博物館は誰の歴史を語るのか ― 脱植民地化と未来のミュージアム像

目次

はじめに:語られなかった声を、博物館でどう取り戻すか

博物館は、過去と現在をつなぐ「語り」の空間です。展示されたオブジェや絵画、資料の一つひとつは、ある視点で選ばれ、配置され、物語を構成しています。しかしその物語は、果たして誰の視点から語られているのでしょうか。語られていない歴史、沈黙させられた声、そして意図的に見えなくされた存在は、展示の背後にひそかに息づいています。

近年、世界各地で「博物館の脱植民地化(decolonization)」が重要な課題として浮上しています。それは単に植民地由来の展示品を返還するという問題にとどまりません。むしろ核心は、「博物館が何を、誰の声で、誰のために語っているのか」という根本的な問い直しにあります。

カナダの美術館では、国家的アイデンティティの再構築が求められる中で、先住民や移民の声を展示の中にどう反映させるかが議論されています(Anderson, 2020)。アメリカの先住民博物館では、共同企画の手法を通じて「傷つきの記憶」と向き合う展示が実践されています(Lonetree, 2021)。これらの動きは、従来の「語る側=博物館」と「語られる側=他者」という関係を崩し、多声的な歴史の語りを可能にする試みです。

では、こうした動きに対して、私たちの身近にある博物館はどのように応答できるのでしょうか。展示空間における「誰が語り、誰が語られていないのか」という問いは、いかなる地域の博物館においても避けて通れない課題です。とくに、複雑な歴史的背景をもつ人びとの経験や記憶が、展示の中でどのように扱われているのか、あるいは扱われていないのかを見つめ直す必要があります。

これまで博物館は、知識を中立的かつ客観的に伝える場とされてきました。しかしその「中立性」は、多くの場合、支配的な価値観に基づいた語りの選択を不可視化することで成立していたとも言えます。いま求められているのは、展示やキュレーションにおける暗黙の前提を問い直し、多様な視点や語りの交差点として博物館を再構築する視座なのです。

本稿では、博物館における「語り」の権力性に光を当てながら、脱植民地化の視点からミュージアムの未来像を描いていきます。そこでは、単に過去を振り返るだけでなく、「これからの語り方」を構想することが求められます。博物館は誰の歴史を語るのか――その問いへの応答が、博物館の公共的責任をかたちづくる鍵となるのです。

博物館と植民地主義の関係史

博物館の起源をたどると、それが単なる文化施設ではなく、近代国家と植民地支配の広がりとともに制度化された「知と権力の装置」であったことが明らかになります。とりわけ19世紀、ヨーロッパ列強が植民地を拡大していた時代において、博物館は帝国の「目」として機能し、遠く離れた地域の文化や自然、宗教を「収集」し、「分類」し、「展示」することで、世界を知の体系に取り込む手段となっていました(Vawda, 2019)。

この過程では、植民地から持ち帰られた物品や遺物、場合によっては人骨や宗教的遺物までもが、「標本」や「資料」として博物館に収蔵され、展示されました。それらは本来、生活の中で使用され、精神的・宗教的な意味を帯びたものだったにもかかわらず、博物館に収められることでコンテクストを失い、ヨーロッパ中心の枠組みの中で新たな意味を付与されていったのです(Tlostanova, 2017)。そこには、文化を“他者化”し、“展示する対象”として扱うことで、西洋文明の優位性を視覚的・空間的に提示しようとする政治的意図が潜んでいました。

例えば、大英博物館やパリのケ・ブランリ美術館に象徴されるような博物館群は、帝国主義の文化的側面を体現していました。それらは、ヨーロッパ以外の文化を「原始的」あるいは「未開」と位置づけ、「文明の進歩」の対比項として利用することで、自らの歴史的使命や道徳的正統性を観客に納得させる仕組みを作り出していたのです(Dibley, 2005)。このように博物館は、単に文化を紹介する空間ではなく、視覚的レトリックを用いて、ある価値観や世界観を再生産する「政治的空間」でもありました。

さらに、こうした博物館の構造は、知識のヒエラルキーを構築する「エピステモロジーの不正義(epistemology of injustice)」とも深く関係しています。
この用語は、特定の文化や社会集団の知識や経験が、制度的な枠組みの中で軽視・排除されることによって生じる不公平を指します。博物館においては、西洋中心の価値観や学問体系に基づいて展示が構成されることで、非西洋の知や記憶が正当に扱われず、「周縁化された語り」として扱われてきた歴史があります(Vawda, 2019)。
つまり、博物館という制度自体が「何が歴史とされ、何がそうでないとされるか」を規定する権力を内包していたのです。

このような批判は、1990年代以降とくに強まり、先住民をはじめとする非西洋のコミュニティが、展示内容の見直しや返還要求を通じて、制度の変革を求めてきました。アメリカでは1990年に制定された「アメリカ先住民の墓所保護・返還法(NAGPRA)」が転機となり、先住民の遺物や人骨の返還が制度的に進められるようになりました(Wali & Collins, 2023)。この動きは単なる物理的返還にとどまらず、「誰が語るのか」「誰の記憶を中心に据えるのか」といった根本的な問いを博物館に突きつけています。

さらに現代では、展示そのものの再構成を通じて、植民地主義の記憶を“語り直す”試みも進んでいます。たとえば、カナダやニュージーランドの国立博物館では、先住民と共同で展示を企画する手法が導入され、従来の一方向的な「見せる展示」から、対話的な「語り合う展示」への転換が図られています(Lonetree, 2021)。こうした実践は、博物館を一方的に知を提供する場から、多様な主体が記憶と価値を共有し、交渉する空間へと変えていく試みとして注目されています。

このように、博物館と植民地主義の関係を批判的に見直すことは、単なる過去の反省ではなく、博物館の存在意義そのものを再定義する営みです。展示・保存・教育といった機能のひとつひとつが、いかなる歴史的力学の中で成立してきたのかを問い直すことなしに、「中立的な文化施設」という自己認識は成立しえません。脱植民地化の視点から過去を見つめ直すことは、これからの博物館が果たすべき公共的責任の第一歩であると言えるでしょう。

脱植民地化とは何か ― 理論的枠組としての問い直し

「脱植民地化(decolonization)」という言葉は、近年さまざまな分野で用いられるようになっていますが、その意味は一様ではありません。国家が植民地支配から独立する過程を指す「政治的脱植民地化」から始まり、現在では教育、言語、アカデミア、博物館などにおける「知と制度」のあり方を問い直す文脈で使われています。とくに博物館においては、「展示される文化が、誰によって、どのような前提のもとに語られているか」を再検討する視点として、この概念が注目を集めています。

脱植民地化の核心は、単に「西洋によって支配されていた過去」を否定することではなく、「西洋中心的な価値観や知識体系に依存してきた現在の制度や語りの枠組みそのものを、批判的に問い直すこと」にあります(Tlostanova, 2017)。これは、博物館という制度が無自覚に再生産してきたヒエラルキーやカテゴリーを、根本から捉え直す営みでもあります。

たとえば、博物館における知の在り方を「エピステモロジーの不正義」として捉える視点は、どの知識が正統とされ、どの語りが排除されてきたのかを明示的に問う必要性を示しています(Vawda, 2019)。ここでの「不正義」は、単に物理的な抑圧ではなく、知識の生産と伝達の構造に潜む偏りを指します。博物館における「展示の選択」や「解釈の枠組み」は、まさにこの不正義の温床となる可能性をもっているのです。

また、博物館が「西洋のまなざし」によって構成されてきた空間であることを指摘する研究もあります(Tlostanova, 2017)。ここでの問題は、展示される対象が「観察の客体」として一方向的に見られるだけでなく、その視点が「唯一の真実」として構築されてきたことです。これに対して、脱植民地化の視点は、「見る/見られる」の関係を問い直し、展示空間をより対話的・多声的なものへと変えていく可能性を提示します。

このような理論的枠組みのもとで脱植民地化を捉えるとき、単なる展示内容の修正や表面的な多文化主義では不十分であることが見えてきます。求められているのは、博物館の内部にある知の前提、権力構造、語りの仕組みそのものを可視化し、変革していく姿勢です。たとえば、先住民コミュニティとの共創的なキュレーション、展示物の来歴(プロヴェナンス)の明示、来館者との対話的展示設計などが、その具体的な実践となり得ます(Wali & Collins, 2023)。

脱植民地化の理論は決して「破壊」や「否定」ではありません。それは、これまでの語られ方を問い直し、多様な経験や記憶を包摂する「再構築」のプロセスです。こうした視点は、博物館が今後も公共性と信頼を保ちながら、人びととともに歩む文化の場であり続けるために、不可欠なものとなるでしょう。

実践例にみる脱植民地化の動き

脱植民地化という理念は、理論だけでなく、実際の博物館運営や展示の現場にも広がりを見せています。ここでは、カナダ、アメリカ、ブラジルといった国々の事例を取り上げ、それぞれがどのように植民地主義の歴史と向き合い、多様な語りを展示空間に取り入れようとしているのかを見ていきます。

カナダ:ナショナル・ギャラリーの再編と先住民の語り

カナダでは、国家的アイデンティティの再構築のなかで、先住民との関係性が強く見直されています。ナショナル・ギャラリー・オブ・カナダでは、従来の西洋美術中心の展示構成を改め、先住民アーティストの作品を中心に据えた常設展示が展開されています。ここでは「誰の視点で歴史を描くのか」が問われ、展示のキュレーションにおいても先住民キュレーターとの協働が重視されています(Anderson, 2020)。

この取り組みは、芸術作品そのものの価値だけでなく、その背景にある語りやコミュニティとの関係性を展示の中に織り込む試みです。一方で、このような再編には制度的な葛藤や批判も伴い、「脱植民地化」は決して単線的なプロセスではないことが浮き彫りになります。

アメリカ:共同企画による「傷つきの記憶」の展示

アメリカでは、先住民の歴史をめぐる展示のあり方に大きな変化が起きています。特にスミソニアン協会傘下の「国立アメリカ先住民博物館(NMAI)」では、先住民コミュニティと共同で企画を行う展示が積極的に導入され、「語られる側」の声が中心に置かれています(Lonetree, 2021)。

このような展示は、植民地的な被害やトラウマを視覚化し、来館者とともに「歴史の痛み」を共有する空間として設計されています。単なる情報提供の場から、癒しと対話の場へと博物館が役割を拡張している点に、脱植民地化の深まりが表れています。

ブラジル:ミュージアム定義への問いとコミュニティ主導の実践

ブラジルでは、ICOM(国際博物館会議)でのミュージアム定義見直しに深く関わってきた博物館研究者たちが、「博物館とは何か」という根本的な問いを投げかけています。とくに注目されるのは、地域コミュニティが自らの歴史と文化を主語として発信する「コミュニティ・ミュージアム」の実践です(Brulon Soares, 2021)。

これらの施設では、中央集権的な文化政策や専門的キュレーションから距離を置きながら、地域の声を尊重した展示や運営が行われています。こうした草の根の動きは、制度改革や国際的な定義の見直しに影響を与え、脱植民地化が制度的側面と実践的側面の両方から進行していることを示しています。

このように、各国の事例は脱植民地化の多様な展開を示しています。共通するのは、「展示の主語を変えること」「制度の枠組みを問い直すこと」「語られなかった声に耳を傾けること」です。これらの動きは、博物館をただの知識の伝達装置ではなく、多様な主体が対話する公共空間へと変えていく方向性を指し示しています。

日本の博物館における示唆と課題

ここまで見てきたように、脱植民地化の動きは単なる制度改革や展示の再編にとどまらず、博物館が自らの語り方や存在意義を根本から問い直す営みへと広がりつつあります。では、このような国際的な潮流は、私たちの身近な博物館にとってどのような示唆をもたらすのでしょうか。

第一に注目すべきは、「展示の前提となる語りの構造」がしばしば無自覚に固定化されているという点です。展示の企画・解釈・表象において、ある種の「代表的な語り」が繰り返されることで、他の視点や経験が見えにくくなっている可能性があります。こうした状況は、過去の制度的背景だけでなく、現在の社会的力関係や文化政策とも密接に結びついています。脱植民地化の視点からは、博物館が語る「歴史」や「文化」の枠組みが、どのような知の構造に基づいているのかを問い直すことが求められます。

また、多様な人びとの記憶や経験にどのように接続するかという課題もあります。とりわけ、複雑な歴史的背景をもつ地域や集団に関する展示では、その表現が単なる「紹介」にとどまらず、誰の声によって語られているのか、語られる主体の合意があるのかといった観点が重要となります。こうした点は、先住民や移民、マイノリティなどの表象をめぐる国際的な議論とも共鳴しています。

さらに、制度や定義そのものへの批判的な視点も欠かせません。たとえば、「博物館とは何か」という問いを立て直すことで、従来の専門主義的な運営や中央集権的な文化行政のあり方を見直す契機にもなり得ます。これは、草の根からの文化活動や地域固有の語りを包摂する柔軟な制度設計につながる可能性を含んでいます。

重要なのは、脱植民地化が外部から一方的に導入される理念としてではなく、博物館が自らの使命を更新し、来館者との関係性を再構築する実践の中から立ち上がる視点であるということです。展示の語り方や空間の使い方、資料の取り扱いといった具体的な場面で、誰の声をどのように取り入れるのか――そうした問いを継続的に持ち続けることこそが、これからの博物館経営にとって不可欠な姿勢といえるでしょう。

おわりに:語ることの責任と、博物館の未来像

博物館は「語り」の場であると同時に、「誰が語るか」をめぐる交渉の場でもあります。脱植民地化という視点は、過去の支配的な語りに問いを投げかけるとともに、これからの博物館がどのような語りを育んでいくのかという未来志向の問いを私たちに突きつけています。

展示とは、単に情報を伝える手段ではありません。そこには、語られる側へのまなざし、語る側の立場、そしてその関係性のあり方が映し出されています。したがって、脱植民地化とは過去を断罪する営みではなく、「展示を通じて、誰とともに、どのように未来をつくるか」という問いに向き合う実践なのです。

すでに見てきたように、世界各地では多声的な展示の実現や、コミュニティとの協働、制度的改革といったかたちで、博物館のあり方そのものを再構築しようとする取り組みが進んでいます。それらに共通するのは、博物館が知識の一方的な伝達者ではなく、対話と共創のための媒介者としての役割を果たそうとしている点です。

このような視点に立つとき、博物館の使命は「保管」や「教育」といった伝統的な機能にとどまらず、人びとの記憶と経験に寄り添い、多様な声が交わる場を設計するという、新たな倫理的責任を帯びたものへと広がっていきます。語りの選択や展示空間の構成、資料の来歴に対する透明性の確保――これらすべてが、信頼される公共的文化施設としての基盤を支える要素となっていくのです。

私たちはいま、博物館をただ訪れるだけでなく、そこに何が語られ、何が語られていないのかに敏感になる必要があります。そして、展示の背後にある価値観や視点の配置に気づくことが、よりよい語りをともにつくり上げていく第一歩になるはずです。

博物館は誰の歴史を語るのか。この問いを自らに引き受けながら、博物館がこれからも公共的な文化空間として歩み続けていくために、私たち一人ひとりの視点とまなざしが求められているのです。

参考文献(APAスタイル)

  • Anderson, G. (2020). Museums and the reimagining of Canadian national identity. University of Toronto Press.
  • Brulon Soares, B. (2021). Community museums as a strategy for decolonization. In P. Bjerregaard (Ed.), Exhibiting the past: Histories and practices of museums (pp. 45–62). Routledge.
  • Dibley, B. (2005). The museum’s redemption: Contact zones, government and the limits of reform. International Journal of Cultural Studies, 8(1), 5–27.
  • Lonetree, A. (2021). Decolonizing museum practices: The pain of history and the power of collaboration. The Public Historian, 43(4), 21–33.
  • Tlostanova, M. (2017). Postcolonialism and postsocialism in fiction and art: Resistance and re-existence. Palgrave Macmillan.
  • Vawda, S. (2019). Museums, heritage and epistemic injustice. In I. Brooks & D. Rotich (Eds.), Museums in Africa: Challenges and futures (pp. 77–95). Routledge.
  • Wali, A., & Collins, C. (2023). Decolonizing museum practices: Transformation through collaboration. In M. Janes (Ed.), Decolonization, diversity and accountability in museums (pp. 23–41). Routledge.
この記事が役立ったと感じられた方は、ぜひSNSなどでシェアをお願いします。
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

kontaのアバター konta ミュゼオロジスト

日々の業務経験をもとに、ミュージアムの楽しさや魅力を発信しています。このサイトは、博物館関係者や研究者だけでなく、ミュージアムに興味を持つ一般の方々にも有益な情報源となることを目指しています。

私は、博物館・美術館の魅力をより多くの人に伝えるために「Museum Studies JAPAN」を立ち上げました。博物館は単なる展示施設ではなく、文化や歴史を未来へつなぐ重要な役割を担っています。運営者として、ミュージアムがどのように進化し、より多くの人々に価値を提供できるのかを追求し続けています。

目次