植物分類学の理論化が進み、植物園はその理論を実証する「生きた実験場」となりました。つまり、植物園は科学的知識と政治的権力が交差する場所であり、自然を「理解する」と同時に「支配する」手段でもあったのです(Powledge, 2011)。
ヨーロッパ知のネットワークと植物園の制度化
さらに17〜18世紀には、ヨーロッパ各地の植物園が学術的ネットワークを形成しました。植物の種子や標本、図譜を交換し、学者や医師が往復書簡を通じて情報を共有することで、国際的な科学の基盤が築かれていきました。ライデン大学植物園やウィーン植物園、オックスフォード植物園、モンペリエ植物園などはそれぞれ地域の学術拠点として発展し、互いに連携しながらヨーロッパ全体の植物知識の体系化に貢献しました。これらの植物園の活動は、やがて王立学会や自然史博物館の設立へとつながり、博物館制度の形成にも大きな影響を与えました(Heywood, 2017)。
近代科学と公共教育への橋渡し
このように、近世ヨーロッパの植物園は、薬用植物の教育機関から、科学・経済・政治が交差する国家的装置へと変化しました。その変遷の中で、植物園は近代科学の方法論を育み、帝国主義的世界観の中で自然を体系化する役割を担いました。次節では、この流れを受けて、19世紀以降に植物園がどのように学術研究と市民教育の場として制度化されていったのかを見ていきます。
近代 ― 学術研究と市民教育の場へ
19世紀から20世紀初頭にかけて、植物園は帝国的な収集の拠点から、学術研究と教育を両立する制度的施設へと変化しました。産業革命による社会構造の変化と科学の発展が背景にあり、植物園は自然科学の発展を支える「生きた研究機関」として機能するようになります。
科学革命と植物園の制度化
19世紀に入ると、自然科学は学問としての体系化が進み、植物園はその基盤を支える学術インフラとなりました。大学や王立学会が設立され、植物園は植物分類学・形態学・植物地理学などの研究を担う場として整備されます。特にアーノルド樹木園(Harvard University, 1872)やミズーリ植物園(1859)は、研究・標本収集・出版活動を通じて学問的成果を社会に還元するモデルを確立しました。これらの植物園は、単なる展示空間ではなく、研究者が観察・実験・記録を行う「野外実験室」としての性格を強めました。植物園が学術的知の体系化を支える存在となったことで、自然科学はより実証的な学問へと深化していったのです(Powledge, 2011)。
進化論と生態学の発展 ― 科学研究の深化
1859年に発表されたダーウィンの『種の起源』は、植物園の在り方にも大きな影響を与えました。これ以降、植物園は単なる分類学的展示から、進化と適応を探究する研究の場へと変化していきます。気候・地理・土壌など環境条件を考慮した展示構成が試みられ、植物園は「生きた進化の証拠」を示す空間としての教育的価値を高めました。たとえば、温帯植物区や熱帯植物温室では、地球規模の多様性や進化の過程を視覚的に学べる展示が導入され、市民に科学的自然観を伝える役割を果たしました。進化論の普及は、植物園を「学術研究の場」であると同時に「科学教育の拠点」へと押し上げる契機となったのです(Heywood, 2017)。
都市化と公共教育の時代 ― 市民に開かれる植物園
19世紀後半から20世紀にかけて、急速な都市化により人々が自然と接する機会が減少しました。こうした社会的状況の中で、植物園は「都市における自然との接点」として重要な役割を果たすようになります。ロンドンのキュー植物園やベルリン植物園、ニューヨーク植物園などは、一般市民に自然を学び、楽しむ場として整備されました。
展示も多様化し、温室、展示園、教育施設などが次々に整備されました。温室では熱帯・乾燥地・高山など、異なる生態系を再現することで、来園者が世界の植物多様性を体験的に理解できる仕組みが導入されました。さらに、植物園では講演会、ガイドツアー、学校教育との連携が行われ、学問の成果を市民へ広げる「教育普及活動」が活発化しました。これにより、植物園は研究者だけの閉じた空間から、広く市民に開かれた公共教育の場へと転換していきました(Powledge, 2011)。
この時期の植物園は、科学的研究と社会教育を結びつける機能を確立した点で画期的です。植物の展示は単なる鑑賞対象ではなく、環境や進化、生態系の理解を促す教材となりました。つまり植物園は、「科学と市民社会をつなぐ橋」としての役割を担い始めたのです。
近代植物園の社会的意義と博物館制度への影響
20世紀初頭、植物園は研究・教育・レクリエーションを統合した文化施設として確立しました。自然史博物館や動物園とともに「自然系博物館群」を形成し、自然を理解し保存するという公共的理念を共有しました。植物園が培った標本収集・研究・教育・展示の手法は、博物館制度の整備にも大きな影響を与え、現代の自然系博物館の教育・展示理念の基礎となりました。
近代における植物園の発展は、単なる学問の進歩ではなく、社会と科学が相互に作用し合う中で成立したものです。市民が植物を通じて自然の仕組みを理解し、環境との関わりを考える機会を提供する場として、植物園は文化的・教育的に重要な位置を占めるようになりました(Heywood, 2017)。
このように、植物園は19世紀以降、学問の枠を超えて社会に開かれた教育空間へと発展しました。次節では、20世紀後半から現代にかけて、植物園が「保全」と「サステナビリティ」を軸にどのような変革を遂げたのかを見ていきます。
現代 ― 保全とサステナビリティの時代へ
20世紀後半以降、植物園は大きな転換点を迎えました。かつては研究や教育の拠点として機能してきた植物園が、地球規模の環境問題に直面する中で「保全」と「サステナビリティ」を中心的使命とする施設へと進化したのです。気候変動、生物多様性の損失、都市化による自然の減少など、社会が抱える課題に対して、植物園は科学と社会をつなぐ実践的な場として新しい役割を担い始めました(Heywood, 2017)。
生物多様性の危機と植物園の再定義
1970年代以降、急速な環境破壊や森林減少により、生物多様性の危機が世界的に認識されるようになりました。多くの植物種が絶滅の危機に瀕し、その保全のためには自然生息地(in situ)だけでなく、人為的な管理下での保存(ex situ)も不可欠とされるようになりました。この流れの中で、植物園は「展示の場」から「保全の場」へと役割を再定義していきます。
国際自然保護連合(IUCN)は1970年代から絶滅危惧種のリスト化を進め、同時期に植物園はそれに呼応する形で保全活動を強化しました。植物園が持つ種子保存技術や栽培知識は、絶滅の危機にある植物を守るための有効な手段とされました。こうして植物園は、生物多様性保全における「域外保全(Ex situ conservation)」の中心的な役割を担うようになったのです。展示される植物は、単なる観賞の対象から、地球環境を守る「生きたアーカイブ」へと位置づけが変わりました。
また、保全活動は単に希少種を保存するだけでなく、遺伝的多様性の確保や生態系の回復を視野に入れた科学的取り組みへと進化しました。植物園は、研究・教育・保全を統合した「保全科学(conservation science)」の実践拠点となり、学術研究の成果を地域社会や国際的ネットワークに還元するようになります(Heywood, 2017)。
国際ネットワークとグローバルな協働
こうした動きを背景に、1987年には「Botanic Gardens Conservation International(BGCI)」が設立されました。BGCIは世界100カ国以上の植物園をつなぐ国際組織であり、植物多様性の保全に関する情報共有や政策提言を行っています。その活動の中心には、「植物保全のための国際戦略(Global Strategy for Plant Conservation, GSPC)」の推進があります。2002年に採択されたこの戦略は、世界中の植物園が連携して絶滅危惧種の保全と教育活動を進めるための共通指針となりました(Chen & Sun, 2018)。
国際的な保全ネットワークは、単なる学術的交流にとどまらず、実践的なプロジェクトにもつながっています。代表的な例が、イギリス・キュー植物園が主導する「Millennium Seed Bank Project」です。このプロジェクトでは、世界中の野生植物の種子を長期保存し、絶滅危惧種の再導入や環境再生に活用する取り組みが進められています。ほかにも、シンガポール植物園やオーストラリア国立植物園などが、熱帯・乾燥地域の希少植物保全で国際的なモデルを築いています。
こうしたネットワークは、単に国際協力を促すだけでなく、地域社会の環境教育や政策形成にも波及しています。各国の植物園は、気候変動対策や都市緑化政策の提言に関与するなど、社会的役割を拡大しつつあります。つまり、植物園はもはや「静的な保存施設」ではなく、グローバルな環境ネットワークの一員として「地球的課題の解決者」として機能しているのです(Heywood, 2017)。
市民参加と環境教育 ― 社会的包摂への展開
現代の植物園において特筆すべき変化は、保全活動が「市民参加」を軸に再構築されている点です。かつての植物園が専門家中心の研究機関であったのに対し、近年では「市民科学(citizen science)」の導入によって、来園者や地域住民がデータ収集や生態観察に参加する事例が増えています。こうした活動は、単なる啓発にとどまらず、科学的知識の共有と社会的包摂を同時に進めるものとして注目されています(Chen & Sun, 2018)。
さらに、植物園は学校教育や地域学習の拠点としても機能を強化しています。環境教育プログラムでは、児童・学生が植物の成長や多様性を体験的に学び、自然との関わり方を考える機会を提供しています。展示においても、ユニバーサルデザインや多言語解説、バリアフリーの導入が進み、あらゆる人々がアクセスできる包摂的な教育空間へと進化しています。
また、近年の植物園は社会課題への意識を高め、ジェンダー平等や多文化共生、障害者の社会参加などのテーマとも結びついた活動を展開しています。植物園を通じて「誰もが自然と関わる権利を持つ」という理念が浸透しつつあるのです。植物園は、単なる知識伝達の場ではなく、社会全体の持続可能性を支える文化的基盤となりつつあります。
サステナビリティと地域社会への貢献
今日の植物園は、地域社会と密接に連携しながら持続可能な未来を描く存在となっています。都市部では、植物園が緑地再生や気候変動への適応策に関わり、環境教育と地域政策を結びつける取り組みが進められています。地域固有の生態系を守る活動や、市民ボランティアによる植生管理など、植物園は地域の「生態文化センター」として機能するようになりました。
このように、植物園はもはや研究や展示にとどまる存在ではなく、社会的課題に応答する文化的装置へと成長しています。生物多様性の保全、環境教育、市民参加、地域再生という多層的な活動を通じて、植物園は「自然と社会の共生」を実現する拠点となったのです(Chen & Sun, 2018)。
現代の植物園は、地球規模の視点と地域密着の実践を併せ持つ「サステナブルな博物館」として新たな使命を担っています。それは、知識を展示する場であると同時に、社会を変える力を内包する場でもあります。次節では、このような変化を踏まえ、植物園が未来社会においてどのような価値を創造し続けるのかを展望します。
未来 ― 植物園が創造する新しい価値
21世紀に入り、植物園はこれまでの歴史で培ってきた学術・教育・保全の機能に加えて、社会的・文化的価値を創造する新たな段階に進みつつあります。デジタル技術の発展、気候変動への対応、ウェルビーイング志向の高まり、地域社会との共創など、現代社会が直面する課題の中で、植物園はこれまでにない形で「未来の文化インフラ」としての役割を果たし始めています(Heywood, 2017)。
科学とテクノロジーの融合 ― デジタル植物園の可能性
デジタル技術の発展は、植物園のあり方を根本から変えつつあります。近年では、AIやリモートセンシングを活用した生態モニタリング、ドローンによる森林観察、画像認識による植物識別などが一般化しつつあり、これらの技術が植物園の研究・教育活動に導入されています。データ科学の進展によって、植物の生育状況や環境変化をリアルタイムで記録・分析することが可能になり、植物園は「科学的知見の可視化装置」としての側面を強めています。
また、デジタルアーカイブ化の動きも急速に進んでいます。植物標本の3Dスキャンや種子データベースの公開、オンライン展示、バーチャルツアーなどにより、来園できない人々にも植物園の知を開放する取り組みが広がっています。さらに、拡張現実(AR)や没入型体験(VR)を用いた展示では、来園者が仮想的に世界中の植物を体験できるようになり、教育とエンターテインメントを融合させた新たな来園価値を生み出しています。
このようなデジタル化は、単なる利便性の向上ではなく、「リアルとデジタルの融合による知の拡張」を意味します。植物園は、現実空間での観察とデジタル空間での学習を組み合わせた「ハイブリッド型博物館」へと変化しつつあるのです(Chen & Sun, 2018)。
ウェルビーイングと癒し ― 自然と人間の再接続
現代社会では、パンデミックや都市化、デジタル過剰などによって、心身の健康や自然との関係性が改めて注目されています。このような背景のもと、植物園は「心の健康を支える場」として新たな価値を発揮しています。植物園における滞在体験には、心理的ストレスの軽減や情緒の安定、創造性の回復を促す効果があるとされており、これを裏付ける研究も増えています。植物や緑の中で過ごす時間が幸福感や注意力の回復に寄与することは、環境心理学や医療分野でも明らかになりつつあります。
こうした研究を背景に、植物園では園芸療法や自然療法を取り入れたプログラムが展開されています。高齢者や障害者、子どもなど、さまざまな人々が植物に触れ、育て、観察することで、社会的つながりと心理的回復を得ることができるよう設計されています。さらに、園内にリラクゼーションスペースや瞑想エリアを設けるなど、「学び」と「癒し」が共存する空間デザインも広がっています。
このように、植物園は科学的学習の場であると同時に、人々のウェルビーイングを支える「公共的な癒しの場」として再評価されています。来園者が自然の中で自己と向き合い、社会との調和を感じる体験を得ることができる点で、植物園は文化的にも精神的にも豊かな社会を支える存在へと進化しているのです(Heywood, 2017)。
共創と地域連携 ― 参加型未来への道
未来の植物園を特徴づけるもう一つの要素は、「共創(co-creation)」という理念です。これまでの植物園は研究者や専門家が中心となって運営されてきましたが、近年では行政、企業、市民が協働し、地域の課題を共有しながら新しい公共空間をつくる動きが広がっています。
たとえば、都市部の植物園では、地域住民と協働した植生回復プロジェクトや、学校との連携による環境教育プログラムが展開されています。さらに、地元企業が植物園の運営やイベントに参画することで、地域経済や観光との連携も生まれています。こうした取り組みは、植物園を「社会的実験場(social laboratory)」として位置づけ、自然・人間・経済を統合的に考える実践の場としています(Chen & Sun, 2018)。
また、気候変動への対応が求められる中で、植物園は都市のグリーンインフラの一部としても重要性を増しています。緑地整備やヒートアイランド対策、雨水管理などの都市政策において、植物園の専門知識が活用される場面が増えています。これにより、植物園は「生態系と人間社会の接点」として、環境政策や地域づくりに直接貢献するようになりました。
このように、植物園は地域社会の共創型ガバナンスの一員として、学術的専門性と社会的協働を両立させる新たなモデルを提示しています。
未来社会における植物園の意義
未来の植物園は、科学・文化・社会をつなぐ「知の共創拠点」としての使命をさらに深化させていくでしょう。AIやデジタル技術を駆使しながら、人々のウェルビーイングを支え、地域と共に持続可能な未来を築く場として、その意義を広げています。
植物園がめざす未来像は、単に植物を保存・展示するだけでなく、「人と自然の関係を再構築するための社会的プラットフォーム」を創り出すことにあります。科学、教育、芸術、福祉、政策といった異なる領域を横断し、自然の中で多様な価値を共創する場所。それが、21世紀の植物園の新しい姿です。
つまり、植物園は未来社会において、地球環境と人間の調和を象徴する「希望のインフラ」として存在し続けるでしょう(Chen & Sun, 2018)。それは、知識を展示する空間であると同時に、社会と自然がともに成長し続ける「共創の場」であり、人類のサステナブルな未来を象徴する文化的装置なのです。
参考文献
- Chen, G., & Sun, W. (2018). The role of botanical gardens in promoting environmental education and public participation. Environmental Education Research, 24(6), 871–887.
- Heywood, V. H. (2017). Botanic gardens and their role in plant conservation. Scripta Botanica Belgica, 56, 5–16.
- Powledge, F. (2011). The evolving role of botanical gardens. BioScience, 61(10), 743–749.

