はじめに|STEAM教育と博物館を結びつけて考える意味
STEAM教育は近年、学校教育や教育政策の文脈において注目を集めています。しかし実際には、理数系教育を強化するために「STEMにアートを加えたもの」として理解されることも多く、その本来の射程や理論的背景が十分に共有されているとは言えません。STEAMは単なる教科の組み合わせではなく、学習を「正解の獲得」や「知識の適用」に還元するのではなく、問いの設定、意味の生成、価値判断を含めた学習観そのものを再編しようとする教育思想として成立してきました。
こうしたSTEAM教育の理念は、必ずしも学校教育の制度の中だけで完結するものではありません。むしろ、評価や到達目標が明確に定められた教室環境では、その本質が十分に発揮されにくいという指摘もなされています。その点で、正解を教え込むことを主目的とせず、実物や体験を通じて多様な解釈や判断を促してきた博物館は、STEAM教育ときわめて高い親和性をもつ学習環境だと考えられます。
本記事では、まずSTEAM教育がどのような歴史的経緯と理論的要請のもとで生まれてきたのかを整理し、次に、STEAM教育が抱えてきた課題や批判を確認します。そのうえで、なぜ博物館がSTEAM教育の理念を実践的に支え得るのかを検討します。特に、科学博物館に限らず、美術館や歴史博物館を含む博物館全体が、STEAM教育にどのような独自の貢献をしてきたのかを、学術研究と海外の実践事例を手がかりに明らかにしていきます。STEAM教育を博物館から捉え直すことは、博物館の教育的意義そのものを再定義する試みでもあるのです(Perignat & Katz-Buonincontro, 2019)。
STEAM教育とは何か
STEM教育との違いから見たSTEAM教育の定義
STEAM教育を理解するためには、まずその前提となるSTEM教育との違いを整理する必要があります。STEM教育は、科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)、数学(Mathematics)を横断的に学ぶことで、科学技術分野を支える人材を育成することを主な目的として成立してきました。その背景には、国際的な技術競争や経済成長を支える実践的能力への期待があり、学習は問題解決や応用力の獲得に重きが置かれてきました。
これに対してSTEAM教育は、STEMの枠組みを維持しながらも、学習の目的そのものを拡張しようとする点に特徴があります。STEAMにおけるArt(A)は、美術や造形といった技能教育を意味するものではありません。表現すること、解釈すること、意味を与えること、価値を判断することといった、人間の認知や思考に深く関わる営み全体を含む概念として位置づけられています。そのため、STEAM教育では「正しく解けるか」だけでなく、「どのような問いを立て、どのような意味を見いだしたのか」が学習の重要な要素となります。
この点でSTEAM教育は、単にSTEMにアートを付け加えた教育モデルではありません。むしろ、STEM教育が抱えてきた技術主義的な限界、すなわち問題設定や価値判断が十分に扱われにくいという課題に応答する形で提案されてきた学習観の再編だといえます。学術的な整理においても、STEAMは分野の足し算ではなく、異なる知の実践を統合し、学習者が意味生成や判断を引き受けるプロセスそのものを重視する枠組みとして定義されています(Perignat & Katz-Buonincontro, 2019)。また、STEAMの初期モデルにおいても、Artは創造性やデザイン思考、倫理的視点を含む中核要素として位置づけられており、理数教育の補助ではないことが明確に示されています(Yakman & Lee, 2012)。
したがって、「STEAM教育=理科教育の発展形」と捉える理解は不十分です。STEAM教育とは、知識や技能の習得にとどまらず、学習者自身が問いを立て、意味を構築し、価値を判断する力を育てるための統合的な学習枠組みであると整理することができます。
STEAM教育はどのような歴史を辿って生まれたのか
経験としての学びと美的経験という思想的源流
STEAM教育の思想的な源流をたどると、学習を単なる知識の伝達ではなく、「経験の再構成」として捉える教育観に行き着きます。この立場では、学ぶとは外部から与えられた情報を受け取ることではなく、身体的・感覚的な経験を通じて意味をつくり直していく過程だと考えられます。ここでは、理性と感性、思考と行為が分離されることなく、相互に作用しながら理解が深まっていく点が重視されます。
とりわけ重要なのは、美的経験が特別な芸術体験に限定されず、日常的な認識や判断のあり方と連続していると捉えられてきた点です。美的経験とは、対象をただ機能的に理解するのではなく、関係性や意味のまとまりとして把握し、価値を感じ取る経験を指します。この考え方において、学習は「正解に到達すること」ではなく、「経験の中に秩序や意味を見いだすこと」として理解されます。
こうした学習観は、後にSTEAM教育で重視される統合的思考の基盤となりました。科学的理解と感覚的理解、分析と表現を切り離すのではなく、経験の中で同時に立ち上げていくという発想は、分野横断的な学びを正当化する理論的支柱となったのです。この意味で、STEAM教育は新しい流行概念ではなく、20世紀前半から蓄積されてきた教育思想の延長線上に位置づけることができます(Dewey, 1934)。
STEM教育の成立と技術主義的限界
STEAM教育を理解するうえで、その直接の前身であるSTEM教育の成立と限界を整理することは欠かせません。STEM教育は、1990年代以降、国家競争力の強化や技術革新を背景に、科学技術分野の人材育成を目的として推進されてきました。科学や数学の知識を実社会の問題解決に結びつける教育モデルは、実践的能力の育成という点で大きな成果を上げてきました。
一方で、STEM教育が広がるにつれて、その技術主義的な性格に対する批判も指摘されるようになります。問題があらかじめ与えられ、その解決方法を効率的に見つけ出すことに重点が置かれることで、そもそも何を問題と捉えるのか、どのような価値基準で判断するのかといった問いが扱われにくくなる傾向が生じました。こうした枠組みでは、学習者は既存の目標に適応する存在として位置づけられ、意味や価値を自ら構築する役割が後景化しやすくなります。
学術的な整理においても、STEM中心の教育モデルは、創造性や倫理的判断、社会的文脈を十分に扱えないという限界を抱えていることが指摘されています。STEM教育の成功と同時に、その枠組みだけでは現代社会が直面する複雑な課題に応答しきれないという認識が共有されるようになったことが、STEAM教育が提起される背景となりました(Perignat & Katz-Buonincontro, 2019; Mejias et al., 2021)。
創造性研究とArt(A)の導入
STEM教育の限界を補う理論的根拠として、創造性研究の知見は重要な役割を果たしました。創造性研究では、創造的行為は単に新しい解決策を生み出すことではなく、「どのような問題を設定するか」という問題発見の段階にこそ本質があると指摘されてきました。問題が自明である場合、解決は技術的な最適化に還元されがちですが、現実の創造的実践では、問題そのものが曖昧であり、その意味づけが問われます。
この視点から見ると、STEM教育が重視してきた問題解決中心の学習は、創造性の一側面しか扱っていないことになります。そこで注目されたのが、表現、解釈、デザイン、価値判断といったArtの要素でした。Artは感情や感覚を扱うための付加的要素ではなく、問題を再定義し、意味を構築するための認知的実践として位置づけられます。創造性研究において示されてきた問題発見の重要性は、ArtをSTEMに組み込む理論的必然性を裏づけるものでした(Getzels & Csikszentmihalyi, 1976)。
こうした背景のもとで提案されたSTEAM教育では、ArtはSTEMを分かりやすくするための補助的手段ではなく、学習の中核を担う構成要素として位置づけられました。初期のSTEAM教育モデルにおいても、Artは創造性やデザイン、倫理的視点を含む広い概念として整理されており、理数系教育の装飾ではないことが明確に示されています(Yakman & Lee, 2012)。このように、STEAM教育は、STEM教育への感覚的な反発ではなく、創造性研究と教育理論の蓄積を踏まえた理論的要請として生まれてきた枠組みだと理解することができます。
STEAM教育が抱えてきた理論的課題
Artが装飾化してしまう問題
STEAM教育が普及する過程で、最も頻繁に指摘されてきた課題の一つが、Art(A)がSTEM理解を補助するための装飾的要素にとどまってしまう危険性です。多くの実践では、科学や数学の内容を「分かりやすくする」「楽しくする」ためにアート活動が導入されますが、その場合、Artは学習の中心的要素ではなく、あらかじめ設定されたSTEMの目標に奉仕する手段として扱われがちになります。
このような構造では、Artが本来もつ表現、解釈、意味生成、価値判断といった学習機能が十分に発揮されません。芸術的活動は、作品をつくること自体が目的となるのではなく、問いを立て直したり、異なる視点を提示したりする認知的実践として機能するはずですが、STEAM実践の中ではその役割が矮小化されることがあります。学術的レビューにおいても、STEAM教育の多くの事例で、芸術教育としての内容が極めて限定的、あるいは欠如していることが指摘されています(Sanz-Camarero et al., 2023)。
この問題は、STEAMという概念自体が内包する緊張関係とも結びついています。STEAMは、STEM中心主義への批判として提起された一方で、現実の制度や政策の中では、依然としてSTEMの価値基準が強く作用します。その結果、Artは「付け加えられた要素」として位置づけられ、STEMの有用性を補強する役割に回収されやすくなります。こうした構造的矛盾は、STEAMが理想と現実のあいだで揺れ動く概念であることを示しており、無条件に肯定できる教育モデルではないことを示唆しています(Mejias et al., 2021)。
分野統合が浅くなる問題
STEAM教育のもう一つの重要な課題は、分野横断を掲げながらも、実際には統合が表層的に終わってしまう点です。理科、技術、芸術といった活動が同じ授業やプロジェクトの中で並置されていても、それぞれが独立した作業として進められる場合、学習者にとっては単なる活動の寄せ集めに見えてしまいます。このような状況では、分野間の関係性や相互作用が十分に理解されず、統合的思考は育ちにくくなります。
学術的な整理では、こうした状態は「表層的STEAM」として区別されてきました。表層的STEAMでは、複数分野が同時に扱われているものの、問いの設定や評価の基準は一つの分野に依存しており、学際的な意味生成には至りません。一方で「深層的STEAM」では、学習の初期段階から分野横断的な問いが設定され、問題の定義、探究の方法、成果の評価において複数の分野が相互に関与します。この違いは、STEAM教育の質を左右する重要な分岐点とされています(Perignat & Katz-Buonincontro, 2019)。
分野統合が浅くなる背景には、教育現場における時間的制約や専門分化の問題もありますが、それ以上に、統合そのものをどの水準で達成すべきかという理論的合意が十分に形成されていない点が影響しています。そのため、STEAMを名乗る実践であっても、学際性の深さには大きなばらつきが生じているのが現状です。
学習成果が評価しにくいという課題
STEAM教育が抱える三つ目の課題は、学習成果をどのように評価するかという問題です。STEAM教育では、創造性、判断力、意味生成、価値の捉え直しといった成果が重視されますが、これらは従来のテストや到達度評価では捉えにくい性質をもっています。そのため、教育効果が見えにくく、実践の正当性を説明しづらいという状況が生まれやすくなります。
システマティックレビューにおいても、STEAM教育の効果を検証する研究の多くが、評価指標の不統一や測定方法の曖昧さを課題として抱えていることが指摘されています。学業成績や知識理解といった指標ではSTEAMの成果を十分に反映できず、結果としてSTEM寄りの評価に回収されてしまうケースも少なくありません(Amanova et al., 2025)。
この評価の困難さは、STEAM教育が扱おうとしている学習成果が、短期的・定量的に測定しにくいものであることと深く関係しています。創造性や判断力は、単発の活動で完結するものではなく、長期的な経験の積み重ねの中で形成されるため、評価を前提とした教育制度とのあいだに緊張関係が生じます。STEAM教育が制度的に定着しにくい理由の一端は、こうした評価構造の問題にあるといえるでしょう。
なぜ博物館はSTEAM教育と相性が良いのか
正解を教えない学習環境としての博物館
STEAM教育が求める学習条件の一つに、「正解を教え込まないこと」があります。STEAM教育では、あらかじめ定められた答えに到達することよりも、問いを立て、試行錯誤しながら意味を構築していく過程そのものが重視されます。この点において、博物館は学校教育とは異なる学習環境を制度的に備えてきました。
博物館は、評価や成績を前提とせず、来館者が自らの関心や経験に基づいて展示と向き合うインフォーマル・ラーニングの場として機能してきました。展示は一つの解釈を提示することはあっても、それを唯一の正解として強制するものではなく、来館者がどのように理解し、何を感じ取るかが尊重されます。この構造は、STEAM教育が重視する探究的・生成的な学習と高い親和性をもっています。
教育学的にも、博物館は「知識を教える場」ではなく、「意味をつくる場」として位置づけられてきました。学習者は展示資料や空間との相互作用を通じて、自身の理解を更新していきます。このような環境では、失敗や誤解も学習の一部として受け止められ、正解への到達よりも思考の過程が可視化されます。こうした特性は、STEAM教育が学校教育の制度内で直面してきた制約を補完する条件として重要な意味をもっています(Hooper-Greenhill, 1999)。
Artを従属させない制度的条件
STEAM教育に対する批判の中で繰り返し指摘されてきたのが、ArtがSTEM理解の補助的要素として従属してしまう問題です。多くの教育実践では、Artが「分かりやすくする」「興味を引く」といった役割に限定され、その固有の学習価値が十分に扱われない傾向が見られます。
一方、博物館、とりわけ美術館や文化系博物館では、Artは学習の手段ではなく目的として制度的に位置づけられてきました。作品や表現は、何かを説明するための道具ではなく、それ自体が解釈や判断の対象となります。来館者は、作品に対して自ら意味を読み取り、価値を問い直すことを求められ、その過程が学習として成立します。
このような環境では、Artは他分野に奉仕する存在ではなく、科学や技術と対等な知の実践として扱われます。STEAM実践を理論的に整理した研究においても、Artsが真正な形で組み込まれている場合、学習はより深い統合に向かうことが示されています(Peppler & Wohlwend, 2018)。博物館は、Artを従属させずに扱うための制度的条件を、歴史的に蓄積してきた場だといえるでしょう。
実物・体験・意味生成が同時に起こる場
博物館がSTEAM教育と相性が良いもう一つの理由は、実物資料を起点として、体験と意味生成が同時に起こる点にあります。博物館における学習は、テキストや抽象的概念から始まるのではなく、実物や空間、スケール感をもった対象との出会いから始まります。そこでは、科学的理解、歴史的文脈、造形的特徴、社会的意味が切り離されることなく立ち上がります。
実物を前にした学習では、「何でできているのか」「どのように使われていたのか」といった科学・技術的問いと同時に、「なぜこの形なのか」「どのような価値が与えられてきたのか」といった解釈的・文化的問いが自然に生じます。この多層的な問いの生成は、意図的に設計しなくとも学際的思考を促す点で、STEAM教育が理想とする統合的学習に近い構造をもっています。
博物館教育研究では、このような学習過程が「意味生成」として整理されてきました。意味生成とは、知識を受動的に受け取るのではなく、来館者自身が経験を通じて理解を組み立て直す過程を指します。博物館は、実物・体験・対話を通じてこの意味生成を支える場であり、その特性がSTEAM教育の理念と重なり合っています(Hooper-Greenhill, 1999)。
館種別に見るSTEAM教育への貢献のかたち
科学博物館が担うSTEAMの役割
科学博物館は、STEAM教育において最も分かりやすい入口となる館種です。展示や体験装置を通じて、自然現象や科学原理に直接触れながら学ぶことができるため、観察、仮説、検証といった探究の基本的プロセスが可視化されます。この点で科学博物館は、STEAM教育の基盤となる科学的思考や試行錯誤の態度を育てる役割を担ってきました。
科学博物館での学習は、単に知識を理解することにとどまりません。来館者は展示装置を操作し、結果を確かめ、うまくいかなければやり直すという反復的な経験を通じて、工学的思考や問題解決の姿勢を身につけていきます。こうした体験は、教科書的な説明だけでは得られない理解をもたらし、STEAM教育が重視する「つくりながら考える」学びを自然に成立させます。
学術的な整理においても、科学博物館に見られる体験型・探究型の学習は、STEAM実践の典型例として位置づけられています。とくに、現象理解と試行錯誤を往復する学習構造は、STEAMにおける統合的学習の土台を形成するものだとされています(Perignat & Katz-Buonincontro, 2019)。
美術館が担うSTEAMの役割
美術館は、STEAM教育において問いの設定や解釈、価値判断を深める役割を担います。美術館での鑑賞体験には、明確な正解が存在せず、来館者は作品と向き合いながら、自ら意味を読み取り、判断を下すことを求められます。この過程そのものが、STEAM教育で重視される創造的・反省的思考と強く結びついています。
美術館での学びでは、「なぜこの作品はこの形なのか」「どのような意図や背景があるのか」といった問いが自然に立ち上がります。こうした問いは、科学的説明や技術的合理性だけでは回収できないものであり、価値や文脈を含めて考える必要があります。この点で、美術館はSTEAMにおけるArtの中核的役割を最も明確に体現する場だといえるでしょう。
学習を美的経験として捉える立場では、理解とは感覚と知性が統合された経験の中で成立すると考えられています。美術館での鑑賞は、対象を分析的に把握するだけでなく、関係性や意味のまとまりとして受け止める経験を促します。このような学習観は、STEAM教育が目指す統合的思考の深化と重なり合っています(Dewey, 1934)。
歴史博物館が担うSTEAMの役割
歴史博物館は、STEAM教育に社会的・倫理的文脈を組み込む役割を担います。展示される資料や技術は、単なる過去の遺物ではなく、特定の時代や社会の中で選択され、用いられてきた結果として存在しています。そのため、歴史博物館では「技術がどのように使われてきたのか」「どのような価値観や権力構造と結びついていたのか」といった問いが不可避的に生じます。
このような問いは、STEAM教育がしばしば扱いにくい側面でもあります。技術的に可能であることと、社会的に望ましいことは必ずしも一致しません。歴史博物館は、成功した技術だけでなく、失敗や副作用、選ばれなかった選択肢も可視化することで、科学技術と社会の関係を相対化します。
STEAM教育をめぐる批判的研究においても、社会的文脈や倫理的判断を欠いた統合は不十分であることが指摘されています。歴史博物館は、科学や技術を価値中立なものとしてではなく、人間の選択と結びついた営みとして示すことで、STEAM教育に不可欠な視点を補完します。この点で、歴史博物館はSTEAM教育を「現実の社会」に接続する重要な役割を果たしているといえるでしょう(Mejias et al., 2021)。
STEAM教育を体現してきた海外博物館の実践事例
STEAM以前からSTEAMを実践してきた博物館
STEAM教育という用語が広く使われる以前から、その理念を実践してきた代表的な博物館として挙げられるのが、サンフランシスコにある[Exploratorium](chatgpt://generic-entity?number=0)です。Exploratoriumは、単なる科学展示施設ではなく、「触れながら考える」「試しながら問い直す」学習環境を制度的に構築してきた点で、STEAM的学習の原型を示してきました。
Exploratoriumの展示は、完成された知識を伝達することを目的としていません。来館者は装置を操作し、予期しない結果に出会い、その理由を考え、再び試すという循環的な学習過程に身を置くことになります。このプロセスでは、科学的理解だけでなく、設計の工夫、素材の選択、見た目や動きに対する感覚的判断が不可分に結びついています。すなわち、科学、工学、技術、そしてArtが経験の中で自然に統合されているのです。
こうした実践は、後に「Tinkering」と呼ばれる学習アプローチとして理論化されました。Tinkeringでは、完成形や正解があらかじめ設定されることはなく、つくる過程そのものが学習の中心に置かれます。学習者は失敗や試行錯誤を通じて、自ら問いを立て、意味を構築していきます。この点で、Exploratoriumの実践は、STEAM教育が目指す創造性や問題発見を制度的に支える先行モデルだと位置づけることができます(Peppler & Wohlwend, 2018)。
Art主導でSTEAMを成立させる美術館事例
STEAM教育の実践は、科学博物館に限られたものではありません。美術館においても、Artを出発点としてSTEAM的学習を成立させる試みが行われてきました。これらの事例では、科学や技術が主役となるのではなく、作品の解釈や表現をめぐる問いが学習の中心に据えられます。
美術館でのArt主導型STEAMでは、鑑賞体験を通じて生じる疑問や違和感が、素材、構造、制作技法、時代背景といった科学的・技術的探究へと接続されます。この流れでは、ArtはSTEM理解を補助する手段ではなく、学習を駆動する起点として機能します。その結果、分野統合は後付けではなく、問いの生成段階から自然に組み込まれることになります。
STEAM教育の統合モデルを整理した研究においても、Artが主導的に位置づけられる場合、学習はより深い意味生成に向かうことが示されています。美術館におけるSTEAM実践は、Artを中心に据えた場合でも、科学や技術との統合が十分に可能であることを示す具体例として評価されています(Perignat & Katz-Buonincontro, 2019)。
博物館はSTEAM教育にどのように貢献できるのか
学校教育の補完ではなく、STEAMの完成形として
博物館におけるSTEAM教育の役割は、学校教育を単に補完することにとどまりません。STEAM教育が本来目指してきたのは、知識や技能を効率的に習得することではなく、問いを立て、意味を構築し、価値判断を引き受ける学習のあり方でした。しかし学校教育の制度の中では、評価や到達目標が優先されるため、こうした学習はどうしても周縁化されがちです。
その点で博物館は、STEAM教育の理念が最も矛盾なく実現しうる場だと考えられます。博物館では、学習成果が点数や正誤で測定されることはなく、探究の過程そのものが尊重されます。学習者は、自らの関心や違和感を出発点に、資料や展示と向き合いながら思考を深めていきます。この構造は、STEAM教育が掲げてきた理想を制度的に支える条件を備えています。
STEAM概念を批判的に再検討した研究においても、STEAMは教育手法というより、学習をどのように位置づけるかという思想的枠組みとして理解されるべきだと指摘されています。その観点に立てば、博物館はSTEAM教育の「応用先」ではなく、その完成形を具体的に示す実践の場だと位置づけることができます(Mejias et al., 2021)。
創造性・判断力・市民性を育てる公共空間
博物館がSTEAM教育に貢献できるもう一つの重要な点は、創造性や判断力を、社会的文脈の中で育てる公共空間であることです。博物館で扱われる展示や資料は、科学的・技術的対象であると同時に、文化的・歴史的な意味を帯びています。そのため来館者は、「どのように機能するのか」だけでなく、「なぜこの形なのか」「どのような価値が与えられてきたのか」といった問いに向き合うことになります。
このような問いは、個人の内的な創造性にとどまらず、他者との対話や社会的判断へと接続されます。展示をめぐる解釈の違いや価値観の衝突は、市民としての判断力を鍛える機会となります。博物館教育研究では、博物館が知識伝達の場ではなく、社会的意味をめぐる対話の場として機能してきたことが強調されてきました。
STEAM教育が育てようとする創造性や判断力は、最終的には社会の中で行使される力です。その力を公共的文脈の中で育む場として、博物館は独自の役割を果たしてきました。この点で博物館は、STEAM教育を個人の能力開発に閉じるのではなく、市民性の形成へと開く装置として機能しているといえるでしょう(Hooper-Greenhill, 1999)。
まとめ|STEAM教育は博物館でどのように完成するのか
本記事では、STEAM教育がどのような思想的背景と理論的要請のもとで生まれ、どのような課題を抱えながら展開してきたのかを整理してきました。STEAM教育は、単にSTEMにアートを加えた教育モデルではなく、学習を知識や技能の習得に還元せず、問いの設定、意味の生成、価値判断を含む統合的な営みとして捉え直そうとする試みであることが明らかになりました。
同時に、STEAM教育は学校教育の制度の中では、その理念を十分に実現しにくいという構造的な制約も抱えています。評価や到達目標を前提とした環境では、創造性や判断力、解釈の多様性といったSTEAMの核心が周縁化されやすくなります。こうした緊張関係の中で、博物館はSTEAM教育にとって代替的な場ではなく、むしろその理念が最も矛盾なく実装されうる学習環境として位置づけることができます。
博物館では、正解を教え込むことよりも、実物や体験を通じて来館者自身が意味を構築する過程が重視されてきました。科学博物館における現象理解と試行錯誤、美術館における問いと解釈、歴史博物館における技術と社会の関係性の可視化は、それぞれ異なるかたちでSTEAM教育の要素を内包しています。重要なのは、これらが後付けで統合されているのではなく、博物館という制度の中で自然に結びついている点です。
このように考えると、博物館はSTEAM教育を支援する補助的装置ではなく、STEAM教育が本来目指してきた学習観を具体的に体現する場だといえます。STEAM教育を博物館の実践から捉え直すことは、教育手法の議論にとどまらず、博物館が果たしてきた教育的・社会的役割を再定義することにもつながります。STEAM教育は、博物館という公共空間においてこそ、その全体像が最も明確に立ち上がるのです。
参考文献
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