ファルネーゼのアトラスと文化資本 ― 博物館が生み出す知と信頼の循環

目次

はじめに ― 古代の知が未来の万博に登場する意味

2025年に開催される大阪・関西万博は、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに、世界各国がそれぞれの知と文化を未来のビジョンとして提示する場として注目されています。その中でも、イタリア館の中心展示として選ばれた「ファルネーゼのアトラス」は、古代ローマの知的遺産を象徴する作品として際立った存在感を放っています。約二千年前に制作された大理石像が、最先端技術や未来社会をテーマとする国際博覧会で展示されることは、一見すると意外に思われるかもしれません。しかしこの選択は、芸術と科学、過去と未来、人間の知の持続性を象徴する極めて象徴的な行為といえます。

古代ローマが生んだ“知を担う巨人”

ファルネーゼのアトラスは、巨人アトラスが天球を肩に担ぐ姿を表した古代ローマ時代の彫刻であり、天球には48の星座が精緻に刻まれています。これは、古代ギリシャの天文学者ヒッパルコスの星表に近い配置を示すとされており、ヘレニズム期の高度な天文学的知識を反映していると考えられています。人類が宇宙を理解しようとする知の営みを可視化した希少な文化遺産であり、単なる神話像ではなく「世界を支える知」としての人間の探究心を体現しています。古代の科学と芸術が融合したこの像は、知的文化資本の結晶といえるでしょう(Bourdieu, 1986)。長くファルネーゼ家のコレクションとして保管され、後に王室を経てナポリ国立考古学博物館(MANN)の所蔵となりました。今日では、古代から現代に至る知識と文明の継承を象徴する存在として位置づけられています。

Art Regenerates Life ― 芸術がいのちを再生する

イタリア館がこの像を中心展示とした背景には、「Art Regenerates Life(芸術がいのちを再生する)」というテーマがあります。芸術を単なる美的対象ではなく、「人類の知と創造力を再生させる力」として提示する姿勢は、まさにアトラス像が担う象徴性と重なります。アトラスが支える天球は、古代の宇宙観の表象であると同時に、現代の科学技術や地球社会の複雑なつながりを示すメタファーとして再解釈することができます。つまり、イタリアはこの展示を通して「知の継承」と「文化の再創造」という二重のメッセージを発信しているのです。古代文明の知恵を起点に、芸術を未来社会の設計原理として再定義するという試みは、文化外交としても高い戦略的意義を持ちます。

本稿の視点と構成

本稿では、このファルネーゼのアトラスをめぐる展示を、博物館経営と文化資本の観点から読み解きます。具体的には、まずアトラス像が辿ってきた「私人から公共へ」という収蔵史の流れを整理し、文化資産がどのように制度化されてきたかを明らかにします。次に、大阪・関西万博における展示の意義を、国家ブランド戦略や文化外交との関係から考察します。さらに、文化資本の観点から「正統性の強化」「共有化による価値拡張」「知の再生と未来への投資」という三つの意義を整理し、現代の博物館経営が目指すべき方向性を展望します。

古代から受け継がれた知の象徴が、21世紀の万博という未来志向の舞台で再び光を放つことは、文化が時間を超えて人々を結びつける力を持つことを示しています。博物館が文化資本の再生産装置として機能する時代において、ファルネーゼのアトラスは「知の持続可能性」という新しい価値を体現する存在といえるでしょう(Lord & Lord, 2002)。

ファルネーゼのアトラス ― 博物館経営に見る文化資本の象徴

古代ローマにおける“知の象徴”

ファルネーゼのアトラスは、古代ローマの彫刻作品の中でも特に「知」を象徴する造形として知られています。巨人アトラスが天球を肩に担ぐ姿は、単なる神話的表現を超え、宇宙の秩序と人間の理性を視覚的に表すものでした。天球には48の星座が刻まれており、その配置は古代ギリシャの天文学者ヒッパルコスの星表に近いものとされています。近年の考古天文学の研究によれば、完全な転写ではないものの、ヘレニズム期の天文学的知識と観測技術が高い精度で反映されていることが確認されています。このような造形は、宗教的崇拝よりもむしろ「世界を理解する知の体系化」そのものを表していたと考えられます。

この彫刻におけるアトラス像は、知識を背負う存在として人類の理性を象徴します。神話においてアトラスは罰として天を支える運命を負いましたが、ローマ的再解釈の中で彼は「知を支える存在」へと変容しました。つまり、アトラス像は神話的悲劇を超えて、知識と観察に基づく文化的価値を象徴する存在へと昇華したのです。こうした象徴性は、博物館が後に担う「知の体系化と共有」という役割の原型を先取りしているともいえます。古代ローマの文化において、知を形あるものとして視覚化することは、支配層の教養や社会秩序の正統性を支える文化資本の表現だったと考えられます(Bourdieu, 1986)。

このように、ファルネーゼのアトラスは「知の可視化」と「社会的正統性の表現」という二つの軸を兼ね備えていました。博物館経営の視点から見れば、この像は文化資本がどのように「美的価値」と「知的価値」を同時に具現化してきたかを示す初期の事例といえます。つまり、この像は、芸術作品でありながら社会的権威を裏づける資産でもあり、後世における文化コレクションの形成原理を予告する存在だったのです。

ファルネーゼ家の文化権威とコレクション戦略

ルネサンス期のイタリアでは、学問と芸術が権力と結びつくことで、文化が新たな政治的意味を帯びるようになりました。16世紀のファルネーゼ家はその典型的な例です。教皇パウルス三世を輩出した名門として、同家は権威の正統性を「芸術的文化資本」の蓄積によって可視化しようとしました。アトラス像はこの戦略の中核に位置づけられ、ローマのファルネーゼ宮殿の中庭に配されました。それは単なる装飾ではなく、宮殿空間を「知の劇場」として演出する象徴的な配置でした。訪問者は、アトラス像を通じてファルネーゼ家が担う教養・知・秩序の支配を視覚的に体感することができたのです。

ピエール・ブルデューの理論によれば、文化資本は社会的関係の中で「象徴資本」として再構成され、権力や支配の正統性を裏づける働きを持ちます(Bourdieu, 1986)。ファルネーゼ家のコレクション形成はまさにその実例であり、芸術の収集が政治的地位と社会的信頼を強化する手段となっていました。古代彫刻を収集することは単なる審美的行為ではなく、「古代ローマの継承者」としての自己演出に他なりませんでした。コレクションを所有することは、過去の文明を再構築し、それを通じて現代の秩序を正当化する行為でもあったのです。

ファルネーゼ家の収蔵品群は、アトラス像のほかにも、ファルネーゼ・ヘラクレスやファルネーゼ・ブルといった大型彫刻を含みます。これらはすべて、古代美術の壮麗さを通して「権威ある過去」を現在に召喚するための文化的装置として機能しました。コレクションの展示空間そのものが一種の舞台装置となり、来訪者に「文化的威光」と「教養の系譜」を体感させる設計がなされていたのです。こうして、文化資本は私的所有の枠を超え、「社会的地位の可視化装置」として機能するようになります。芸術作品が社会的象徴に転化するこの過程こそ、文化資本が「権威資本」へと変換されるメカニズムを示しています。

この段階で、ファルネーゼ家の文化資本は、すでに「個人の趣味」ではなく「公共的理念の先駆的表現」へと変化していました。すなわち、文化の所有は社会的責任と不可分であり、後の公共博物館制度の基盤となる思想がここに萌芽していたといえます。

王家と国家による継承 ― 文化資産の公共化

18世紀後半、ファルネーゼ家の血統が断絶すると、そのコレクションはボルボン王家を通じてナポリに移されました。これは、ヨーロッパの文化史において重要な転換点でした。貴族の「私的文化資本」が、国家の「公共文化資本」へと転換する過程が始まったのです。王室がコレクションを保持することは、単に芸術的価値を維持することにとどまらず、国家の文化的正統性を象徴する手段となりました。文化遺産は、国民の統合を支える象徴的資本へと変化していきます。

1787年にナポリで設立された王立博物館(後のナポリ国立考古学博物館、MANN)は、こうした変化を制度的に具現化した存在です。MANNの誕生は、文化資本を公共的に管理し、社会全体で共有する仕組みを確立したという点で画期的でした。かつては王家の権威を象徴したコレクションが、やがて「社会の知的共有財」として位置づけられるようになったのです。博物館という制度は、文化資本の保存・解釈・再分配を担う装置として誕生しました(Lord & Lord, 2002)。

さらに21世紀に入り、MANNは文化資産のデジタル化と国際公開を積極的に進めています。ファルネーゼ・コレクションは3Dスキャンを通じて高精度に記録され、オンライン上で一般に公開されています。これにより、文化資本の「アクセス権」が拡大し、所有ではなく共有を基盤とする新たな公共性が生まれつつあります。文化資産のデジタル公開は、文化の民主化とグローバル化を同時に進める手段であり、博物館が社会的ネットワークの中で知を再生産する基盤を形成しています。

このように、ファルネーゼのアトラスが辿った歴史は、文化資本の形態変化そのものを体現しています。古代では知の象徴として、近世では権威の象徴として、そして現代では公共性の象徴として、その価値を再定義し続けてきました。文化資本は固定的なものではなく、社会的関係の中で再解釈され、再利用されることで新しい意味を獲得します。博物館経営の観点からすれば、それは「保存」と「再創造」を両立させる動的な資本の運用形態であり、ファルネーゼのアトラスはその最も象徴的な事例の一つといえるでしょう。

ファルネーゼのアトラス ― 博物館経営に見る文化資本の象徴

古代ローマにおける“知の象徴”

ファルネーゼのアトラスは、古代ローマの彫刻作品の中でも特に「知」を象徴する造形として知られています。巨人アトラスが天球を肩に担ぐ姿は、単なる神話的表現を超え、宇宙の秩序と人間の理性を視覚的に表すものでした。天球には48の星座が刻まれており、その配置は古代ギリシャの天文学者ヒッパルコスの星表に近いものとされています。近年の考古天文学の研究によれば、完全な転写ではないものの、ヘレニズム期の天文学的知識と観測技術が高い精度で反映されていることが確認されています。このような造形は、宗教的崇拝よりもむしろ「世界を理解する知の体系化」そのものを表していたと考えられます。

この彫刻におけるアトラス像は、知識を背負う存在として人類の理性を象徴します。神話においてアトラスは罰として天を支える運命を負いましたが、ローマ的再解釈の中で彼は「知を支える存在」へと変容しました。つまり、アトラス像は神話的悲劇を超えて、知識と観察に基づく文化的価値を象徴する存在へと昇華したのです。こうした象徴性は、博物館が後に担う「知の体系化と共有」という役割の原型を先取りしているともいえます。古代ローマの文化において、知を形あるものとして視覚化することは、支配層の教養や社会秩序の正統性を支える文化資本の表現だったと考えられます(Bourdieu, 1986)。

このように、ファルネーゼのアトラスは「知の可視化」と「社会的正統性の表現」という二つの軸を兼ね備えていました。博物館経営の視点から見れば、この像は文化資本がどのように「美的価値」と「知的価値」を同時に具現化してきたかを示す初期の事例といえます。つまり、この像は、芸術作品でありながら社会的権威を裏づける資産でもあり、後世における文化コレクションの形成原理を予告する存在だったのです。

ファルネーゼ家の文化権威とコレクション戦略

ルネサンス期のイタリアでは、学問と芸術が権力と結びつくことで、文化が新たな政治的意味を帯びるようになりました。16世紀のファルネーゼ家はその典型的な例です。教皇パウルス三世を輩出した名門として、同家は権威の正統性を「芸術的文化資本」の蓄積によって可視化しようとしました。アトラス像はこの戦略の中核に位置づけられ、ローマのファルネーゼ宮殿の中庭に配されました。それは単なる装飾ではなく、宮殿空間を「知の劇場」として演出する象徴的な配置でした。訪問者は、アトラス像を通じてファルネーゼ家が担う教養・知・秩序の支配を視覚的に体感することができたのです。

ピエール・ブルデューの理論によれば、文化資本は社会的関係の中で「象徴資本」として再構成され、権力や支配の正統性を裏づける働きを持ちます(Bourdieu, 1986)。ファルネーゼ家のコレクション形成はまさにその実例であり、芸術の収集が政治的地位と社会的信頼を強化する手段となっていました。古代彫刻を収集することは単なる審美的行為ではなく、「古代ローマの継承者」としての自己演出に他なりませんでした。コレクションを所有することは、過去の文明を再構築し、それを通じて現代の秩序を正当化する行為でもあったのです。

ファルネーゼ家の収蔵品群は、アトラス像のほかにも、ファルネーゼ・ヘラクレスやファルネーゼ・ブルといった大型彫刻を含みます。これらはすべて、古代美術の壮麗さを通して「権威ある過去」を現在に召喚するための文化的装置として機能しました。コレクションの展示空間そのものが一種の舞台装置となり、来訪者に「文化的威光」と「教養の系譜」を体感させる設計がなされていたのです。こうして、文化資本は私的所有の枠を超え、「社会的地位の可視化装置」として機能するようになります。芸術作品が社会的象徴に転化するこの過程こそ、文化資本が「権威資本」へと変換されるメカニズムを示しています。

この段階で、ファルネーゼ家の文化資本は、すでに「個人の趣味」ではなく「公共的理念の先駆的表現」へと変化していました。すなわち、文化の所有は社会的責任と不可分であり、後の公共博物館制度の基盤となる思想がここに萌芽していたといえます。

王家と国家による継承 ― 文化資産の公共化

18世紀後半、ファルネーゼ家の血統が断絶すると、そのコレクションはボルボン王家を通じてナポリに移されました。これは、ヨーロッパの文化史において重要な転換点でした。貴族の「私的文化資本」が、国家の「公共文化資本」へと転換する過程が始まったのです。王室がコレクションを保持することは、単に芸術的価値を維持することにとどまらず、国家の文化的正統性を象徴する手段となりました。文化遺産は、国民の統合を支える象徴的資本へと変化していきます。

1787年にナポリで設立された王立博物館(後のナポリ国立考古学博物館、MANN)は、こうした変化を制度的に具現化した存在です。MANNの誕生は、文化資本を公共的に管理し、社会全体で共有する仕組みを確立したという点で画期的でした。かつては王家の権威を象徴したコレクションが、やがて「社会の知的共有財」として位置づけられるようになったのです。博物館という制度は、文化資本の保存・解釈・再分配を担う装置として誕生しました(Lord & Lord, 2002)。

さらに21世紀に入り、MANNは文化資産のデジタル化と国際公開を積極的に進めています。ファルネーゼ・コレクションは3Dスキャンを通じて高精度に記録され、オンライン上で一般に公開されています。これにより、文化資本の「アクセス権」が拡大し、所有ではなく共有を基盤とする新たな公共性が生まれつつあります。文化資産のデジタル公開は、文化の民主化とグローバル化を同時に進める手段であり、博物館が社会的ネットワークの中で知を再生産する基盤を形成しています。

このように、ファルネーゼのアトラスが辿った歴史は、文化資本の形態変化そのものを体現しています。古代では知の象徴として、近世では権威の象徴として、そして現代では公共性の象徴として、その価値を再定義し続けてきました。文化資本は固定的なものではなく、社会的関係の中で再解釈され、再利用されることで新しい意味を獲得します。博物館経営の観点からすれば、それは「保存」と「再創造」を両立させる動的な資本の運用形態であり、ファルネーゼのアトラスはその最も象徴的な事例の一つといえるでしょう。

文化資本の未来 ― 博物館が生み出す知の再生循環

文化資本の第一の意義 ― 正統性を担保する

博物館が社会の中で果たす最大の役割の一つは、「文化的正統性」を担保することにあります。ここでいう正統性とは、単に古いものを守ることではなく、過去の価値を現代の文脈の中で再解釈し、その意義を更新し続ける力を意味します。ファルネーゼのアトラスが古代から現代に至るまで繰り返し再評価されてきた背景には、この「文化資本の正統性維持機能」が働いてきたといえます。

古代ローマではアトラス像が「知の象徴」として帝国の秩序と理性を体現し、ファルネーゼ家の時代にはその所有が権威の可視化手段となりました。そしてナポリ国立考古学博物館(MANN)に収蔵されると、その意義は社会的・教育的価値へと拡張しました。ここに見られるのは、文化資本が時代ごとにその意味を変えながらも、「文明の継承」を正統化する装置として機能し続けてきたことです。

この「正統性の進化」は、現代の博物館経営においても中核的な課題です。博物館は展示を通して「過去を保存する」だけではなく、「なぜそれを今、展示するのか」という説明責任を果たす必要があります。文化資本は時代の変化の中で意味を更新する動的な存在であり、正統性とは固定された伝統ではなく、再解釈を通じて維持される関係性のことなのです。アトラス像が大阪・関西万博という新しい文脈で再登場したことも、まさにこの正統性の再構築の一例でした。古代の知の象徴は、未来社会を語るための比喩として再定義され、文化資本が持つ正統性が新たに活性化したといえます。

文化資本の第二の意義 ― 共有性を広げる

文化資本のもう一つの重要な意義は、その「共有性」にあります。かつて文化資本は王侯貴族や知識階級の独占的資産でしたが、近代以降、博物館という制度の登場によって社会的共有財へと転換しました。さらに21世紀に入り、文化資本はもはや「所有されるもの」ではなく、「共有され、再利用されるもの」へと進化しています。

ファルネーゼのアトラスが大阪・関西万博で展示されたことは、まさにこの文化資本の共有性が国際的規模で実現した例でした。MANNが文化財を国外へ貸与するという行為は、文化を国家の枠を超えて共有する新しいモデルを提示したといえます。文化財を貸し出すという決定には、保護や輸送といったリスクが伴いますが、それでも「共有の機会」を優先する姿勢こそが、現代の博物館経営における公共性の表れなのです。

また、共有性の拡張にはデジタル技術の進展も寄与しています。オンライン公開や3Dアーカイブは、来館できない人々にも文化資本へのアクセスを可能にし、「知へのアクセスの民主化」を推し進めています。文化資本が社会的信頼を媒介する仕組みとして機能するためには、誰もが知に触れられる環境を整えることが不可欠です。共有とは、単に情報を公開することではなく、文化を共に支え、再解釈する関係性を築くことなのです。

アトラス像が万博で展示された際、来場者が作品を囲みながらそれぞれの文化的文脈に基づいて意味を読み取るという体験は、文化資本の共有が生み出す「知の多声性(polyphony)」の象徴でした。共有とは、文化の均質化ではなく、多様な理解を共存させることによって生じる豊かさのことでもあります。博物館は今後も、文化資本を社会全体に開く「知のインフラ」として、その共有性を拡張し続けることが求められます。

文化資本の第三の意義 ― 再生性を創出する

文化資本の第三の意義は、「再生性」にあります。ここでの再生とは、単に失われたものを復元することではなく、過去の文化を現代社会の文脈の中で再創造し、未来につなげるプロセスのことです。アトラス像の万博展示が示したのは、文化資本が単なる記憶装置ではなく、「未来の創造力を触発する資本」として生まれ変わることでした。

イタリア館のテーマ「Art Regenerates Life」は、まさにこの再生性を中心に据えたコンセプトでした。古代の知が、現代の生命・環境・科学・デザインの問題と共鳴する展示構成は、文化資本が新しい意味を生み出す場として機能していることを示しています。ファルネーゼのアトラスは、過去の遺産でありながら、未来の知を生み出す触媒として再構築されました。来場者が作品を「見る」ことを通じて、「支える」「考える」「つながる」といった行動へと導かれた点も、この再生性の実践的側面を示しています。

再生性の本質は、文化資本が固定的でないことにあります。博物館が文化を保存するだけでなく、学芸員や研究者、地域社会、来館者が対話を通じて文化の意味を再構築していくとき、文化資本は「社会的学習」のプロセスとして生き続けます。つまり、文化資本の再生とは、過去の知を未来の文脈で再利用する創造的行為なのです。

現代の博物館において、この再生性は特に重要です。展示、教育、ワークショップ、デジタル発信など、あらゆる活動が「文化資本を再生成する行為」として統合されつつあります。文化資本の再生性を高めることは、博物館を単なる保存機関から「文化の創造的エコシステム」へと進化させる原動力になります。ファルネーゼのアトラスの事例は、その可能性を国際的スケールで実証した象徴的な出来事でした。

博物館経営における文化資本の戦略的意義

これら三つの要素――正統性・共有性・再生性――は、博物館経営の理念と実践を再定義する基盤となります。博物館はもはや「展示の場」ではなく、「文化資本の再生循環装置」としての機能を担いつつあります。つまり、文化資本を保存するだけでなく、社会とともに再解釈し、再分配し、再創造する経営の仕組みを構築することが、現代の博物館に求められているのです。

この視点に立つと、博物館経営は文化資本を「社会的投資」として運用する営みだと理解できます。例えば、収蔵品の貸出や国際展示は「文化的信頼を資本化する行為」であり、教育プログラムやデジタル発信は「文化的価値の再投資」です。寄附やクラウドファンディングによる支援も、文化資本を共有・循環させる新しい形の経済的行為といえます。文化資本はもはや静的な遺産ではなく、社会的信頼と創造力を生み出す動的資本として機能しているのです。

このように、文化資本を経営の中心に据えることで、博物館は財政的・社会的両面での持続可能性を確保できます。文化資本の価値を明示的に経営戦略に組み込み、教育、広報、展示、研究、国際連携といった各機能を「文化資本の再生サイクル」として統合することが、今後の方向性です。ファルネーゼのアトラスの展示が示したように、文化資本の運用は単なる文化活動ではなく、社会的信頼を生み出す経営行為そのものといえるでしょう。

まとめ ― 文化資本の未来に向けて

ファルネーゼのアトラスの来日展示は、文化資本の進化を象徴する出来事でした。古代における知の象徴が、王家の権威、博物館の公共性を経て、現代のグローバルな共有資本へと発展したように、文化資本は時代の変化に合わせて形を変えながら持続してきました。そこに共通しているのは、「文化が社会的信頼を支える力」として存在してきたということです。

文化資本の未来は、博物館の未来そのものです。博物館は今後、過去を保存するだけでなく、文化を再解釈し、社会に再分配し、知を再生する場としての使命を強化していくでしょう。ファルネーゼのアトラスが見せたように、文化資本は物質的な遺産ではなく、人と人との信頼、学び、共感の循環の中でこそ生き続けます。博物館がこの「知の再生循環」の中心に立ち続けることが、文化資本の時代的意義を次の世代へとつなぐ鍵になるのです。

参考文献

Bourdieu, P. (1986). The forms of capital. In J. Richardson (Ed.), Handbook of theory and research for the sociology of education (pp. 241–258). Greenwood Press.
ICOM. (2017). Code of ethics for museums. International Council of Museums.
Lord, G. D., & Lord, B. (2002). The manual of museum management. AltaMira Press.
Museo Archeologico Nazionale di Napoli. (n.d.). Official website. https://www.museoarcheologiconapoli.it/
Expo 2025 Osaka, Kansai. (2025). Italian Pavilion: Art regenerates life. Bureau International des Expositions / Expo 2025 Official Documents.

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この記事を書いた人

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日々の業務経験をもとに、ミュージアムの楽しさや魅力を発信しています。このサイトは、博物館関係者や研究者だけでなく、ミュージアムに興味を持つ一般の方々にも有益な情報源となることを目指しています。

私は、博物館・美術館の魅力をより多くの人に伝えるために「Museum Studies JAPAN」を立ち上げました。博物館は単なる展示施設ではなく、文化や歴史を未来へつなぐ重要な役割を担っています。運営者として、ミュージアムがどのように進化し、より多くの人々に価値を提供できるのかを追求し続けています。

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