導入:なぜ今、「博物館の使命」を考えるのか
現代の博物館は、展示や収蔵品の保存だけを目的とする施設ではなく、社会の変化とともにその役割を拡張し続けています。近年では、気候変動や多様性、デジタル化、社会的包摂といった課題に対し、どのように関与し、社会のなかでどのような価値を生み出すかが問われるようになっています。博物館は文化遺産の保護と継承を担うだけでなく、人々の学びや対話、地域社会の再生にも関わる「公共的な文化装置」としての機能を強めており、その根底には「なぜこの博物館が存在するのか」という問いが横たわっています。この問いに対する答えこそが、博物館の「使命(mission)」です。
国際博物館会議(ICOM)は、1995年の定義において「博物館は社会とその発展に奉仕する非営利の恒久的機関である」と述べています。この定義は、博物館の存在が単なる文化財の管理機関にとどまらず、社会の福祉と文化の進展に資するものであることを明示しています(ICOM, 1995)。その後、2019年のICOM京都大会で議論された新定義案では、「社会的包摂」「多様性」「持続可能性」などの概念が加えられ、博物館が社会とどのように関わるかという倫理的・社会的視点が一層重視されるようになりました。つまり、博物館の使命は、収蔵や展示の目的を超え、社会に対してどのような意義をもつ存在であるかを明確にするための根本的な枠組みなのです。
博物館の「使命」とは何を意味するのか
「使命」という言葉は、英語の“mission”に由来し、「派遣」や「任務」を意味します。経営学においては、組織が存在する目的、すなわち「なぜこの組織が必要とされるのか」を示す言葉として用いられます。Peter Drucker(1973)は、非営利組織の成功は、明確な使命を持つかどうかにかかっていると述べ、使命を「組織の方向性を定める羅針盤」と位置づけました(Drucker, 1973)。博物館経営論においても同様に、使命は組織の方針や事業計画、成果評価の基準となる中核的概念とされています。Gail Dexter LordとBarry Lord(2009)は、『The Manual of Museum Management』において、博物館の使命を「その存在理由(raison d’être)を明確にし、すべての計画と意思決定を導くもの」と定義しました(Lord & Lord, 2009)。このように、使命は経営理念の出発点であり、職員や理事、来館者、地域社会など多様なステークホルダーを結びつける共通の基盤でもあります。
「使命」理解の意義
博物館の使命を理解することは、学芸員課程の教育においても欠かせない要素です。使命を学ぶことは、単に組織理念を暗記することではなく、展示企画や教育普及活動、地域連携、ファンドレイジングなど、博物館のすべての実践を「何のために行うのか」という視点から考える訓練につながります。使命を中心に据えて考えることで、博物館の活動が単なる業務ではなく、社会的価値を創出する行為であることを理解できるようになります。逆に、使命を見失った博物館は、経営の短期化や事業の形式化を招き、公共機関としての信頼を失う危険性をはらんでいます。したがって、使命を明確に持ち続けることは、博物館が社会の信頼を維持し、持続的に機能し続けるための前提条件なのです(Půček, Ochrana, & Plaček, 2021)。
本稿の目的と構成 ― 「定義」から「実践」へ
本稿では、この「博物館の使命」という概念を多角的に検討します。まず、なぜ博物館に使命が必要とされるのかを、社会的・経営的観点から整理します。次に、使命の定義と理論的背景を確認し、その上で、使命が果たす役割を「理念的次元」「社会的次元」「経営的次元」の三層構造として整理します。最後に、イギリスのテート・モダンを事例として取り上げ、使命が実際の運営や社会的貢献の中でどのように生きているのかを考察します。これらを通じて、博物館の使命が単なる理念ではなく、社会と組織を結びつける「生きた羅針盤」であることを明らかにします。
博物館の使命を理解することは、経営や運営の理論を学ぶだけでなく、社会の中で博物館が果たす文化的・倫理的役割を考える出発点となります。学芸員として、あるいは文化行政に携わる立場として、この使命をどのように解釈し、実践に結びつけていくかが、これからの博物館を形づくる重要な鍵となるのです。
なぜ博物館には使命があるのか
存在理由としての使命 ― 「なぜこの博物館が必要なのか」
博物館の使命(mission)は、その組織が社会の中で「なぜ存在するのか」という問いに対する答えです。展示、収蔵、教育、研究といった多様な活動を行う博物館にとって、使命はそれらを統合する根本的な理念として機能します。使命が明確であることは、博物館が何を目的に活動しているのかを職員自身が理解し、来館者や地域社会と共有する上で欠かせません。使命が組織の行動原理として定着していれば、個々の判断や意思決定も一貫した方向性をもつようになります。
使命は、単に理想や目標を掲げるだけの言葉ではなく、組織運営の羅針盤としての性格をもちます。非営利組織においては利益の最大化が目的ではないため、「なぜ存在するのか」という問いに対して明確な答えをもつことが不可欠です(Drucker, 1973)。使命は博物館にとっての「存在理由(raison d’être)」であり、経営方針や活動計画、成果の評価に至るまで、あらゆる判断の基準となります。使命をもつ博物館は、社会的・文化的文脈の中で自身の位置づけを明確にできるため、事業の優先順位を合理的に決定できるのです(Lord & Lord, 2009)。
このように、使命は博物館の「哲学的基盤」であり、活動の意味を根底から支える概念です。使命を明確に持つことで、博物館は単なる文化施設ではなく、社会にとって不可欠な公共的存在としての自覚を保つことができます。
社会的正当性を与える使命 ― 公共機関としての責任
博物館は公共的な非営利組織であるため、その活動は社会的に説明可能でなければなりません。使命は、博物館の存在を社会に正当化するための根拠として機能します。公共の資金や寄付によって運営される博物館は、社会からの信頼のもとに成り立っています。そのため、「なぜこの博物館が必要なのか」「誰のために存在しているのか」を明確に示すことが求められます。
公共経営の観点からみると、使命は「社会的正当性(legitimacy)」を確保するための仕組みと位置づけられます。博物館の使命は、行政、教育機関、地域住民、寄付者といった多様なステークホルダーに対して、活動の意義を説明するための共通言語を提供します。使命を明示することで、博物館は自らの行動が公共の利益にかなっていることを示し、資金提供者や市民からの信頼を獲得できます(Půček, Ochrana, & Plaček, 2021)。
また、社会的正当性の観点からみた使命は、単に倫理的責任を果たすだけではなく、組織のガバナンスを支える要素でもあります。使命が明確に定義されている博物館では、意思決定や評価の基準が透明化され、外部からの監査や評価にも耐えうる構造が形成されます。これにより、博物館は社会に対して説明責任(accountability)を果たしながら、公共機関としての信頼を維持することができるのです。
使命の明示はまた、社会的支持の獲得にもつながります。使命を明確に伝えることで、市民や地域団体との協働、ボランティア活動、寄付支援といった社会的参加が促進されます。使命は、博物館と社会の関係をつなぐ「文化的契約」として機能し、組織と市民の間に信頼と共感を生み出すのです。
使命の欠如がもたらすリスク ― 「理念なき経営」の危うさ
使命が欠如している、あるいは形骸化している博物館では、運営が短期的・事業主義的になりやすくなります。活動の目的が曖昧なままイベントや展示を繰り返すと、成果が一時的な注目や入館者数の増減に左右され、長期的な方向性を失う危険があります。このような状況では、組織の内部でも職員間での目的意識がばらつき、協働の力が弱まります。
さらに、使命が曖昧な博物館は社会的信頼を損なう可能性があります。公共の資金を使いながらも、その存在理由を説明できない組織は、行政や市民からの支援を受けにくくなります。使命が共有されていない場合、外部からの政策変更や流行に振り回され、博物館本来の価値が失われるおそれがあります(Sandell & Janes, 2007)。使命が失われた状態は、いわば「理念なき経営」の状態であり、文化的機関としての独自性と倫理性を損なう要因となります。
このようなリスクを避けるためには、博物館が定期的に使命を点検し、社会の変化や組織の成長に応じて更新することが必要です。使命は一度定めたら終わりではなく、時代の要請に応じて見直されるべき「生きた原則」として存在するのです(Lord & Lord, 2009)。
使命を軸とした経営の意義 ― 「理念から行動へ」
使命は、博物館の理念(why)と実践(how)を結びつける軸として機能します。使命があることで、経営計画や教育活動、展示方針など多様な実践が、共通の目的に基づいて統合されます。理念的次元で掲げられた価値観が、社会的次元の活動を通じて具現化され、さらに経営的次元において制度化・評価されるという流れをつくることができます。使命は、組織内外のすべてのステークホルダーに「この活動はなぜ行われているのか」という一貫した説明を可能にするのです。
使命を軸に経営を進める博物館では、職員や理事が共通の価値観を共有し、意思決定の際に一貫した判断が可能になります。Lord & Lord(2009)は、館長にとって最も重要な仕事は「使命感をもって他者を鼓舞すること」であると述べています。使命を中心に据えることで、博物館は単なる事業体ではなく、社会に対して文化的・教育的価値を提供する主体としての自覚を維持できるのです。
使命はまた、経営の持続可能性を支える要素でもあります。明確な使命をもつ博物館は、外部環境の変化に柔軟に対応しながらも、核となる価値観を失わずに運営を続けることができます。理念を行動に変える経営とは、使命を基盤にした戦略的な運営のことを意味します。使命の共有は、組織を内側から支える最も強力な統合要素なのです。
博物館の使命は、単なるスローガンではなく、存在理由と社会的責任を定義する基盤です。それは、経営の羅針盤であり、公共的信頼の拠りどころであり、同時に職員の行動を導く倫理的指針でもあります。使命が明確な博物館は、社会とともに変化しながらも、一貫した価値を提供し続けることができます。次節では、この使命の定義と理論的背景をより深く掘り下げ、博物館の使命がどのように理解されてきたのかを検討していきます。
博物館の使命とは何か ― 定義と理論的背景
使命(mission)は、博物館が社会のなかで「なぜ存在するのか」「誰のために何を実現するのか」を言語化した根本原理です。経営学では、組織の方向性を定め、意思決定と資源配分の基準を与える概念として理解されており、非営利組織においては成果の尺度や説明責任の土台にもなります(Drucker, 1973)。博物館経営の文脈でも、使命は展示・収蔵・研究・教育といった多面的な活動を束ね、日々の業務と長期的な戦略を一貫させる羅針盤として機能します(Lord & Lord, 2009)。
まず、使命の概念的定義を整理します。使命はスローガンや標語ではなく、存在理由(raison d’être)を端的に示し、誰にどのような価値を提供するのかを明確化する記述です。ここには少なくとも三つの問いが内包されます。第一に「なぜ(Why)」、第二に「誰のために(For whom)」、第三に「どのように(How)」です。これらは理念・社会・経営の三つの次元と結びつき、理念的な価値観を社会的な行動へ翻訳し、経営上の具体策や評価基準に落とし込む働きを担います(Půček, Ochrana, & Plaček, 2021)。そのため、よく練られた使命文は、理事会の意思決定から現場のプログラム設計まで、組織の層を貫く共通言語として作用します(Lord & Lord, 2009)。
次に、使命の歴史的展開を概観します。近代博物館の黎明期から今日に至るまで、使命は「コレクション中心」から「人と社会中心」へと重心を移してきました。以下の表は、時代ごとの中核的焦点とキーワード、典型的な成果指標の変化を整理したものです(Sandell & Janes, 2007; ICOM, 1995)。
時代別にみる博物館の使命の変化
| 時代区分 | 中核的焦点 | 主要キーワード | 典型的な成果指標 |
|---|---|---|---|
| 19世紀〜20世紀前半 | 収集・保存・分類 | 学術的秩序化、権威、希少性 | 収蔵点数、保存環境、目録整備 |
| 20世紀中葉 | 教育と普及 | 公教育、解説、来館者学習 | 学習プログラム数、学校連携 |
| 1960–1980年代 | 地域社会との関わり | 社会教育、地域文化、アクセシビリティ | 地域参加件数、ボランティア数 |
| 1990年代〜2000年代 | 社会的包摂と公共性 | 包摂、公平性、多様性、文化民主主義 | アクセス改善、満足度、代表性 |
| 2010年代以降 | 共創と社会的インパクト | ウェルビーイング、持続可能性、共創 | インパクト評価、関係資本、協働規模 |
| 近年 | トランスフォーマティブ・ミッション | 社会変革、気候危機、デジタル公共性 | 変化事例、政策連動、長期的成果 |
この変遷は、博物館が「モノのための制度」から「人と社会のための公共機関」へと自己定義を更新してきた過程を示します。とりわけ1990年代以降、社会的包摂や公平性、アクセスの確保が使命の中心に据えられ、展示や教育の方法は「提供」から「協働」へと再設計されました(Sandell & Janes, 2007)。同時に、ICOMの定義は、博物館を「社会とその発展に奉仕する非営利の恒久的機関」と位置づけ、社会的・倫理的責任を明確にしました(ICOM, 1995)。
こうした歴史的展開を踏まえ、使命の理論的枠組みを三つの次元で整理します。第一は理念的次元で、博物館の存在目的や価値観、長期的な志向を定義します。ここには「知の継承」「文化的多様性の尊重」「対話や学びの促進」といった、時間を超えて組織を導く軸が含まれます。第二は社会的次元で、誰にどのような変化をもたらすかを描きます。ここでは、来館者の学習、地域コミュニティのエンパワメント、包摂的な参加機会の設計などが重要となります。第三は経営的次元で、理念と社会的目的を実現するための戦略、ガバナンス、資源配分、評価指標(KPI)を定めます。たとえば、インパクト評価やステークホルダー・マッピング、リスク管理は、この次元で使命と接続される具体策です(Půček, Ochrana, & Plaček, 2021)。三つの次元は直列ではなく循環関係にあり、現場のデータと学習が理念にフィードバックされ、使命が更新され続けることで、組織は時代変化にしなやかに適応します(Lord & Lord, 2009)。
ここで留意すべきは、使命とミッションステートメントの関係です。ミッションステートメントは使命の「表現形式」ですが、表現が簡潔でも、背後にある三次元の整合性が取れていなければ、運用の段階で乖離が生じます。効果的なステートメントは、「目的(何のために)」「対象(誰のために)」「方法(どのように)」の三要素を明示し、かつ測定可能な行動基準に接続されています。言い換えれば、良い使命とは、外部の市民・行政・支援者に対しては正当性を語り、内部の職員・理事には判断基準を与える、双方向の翻訳装置なのです(Drucker, 1973)。
最後に、現代的再定義について触れます。近年の議論では、社会的公正、文化的権利、気候危機、デジタル公共性といった課題が、使命の中核に位置づけられつつあります。これは、収蔵品の保存・展示にとどまらず、デジタルアーカイブやオープンアクセス、共創的キュレーション、地域課題の解決に向けたアート・市民科学・政策協働など、博物館の活動領域そのものを拡張する動きです。使命は固定的な宣言ではなく、対話と学習を通じて更新される「生きた羅針盤」であり、外部環境の不確実性が高い時代ほど、その機能価値は高まります(Sandell & Janes, 2007)。ICOMの定義改訂をめぐる国際的議論も、この拡張の方向性を裏付けており、包摂と持続可能性、社会的インパクトを組織の中心に据えることが求められています(ICOM, 1995)。
小結として、博物館の使命は、理念的・社会的・経営的の三次元から構成され、歴史的にはコレクション中心から人と社会中心へと拡張してきました。現在は、共創とインパクトを軸に、公共性と説明責任を統合する複合概念へと成熟しています。実務上は、使命を基点に目標と指標を設計し、定期的にレビューする運用サイクルを確立することが、組織の一貫性と社会的信頼を高めます。次節では、この三次元が実務の中でどのように相互作用し、理念が社会的成果と経営戦略に循環的に翻訳されていくのかを、より具体的に検討します(Půček, Ochrana, & Plaček, 2021; Lord & Lord, 2009)。
博物館の使命が果たす役割 ― 理念・社会・経営の三次元から考える
博物館の使命(mission)は、その存在意義を示すだけでなく、日々の意思決定や社会的活動、経営運営を方向づける中核的な原理です。使命が組織文化として定着している博物館ほど、外部環境の変化に柔軟に対応し、理念と実践を一貫して結びつけることができます。その機能をより深く理解するためには、使命を「理念的次元」「社会的次元」「経営的次元」という三つの層から考えることが有効です。これらの次元は独立したものではなく、互いに影響を与えながら循環する動的な構造をなしています(Lord & Lord, 2009; Půček, Ochrana, & Plaček, 2021)。
理念的次元 ― 博物館の存在意義を支える思想と価値
理念的次元は、博物館の最も根源的な層であり、「なぜ存在するのか(Why)」という問いに答えるものです。ここでは、博物館がどのような価値観や思想に基づいて社会に貢献しようとしているのかが定義されます。たとえば「文化遺産の保存」「知の継承」「対話と学びの促進」「未来への責任」などがその典型です。これらは単なる標語ではなく、展示方針、教育プログラム、調査研究など、すべての活動に一貫性をもたらす精神的な基盤となります(Lord & Lord, 2009)。
理念的次元の明確化は、組織の内部においても重要な意味をもちます。理事会、学芸員、教育担当、管理スタッフといった多様な職種が共通の目的意識をもつことで、博物館の活動全体が統合的に運営されるようになります。また、理念は固定的ではなく、社会の価値観の変化に応じて再定義されるべきものです。たとえば、近年では文化の多様性や持続可能性、ジェンダー平等といったテーマが理念的使命に含まれるようになっています。理念的次元は、博物館が「過去を保存する場所」から「未来を構想する場」へと進化する上での原動力といえます。
社会的次元 ― 来館者・地域・社会への関わり
社会的次元は、使命が「誰のために(For whom)」機能するのかを定義する層です。博物館は単に収蔵品を展示する場所ではなく、社会の一員として多様な人々と関係を結び、共に価値を創り出す場であると考えられています(Sandell & Janes, 2007)。この観点から、博物館の社会的使命は「文化的包摂(cultural inclusion)」や「参加型学習(participatory learning)」を推進することにあります。
近年では、地域社会との共創プロジェクトや、障がい者・外国人・子どもなど多様な背景をもつ人々に向けたプログラムが展開されています。これらの取り組みは、来館者数といった量的成果だけでなく、来館者の意識や行動の変化を重視する質的評価(social impact assessment)へと発展しています(Půček, Ochrana, & Plaček, 2021)。社会的次元は、博物館が社会的ネットワークの中で信頼を築き、文化的・教育的影響力を高めるための軸であると同時に、社会的課題への応答責任を果たす仕組みでもあります。
さらに、博物館の社会的次元は地域コミュニティとの双方向的関係に基づいており、住民との協働展示や地域文化の発掘・継承といった形で顕在化します。これにより、博物館は地域に「属する」機関から、地域と「共に生きる」機関へと変わりつつあります。
経営的次元 ― ミッションとマネジメントの統合
経営的次元は、「どのように(How)」という実践面を扱います。ここでは、理念と社会的目的を具体的に実現するための経営戦略、ガバナンス、評価指標などが整備されます。使命が経営方針に反映されていなければ、理念は抽象的な理念にとどまり、実効性を失ってしまいます。そのため、Lord & Lord(2009)は「ミッション・ベースド・マネジメント(mission-based management)」という考え方を提示し、すべての活動を使命から逆算して設計する必要性を強調しています。
経営的次元の中心には、戦略的整合性と説明責任があります。理事会・館長・職員の間で使命の理解を共有し、組織全体が共通の価値基準に基づいて判断を下すことが求められます。ここでの成果指標(KPI)は、単なる来館者数や収益といった量的指標だけでなく、社会的成果や文化的価値の創出といった質的側面を含めて設計されるべきです。使命がマネジメントと結びつくことで、リスク管理や透明性の確保、公共的信頼の強化にもつながります。
Půčekら(2021)は、経営的使命を「戦略的意思決定の倫理的基盤」と位置づけています。つまり、使命は経営における最終判断の拠り所であり、組織が短期的利益ではなく社会的・文化的価値の創出を優先することを保障する枠組みとして機能します。
三次元の相互作用 ― 循環する使命モデル
理念・社会・経営の三次元は、静的な階層構造ではなく、相互に影響を与えながら循環するプロセスとして理解することが重要です。理念が社会的活動を導き、そこで得られた成果が再び理念を再定義するという循環構造が、博物館の使命を「生きた仕組み」として維持しています。
この循環は、社会の変化や課題を反映する柔軟なフィードバック機構でもあります。たとえば、包摂的展示や共創型プログラムの実践を通じて得られた来館者の反応や社会的評価は、次の理念的方向性を見直す手がかりになります。使命はこうした実践的学習の中で更新され、組織を継続的に再生させる役割を担っているのです。
博物館の使命における三次元モデルの統括
| 次元 | 焦点 | 主要機能 | キーワード |
|---|---|---|---|
| 理念的次元 | 存在意義・価値観の定義 | 博物館の方向性を示す思想的基盤を形成 | 文化遺産の保存/知の継承/未来への責任 |
| 社会的次元 | 来館者・地域社会との関係 | 包摂・共創・社会的影響力の発揮 | アクセス/多様性/ウェルビーイング |
| 経営的次元 | 運営と戦略の実践 | ガバナンス・評価・資源配分の整合性確保 | KPI/説明責任/ミッション・ベースド・マネジメント |
三次元モデルの意義は、理念を現場に落とし込み、現場の学びを再び理念に還元する「循環的構造」を形成する点にあります。このモデルは、博物館を静的な施設から動的な社会的学習組織へと発展させる理論的基盤を提供します。使命がこのように多層的に機能することにより、博物館は時代や地域の文脈に応じて変化しながらも、一貫した公共的価値を生み出し続けることができるのです(Lord & Lord, 2009; Půček, Ochrana, & Plaček, 2021; Sandell & Janes, 2007)。
次節では、この三次元モデルが実際の博物館経営や展示戦略においてどのように作用しているかを、テート・モダン(Tate Modern)の事例を通じて検討します。
テート・モダンにみる使命の実践 ― 芸術と社会の関係を再構築するミュージアム経営
ロンドンのテート・モダン(Tate Modern)は、現代美術館としての機能を超え、社会的包摂と文化的対話を推進する公共的プラットフォームとして国際的に高く評価されています。2000年に旧バンクサイド発電所を再生して誕生したこの美術館は、単に展示空間を提供する施設ではなく、芸術を通じて社会と関わる使命を明確に掲げてきました。その使命は、「Tate’s mission is to increase the public’s enjoyment and understanding of art(芸術に対する人々の享受と理解を高めること)」という簡潔な言葉に集約されています。この短い一文の中に、「enjoyment(楽しみ)」と「understanding(理解)」という二つの軸が共存していることは注目すべき点です。そこには、芸術を知識的に理解するだけでなく、体験的・感情的に楽しむことを重視する姿勢が示されています。この使命文は、芸術を特権的な知識領域から社会全体へと開く「芸術の民主化(democratization of art)」を理念的基盤としており、博物館の使命のあり方を再定義する重要な事例といえます(Lord & Lord, 2009)。
理念的次元 ― 芸術の公共化と包摂的価値観
理念的次元において、テート・モダンは芸術を「一部の専門家のもの」ではなく、「社会全体が共有できる公共的財」として位置づけています。従来の美術館が時系列や国別の展示構成を採用していたのに対し、テート・モダンは「テーマ型展示(thematic curation)」という革新的な方法を導入しました。たとえば、「人間の経験」「社会と政治」「素材と形式」といったテーマごとに作品を配置することで、来館者が自らの視点で芸術を読み解く余地を広げています。この展示手法は、知識の階層化を避け、来館者の主体的な解釈を促すものであり、芸術鑑賞を「知識」から「体験」へと転換する理念を体現しています。
また、開館当初からテート・モダンは芸術を「公共空間の実践」としてとらえてきました。特に象徴的なのが、館内中央に位置するタービン・ホール(Turbine Hall)です。ここでは、アニッシュ・カプーアやオラファー・エリアソンなど、世界的なアーティストが大規模なインスタレーションを発表してきました。これらの作品は観客の身体的参与を誘発し、「観る」だけでなく「感じ、考える」芸術体験を提供しています。こうした展示哲学は、博物館の理念的次元がいかに来館者の日常的思考や社会的感情に結びつき得るかを示す好例です(Lord & Lord, 2009)。
社会的次元 ― 市民参加と共創型プログラムの展開
社会的次元において、テート・モダンは「芸術を通じた社会的包摂(social inclusion)」を明確に掲げています。その中核となるのが「Tate Exchange」と呼ばれるプログラムです。これは、来館者・地域団体・教育機関・研究者などが自由に意見交換や共同制作を行うためのスペースであり、ミュージアムを「共創(co-creation)」の場へと転換しています。この取り組みは、Sandell & Janes(2007)が指摘する「社会的学習空間(social learning space)」としての博物館のあり方を実践したものといえます。ここでは、芸術を媒介にした対話や協働が、社会的関係資本(social capital)の形成につながっており、博物館が地域社会における信頼のハブとして機能しています。
さらに、テート・モダンは来館者体験を「教育的成果」ではなく「社会的インパクト(social impact)」として測定する仕組みを整えています。たとえば、展示やイベントへの参加を通じて来館者の意識がどのように変化したか、地域団体との協働がどのような社会的波及効果を生んだかを評価します。このような質的評価の導入は、博物館が単なる文化消費の場ではなく、社会的変化を創出する機関であるという自覚を表しています(Půček, Ochrana, & Plaček, 2021)。
経営的次元 ― 公共性と持続可能性の両立
経営的次元では、テート・モダンは公共性を維持しながら持続可能な運営を実現するモデルを築いています。その財源構成は、国の助成(Arts Council England)に依存しつつも、自主収入の割合を高める仕組みを採用しています。館内のショップやカフェ、特別展チケット、寄付、会員制度(Tate Membership)など多様な収益源を確保し、収益構造の安定化を図っています。このバランスは、公共機関としての説明責任と、民間的柔軟性を両立させるものであり、まさに「ミッション・ベースド・マネジメント(mission-based management)」の具体化といえます(Lord & Lord, 2009)。
また、ガバナンス体制として「Tate Trustees」が存在し、透明性の高い意思決定と説明責任を担保しています。これにより、館の運営は社会的信頼の上に成立しており、使命が倫理的基盤として機能しています。Půčekら(2021)は、こうした経営的使命を「戦略的意思決定の倫理的基盤」として位置づけ、短期的な利益よりも長期的な社会的価値の創出を重視する博物館経営の方向性を評価しています。
テート・モダンにおける三次元モデルの実践例
以下の表は、テート・モダンにおける使命の三次元モデル(理念的・社会的・経営的次元)の実践例を整理したものです。
| 次元 | 焦点 | 代表的実践 | 主要成果 |
|---|---|---|---|
| 理念的次元 | 芸術の公共性・体験化 | テーマ型展示、Turbine Hallインスタレーション | 知識中心の展示から体験中心の展示へ転換し、芸術の民主化を実現 |
| 社会的次元 | 社会的包摂と市民参加 | Tate Exchange、地域団体・教育機関との協働 | 共創型プログラムを通じて社会的信頼と包摂性を強化 |
| 経営的次元 | 公共性と持続可能性の両立 | 会員制度、寄付、ガバナンス構造(Tate Trustees) | 説明責任と経済的安定性を確保し、使命中心の経営を実現 |
三次元の統合と使命循環モデル
テート・モダンの使命は、理念・社会・経営の三つの次元が相互に補完し合う循環構造として機能しています。理念的には「芸術の公共化」を掲げ、社会的には「包摂と共創」を推進し、経営的には「持続可能な公共性」を支える。これらが単線的に並ぶのではなく、相互に作用しながら更新されている点に、テート・モダンの先進性があります。展示によって育まれた市民参加が社会的評価を生み、その成果が次の理念的方向性を再定義する。このプロセスこそが、博物館の使命を「生きた構造」として維持するための条件といえます。
さらに、テート・モダンの取り組みは、文化的持続可能性(cultural sustainability)の観点からも注目されます。芸術と社会の関係を再構築するその姿勢は、博物館を「社会のための芸術空間(art for society)」として再定義する実践でもあります。こうした理念・社会・経営の連動が、来館者にとっての新たな学びと社会的変化を生み出す力となっています(Půček, Ochrana, & Plaček, 2021)。
まとめ
テート・モダンの事例は、使命が単なる理念的スローガンではなく、社会的・経営的構造を含む実践的システムであることを明示しています。理念的には「芸術を通じた公共性の実現」、社会的には「包摂と共創」、経営的には「持続可能なマネジメント」という三位一体の枠組みを通じて、博物館の使命が現実にどのように機能しているのかを示しています。このように、使命の三次元が有機的に結びついたモデルは、現代の博物館経営における重要な指針となります。テート・モダンは、理念の明確化、社会的実践の深化、経営の透明化という三つの柱を通じて、「芸術と社会を結ぶ使命経営」の理想形を提示しているのです(Lord & Lord, 2009; Sandell & Janes, 2007; Půček, Ochrana, & Plaček, 2021)。
博物館の使命の再構築 ― 社会的変化と未来への展望
21世紀に入り、博物館を取り巻く社会環境は急速に変化しています。グローバル化、デジタル化、気候変動、少子高齢化、そして価値観の多様化など、これまでの「文化の保存と教育」という伝統的な役割だけでは対応しきれない課題が次々と現れています。博物館はもはや静的な文化装置ではなく、社会の変化を映し出す動的な存在となりつつあります。こうした状況のなかで、博物館の「使命(mission)」そのものが再び問い直されているのです(Lord & Lord, 2009; Sandell & Janes, 2007)。
社会的環境の変化と使命の揺らぎ
これまでの博物館は、「文化遺産の保存」「知識の普及」「市民教育の場」といった近代的理念に基づいて運営されてきました。しかし、社会が複雑化するにつれ、博物館に求められる役割も変化しています。グローバル化に伴う多文化共生の課題、AIやデジタル技術の発展による情報アクセスの変化、そして地球環境問題への関心の高まりなど、社会的期待は拡張し続けています。その結果、「誰のための博物館なのか」「何を守り、何を伝えるのか」という根本的な問いが再浮上しています。
こうした変化に対応するため、使命はもはや固定的な理念ではなく、社会の変化に呼応しながら再定義され続ける「対話的な原理」へと変わりつつあります。ICOM(国際博物館会議)が2019年に提示した新定義案では、「包摂性(inclusivity)」「多声性(polyphony)」「透明性(transparency)」といった価値が強調されました。これは、博物館が社会の一部として「変化に応答する存在」であることを示唆しています(Půček, Ochrana, & Plaček, 2021)。
使命の再定義 ― 公共性・倫理・持続可能性の統合
現代の博物館における使命再構築の中心には、「公共性」「倫理」「持続可能性」という三つの柱が据えられています。これらは独立した概念ではなく、相互に関連しながら博物館経営の根幹を形成しています。以下の表は、この三要素を整理したものです。
| 要素 | 焦点 | 内容 | 目指す方向 |
|---|---|---|---|
| 公共性 | 市民と共に価値を創出すること | 来館者・地域社会・多様なステークホルダーが共に参加する仕組みを設計 | 共創型の公共文化機関へ |
| 倫理 | 文化資源の取扱いにおける道義的責任 | 収蔵・展示・返還・除却などの判断を倫理的視点から行う | 信頼と説明責任に基づく経営へ |
| 持続可能性 | 長期的な運営・社会的価値の維持 | 環境・経済・文化の三領域を統合した持続的運営を志向 | 文化的持続可能性を中核とする新しい使命体系へ |
この三要素の統合は、博物館が社会の信頼を得て長期的に存在し続けるための条件でもあります。公共性は博物館が「誰のために存在するのか」を定義し、倫理は「どのように行動するか」を導き、持続可能性は「どれだけ続けられるか」を支える構造です。これらの三層が重なり合うとき、使命は理念的宣言から実践的原理へと昇華します(Lord & Lord, 2009)。
デジタル時代における使命の拡張
デジタル技術の進展は、博物館の使命に新しい地平を開いています。オンライン展示やデジタルアーカイブの普及により、博物館は物理的な空間を超えて活動する「知のプラットフォーム」としての役割を担い始めています。これにより、来館者の定義そのものが拡張され、「デジタル来館者(virtual visitors)」という新たな対象が登場しました。
デジタル化は、単なる情報発信の手段ではなく、使命そのものを実現するための領域へと変わりつつあります。たとえば、展示物の3Dスキャンによるアクセス拡大、オンライン教育プログラムの構築、AIを用いた来館者データ分析など、技術の応用は多様です。こうした取り組みは、Lord & Lord(2009)が述べる理念的次元における「知識と体験の共有」を、デジタル領域にまで拡張するものといえます。また、Půčekら(2021)は、デジタル投資が社会的リターンを生み出す経営的使命の新形態として注目しています。
このように、デジタル・ミッション(digital mission)は、博物館の存在範囲を拡張し、「物理空間に限定されない公共性」を実現する方向へと進化しています。
未来志向の使命モデル ― 「共感」と「共創」の時代へ
未来の博物館は、理念・社会・経営の三次元がさらに「共感(empathy)」と「共創(co-creation)」という価値軸のもとに再編される必要があります。これは、来館者を「受け手」としてではなく、「共に文化を作る仲間」として位置づける考え方です。共感は、展示や学習を通じて他者への理解を深める文化的基盤であり、共創は、その理解をもとに社会をより良くしていく実践的行為を指します。
以下の表は、この未来志向の使命モデルを三次元構造に対応させたものです。
| 次元 | 未来型の焦点 | 新しいキーワード | 実践の方向性 |
|---|---|---|---|
| 理念的次元 | 共感と多様性の尊重 | 感情知・包摂・共感の学び | 感情を介した文化理解と内省的学びを重視 |
| 社会的次元 | 共創と関係性の深化 | 参加・ネットワーク・市民科学 | 来館者と共に学び、社会課題を共有する空間づくり |
| 経営的次元 | 協働と持続可能性 | パートナーシップ・透明性・文化的投資 | ミッション連動型経営による協働基盤の確立 |
この新しいモデルでは、理念が「共感」を通じて社会的活動を生み出し、その実践が再び理念を更新する循環が強調されます。すなわち、使命は社会との関係性の中で絶えず再生産される動的プロセスであり、固定的な方針ではなく「関係性の文化」として存在するのです(Sandell & Janes, 2007)。
日本の博物館への示唆
日本の博物館制度もまた、こうした国際的潮流と無縁ではありません。近年、文化庁が推進する「地域連携型博物館」や「文化観光拠点形成」は、まさに公共性と持続可能性の両立を目指す動きです。指定管理者制度や独立行政法人化など、経営面での多様化が進むなか、各館が自館の使命をどのように再構築するかが問われています。
今後の日本の博物館においては、地域社会との協働を基盤とし、「文化的ウェルビーイング(cultural well-being)」の実現を目指すことが重要です。これは、文化活動を通じて人々の幸福や社会的つながりを支えるという使命の新たな形です。使命を再定義するとは、単に言葉を刷新することではなく、社会との関係の再構築に他なりません。日本の博物館も、地域と共に歩む「共感と共創の文化的エコシステム」としての進化が求められているのです(Půček, Ochrana, & Plaček, 2021)。
まとめ
博物館の使命は、もはや固定された理念ではなく、社会との対話によって進化する動的な構造として理解すべき時代に入っています。公共性・倫理・持続可能性という三つの柱を統合し、デジタル化や共創的実践を通じて新たな公共性を構築していくことが求められています。これからの博物館は、共感によって人をつなぎ、共創によって社会を動かす文化的エンジンとして機能していくことでしょう(Lord & Lord, 2009; Sandell & Janes, 2007; Půček, Ochrana, & Plaček, 2021)。
参考文献
- Lord, G. D., & Lord, B. (2009). The manual of museum management (2nd ed.). AltaMira Press.
- Sandell, R., & Janes, R. R. (Eds.). (2007). Museum management and marketing. Routledge.
- Půček, M. J., Ochrana, F., & Plaček, M. (2021). Museum management: Opportunities and threats for successful museums. Springer.
- International Council of Museums (ICOM). (2019). Museum definition proposal: Consultation results and recommendations. ICOM.
- 文化庁. (2024). 博物館法および博物館制度関連資料. 文化庁 博物館総合サイト. https://museum.bunka.go.jp/law/
- Tate. (2020). Tate mission statement and strategy 2020–2030. Tate.

