博物館建築を始める前に考えるべきこと ― 戦略計画なき建築はなぜ失敗するのか ―

目次

はじめに|博物館建築は「建て方」の問題ではない

博物館建築は、多くの博物館にとって一生に一度あるかないかの大きな意思決定です。新築や大規模改修には多額の資金と長い準備期間が必要となり、いったん実行に移せば後戻りはできません。それにもかかわらず、博物館建築はしばしば「老朽化しているから」「来館者が減っているから」「補助金を活用できるから」といった理由で、半ば自明の解決策として語られてしまいます。しかし、こうした理由は本当に建築という選択を正当化するものなのでしょうか。

実際には、展示の陳腐化や来館者数の低迷、組織運営の停滞といった課題は、必ずしも建物そのものに起因しているとは限りません。にもかかわらず、新しい建物が「状況を一変させる象徴的な手段」として期待され、建築そのものが目的化してしまう現象は、国内外の文化組織で繰り返し指摘されています。多くの文化組織では、急激な環境変化や内部課題に直面した際、組織改革よりも新しい建物に解決を求める傾向があるとされています(Lord & Markert, 2017)。

本来、博物館建築は設計やデザインの巧拙以前に、「なぜ建てるのか」「建築によって何を実現しようとしているのか」という判断そのものが問われる経営課題です。建物の老朽化や集客の問題は重要な検討材料ではありますが、それだけで建築を決断してしまえば、建築後に新たな財政的・組織的負担を抱え込む危険性も高まります。本記事では、博物館建築を設計論や施工論としてではなく、建築判断以前の経営思考の問題として捉え直し、建てる前に何を考えるべきなのかを整理していきます。

博物館建築は問題解決策ではない

博物館がさまざまな課題に直面したとき、建築という選択肢は非常に魅力的に映ります。老朽化した施設、減少する来館者、停滞感のある組織運営など、複雑で解決が難しい問題を前にすると、新しい建物は状況を一変させる「分かりやすい解決策」のように見えるからです。とりわけ、大規模改修や新築は、外部からも成果が可視化されやすく、関係者の合意を得やすい手段となりがちです。

しかし、こうした背景には、組織的・心理的な落とし穴があります。博物館が抱える課題の多くは、展示内容や教育活動、運営体制、外部との関係性といったソフト面に根差している場合が少なくありません。それにもかかわらず、内部改革には時間と労力がかかるため、比較的短期間で「変化」を示せる建築に期待が集まってしまいます。新しい建物は組織に変化の勢いを与えることがありますが、それ自体が博物館の使命や運営上の課題を解決するわけではないとされています(Lord & Markert, 2017)。

建築によって問題が解決した「ように見える」ことも、この判断を誤らせる要因です。開館直後は話題性によって来館者数が一時的に増加し、組織内部にも達成感が生まれます。しかし、その効果が一過性にとどまり、数年後には再び集客や財政面での課題が表面化する例は少なくありません。博物館建築プロジェクトの失敗事例を分析すると、建築後も来館者数や財政状況が改善しないケースが少なくなく、建物が課題の根本的解決になっていないことが示されています(Crimm et al., 2009)。

さらに深刻なのは、建築が課題を固定化、あるいは拡大してしまう可能性です。新しい施設は、維持管理費や人件費といった恒常的な負担を伴います。もし建築前から存在していた運営上の問題が解決されないままであれば、建築後にはより大きな規模で同じ問題に直面することになります。建築は問題を覆い隠すことはできても、問題そのものを解消しない限り、博物館の持続可能性を高める手段にはなり得ません。だからこそ、建築を「問題解決策」として安易に位置づけるのではなく、その前提となる課題認識そのものを問い直す必要があるのです。

戦略計画が建築に先行しなければならない理由

博物館建築を検討する際に、まず立ち戻るべきなのが戦略計画という考え方です。戦略計画とは、組織が自らの使命と環境を見直し、最適な将来像を定めるためのプロセスであると定義されています(Lord & Markert, 2017)。ここで重要なのは、戦略計画が単なる事業計画や中期計画ではなく、「この博物館は何のために存在し、どのような価値を社会に提供し続けるのか」を根本から問い直す営みであるという点です。

この戦略計画の中で初めて、施設整備や建築という選択肢の位置づけが明確になります。建築は、それ自体が目的なのではなく、使命を実現するための数ある手段の一つにすぎません。展示の拡充が本当に必要なのか、教育活動を強化すべきなのか、あるいは収蔵・保存機能の改善が優先されるのかといった判断は、戦略計画を通じて初めて整理されます。その結果として、建築や改修が不可欠であると判断される場合にのみ、施設計画が具体化されるべきです。つまり、建築は戦略の「出発点」ではなく、「結果」として位置づけられる必要があります。

しかし現実には、この順序が逆転してしまうケースが少なくありません。老朽化や来館者数の低迷、補助金獲得の機会といった外的要因をきっかけに、先に建築計画が立ち上がり、その正当化のために後付けで理念や将来像が語られることがあります。このような戦略なき建築は、博物館内部にさまざまな不整合を生み出します。戦略計画を欠いたまま進められた博物館建築は、使命と施設の不整合や、展示・教育活動との乖離を生みやすいと指摘されています(Crimm et al., 2009)。

例えば、教育を重視する博物館であるにもかかわらず、学習スペースや人的体制が十分に考慮されない建築が行われたり、保存を使命とする博物館で来館者施設ばかりが拡張されたりすることがあります。こうした不整合は、建築後になって初めて顕在化し、修正が困難になります。さらに、戦略的検討を欠いた建築は、財政や組織運営にも長期的な負担をもたらします。戦略計画は、建築の可否を判断するための前提条件であり、博物館が持続的に活動していくための羅針盤でもあるのです。

「建てない」という選択肢を含めて考える

博物館建築を検討する際に、見落とされがちなのが「建てない」という選択肢です。建築計画が動き出すと、議論はしばしば「どのような建物を建てるか」「どの規模が適切か」といった前提条件の調整に移行し、そもそも建築が必要かどうかという問いは後景に退いてしまいます。しかし、戦略計画の本来の役割は、特定の解決策を前提とすることではなく、複数の選択肢を並べ、その中から最も適切な道を選び取ることにあります。戦略計画は、特定の解決策を前提とするのではなく、複数の選択肢を比較検討するための枠組みとして機能するとされています(Lord & Markert, 2017)。

この視点に立てば、建築以外の代替案も当然検討対象となります。例えば、全面的な建て替えではなく段階的な改修によって機能改善を図る方法や、収蔵機能を分散化して保存環境を向上させる方法があります。また、展示や教育活動についても、必ずしも物理的な空間拡張に頼らず、デジタル技術を活用することで到達範囲や参加機会を広げることが可能です。これらの選択肢は、建築に比べて初期投資や将来的な固定費を抑えられる場合が多く、組織の体力に応じた柔軟な対応を可能にします。

それにもかかわらず、現実の博物館建築では、こうした代替案が十分に検討されないまま意思決定が進んでしまうことがあります。その大きな要因が、建築判断の「ロックイン」です。補助金や寄附といった建築資金の目途が立つと、その機会を逃すことへの不安から、建築以外の選択肢が事実上排除されてしまいます。建築資金の目途が立った段階で、建てないという選択肢が事実上検討されなくなることは、博物館建築における典型的なリスクの一つであると指摘されています(Crimm et al., 2009)。

しかし、本来問うべきなのは「今、建てられるか」ではなく、「今、建てることが最も合理的な選択か」という点です。戦略計画に基づく意思決定とは、短期的な機会や外部要因に流されることなく、博物館の使命と持続可能性にとって何が最善かを冷静に判断することにほかなりません。建てないという選択肢を含めて検討することは、消極的な判断ではなく、むしろ博物館経営における成熟した意思決定の表れだと言えるでしょう。

組織と財政は「建築後」を支えられるか

博物館建築を検討する際、どうしても注目が集まりやすいのは「建設できるかどうか」という点です。必要な予算を確保できるか、補助金や寄附を集められるか、工期はどの程度かといった論点は、いずれも重要です。しかし、博物館経営の観点から見れば、それ以上に重要なのは「建築後の博物館を、組織と財政が支え続けられるか」という問いです。建築は一時的なプロジェクトですが、その影響は完成後も長期にわたって続きます。

まず直面するのが、固定費の増加です。新しい建物は、規模や性能が向上する分、光熱費や清掃費、保守点検費などの維持管理費が恒常的に増加します。加えて、開館時間の拡大やサービスの高度化に伴い、受付、警備、施設管理などの人件費も増える傾向があります。博物館建築後には、維持管理費や人件費が恒常的に増加する傾向があり、これを見込まない計画は運営破綻につながりやすいと指摘されています(Crimm et al., 2009)。建築費を確保できたとしても、運営費を安定的に賄えなければ、博物館の活動そのものが制約されてしまいます。

同時に、建築は組織のあり方にも変化をもたらします。新しい施設では、従来とは異なる専門性や役割が求められることが多く、職員構成や業務分担の見直しが不可避となります。場合によっては、展示更新や教育普及活動の拡充に対応するため、これまで以上に高度な企画力やマネジメント能力が必要となることもあります。戦略計画では、施設投資が人材、財務、組織体制に与える長期的影響を検討することが不可欠であるとされています(Lord & Markert, 2017)。

こうした点を踏まえると、博物館建築の判断基準は「建てられるか」では不十分であり、「建てた後も続けられるか」という視点に置き換える必要があります。短期的には華やかに見える建築であっても、長期的に組織と財政を圧迫し、結果として展示や教育の質を低下させてしまえば、本末転倒です。博物館建築とは、未来の博物館運営を先取りする行為でもあります。だからこそ、建築後の現実を直視し、それを支え切れるだけの組織力と財政基盤があるかを、事前に厳しく問い直すことが求められるのです。

まとめ|博物館建築は何を問う経営判断なのか

本記事で見てきたように、博物館建築は単なる施設整備や空間更新の問題ではありません。それは、博物館がどのような使命を掲げ、どのような価値を社会に提供し続けようとしているのかを根本から問い直す経営判断です。建築は目に見える成果であるがゆえに、課題解決の手段として選ばれやすい一方で、その判断が博物館全体の方向性を長期にわたって規定してしまう危険性も併せ持っています。

戦略計画の視点に立てば、建築は戦略の出発点ではなく、その結果として位置づけられるべきものです。使命と整合しない建築や、組織や財政の持続可能性を見据えない施設投資は、完成後にさまざまな不整合を生み出します。博物館建築は、使命、戦略、組織、財政といった要素を個別にではなく、同時に検討することを求める行為なのです。

だからこそ、博物館建築を検討する際には、「何を建てるか」よりも先に「なぜ建てるのか」「本当に今、建てるべきなのか」を問い直す必要があります。博物館建築は、組織の将来像を具体化する強力な手段である一方、戦略的検討を欠けば博物館そのものを弱体化させる可能性があるとされています(Crimm et al., 2009)。建築を成功させるためには、設計や施工の巧拙以前に、経営判断としての成熟が問われているのです。

参考文献

Crimm, W. L., Morris, M., & Wharton, L. C. (2009). Planning successful museum building projects. AltaMira Press.

Lord, G. D., & Markert, K. (2017). The manual of strategic planning for cultural organizations: A guide for museums, performing arts, science centers, public gardens, heritage sites, libraries, archives. Rowman & Littlefield.

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この記事を書いた人

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日々の業務経験をもとに、ミュージアムの楽しさや魅力を発信しています。このサイトは、博物館関係者や研究者だけでなく、ミュージアムに興味を持つ一般の方々にも有益な情報源となることを目指しています。

私は、博物館・美術館の魅力をより多くの人に伝えるために「Museum Studies JAPAN」を立ち上げました。博物館は単なる展示施設ではなく、文化や歴史を未来へつなぐ重要な役割を担っています。運営者として、ミュージアムがどのように進化し、より多くの人々に価値を提供できるのかを追求し続けています。

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