博物館に行かない人は、どうすれば来てくれるのか― 初来館を成立させる5つの条件 ―

目次

博物館に行かない人は、本当に「関心がない人」なのか

博物館の来館者数が伸び悩む要因として、「若者の博物館離れ」や「文化への関心の低下」といった説明が語られることは少なくありません。博物館に行かない人は、そもそも博物館に興味がなく、学びや文化に関心を持っていないのではないか。こうした理解は直感的で分かりやすい一方で、実際の行動を十分に説明しているとは言い切れません。

現実には、博物館に行かない人の多くは、博物館そのものを否定しているわけではありません。展示内容に価値があることも、社会にとって必要な施設であることも理解している。それでも「行っていない」という状態が生じているのです。この点を「無関心」や「文化的欠如」として片づけてしまうと、なぜ来館行動が起きないのかという核心が見えなくなります。

重要なのは、来館行動を「意識」や「態度」の問題としてではなく、「選択された行動」として捉え直すことです。人は日常生活の中で、限られた時間や体力、関心の配分のもとで行動を選択しています。博物館に行かないという行動もまた、何らかの理由や条件のもとで成立している一つの選択にほかなりません。つまり、来館しないこと自体が、必ずしも博物館への否定や無関心を意味しているわけではないのです。

この視点に立つと、問うべきなのは「なぜ博物館に関心を持たないのか」ではなく、「どのような条件がそろえば、博物館に行くという選択が生まれるのか」という点になります。来館は、強い動機や高い文化意識があれば自然に起きるものではなく、行動として成立するための条件が満たされたときに初めて現れるものです。

本記事では、博物館に行かない人を「問題のある存在」として扱うのではなく、合理的な行動選択の主体として捉え直します。そのうえで、博物館に行かない人が、どのような条件のもとで来館行動に至るのかを、来館者研究や博物館学の知見をもとに段階的に整理していきます。博物館に行かない人を理解することは、来館者を増やすための小手先の施策を考えることではなく、博物館という制度や運営のあり方を根本から問い直す作業でもあるのです(Hood, 1983)。

博物館に行かない人とは誰なのか

「非来館者」という言葉が見えなくしてきたもの

博物館に行かない人を説明する際、しばしば用いられてきたのが「非来館者」という言葉です。この語は一見すると中立的に見えますが、実際には「来館していない人」を一つのまとまりとして扱ってしまう危うさを含んでいます。非来館者というラベルは、あたかも博物館に対して消極的、あるいは否定的な人々が存在するかのような印象を与えがちです。

しかし、現実の行動を丁寧に見ていくと、博物館に行かない人は一様ではありません。時間が取れない人もいれば、生活の優先順位の中で別の活動を選んでいる人もいます。子育てや仕事、余暇の過ごし方の中で、博物館に行くことが後回しになっているだけの場合も多く、「行かない」という行動をもって博物館への拒否や無関心と結びつけるのは適切ではありません。

行かない理由は「無関心」ではなく「選択」である

重要なのは、博物館に行かないという行動そのものを、欠如や不足として捉えないことです。人は日常生活の中で、限られた時間や体力、関心をどこに配分するかを常に選択しています。その結果として、博物館に行かないという選択がなされることもあります。これは必ずしも博物館の価値を否定した結果ではなく、他の活動がその時点でより優先されたにすぎません。

この点について、来館者研究では早くから、博物館に行かない行動を一つの合理的な選択として捉える視点が示されてきました。博物館に行かない人の多くは、博物館を嫌っているのではなく、自分のライフスタイルや価値観の中で、別の行動を選んでいるだけであると指摘されています(Hood, 1983)。

「行かない人」を理解するということ

このように考えると、「非来館者」という言葉が示してきたのは、実態というよりも、博物館側の視点に偏った分類であったと言えます。博物館に行かない人を一括して問題視するのではなく、なぜその選択がなされているのかを理解することが重要です。博物館に行かない人を理解するとは、来館を促すために人を変えようとすることではありません。来館という行動が、どのような条件のもとで生活の選択肢に入りうるのかを考えることなのです。

博物館に行かない人の来館は「段階的に成立する」

ここまで見てきたように、博物館に行かない人は、博物館を否定している存在でも、特別に文化的関心が低い存在でもありません。にもかかわらず来館行動が起きていないのは、来館が成立するための条件が十分にそろっていないためです。この点を理解するためには、来館を単一の動機や施策によって説明しようとする発想から離れる必要があります。

博物館の来館促進をめぐっては、「魅力的な展示をつくれば人は来る」「イベントを増やせば来館者は増える」といった説明がしばしば用いられます。しかし、こうした考え方は、すでに来館する素地を持つ人々には一定の効果を持つ一方で、博物館に行かない人の行動を十分に説明するものではありません。博物館に行かない人にとって、来館は魅力の大小以前に、「そもそも実行可能かどうか」という段階で立ち止まっている行動だからです。

来館行動を成立させるためには、まず行動として選択肢に入ることが必要です。そのうえで、どのような場所なのかが想像でき、不安が下がり、行く理由が生活の中で意味づけられなければなりません。さらに、実際に足を運ぶ段階では、一人で行くことへの心理的負荷が軽減され、最後に、その場にいてもよいと感じられる安心感が確保される必要があります。このように、来館は一気に起こるものではなく、いくつかの条件が順序立って満たされることで初めて成立します。

重要なのは、これらの条件が並列に存在しているのではなく、前段階が満たされていなければ次の段階に進めないという点です。たとえば、展示内容が魅力的であっても、事前にどのような場所か分からなければ来館は選択されにくくなります。また、行く理由が見つかっても、一人で行くことに強い不安があれば行動は先送りされます。どれか一つの条件だけを強化しても、他の条件が欠けていれば、来館行動は成立しにくいままなのです。

来館を成立させる5つの条件(全体像)

段階条件(要点)この条件が解く課題来館者側で起きる変化具体例(現場で起こりやすい形)
行動が候補に入る博物館が「目的」でなくてもよいそもそも選択肢に入らない「行ってみてもいいかも」と思える観光・買い物・外出の途中で「ついでに寄る」発想が成立する
不安が下がる事前に「どんな場所か」が分かる想像できないことによる回避「行っても大丈夫そう」と感じる所要時間、混雑感、館内の雰囲気、料金、動線が事前に把握できる
行く理由ができる「学び」以外の来館理由が提示されている生活文脈と切り離されている「自分の生活の中で行く意味がある」と思える気分転換、季節のイベント、家族時間、写真・体験、カフェ利用などで意味づけできる
実行可能になる誰かと一緒に行ける一人来館の心理的負荷「一人で頑張らなくていい」と感じる家族・友人・同僚・パートナーに誘われて初来館が起きる
成立し続ける正解を求められないと感じられる正解不安・場の規範への緊張「分からなくても居てよい」と感じる自分のペースで見られる、会話してよい、問いかけが許容される、分からなさが否定されない

この5条件は並列ではなく、上の段階から順に満たされることで来館が成立しやすくなります。次節以降では、それぞれの条件がなぜ効くのかを、学術的根拠に基づいて具体的に説明します。

本記事では、博物館に行かない人の来館を、このような段階的なプロセスとして捉えます。次章以降では、来館が成立するまでに必要となる条件を、行動、認知、社会、感情といった側面から順に整理していきます。博物館に行かない人が「来る人」に変わるのは、意識が変わった瞬間ではなく、行動が可能になる条件が連続的に整ったときなのです。

条件①:博物館が「目的」でなくてもよい

なぜ博物館は最初から選ばれにくいのか

博物館に行かない人の行動を理解しようとするとき、まず直面するのが、「そもそも博物館が外出の目的として選ばれにくい」という事実です。博物館側から見ると、展示の質や学術的価値は十分に高く、目的地として選ばれても不思議ではないように思えます。しかし、日常生活における行動選択の文脈に立つと、博物館は必ずしも「最初に選ばれる場所」ではありません。

人が外出や余暇行動を計画するとき、最初に設定されるのは、「何を見に行くか」ではなく、「誰と、どのくらいの時間、どのように過ごすか」です。食事、買い物、散策、観光といった行動は、時間調整や同行者との合意が取りやすく、行動のイメージも共有しやすいという特徴があります。一方で、博物館は所要時間が読みにくく、どのように過ごすのかが事前に想像しにくい場所として認識されやすく、その結果、計画段階で選択肢から外れてしまうことが少なくありません。

博物館来館は「副次的動機」で起きやすい

観光研究や余暇行動研究では、文化施設の来訪が、主目的ではなく副次的な動機によって起こるケースが多いことが指摘されています。人は「博物館に行くために外出する」のではなく、「外出した結果として博物館に立ち寄る」ことが多いのです。文化施設は、旅行や外出という大きな行動の流れの中に組み込まれたときに、はじめて選ばれやすくなります(McKercher & du Cros, 2002)。

この視点に立つと、博物館に行かない人が多いことは、必ずしも博物館の魅力不足を意味しません。むしろ、博物館が「主目的でなければならない場所」として認識されていること自体が、来館のハードルを高めている可能性があります。主目的として選ばれる場所は、限られた時間やエネルギーを集中的に投入する価値があると判断された場所です。その基準に博物館を当てはめてしまうと、多くの人にとって選択肢になりにくくなるのは自然なことです。

主目的にならなくても来館は成立する

重要なのは、博物館が主目的でなくても、来館行動そのものは十分に成立するという点です。実際、観光地の周辺や都市部では、散策や買い物の途中で博物館に立ち寄る、時間が余ったから入ってみる、といった形で来館が起きることは珍しくありません。このような来館は、博物館を「行くべき場所」として強く意識した結果ではなく、行動の流れの中で自然に選ばれた結果です。

にもかかわらず、博物館が自らを強く目的化しすぎると、「わざわざ行く場所」「きちんと時間を取って行く場所」というイメージが前面に出てしまいます。博物館の誕生や制度化の過程を振り返ると、博物館は長らく、特定の価値観や行動様式を前提とした空間として形成されてきました。その結果、博物館は「特別な場」として位置づけられ、日常的な行動から切り離されやすくなったと指摘されています(Bennett, 1995)。

「目的化しすぎない」ことの意味

ここで言う「博物館が目的でなくてもよい」とは、博物館の価値を下げることを意味しているわけではありません。むしろ、博物館を日常の行動文脈に戻すことを意味しています。博物館が散策や観光、家族での外出といった行動の中に自然に組み込まれることで、来館は特別な決断を必要としない行動になります。

博物館に行かない人にとって重要なのは、「行く価値があるか」ではなく、「行っても負担にならないか」という点です。主目的であることを求められないとき、博物館は初めて選択肢として浮上します。この条件が満たされてはじめて、次の段階として、不確実性の低減や来館理由の意味づけといった要素が機能し始めます。博物館が最初から選ばれにくい理由を構造的に理解することは、来館行動を成立させるプロセス全体を考えるうえでの出発点なのです。

条件②:事前に「どんな場所か」が分かる

行かない最大要因は「内容が難しい」ことではない

博物館に行かない理由として、「展示内容が難しそう」「知識がないと楽しめなさそう」といった説明がよく挙げられます。しかし、来館行動の成立という観点から見ると、これらは必ずしも中心的な要因ではありません。多くの場合、博物館に行かない人が感じているのは、展示の内容そのものではなく、「どのような体験になるのかが分からない」という不安です。

人は、行動の結果がある程度予測できるときに初めて、その行動を選択肢として検討します。逆に、所要時間や混雑の程度、館内での振る舞い方、疲労感などが想像できない行動は、無意識のうちに回避されやすくなります。博物館は、静かに展示を見る場所であるという漠然としたイメージは共有されているものの、実際にどのように過ごすのかを具体的に思い描きにくい空間でもあります。

「体験全体が想像できない」ことが障壁になる

博物館に行かない人にとっての不安は、「展示を理解できるかどうか」よりも、「自分がその場でどう過ごすことになるのか」が分からない点にあります。入館してからどの順路で回るのか、どれくらい滞在するのか、途中で疲れたらどうするのか、途中退出してもよいのか。こうした細かな点が見えないままでは、来館は心理的に負担の大きい行動になります。

この不確実性は、博物館が悪意をもって隠しているものではありません。しかし、来館経験がない人にとっては、「分からないことが多すぎる」状態そのものが、行動を抑制する要因になります。展示内容が魅力的であるかどうか以前に、体験全体を想像できないことが、来館を先送りにさせているのです。

事前接触が果たす心理的な役割

来館前の不確実性を下げるうえで重要なのが、何らかの形での事前接触です。ここで言う事前接触とは、必ずしも詳細な情報提供や高度なデジタル体験を指すものではありません。写真や短い動画、来館者の声、館内の雰囲気が分かる断片的な情報などを通じて、「だいたいこんな場所だろう」と想像できる状態をつくることが重要です。

博物館研究においても、来館前にどのような期待やイメージを持っているかが、実際の来館行動や体験の評価に影響を与えることが指摘されています。来館前の不確実性が高いほど、人は行動を控える傾向にあり、逆に、体験の輪郭がぼんやりとでも見えている場合には、来館は選択肢として現実味を帯びてきます。この点で、事前接触は来館の代替ではなく、不安を下げるための心理的な準備段階として機能すると考えられます(Parry, 2010)。

不確実性が下がると行動は現実的になる

博物館に行かない人が求めているのは、展示内容を事前に完全に理解することではありません。「行ってみたらどうなるのか」が大まかに想像できることです。体験全体の見通しが立つことで、来館は特別な挑戦ではなく、日常の延長線上にある行動として位置づけられます。

この条件が満たされて初めて、博物館は「行っても大丈夫そうな場所」として認識されます。事前にどんな場所かが分かるということは、来館を決定づける直接的な動機ではありません。しかし、不確実性が下がらなければ、どれほど魅力的な展示や誘因があっても、来館行動は成立しにくいままです。この意味で、事前に「どんな場所か」が分かることは、来館プロセスにおける基礎条件だと言えるのです。

条件③:「学び」以外の来館理由が提示されている

博物館の「学び」は否定されていない

博物館に行かない人が多いことを、「学びへの関心が低下している結果」として説明することがあります。しかし、これは必ずしも実態を正確に捉えた見方ではありません。多くの人は、学ぶこと自体を否定しているわけではなく、むしろ学びの価値を理解しています。それにもかかわらず博物館に足が向かないのは、博物館が提示する学びの意味が、生活の中でどのように位置づけられるのかが見えにくいからです。

学びは重要である、知ることは価値がある。その前提が共有されていても、「なぜ今、それを博物館で行うのか」という問いに答えが用意されていなければ、来館は後回しにされます。博物館に行かない理由は、学びを拒否しているからではなく、学びが日常の行動選択の中で具体的な意味を持たない状態に置かれているためです。

博物館が想定してきた市民像と価値観

博物館は歴史的に、特定の市民像や価値観を前提として制度化されてきました。知識を得ることに価値を見出し、展示を静かに鑑賞し、提示された意味を理解することが望ましい行動とされてきたのです。このような前提は、博物館を公共的な教育装置として機能させるうえで重要な役割を果たしてきましたが、同時に、一定の文化的態度や時間的余裕を持つ人々を暗黙の来館者像として設定してきました。

博物館が想定する来館者像と、現代の多様な生活スタイルとのあいだには、少しずつズレが生じています。仕事や家庭、余暇の過ごし方が多様化する中で、「学ぶために時間を確保して博物館に行く」という行動様式は、必ずしも多くの人にとって自明なものではありません。このズレは、博物館の価値そのものではなく、その価値が想定されている受け手との関係の問題として理解する必要があります(Bennett, 1995)。

価値が生活の中で「翻訳」されていない

博物館に行かない人にとっての障壁は、学びが不要だからではなく、その学びが生活の中でどのように役立つのか、どのような場面で意味を持つのかが翻訳されていない点にあります。博物館が提示する価値は、抽象度の高い理念としては理解されていても、具体的な利用シーンに結びついていないことが多いのです。

この点について、博物館経営や文化施設のマネジメントでは、価値を提供する側の論理だけでなく、利用者の行動文脈に即して価値を再構成する必要性が指摘されています。価値そのものを変えるのではなく、その価値が「どのような場面で、どのように使われるのか」を明示することで、施設は生活の選択肢の中に位置づけられるようになります(Kotler et al., 2008)。

「学び」を生活文脈に戻すということ

ここで求められているのは、博物館から学びを取り除くことではありません。むしろ、学びを生活の中に戻すことです。気分転換としての来館、家族や友人との時間を過ごす場としての利用、散策や観光の一部としての立ち寄り。こうした文脈の中で学びが生じるとき、博物館は特別な教育空間ではなく、生活に組み込まれた場所として機能し始めます。

博物館に行かない人にとって重要なのは、「学ぶかどうか」ではなく、「自分の生活の中で行く理由があるかどうか」です。学びがその理由の一部として自然に含まれるとき、来館は努力を要する行為ではなくなります。この条件が満たされてはじめて、博物館は生活文脈の中に位置づけられ、次の段階である「実際に行けるかどうか」という問題へと進んでいくのです。

条件④:誰かと一緒に行ける

一人で博物館に行くことが生む心理的負荷

博物館に行かない人が来館行動に踏み切れない理由として、「興味がない」「時間がない」といった説明がよく挙げられます。しかし、行動の成立という観点から見ると、より大きな要因として浮かび上がるのが、「一人で行くこと」への心理的負荷です。博物館は、静かに展示を見る、正しい態度で鑑賞する、といった暗黙の規範が強く感じられやすい空間です。その中に一人で足を踏み入れることは、展示内容以前に緊張や不安を伴う行為になります。

特に初来館者にとっては、「どのように振る舞えばよいのか」「分からないことがあっても大丈夫なのか」「周囲から浮いてしまわないか」といった懸念が生じやすく、これらが来館行動のハードルとなります。ここで重要なのは、この不安が知識不足によるものではなく、社会的状況に由来するものであるという点です。つまり、博物館に行かない人は展示を理解できないことを恐れているというよりも、場に適応できない可能性を避けているのです。

同行者がもたらす「社会的緩衝」の効果

このような心理的負荷を大きく軽減するのが、同行者の存在です。家族や友人、パートナーと一緒に来館する場合、来館者は一人で判断や行動を引き受ける必要がなくなります。展示の見方が分からなくても共有でき、戸惑いや疑問を会話として外に出すことができます。このように、同行者は博物館空間における不安や緊張を吸収する「社会的緩衝」として機能します。

実際、博物館における初来館者の多くが、家族やグループ単位で来館していることは、来館者行動研究によって繰り返し示されています。特に科学博物館を対象とした観察研究では、初来館は個人行動よりも家族単位で起こる傾向が強く、同行者との相互作用が来館体験を支えていることが明らかにされています(Diamond, 1986)。このことは、博物館来館が個人の動機だけで成立する行動ではなく、社会的な文脈の中で実行可能になる行動であることを示しています。

家族を媒介として広がる来館行動

さらに注目すべきなのは、家族を媒介とした来館行動の拡張です。親自身は博物館にあまり行かない人であっても、子どもの学習や体験をきっかけに来館するケースは少なくありません。このとき、親は「自分のために博物館へ行く」のではなく、「子どものために行く」という理由づけによって行動を正当化しています。しかし結果として、親自身も展示を楽しみ、博物館体験に肯定的な印象を持つことが多いとされています(Ellenbogen, 2002)。

このような事例は、博物館に行かない人が、自らの関心や意欲の変化によって来館するのではなく、他者との関係性を通じて来館行動に至ることを示しています。言い換えれば、博物館に行かない人を動かしているのは「興味」ではなく、「一緒に行ける状況」なのです。

この視点に立つと、博物館における来館促進の課題は、個人に対して来館動機を訴求することではなく、「誰かと一緒に行ける」前提をどのように設計するかにあると言えます。同行者の存在は、来館行動を後押しする補助的要因ではなく、行動を実行可能にするための中核的な条件なのです。

条件⑤:正解を求められないと感じられる

博物館に行かない理由は「知識不足」ではない

博物館に行かない人の理由として、「内容が難しそう」「知識がないから楽しめない」といった説明が挙げられることがあります。しかし、これらは表層的な理由に過ぎません。多くの場合、問題となっているのは知識の有無そのものではなく、「正しく理解できなければならないのではないか」という不安です。つまり、博物館に行かない人が感じているのは、知識不足への恐れではなく、正解を求められることへの不安だと言えます。

博物館は、展示物に対して正しい見方や理解が存在する場所である、というイメージを持たれやすい空間です。そのため、初来館者や博物館に慣れていない人ほど、「間違った理解をしてはいけない」「分からないまま立ち止まってはいけない」といった無意識の緊張を抱えがちになります。このような心理状態では、展示を見る以前に、来館そのものが回避されてしまいます。

博物館学習は「意味を構成するプロセス」である

博物館における学習をどのように捉えるかという点について、博物館学では長年にわたって議論が積み重ねられてきました。その中で重要な転換点となったのが、学習を知識の受け取りではなく、来館者自身が意味を構成していくプロセスとして捉える考え方です。博物館学習は、展示から一方的に正解を受け取る行為ではなく、来館者の経験や関心と展示内容が結びつく中で、多様な意味が生まれる過程として理解されるべきだとされています(Hein, 1998)。

この立場に立つと、「分からない状態」は学習の失敗ではなく、むしろ意味構成の出発点になります。しかし、来館者がそのことを実感できない空間では、分からないこと自体が否定的に受け取られ、結果として来館が避けられてしまいます。正解があらかじめ用意されているように感じられる展示空間は、意味構成の自由を狭め、初来館者にとっては敷居の高い場所になりやすいのです。

来館体験の成否を左右する「安心感」

来館体験が成立するかどうかを左右する要因として、学習成果や理解度以上に重要なのが、来館者が安心してその場に居られるかどうかという点です。博物館体験の研究では、来館者が感じる安心感や居心地の良さが、体験全体の評価に大きな影響を与えることが指摘されています。来館者は必ずしも「多くを学べたか」よりも、「自分なりに関われたか」「気後れせずに過ごせたか」を重視しているのです(Falk, 2004)。

この安心感は、展示内容の分かりやすさだけで生まれるものではありません。順路や鑑賞方法が厳密に規定されていたり、沈黙や態度が強く求められたりする空間では、来館者は常に振る舞いを気にすることになります。その結果、展示を見ることよりも、場に適応することに意識が向いてしまい、来館体験そのものが負担になります。

博物館体験は文脈の中で成立する

博物館体験を理解するうえで有効なのが、来館者の体験を個人の内面だけで完結させず、文脈の中で捉える視点です。博物館体験は、展示と来館者の関係だけで成り立つのではなく、社会的文脈や物理的環境、来館前後の状況などが重なり合う中で形成されます。このような文脈的理解によって、来館者の行動や感じ方をより立体的に捉えることができます(Falk & Dierking, 2013)。

このモデルに基づけば、正解を求められるように感じられる空間は、文脈の一部として来館者に強い影響を与えます。展示の内容以前に、「どう振る舞うべきか」「間違っていないか」を気にさせる環境そのものが、来館体験を成立させにくくしているのです。

規範性と民主性のあいだで揺れる博物館

博物館は、専門性や知的水準を担保する場であると同時に、誰もがアクセスできる公共的空間であることが求められてきました。しかし、この二つの要請は常に調和するわけではありません。専門性や規範を強く打ち出すほど、来館者の行動や解釈は制限され、結果として一部の人にとって居心地の悪い空間になる可能性があります。この点について、博物館の規範性が民主性と緊張関係にあることは、文化政策や博物館研究の分野でも指摘されています(O’Neill, 2008)。

博物館に行かない人にとって、正解を求められないと感じられるかどうかは、来館を決定する最後の関門です。どれほど興味を引く展示や誘因があったとしても、「分からない自分が許されない空間」であると感じられた瞬間に、来館行動は成立しません。博物館において正解を求めない姿勢を示すことは、学術性を損なうことではなく、来館者が意味を構成するための前提条件を整える行為だと言えるのです。

博物館に行かない人が「来る人」に変わるプロセス

ここまで見てきたように、博物館に行かない人が来館行動に至るまでには、いくつかの条件が段階的に満たされる必要があります。重要なのは、これらの条件が互いに独立した要素ではなく、因果的につながったプロセスとして機能しているという点です。博物館に行かない人は、どれか一つの条件が欠けただけでも、来館という選択に踏み切りにくくなります。

まず、博物館が「行くこと自体を目的にしなければならない場所」であると感じられている限り、来館は日常の選択肢に入りにくくなります。博物館が主目的でなくても成立する行動であると理解できて初めて、「ついでに行く」「途中で立ち寄る」といった柔軟な行動が可能になります。そのうえで、事前にどのような場所なのかが分かり、不確実性が下がることで、来館は現実的な選択肢として具体性を帯びてきます。

さらに、「学び」以外の来館理由が提示されていなければ、博物館は日常生活から切り離された特別な空間のままです。どのように過ごせるのか、自分の生活とどう接続するのかが見えたときに初めて、博物館は個人の行動文脈の中に位置づけられます。しかし、それだけではまだ来館は成立しません。一人で行くことへの心理的負荷が残っていれば、行動は先送りされ続けます。

ここで重要な役割を果たすのが、「誰かと一緒に行ける」という条件です。同行者の存在によって行動は実行可能なものとなり、来館のハードルは大きく下がります。そして最後に、博物館が「正解を求められない空間」であると感じられたとき、来館行動は初めて成立します。分からない状態が許容され、自分なりに関わってよいと感じられることが、来館を途中で止めないための決定的な条件になります。

このように考えると、博物館に行かない人を来館へと導く要因は、単一の施策や魅力によって説明できるものではありません。条件は並列に存在するのではなく、行動が成立する順序に沿って連鎖的に機能しています。そのため、いくつかの条件だけを部分的に満たしても、来館はなかなか実現しません。博物館経営において重要なのは、個々の施策の有無ではなく、来館行動が成立するプロセス全体が途切れずにつながっているかどうかを点検する視点なのです。

まとめ

本記事では、博物館に行かない人を「関心がない存在」や「教育の対象」として捉えるのではなく、日常の中で合理的な行動選択を行っている主体として捉え直してきました。そのうえで、博物館への来館がどのような条件のもとで成立するのかを、段階的なプロセスとして整理しました。

明らかになったのは、博物館に行かない人そのものが問題なのではない、という点です。多くの場合、博物館に行かないのは否定や無関心の結果ではなく、来館という行動が成立するための条件がそろっていないだけです。博物館が主目的でなくてもよいこと、事前に不確実性が下げられていること、学び以外の来館理由が想像できること、誰かと一緒に行けること、そして正解を求められないと感じられること。これらの条件が連続的につながったときに、初めて来館行動は現実の選択肢になります。

この視点に立てば、来館者数の増減を個人の意識や文化水準の問題として説明する必要はなくなります。問うべきなのは、来館を促すメッセージの強さや展示の魅力度ではなく、来館が成立する条件が途切れずに設計されているかどうかです。どれか一つの条件だけを強化しても、他の部分が欠けていれば行動は起こりにくいままです。

博物館に行かない人を理解することは、来館者を増やすための対策を考えることではありません。それは、博物館という場が、誰にとって、どのような条件のもとで開かれているのかを問い直す作業です。来館者を変えようとするのではなく、来館が成立する条件を見直すこと。その積み重ねこそが、博物館と社会との関係をより持続的なものにしていくと考えられます。

参考文献

  • Bennett, T. (1995). The birth of the museum: History, theory, politics. Routledge.
  • Diamond, J. (1986). The behavior of family groups in science museums. Curator, 29(2), 139–154.
  • Ellenbogen, K. M. (2002). Museums in family life: An ethnographic case study. Curator, 45(2), 81–98.
  • Falk, J. H. (2004). The director’s cut: Toward an improved understanding of learning from museums. Science Education, 88(S1), S83–S96.
  • Falk, J. H., & Dierking, L. D. (2013). The museum experience revisited. Routledge.
  • Hein, G. E. (1998). Learning in the museum. Routledge.
  • Hood, M. G. (1983). Staying away: Why people choose not to visit museums. Museum News, 61(4), 50–57.
  • Kotler, N., Kotler, P., & Kotler, W. I. (2008). Museum marketing and strategy: Designing missions, building audiences, generating revenue and resources. Jossey-Bass.
  • McKercher, B., & du Cros, H. (2002). Cultural tourism: The partnership between tourism and cultural heritage management. Routledge.
  • O’Neill, M. (2008). Museums, professionalism and democracy. Cultural Trends, 17(4), 289–307.
  • Parry, R. (2010). Museums in a digital age. Routledge.
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日々の業務経験をもとに、ミュージアムの楽しさや魅力を発信しています。このサイトは、博物館関係者や研究者だけでなく、ミュージアムに興味を持つ一般の方々にも有益な情報源となることを目指しています。

私は、博物館・美術館の魅力をより多くの人に伝えるために「Museum Studies JAPAN」を立ち上げました。博物館は単なる展示施設ではなく、文化や歴史を未来へつなぐ重要な役割を担っています。運営者として、ミュージアムがどのように進化し、より多くの人々に価値を提供できるのかを追求し続けています。

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