博物館の現場では、同じような議論や悩みが何度も繰り返されてきました。展示が専門的すぎて難しいと言われたかと思えば、今度は分かりやすすぎて浅いと批判される。資料の保存を重視すれば活用が進まないと言われ、活用を進めれば保存への配慮が足りないと指摘される。学芸部門と管理・運営部門の間では、互いに正しいことを言っているはずなのに、なぜか議論が噛み合わない。さらに近年では、成果や効果を示すことが強く求められる一方で、博物館の価値は短期間では見えにくいという状況も続いています。
こうした状況に直面すると、つい「説明の仕方が悪いのではないか」「組織の連携が足りないのではないか」「誰かの努力が足りないのではないか」と考えてしまいがちです。しかし、本当にそうなのでしょうか。もし個人や組織の工夫だけで解決できる問題であれば、これほど長く、そして多くの博物館で同じ悩みが繰り返されることはないはずです。
本記事では、これらの現象を「問題」や「対立」としてではなく、博物館という組織が本質的に抱えている条件として捉え直します。博物館は、専門性と公共性、長期的価値と短期的説明責任、保存と活用といった、いずれも正当で重要な価値を同時に引き受ける組織です。その結果として生じるのが、「どちらかを選べば解決するわけではない」構造的な緊張関係、すなわち構造的ジレンマです。
本記事では、博物館が避けて通ることのできない五つの構造的ジレンマを取り上げ、それぞれがどのような場面で現れ、なぜ解消が難しいのかを整理します。理論的な視点と実務の感覚を往復しながら、博物館経営や運営を考えるための共通の土台をつくることを目指します。構造的ジレンマを理解することは、博物館の限界を知ることではなく、より現実的で持続可能な判断を行うための出発点となるはずです。
博物館の「構造的ジレンマ」とは何か
構造的ジレンマとは「解決できない問題」ではない
「ジレンマ」という言葉は、しばしば問題や欠陥、あるいは失敗の結果として理解されがちです。しかし、博物館における構造的ジレンマは、そのような否定的な意味合いとは本質的に異なります。構造的ジレンマとは、誰かの判断ミスや努力不足によって生じるものではなく、むしろ組織が正当な価値を複数同時に引き受けているがゆえに不可避的に生まれる緊張関係を指します。
博物館には、専門性を担保することも、社会に開かれた公共的な存在であることも、いずれも欠かすことができません。保存と活用、研究と展示、長期的視点と即時的な説明責任といった価値はいずれも正当であり、どちらか一方を切り捨てることは博物館の使命そのものを損なうことになります。構造的ジレンマとは、こうした「どちらも正しい」価値が同時に存在することで生じる状況であり、単純な解決策が存在しないこと自体が特徴なのです。
したがって、構造的ジレンマは克服すべき欠点ではなく、博物館という組織が成立するための前提条件の一つと捉える必要があります。重要なのは、ジレンマを消し去ることではなく、その存在を自覚したうえで、どのように向き合い、どのように判断を積み重ねていくのかという姿勢にあります。
なぜ博物館ではジレンマが避けられないのか
博物館において構造的ジレンマが特に顕在化しやすい理由の一つは、その二重の性格にあります。博物館は、高度な専門知識に基づいて資料を扱う専門組織であると同時に、社会全体に対して説明責任を負う公共的な組織でもあります。専門家としての厳密さと、市民に対する分かりやすさや開放性は、どちらも博物館に求められる重要な要素ですが、実務の場面ではしばしば緊張関係を生みます。
さらに博物館は、時間軸の異なる価値を同時に扱う制度でもあります。資料の保存や研究は、数十年、あるいはそれ以上の長期的視点で評価される営みです。一方で、博物館は現在の社会の中で運営されており、予算や事業、来館者数などについて、比較的短いスパンで説明責任を果たすことが求められます。長期的にしか見えない価値と、短期的に示さなければならない成果を同時に引き受けている点に、博物館特有の難しさがあります。
このように、博物館はその制度設計の段階から、複数の価値や時間軸を内包する組織として成り立っています。構造的ジレンマが避けられないのは、博物館の運営が未熟だからではなく、その役割と使命が本質的に多層的であるからにほかなりません。
学術的正当性と社会的正当性のジレンマ
学術的正当性とは何か
博物館における学術的正当性とは、資料や展示、調査研究が専門的な知見に基づき、学問的に妥当であることを指します。ここで重視されるのは、資料の来歴や真正性、解釈の根拠、研究手法の適切さといった要素です。学術的正当性は、単に詳しい説明がなされているかどうかではなく、その内容が専門家の共同体において検証可能であり、批判に耐えうるものであるかという点に支えられています。
博物館は、研究機関としての側面を持ち、学芸員はそれぞれの専門分野において知識を蓄積し、更新し続けることが求められます。そのため、展示や解説は、最新の研究成果や学界の議論と無関係には成り立ちません。学術的正当性が確保されていることは、博物館が単なる娯楽施設ではなく、信頼できる知の拠点として機能するための基盤となります。
また、この正当性は短期的な評価では測りにくいという特徴を持っています。研究の意義や解釈の価値は、時間をかけて検証され、積み重ねられるものであり、即座に分かりやすい成果として示されるとは限りません。それでもなお、学術的正当性は博物館の存在理由を支える中核的な価値であり、軽視することはできない要素なのです。
社会的正当性とは何か
一方で、博物館は専門家のためだけに存在しているわけではありません。社会的正当性とは、博物館が市民にとって意味のある存在として理解され、支持されている状態を指します。展示や活動が来館者に受け止められ、共感や納得を得られること、また公共的資源を用いて運営される組織として説明責任を果たしていることが重要になります。
社会的正当性は、来館者数や満足度といった指標だけで構成されるものではありません。博物館がどのような価値を社会にもたらしているのかを分かりやすく伝え、市民との関係を築いていく過程そのものが問われます。教育的意義や文化的役割、地域との関わりなど、博物館が社会の中で果たす役割を可視化することが、社会的正当性を支える要素となります。
さらに、現代の博物館は行政や支援者、地域社会など多様なステークホルダーと関わりながら運営されています。そのため、活動の目的や成果を説明し、理解を得ることは避けて通れません。社会的正当性とは、博物館が公共的存在として認知され、信頼され続けるための条件だと言えるでしょう。
なぜこの2つは自然に一致しないのか
学術的正当性と社会的正当性がしばしば緊張関係に置かれる理由は、評価の主体が異なる点にあります。学術的正当性は、主に専門家や研究者による評価に支えられるのに対し、社会的正当性は市民や行政、支援者といった幅広い主体によって判断されます。両者は同じ基準で評価されるわけではなく、重視される観点も異なります。
この違いは、展示という成果物において特に顕著に表れます。展示は、学問的に正確であることが求められると同時に、分かりやすく、関心を引き、来館者にとって意味のある体験でなければなりません。専門的に精緻な内容が、必ずしも一般の来館者にとって理解しやすいとは限らず、逆に分かりやすさを優先すると学術的な深みが損なわれると感じられる場合もあります。
このように、展示は常に複数の評価基準にさらされる成果物です。どちらか一方を満たせば十分というわけではなく、異なる正当性を同時に引き受けることが求められます。その結果として生じる緊張関係が、学術的正当性と社会的正当性のジレンマです。このジレンマは解消すべき矛盾ではなく、博物館が社会において果たす役割の複雑さを示すものとして理解する必要があります。
収集・保存と公開・活用のジレンマ
博物館が資料を守る理由
博物館が資料を収集し、保存することは、その存在意義の根幹をなす営みです。資料は単なるモノではなく、過去の人々の営みや自然、文化を理解するための一次的な証拠であり、失われれば二度と取り戻すことができません。そのため博物館は、資料の劣化や消失を防ぎ、可能な限り良好な状態で維持する責任を負っています。
保存は研究と密接に結びついています。資料が適切に保存されているからこそ、将来の研究者が新たな視点や方法によって再検討することが可能になります。現在の知識や技術では十分に読み解けない資料であっても、将来的には重要な意味を持つ可能性があります。博物館における保存とは、現在の理解のためだけでなく、未知の問いに備える行為でもあります。
さらに、博物館は将来世代への継承という役割を担っています。資料を今の世代が使い尽くすのではなく、次の世代、その次の世代へと引き渡していくことが求められます。この長期的視点に立った責任こそが、博物館が資料を「守る」ことを重視する最大の理由だと言えるでしょう。
博物館が資料を活用する理由
一方で、博物館の資料は、ただ収蔵庫に保管されているだけでは社会的な価値を十分に発揮することができません。博物館が資料を活用する最大の場が展示です。展示を通じて資料は意味づけられ、来館者は過去や文化、自然について考える手がかりを得ることができます。資料の公開は、博物館が社会と知を共有するための重要な手段です。
資料の活用は教育活動とも深く関わっています。学校教育との連携やワークショップ、解説プログラムなどを通じて、資料は学びの素材として機能します。実物に触れたり、間近で観察したりする体験は、書籍や映像だけでは得られない理解をもたらします。博物館が資料を活用することは、知識の普及や学習機会の提供という公共的役割を果たすことでもあります。
また、資料の活用は社会的還元という側面も持っています。公的資源や寄贈によって集められた資料を社会に開き、その価値を共有することは、博物館が公共的存在であることの表れです。活用を通じて初めて、博物館は社会から支持され、存在意義を認識され続けることができます。
理念的両立と実務的トレードオフ
収集・保存と公開・活用は、理念の上では両立すべきものとして語られます。資料を守りながら、同時に社会に開いていくことが理想とされてきました。しかし、実務の現場では両者はしばしばトレードオフの関係に置かれます。展示や貸出によって資料を頻繁に扱えば、劣化や破損のリスクは高まります。「見せれば傷む」という現実は避けることができません。
一方で、保存を最優先にすると、展示回数を減らしたり、公開を制限したりせざるを得なくなります。その結果、「なぜ見せないのか」「活用されていないのではないか」といった疑問や批判が生じることもあります。「守れば見せられない」という状況は、博物館が社会との関係を築くうえで大きな緊張を生みます。
このジレンマにおいて重要なのは、どちらが正しいかを決めることではありません。保存と活用のどちらも不可欠である以上、判断は常に限られた資源をどう配分するかという問題になります。どの資料を、どの程度、どの頻度で公開するのか。その判断は状況や目的によって変わり、固定的な正解は存在しません。この配分の難しさこそが、博物館に固有の構造的ジレンマとして現れているのです。
長期的価値と短期的成果のジレンマ
博物館が生み出す長期的価値とは
博物館が生み出す価値の多くは、短期間では可視化しにくいという特徴を持っています。その代表例が資料の保存です。適切な保存環境の整備や継続的な管理は、目に見える成果をすぐにもたらすものではありませんが、数十年、あるいはそれ以上の時間をかけて初めて意味を持つ行為です。資料が良好な状態で残されているという事実そのものが、長期的な成果と言えます。
研究の蓄積もまた、博物館に特有の長期的価値です。調査研究は一度の成果で完結するものではなく、過去の研究の上に新たな知見が積み重ねられていきます。その過程で得られる知識や解釈は、時間を経て評価され、他分野や社会全体に影響を与えることもあります。しかし、その意義は必ずしも当初から明確に認識されるとは限りません。
さらに、博物館が担う文化的意義は、世代を超えて共有される点にあります。文化や歴史、自然に対する理解を深める場を維持し続けることは、社会全体の知的基盤を支える行為です。このような価値は即時的な成果として示すことが難しく、時間の経過とともに徐々に明らかになるという性質を持っています。
博物館に求められる短期的成果とは
一方で、博物館は現在の社会の中で運営される組織であり、短期的な成果を示すことが求められます。その代表的な指標が来館者数です。来館者数は分かりやすく、比較もしやすいため、博物館の活動状況を示す指標としてしばしば用いられます。また、企画展や教育プログラムなどの事業についても、参加者数や満足度といった形で評価されることが一般的です。
行政や設置者との関係においては、事業評価や業績評価も重要な要素となります。限られた財源をどのように使い、どのような成果を上げたのかを説明することは、公共的資金を用いる組織として避けて通れません。特に予算や補助金の獲得・継続においては、一定期間内に成果を示すことが強く求められます。
こうした短期的成果は、博物館の運営を社会に理解してもらうために重要な役割を果たします。しかし同時に、短期的に測定しやすい指標に評価が偏ることで、博物館本来の役割が見えにくくなる危険性も孕んでいます。
「測れない価値」をどう説明するのか
長期的価値と短期的成果のジレンマが生じる最大の理由は、博物館が生み出す価値の多くが数値化しにくい点にあります。保存の成果や研究の意義、文化的影響は、単純な数値では表しきれません。にもかかわらず、運営や評価の場面では、分かりやすい指標が求められるという現実があります。
この状況は、成果主義的な評価制度との間に緊張関係を生みます。短期間で示せる成果を重視すれば、来館者数の増加や話題性のある企画に力が注がれやすくなります。一方で、時間を要する保存や研究は、その重要性にもかかわらず評価の対象になりにくい場合があります。この偏りは、博物館の活動全体のバランスに影響を与えかねません。
重要なのは、「測れない価値」を無理に数値化することではなく、その性質を理解したうえで説明の方法を工夫することです。どの価値が短期的に示せて、どの価値が長期的にしか現れないのかを整理し、異なる時間軸の価値が同時に存在していることを丁寧に伝える必要があります。この説明の難しさこそが、博物館経営における構造的ジレンマの一つとして現れているのです。
学芸部門と管理・開発部門のジレンマ
学芸部門が重視する合理性
学芸部門が重視する合理性の中心にあるのは、資料や展示に対する正確性です。展示内容や解説は、学問的に誤りがなく、根拠に基づいて構成されていなければなりません。不正確な情報や過度な単純化は、博物館が培ってきた信頼そのものを損なう可能性があります。そのため学芸部門では、細部まで慎重に検討し、確実性を優先する判断が取られがちです。
加えて、真正性も重要な判断基準となります。資料が本物であること、その来歴や文脈が適切に扱われていることは、博物館の専門性を支える要素です。展示や活用の場面においても、資料の意味や価値が歪められていないかが常に問われます。この真正性への配慮は、外部からは保守的に見えることがあっても、博物館の信頼性を守るためには不可欠な視点です。
さらに、学芸部門は専門的責任を強く意識しています。展示や研究の内容について最終的に責任を負うのは学芸員であり、その判断は専門職としての倫理や職能意識に基づいて行われます。この責任の重さが、慎重さや長期的視点を重視する合理性につながっているのです。
管理・開発部門が重視する合理性
一方で、管理・開発部門が重視する合理性は、博物館を組織として持続させることに向けられています。どれほど意義のある活動であっても、財政的・制度的に継続できなければ実現しません。そのため、予算管理や人員配置、収益確保といった観点から、組織全体の持続可能性が重要視されます。
効率性も管理・開発部門にとって欠かせない判断基準です。限られた資源の中で最大限の効果を上げることが求められるため、業務プロセスの簡略化や外部委託、スケジュール管理などが重視されます。この効率性の追求は、博物館運営を安定させるうえで合理的な判断であり、軽視することはできません。
また、管理・開発部門は外部説明責任を強く意識しています。行政、設置者、支援者、利用者といった多様な関係者に対して、博物館がどのような成果を上げているのかを分かりやすく示す必要があります。この説明責任は、博物館が公共的資源を用いて運営されている以上、避けて通れない要請です。
部門対立はなぜなくならないのか
学芸部門と管理・開発部門の間で生じる対立は、しばしば人間関係や意思疎通の問題として語られます。しかし、このジレンマの本質は個人の性格や努力不足にあるのではありません。両部門が重視している合理性の基準そのものが異なっている点に、構造的な要因があります。
学芸部門は正確性や真正性といった専門的価値を基準に判断を行い、管理・開発部門は持続可能性や説明責任といった組織的価値を基準に判断します。どちらの合理性も博物館にとって不可欠であり、どちらかが欠ければ組織は成り立ちません。それにもかかわらず、同じ判断場面で異なる基準が用いられるため、意見の食い違いが生じやすくなります。
このジレンマを理解するためには、対立を解消すべき異常事態として捉えるのではなく、異なる合理性が同時に存在すること自体を前提とする必要があります。部門間の緊張は避けられないものですが、その背景にある判断基準の違いを自覚することで、議論は対立から調整へと質を変えていく可能性があります。学芸部門と管理・開発部門のジレンマは、博物館が多層的な価値を引き受ける組織であることを最も端的に示す例だと言えるでしょう。
専門的統制と参加・包摂のジレンマ
なぜ今「参加型博物館」が求められるのか
近年、博物館をめぐる議論では「参加」や「包摂」という言葉が頻繁に用いられるようになっています。展示や活動を専門家だけで完結させるのではなく、市民や地域、当事者を巻き込みながら共に作り上げていく博物館像が重視されるようになってきました。その背景には、博物館が社会から切り離された存在ではなく、公共空間の一部として機能することへの期待があります。
市民参加が求められる理由の一つは、博物館が扱うテーマや資料が、特定の専門領域にとどまらず、多様な人々の経験や記憶と結びついている点にあります。地域の歴史や文化、社会的課題を扱う場合、当事者や関係者の視点を取り入れることで、展示や活動はより豊かな意味を持つようになります。こうした共創のプロセスは、博物館を「与える場」から「共に考える場」へと変化させます。
また、包摂の観点からは、これまで博物館の活動から距離を置いてきた人々に対しても開かれた存在であることが求められています。多様な背景や立場を持つ人々が関わることで、博物館は社会の中での役割を更新し続けることができます。このように、参加型博物館への要請は、現代社会における公共性の再定義と深く関わっています。
どこで専門性と衝突するのか
しかし、参加や包摂を進める過程では、専門的統制との間に緊張関係が生じます。その核心にあるのが、「誰が最終判断を下すのか」という問題です。展示内容や解釈、資料の扱いについて、どこまで参加者の意見を反映させるのか、最終的な責任を誰が負うのかは、簡単に答えの出る問いではありません。
博物館では、展示や研究の内容に対して専門家としての責任が課されています。不正確な情報や根拠の薄い解釈が公に示されれば、博物館の信頼性が損なわれる可能性があります。そのため、専門性に基づく統制は不可欠です。一方で、参加を形式的なものにとどめ、最終的な判断をすべて専門家が行うのであれば、市民参加は単なる装飾的な位置づけにとどまってしまいます。
このように、責任と権限の所在をどこに置くのかという問題は、参加型博物館の実践において常に浮上します。専門性を維持しながら、どこまで判断のプロセスを開くのか。その線引きの難しさが、専門的統制と参加・包摂のジレンマとして現れているのです。
このジレンマは新しい問題なのか
一見すると、専門的統制と参加・包摂のジレンマは、近年になって新たに生じた問題のように見えます。しかし、その本質をたどると、博物館がこれまで抱えてきた構造的ジレンマの再構成であることが分かります。専門性と公共性、学術的正当性と社会的正当性といった対立は、形を変えながら繰り返し現れてきました。
参加型博物館をめぐる議論も、突き詰めれば「誰のための博物館なのか」「誰が価値を判断するのか」という問いに行き着きます。これは、これまで見てきた他のジレンマと同様、どちらか一方を選べば解決する問題ではありません。専門性を完全に手放すことも、社会的要請を無視することも、博物館の使命とは相容れません。
このジレンマを新奇な課題として捉えるのではなく、既存の構造的ジレンマが現代的な文脈で再編成されたものとして理解することで、過度な期待や失望を避けることができます。専門的統制と参加・包摂の緊張関係は、博物館が社会と関わり続ける限り不可避であり、その向き合い方こそが、これからの博物館経営に問われていると言えるでしょう。
博物館経営とは構造的ジレンマを引き受けることである
5つのジレンマはどのようにつながっているか
これまで整理してきた五つの構造的ジレンマは、それぞれ独立した問題ではありません。むしろ、博物館という組織の性格を異なる側面から照らし出したものであり、相互に深く結びついています。学術的正当性と社会的正当性のジレンマは、博物館がどのような原理に基づいて正当化されているのかという根本的な問いを示しています。
そこから派生するのが、収集・保存と公開・活用のジレンマです。専門性と公共性という原理は、制度としての博物館運営に具体化され、資料をどう扱うのかという判断に現れます。さらに、長期的価値と短期的成果のジレンマは、時間軸の違いとしてこの構造を浮かび上がらせます。博物館は長期的な文化的価値を担う一方で、短期的な説明責任を果たさなければならない制度だからです。
学芸部門と管理・開発部門のジレンマは、これらの価値や時間軸の違いが、組織内部の役割分担として現れたものと捉えることができます。そして、専門的統制と参加・包摂のジレンマは、こうした構造が現代的な文脈の中で再編成された姿です。原理から制度へ、制度から時間へ、時間から組織へ、そして現代的展開へと、五つのジレンマは一つの連続した構造としてつながっています。
戦略計画と博物館経営の本当の役割
このように構造的ジレンマが避けられないものであるとすれば、博物館経営の役割は、それらを解消する「正解」を見つけることではありません。むしろ、複数の正当な価値が同時に存在していることを前提とし、その緊張関係をどのように引き受けるのかを明示することにあります。
戦略計画とは、将来を完全に予測し、最適解を導き出すためのものではありません。どのジレンマを重視し、どのジレンマについては一定の不均衡を許容するのかを、組織として合意し、共有するための枠組みです。また、その判断がどの期間を想定しているのか、短期なのか中長期なのかを明確にすることも重要です。すべての価値を同時に最大化することはできない以上、優先度を意識的に設定する必要があります。
このような視点に立つと、博物館経営とは、ジレンマを避ける技術ではなく、ジレンマを扱うための判断の積み重ねであることが見えてきます。戦略計画は、その判断を場当たり的なものにせず、組織として引き受けるための道具だと言えるでしょう。
構造的ジレンマを理解することは、博物館経営を悲観することではありません。むしろ、理想と現実の間で揺れ動く状況を前提として受け止めることで、判断の質を高めることができます。博物館が多様な価値を引き受ける組織であるからこそ、その緊張関係を自覚的に扱う姿勢が求められます。構造的ジレンマの理解は、博物館が組織として成熟し、持続的に社会と関わり続けるための出発点となるはずです。
参考文献
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