展示の歴史とは何か――博物館展示の形式・空間・思想の変遷をたどる

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展示のかたちは、なぜ変わってきたのか

博物館の展示と聞くと、展示ケースのなかに資料を並べた空間を思い浮かべるかもしれません。しかし現在の博物館には、資料を中心に構成する展示だけでなく、模型やジオラマ、映像、ハンズオンなど、さまざまな展示形式が併存しています。こうした違いは、単に展示技術が新しくなった結果として説明できるものではありません。何を収集し、どのように分類し、誰に向けて、どのような順序や空間で見せるのかという選択には、その時代の博物館が「何を知識と考えていたのか」が反映されています(Hooper-Greenhill, 1992)。

展示の歴史を理解するときに注意したいのは、古い展示形式が新しい形式へ順番に置き換えられてきた、と考えないことです。資料を体系的に並べる展示がなくなって体験型展示になり、さらに参加型展示へ移行した、という単線的な歴史ではありません。展示を構成する空間、ケース、ラベル、グラフィックなどの要素や、それらをつくる専門職・制作過程そのものにも、それぞれ異なる歴史があります。現在の展示も、過去に形成されてきた複数の考え方や制作実践を組み合わせながら成り立っています(Guy et al., 2024)。

そのため本記事では、展示技法の変遷を年代順に並べるのではなく、展示を支える考え方がどのように組み替えられてきたのかを見ていきます。収集したものをどう分類するのか、博物館を誰に開くのか、展示空間をどう設計するのか、来館者をどのような存在として捉えるのか、そして誰が文化を語る権限を持つのか。こうした知識、公共性、展示デザイン、来館者、表象と権威の関係をたどることで、現在の展示を歴史のなかに位置づけることができます。その出発点として、まず近代博物館が成立する以前、人びとが収集物をどのように集め、配置し、意味づけていたのかを振り返ります。

「珍しいものを集める」から「知識を分類する」へ――キャビネットと近代博物館の前史

近代博物館の展示は、最初から現在のような分類体系や展示室を備えていたわけではありません。その前史には、王侯や貴族が所有したコレクションや、さまざまな自然物・人工物を集めたキャビネットがありました。こうした空間では、珍しいものを所有することだけでなく、収集物を並べ、相互に関連づけて見せること自体が、世界を理解する方法の一つになっていました。宮廷のコレクションやキャビネットは、後の近代博物館とは異なる知識の編成原理を持っていたと考える必要があります(Hooper-Greenhill, 1992)。

そのため、キャビネットを単に「雑多なものを無秩序に集めた場所」と理解するのは適切ではありません。自然物、工芸品、古代の遺物、異国からもたらされた品々などが同じ空間に置かれる場合でも、そこには類似性、珍奇性、象徴的な関係など、その時代なりの結びつけ方がありました。重要なのは、何を隣り合わせに置くかによって、所有者が世界をどのように認識しているのかが可視化されたことです。つまり、収集と配置はすでに一種の知識形成であり、展示の原型には「物を見せること」と「世界を理解すること」が結びついていました。

その後、収集物をより体系的に整理し、自然、歴史、美術などのカテゴリーによって分類する考え方が強まると、展示のあり方も変化していきます。物は珍しいから置かれるだけではなく、ある知識体系のなかで位置づけられ、その関係を示すために配置されるようになります。こうした変化は、単なる収納方法の改善ではありません。博物館の空間そのものが、何を同じ種類とみなし、何を別の領域として区別するのかを示す仕組みになっていったことを意味します(Hooper-Greenhill, 1992)。

この点から見ると、近代博物館の成立とは、物を集める場所がより洗練されたというだけではなく、収集物を分類し、その分類を通じて知識を提示する制度が形成されていく過程でもありました。ただし、収集物が体系的に分類されたからといって、それだけで近代的な「公共展示」が成立するわけではありません。次に問題となるのは、こうして整理された知識を誰に見せるのか、そして何のために公開するのかという、展示の公共性です。

公共博物館は何を「見せる」装置になったのか――19世紀の分類・公共性・博覧会

収集物が分類され、知識体系のなかに位置づけられるようになっても、それだけで近代的な公共博物館が成立したわけではありません。重要な変化の一つは、王侯や特定の所有者に属していたコレクションが、より広い人びとに公開されるようになったことです。展示は、所有者の権威や知識を示す空間であるだけでなく、不特定多数の人びとが資料を見て、そこから知識や価値を学ぶ公共的な空間として位置づけられていきました。こうした変化のなかで、博物館は「何を所蔵しているか」だけでなく、「何を、どのような秩序で人びとに見せるか」を問われる制度になっていきます(Bennett, 1995)。

公共博物館の展示では、分類された資料を見せることそのものが教育的な意味を持ちました。自然物や人工物、歴史的資料などを一定の体系に沿って配置すれば、来館者は個々の資料を見るだけでなく、それらの相互関係や位置づけを読み取ることができます。展示空間は、知識を書物のなかだけにとどめず、物と空間を通じて可視化する仕組みでもありました。何を同じカテゴリーとしてまとめ、何を区別するのかという展示上の選択は、当時の知識体系と密接に結びついていました(Hooper-Greenhill, 1992)。

このような「見せること」の公共性は、博物館だけに現れたものではありません。19世紀に発展した博覧会や国際博覧会も、多数の物品や技術、文化を分類し、巨大な展示空間のなかに配置することで、人びとに世界の姿を提示しました。博物館、博覧会、各種の展示施設は同一の制度ではありませんが、いずれも多くの人びとを観衆として迎え、見る順序や比較の枠組みを通じて、世界を理解する一定の方法を提供したという点で重要です。こうした近代の展示空間は、知識を伝えるだけでなく、人びとの見方や行動を組織する公共文化の一部でもありました(Bennett, 1995)。

そのため、19世紀の展示を単に「多くの資料を公開するようになった時代」と捉えるだけでは不十分です。何を展示対象とし、どのような分類のもとで配置するかという選択には、社会が世界をどう理解しようとしたのかが反映されます。分類や展示は、国家や帝国が世界をどのように理解し、秩序づけて表象したかという問題とも無関係ではありませんでした。ただし、こうした公共的な展示が成立したからといって、それ以前の収集や配置の方法が一斉に消えたわけではありません。複数の展示観が重なりながら、博物館の空間は形成されていきます。

そして、多数の資料を幅広い人びとに公開するようになるほど、新たな課題が生じます。資料を収蔵し分類するだけでは、来館者にその関係や意味を十分に伝えることはできません。どの資料を選び、どの順序で配置し、どのようなケースや文字、空間を用いて見せるのか。公共博物館の発展は、「何を置くか」だけでなく、「どのように見せるか」を専門的に考える必要性を高めていきました。

展示はどのように「デザインされるもの」になったのか――空間・素材・展示制作者

公共博物館が多くの資料を幅広い人びとに見せるようになると、展示では「何を置くか」だけでなく、「どのように見せるか」が次第に重要な課題になっていきました。資料の選択や分類に加えて、展示ケースの形状、壁面の構成、照明、動線、グラフィック、ラベル、模型などを組み合わせ、展示空間全体を設計する必要が生じます。展示は、収蔵資料をそのまま並べる行為ではなく、複数の要素を組み合わせて意味や経験を構成する制作行為として捉えられるようになりました。

この変化を考えるうえで重要なのは、展示をつくる主体をキュレーターだけに限定しないことです。展示制作には、デザイナー、技術者、施工や造作を担う職人、グラフィックを制作する担当者など、多様な人びとの労働が関わってきました。近代以降の博物館では、展示を専門的に設計する実践や職能が次第に形成され、展示空間そのものが専門的な制作の対象になっていきます(Guy et al., 2024)。展示史を理解するためには、完成した展示室だけを見るのではなく、それを誰が、どのような技術や役割分担によってつくったのかを考える必要があります。

また、展示を構成するのは大きな空間設計だけではありません。展示ケースや台座、文字情報、図版、グラフィック、マネキン、模型なども、資料をどのように理解させるかに関わる重要な要素です。とりわけラベルやキャプションは、資料に名称や時代、意味づけを与え、展示空間のなかで知識を組織する役割を担います。ラベルやキャプションそのものの成立と変化については、展示解説の歴史を別記事で詳しく整理しています。こうした一見小さな要素も、展示制作の歴史を構成する重要な対象です(Guy et al., 2024)。

展示空間の設計思想も一様ではありません。美術館では、作品と展示空間の関係を重視し、視覚的要素を抑えた展示空間も展開しましたが、それが20世紀の博物館展示全体を代表していたわけではありません。館種や資料の性格によって、ケースを用いた展示、模型や再現を用いた展示など、異なる方法が併存してきました。展示デザインの歴史は、一つの形式が別の形式へ置き換わった歴史ではなく、目的に応じた多様な制作実践が積み重なってきた歴史として捉える方が適切です。

こうして展示を空間・素材・文字・造作・人の協働によってつくられるプロセスとして見ると、展示史の焦点も変わります。重要なのは、完成した展示がどのような見た目だったかだけではなく、その空間がどのような判断と制作の積み重ねによって成立したのかという点です(Guy et al., 2024)。そして展示空間のデザインが意識されるほど、次には「何をどう配置するか」だけでなく、それを来館者がどのように見て、移動し、経験しているのかも重要な研究対象になっていきます。

展示は来館者の経験をどう捉えるようになったのか――visitor studiesの蓄積

展示の歴史を考えるとき、資料や展示空間そのものだけでなく、それを来館者がどのように見ているのかという視点も欠かせません。博物館では、来館者がどこで立ち止まり、どの展示に注意を向け、どのような順序で空間を移動するのかを観察する研究が蓄積されてきました。こうしたvisitor studiesの一部には、来館者の動きを追跡するvisitor trackingがあり、その系譜は20世紀前半まで遡ることが確認されています(Kirchberg & Tröndle, 2012)。したがって、来館者への関心がある時期に突然生まれたと考えるのではなく、長い研究の蓄積として捉える必要があります。

来館者の行動を観察することによって、展示制作者が意図した順序や意味が、そのまま受け取られるとは限らないことも明らかになります。来館者はすべての資料を同じ時間だけ見るわけではなく、展示空間のなかで立ち止まる場所や移動経路も異なります。つまり展示は、資料を配置すれば自動的に意味が伝わる仕組みではありません。展示物、空間、文字情報などと来館者との相互作用のなかで、実際の展示経験が形づくられていきます。

さらに、visitor experienceを理解する視点は、単なる移動や滞在時間だけには限られません。展示を見る前に抱いている期待、展示内容への関心、理解の仕方、感情的な反応、誰と来館しているかといった社会的な条件など、複数の要因が展示経験に関係します。展示経験研究は、こうした認知的・感情的・社会的側面を含む複合的な経験として来館者を捉えてきました(Kirchberg & Tröndle, 2012)。現代の博物館研究でいう来館者体験については、意味生成のプロセスとして捉える別記事で詳しく整理しています。

この蓄積が重要なのは、展示の歴史を「資料中心から来館者中心へ」という単純な転換として説明しなくてよいことです。資料の保存や研究、展示内容の専門性は現在も博物館の基盤であり、それらが来館者研究によって不要になったわけではありません。一方で、展示をつくる側が意図した意味だけでなく、来館者が実際にどのように展示を経験するのかも考慮すべき対象として明確になってきました。展示研究の焦点が、展示物と空間から来館者との関係へも広がってきたと捉える方が適切です。

そして、来館者が展示をただ受け取るのではなく、自らの経験や背景を通じて意味を形成すると考えるなら、さらに別の問いが生まれます。展示で示される文化や歴史の意味を、最初に決める権限は誰にあるのでしょうか。来館者との関係を考えることは、やがて展示を構成する側の権威や、「誰が文化を語るのか」という問題へつながっていきます。

「誰が文化を語るのか」が問われた――展示・表象・権威

展示は、資料や文化をそのまま客観的に映し出す装置ではありません。何を展示対象として選び、何を除外し、どのような順序や空間で配置し、どの言葉で説明するのかという一連の判断によって、展示される文化や歴史の意味は形づくられます。20世紀後半になると、こうした展示の働きそのものが批判的に検討されるようになり、博物館展示は文化を「表象する」実践として捉えられるようになりました。展示には見せ方の工夫だけでなく、誰が意味を構成するのかという政治性も含まれています(Karp & Lavine, 1991)。

この視点から重要になるのが、「誰が語るのか」という問いです。キュレーターや博物館は、専門的な調査や資料研究にもとづいて展示を構成します。しかし、展示する側が資料を選び、カテゴリーを設定し、解説を与える以上、その展示には一定の視点が含まれます。とくに、ある社会や文化について別の社会の博物館が展示する場合には、誰が誰を説明しているのかという関係がより明確になります。展示を構成する権限は、文化的な意味を提示する権限とも結びついているためです。

この問題は、民族誌展示や非西洋文化の展示を考える際に強く現れます。文化をいくつかの代表的な資料に還元したり、固定された特徴として示したりすれば、本来は多様で変化し続ける文化が、一つの明確な像として提示されることがあります。展示は文化的アイデンティティを単に紹介するだけではなく、それをどのように理解すべきかという枠組みをつくる働きも持ちます。そのため、博物館展示の分析では、展示されている内容だけでなく、誰の視点が可視化され、逆にどの声が見えにくくなっているのかを問う必要があります(Karp & Lavine, 1991)。

こうした議論は、博物館の専門性そのものを否定するものではありません。資料研究や保存、歴史的文脈の検証には専門知が不可欠です。問題となるのは、専門的な解釈が唯一の中立的な語りとして提示されることです。展示に複数の視点や異なる声をどのように位置づけるかという課題は、博物館が持つ文化的権威を相対化しながら、専門性をどのように用いるのかという問いでもあります。展示をめぐるpoeticsとpoliticsは、切り離して考えることができません(Karp & Lavine, 1991)。

この批判的な視点は、その後、コミュニティの参加や複数の声を取り入れる展示実践を考える基盤の一つにもなっていきます。ただし、それを「専門家中心の展示から共創型展示へ進歩した」と捉えるのは適切ではありません。専門的な解釈、資料中心の展示、複数の声を取り入れる方法は、現在も目的に応じて併存しています。ここまでの歴史を振り返ると、展示史そのものを「古い方式が新しい方式へ置き換わってきた歴史」と説明すること自体を、改めて問い直す必要があります。

展示史を「進歩」として理解してよいのか――複数の展示観が重なる現在

ここまで見てきた展示史は、古い展示形式が新しい形式へ順番に置き換えられてきた歴史ではありません。キャビネットから近代博物館へと収集や分類の考え方が変化しても、「物を見せる」こと自体が失われたわけではありません。公共博物館が成立し、展示デザインが専門化し、来館者研究が蓄積されても、資料そのものを中心に据える展示は現在も重要な役割を持っています。展示史を理解するうえでは、ある時代の方法が次の時代の方法によって消えたと考えるのではなく、複数の展示観が重なりながら残ってきたと捉える必要があります。

同じことは、来館者や文化的権威をめぐる考え方にも当てはまります。visitor studiesが発展したからといって、専門的な資料研究が不要になったわけではありません。また、展示が誰の視点から文化を語るのかが問われるようになっても、博物館の専門知そのものが否定されたわけではありません。重要なのは、資料、専門知、来館者、展示する側の権限をどのような関係として組み立てるのかです。それぞれの要素の比重は、館種や展示目的、扱う資料、対象とする来館者、利用できる空間によって異なります。

この視点に立つと、「最新の技術を使っている展示ほど優れている」と考えることもできません。展示方法の価値は、新しさそのものではなく、資料や目的との適合によって決まります。物そのものを静かに見せる方法が有効な場合もあれば、模型や文字情報、映像などを組み合わせる必要がある場合もあります。展示を単一の完成形として捉えるのではなく、異なる素材、専門職、判断、制作工程が組み合わされるプロセスとして見ることは、現在の展示を考えるうえでも重要です(Guy et al., 2024)。

展示史を学ぶ意味は、過去の展示方法を年代順に覚えることではありません。分類、公共性、展示デザイン、来館者経験、表象といった考え方が、現在の展示のなかにどのように残り、どのように組み替えられているのかを見極めることにあります。歴史を知ることで、現在一般的に使われている展示方法も、唯一自然な選択ではなく、特定の考え方や条件のもとで選ばれている方法の一つとして捉え直すことができます。

その意味で、展示史が現在の実務に投げかける問いは、「最も新しい展示方法は何か」ではありません。むしろ、自館はなぜその資料を選び、なぜその空間構成や説明方法を採用し、誰に向けて何を伝えようとしているのかを説明できるかどうかです。展示の歴史を振り返ることは、現在の展示選択を相対化し、その選択の理由を問い直すための基盤になります。

展示史とは、知識・空間・来館者・権威の関係が組み替えられてきた歴史である

博物館展示の歴史を振り返ると、現在の展示は一つの発明や技術革新によって形づくられたものではないことが分かります。収集物をどのように分類するか、誰に公開するか、どのような空間や素材を用いて見せるか、来館者をどのような存在として捉えるか、そして誰が文化や歴史を語る権限を持つのか。展示は、こうした複数の問いへの答えが時代ごとに組み替えられるなかで形成されてきました。

そのため、展示史を「静的な展示から体験型、参加型、デジタル展示へと進歩した歴史」と理解するのは適切ではありません。資料を中心に据える展示、空間や造作を重視する展示、来館者の経験を意識した展示、複数の視点を取り入れる展示は、現在も目的や資料の性格に応じて併存しています。新しい方法が古い方法を完全に置き換えたのではなく、異なる展示観が重なりながら今日の博物館展示を構成しているのです。

展示史を学ぶ意味は、「いま最も新しい展示手法は何か」を知ることではありません。むしろ、自館は何を見せようとしているのか、誰に向けて展示するのか、誰の視点から意味を構成するのか、そしてなぜその空間や方法を選ぶのかを問い直すことにあります。歴史を知ることで、現在当たり前に見える展示方法も、数ある選択肢の一つとして相対化できます。

展示形式の選択は、単なる技術上の判断ではありません。それは、博物館がどのような知識を重視し、来館者をどのように捉え、社会との関係をどのように築こうとしているのかを表しています。展示史をたどることは、過去を知るだけでなく、現在の展示をより意識的に設計するための基盤になるのです。

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この記事を書いた人

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国立文化施設にて運営・経営に関する業務に携わっています。
博物館経営、文化政策、ミュージアムDX、教育普及を中心に、実務と研究の両面から情報発信を行っています。

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