動物園とアニマルウェルフェア ― なぜいま注目されているのか
現代の動物園は、単なる娯楽施設や動物の展示場ではなく、教育・研究・保全・福祉といった多面的な役割を担う存在として再定義されつつあります。こうした変化の中で、特に注目を集めているのが「アニマルウェルフェア(動物福祉)」という概念です。かつては生存や繁殖といった生物学的な指標のみが評価の対象とされてきましたが、近年では動物の心理的充足やストレス軽減、選択の自由といった観点が重視されるようになってきました(Whitham & Wielebnowski, 2013)。
アニマルウェルフェアが注目される背景には、社会全体における動物倫理意識の高まりがあります。来園者の多くは、動物の行動や表情を通じて感情移入し、その待遇に敏感に反応するようになってきました。SNSやレビューサイトを通じた情報の拡散も加速し、動物園の飼育方針や福祉への取り組みが公共的に可視化されるようになっています。こうした動向は、動物園の経営にとって無視できない外部環境要因となりつつあり、アニマルウェルフェアへの対応が経営課題として浮上してきました(Fraser et al., 2022)。
一方で、アニマルウェルフェアの向上と来園者体験の充実を両立させることは決して容易ではありません。来園者に動物を近くで見せる展示手法は観察の満足度を高める一方で、動物にとってはストレスの要因となる可能性があります。特に動線設計や遮音性、照明、逃避スペースの設置といった環境構成要素は、動物の行動や生理状態に大きく影響を与えることが知られています。来園者の期待と動物の快適さを両立させるには、展示設計において高度なバランス感覚が求められます(Melfi, 2009)。
こうしたアニマルウェルフェアをめぐる課題は、動物園を「展示施設」として捉え直す視点と密接に関係しています。博物館と同様に、動物園もまた展示空間を通じてメッセージや価値観を伝える文化施設といえます。ただし、その展示対象が「生きている動物」であるという特殊性ゆえに、動物園の展示には倫理的な責任と説明義務がより強く求められます。アニマルウェルフェアという概念は、そうした倫理的責任を具体的に構造化する枠組みとして、現代の動物園経営において欠かせない視点となっています(Whitham & Wielebnowski, 2013)。
来園者と動物の相互作用が展示空間にもたらす影響については、博物館における参加型展示の実践とも多くの共通点があります。来館者の能動的な関与が展示の解釈や学びに影響を及ぼす点において、両者は教育空間としての構造を共有しています。こうした視点については、以下の記事でも詳しく取り上げています。

動物福祉の定義と評価指標 ― 苦痛の回避から快適の追求へ
アニマルウェルフェアとは何か ― 基本定義とその変遷
近年の動物園運営において、「アニマルウェルフェア(動物福祉)」という概念が急速に注目を集めています。これは動物が単に生存しているだけでなく、その生活の質に配慮された環境で飼育されているかどうかを問う考え方です。従来は動物の健康や繁殖といった生物学的成功が飼育の目的とされていましたが、現在では動物の「幸福」や「快適さ」といった心理的・行動的側面への関心が高まっています。
このような変化は、動物園の専門性が進化してきた証であると同時に、来園者や社会の倫理意識が高まっていることを反映しています。来園者の多くが、動物の行動や環境からその福祉状態を読み取り、より高い水準の飼育環境を求めるようになってきたことも、福祉重視の潮流を後押ししています(Fraser et al., 2022)。
ファイブ・フリーダム ― 苦痛の回避を重視した初期の考え方
アニマルウェルフェアの議論において、出発点とされるのが「ファイブ・フリーダム(Five Freedoms)」です。これは1960年代の英国で始まった動物福祉運動に端を発し、1979年に農業省の報告書で公式に示されたもので、次の5つの自由を提唱しています。
- 飢えや渇きからの自由
- 不快からの自由
- 苦痛・負傷・病気からの自由
- 通常の行動を表現する自由
- 恐怖や苦悩からの自由
この枠組みは、動物が「苦しまない状態」にあることを基本的な福祉の指標としています。つまり、痛みや不快といった明白な負の状態を除去することが第一の目標とされていました。現在でもこのファイブ・フリーダムは多くの動物園で基本理念として採用されていますが、福祉の考え方としてはあくまで出発点であり、十分とはいえないという指摘もあります(Fraser et al., 2022)。
ポジティブ・ウェルフェア ― 快適と選択の自由の重視へ
ファイブ・フリーダムが「苦しみを取り除く」ことを重視していたのに対し、21世紀以降は「快適さを提供する」ことに重点を置く「ポジティブ・ウェルフェア(積極的福祉)」の考え方が主流になりつつあります。このアプローチでは、動物が選択肢を持ち、自発的な行動をとることができる環境を整えることが重視されます。
たとえば、登ったり隠れたりできる構造物の設置、複数の餌の種類や配置、日中の活動を選べる空間など、動物が環境との関わりを通じて「好ましい経験」を自ら得られるように設計されます。こうした自由な選択と行動の機会は、動物にとって精神的な満足感や安全感をもたらし、その行動が豊かで自然なものになると考えられています(Whitham & Wielebnowski, 2013)。
このように、アニマルウェルフェアは単なる「苦痛のない状態」から「前向きな経験が得られる状態」へと定義が変化してきており、動物園の展示設計や飼育方針にも大きな影響を与えています。
動物福祉をどう評価するか ― 指標の進化と課題
動物福祉の理念が高度化する一方で、福祉状態をどのように客観的に評価するかは、依然として大きな課題です。従来は、動物の健康状態や体重、皮膚の状態、異常行動の有無など、比較的明確な生理学的・行動学的データが評価に用いられてきました。
しかし現在では、動物の主観的な快適さや心理的ストレスを把握するための手法として、「環境選好実験」や「認知バイアステスト」といった行動科学的なアプローチが注目されています。前者は、動物が自ら選択する環境からその好みや欲求を推測する方法であり、後者は感情の傾向を判断する手段として、例えば曖昧な刺激への反応を通じて楽観性や悲観性を測定するものです(Melfi, 2009)。
こうした指標は、より動物中心の福祉評価を可能にする一方で、測定の標準化や解釈の困難さという課題も抱えています。とりわけ施設間での比較可能性を担保するには、評価手法の普及と訓練が求められます。
動物福祉をどう「展示」するか ― 見せる福祉の戦略
高度な福祉配慮を行っていても、それが来園者に伝わらなければ理解や支持を得ることは難しいという問題があります。特にアニマルウェルフェアの多くは「目に見えない配慮」であるため、展示空間にどのように反映し、それをどのように説明するかが鍵となります。
たとえば、展示解説パネルで環境設計の背景を伝える、動物の選択行動をリアルタイムで可視化する、あるいは飼育員の取り組みを映像で紹介するなど、来園者の理解を促す手段は多様です。これらのアプローチは、博物館における参加型展示やインタラクティブな学習環境の設計と共通する構造をもち、来館者の関与を促すという点で学びの質を高める可能性を持っています(Whitham & Wielebnowski, 2013)。
こうした「見せる福祉」は、動物園の社会的責任と説明責任を果たす手段であると同時に、施設全体のブランド価値や信頼性にもつながります。つまり、アニマルウェルフェアの実現は倫理的課題であると同時に、戦略的な経営課題でもあるのです。
個体差と種差に基づく管理 ― 一律管理の限界と個別対応の必要性
一律管理の限界と動物福祉の進化
従来の動物園では、動物を種ごとにグループ化し、マニュアルに従った画一的な飼育管理が一般的でした。この方式は一定の管理効率や安全性を確保できるというメリットがあり、多くの動物園で長らくスタンダードとされてきました。しかし、動物福祉の観点からは、このような一律管理には限界があることが近年強調されています。同じ種の動物であっても、個体ごとに性格や嗜好、ストレスの受けやすさに大きな違いがあることが研究で明らかになってきたためです(Whitham & Wielebnowski, 2013)。
種ごとの生態と飼育環境の違い
動物園で飼育されている動物は、哺乳類・鳥類・爬虫類・魚類など極めて多様であり、それぞれが持つ生態的特徴や生活リズム、社会性、感覚世界は大きく異なります。たとえば、昼行性か夜行性か、単独行動か群れで生活するか、視覚優位か嗅覚優位かといった違いがあり、こうした特性を無視して一律に設計された飼育環境は、必ずしもすべての動物にとって最適ではありません。実際、種に固有のニーズが適切に満たされないことで、ストレス行動や健康問題が生じる事例も報告されています(Melfi, 2009)。
個体差とパーソナリティへの配慮
こうした種ごとの違いに加え、同じ種内でも個体ごとに異なるパーソナリティや嗜好があります。社交的で積極的な個体もいれば、人前を避ける内向的な個体も存在します。特定のエリアを好んで使う動物や、新しいものへの好奇心が強い動物、逆に警戒心が強く環境変化に敏感な動物もいます。これらの個体差は、ストレスの受けやすさや適応のしやすさと密接に関わっており、同じ環境であっても動物によってその感じ方や過ごし方が大きく異なります(Whitham & Wielebnowski, 2013)。
個別化福祉プログラムと行動観察
そのため、近年の動物園では「個別化福祉プログラム」への関心が高まっています。動物のパーソナリティや反応傾向を日常的に観察・記録し、ストレス要因や好みを把握した上で、個体ごとに適切な飼育方法や展示環境を調整する手法が重視されています。たとえば、社交的な個体には他個体との交流機会を多く設けたり、警戒心の強い個体には隠れ場所や逃避スペースを十分に用意したりすることが考えられます。こうした個別対応は、動物のウェルビーイング向上に直結するだけでなく、来園者に多様な動物の個性を伝える機会にもなります(Fraser et al., 2022)。
データ活用と展示設計の工夫
個体差や種差に基づく管理を実現するためには、日常的な行動観察や記録、選好テスト、健康データの蓄積が不可欠です。行動記録をもとに、どの動物がどのような環境や刺激を好むのかを明らかにし、必要に応じて展示空間や飼育方法を柔軟に調整していく取り組みが求められます。また、動物が自発的に選択できる展示設計や、逃避スペースの確保、刺激的なエンリッチメント(環境充実)を提供することも重要な実践の一つです。これらの工夫は、福祉の向上のみならず、来園者が動物の多様な個性に気づき、理解を深める学びの場としても機能します(Fraser et al., 2022)。
経営課題としての個体差管理
もちろん、個体ごとのケアや環境調整にはコストや人的リソースの増加といった課題も伴います。しかし、動物の福祉を高めることは、動物園そのもののブランド価値や社会的信頼を向上させる上で欠かせません。現場職員の専門性やチームワークの向上、福祉データの継続的な蓄積と活用は、今後の動物園経営においてさらに重要性を増すと考えられます。個体差と種差に基づいたきめ細やかな管理は、現代動物園の経営戦略の柱として、これからも進化していくでしょう。
アニマルウェルフェアと展示デザイン ― 教育・娯楽とのバランス
来園者体験と動物福祉の両立は可能か
動物園は、もともと動物を「見せる」施設として始まりましたが、時代の変化とともに教育機能や研究機能、さらには動物福祉を担う社会的な責任も求められるようになっています。来園者は動物の姿や生態を観察することによって学びや癒し、感動を得る一方、動物自身がストレスの少ない快適な環境で生活できているかどうかも社会から厳しく問われるようになりました。このように、動物園は「人」と「動物」両方の立場に応えなければならない独自の公共的空間として進化しています。
この両立は簡単ではありません。たとえば、来園者の多くは動物をできるだけ間近で見たい、活発な行動を見たいと望みます。しかし、動物にとって来園者の存在や大きな音、頻繁なフラッシュ撮影などは強いストレスとなることがあります。逆に、動物が安心して過ごせるように展示空間を工夫すると、来園者からは「見えにくい」「動きがない」と感じられる場合もあります。こうしたジレンマを乗り越え、双方にとって満足できる環境をどう設計し運営していくかが、現代の動物園経営の大きな課題となっています。
動物と来園者のインタラクション(AVI)の本質
動物園でよく議論されるテーマのひとつに「AVI(Animal-Visitor Interactions)」があります。これは、動物と来園者の相互作用全般を指し、直接的なふれあいや餌やり体験から、ガラス越しの観察、来園者が話しかけたり写真を撮ったりする間接的なインタラクションまで、多岐にわたります。AVIは来園者にとって大きな魅力であり、動物との距離が縮まることで学びや感動が深まると期待されています。
一方で、AVIには動物福祉上のリスクも伴います。動物は来園者の動きや声、におい、写真撮影時のフラッシュなど、さまざまな刺激にさらされています。これがストレスとなり、落ち着かなくなったり、異常行動(たとえば反復運動や隠れ続けるなど)を示すこともあります。特に、来園者の数が多い日や騒がしい時間帯には、その傾向が顕著になります(Fraser et al., 2022)。また、SNSなどで「動物が近づいてくる」「人懐っこい」と話題になることで、さらに多くの来園者が同じ行動を期待して押し寄せ、動物への負荷が増すことも指摘されています。
とはいえ、すべてのインタラクションが悪いわけではありません。動物の性格や状態によっては、来園者の存在が刺激となり、好奇心や活発な行動を促す場合もあります。要は、「動物の選択」を尊重しつつ、過度な干渉を避けるルールやガイドラインを整備することが重要です。
展示デザインと空間設計の最適化
動物福祉と来園者の体験を両立させるためには、展示空間の設計が鍵を握っています。近年の動物園では、「逃避スペース」や「隠れ家」の設置が積極的に導入されています。これにより、動物は来園者の視線から離れたいときに自分の意思で隠れることができ、ストレスを軽減できます。また、一方向ガラスや、来園者側からは見えるが動物側からは見えにくい構造なども福祉配慮のひとつです。
加えて、動物が自ら環境や場所を選択できるような展示レイアウトも工夫されています。たとえば、高低差のある構造、複数のエリアを自由に行き来できる空間、餌や遊具の配置替えなどが例です。こうした環境の「多様性」は、動物の自然な行動や好奇心を引き出し、来園者にも動物の本来の姿を伝えるきっかけになります。照明や音響環境にも配慮し、動物にとって過剰な刺激を与えない設計が推奨されています。こうした工夫により、来園者は「活き活きとした動物の自然な姿」に出会う体験ができ、教育効果や感動も高まります。
教育的アプローチと情報発信
福祉配慮の多くは「見えにくい配慮」であるため、来園者にその意図や仕組みを伝えることも欠かせません。パネルやサイネージで、逃避スペースの意味やエンリッチメント(知的・身体的刺激を与える仕組み)の内容、飼育員の取り組みを紹介することで、来園者が展示の裏側を知ることができます。また、飼育員によるトークイベントや体験型プログラムでは、「動物の快適さ」と「来園者体験」を両立するための工夫を直接伝えることができ、理解や共感を深める効果があります。
さらに、インタラクティブ展示や参加型プログラムでは、来園者自身が動物の行動や選択に影響を与える「共創的な学び」の場が生まれます。たとえば、動物の選択で展示内容が変化する仕掛けや、来園者の行動が動物の快適さにどのように影響するかを疑似体験できるコーナーなど、楽しみながら学べる仕組みも広がっています。こうした工夫は、動物への配慮を「自分ごと」として実感し、よりよい観覧行動を促す原動力となります。
組織的マネジメントと福祉の持続的向上
このようなバランスを継続的に高めていくためには、動物園全体のマネジメントの質が問われます。現場職員の教育や行動観察・評価スキルの向上はもちろん、来園者からのフィードバックや現場データの蓄積と分析を活かした改善活動も欠かせません。福祉と教育・娯楽は本来対立するものではなく、むしろ相乗効果を持つものとして、組織全体で一体的に推進していくことが大切です。
今後の動物園経営には、福祉・教育・娯楽・研究という四つの柱を統合し、社会的責任を果たしながら持続的な発展を目指す視点が求められています。来園者にとっても動物にとっても、より価値ある「文化施設」としての動物園のあり方を、展示デザインやマネジメントの両面から追求していくことが重要です。
福祉を支える経営と組織文化 ― 倫理的マネジメントの実装
動物福祉を経営理念に位置づける意義
動物園におけるアニマルウェルフェアの取り組みは、単に現場の飼育管理や展示設計に留まるものではありません。現代の動物園経営においては、動物福祉を経営理念やビジョンの中核に据えることが不可欠になっています。経営層が動物福祉を組織のミッションやビジョンとして明確化することで、全ての職員にとって行動の基準が共有され、組織全体の方向性がぶれなくなります。また、ガバナンス構造の中に福祉委員会や外部アドバイザーを組み込むことで、理念と現場実務をしっかりとつなぐ仕組みづくりも重要です。動物福祉の考え方を来園者とも積極的に共有し、組織内外で価値観を広げることが、持続可能な経営の土台となります。
職員教育と福祉意識の醸成
アニマルウェルフェアを組織文化として根付かせるには、継続的な職員教育と意識醸成が欠かせません。飼育員や獣医師だけでなく、受付、広報、清掃、飲食サービスなど多様な職種の職員が動物福祉の基本理念を理解し、自分の役割を自覚することが重要です。最新の福祉知見や飼育技術を学ぶための定期的な研修や、外部講師を招いたワークショップの開催も有効です。加えて、現場でのコミュニケーションや日々の情報共有を通じて、組織としての一体感や相互学習の風土を築くことが求められます。ケーススタディを用いた事例検討やグループディスカッションは、実践的な学びを深め、各自の気づきを組織全体に波及させるための有効な手段です。
組織的評価・モニタリングと改善サイクル
動物福祉の実現には、組織的な評価とモニタリングの仕組みが不可欠です。動物の行動観察記録や健康データ、来園者アンケートなど、多角的な指標を収集・分析し、福祉状態の変化を継続的に把握することが大切です。KPI(重要業績評価指標)や具体的な目標値を設定し、達成度を定期的にチェックするPDCAサイクルを運用することで、組織的な改善活動を推進できます。さらに、インシデントや課題が発生した際には、速やかに情報を共有し、全職員で解決策を検討する文化を根付かせることが、福祉レベルの維持・向上につながります。
説明責任と透明性の確保
現代社会において、動物園は単に動物を管理するだけの組織ではなく、説明責任と透明性を果たす公共的存在として期待されています。福祉に関する方針や取り組み、実績などを年次レポートや公式ウェブサイト、SNSなどを通じて積極的に情報発信することが大切です。第三者評価や外部監査の導入も、客観的な信頼性を高める有効な手段です。行政や学術機関、動物福祉団体など外部との連携を図りながら、苦情・提案へのフィードバック体制も整備することで、組織と社会との双方向コミュニケーションが生まれます。こうした取り組みは、来園者や地域社会からの信頼を築く基礎となります。
倫理的経営と社会的信頼の構築
アニマルウェルフェアを経営の柱とすることは、動物園自身の社会的信頼やブランド価値を大きく高める結果につながります。動物福祉を軸とした経営は、近年重視されているESG(環境・社会・ガバナンス)経営やSDGs(持続可能な開発目標)との接点も多く、自治体や地域社会、教育機関との協働や共創の可能性を広げます。倫理的なマネジメントを単なる理念に留めず、日々の業務や中長期の経営戦略に組み込むことで、組織文化として根付かせていくことが求められます。今後の動物園経営は、福祉・教育・社会的責任の統合を基盤に、地域や社会と共に成長する新たなモデルを目指すべき時代に入っています。
おわりに ― アニマルウェルフェア時代の動物園経営
本記事では、アニマルウェルフェア(動物福祉)の基本的な定義や評価指標、その歴史的変遷と現代的意義、さらに動物園経営論の視点から展示デザインや組織マネジメント、来園者教育に至るまで、多角的に論じてきました。現代の動物園は、動物の飼育展示だけでなく、教育・研究・娯楽・社会的責任といった多様な役割を担う複合的な文化施設として進化しつつあります。こうした多面的な機能の中心に、アニマルウェルフェアが据えられるようになったことは、社会の倫理意識の高まりと動物園の専門性向上の双方を反映しています。
動物福祉の実現に向けては、依然として多くの課題が残されています。たとえば、法律や認証制度の整備、専門人材の育成や確保、限られた予算の中での効率的な資源配分、さらには社会的期待とのバランスなど、組織経営の観点から乗り越えるべき壁は少なくありません。現場レベルでは、職員一人ひとりの福祉意識向上やチームワークの強化、モニタリングやデータ活用を含む継続的な改善活動が不可欠です。展示や体験プログラムについても、福祉を損なわずに来園者体験や学びを高めるイノベーションが今後ますます求められるでしょう。
動物園は、動物福祉を推進することで、単に動物を飼育・展示する場所から、社会的信頼や地域との連携を強化する新たな役割を担うようになっています。地域社会や学術界、市民とともに新たな価値を創造し、ESGやSDGs経営とも連動することで、未来志向の経営モデルを構築していくことが期待されます。動物福祉の高度化は、来園者の信頼を得るだけでなく、地域社会や教育・研究機関との協働や新たな事業展開にもつながるでしょう。
アニマルウェルフェア時代の動物園経営は、単なる管理・展示の枠組みを超え、「生きものと人とのより良い共生社会」をリードする存在として、これからますます重要性を増していくと考えられます。動物園の経営者や職員、実務者だけでなく、市民一人ひとりが動物福祉の重要性を理解し、日々の行動や選択につなげていくことが、持続可能な社会の実現に直結します。今後も博物館経営論の視点から、アニマルウェルフェア推進に向けた議論と実践を積み重ねていくことが求められます。
参考文献一覧
- Melfi, V. A. (2009). There are big gaps in our knowledge, and thus approach, to zoo animal welfare: A case for evidence-based zoo animal management. Zoo Biology, 28(6), 574–588.
- Rose, P. E., & Riley, L. M. (2022). Expanding the role of the future zoo: Wellbeing should become the fifth aim for modern zoos. Frontiers in Psychology, 13, 1018722.
- Whitham, J. C., & Wielebnowski, N. (2013). New directions for zoo animal welfare science. Applied Animal Behaviour Science, 147(3–4), 247–260.